ほんなら・・・
  ほんでも・・・


  33回目 
      『ほどほどの、
     おつきあいが、
     よろしいようで・・・』


       ・・・・・2005年3月26日・・・・・


 ごくごく普通に暮らしていれば、別にどぅ〜って事ないので、それまで取り立てて感じる事がなかったんだけれど、二千二年の年明け早々、そいつは突如として目の前に出現し「オラオラオラオラ!!!!」とこちとらの頭を躰を小突きだしよった。
「あんさん、誰だんねん?」
「せ け ん ちゅう者(もん)や。おんどれ、よ〜う首洗(くびあろ)て待つとけよ。もうちょっとしたら痛い目にあわしたるさかいねなぁ〜」
「せけん?・・・せっけんで首洗とけってかいな?」

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 石鹸やったら、お湯でゴシゴシしたら溶けていきよる。
別に怖ないわい。
 そう思い放ったらかしといたら、一年ほど経つと雲行きが怪しくなってきた。
 犬死しとないさかいに、敵を知っておくのが先決と本棚を見てみたが有ったのは「世間体」の構造・・・・社会心理史への試み』これ一冊のみ。
(前なら、田辺聖子さんの『世間しらず』も有ったが・・・)



『「世間体」の構造・・・社会心理史への試み』 「世間体」の構造
 ・・・・社会心理史への試み


 井上忠司著

 日本放送出版会

 1977年4月1日
 初版発行

「世間体」の構造・・・社会心理史への試み


 ”世間”とは個人の側からすれば、一種の社会心理学用語”準拠集団”
(家族・知人・職場の同僚・学校の同級生・暴走族等々、個人にとって、自分の行為・行動・態度・意見、価値観にもっとも強く影響を与える集団)と考える著者は、語源をひも解き”世間”の”世”は「時間」を意味し”間”は「空間」を意味するところから書き始め、人々の”世間”の受け取り方を慣用句から拾い上げ、”世間”に準拠して人々が行動するようになった世間観の原型は江戸期時代だろうと考え、元禄期頃の井原西鶴『世間胸算用』がその象徴だろうと。

 村の「オキテ」、武士の「イエ」を述べた後、明治期に家族生活を統括する基準となる家制度
(共同体社会における和合価値と、武家社会における献身価値の融合)を明治民法で国策化し、
『「せまい世間」は「イエ」と対峙しながら、それに優先し、「ひろい世間」は「せまい世間」と対峙しながら、それに優先した。「ひろい世間」はより「ひろい世間」と対峙しながら、それに優先する。このようにして、同心円的に幾重にも重層化「世間」が国家を頂点に整序づけられた』と述べる。

 日本的集団は閉鎖性が強いと言われるのだが、著者はむしろ「ソト」
(=外集団)としての”世間”に準拠して、自己の行動を律し判断する事が多い事から、『自分だけがソトを見ていて、ソトからはひとに見られまいとする』防衛傾向の特徴は”ホンエ”と”タテマエ”の使い分けが余儀なくなされ、戦後、家族国家観は崩壊したものの、ソト(=世間)の価値に寄り添う事によってウチ(=自己)を見つめると言う準拠集団の構造の本質は不変であると。

 内輪・身内・他人・仲間・同胞・人情・義理から世間の構造を分析し、現在はマスコミの発達により”世間”は拡大され
『「タニン」ないし「ヨソノヒト」の世界がタニンのままにとどまらないで、「セケン」となりうる機会が大はばにふえている』と。
 この事は、広い世間の適応基準は今やマスコミによって作りだされる”世論”に求められるようになったと。


 ”世間体”の”体”は「体面」「体裁」の”体”であり、社会規範から逸脱した場合、「”恥”−”羞恥”−”罪”」の関係から社会的制裁を受けるが故に、「面目」「面子」「外聞」「見栄」「虚栄」と言うコトバの持つ行動が世間に対してつくろう個人の方策として個人の行動を規定すると。

 体面・体裁を内面化する躾を通して、「人に笑われないように
育てられてきた事から、何事にも中庸=世間並みと言う適応基準を身にまとい、個人と世間と言う矛盾的な関係を止揚すると。

 著者は”世間体”を一方的に排斥し否定するものではなく、”世間”に準拠し恥ずかしくない行動の良し悪しを評価し、”世間”とは何ぞやと問い、”恥”の文化の意義ををあらためて問いなおさなければならないと。



