ほんなら・・・ ほんでも・・・ 7回目 『アイヌモシリ』 ・・・・・2004年 7月 18日・・・・・ |
5月27日、札幌高等裁判所で一つの判決が出た。 ちょうど、その日に読み終えた本があった。 北海道には、これまで1970年代前半に旅行で5回、後半に1回、80年代に1回行っている。 アイヌ→北海道→白老 この連想はごく普通なのだろうけれど、白老には行かなかった。 いや、正しくは、1回目2回目は単独の単車旅行だったので、行程の都合、国道36号線で白老の町を素通りした。 単車のステップから足が白老の地に着いたのは、信号で止まった時だけだった。 誤解を受けそうだけれど、「髭を生やし、アイヌ民族衣装を身に着け、熊の木彫りを売る」これを視たくなかった。 |
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『シュマリ』 手塚治虫 作 小学館 発行 多分、1970年代の後半頃、隔週漫画雑誌「ビッグ・コミック」かビッグ・コミック・オリジナル」のどちらか忘れたが、連載途中に気付き、同誌を定期購読していた友人に頼んで切り抜いておいてもらった。 まぁ、単純な二極対立構造の物語りではなく、読み物としては面白い。 和人でありながら”シュマリ”とアイヌ名を口にし、北海道(蝦夷)の大自然に面と向かって闘いながら開墾し牧場を作り、子供も作り、隠されていた五稜郭の軍用金を巡っての思惑、、北海道王国としてのエゾ共和国を夢見る太財一族、薩摩・長州の官人達の北海道支配、そして政争、和人進出の為に追いやられるアイヌ民族。 シュマリは言う。 『アイヌの土地を借りてくらしているのだ』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 手塚治虫さんの著書で持っているのは『ブッダ』ぐらいだと思う。 餓鬼の頃、『鉄腕アトム』の連載を見ていたし、『ジャングル大帝』はわくわくして見ていた覚えがあるのに、買ってまでの気がしない。 (『ブラック・ジャック』は取次店でバイトしていた時、昼休みに在庫商品の棚に並んでいるのを・・・役得ですがな) 思うに、鉄腕アトムで言えば手塚さんのアトムに対する(つまり”ロボット”)思い入れの深さが嫌だったのだろう。 だから、同じロボットでも『鉄人28号』(横山光輝 作)の方が・・・好きだった。 これって、単に、子どもやのに敷島博士によって作られた鉄人28号を操縦するわ、車に乗るわ、銃を撃つわ、豪邸に何故か一人で住んでるわ、恐れを知らずにどんな敵にも向かって行くわ、頭が切れるわ、冷静やわの、金田正太郎君に憧れていただけかもねぇ? |
『北海道の旅』 更科源蔵 著 新潮社(文庫) 1979年7月25日 初版発行 |
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北海道の地図を見ていると、まぎれもなくアイヌモシリ(アイヌの大地)である事が判る。 ”音威子府”(オトイネップ)の地名を小学校の地理の時間に覚えた。 音韻が、どことなく、おならを連想させたので面白がってだった。 ・・・因みに”音威子府”を『コンサイス 日本地名事典』(三省堂刊)で見てみると、アイヌ語の”川口のよごれているところ”を意味する”オトイネプ”が由来。1912年新潟県から3戸入植のが始まり・・・ この『北海道の旅』のどのページを開いても、アイヌ地名が出て来ると言っても言い過ぎではない。 『白老とは面白い当字である。シラウとは虻のことで、この地帯はこの吸血虫が多くて悩まされたという』 『ここのコタンは純粋な聚落として昔から有名で、それがいつの間にか観光化され、駅をおりると町はずれにあるコタン行きの客馬車やハイヤーが待っていて、古めかしい段々葺きの草小屋の聚落のある、ポロト・コタンに案内して暮れる。戦後ポロトという沼の縁に、売店やホテルや食堂、資料館までもつくって、草小屋の前に仔熊を繋いで、そのまわりで歌舞をやってみせる。』 『逞しい男たちはどこの観光地でもやっている熊彫りをやっているが、老人たちは決して熊彫りはしない。昔はものの像をつくることはタブーで』 『宝物を見せ、歴史を説明する草小屋は古代の姿を演出して見せてくれる舞台で』のアイヌは 『観光客に演技をして見せるのは、他の地方からの出稼ぎが多く、地元の人は僅か五,六パーセントに過ぎない』 『普通の旅行者は、観光用の舞台の姿を現実の姿であると受け取り、古い民族の生活をこの目で見たことに満足して』 (同書より) 要するに、タブーを犯してまで土産物を作り、観光客を満足させる為に演出している”白老”って事ですね。 こうしてまで喰って行かざるを得なかったのは、解らなくもないけれど。 |
