澤田家 | ||||||
〇澤田東江━━━東里━━━東洋 | ||||||
澤田東江(1732〜1796) 江戸中・後期の書家。享保17年生。林鳳谷に儒学を、高頤斎に書をまなぶ。のち王羲之らの書法を研究し、東江流をひらく。篆刻もよくした。寛政8年6月15日死去。65歳。江戸出身。本姓多田。名鱗。字文竜。通称文治郎。別号に来禽堂など。著作に「書学筌」「書則」など。また書丹碑多し。 |
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澤田東里(1780〜1821) 江戸後期の書家。安永9年生。江戸の人。沢田東洋の父。父沢田東江にまなんだ。文政4年死去。42歳。名は千之。字文己。通称は文二郎、文太郎。著作に「蘭亭字原考」など。 |
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澤田東洋( 江戸後期の書家。文化元年生。沢田東里の子。沢田東江の孫。江戸の人。両国にすむ。弘化4年3月18日死去。44歳。は哲。字文明。通称は文二郎。別号に来禽堂。著作に「裁牘十詞」。 |
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