ほんなら・・・
  ほんでも・・・


     17回目 
    『樹村みのり』さん。
・・・Y
      ・・・・・2004年 9月 26日・・・・・


 創価学会公式ホームページによると”聖教新聞”を代表とする関連団体直系企業の一つが”潮出版社”で、月刊誌『潮』には、確かに創価学会名誉会長・池田大作氏がよく出ていますし、朝日新聞社や新潮社がよく叩かれてもいます。
 でも、結構”良い本”
(ここで言う”良い”は、世間や、世のエライお人や、おしゃもじ団体等が言う”良書”ではなくて、私好みの”好い本”です)を出版していて、私はウン冊(ウン十冊か?)棚に有ります。
 単行本・文庫本はもちろんの事、漫画本では『虹色のトロツキー
(全8巻)安彦良和著 『ブッダ(全14巻)手塚治虫著 石の花(全6巻)坂口尚著『鏡の国の戦争(1・2)いしいひさいち著 等々です。
 確か、これらは潮出版社の月刊誌『トム』
(『トム プラス』?)に載せられていたと思う。

 次に載せる『悪い子』は、潮出版社が小学館・秋田書店の月刊誌に掲載していた樹村みのりさんの作品と、自社の月刊誌に掲載していた一作品を取りまとめて単行本化したってのが、何となく面白く感じています。
 個人的には、樹村みのりさんにこの経過を聞きたいぐらい・・・です。


『悪い子』 悪い子

樹村みのり 著


潮出版社

1981年8月20日 
初版発行

悪い子
(1980年 プチコミック 8月号 掲載)

 わずかばかり残る畑と町工場が立ち並ぶ下町の新興住宅地。
 身体が弱く内気な小学校三年生一人っ子の志保と自宅で翻訳を生業にしている母親
引っ越している時、近所の一見悪そうな子供達が見ていたので母親が「娘をよろしく」と声をかけた。
 子供達は何やら笑い顔をしていたが、中村のり子と言う名の一番大人びた子が「公園に行くけど、行く?」
 娘がついて行く姿を見て、母親は一応の安心を見た。

 隣家のおばさんは「ここらはガラが悪いので、家の子は遊ばせない」と言うものの、志保は隣家のまりちゃんとよりも子供達と遊ぶのを好んだ。
 だが、それも束の間の事で志保は遊ばなくなった。

 ある日、志保が仲間はずれにされているのを見た母親は「何が理由か知らないが、仲間はずれにするのは卑怯じゃない?」と一喝し、続けてのり子に「一人を除け者にするのは恥ずかしい事よ」と強く言った。
 志保は驚き、母親の手を引いた。

 これで娘が孤立しても仕方がないと思う母親だったが、翌日、のり子が志保を呼びに来て、仲間達と学校へ行くのを見た母親は安堵した。

 のり子は
遊び仲間の中でも身体が大きく、活発な子でどことなくリーダーの雰囲気を持つ子だった。

 四年になって、志保とのり子は同じ学級になり気が合うのか、のり子は一人でも家に遊びに来た。
 家の中での志保は、のり子に指示するほどだった。

 一度家に来た二歳違いののり子の姉は、卒業式の送辞を読むほどの成績優秀で、学芸会ではピアノも弾き、のり子とは違うしっかり者だった。

 飼い犬のシロが子を二匹産んだ。
二人は喜び、それぞれの名前を組み合わせ”ナホ””キーコ”と付けた。

 買い物の途中のり子と出会い、思い荷物を持ってくれたのり子と家に帰った後、庭の草むしりを手伝うのり子を見て母親が
『きちんとした格好をしている子供は それだけでもうおとなに 好印象を与えるものです このどこか 人に対して悪びれたところのない のり子ちゃんも もう少し髪や服をきちんとしたら まわりの人の誤解をもう少しへらせるのにと思い なんだか かわいそうに思いました』

 そのように思ってのり子を気にいっていた母親だったが、日曜日に視てしまった出来事で変わった。
 志保は父親と出かけていたのだが、のり子が遊びにやって来た。
「留守している」「じゃぁ帰る。あっ、キーコ達と遊んでいい?」「いいわよ」
 三時のおやつをと思い、のり子を捜していると「おまえは悪い子だね ほんとうに悪い子だね どうしてこんなに悪い子なんだろう」の声が聞こえ、そこでキーコを投げ、押さえつけるのり子を視た。
 視てはいけないものを視たと思った母親は部屋に戻り、わけが解らず「お気に入りのキーコに・・・なに・・・?・・・なぜ?」と考えるが解らない。

