ほんなら・・・
  ほんでも・・・


  31回目 

   『あの時、伊豆山老人ホームの指導員Hさんは
   「みんな自分が歳を取ると言う事を忘れているんだろうね」
    と言った。』


       ・・・・・2005年3月12日・・・・・


 ♪喫茶店に婆さんと二人で入って、渋茶を注文する事、あぁ〜それは老人・・・老人は何故か熱いお湯を好むのです・・・さて老人とは一体何だろう。その答えは人それぞれで違うだろう・・・ただ一つこれだけは言えるだろう・・・余命いくばくもない・・・この一刻を老人は何かをしないではいられない・・・
 とか何とか唄っていた吉田拓郎さんも、”老人”をコケにして笑い者にして唄えていた時から早や数十年。
 多分、今じゃ・・・唄えないだろう。



『死に花』 死に花

太田蘭三 著

角川書店
(文庫)

2004年4月25日
初版発行

死に花


 各人
それぞれの理由により、かなり高額の民営老人ホームに入居した老人達の仲間の一人が亡くなった。
 彼は生前、自己の葬式を最後の催し物として総檜作りの棺桶を持つなど、式の進行演出を用意し、葬儀屋さんに注文していた。
 彼が急死し、焼かれた骨には二つの頭蓋骨が・・・。
 事件は解決したものの、彼の死に残る五人の仲間はホームでの、傍から見れば暢気な暮らしだが「生涯悔いだらけのまま死ぬのは」とばかりに、計画を練り、それぞれの得意分野を受け持ち、大胆な行動を起こす。



 千九百六十九年の映画『ミニミニ大作戦』の見事な泥棒ぶりは痛快だった。
 緻密な計画を練り、”泥棒”するってのは、例え法を犯す行為であれ、見ていて気分の良いものだ。
 出来れば、仲間に入れて欲しい。
しいて得意分野はないが・・・。
 でも、最後のお札を数える金勘定ぐらいなら、ほんの少しは人より早いと思う。
主犯にはなりたくないので、誰か誘ってくれ!!


 銀行の金庫に地下トンネルを掘って入る古典的な手法であれ、現金を手に入れた老人達の達成感たるや「もう思い残すモノはない」だっただろう。
 老人五人の達成感と”ミニミニ大作戦”六人の達成感はおおいに異なるのは判りきった事で、著者はあえて豊かな老人達が入居する老人ホームと設定する事でそれを示す。

 老後、豊かな暮らしを望んでも無理な阿呆坊としては公営の無料老人ホームに入れていただき、そこで仲間を募り・・・成功の暁には・・・高額の入居費用が必要な老人ホームに移り・・・としたいもんだ。

 捕まったところで老い先短い人生、刑務所暮らしを経験するも良し、体力なければ医療刑務所で手厚い治療
(なわけないか)・・・も良し。
 まぁ、若い者よりかは”死”に近い分だけ、お頭が正常に動いているならば
・・・(つまり、本能域による命令に逆らえる意思が有る間は)・・・「怖いもの無し」ですね。


 普段なら読まない『死に花』のような本に手を出したのはカバーに書かれた『老人ホーム』の文字に惹かれたからです。

 気楽に読むなら
ノンフィクション・ドキュメンタリーの方が好みなんです。

 でも”老人ホーム”・・・・ついつい眼が行きます。


『養育院百年史』  

養育院百年史

東京都養育院 編 

東京都

1974年3月30日 
初版発行


養育院百年史

 記念誌・院内史に留まらず、現代社会の中での位置づけから問題提起を睨みながら編集された東洋一の老人福祉施設、言い換えれば日本の社会福祉の象徴”養育院”の歴史。

 編集を担ったのは一番ヶ瀬康子さん
三千枚・三巻の予定がインフレによる制作費の高騰により半減されたのは惜しいが、第一回
今和次郎を受賞した。

 三十年ぶりに拾い読みをしながら思ったのは「果たして、社会福祉行政は進んだのか、後退したのか?」の問いに、
都庁職養育院支部HPの内容をすべて素直に読む事は出来ないにしても「いゃぁ〜、良うなりましたでぇ〜、と言えまへんわ」

 本書が上梓された時の美濃部亮吉さん
(三期)から、鈴木俊一さん(四期)青島幸男さん(一期)、そして石原慎太郎都知事へとの流れは、『まさに、開かれた養育院の姿勢と事業は、100年のそれより200年、300年を目指して躍動しつづけることは想像にかたくない。』(「結 まとめと展望」一番ヶ瀬康子 より)を見事に打ち砕いているかのように見える。


