ほんなら・・・ ほんでも・・・ 32回目 『二月中旬から下旬にかけて、飛ばし読み』 ・・・・・2005年3月19日・・・・・ |
”家政学”を作成し終えたのは二月上旬。 |
『当事者主権』 中西正司 上野千鶴子 共著 岩波書店 (新書) 2003年10月21日 初版発行 |
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『当事者主権』 自身が四肢マヒである障害者中西さんは、1986年に初めて自立生活センターを設立し、以後その先頭を切って走り続けている。 障害者が自立し終えた時、利用者を失った自立センターは消滅する。 それが中西さんの最終目標。 ここでの障害者とは、高齢者・子供・女性・不登校者・患者・精神障害者など、はたまた、レズビアン・ゲイ・性同一障害者をも含む。 絶対少数派の障害者は民主主義の難儀な原則「最大多数の最大幸福」の旗印のもとで排除され、抑圧されてきた。 私が私の主権者である=当事者主権。 私(障害者)が必要とするモノは、私が決める。 国家・家族・専門家なんぞが私に代わって決めるなんて許されない。 当事者無視の行政・政府のお題目”公共性”を打ち砕き、真の福祉を目指し立言する。 自己決定能力のない者(知的障害・痴呆老人(今は認知症と言うらしい))の場合、成年後見制度を取り上げている。 ちなみに、阿呆坊は母親の申請をしようと思い調べた段階で、費用(一説では鑑定費用二十万円とか)と時間がかかり過ぎるのと、こちらが管理すれば済む事だわさと言う事で「や〜めた!」 親族が必ずしも信頼できるとは言えない。 現に、阿呆坊は自分が喰うお菓子を、時々、買っている。 係累のいない者には弁護士・司法書士・税理士・社会福祉士などが後見人(保佐人)に手をあげているが、彼らも人の子、全面的に信頼できるかといえば疑問。 http://himapuchi.hp.infoseek.co.jp/index.html 障害者の一番の専門家は、その当事者なんだけれど、その当事者が必要とするモノに応える者は健常者。 彼らの専門性に、健常者が介護としての専門性を身につけて・・・とあいなると、介護・補佐はとてつもなく難しそうだ。 結局、個人の資質が大なる所であり、専門家としての資格以前に問われる所だろう。 ”自立”と言う非常に曖昧模糊としたコトバのもとで、果てのない欲望を自制するだけのモノを障害者自身が持てるだろうか。 とは思うものの、まだ、道はここまで来ていない。 直接的に手を出す気がない阿呆坊は、非常に消極的な賛同を。 つまり、足を引っ張るつもりは毛頭ない。 けっぱれ!自立を目指す障害者さん達!! |
『だれが「本」を殺すのか』 上・下 佐野眞一 著 新潮社 (文庫) 2004年6月1日 初版発行 |
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『だれが「本」を殺すのか』 本屋業を生業にして、もう少しで四半世紀。(見習い・取次店で蔵出しを入れると、四半世紀は楽に越す) この間、売り上げが上向きだったのは始めてから十年間ほど。 以後は転落し続け、今じゃ(本屋の立地条件が変わった事もあるけれど)一日の粗利は五千円ほど。 業界の中では、売り上げ増のお店もあるようだけれど、しいて何もしなかった当店が自滅の道を歩んでいるのは当たり前か。 <捜査編>として「書店」「流通」「版元」「地方出版」「編集者」「図書館」「書評」「電子出版」を取り上げ、<検死編>として「蔵書」「読者と著者」「書店」そして「本の復活感じさせる小さな予兆」を佐野氏は丁寧に拾い上げる。 その意味では、現状の”本”の位置が良く分かる。 この四半世紀に”本””出版”に関して書かれたのを、結構真面目に読んだのは三十数冊。 その最後は、多分十年近く前になると思う。 千九百九十七年以降、前年度割れが続く業界と、こちらが「ちょっとはお勉強してまっせ」をやめた時期と殆ど一致しているのはたまたまなんだけれど、プレジデント社から『だれが「本」を殺すのか』が出版された時(二千一年)、あまり読む気、つまり「買う気」にはならなかった。 