 翌日の朝、家に来た時ののり子は何も変わっていなかった。

 数日後、「のり子が呼んでもキーコが来ない」と言う志保の声が聞こえた。
 キーコを抱くのり子の所に来た母親が言う。
「キーコはまるでのり子ちゃんの事を嫌がっているみたい。苛められたのかしら」
表情を変えたのり子はキーコを離し、変だと思った志保は母親に「どうしたの?」
 のり子が帰り、母親はのり子に裏切られた思いを抱く。

 父兄会で母親は、のり子がかなりの成績だと知り、思ったよりも年配のお母さんと会い、情けない顔で「少し褒めるとイイ気になり手を焼く乱暴で男の子みたいな子なので迷惑かけてるでしょう」と聞かされた。

 仲間達と遊んでいて志保がケガをした。
のり子を見た母親が言う。
「あなたがこんな所に連れ出したのだろう」
驚いたのり子が否定する前に、怒り心頭、冷静さ失った母親が続けて言う。
「見えない所で仔犬をいじめているような悪い子だものね」
 のり子の表情が変わり、母親は冷静さを取り戻し、すべてに腹立たしく思い、そう思う自分自身に腹立たしかった。。

 病院から帰った志保がため息をつきながら母親に「連れてって頼んだのは私で、のり子ちゃんは危ないから止めようって言ったのよ」
 今度、のり子が来たら謝ると志保に言ったものの、口だけの話。
のり子が来る事はなかった。

 その頃、小学四年生の女の子が二年生の女の子をマンションの屋上から突き落とす事件が起こり、加害者の複雑な家庭環境と常から屋上に一人で居たと言う事が気になった。

 
『屋上から落ちてゆく子供は、まるで見ている女の子の日常の不安な心象風景のように思え』『落ちていく子供はつきおとした子供の不安な代役のように思え』『事件は 加害者の子供の いつも自分はこんな気持ちでいるのだ・・・という無言の訴えのようににも思え』『とりかえしようのない悲惨さは どちらにとっても同じ重さのように感じ』と思った時、のり子がキーコをいじめていた姿を思い出した。
 とすれば、あれはのり子の屈折した心が行動に移したものと思え、のり子に対するしこりが消え去って行った。

 町で仲間達と走っているのり子を見て声をかけた母親に、のり子は拒否の表情を見せ走り去った。

 『子供だからそんなに傷つかないと思った?子供だからそのうち忘れると思った?子供だからいつでもこちらのつごうのよい時にとりかえしがきくと思った?』

 母親は回想し考える。
 志保を除け者にした時、のり子は一人で家に来た事は、叱られる事に対して堪えない子だと思っていたと。
 同じ学級になり、志保と友だちになって欲しいと頼んだのは自分だったと。

 その晩、夢を見た。
 子供が落下して行く中、子供の気持ちを考えなかったと気付いた時
「あ・・・この子供はわたしだ』

 のり子達が遊ぶ所に母親は行き、声をかけるが足で地面を力強く踏み続け全身で拒否を示し続ける。
 再度声をかけるとのり子は返事を返した。
 母親はあなたが連れて行ったのではなかったと心から謝罪した。
 泣き始めたのり子に「悪い子ではなく、責任感の強い親切な子」と言うと、ほっとしたのり子は「もうキーコをいじめていない。呼んでも来なくなった時で止めた」
「また家においでね」「うん」

 卒業までの間に2回ほど遊びに来たが、志保とのり子は少し大人びて母親の出入りは禁止となった。

 母親は思う。
『のり子ちゃんの心のひずみはなくなったわけではない けれど結局わたし達はみな それぞれ 自分自身のこころのひずみとひとりで闘っている』




 丁寧に拾いすぎたので、あらすじとは言えそうにないものとなりやした。


 お引越ししてきたひ弱で内気な少女が、根は優しく力持ちの男の子ぽい少女と交友関係を続けるが、内気な少女の母親に入り込んだ男の子ぽい少女
(=乱暴者)の印象は消えるも事なく、娘がケガをすることにより、男の子ぽい少女に強い口調で詰問したものの、実態は娘が男の子ぽい少女が止めにもかかわらずに起った事故だったと、後で娘に聞かされて知る。
 謝罪の機会を逃した夜、子供が子供を突き落したある事件で、突き落とされた被害者の子供は”自分“だと気がつく。
 それは、のり子の痛みは自分の痛みであると・・・。


