乾清花苑 太白廡 略伝引得
名来章、字子慶、別号は春分齋、神通堂。近江の人。幼少より絵の修業のために京都に出て、応挙の弟子渡辺南岳に師事して装飾的な花鳥画を習い、ついで円山応瑞にも学び山水人物花鳥を得意とした。京都を活躍の場とし、幕末における円山派を代表する大家となり、四条派の横山清暉、塩川文麟、岸派の岸連山と共に平安四名家と呼ばれた。 その弟子には、明治の京都画壇の重鎮であった幸野楳嶺や、川端玉章がいる。 明治4年没、享年75歳。(誠之館)
設色秋草図(旧蔵)