理由の一つが、高い(千八百九十円)と思ったから。 そして、つまらんだろうと思ったから。 本代をケチる事なんぞこれまでなかったのに、「高い!」と思った。 内容がつまらないかどうかは見てみないと判らないが、読まずして「つまらない」と決めつけた本は高く感じる。 (昨年、内容を見ずして買った『日本アナキズム運動人名事典』は\24,150。二〜三人の人物がどのように書かれているか知りたかっただけで、多分、以後、開ける事なんか来ない気がするけれども高いとは思わない) 一頁一頁めくって読む辛気臭さ。他に面白いものが沢山ある。調べものならパソコンで済む・・・・。 読み手が読み手でなくなる事由は色々あるのだろうけれど、だれが「本」を殺すのかって、版元でも・編集者でも、取次ぎ店でも、本屋でもない。 読み手が最後の息の根を止めるんですよね。 業界の川上から川下までの者達は、読み手が殺しやすい状況(例えば「高い」「つまらない」「金太郎飴書店」)を作ったのは事実だけれど、殺しやすい状況を危機として、生かす為の状況への転換を読み手は別に望んでいないように思う。 昔々その昔、声で伝承されていた文化が、次第に声は文字に変わり、十五世紀にはグーテンベルグが印刷機を発明したおかげで文字による伝承文化となったはずなのに、ここ近年はやれテレビだ電話だパソコンだ携帯電話だと”声”が”文字”を凌駕しだしてきた。 今さら、辛気臭い”文字”文化に誰が戻るか! となると、業界の、そして印刷物としての”本”のお先は真っ暗。 この業界にそう未練はないので、別にかまわんが・・・。 |
『ぼくは痴漢じゃない! |
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『ぼくは痴漢じゃない・・・冤罪事件643日の記録』 通勤電車で「痴漢!!」と駅員室に連れられて、任意同行と思いきや、準現行犯逮捕で警察へ。 以後、”痴漢行為の犯罪者”として官憲によって敷かれたレールを走る電車に乗せられ拘留。 弁護士さんの努力も甲斐なく、まっとうに審理しない簡裁で有罪判決。 二審の高裁でようやく無罪。 しかし『逮捕から六百四十三日。私たちが一年九ヵ月の時間をかけ、地位も収入も失って勝ち取ったものとは、なんだったのか。』 ひとたび”犯罪者”の烙印をお上が押すと、それは”被疑者”(”容疑者”=疑いを受容れた者ではないのよね)であってまだ確定していないんだけれど、世間は(会社は)そう見ない。 著者は書く。 現行法では女性が「この男、痴漢です!」と言えば百%逮捕・起訴され、九十九%の有罪率からして無罪を勝ち取るのは至難の業。 何しろ『恥ずかしさを押して痴漢の被害を申し出た女性』と受け取る裁判官ですぜ。 だから、冤罪回避するには『とにかくその場からいなくなるしかない』『とにかく逃げるしかないのだ』と。 事件の流れに従って弁護士さんの解説が書かれてあり、痴漢行為犯の冤罪に係わらず、刑法犯すべてにおいての司法、そして勤務先の会社の動きが良く分かる。 いつなんどき巻き込まれるかも知れぬ御時勢、さら〜っと覚えておいて損はないが・・・・。 でも、損したと思う暮らしが一番ですね。 著者は事件後、数回の転職をされ、精神的にも不安定になり、最後はキリストの教えを生活実践して学ぶ所で”神”と出会い、『一連の懺悔を通るうちに、事件の関係者も許せるようになりました。』 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 (補)「逃げろや逃げろ」が自尊心から許せない人は。 逮捕されたとき! 当番弁護士制度について [もしも逮捕されたら] もしもあなたの家族や知人が警察に逮捕されたら、どうしたらいいでしょう。 その人は、家族や知人と連絡がとれず、とても不安な思いをしていることでしょう。 そんなときに大切なことは、逮捕された人が少しでも早く法律の専門家である弁護士に相談でき、正しいアドバイスを受けられるようにすることです。 [”当番弁護士制度”をご存知ですか?] 日弁連では、全国の弁護士会と協力して、当番弁護士制度を作りました。 この制度を利用すれば、知り合いに弁護士がいない場合でも、その場で「当番弁護士を頼みたい」といえば警察署や裁判所などから最寄りの弁護士会に連絡が入り、弁護士がすみやかにその人に面会(接見といいます)に来てくれます(1回目の面会は無料)。 当番弁護士は、警察官の立会なしに逮捕された人と面接し、その人の言い分を聞いたり、その人の権利やこれからの手続きなどについて説明してくれますし、家族との連絡もとってくれます。 あなたや、あなたのお知り合いの方がもしも逮捕されたとき、当番弁護士制度のことを思い出して下さい。 きっとお役に立つはずです。 日本弁護士連合会HPより。 と、解説された弁護士さんが書いとりました。 |
『ひまわり弁護士』 |
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『ひまわり弁護士』 千九百六十八年発行の『日本の過疎地帯』(今井幸彦著・岩波新書)で、島根県は確か過疎の筆頭に書かれていたように思う。 田中角栄さんの『日本列島改造論』は千九百七十二年。 島根県が地盤の竹下登さんの総理大臣在任期間は千九百八十七年十一月から千九百八十九年六月。 両者の功罪は抜きにして、過疎化解消は大物政治家でも・・・難しいわな。 集英社発行・週刊『ヤング・ジャンプ』連載の『島根の弁護士』の舞台も弁護士過疎の解消の為、二千年に開設された”公設法律事務所。 ひまわり弁護士さんは、若干二十七歳。 弁護士歴二年目で二千一年四月、北海道・紋別市に開設された公設法律事務所に赴任。 本書では、七月に国選弁護の依頼を受けた自閉症と軽度の精神遅滞を持つ加害者の自転車事故による重過失致死罪を本筋に、公設法律事務所の活動を。 (不採算事件などは弁護士があふれている大都市でも弁護士は依頼を受けないと言う事から、数年前から、都市型公設法律事務所が東京・大阪・岡山にも開設されているらしい) 任期二年で約六百件の事件。 事件は田舎も都会も変わらない。 離婚・破産・倒産・債務整理・交通事故・相続・借地・借款・・・。 ただ、これまで”掟”で解決してきた長い歴史の中では、法による”ルール”は当然の事に軋轢が生じる。 当初、歓迎の意向を示していた市長が「弁護士が来てから、破産者が増えて困っている」と発言。 開設後、悪徳な貸し金業者ではなく信金・銀行での破産者が二〜四倍に増えたとなれば、そら、紛争→法律→解決の流れは「地域社会にとってその後も暮らし続ける者と波風が立たない解決方法だろうか」と千九百五十年十一月創立、千九百五十三年五月に創刊された地元紙の北海民友新聞の人が言う。 で、自転車事故による重過失致死罪。 禁固一年を求刑した検察と、無罪を主張したひまわり弁護士の争いの判決は二千三年一月に、禁固一年執行猶予二年と下った。 実質、勝訴ですね。 |
『結婚帝国 女の岐れ道』 信田さよ子 上野千鶴子 共著 講談社 2004年5月20日 初版発行 |
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『結婚帝国 女の岐れ道』 二千二年の調査結果から三十代の女性は性意識と性行動の分岐点であり、非婚少子化の担い手で、上の世代との違いがはっきりしており、意識の上では上の世代の価値観にどっぷり浸りながらも行動は変化している。・・・らしい。 二十・十代となると、変化した行動とともに規範も変わってしまっているので意識と行動の股裂き状態はなく、四十代となれば規範・行動は上の世代と一致している。・・・らしい。 信田さよ子さんは原宿カウンセリングセンターを設立し、アルコール依存症・摂取障害・DV(”ドメスティック・バイオレンス” 本書では夫から妻への暴力を主に話している。でも、DV防止法は”配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律”が正式名称)子供虐待に取り組む。 