- 交泰中院 - 修史館 - 掃苔龕

正定山幸國寺 東京都新宿区原町
 日蓮宗。加藤清正開基、寛永7年(1630)日観上人開山。新宿区内最大の銀杏が二本あり、この地が加藤清正公の下屋敷の一つだったことから「清正公お手植えの大銀杏」と言い伝えられ新宿区天然記念物に指定されている。

先生之墳」永坂石 Map47849 
 石たい流の名で知られる書家であり篆刻家。永坂家の墓所の一角にあり。銘なし 大正13歿 男源一建[臥13120]。
「貞輝院妙壽日暹大姉(永坂家先妣墓)」 Map47850 明治29歿 石書丹 男永阪周二・柴田承桂建[臥13120]

加太氏世系碑 安政六年(1859)Map47501
 幸國寺21世日定撰、戸川安清隷額、中沢雪城書、加太誠之建、広瀬群鶴・群鴻鐫[臥13111]。
 幸國寺へは先生の墓参で出かけたのだが、ふと見つけたのがこの碑である。加太(かぶと)氏とは伊勢の関家の一派で、その一族が江戸での布帛御用の成功を記念して族譜を録したとあった。碑文は多聞楼鹿伏兎氏の項に挙げるつもり。清正は郷里の大木氏が仕えた武将であるし、加太氏も大木氏とともにもとは伊勢の士であり有縁を感じる寺であった。境内には加太氏の墓がほかにも数基あり。(2009.3)
 加太氏はその財をもって淀橋に別墅を設け成趣園と称した。明治になってその跡地に山岡鐡舟が
一時期居所とした所以をもって現在鉄舟禅会高歩院となっている。ここにいまでも加太誠之の依頼で天保十一年の安積艮斎撰、巻菱湖書丹の「成趣園記」碑が残っているという。ぜひ実見したいところであるがいまもって果たしていない。この拓については東隅随筆(93号)に一文と部分画像があったがこちらも実見には及んでいない。(2011.2、注:同年12月高歩院も訪問)


戸川安清隷額

朝散大夫左近将監石川君墓碑銘(石川忠房墓碑) Map47844 林衡撰、關研(藍陵)書・題額[臥13113]。事實文編52(巻三)所収
入正院殿妙定日聚大姉 信子儒人墓碑銘(石川忠房夫人) Map47485 寛政8 源忠良立 平茂之代書撰 石川忠房歌 ※他に二妻Map47847・三妻の墓Map47848など

その他の墓
養老先生墓 Map47843 源光章撰、豊臣幹書[臥13112] 小泉養老 医家、先祖は美濃の人
綾瀬川之墓 Map47853 [臥13117] 江戸末明治初期の関取、摂津の人
豊洲中岡先生墓 Map47854 [臥13117]文化11年とある 銘はなし

当山廿一世智心院日定聖人 Map48113 文政二 弟子中(銘あり) 辞世歌[臥13123]
身延七十八世・小湊六十一世 大僧正日良上人墓 / 日良上人碑 Map48452 明治四十三 堯惇日毅撰 永阪周書[臥13112]
小湊六十八世當山二十五世僧正妙地院日幹上人 昭和11 日英書、日瑞建 當山二十六世妙雲院日瑞聖人 當山二十七世妙玄院日泰聖人[臥13124]

このほか本来地中に埋設すべき墓誌(鈴木氏、中岡豊幹書[臥13119])の存在を見かけた。Map47855