乾清花苑 太白廡 略伝引得
前田半田(暢堂、1817〜1878) 文政14年京都生。名碩、通称春太郎、字子果。別号に青牛、暢堂がある。美馬郡半田の医師・前田養拙の子。中島来章に入門後、貫名海屋、山本梅逸に師事した。しばしば郷里に戻った。京都では画名高く、梅逸の子・梅所が筆を捨てたのも半田にかなわなかったからだという。明治11年、62歳で死去した。