聖寿山 崇福寺 
崇福寺
寛永6年(1629年)に長崎で貿易を行っていた福建省出身の華僑の人々が、福州から超然を招いて創建した黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院。 中国様式の寺院としては日本最古のもの。 興福寺・福済寺とともに「長崎三福寺」に数えられる。 2つの国宝である「大雄宝殿」「第一峰門」を始め、重要文化財など全21もの文化財を有する。

 ▲ 手前:国宝「大雄宝殿」、その奥に続くのが「媽祖門」
崇福寺 三門 (楼門) 国指定重要文化財
崇福寺の入口にある変わった楼門は、竜宮門とも呼ばれる「三門」。三門とは、ひとつの建物で3つの門扉を有する楼門のこと。 一般寺院の外門を山門といいますが、禅宗寺院の場合は三門と呼ぶ事が多く、三解脱門(空門・無相門・無作門)の略であると云います。 この龍宮城のような朱色の三門を持つことから、崇福寺は「赤門さん」の名で親しまれて来ました。
崇福寺の山号「聖寿(しょうじゅ)山」の横額が楼上正面にあり、隠元禅師の筆で県指定有形文化財に指定されています。 左側の門には「如意」、右側の門には「吉祥」と書かれています。

この「崇福寺三門」をくぐり、階段を上ると国宝「第一峰門」があります。

 ▲ 国指定重要文化財「崇福寺三門」

 ▲ 三門の左手にある

 ▲ 三門の門扉

 ▲ 三門をくぐり階段を上ると第一峰門

 ▲ 階段の途中から見る「崇福寺三門」

 ▲ 階段の途中にある
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崇福寺 第一峰門 国宝
三門から階段を上って行くと、国宝「第一峰門」があります。 この門は他に二の門・中門・唐門・赤門・海天門などの別名があります。
中国寧波(にんぽう)で切組み唐船で運び元禄9年(1696年)ごろ建てられた物で、 唐通事林仁兵衛(とうつうじはやしにへえ)(林守壂(りんしゅでん))の寄進です。
第一峰門の軒裏には「四手先三葉栱斗栱詰組(よてさきさんようきょうときょうつめぐみ)」 と呼ばれる複雑巧妙な詰組みがびっしりと組まれており、これは国内に例がなく、華南地方にもまれと言います。 平垂木(ひらたるき)を放射状に割付けた扇垂木(おうぎだるき)に鼻隠板(はなかくしいた)打ちで、 極彩色模様が施されていますが、雨がかり部分は単なる朱塗りです。 当初材は広葉杉(こうようざん)であることが確認されています。 正面に掛る「第一峰」の額は即非禅師による物で、県指定有形文化財に指定されています。

 ▲ 国宝「第一峰門」

 ▲ 正面から見る。軒裏の「四手先三葉栱斗栱詰組」と「第一峰」の額
第一峰門をくぐり、内側から見ると、門の四隅には青い蝙蝠(こうもり)と、中央に白い牡丹があり、とても色鮮やかで美しいです。 中国では蝙蝠は慶事・幸運・幸福のシンボルとされ、 牡丹の花は百花の王、強さを表す縁起物だそうです。 すぐ横で土産物を売っている御婦人が説明して下さり、ちなみに売店で蝙蝠グッズなども販売されている様でした。

 ▲ 門をくぐって内側から見る

 ▲ 青い蝙蝠と牡丹が
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崇福寺 大雄宝殿 (本堂) 国宝
正保3年(1646年)に唐商何高材(がこうざい)の寄進によって創建された、長崎市に現存する最古の建物です。 はじめは単層屋根でしたが、天和元年(1681年)魏之琰(ぎしえん)が日本人棟梁を使い、入母屋屋根の上層を追加し、現在の姿になりました。
軒回りの擬宝珠(ぎぼし)付き垂花柱(すいかちゅう)が珍しい。 前面吹放ち廊下のアーチ型天井は黄檗天井と呼ばれ、黄檗建築独特の物です。 下層部の当初材は広葉杉(こうようざん)と推定されます。
大雄とは釈迦如来のことを指し、この大雄宝殿の中に本尊である釈迦如来三尊坐像が安置されています。 そしてこの本尊には内臓があります。 昭和10年頃の仏像修理の際内部から銀製の五臓、布製の六腑などが発見されました。 金属の五臓があるのはこの釈迦如来が唯一と云われています。
本尊である中央の釈迦如来坐像座像の右脇侍は迦葉(かしょう)尊者、左は阿南尊者で、みな中空の乾漆像です。

