- 交泰中院 - 修史館 - 掃苔龕

樹王山正覚院光照寺 東京新宿区袋町
 浄土宗。増上寺の末寺。牛込城の跡地に建つ。

奥田抱生先生墓

 この人もどんな人かわからなかったが金石の研究家で「日本金石年表」の著者と知って親近感が増した。

碑文:
奥田抱生墓
先君諱普、字弐齋、氏奥田、抱生・紫燕・飯沙・三山行者等號、大観先生長子、幼承家學從曽祖鶯谷先生、世為尾張徳川氏奥御儒者、明治元年藩命撰十少年、就清人金嘉穂學、先君年甫十一亦入其撰、弱冠任内閣屬、既而之不復仕、下帷教授、明治四十三年入都ト居牛籠、著有日本金石年表・金石私記・主客説・詩堂集(2009.3)

 拙藏の抱生旧」蔵諸家寄書蝙蝠圖扇子は上村松園をはじめ杏堂・香雲・青蘭・江亭などそうそうたるメンバーでおもしろし(2011.2追記)

同寺墓所のその他の墓

松山源公之碑
 ここは出羽(山形県)松山藩主酒井家の菩提寺で昔の大名墓の様相を知ることができる。ただし参詣する者もなく荒れ果てて石造物の崩落の危険があることが注意書きされている。

 一基だけ長文の銘を持つのは3代酒井忠休の墓「松山源公之碑」で書丹は沢田東江である(2009.3)。

諸国旅人供養碑
便々館湖鯉鮒の墓 大田南畝と親交の狂言師
奥右筆の「大久保北隠」の墓