 「世間って何ぞや」の問いに、即戦力を求めて必要にして充分の知識を得ようと思っていた
(つまり、実用書を)者からすれば、本棚から取り出し超速度の拾い読みして”恥”と”笑い”が鍵だとは解ったが「こりゃ、あんまし、役に立てへんわ」だった。


 何がしか”世間”を識る為の内容を含む
菊と刀・・・日本文化の構造(R・ベネディクト著)
日本人の周辺(加藤秀俊著)
価値の社会学(作田啓一著)
恥の文化再考(作田啓一著)
好奇心と日本人
・・・多重構造社会の理論(鶴見和子著)
タテ社会の人間関係・・・単一社会の理論(中根千枝著)
適応の条件・・・日本的連続の思考
(中根千枝著)
日本人の論理構造
(板坂元著)
風土・・・人間学的考察(和辻哲郎著)
日本文化および日本人論・・猿マネと毛づくろいの生態学
(深作光貞著)
「甘え」の構造(土居健郎著)
日本人の行動様式・・・他律と集団の論理(荒木博之著)
日本人の仲間意識(米山俊直著)
日本の思想(丸山真男著)
日本の精神的風土
(飯塚浩二著)
日本人・・・ユニ−クさの源泉グレゴリー・クラーク著)
日本人の発想(神島二郎著)
人と人の間・・・精神病理学的日本人論(木村敏著)
しぐさの日本文化(多田道太郎著)
義理と人情
・・・日本的心情の一考察(源了圓著)
日本人の意識構造(会田雄次著)
「いき」の構造(九鬼周造著)
日本文化の構造
・・・論集・日本文化@(梅棹忠夫・多田道太郎編)
日本文化と世界
・・・論集・日本文化A(梅棹忠夫・多田道太郎編)
日本文化の表情
・・・論集・日本文化B(梅棹忠夫・多田道太郎編)
 等々、探せばもっと出て来そうな気がするが、早い話”日本人論”は眼を通していたが、いつもの如く、読む傍からすぐに頭から抜け出て行っていたもんだで何一つ覚えちゃいない。
 で、急いでまとめて注文したのが、「世間」論序説・・・西洋中世の愛と人格』から『日本社会で生きるということ』までの八冊だった。


次の本はクリックすると大きくなります。

『「世間」論序説・・・西洋中世の愛と人格』 『阿部謹也著作集 2』(刑史の社会史・中世賤民の宇宙・他) 『阿部謹也著作集 7』(「世間」とは何か・「教養」とは何か・ヨーロッパを見る視角) 『学問よ「世間」』
「世間」論序説
 ・・・西洋中世
 の愛と人格


 阿部謹也 著 

 朝日新聞社
 (選書)

 1999年
 8月25日 
 初版発行
阿部謹也
 著作集 2

 (刑吏の社会史・
  中世賤民の宇宙・
  他)


 阿部謹也 著 

 筑摩書房

 1999年
 12月10日 
 初版発行
阿部謹也
 著作集 7

 (「世間」とは何か・
  「教養」とは何か・
  ヨーロッパを見る
  視角)


 阿部謹也 著

 筑摩書房

 2000年
 5月15日 
 初版発行
学問と
 「世間」


 阿部謹也 著

 岩波書店
 (新書)

 2001年
 6月20日 
 初版発行
日本人は
 いかに生きる
 べきか


 阿部謹也 著

 朝日新聞

 2001年
 10月1日 
 初版発行
「世間」の
 現象学


 佐藤直樹 著

 青弓社

 2001年
 12月14日 
 初版発行
世間学への
 招待


 阿部謹也 編著

 青弓社

 2002年
 1月23日 
 初版発行
日本社会で
 生きるという
 こと


 阿部謹也 著

 朝日新聞社
 (文庫)

 2003年
 2月28日
 初版発行

 阿部謹也さんの『著作集 2』は欧州の中近世における身分差別を丹念にひも解いたもので、直接的には”世間”と関係ないが、欧州での死生観が現世において一回限りの生命であり、死ぬ事により永遠の救いに入るという教義が世俗化された形で人権の思想とつながるが、比して日本の死生観は死んで仏になる事が重要で、現世は仮の姿にすぎないところから人間関係においての人権思想が定着しない。
 ここに”世間”と結びつくモノが基底に流れている。
 彼は他の著書で”社会”と”世間”との違いを、個人と人格の成立に求め「各々方、”個”の確立を」と懇々と説く。



