乾清花苑  太白廡  略伝引得

韓天壽(中川氏、1727〜1795)

 本姓青木、京保12京生、松阪の豪商田丸屋中川家の養子となる。生家青木氏は韓国餘璋玉の裔にて自ら韓姓を称す。青木夙夜の従兄。字大年、通称中川長四郎。幼少より筆管をとり、はじめ松下烏石の門に入り、のち澤田東江にまじわり、魏晋の風をしたい自ら醉晋齋と号す。書は一家をなし内外に聞こえ、また篆刻を能くし、古帖癖あり。双鉤に長じて摹刻墨帖第一人者として「岡寺版集帖」を刊行。天壽死後も無倪和尚に良い観光が引き継がれている。
 余技としてまた画もたしなんだ。従弟夙夜の師池大雅と親しく、また芙蓉とも交厚く、三名で連れ立ち白山・立山を経て富士山を巡り、これを記念して三人おのおのが「三岳道者」を号したという。晩年江戸に至り、己が名声の高きに驚いたまま寛政7年3月23日客舎にて亡くなる。69歳。墓は松阪清光寺(篠田山墓地)。故紙塚は京通妙寺にあり(三重先賢伝、韓天壽とその周辺、三重の文化)。 書丹碑あり。





筆補造化


韓國餘璋王裔


天壽之印







「春夏・秋冬」対聯(旧蔵) 小逕

筆補造化


韓大年氏


韓天壽印

 韓天壽印  韓國餘璋王裔  筆補造化
司馬温「獨樂園記」 杜甫「冬日洛城北謁玄元皇帝廟」七律
十二屏(旧蔵)



 

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