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『アイヌ民族』 本多勝一 著 朝日新聞社(文庫) 2001年12月1日 初版発行 |
1982年、朝日新聞に連載されていた時、眼を通していたけれど、この本は購入していない。 本多勝一さんお得意のルポルタージュではなく、次の本の著者、萱野茂さんを中心にして何ヶ月も取材をした上での『アイヌ民族文化たる伝承物語の形式をとったフイクション』 内容的には500年ほども前のアイヌの世界を描いており、異民族文化を捉えれる。 ただ、仕方のない事ですが、私みたいな者はカタカナが苦手なので読みにくい。 本多勝一さんの著書を読んだ時期が有ったけれど、手元に残っているのは、 『子供たちの復讐』 『アメリカ合州国』『殺す側の論理』『殺される側の論理』『事実とは何か』『ニュ−ギニア高地人』『 カナダ・エスキモ−』『 アラビア遊牧民』『NHK受信料拒否の論理』 あとは処分した。 今後も彼のページを載せる事はないと思う。 |
『アイヌの碑』 萱野 茂 著 朝日新聞社(文庫) 1990年12月20日 初版発行 |
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長いのですが。 『観光地で”アイヌ”として働くことは気がすすまないことでした。わたしがそれまでに学んできたアイヌ民族のあり方、アイヌ文化、アイヌ精神にも反することが多いのです。しかし』 『働いたのは”熊牧場”の横で、そこにアイヌ風の家を建て、その中で熊送りのときの唄や踊りを30分間で観光客に見せるというものです。ほんとうは五年か十年に一度の熊送りを一日に三回も四回もやるのです』 『もの珍しそうにアイヌのわたいたちを見る客のの前で、うれしくも楽しくもないのに唄い踊る惨めさといったら、』 あげくは、 『客が群がってきて「日本語が上手ですね。どこで覚えたの?」「食べ物は何を食べてるの?」「学校は日本人と同じにいくの?」』等、観光客の質問ぜめ。 『アイヌの現状をほんとうに知らない』が為にと思い、質問にもていねいに答えるように心がけたものの。 『観光客の多くは商売のためだけの古い昔風のアイヌの家やその調度品、アイヌ衣装にみせかけた衣装を身につけたアイヌ、アイヌの儀式にみせかけた熊送りを見て、現代のアイヌの生活のすべてを知ったと錯覚されて帰』る。 『こういうことをやっている(やらされている)アイヌのために、多くのアイヌに対してたいへんな迷惑がかかっているのも事実』 しかし 『”観光アイヌ”の心が痛いほどよくわかり、一方的に彼らをせめることができ』ない。 (同書より) 更科源蔵さんは、見世物を本物と思い満足して帰る日本人を揶揄嘲笑していますが、萱野さんは当事者故に揶揄する余裕など有るわけがない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 萱野茂 二風谷(にぶだに)アイヌ文化資料館館長。 北海道沙流郡平取町二風谷生まれ。 1939年平取町二風谷小学校卒。 山子(きこり)、炭焼き、木彫りなどに従事。 53年家宝の民具が研究者に持ち去られたのが動機となり、アイヌ民具の収集保存に取り組み、その成果は72年「二風谷アイヌ文化資料館」開館として結実した。 アイヌ語を母語として成長、60年からアイヌ語とアイヌ文化伝承保存のため、古老の話の録音収集を始める。 57年の知里真志保(アイヌ民族初の博士号修得者)金田一京助との出会いは大きな励みとなった。 75年アイヌ語(ウェペケレ)を集めた『ウェペケレ集大成』で菊池寛賞受賞。その活動により、78年北海道文化奨励賞、89年吉川英治文化賞受賞。 83年私財を投じて「アイヌ語塾」を開設、塾長として小中学生を指導。 87年からは行政側も対応、90年には道内4カ所で運営されるに至った。 1994年、アイヌ民族初の参議院議員となり、「アイヌ新法」の制定に尽力す。 