 最後のページは2コマに分けられ、1コマ目はススキ混じりの小高い丘みたいな所に
『人びとが身近になつかしく感じられるような日には』2コマ目は視野を広げて空を入れ、『高く青い空に浮かぶ 無数のパラシュートが わたしたちを 祝福してくれるように見えたとしても』と、クラゲみたいなパラシュートが数多く描かれてます。
 これが、まったく解らん。
抽象的な表現に弱いのでパラシュートが何を意味するのか、解らん。
 パラシュートは地面に落ちてくるもので浮かび続けてはいない。
パラシュートには何がぶら下げられてるのかな?
善行に導く神とでも言いたいのかなぁ?
 誰か、解る人は教えてください。

 アドレスです。 fuh-yuh@msd.biglobe.ne.jp

 大人の世界での、裏づけのないモノへの妄信。
子供だった頃の自分を忘れた、大人の身勝手と言える子供への認識・対応。
 この二つが結びついた”大人”と接する子供は大変で、ましてやひねくれ者と思われていると認識している子供からすれば、大人に力で、言葉で異を唱え、翻意さす事なんぞ・・・・・。

 子供は過去の出来事を簡単に忘れない。
その事を忘れた大人のちょいとした文言や態度は、元々持つ子供の残虐性を萎縮もさせれば増幅もさせ変形させる。
(もちろん、逆の、褒め言葉もだけれど)

 自分より更なる弱い者への理不尽とも思える虐待は、被虐待者=自分自身であり、この構図は連関系となる。

 母親の秘めた残虐性を「我が子の一大事」とは言え、無意識に行使する際、それが真っ当な事だと思っているが、何の事はなく男の子ぽい少女への虐待そのものであり、その事に気付き自分にも腹立たしく思う母親はエライ!
 でも、得たものは
『みな それぞれ 自分自身のこころのひずみとひとりで闘っている』であり、それ以上ではない。

 思うのですが、ここでの連関の大元、第一儀的には、多分”悪い子”と言う文言を初めて言った男の子ぽい少女の親であるわけですから、余計なお世話だけれども、男の子ぽい少女に残る傷を和らげる為には、一人の大人が理解しただけでは根本的な解決に至らないですね。
(一人でも理解者がいれば、ましと言えなくもないですが・・・)
 
『みな それぞれ 自分自身のこころのひずみとひとりで闘っている』と認識出来ているのなら、もう一歩進みたい。
 そらまぁ〜、他所さんの家に行って「あんたが悪い!あんたの子はほんまは良ぇ子やねんさかい、姉と並べて”悪い子”なんて言うたらあかん!」と言いに行くのは、私にはない蛮勇そのももの度胸がいりまんな。
・・・
(えぇ〜、ここで、事の本質は同じなので、被差別部落や、ブルーシート暮らしをしている人々への襲撃事件等を思い起こす事が出来ます)・・・・
 でも、ここへ進める事も出来なくて、それをも含めて
『みな それぞれ 自分自身のこころのひずみとひとりで闘っている』と言うのかい?

 ”悪い子”の烙印を押された者と同じ立場に立って考えるって、出来そうで出来ないもんですね。
 その”悪い子”って言われている者が、対等関係に立てない者から”悪い子”と言われている場を見るのは、辛い。
 せめて、母親ほどエラクない私としては、この「辛い」って感情だけは最低限いつまでも持ち続けたいものですわ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Kの世界(1980年 コミックトム 11月号 掲載)

 
あのですね、この作品の筋を書くのは、私 結構、辛いです。
ですから、筋抜きにしました。


 ”Kの世界”って、立派な犯罪に入り込んだ中学生の「何で、やったのか」と「やってみて、どうなったか」と・・・・の動機付けから実行、事後の心象風景。


 お手伝いさんのおばさん(きっと、乳母ですね)に「可哀想ですね」と言われて本人が驚くほど、物質的には何不自由なく育ったと思っている、両親多忙につき、一人っ子の我が子と接する時間に乏しい家庭同居人K。


 幼い頃から家での一人遊びが多かった為に、協調性に乏しく、立派な親相手に自分の意見を言うなんて、出来そうで出来ない故に身についた、自分の意見を言わずに波風立たない後意見、御考えの持ち主K。

