乾清花苑  太白廡  略伝引得

前田氏

前田半田(暢堂、1817〜1878)
 文政14年京都生。名碩、通称春太郎、字子果。別号に青牛、暢堂がある。美馬郡半田の医師・前田養拙の子。中島来章に入門後、貫名海屋、山本梅逸に師事した。しばしば郷里に戻った。京都では画名高く、梅逸の子・梅所が筆を捨てたのも半田にかなわなかったからだという。明治11年、62歳で死去した。


「層巒積翠」山水
前田荷香(1833〜1905)
 天保4年生まれ。前田半田の子。明治13年6月京都府立画学校設立の時、出仕教官となった。明治30年の日本南画協会発会の時の発起会員のひとり。明治38年、73歳で死去した(UAG美術家研究所 )
「清波仙子」墨画水仙(旧蔵)  墨竹并題