船上からの周遊見学後、いよいよ軍艦島へ上陸です。
軍艦島への上陸は、「ドルフィン桟橋」を利用します。
この桟橋は、日本初のドルフィン式可動桟橋 なのです。
「ドルフィン桟橋」とは、堤防がない沖合に杭を打ち込んで作られた係留施設です。
さらに波の上下、潮の干満に合わせてタラップが上下する日本初の構造を兼ね備えています。
架設当時の桟橋、及び2代目の桟橋は台風で流出し、現在の桟橋は3代目なのだそうです。
軍艦島に上陸後、正面にある広場が、第一見学広場です。
ここから見えるのは、「貯炭場」や貯炭ベルトコンベアーなどの生産施設、
崖の上にそそり立つ「貯水槽」、「3号棟社員住宅」、遠くに見える「端島小中学校」や鉱員住宅として利用された建物などです。
|
▲ 端島(軍艦島)に上陸。崖の上真ん中に建つのが「3号棟社員住宅」
|
|
▲ 第一見学広場。正面の崖上に貯水槽が見える
|
第一見学広場の正面にそそり立つ崖の上に見えるのが、「貯水槽」です。
軍艦島では水がとても貴重だったそうです。
初期では海水を蒸留していたのですが、人口の増加に伴い、船で水を運ぶようになりました。
最終的には野母から 日本初の海底水道を通した のです。
視線を右手に移すと、崖の上集合住宅があります。
鉄筋コンクリート造り4階建ての「3号棟社員住宅」です。
幹部職員の住宅だったそうで、内風呂まで完備されていたそうです。
第一見学広場の右手に広がる場所は、「貯炭場」でした。
四角い枠がドミノのように立ち並んでいるのが、貯炭ベルトコンベアーの支柱で、この上にベルトコンベアーが載っており、
石炭を運んでいたそうです。
右手奥の方に見えるのが、「70号棟 端島小中学校」です。
|
|
▲ 崖の上に建つ「3号棟社員住宅」、貯炭場やベルトコンベアなどが見える
|
▲ 第一見学広場と見学通路。遠くに見える建物は「70号棟 端島小中学校」
|
|
第一見学広場から見学通路にかけて見えるのが「第二竪坑」跡です。
第二竪坑はほとんど倒壊していますが、
第二竪坑に入坑する為に設けられた桟橋への昇降階段が残っています。
この階段を通って坑口桟橋からエレベーターで坑道に入っていました。
エレベーターとは言っても、枠組みだけの簡素な物で、毎秒8mで真っ暗闇の中に下りて行ったのだそう。
下りるというより、落ちる感覚だったのでしょうか。
そして坑内では危険と隣り合わせ。この階段を歩くたびに命のありがたさを感じるため「命の階段」と呼ばれていたそうです。
第二竪坑の隣にある、レンガ造りの建物は、「総合事務所」跡です。
島の司令塔の様な施設で、
総合事務所の中には炭鉱夫のための共同浴場等がありました。
|
▲ 第一見学広場付近から撮影。手前が第二竪坑跡。奥のアパートが「30号棟 旧鉱員社宅」
|
|
▲ 第二竪坑跡
|
▲ 第二竪坑跡
|
▲ 第二竪坑坑口桟橋跡
|
|
▲ 煉瓦造の遺構は、総合事務所趾
|
▲ 第二竪坑坑口桟橋跡
|
|
▲ この辺りが第二見学広場
|
▲ 煉瓦造の遺構は、総合事務所趾
|
|
背後の崖に建つ貯水槽の横に建っている、白い灯台は、「肥前端島灯台」です。
端島(軍艦島)が無人島となった後、夜間に航行の障害になることから、1975年(昭和50年)に設置されました。
見学通路を歩いていると、あちらこちらに、石炭が落ちているのを見かけました。
また、見学通路からも見える石組みの護岸は、明治時代に建造された「天川工法」と呼ばれる伝統的な石組で組まれています。
コンクリートで補強されて現代まで使われていますが、波が激しい為にコンクリートが剥がれ、補強工事が行われていました。
|
|
|
|
|
▲ 第三見学広場
|
|
|
見学通路の突き当り迄進むと、そこが第三見学広場です。
第三見学広場からは、 国内最古の高層RC造(鉄筋コンクリート)アパート「30号棟 旧鉱員住宅」 と、
「31号棟 鉱員住宅」が見えます。
「30号棟」は1916年(大正5年)に建設され、建設当時は4階建てでしたが、増築されて7階建てになりました。
グラバー邸 のトーマス・グラバーと関わりがある説から、通称「グラバーハウス」と呼ばれています。
鉱員社宅として建てられましたが、閉山時には下請飯場として用いられていました。
「31号棟」は鉱員住宅でした。
1階には郵便局、公衆電話があり、地下には美容院と理容院、共同浴場がありました。
|
▲ 右側の建物が「30号棟」。左側の建物が「31号棟」
|
|
▲ 右側の建物が「30号棟」。左側の建物が「31号棟」
|
軍艦島に来てみてふと思ったのが、「ボタ山がないな〜」という素朴な疑問でした。
炭鉱跡地にはボタ山があると思っていたからです。
実際、福岡市から最も近い炭鉱の遺構「 旧志免鉱業所竪坑櫓」の近くにはボタ山がありますし
(イオンモール福岡のすぐ近くに見えます)、
炭鉱で栄えた筑豊地区に行くと、飯塚市の遠賀川河川敷から飯塚市忠隈のボタ山が見えます。
“ボタ”とは、石炭や亜炭の採掘に伴い発生する捨石の事で、九州では“ボタ”と呼ばれますが、他では“ズリ”と呼ばれるそうです。
ボタ山とは石炭や亜炭の採掘に伴い発生する捨石(ボタ)の集積場です。
しかし、軍艦島にはボタ山がありません。
軍艦島はボタ(粗悪な炭)が少なく、日本一の品質の瀝青炭が採掘されていた事と、
離島ならではのボタを海中投棄していた事で、軍艦島にはボタ山がないようです。
|
|