左右に並ぶ十八羅漢は中空の奇木造で麻布を置き漆で固めた物です。 延宝5年(1677年)羅漢奉加人数という巻物が三尊の体内から発見されました。

 ▲ 国宝「大雄宝殿」

 ▲ 国宝「大雄宝殿」

 ▲ 本尊:釈迦如来三尊坐像

 ▲ 本尊の横には十八羅漢が

 ▲ アーチ型の黄檗天井
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崇福寺 護法堂 国指定重要文化財
享保16年(1731年)に建立された物で、中央に観音、右に関帝、左に韋駄天を祀る。 天王殿・関帝堂・韋駄殿・観音堂などの別名であります。 黄檗(おうばく)天井・柱上部藤巻(とうまき)・挿肘木(さしひじき)・扇垂木(おうぎたるき)・鼻隠板(はなかくしいた)・半扉など、中国様式であるが、 屋根の妻飾(つまかざり)は日本風であることから、軸部を中国で切組んだものを唐船で運び、日本人棟梁が建てたものと思われます。 梅花奇獣の浮彫りのある柱礎(ちゅうそ)も中国製です。 当初材は広葉杉(こうようざん)であることが確認されています。

 ▲ 左:韋駄天

 ▲ 中央:観音菩薩

 ▲ 右:関帝
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崇福寺 媽祖堂(まそどう) 県指定史跡
唐船が長崎の港に在泊中、海上守護神である媽姐(まそ)像を船から揚げて安置し、航海安全をお祈りしたところを媽姐堂と言います。 寺に媽祖を祀ったのは長崎の唐寺の特色です。
崇福寺の媽祖堂は創建後間もなく、現状より小さなお堂として建てられました。 現存の建物は寛政6年(1794年)に再建された物です。
他に唐人の建てた興福寺にも媽祖堂があり、 福済寺では観音堂の脇壇に媽祖を祀りました。 唐人屋敷内の天后堂も媽祖堂です。

 ▲ 崇福寺 媽祖堂



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崇福寺 媽祖門 国指定重要文化財
媽祖堂の前に建つので媽祖門・媽祖堂門と呼ばれるが、大雄宝殿と方丈とをつなぐ廊下を兼ねた巧みな配置となっています。 現在の門は文政10年(1827年)に再建された物で、和風を基調としていますが、扉前面には黄檗天井があります。 主要材はケヤキです。
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崇福寺 鐘鼓楼(しょうころう) 国指定重要文化財
上階に梵鐘を吊り太鼓を置いて、鐘楼(しゅろう)と鼓楼(くろう)を兼ねています。 鐘楼はもと書院前庭南隅にありましたが、享保13年(1728年)ここに位置を変え新築しました。 軸部は中国で切組み、日本人棟梁が建てた物です。建物の特徴は後法堂と同じで、雨がかり部分だけ朱塗りです。
梵鐘は正保4年(1647年)鍛冶屋町住の鋳物師阿山(いもじあやま)氏初代の作で、県指定有形文化財です。
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大釜 長崎市指定有形文化財
鐘鼓楼の前に、大きな釜が置いてあります。この巨大な釜が実際に使われた物だと言うから驚きです。 第2代住持の唐僧・千獃(せんがい)(千呆)性oが飢餓救済の施粥(せじゅく)の為に作った物です。
延宝年間末頃(1681年頃)不作のため餓死者が出るほどとなり、崇福寺でも施粥(せじゅく)を始めたが、 普通の鍋では間に合わなくなったので、この大釜を作り、 一度に米630キロ(4200合)を炊き、飢饉に苦しむ3000人に施粥したと伝えられています。
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魚鼓(魚板)
魚板とは、お坊さんたちに飯時を告げるため叩いた木彫の魚で、木魚の原型と言われています。
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長崎市のお宿 長崎市関連商品 information
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本場中華街の味を食卓へ特急便。 今から180年前、長崎・唐人居留置に(のちの中華街)に渡った初代・陳尚智は、貿易で長崎における基盤を作り、終戦後三代目の陳日峰がこの地に中華と長崎の味覚「桃華園」を開設しました。 純中国風の壮麗な店構えと、料理の本場・北京さながらの味で広く皆様にご満足をいただいております。
江山楼
ふっかふかで具沢山のキングサイズ挽肉・キャベツ・玉葱・クワイ・椎茸など贅沢素材を活かす上品な味付けやみつきになる美味しさです。
 
崇福寺 DATA
住所長崎市鍛冶屋町7-5
電話番号095-823-2645
開館時間8:00〜17:00
定休日年中無休
入場料大人:300円
駐車場
公式HP
備考

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last visited : 2011/02/06