2001年には、総合研究大学院大学より博士号を授与 『現代日本 朝日人物事典』(朝日新聞社刊)に加筆。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 下記はasahi.comからの転載です。 アイヌ文化の保存継承に尽力 萱野茂さん死去2006年05月06日22時59分 アイヌの英雄叙事詩ユーカラを紹介するなどアイヌ文化の振興に多くの功績を残し、参院議員も務めた萱野茂(かやの・しげる)さんが、6日午後1時38分、急性肺炎で死去した。79歳だった。通夜は11日午後6時30分、町葬は12日午前10時から、いずれも北海道平取(びらとり)町本町88の1の中央公民館で。喪主は妻れい子さん。自宅は同町二風谷(にぶたに)79の1。 アイヌ語の散文詩をまとめた「ウエペケレ集大成」を刊行し、75年に菊池寛賞を受けた。50年間かけて収集したアイヌの生活用具1121点は、国の重要有形民俗文化財の指定を受けた。 同町の二風谷ダムを巡っては「アイヌの聖地が奪われる」と建設に反対し、アイヌ民族を先住民族と認めない国を提訴。97年の札幌地裁判決で「アイヌは先住民族」とする判決を受けた。 |
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『”日本人”の境界』 小熊英二 著 新曜社 1998年7月10日 初版発行 |
同書、第3章『「帝門の北門」の人びと・・アイヌ教育と北海道旧土人保護法』によれば。 * ロシアへの対外交渉の上から、アイヌは”日本人”とされていた。 * 1800年前半、松前藩は小藩であり、一種の間接統治で基本的に放 任。 * 1800年後半、幕府の直轄領。 和語・和風俗への同化促進とは言え、教育施設は設けない。 簡略な法令適応。 経済的な負担に耐えかねて、ロシアの脅威が遠のいた20年ほどで幕 府の直轄統治は放棄。 * 1854年、日露和親条約により、翌年、再び幕府の直轄統治。 ロシアの脅威からアイヌの同化・直轄統治。 * 脅威が遠のくと、松前藩間接統治。 * 明治政府は当初から開発に取り組み、政策的に開拓人を送り込み”日 本人の住む土地”にすることで既成事実をつくろうとした。(屯田兵) * ”日本人の住む土地”にする場合、沖縄では原住民を教育によって” 日本人化”し、アイヌの場合では日本人を送り込む事によって”日本 人の住む土地”とした。 * アイヌの同化はアイヌそのものの改造よりも、土地を日本領土とする のが目的。 だから数で遥かに多い殖民者を送り込むことで達成される。 * 明治前半に”日本人”として法体系に組み込まれた。 これによって漁業権などの特殊権利は失われた。 土地所有権もアイヌの識字・知識など不利な元において、不利な法体 系により失くしていった。 * 生活源である山林原野は官有地に無主地とされ、その後は財閥なんぞ が手に入れた所も有った。 * 1899年、北海道旧土人保護法が公布され、農耕民化・衛生知識の 普及・国民教育の推進が法の趣旨で、アイヌの”日本人”化をより進 めた。 これって、抑圧する側の典型的な例ですね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 小熊英二さんのお名前は『パンツが見える。』の所で『戦争が遺したもの』上野千鶴子・鶴見俊輔との対談で載せています。 先日、予約しておいた、出版としては最新作なんだけれど執筆は1992・3年で古い『市民と武装・・・アメリカ合衆国における戦争と銃規制』(慶応大学出版会)が入荷した。 今読んでいる本を読み終えたら、次に行こうと思っています。 彼の著書で眼を通したものは『清水幾太郎・・ある戦後知識人の軌跡』(御茶の水書房)『“癒し”のナショナリズム・・草の根保守運動の実証研究』(慶応大学出版会)『“民主”と“愛国”・・戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社)『単一民族神話の起源・・「日本人」の自画像の系譜』(新曜社) この中では『“民主”と“愛国”』『単一民族神話の起源』は特に面白くて一気に読んだ。 いつか、小熊さんを載せようかな?と思うのだけれど、私には戯言であれ、今の所、書く能力がないと思う。 |
