晩秋4

「あの莫迦者。手を振っておる。こんな時に手なんぞ振りおって・・・何が起きた
かわかっているのか!」

邪見は、怒鳴った。
「邪見さま、あの竜は、餌を与えたばかりなんですよ。当分降りたくなるような状態
にはならないでしょう。」

若者は、頭を抱えた。
 人間であるりんは、空を飛ぶことはできない。振り落とされたら、たぶん無事で
は済まないだろう。あとは、何とかしがみついて妖竜が落ち着くのを待つしかない。
邪見は、祈るような気持ちで空を見上げた。

 一方、手綱を出来る限り短く持ちきつく引っ張ってしがみついていたりんは
竜が双頭を無秩序に振り回すため、その度に身体を大きく揺すられてしまい背中から
放り出されそうな危険な体制になってしまう。怖さのあまりしがみついていたいのは
山々だったが意を決して手綱を緩めてみることにした。この判断が正しいのかは、
判らない。
 だが、このまま手綱をきつく短く持ち続ければかえって危ないような気がし、
さしあたって、緩めてみただけだった。緩めた手綱を右手で持ち、鞍の前を左手でつかむ。
するとそれが功を奏したらしく、竜の頭の振りが何故かおさまった。

 この結果にほっとすると同時にまた、眼下を見おろす。邪見たちの周りには厩の
家臣たちが集まり始めているようだ。心配させてはならない。実際は、余裕はないの
だが、再び地上へ向かって手を振ってみせた。

 竜は、りんの思惑通り、とりあえず首振りは、やめてくれたが縦横無尽にとにかく
大きく広く飛んでみせようすることはあきらめてくれない。背に乗せた
彼女に自分の力を誇示したいのだろうか。その一方で早い速度で飛んでいるためなのか、
不思議と遠心力が働いて、何とか背にはしがみついていられそうだ。

 ただ時々、上下左右がわかりにくくなり、目が回りそうになる。けれど、幸い
その速い速度のために小刻みに動いたり、急に向きを変えたりすることも出来ない
らしい。気を付けてさえいれば振り落とされる心配だけはないだろう。


 少し落ち着いて周りをもう一度見回してみる。りんは屋敷の上から移動してしま
ったらしく、屋敷は、視界の端に何とか判別できるが、邪見たちは、見えなくなっ
ていた。目的地があるならともかく、あてもなく飛ぶには、こんな飛び方も悪くは
ないかもしれない。
りんは、なるべく気軽に考えるようにした。
 こうなったら竜としばらく知恵比べをするしかあるまい。竜が望むように気が済
むまで飛ばしてやり、それに伴って体力が尽きるのを待つとしよう。そして体力の
つきたころに地上へと誘導する。りんには、今は、それしか思いつかなかった。


 彼女は、若干、竜の興奮が衰退し、少し手綱で操れるようになってくると早く体
力を使いはたさせるため地平線の彼方まで飛んでは、旋回して戻り、また、反対側
の地平線まで飛んでいっては、戻るという。地上から見ると意味不明な経路を
いつまでたっても飛行することになってしまった。けれども、どんなに操っても
地上の方には、不思議なことに降りてくれず、竜は、ただひたすら空を飛び続ける。
せめて屋敷の上を通るようにし、邪見たちに心配をかけぬようにだけは、心がける。
このように飛びながらりんは、結局二時間以上を寒い空で妖竜とあまりにも楽しい
時間を過ごす羽目になってしまった。

 願わくは、殺生丸が帰ってくる夕刻までには、無事帰りたいものだ。殺生丸に
見つかるとかなりややこしいことになることにちがいない。



どのくらい時間がたっただろうか。ころあいを見計らってりんは、乗っている妖
竜をそろりと見た。既に体は、汗をびっしょりかいている。さすがに妖竜の体力も
そろそろ限界の様な気がする。もう地上に降りられるかもしれない。腹も減ったのだ
ろうか。ここなしか、飛ぶ方向が屋敷の方向にむき始めているような気がするのも
気のせいではないだろう。

 次第に屋敷全体が視野に入ってくる。竜は、どうも本気で帰るつもりになっている
らしい。森の中にある広大な敷地を持つ殺生丸の屋敷は、空からは、見つけるのは
意外と簡単だ。もっとも結界が張られているため他の人間には見つけることは、
できないだろうが。

「もう、帰ろう。お腹も空いたでしょ。ご飯が待っているよ。」
ようやく興奮の解け始めた竜は、聞こえているのか、聞こえていないのかわからな
かったが、とりあえずりんは、優しく話しかけた。竜がちらりとりんを見る。

「帰ろう。あっちよ。」
 合図を入れる機会をずっとうかがっていたりんは、手綱をぴんと張り竜の頭を
屋敷のほうへ向けた。脚で胴体を押してやり、向きを変える合図を出すと、竜は、
素直に従った。厩に戻ればご飯も待っているし休める場所もあることがわかったの
だろう。りんの指示に従いながら屋敷へと戻り始めた。おかげで彼女にも遠くの
山々の美しい紅葉を眺める余裕も出てくる。紅葉の中に白く輝く水を落とす美しい
滝も垣間見えた。
 秋の弱く明るい日差しの中、小さく見えていた屋敷一帯が次第に大きく見えてくる。
そして、さっきまでは空からは探すのも大変だった厩の形も見え始めていた。その前で
数人の厩の家臣たちがりんのほうを見上げている。その姿を見て心配をかけてしま
ったことを申し訳なく思い、また無事に戻りつつあるのがうれしくて思わず手を振って
見せた。
 ―が次の瞬間りんは、いるはずのない人を見て真っ青になった。厩の前で
皆と一緒に立ちながら一人だけその美しい容姿と銀髪のため際立って目立っている
人物― 仁王立ちになり腕を組んで空を見上げ、鋭い金色の瞳でりんの方を睨み
つけているその人は、どう見ても―夕刻にならないと帰ってこないはずの―殺生丸に
違いなかった。           

「まずい・・・。」 
夕方に帰ってくるじゃなかったっけ。何でいるの。まだお昼になったばかりだよ・・・
次に起こるだろう面倒を想像してりんは、泣きそうになる。
 りんを乗せた竜がゆっくりと地上へ近づいていく。それにしたがって厩のあたりの
様子もはっきりと見えてくるようになった。だが殺生丸の視線もしっかりと自分を
とらえているらしいこともわかってしまう。

 広いところへりんを乗せた竜がふわりと降り立つと家来たちが数人あわてて駆け
寄り、再び飛び立ってしまうことがないように竜を皆でしっかり捕まえ押さえ込んだ。

りん様、はやく降りてください。こいつは、厩に戻しますから。」
「ありがとう。でももうしばらくは飛ばないと思う。すっかり疲れて、お腹も減っ
ていて、すぐにでも自分のお部屋に帰りたいみたいだよ。心配かけてごめんなさい。
でも私は、大丈夫だから。」

 りんの言葉を聞いた家来たちは、おどおどと彼女の背の向こう側にいる殺生丸の
方を見た。彼女もさっきから恐ろしいほどの不自然な沈黙と射るような視線を
背後に
感じている。空気がぴんと張りつめていて緊張がただよう。たぶん、この様子
では、ずっと背を向け続けるのは無理だろう。仕方あるまい。気持ちを切り替えて
くるりと殺生丸の方へ向き直った。

「お帰りなさい。殺生丸さま。御用は、もうお済みなったの。もっと遅くなる
じゃなかったの。」




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