 自己の存在を確認する行為として、犯罪に手を染める。
実行中の緊張感は「う〜ん、やったぜ!」の気分になるわな。
「俺って、ここに居るもんね」って確認出来るK。

 ”盗人にも三分の理”の意味とは一寸異なるけれど、なんじゃかんじゃと「誰も困る人がいない」って理屈を考えれるほどの頭脳持ちKだから、そら罪の意識なんか「持て」と言う方が無理。

 冷静だと思っていても、さすがに帰宅しての自分を見た乳母には誤魔化せない。
「何ぞ、有りましたんか?顔色 悪おまっせ」

 手に入れた物
(ブツ)に嬉しさを込められない。
やってみて初めて解るつまらなさ。
一応得たモノは「自分の世界は、何も変わらへんわ」のK


 でも、自分で決めて自分でやる!やれた!
「おいらの
身体は、おいらが決めて動かせる」
自信を持っちゃったK。
 それもこれも”犯罪”実行のおかげ。

 でもね、”尊敬”する同級生の女の子にばれていて
『あなた きのう本屋さんで本を盗んだわね』『わたし あなたが そんなことをする人だなんて思わなかった』と、面と向かって言われたので、何でも出来る気分の世界はすっ飛んだK。




 少年K
少年法により”K”。

”万引き”
「万引き」という言葉が使われてるが、店舗の商品を銭を払わず盗ると
言う行為であり、刑法の”窃盗”罪。
 窃盗罪とは「他人の財物を窃取する」事であり、成人の場合、刑法第235条により10年 以下の懲役に処せられる。
 特に、「買物客として商品の物色を装い、店員等のすきをみて商品を窃
取する」手口を言う。
(窃盗 刑法第235条 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし10年以下の懲役に処する)

 こんなにもご立派な”犯罪”だからこそ、事前に下見をし計画を立て実行に移す前のk君は「これにて一件落着」は「おいらの存在証明を得た気分になれる」って気がしたんだろうし、犯罪遂行後もその気分になれたんだろうけれど、如何せん、犯罪実行に対する対価=おいらの世界が変革し充実する程のものにはならなかった。
 その上、計画遂行後の出来事で、ど壷にはまったのは作者好みの「神はすべてを見てなさる」か?

 家庭での愛情不足が、少年を犯罪に結びつける?
戦後の貧しい頃なら、家が貧乏(+愛情不足)なので、虞犯少年が多かった、なら解りもするが・・・。
 万引きの動機は「ムシャクシャして」「何となく」「仲間で流行しているから」「ゲーム感覚」「欲しいけど、お金がなかった」「商品を換金し、小遣い銭稼ぎ」「友達から注文を取って、売る」等々が昨今らしいけれど、まぁ1980年でも2004年の今でも、中にはK君のように尊敬している級友の女生徒から
『ほんとうは 何を考えている人かしら』と言われたのがきっかけと言う者もいるだろう。


 2コマ、父親が登場する。発言は「おはよう」のみ。
インテリぽい?エリート・サラリーマンぽい?眼鏡をかけた渋めの男なり。
 設定が、貧しくなく
・・・(シャンデリアのある部屋ですぞ)・・・教育熱心のご両親となると、この顔になるか。
 眼鏡が何処となく知的人間に見えるのはワンパターンで、奥さんも眼鏡持ちには、笑う。

 そう貧しくはなかったし、本も言えばいくらでも買ってもくれた親父だけれど、どてら姿の禿げ頭じゃ、1コマでも登場させてもらえなかっただろうな。


 K君が
『ぼくはひそかに』『尊敬していた』正義感・責任感の強い学級委員(長?)の女子生徒に、一言いいたい。
 店内で見たK君の行為を、翌日帰宅の途中
『わたし あなたが そんなことをする人だなんて思わなかった』って言う事はないでしょう。
 店内に他の女生徒達と居たので、K君の事を思い声をかけれなかったから、翌日になった・・・と言う事は優しさではない。
 実行を事前に止める事は出来るわけがないけれど、店外で他の女生徒達と別れた後にK君を捕まえて、本をばれずに戻すなり
(これは、本当は良くありませんがね)お金を払いに行き謝罪する方向にすべきじゃないのか。
 百歩譲って・・・・翌日に言う事は「今からでも遅くはないので、盗った本を持って本屋に行きましょう」ではないのかね?
 まぁ、k君に人を見る目がなかったって事になるか。


