xi'an

西  安


 奈良・平安時代に日本から遣隋使や遣唐使が訪れた長安が現在の西安である。日本の名古屋空港から上海経由で来た私達は5時間半(飛行時間4時間)の旅であったが、小野妹子が訪れた今からおよそ1400年前にはどんなに大変な思いをしてこの地まで来たのかと、往時をしのばずにはおられなかった。
 今回の旅行はパック旅行であったが、ツアー客は私達家族だけであった。空港からホテルまで車で1時間余。窓の外には西安の街に近づくに従い煉瓦造りで裸電球がともされた昔ながらの中国の人々の生活の一面をのぞかせた風景が次々に目に入ってくる。次第に超近代的なビルと、こうした昔ながらの建物との並ぶアンバランスな光景が目に付く。街の中には人があふれ道路も自転車が行き来し,かつ人々が平気で道を横断したり車もかなり接近しこれで交通事故が起きないものかと心配になる。近代的新しい中国とまだその新しい動きについていかれない庶民の意識のずれのようなものを至るところで感ずる。中心部に行くに従い近代的ビルが沢山目に入り、中国のめざましい発展ぶりがうかがえる。
 中心部に入ると鐘楼や西安城壁が見えてくる。ここがかつて遣隋使や遣唐使が訪れた城かと思うとなんとも言えない感慨深いものを感ずる。現在の城壁は明時代に建てられたもので唐時代の九分の一の規模とのことであるが当時の繁栄が偲ばれる。今回の旅行ではこのあたりをゆっくり見学出来なかったのが惜しまれる。

兵馬俑

 兵馬俑は西安の街から車で1時間以上走ってきたところにあり、秦の時代に街の中心地からこんなにも離れた場所によくこのようなものを作ったと感心する。あたりは平地から丘陵地に変わったような所である。今回の旅行の目玉の一つである。かなり広大な敷地内に、正面からは3つの大きな建物が目にはいる。まず一番右手の建物に入る。ここは新しく発見されたものを展示する特別展示棟とのこと。何体かの兵馬俑が展示されていたが、これまで写真等で見てきたその実物を目の前にしてその大きさと精巧さに圧倒される。また内部に進むに従い出土した銅馬車のレプリカが展示されている(写真は売店に置かれたレプリカ)。2種類の馬車があり、1号車は先導車で4頭の馬に引かれ御者が立った姿で、弓矢を脇に携えまさに先導車に相応しい形をし、2号車は皇帝を乗せ敵から守るために御者が座る低い態勢に出来ている。いずれも細部に渡り精巧に作られておりこれが紀元前に実際に作られていたという事実にただただ感嘆するばかりである。
  続いて第1号坑へ移動する。この建物は大門の入り口から真正面に見られた体育館のようなかまぼこ型をした建物である。中に入りその大きさに圧倒される。東西約230メートル、南北約62メートルで深さは約5メートルとのことであるがそれをそっくりドーム型の建物で覆っている。その規模の大きさに驚かされる。横に11列の兵士が並んでいるがその全てが発掘されているわけではなくまだ後方の3分の2以上は土に埋まっている。一体一体兵士の表情は異なるし、身分によりその服装も異なっている。そもそもここは1974年に干ばつに苦しむ農民が井戸を掘ろうとした際に偶然に発見したものとのことであるが、その井戸を掘った場所が前方の北側隅みの方に表示されている。これだけの規模のものをよく作ったものと感心せざるを得ない。始皇帝の権力の大きさを物語っていると言えよう。内部をぐるっと1周するが、倒れたり壊れたりしたそのままの状況のヶ所も展示され、発掘された状況が見て取れる。
 続いて2号坑へ入る。1号坑のすぐ横に位置してこちらはその表面が曲尺の形をし東西約124メートル、南北約98メートルとのことであるが、内部に入りすぐ気が付くことは1号坑と比べ、内部は非常に暗くなっているということである。先の坑には内部まで日が差し込み明るく開放感を感じさせたが、こちらは兵馬俑坑の劣化を考え薄暗くしているとのこと。内部はまだほんの一部の発掘がされているだけという状況であった。内部の横には形の異なった代表的兵馬俑がガラスケースに入り展示されている。間近にそれらを見ることが出来、それぞれの支度の違いにより身分の違い等が見て取れる。馬の形も実によくできている。
 続いて2号坑の裏手から出て3号坑へ入る。こちらは先の二つと比べ規模が大分小さく凹型をし東西約28.8メートル、南北約24.57メートルとのことでいわば指揮部に当たる場所とのこと。このほかにも2号と3号坑の間に4号坑が発見されたようであるが未完成のものであったようで、公開はされていない。いずれにせよその規模に本当に驚かされた。
 売店にて兵馬俑のレプリカと解説本を購入する。そしてその場に控えていた第一発見者の農民からその本にサインをしてもらう。
 今回の旅行の第1の目的を達成し満足した思いで次の場所に移動する。途中秦の始皇帝陵が車窓から見える。ここはまだ発掘されてはいないとのことで、小高い山になっている。その頂上まで登っている人々の姿がちらりと見える。

