乾清花苑  太白廡  略伝引得

奥田 抱生(1825〜1934)

 文教家。名は一夫、字は式斎、別に主客説詩堂・飯沙山農・紫燕棲主人・百朋斎など多くの号がある。大観の子で万延元年の生まれ、明倫堂に入り、愛知英字校に学ぶ、明治一三年上京して三菱商業学校で漢字・簿記・算術を修める。しばらく官にあったが、病のため退き帰郷して魚貝採集や書画骨董の収集につとめた。父大観と上長者町に大観塾をおこして、漢詩漢文を教え、また小林町に移って名古屋商業の教員となる。明治三六年曹洞宗第三中学校で漢文を教える。のち上京して牛込に住み読書・旅行・古器物の研究につとめ、好古学の先駆者となった。著に今瓦譜・百明斎今瓦・日本金石年表・明清書画名家年表・詩苑菁華・燕老随筆などがある。
 墓は名古屋市千種区(代々)、東京都新宿区光照寺(一代)の二ヶ所

                                ┏孝英 
傍島新左衛門
                         ┣世文
奥田自入━━自徹━━眞徹━━三徹━━遊川━┻鶯谷━┳桐園──大観━━抱生
初仕福島正則、後帰美濃代々医業  住名古屋     明倫堂教授┗亮斎  

掃苔録 http://www4.airnet.ne.jp/soutai/01_soutai/01-5_o/02-3_ku/owari_okuda/okuda_housei.html

桜梨続芬 後集

蝙蝠圖賛(1919)

筆跡参考図 谷村文庫 『桜梨続芬 後集』
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/t130/image/1/t130s0001.html

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