『老人ホーム』  

老人ホーム

土田祐嗣 著 

講談社出版サービス
(製作)

1978年12月20日 
初版発行


老人ホーム


 養育院本院の分院で熱海からバスで十分程、伊豆山神社から歩いて五分程の所に有った老人ホームを舞台に、一人の利用者を通してホームでの一年の暮らしを小説仕立てで描く。


 ホームでの行事、文化祭、熱海ならではの梅園観梅行、敷地内に咲く観桜会や、集団生活の思い、様々な経験を積んで入居した利用者さん達、そして寮母さん達を温かい目で綴る。


 入所当初は新館が建設中で、旧舎の大部屋(七〜八名)生活だったが、一年近く経った頃、完成し個室での生活となった。

 現在においてもかも知れないが、”老人ホーム”の印象はそこに行く者も、そこへ送り出す者も決して明るいものではなかった。
 加えれば、仕事場としての印象もそうであり、口の悪い者から言えば「人生の敗残者達の溜まり場」だった。

 しかし、息子夫婦が大きな家に転居するので「一緒に暮らさないか」と言われた利用者が
『私ね、園を離れるのがいやだからどうしても帰らないと言ったやったのよ。息子達も納得したから心配ないのよ。私は誰がなんと言っても死ぬまで此処でご厄介になるのだから』と土田さんは書く。

 この頃の、老人施設は”一級”と呼ばれる身の回りの事が自分で出来る健常者が利用する養護老人ホームと、二級以上の部分補助必要・介助必要・前面介護者の特別養護老人ホームとに分かれていた。

(費用の分け方では、無料と、幾らかを負担する”軽費”と、有料とに分かれていたと思う)


 この分院は前者で、利用者が”特養”に送られると聞いた時、また、送られた後の寮全体に漂う重苦しい空気・・・・。
「早く良くなって帰ってきてね」が気休めにすぎない言葉と判りながらも、かけなければいられないホームの老人達と寮母さん・・・。

 長く老人福祉行政の最前線に居なければ書けない描写だと思う。

 土田さんは養育院退職後、本書を自費出版された。


『敬老・・・同時進行ドキュメント』
   『敬老・・・同時進行ドキュメント

      早瀬圭一 著 

       毎日新聞

       1979月9月11日より22日まで連載


敬老・・・同時進行ドキュメント


 今は移動祝祭日になったので固定された月日ではなくなったが九月十五日”敬老の日”に合わせて連載されたもの。

 東京都板橋区大山西町と言えば養育院本院とは眼と鼻の先に有る処だけれど、そこで暮らしていた老女Sさんが世間ですごす最後の日
(九月十日)から、養育院本院の下部にあたる東村山老人ホームに入所・・・(お役人言葉では”措置)・・・・する為にケースワーカーが同行・・・(お役人言葉では”移送”)・・・し、三人部屋で入所生活を始めて十四日までの報告。

 同じ敷地内
(約五万坪)に有る個室の軽費老人ホームで暮らす七十四歳の元毎日新聞記者は日々平穏すぎる事への不満があり、残る時間の短さを思うものの現実の日々の時間の長さに焦る。
 それじゃ「何かをしなければならない」と思いながら、「しかし、何をしていいのか?」
苛立つ日々。

 旧制帝大の東大・京大が女子に門戸を開放していなかった頃、東北大に入学し、卒業後に独逸留学したたものの戦争の為に帰国。
色々な所で教師業をしていた元気な七十五歳の哲学婆さん。

 世間で起こる事件は例外なく老人ホームでも起こる。
そこに奔走する現場の担当者さん達。
仕事とは言え、苦労は尽きない。


 連載中に度々登場するSさんを担当した、東村山老人ホーム養護二課生活援助係長Tさんから二月八日に届いたメールには
『「長い命のために」が出版されてからすでに20年くらい経ちましたかね?
出版後、幾つかの講演依頼がありました。
そんな難しい話が出来る訳でもなし、まあ本に書いてある延長線での話ではありますが、当時の世相はまだ老人ホームは別の世界だったのでしょう。
とあり、続けて
今の自分が老人ホームに入所してもおかしくない年になっていますが、考えてみればまだまだ自分の力で生きていきたいと思っています。』
とあった。
(Tさんは、都庁を定年退職し、昨年より三多摩地区の某駅前でおうどん屋さんを始めています)


