ほんなら・・・
  ほんでも・・・


  30回目 
   『人間生態学・・・人と物(環境)の統一を追求する学問』

       ・・・・・2005年3月6日・・・・・


家政学部」
「それ何する所?」
「被服科と食物栄養科に別れているの」
「小学校の時の家庭科みたいなもんんかいな?エプロン縫わされて、紐と前垂れを逆に縫い付けて先公に怒られるわ、味噌汁作らされて、読み間違ごうて十倍の味噌を入れたので辛くて飲めず、水を足したものの鍋が溢れそうになり、仕方ないので砂糖を入れたら余計に不味くて、また怒られて・・・」
 その時は笑ってすませた女も”家政学”を馬鹿にされた
(=自分自身)と思ったようで、内心、怒っていた・・・と思う。
 ほろ苦くもある青春期の一コマでした。

衣食住、家族・保育・心理・健康、都市計画・住居計画・環境問題まで、家政学部のテーマはとても多彩です。』東京家政学院大学HPより。

人間生活を自然・社会・人文の諸科学により研究し、生活の向上に貢献する学問、家政学』 金城学院大学 家政学部HPより。

 男子学生もいる、大阪市立大学生活科学部のHPです。



『家政学の総合化・・ユニファイド・サイエンスならでは・・』 家政学の総合化
・・・ユニファイド・サイエンスならでは・・・


松島千代野 著

有斐閣
『書斎の窓』1982年5・6月号

家政学の総合化・・・ユニファイド・サイエンスならでは・・・


 くったらくったら適当な本を適当に読んだり眺めたりしていたのだけれど、どうも効率が悪い。
何か良ぇもんおまへんか?と思っていたら「そうかいな、この切口があるやんか!」

 ガリオア計画の奨学生としてオレゴン州立大学からコーネル大学でPh.D.修得した松島さんは
アメリカの家政学は、今も昔も終始一貫して、この人間生態学の基本理念によってその性格を定義づけていると。
 気分的には、数多いる学者・評論家さんのように「また米国かぁ〜」なんだけれど、ここはまぁ仕方ない。

家政学には人間生態の基本理念が潜在していることが肯定できよう。今日、これに類する学問領域では「人間環境学」「社会工学」「人間工学」と称するのが例として挙げられる。
人間生態学は人間の環境・機能・構造に関するあらゆる科学的材料を用い、人間科学を統一し、人間の総合研究の立場からあらゆる科学に妥当な位置を与えるものである』
『「家政学は、一方では人間の物理的環境について、他方では人間の社会的存在の本質について、この両者の関係を究明する、物と人の関係の学である」という定義』

 家政学は本質的に@家族関係学・児童学 A食物学 B被服学・住居学 C家庭経営学・家庭経済学 D家庭科教育・家庭教育・生涯教育・幼児教育などに分けられ、学科もこれに準じて・・・社会心理・生物理・実践技術・・・云々。

 明治十九年に創立された共立女子職業学校を前身とする、共立女子大学家政学部、大正八年生まれの教授のお言葉に
(顔写真を視てではなく)ビビった。
いや、もとい、「一寸、覗いて視るか
」と相成った


 松島千代野教授の薫陶(?)よろしく、早速注文したのが次の二冊。


『家政学』  

家政学

道 喜美代・渡辺ミチ 編 

有斐閣
(双書)

1969年8月20日 
初版発行


家政学


『日本の家政学を、従来他の分野に比べてなおざりにしていた社会科学的な面からとらえなおしてみたいという意図で編まれたものである』と嬉しい”はしがき”に喜んだ。


 日本の家政学の流れでは、大正から昭和にかけて家政学は分化し、学問的研究が始まったらしい。
 戦時下は他の学問研究はもとより、国民の暮らしに結びつく全てのモノ同様、戦力増強の為とあいなった。
 つまり
『皇国の構成単位たる家の何たるかをきわめ、その運営に関する識見を高め、国家の要請にこたえ、真実の家政を建設する方途をあきらかにする学』と。


養育院百年史』編集担当としてお名前を見ていた一番ヶ瀬康子さんが『第6講 家政学の社会的展開』を執筆している。

 社会福祉学専門と言う事で、家政学の社会的展開を試みたものとしては社会福祉関連が多いと述べ、原始時代から近代までの家政を軽く記述し、英国の社会学者B.S.ラウントリーの『貧乏研究』
(1899年)『労働者の生活は、”困窮”と”比較的余裕のある生活”との後退によって5回違った生活様式に直面する』(子供が生まれ、育ち、働き出し、同居し、家を出て、自身の労働能力が低下し)の指摘が『その後の社会保障の発想になっていった』と。

 憲法25条”生存権”において、現代の家政学の社会的意義は単に私有財産制の大原則”自助”=”やりくり”だけに留まることなく、その限界を明らかにし、25条の最低生活の条件・方法を具体的にする事、そして、技能の学・商品学としてではなく生活総体をを把握しての批判、実践学として成立する必要があると。



 読まなかったけれど、松島さんは『第2講 アメリカの家政学』執筆。
納得しますね。



 ところで、さらに発展し必要な”学問”では有るのだろうけれど、ザ〜と眺めて間口の広さと内容の浅さが・・・・はてな印を思い浮かべる。

 結局こちらの興味を引くモノがなかったと言うのが”家政学”でした。


 