華清池

 
 ここは玄宗皇帝と楊貴妃がロマンスを重ねた温泉地とのこと。園内に入ると中国式の建物が幾つか並び、正面には大きな池がある。池の畔には楊貴妃をかたどった彫像が立っている。楊貴妃らが実際に入ったという大理石で造られた浴槽が幾つか残されている。写真は楊貴妃専用の浴槽とのこと。それぞれの浴槽の上には建物が造られている。また園内に楊貴妃の時代から生き続けているというザクロの木もあったが、いささか眉唾物とも感じたが実際はどうだろうか。
 また1936年12月蒋介石がこの地で監禁されたという西安事件の場所もこの園内の一角にあった。蒋介石が泊まった建物は当時の姿のまま残され、窓には銃撃時の弾痕が残っていた。

陝西歴史博物館

 中国全土でも最大規模を誇る歴史博物館で、陝西省地区出土品200万点以上の中から約3000点が展示されているとのこと。敷地内には唐招提寺を思わせるような真新しい建物が目に入る。日本の奈良平安時代の建物が中国のその時代の建物をまねて造られた現れであろうと納得。1991年に開館したものとのこと。石器時代よりアヘン戦争時代までのものが時代順に展示されているが、あらためて中国の歴史の深さと各時代の優れた文化に圧倒される。かつて台湾の故宮博物館を見て感動したその感動が再びよみがえってくる。
 また今回のガイドをしてくれている候さんは20代半ばくらいの若いガイドさんにもかかわらず、極めてよく勉強しており的確なガイドと、日本人でもめったに使わないような歴史上の様々な言葉をきちんと日本語読みで解説してくれその優秀さに感心する。日本語は大学で教わっただけでまだ日本には一度も来たことがないとのこと。こうしたガイドさんは本当に一部のエリートであろうが、ここにも中国の底知れぬすごさを感ずるのであった。約1時間半の見学であったが終始説明をしてくれる候さんのガイドに飽きることなく、館内を見学する。しかしさすがに疲れ、もっとじっくり見たいという思いと同時にそろそろ足腰の限界を感ずるのであった。

慈恩寺・大雁塔

  このお寺は唐の時代に創建されたものとのことであるが、三蔵法師がインドから持ち帰った教典を保存した大雁塔を主として見学する。現存するものは7層で64メートルとのことであるが、かつては10層あったが戦乱により上部が崩れたとのこと。内部は柱を使わず土で硬め外部を煉瓦で覆い造られたものとのこと。この壁の厚さは5,6メートルはあり。螺旋状になった階段で最上階まで登るが、さすがに汗だくとなる。最上階から四方に付いた小窓から西安市内を眺めるとその眺望はすばらしい。四方にまっすぐに伸びる道を見るとあたかもここが街の中心かとさえ錯覚させる。

餃子ずくしとショウ

 夕食は西安名物の餃子づくしで、それを食べた後その場所で舞踊を見る。餃子好きの妻や子供達はどんなものが出るのかと楽しみにしていた。蒸籠に入れられ数種類ずつ食べ終わった頃を見計らい次々に運ばれてくる。その餃子は日本のものとイメージが多少異なり、ほとんどが汁を付けずそのまま食べるような物であった。胡桃餃子や椎茸餃子等がおいしかったが最後は真珠餃子。大きさが真珠玉より少し大きいくらいのものであった。さすがにお腹はいっぱいになる。周囲には欧米等からの旅行者が多く見られる。
 食事が終わり、少しずつ眠気を感じてくる。ショウ迄しばらく待つ。ショウが始まる。大変綺麗なショウに子供達は大満足の様子。