 ”世間”が構成される原理・構造は
「贈与・互酬の関係」・・・何か貰ったら、お返ししなアカン。
「身分の重要性」・・・身分
(年上・先輩等々)による序列が重要視されま
           んねん。
「個人の不在」・・・”世間”の中には”個人”なんぞおらしまへん。
「呪術的性格」・・・民間信仰・迷信・俗信の類を、知っておかなあきま
          へん。
「ウチとソトの排他性
(差別)」・・・身内と他人ちゅうことでんな。
「権力構造」・・・”世間”自体が
(国家・政治・法・暴力何ぞとは異なる)
         の目としての権力でんねんわ。


 と、阿部謹也さん、佐藤直樹さんはくり返しくり返し述べています。


 ところで、『世間学への招待』の中で『ネパールの山村における社会・世間生活・・・NGOの経験を通して』を書いている清沢洋さんは『西洋合理主義の到達点の一つに近代市民”社会”があり、同時に自然破壊をもたらした科学的思考もあったわけだから、風土を無視した西洋的”社会”を無条件に理想とするのは、あまりにも楽天主義ではないか。改めて”世間”を全面的に是とする必要はないが、合理主義がもたらした豊かさの質や人間関係のあり方を再検討し、非合理的な人間関係・集団としての”世間”の機微を問い直すことも大切である。』

 確かに、索漠とした”社会”で暮らす事を我ら日本人は餓鬼の頃から学習していない。
 鬱陶しいなぁ〜怖いなぁ〜と思いつつも、
(思わぬ人もいるだろうけれど)自分に火の粉が飛んで来ない限り、ぬるま湯にどっぷりと首まで浸かる心地良さを感じる”世間”でもあるわな。
 漫然と浸かる行為そのもののには否であっても、浸かる事自体をよ〜く考えよ、てなわけですなぁ。

 機微かどうかは知らないが、こちらに向かって来た”世間”の風は、上記の本を意識的に実用書として眼を通したおかげか、体よくこちとらをかすめて行った。
 「世間」の現象学世間学への招待』の二冊も眼を通せば、怖くない”世間”だし、それなりにお付合い出来る”世間” 


 もうとっくに飽きていたけれど・・・・
その後、出版されたのが眼についたので、次のも購入。


次の本もクリックすると大きくなります。

日本人の歴史意識
  ・・・「世間」という
  視角から


 阿部謹也 著

 岩波書店
 (新書)

 2004年1月20日 
 初版発行
 世間の目
  ・・・なぜ渡る世間は
  「鬼ばかり」なのか


 佐藤直樹 著

 光文社

 2004年4月30日 
 初版発行
「しきり」の文化論

 柏木博 著

 講談社
 (新書)

 2004年5月20日 
 初版発行
 阿部さん佐藤さんは横に置いといて。
 柏木博さんは『道具とメディアの政治学
(1989年・未来社刊)で時代の流れとデザイン(管理)の関係を文化的問題としてとらえず、政治的問題として書き、当時私は眼から鱗でありました。
 でも、「しきり」の文化論』は亜流日本人論。
(柏木さん、ごめんね。)


  で、”世間”モノで
 一番面白く、笑えて
 読めたのは・・・・。


『あなたの世間体』  あなたの世間体

 内田春菊 著

 集英社
(YOU コミックス)

 1996年2月28日 
 初版発行
 内田春菊さんの自由奔放な生き方を絶賛しないけれど、頭から否定する気もない。
 彼女の”個人”は世間(体を気にする女)を嘲笑する。


ホンダ1300・クーペ9(後ろ)
34回目は、4月16日(土曜日)より放映開始
瑠璃の島
(日本テレビ系)
の舞台となった島。


HONDA1300イクーペ9でに乗って・・・掲示板へ。
 この車に乗って往き、
”本”の事でも、
”わんこ”の事でも、
何でも書いて
(掲示板)おくんなはれ。


ホンダ1300クーペ9の郵便車。
「お手紙は、この”HONDA1300クーペ9”で運びます」


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