『長い命のために』  

長い命のために

早瀬圭一 著

新潮社

1981年8月10日 
初版発行


長い命のために


敬老・・・同時進行ドキュメント』を膨らませ、単行本にした物。
発行当時「老人ホームって?」を知るには最適な資料本であったとは思う。
 しかし、「老人ホームって?」と言っても、養護老人ホームであり、特別養護
(特養)は取材の難しさからか書かれていない。

 人がオギャァ〜と生まれて、齢七十〜八十歳まで生きていれば、それぞれのかけがえのない出来事・体験・経験があるのだけれど、平凡に暮らしてきた人を取り上げていては読み物にならない。
 だから読み物としての常で、読ませる登場人物であり、読ませる内容。
上記の敬老・・・同時進行ドキュメントに出てくる元毎日新聞記者しかり、哲学婆さんしかり
そこだけに惹かれて読むと面白くはあっても、最適な本にはならない。

 手にしたのは三十歳になるかならないかだったので、興味本位でしか読んでいない。


 次のは本ではなくパンフレットですが、『老人ホーム』の舞台となった新館と、現代の民間施設の中でも高額の所です。


『事業案内・・・東京都伊豆山老人ホーム』 『事業案内・・・東京都伊豆山老人ホーム』 

事業案内・・・東京都伊豆山老人ホーム

 公営の養護老人ホームとしては当時
(千九百七十五年)ではまだ少数派だった個室(八十人定員)と二人部屋(十人定員・夫婦用ですね)を備えていた。

 老朽化と言う理由で、昨年の春に閉鎖されたと聞く。
都市型の老人ホームではないし、総定員
(百人)からして、大きすぎると言えなくもないが、その閉鎖理由が真っ当な理由だとはとても思えない。

 利用者の中には、何らかの理由で年金を掛ける事をせずに
(出来ずに)無年金者となった者がいたが”法外援護”と称して都から小遣いが支給されていた。
 この制度が現在も残っているのかどうかは知らない。
でも、とても残っているとは思えない。 


『サンセール香里園』  『サンセール香里園』

サンセール香里園

 介護保険と老人施設の区分けが関係するのかどうか知らないが、介護保険が始まり、老人施設の区分けが良く分からなくなった。

 ”介護専用型有料老人ホーム”は
『入居時より痴呆症、寝たきりなど、要介護認定を受けた方に終身入居していただける法人による施設』とある。
 伊豆山老人ホームと養育院本院の特養を一つにまとめた施設と言うことか?

 松下電器が百%出資した会社が経営している施設で、まぁ設備に関しては言う事ないだろうと思う。

 如何せん、営利企業は儲けなくてはならない。
標準プランで、入居一時金:千八百万円也。月額利用料:二十五万円也。
納得プランで、二千四百八十一万円也と十七万円也。
悠々プランで二千九百八十七万円也と十一万円也。
 因みに、グループ企業の松下電工が噛んでいる別の施設では更に高く
ふくふくプランで二千四百八十万円也と三十万三千円也。
さわやかプランで二千九百八十万円也と二十三万三千円也。
ゆうゆうプランで三千四百八十万円也と十六万三千円也。
(二年ほど前の数字ですので、現在どうなっているのか知らない)

 
聞くところでは、関西での最高は九千万円、東京では五億円!!とか
 
地獄の沙汰も金次第と言うけれど・・・・。

 
06年4月30日、管理人・阿呆坊の母(志津)はここに入居した。
 07年3月3日、提携病院に入院し、3月20日未明に亡くなりました。


 近頃、介護保険が始まり”ディーサービス”を利用する老人を乗せた車がよく目につくようになった。
 介護老人施設も近辺に結構出来た。
その意味では”老人”が近くなった。

 かっての隔離とは言わないまでも「都市部を離れた静かな所で暮らす」のが良いとされた
(?)老人ホームからすれば、民間が需要を開拓しサービス合戦を行っている今は、Tさんが言う「老人ホームは別の世界」は薄れてきているように思える。

 しかし、福祉行政が進んだ結果だとはとてもとても思えない。
非常に荒くたな見方だが、少なくとも、この養育院の二十数年間の動きを視ているとそう思う。


 老後、どう暮らすか?
何処で暮らすか?
・・・・う〜ん・・・・・。
 痴呆症(認知症)になった時、どうなるのか?
・・・・う〜ん・・・・・。



 高齢者福祉施設情報

 社団法人 全国有料老人ホーム協会


ホンダ1300・クーペ9(後ろ)
32回目は
『ごった煮読書』
です。


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