 それはそうと、本屋で本を万引きするって発想を描写するのは「お菓子屋さんでガムを」「文房具屋さんで万年筆を」等と異なり、かなり作者が持つ内面を写しているようで・・・
と書くのは・・・書きすぎか。


「今は廃業した本屋さんで、その昔、お堅い目の角川文庫本は読む気もなかったのに・・・何した。その上、今じゃ、本屋で店番している。
ついでに書けば、生後一年も満たない頃から忙しすぎる実母に成り代わって”お手伝いさん”に育ててもらった」 阿呆坊


          あざみのエピタフ をどうぞ。
                 
06・05・14追記


 脱線しますけれど・・・。
海辺のカイン
前ページ参照でも「?」だったのですが、違和感を覚えたのは”尊敬”。

海辺のカイン』では、森は佐野を

『わたしは彼女の生き方や彼女のジョークが好きで判断のしかたを尊敬している 好きだということは別におかしなことではない』
『彼女は自分の感情に正直な人 そして頭がよくて やさしくて少しも飾らない』
『わたしは彼女が好き』
と。
 この『Kの世界』では、学級委員長らしき女性に
『瀬里沢京子は一年の時から同じクラスだった ぼくはひそかに彼女を尊敬していた』と。

 ひねくれていたのか、小・中・高等学校なんぞで「尊敬する人」なんてのを教師が聞いたりした時、適当に無難な父親・母親や偉人伝になるぐらいのえらい人を並べていたけれど、親は尊敬するには身近で軽すぎて、偉人伝の人物は会ってもいないので、尊敬も糞も実は何もなかった。

 ”好き”の感情は、自分自身よりもその人が上だろうと下だろうと持てるモノなので「このエライ人に会った事はないけれど、好きか嫌いかと問われれば、スキになる」
 ”尊敬”ともなると、明らかに自分は同列に並べる者ではなく「負けそぉ〜」どころか「何処ぞの知らん世界にいるお人」としか思えず。
 つまり気楽に使えるコトバでなく・・・。

 逆に、もし使うのなら、私が見知りえる範囲において、日々の暮らしを糞つく位真面目にやっさもっさしているすべての人(ここでは、まぁ親も含めるか)を”尊敬”すると言う。
 三軒隣の小母ちゃんもだし、湯河原に居るHさんも、東京在住のあいつもそこかしこに・・・。
”尊敬”の大安売りだ。
 そこには「嫌い」の感情の方が大きい人もいる。

 ”尊敬”と”好き”をほとんど同列にとらえていた三十歳前後の樹村みのりさんと違い、今だ”尊敬”に値する人には会った事もないし、書物等で識る人物とて確証は持てず・・・。
 でも、嫌いな面を多く持ちながらも、それも含めて”好き”な人は多い。
         
             下らん事書いて、すんません。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

晴れの日雨の日曇りの日(1978年 別冊少女コミック 8月号 掲載)

 夏休み、見慣れた町なのに気付かなかった空き地が有った。
翌日行ってみると同じ小学校で同学年の少女尚美がいた。
 
 二人の秘密広場になった空き地で遊ぶうち、少女の足が少し不自由なのを知った元気いっぱいのさと子は、気遣って走るのをゆるめた。
 尚美の気遣いは、さと子の上を行くもので「気にしないで速く走って、速く走れる人を見るのが好き」だった。
 
 雨の日、広場に溜まる水を見て、自分達が立つ所は島のようだと思った。
 尚美の
『時どき一人で無人島みたいなところに行きたいって思うことがあるわ だれもいないところへいきたいわ 学校も家の人も呼びに来ないところ』に、さと子は寂しくなり、自分は尚美といる事は楽しい事なのに、尚美にとっては楽しい事ではない、と考えた事はなかったと知る。


 向かいの小母さんが洗濯をしている時、小母さんを写生した。
その小母さんが亡くなった。
 絵の中では、いつまでも洗濯をしている小母さんいる。


 夏休みが終わった新学期、ある日から尚美が広場に来なくなった。
尚美のいる学級に行った。
「病気なの?」
「知らない。よく休む人よ。連絡帳を持って家に行くと全然 病気じゃない。嘘つきで、ズルするけれど、足が悪いので、強く言えない」

 広場に尚美が来た。
聞くと、風邪だったと言う。
さと子は思う「何故、知らない人の言う事を信じたのだろう。尚美の言う事が嘘で、あの子達が正しくても、尚美には言えない理由がある。それならそれで良いのだ」