『アイヌ共有財産裁判 ・・・小石一つ自由に ならず』 小笠原信之 著 緑風出版 2004年4月1日 初版発行 |
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「北海道旧土人保護法」が廃止され、通称「アイヌ新法」の「アイヌ文化振興法」にもとづき、アイヌ共有財産に関して1997年9月5日北海道庁より公告があった。 アイヌ共有財産とは、旧土人法において、和人を加えた漁業組合が漁場を借りて経営に当たり漁業組合が保持する各権利や、事業で得た利益などの共有財産。宮内庁から”下賜”、文部省から”下附”された金。明治天皇が巡幸した際の”下賜”。アイヌ救済用の”救恤米”の余剰。所有していた土地・海産物の売却金。アイヌに勧農する為の”援農耕地”からの収益等々が、「君達は金銭感覚・管理能力に乏しいのでこちらで管理して増やしてあげる」と、百年ほど前に、お上が一方的に預かり、残されていた物だった。 それが「アイヌ文化振興法」附則第3条により返還される事になった。 お上が言う「帳簿はほとんど残っていないけれど、銀行預金は残っているので返還しようね。1年以内に我こそ権利者なりと思うものは証拠を持っておいで、審査の上で返還するからね」 これだけでも「帳簿が無い!!こらぁ〜 責任者 出て来〜い!」(人生幸郎ですな)なんだけれど、更に返還される共有財産一覧表に書かれていたのは指定、指定外を含めて26件、金額にして147万円也!? 土地などはすべて処分を終えて銀行預金の口座にある現金のみとか。 こりゃどう見ても、ポッポナイナイした輩がいるよな。 「こんな阿呆な話おまへん。こんなんこのまま飲んだら御先祖さんや孫子に申し訳立てへん。出るとこ出て決めてもらわんとアカンわ」って事で行政相手にアイヌ有志達と和人のシサム(良き隣人)達が立ち上がり、訴訟を起こした。 一審の札幌地方裁判所の判決は「あんたらの負けでっせ」だった。 「北海道旧土人共有財産等返還手続無効確認請求事件」 主 文 1 本件控訴をいずれも棄却する。 |
![]() 8回目は、『どくとるマンボウ』シリーズ その一 です。 |
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この車に乗って往き、 ”本”の事でも、 ”わんこ”の事でも、 何でも書いて(掲示板)おくんなはれ。 |
![]() 「お手紙は、この”HONDA1300クーペ9”で運びます」 |
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第三条
北海道知事は、この法律の施行の際現に前条の規定による廃止前の北海道旧土人保護法(次項において「旧保護法」という。)第十条第一項の規定により管理する北海道旧土人共有財産(以下「共有財産」という。)が、次項から第四項までの規定の定めるところにより共有者に返還され、又は第五項の規定により指定法人若しくは北海道に帰属するまでの間、これを管理するものとする。
2
北海道知事は、共有財産を共有者に返還するため、旧保護法第十条第三項の規定により指定された共有財産ごとに、厚生労働省令で定める事項を官報で公告しなければならない。
3
共有財産の共有者は、前項の規定による公告の日から起算して一年以内に、北海道知事に対し、厚生労働省令で定めるところにより、当該共有財産の返還を請求することができる。
4
北海道知事は、前項に規定する期間の満了後でなければ、共有財産をその共有者に対し、返還してはならない。ただし、当該期間の満了前であっても、当該共有財産の共有者のすべてが同項の規定による請求をした場合には、この限りでない。
5
第三項に規定する期間内に共有財産の共有者が同項の規定による請求をしなかったときは、当該共有財産は、指定法人(同項に規定する期間が満了した時に、第七条第一項の規定による指定がされていない場合にあっては、北海道)に帰属する。
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前項の規定により共有財産が指定法人に帰属したときは、その法人は、当該帰属した財産をアイヌ文化の振興等のための業務に要する費用に充てるものとする。
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