上野千鶴子さんは・・・・書かなくても良いか。 信田さんが豊富な事例を基にして話せば、理論派上野さんは明晰に少々尖がった(?)言語で返し、鋭い質問を投げつけられた信田さんはあらたな課題を持ち込む事になる。 三十代女性の女性をめぐる積年の疑問(普遍化出来ないにしてもだ)に興味なんぞ持っていないので、自分の問題として読む事が出来ないから余計に二人のやりとりは、まんずまんず、おもしろい。 樹村みのりさんの所で「女を押さえつける意図だけでは、強姦に至らない。」と書いたけれど・・・・・。 自分の娘に対する性的虐待は『・・・略・・・たんなる性欲の発散の相手ではありません。性的虐待は性欲ではないですよ』(信田さよ子)『そうね、レイプも性欲からじゃないですからね。』(上野千鶴子) でも、事件の加害者の少年達は被害者の少女を「そんな女」と認識する以前の行為だからなぁ〜。 この事件について訂正しょうとは思わないけれど、確かに性欲からのみ強姦を視る事は出来ない。 『人は、社会的存在でなければならないか』の章は、三十代女性向けだけのものではなく、男も女も年齢も関係なく肯定出来そうだ。 『自分が存在するということに、他者の許可も承認もいらない』 あらゆる世代の女性が眼を通しておいても損はない本・・・かもね。 男性は?う〜ん、読み手の資質と置かれている状況によれば、火に油をになる・・・かもね。 |
『仔犬に語る社会学』 野村一夫 著 洋泉社 2005年1月21日 初版発行 |
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『仔犬に語る社会学』 ”仔犬”と書いてあるので、またわんこさんが出て来てどうたらこうたらへったくれモノだと思い喜んで注文した。 入荷してよく見ると「仔犬が語る」ではなくて「仔犬に語る」だった。 しかも「猿でも解る」と類しての「仔犬でも解る」じゃなく、単に野村さんは『お前たちも、私たちの話がわかるみたいに、お座りをして聞いていたり、首をかしげたり、ワンとほえたりする。とにかく、まったく屈託というものがないのには私もずいぶん助けられている。この屈託のなさを頼りにすれば、素直に社会学について語れることができるかもしれないという思いつき』からと言うのだから・・・・わんこ好きな本買い人は早とちりして、私のように買うかもね。 読み始めてすぐにスピードを速めた。 と言うのは、社会学を題材にした随筆に近いものだったから。 でも、野村さんの社会学的視点を常に持つまでに至るには「十年は早いナァ」と思う阿呆坊でした。 社会現象の後追い学問と言える社会学の位置づけを述べ、物事への社会学的な捉え方を述べる野村さんは『批判科学の道が社会学固有の道だと考えている』 数多有る社会学入門書を読む前の入門書。 |
『戦後日本の社会学 ・・・一つの同時代学史』 富永健一 著 東京大学出版会 2004年12月15日 初版発行 |
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『戦後日本の社会学・・・一つの同時代学史』 1950年4月、東京大学に入学し一年生の秋頃から一年ほどマルクス主義に近づいたものの、親父さんの抑留生活を聞きソ連について暗いイメージを持つ事がマルクス主義を離れる大きな理由で、日本の社会学はマルクス主義が入っていないと判断した結果、経済学を選ばず翌年の9月、社会学専攻し以後2003年の定年まで学究。 リベラル社会学を自認する富永さんは少し熱くなりながら、マルクス主義社会学に怒りを向ける。 『1965年という年は、「マルクス主義社会学」を全面的に標榜した最初の講座である”講座現代社会学”と、マルクス主義と対決しながらリベラル社会学の立場から近代化理論を構築しようとした私の”社会変動の理論”とが、同時に出た年であった。”社会変動の理論”はさいわいにしてよく売れた本であったが、マルクス主義の早瀬利雄はこの本の書評を引き受けておきながらこれを握りつぶしたので、彼の死まで二十数年間”社会学評論”誌にはこの本の書評が出なかった。』 