 秋の運動会。
さと子の胸には入賞のリボンが一杯。
 してはいないのに、みんなの視線を気にして、身体が固くなる。


 幼い頃、身体の小さいさと子は近所のみんなと遊べず、仲間はずれと思った。
 一人遊びを覚えるうちに大きくなり、みんなの中で遊べるかも知れないと思え、飛び込んでみると思うよりも容易く楽しく遊べ、一人一人の違いを見つける。


 石蹴り遊びに尚美をさそう。
 みんなが「さと子が連れてきたので断れなかった」「今度はさと子さんだけ」等と言っている所に尚美が戻ってきた。
「今度は見ているので、みんなでやって」と言う尚美に「遅かったので心配してたのよ」と、いけしゃしゃの子供達。
 さと子は「やめる」と言い、つられてみんなも「やめるわ」
 尚美が、歩き出していたさと子の手を取り
『やめなくても良かったのに。さとこちゃんは』
 みんなの声が聞こえていたはずなのに、表情に出さない尚美の本心が解らない。

 広場を走る尚美が言う。
「ここなら、みんなよりも速く走れると思う」
 足の事を気にしていたんだと知ったさと子は、自分を
『バカみたい わたし』とせめる。


 深夜、雨の中で言い争っている声が聞こえ、覗いて見ると近所の母娘だった。
 翌日見た二人は、いつもと変わらない。


『わからないことは たくさんたくさん あるのでした そしてわたしは わかろうとしなかった自分に腹をたてていたのでした』


 食卓で、兄が母の黙示の御命令に従い、ご機嫌が悪いさと子に声をかけた。
「お前とよく遊んでいる子、ほら、足の悪い子」
 さと子はぶち切れた。
「みんな良く分かりもしないのに、尚美ちゃんの事、悪く言う子はみんな嫌いだ!」
 泣きじゃくるさと子を母が抱きながら言う。
「その友だちをとても好きなのね。大丈夫、さと子が心配するより、きっと、もっと強い子よ」



 冬休みに引っ越す事に決まったが、自分の口から言えない間に尚美の方から「引っ越しするのね。いつ頃」と聞かれ、「家の人は引っ越しても、私はしなくて此処に居る」と、初めて嘘をついてしまい、自責の念に取り囲まれるさと子。

 引っ越しに合わさったように広場がなくなり、引っ越し当日
で本当の事が言えないさと子。
 尚美が会いに来た。
「手伝っているだけ」だとか言うものの、車に乗らなければならない時が来た。

 ウソをついた事で泣いて謝るさと子に
知っていたので、ウソをついた事にならないわ」と尚美。

 広場の思い出を集めた押し花帳を尚美から贈られ、さと子を乗せた車は走り去る。




 足が悪いが故に、他者への気遣いを早くに身につけた尚美と、尚美によりそんな方法が有ると知ったさと子の、良い意味での成長物語?



 俗に言う「ホンネとタテマエ」「物言えば唇寒し秋の空」「嘘も方便」はたまた「嘘つきは三文の得」「これで安心、早めの腹芸修得」「二枚舌、もう一枚は不必要」「心頭を滅却すれば虚も亦実」「心得よ、いい子いい子はどうでもいい子」「気遣いの瞬間芸」「狸見ておのれの卑小さうな垂れる獏」「気遣い上手は揉み手上手」「虚言礼賛」・・・。
 こんなの書いてても、尚美ちゃんは阿呆坊に「知っていたので、嘘をついた事にならないわ」って言ってくれるだろうか?
 さと子ちゃんはどうだろうか?
 作者の樹村みのりさんは?
 今、これを読んだ貴方は?
 


 くったらくたら書いていたら、長くなりました。
単行本『悪い子』には、あと『犬・けん・ケン物語』@ABが載せられているのですが、次回にします。


ホンダ1300・クーペ9(後ろ)
18回目も、 
『樹村みのり』さん
・・・Z  
です。


HONDA1300イクーペ9でに乗って・・・掲示板へ。
 この車に乗って往き、
”本”の事でも、
”わんこ”の事でも、
何でも書いて
(掲示板)おくんなはれ。


ホンダ1300クーペ9の郵便車。
「お手紙は、この”HONDA1300クーペ9”で運びます」


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文責は当HP管理者に有ります。