家政学原論集成
 増補版

松島千代野 著

学文社

1976年4月30日 
初版発行


家政学原論集成


家政学』に遅れること一週間、これが入荷した。


 学生論文三編を加えて作られた本との事で、拾い読みしただけ。

 面白かったのは、学生の一編で『
20歳を迎えた家政学』の『家政学に対する問答』の『現在の家政学を一つの学問と認めますか。』に対する各先生の回答。

 心理学の先生は『
認めたくない。総合名詞のような人間学、社会科学、というものも一個の学問とすう意味では認められかもしれないが、家政学を一個の学問としては認められない。』

 造形美学・基礎デザインの先生は
『現状においては認めがたい・・(略)・・技能の修得は学問ではない。』

 生活科学の先生は
『現在の家政学は全く認めない。・・(略)・・それぞれの分野での研究者はいるが、それは家政学を中心と考えているのではなく、たまたま家政学部へきてその結果、なってしまっただけのことである。学問として認められるようなすじあいのものではない。』
 と辛辣なものも有れば、

 造形心理学の先生は
『昔は認めていなかったが、今は当然認める。』
 被服材料学の先生は『学問が形式において成立するとは思わない・・(略)・・実際はいろいろな面で役立っている。洗浄の中の洗たくの仕方、・・(略)・・具体的な成果もある。これから次第に形づくられていくであろう。』


 栄養学の先生は
『家政学は他の系統の学問に比すれば、たしかに間口が広く、人によっては「雑学」などと悪口を言う人もいるが、私は家政学において各分野を系統立ててゆくならば、一つの大きな学問といえると思う。』

 英語の先生は
『新しい学問の分野だし、アメリカで学問として認められている。日本では歴史が浅くはっきり学問として確立されていないが、近い将来・・(略)・・確立されると思う。・・(略)・・近い将来、男子の学校にも、家政学部が出来るであろう。』
 と、みんな悩んで大きくなった
(なろうね)ポイのも。


 ”家政”の政はまつりごとだけれど、何故か家
(家族・家庭)の経営・管理は”おんな”の領域として見ているようで、家政学の目的を問われて
『学問である以上、よき主婦として家庭人としての単なる教養のみではなく』
『女性の生き方、人間の生き方を研究する考え方や』
『目的:女子の高等教育である。内容:衣・食・住などである』

と半分の先生が「女のモンだっせ!」と。

 良妻賢母養成技能専門学校
(学門)ってかいな?
これじゃ、男子厨房に云々の伝統が続くのも致し方ない・・・と思う。 


『家の家政学・・なぜ<女の家政>になったか』  

男の家政学
・・・なぜ<女の家政>になったか


 飯塚信雄 著

理想社

1977年5月30日 
初版発行


男の家政学・・・なぜ<女の家政>になったか


 十七〜八世紀、独逸で発達した”家父学”は、家に関して管理運営を嫁はんと二人でどのように分担するか、どのような倫理にもとずいて行うか、餓鬼の教育はどうするか等々について述べられているもので、
『家は領主個人の家と、領主として領民に対する全般の当時義務を持つ家との二重構造になっている。古代ギリシャ・ローマ以来の家政とはこのようなもの』だったので『「家政は本来男のものだった」』と。

 保守的思考の持ち主の著者は封建制度は良い制度だと説き、
『神格化された天皇のもとでの明治時代の日本は形の上では近代的な諸制度を身につけては来たが、本質的には絶対王政の社会であったのに、その絶対王政と封建制度を徳川封建制の名のもとにひっくるめて否定しようとしたところに誤解と欺瞞があった。』と。

 家政は家庭内での女の仕事になったのは消費経済に移行したからで、社会生産の場は男の場とあいなったのが原因
・・・これは、前記の本にも書いてました・・・となると『フェミニズム(女権論)が出てくるのは当然』で、家政学には”頭”が無くなり、家庭自体が崩壊寸前の状態になっちゃった。
と。

『「家庭における父親の精神的不在」という危機意識から』
『こうした問題は決して家政学者だけにまかしておけばよいことではなく、家庭の内外の男性が、夫が、積極的に家政に参加しなければならない。』
と。

 はじめは、厳格な明治生まれの頑固親父のように見えるのだけれど、1922年(大正11年)生まれの著者は『女性』創刊・婦人参政権同盟結成・初の女性博士誕生と流れる歴史に染まりながら育ったようで、保守では有るけれど
『古いタイプの家長の権力は十八世紀にはいってもほとんど変わることなく存続していたが、絶対主義国家は家にまで支配の手をのばした。これに対して近世自然法論は家を国家以前にすでにあったものとして国家の手から守ろうとする』と。

 そして、女性蔑視論者ではない著者は男の作られた虚像を返上しろ言い、さすれば厳しいはずの家父長が妻からおだてられたり「良い子いい子」と頭を撫ぜられたりしていた”家父学”の理想関係に戻るんだ!
 残すべきものは、今必要なものは”古いタイプの家政”と説く
。 


 何やら、はじめの思いとは違った方向だった家政学でした。
 結局、まだまだ、ごった煮の学門であり、こちらの知りたい事が系統だっていず、且つ、浅く思えたので、以後手にする気はなかったのですが、二年
程後、書名の面白さに引かれて『男の家政学・・・なぜ<女の家政>になったか』を購入。
 松島千代野さんの高らかな”家政学”とは別にして、著者一流の諧謔として読めば笑え、面白かった。

 もう手を出す事はないと思う”家政学”。


ホンダ1300・クーペ9(後ろ)
31回目は
『身近になったが、身近じゃなくなった』です。


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