もっとも、社会学者たる者、感情のみからの批判と言うわけにはいかずリベラル社会学者からの評価を正しく下している。 ともあれ、富永さんが戦後の社会学史を綴る上において必要と思われる数多くの文献を取り上げ、個々に内容紹介と辛辣な批判、時にはお褒めの言葉を書く。 もっとも、ざぁ〜と眼を通したのは『第1章 戦後日本の社会学を見る視点』『第2章 戦前世代による戦後初期の社会学』『結び 戦後日本の社会学の到達点とその未来』と、第3章から第6章に書かれている文献の内の数編のみ。 だって、素養が無いに等しいので数編以外は読んでもちんぷんかんぷんなんだもん。 ところで、社会学のお得意分野に”集団”があるのだけれど、集団内部世界を生態観察し分析した結果の上で、二十数年の怨念を吐露したとすれば、戦後の日本の社会学(会?)のドロドロ世界や、今後の社会学(界)の限界も見えそうだ。 (でも、これって、別に狭い学界・学問の世界だけの事ではないもんね) |
『カバチタレ!』 (一巻〜十八巻) 青木雄二 監修 田島隆 原作 東風孝広 漫画 講談社(モーニングKC) 1999年11月 〜2004年12月 |
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裏表紙 |
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『カバチタレ!』十六巻 会社を首になってやけ酒を飲んでいた若い田村は知り合った行政書士資格を持ち経営コンサルタントを営む大野の所で働く事に決めた。 大企業の法律問題には縁遠いが、町で暮らす庶民達の”法”にまつわる諸々の揉め事を、新人田村は、大野の部下達に助けられ時には足を引っ張りながらも、解決に向けて汗を流す。 十六巻には、裏表紙を拡大した写真を見て分かるように、わんこネタ物。 夜な夜なわんこを相手に洋弓を射る馬鹿男二人。 当てられたわんこは覚えていて、再度来た馬鹿男達に噛み付いた。 わんこを苛めた輩のくせに「治療代と慰謝料よこせ!」とぬかよる。 法的には被害者は馬鹿男なり。 警察も検事も「わんこが悪い」の大合唱。 哀れなわんこを助ける事が出来るのか? 『ナニワ金融道』でお馴染みの青木雄二さんが監修となっているけれど、単に名前を使わせてもらっただけだろう。 原作の田島さんと漫画の東風さんのコンビは『極悪 がんぼ』(現在7巻まで)を描いていて、これまた、裏街道と言っても暴力団の一員になるわけではなく、秘密探偵事務所に勤めた『カバチタレ!』の田村のような主人公を登場させ、えぐい話を。 普通に平和に暮らしていれば、漫画だけの話にすぎないけれど、交通事故一つとっても被害者もしくは加害者になり、相手の出方次第ではこの漫画の世界が現実の世界になるご時勢。 漫画のように上手く行くとは限らないが、狼狽してばかりいるぐらいなら専門家に任せるまでの当座の処方箋ぐらいには・・・。 |
ここ、三〜四年ほどあまり本を手にしなかった。 単発で手にする事はあっても、次から次へと手にする事は・・・なかった。 『浮と游』を作成して遊んでいた。 浮と游とにいつも遊んでもらっている。 眼が悪くなって活字を拾っていると痛くなってくる。 「五十歳になったら新たな本に手を出さないでおこう」なんて四十歳頃内心決めていた等々。 でも、まぁ、文通ホモの頃のように、手当たり次第見まくるとはいかないが、久しぶりも良いもんだ。 せやけど、本は売れんのう。 売り上げのなんぼかは自分で仕入れて、自分が仕入れ値で買ってりゃ、世話ないや。 間違いなく潰れるな。 |
33回目は 『鵺のような存在だから、掴みどころが解り難いなぁ〜』 です。 |
この車に乗って往き、 ”本”の事でも、 ”わんこ”の事でも、 何でも書いて(掲示板)おくんなはれ。 |
「お手紙は、この”HONDA1300クーペ9”で運びます」 |
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