邪見は、混乱しているらしく分けのわからないことを言っている。

 殺生丸はその邪見を無視すると表玄関の方へ歩いていった。取次ぎには館のものは
不思議なことに誰も控えて居ない。
 曲がりなりにも主人の奥方がいなくなったのだから騒ぎになってもいいはずだが、
静かなものだった。主人の帰宅の知らせをいち早く知り、阿吽を連れて帰ろうと
駆けつけた厩の竜責の者たちだけが、心配そうに眠ったままのりんの様子を伺っている。

―あまりの静けさ―

それが館でのりんの立場を如実に表していた。りんはいつもこの件には
触れたがらない。
自分が皆に歓迎されていないらしいこともにも。
 邪見が呆れるほど外から生き物を連れてくるのも、結局はそのりんの館での孤独からに
違いなかった。そして何度言い聞かせても、度々勝手に出掛けてしまう人里も・・・

 殺生丸の帰宅に気がついたらしい館の者が慌てて迎えに出てきた。殺生丸はそれを
無視すると履物を脱いで、屋敷に上がる。その様子をみた屋敷のものは、いつの間にか
どこかへと消えた。主人の刀を受け取るものさえ居ない。
 邪見が居るので関係ないということか。うっかり現れてりんの世話を言い付かるのが
嫌に違いなかった。所々置かれた灯りが揺らめく輝きで館の中を仄かに照らしていた。
 館に使える者たちの気配はそこここにあった。が、敢えて誰も表立って表れない。
りんが主人の殺生丸の機嫌を損ねた上に、身勝手に館の外へ出たりんに対して非難する
気持ちがひしひしと感じ取れる。

 主人の後を慌てて追いかけてきた邪見が館に上がり込む。
「せ、殺生丸さま・・・」
煩いだけなので、無視してどんどん奥へ入っていくが、追いついた邪見が殺生丸の
行く手を阻むかのように走って前へ出てくると、突然前でひれ伏した。

「・・せ、殺生丸さま、今日はどうしても申し上げたいことがございます。踏まれても
蹴られても構いません。どうかどうか、この邪見の話をお聞き下さいますよう・・・」
いつもおどおどと、主人の顔色ばかりうかがっている邪見には珍しいことだった。
その上、今回ばかりは蹴り飛ばしても踏みつけても退きそうにない。
「―何用だ、手短に申せ。」

「お、恐れながら申し上げます。りんの様子が、皆からもこの頃おかしいと聞き及んで
おります。あれほど、おしゃべりだったのに、この頃すっかり口数が少なくなりました。
何故か食も細くなり、あまり元気もございません。特に夕餉の頃ぐらいから、
落ち着かなくなり、酷く不安げにしております。
病かとも思い、この間、医者にも見せましたが、どこもなんともないとのことでした。
と、いたしますと原因は限られてまいります。」
「―何が言いたい。」
「た、大変申し上げにくいことでございますが、殺生丸さまが御帰宅なさりますと・・・
りんは何故か特に無口になります。つまり・・・その、殺生丸さまと何かあったのでは
ないかと・・・さ、昨夜もりんが湯殿で泣いていたと聞きましてございます。そして
今日の無断での外出・・・。」
「・・・・・」
「わ、私のようなものが意見するのは差し出がましいことと存じます。」
「―言いたいことがあれば言うが良かろう。」
「―お願いでございます。りんをいま少し、大切にしていただけませんでしょうか。」
「―どういう意味だ。」
「せ、殺生丸さまは、早くお子を、とお考えなのでしょうが、りんは身体は大人でも
心はまだ幼のうございます。そ、それは、りんのせいではございません。りんは、
早くに親兄弟をなくしたものですから不憫に思えてならず、わ、私がつい甘やかして
育ててしまいました。それゆえ、心が幼ないのでございます。暫しお待ちになれば、
りんも殺生丸さまに充分答えられるほど、女の気持ちも育ってまいりましょう。
で、ですから、暫くはりんには優しく、丁寧に接していただけますとりんも落ち着く
のではないかと・・こ、この状態では、身篭っても、きっと産み月までりんの身体が
持ちません。」
邪見は顔を上げず、ひたすら懇願している。殺生丸はその様子を顔色も変えずに、
じっと見おろしていたが、その口上を遮るように無視をするとりんを抱えたまま邪見を
一跨ぎした。

 邪見は、幸いなことに主人に踏まれることはなかったが、渡り廊下の向こうへ
遠ざかっていく殺生丸の背中をぼんやりと見やって深いため息を付いた。意を決して、
進言を試みたのだが、思っていたとおりあっけなく却下されたのは仕方あるまい。
主人には主人の考えがあるのだ。悔しいことだが諦めるしかあるまい。



「―邪見、手を貸せ。」
廊下の向こうの暗がりからから殺生丸の声がした。
「―何をしている。傍へ。」
「はぁ、・・・」
薄暗闇の中でどこか間の抜けた従僕のため息のような返事が響いた。
邪見は、よっこらしょっと立ち上がると、手燭を持ち、殺生丸の足元近くへと寄る。
「まず、私の腰から闘鬼神を受け取れ。」
「・・は、私が・・?」
「手がふさがっている。」
邪見は急いで殺生丸の腰から闘鬼神をはずし取るとその刀をどこかへ納めに行った。
そして慌てて舞い戻ってくる。
「・・天生牙は、いかがいたしましょう・・?」
「私が持っていく。これはいつも枕元に収めている。」
邪見はそうだったといった顔で頷いた。そして、そのまま踵を返し戻ろうとする邪見に
殺生丸は再び、声を掛けた。
「邪見、部屋までついて来い。」
「よ、よろしいので・・・?」
りんとの婚礼以来、主人の寝所など入ったことのない邪見は、驚きを隠せない。
「構わぬ。」
殺生丸はそれ以上は何も言わず、少し立ち止まってりんを抱きなおすと、そのまま
自分の部屋へと入り、奥へと進むと几帳の向こうへと消えた。


殺生丸は、前へ屈みこむように片膝を着くと、りんを寝床へとそっと横たわらせる。
仰向けに褥へと沈むその瞬間、りんの身体が殺生丸の胸から離れるのを拒むかのように、
両の手で殺生丸の小袖を掴んだ。が、所詮眠っているいるせいか、その腕の力も
すぐ抜け、ゆっくりと離れた。
「−邪見、何をしている。手を貸せ。」
邪見は、遠慮のためか、主人の寝室に入ることが出来ないらしく、部屋の広縁に近い
ところで困り果てたように立っていた。
「あ、あの・・私のような者が入ってよろしいんですか・・」
「入れ。」

 邪見が遠慮がちに、寝所へと、そっと入ってくるとそこには侍女が用意したのか、
既に灯りがともされている。その小さな灯りは、今回のりんの輿入れに合わせて
用意されたまだ新しい白い大きな夜具を照らしていた。そして、その褥には、
殺生丸の御方さまとなったばかりのりんが横になって眠っている。


海外からの閲覧者のためのNote

夕餉    夕食

暫し    すこしの間、ちょっとのま

几帳    室内に立てて隔てとするもの。布が付けられています。館3にお借りしたイラストの
      左端にその一部が描かれています

片膝    片方の膝

褥     座り、または、寝るとき下に敷く物

両     ふたつ、そろい

(岩波書店の広辞苑などを参考にしました。)




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