屋敷の近くへ阿吽が降り立つと、もう辺りはすっかり日が暮れていた。雪は降って
いなかったが暗い空には雲が流れ、時折、半分しかない月が見え隠れした。風に周りの
木々が大きなざわめきを立てる。晴れ渡る夜空では、弱い光を放つ星も今日は
殆ど見ることは出来ない。

 しかし、妖の殺生丸には、暗くともどこもかしこも良く見える。もし、りんが
起きていたとしたら、殆ど何も見えずに闇に怯えたかもしれなかった。
 殺生丸は、阿吽にゆっくりと脚を折らせて座らせ、そのまま地面に伏せさせる。
その時、阿吽はため息ともうなり声とも聞こえるような低い声で喉を鳴らした。
彼は、その妖竜の背からりんをしっかり抱いたままそっと降り立つ。
 りんは、不思議なことに姿勢を変えても、ぐっすりと眠りについたままだった。
少し揺すって起こそうと試みたが、安心しきったように眠りこけており、起きる気配は
全くない。

 柔らかなしっとりとした匂いが彼女から立ち上ってくる。彼女が呼吸をするたび
いつも夜毎のりんとの房事の後に、ぼんやりと彼女の浅い眠りを眺めているときの
匂いを思い出した。

 成長と共に、りんからは殺生丸を引き付けて止まない甘美な香りが漂うように
なっていった。
 気がついたら、無意識のうちに、彼は、いつもりんの傍に立っていた。
 そのことに気がついているのか、いないのか、年頃になったりんは殺生丸に
嬉しそうに微笑みかけて、摘んだばかりの花やら、木の実やらを差し出して機嫌よく
話しかけてきたものだった。
 彼女は、人里の話を何故か好んだ。楓の村へ行っては、いろいろな話を聞いてきて
楽しそうに報告した。りんがそれでいいのなら、と好きにさせたものだ。

 りんは、相変わらず眠っている。大人になった今も片腕で軽々と抱けるほどの
重さしかない。華奢で、細くて、
そして―儚い。
―この弱々しい身体で毎夜、妖の男を受け入れ、己の気持ちに何とか答えようと
彼女なりの懸命の努力をしていたのだろう。

 りんは、己が思っていたよりずっと幼かったようだ・・何もかも。
幼い頃から傍に居たりんも望んでいたことだと思っていたが、少しばかり違って
いたということだろうか・・・
 二人が男女として心も身体を一つになることは、りんにとっても当然の
成り行きと思っていたのだが、もしかしたら、己の思い違いだったのかもしれない。
りんを女として欲しくて、逸る気持ちを抑えきれず平常心ではなかったのかもしれない。
 気を取り直して眠っているりんの表情を覗き込むと奈落を追って旅をしていた頃と
大差のないほど、いとけなかった。その様子を見ていると急に殺生丸の胸が痛んだ。
大人になったとはいえ、人里で育ったわけでもない。ただ、邪見や己を親や兄のように
慕って、共に暮らし、そのまま大人になっただけのりんにとって、この一月ほどの
日常の急変はきっと、ただ事ではなかったのだろう。

 殺生丸は、阿吽が自分の後をのっそりと付いて来るのを確認すると、門の方へ
歩いていく。また、夜空に雲が流れて月が消え、辺りが漆黒の闇に包まれる。
月の隠れた暗い闇夜を妖の目でじっと見据えると表門のところには、待ちあぐねたように
老僕の邪見が立っていた。

「―せ、殺生丸さま!」
老僕は、すぐに殺生丸に気がついたらしく、躓きながら慌てて走りよってきた。
「―りんは、りんは大丈夫でございますか。あ、あの怪我とかしておりませんでしたか。
どこか具合でも悪いんでしょうか・・熱は?熱を出しておりませんか。
・・・ああ、こんなにぐったりして・・な、何かあったのでございますか。
毒のあるものでも食べましたか。りんは見かけによらずいやしいところがあります
からな。あ、あの・・せ、殺生殺生丸さま・・何とかおっしゃって下さい。」
「―少し、落ち着け邪見。」
「お、落ち着いております。医者を呼んで参ります。や、館のものには、殺生丸さまが
りんを探してくるであろうと私が申しまして、皆、館に控えさせております。
い、医者は・・・すぐに誰かを使いに出しますゆえ、お待ちください・・」
「―落ち着け、邪見。医者は要らぬ。」
「・・こ、こんなにぐったりしているのにですか!」
珍しく邪見は怒りをあらわにして、主人を睨み付けた。それを制するように殺生丸が
言葉を放つ。

「・・・眠っているだけだ。」
「・・・はあ?」
「阿吽の上で眠ってしまった。子供のころからそうであろう・・」
「・・・はあ?」
「先ほど、揺すってみたが起きぬ。」
邪見は、驚いたようにりんの寝顔を眺める。
「・・・こ、このところ、あまり眠ってなかったのでしょうか・・」
殺生丸は主人の顔色を伺いながら、躊躇いがちに言う老僕を見下ろした。
「・・・そうかもしれんな。」
「りんは、一体どこにいたのですか。」
「・・北の方角の村だ。」
「・・北?」
「誰か知り合いでも?いたので?」
「そうではない。鶴を見に行っていたらしい。」
「・・鶴?・・一人でですか?」
「・・阿吽とな。鶴が随分と気に入ったようだぞ。」
「―あ、あの・・・・せ、殺生丸さま。つ、鶴はだめです。この間も、りんの奴、
楓の村から鶏を一羽もらって帰ってきて勝手に庭に放しました。どこかに住み着いて
おります。
 それに池泉もりんが子供の頃から放った生き物で溢れかえっております。その上、
鶴までとは・・わしゃ、もう面倒見切れません!どうか、御勘弁ください。元々、
鶴は館の庭などで養う鳥ではありません。連れて帰った鶴はもとの場所へ離してやって
くださいませ。」
「・・邪見、お前は何の話をしているのだ。」
邪見は、何を勘違いしたのか、興奮してひとりでしゃべっていた。








海外からの閲覧者のためのNote
妖     妖怪(youkai)こと

妖竜    管理人が勝手に作った言葉、
      竜の妖怪のこと、阿吽のことです。




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