ほんなら・・・
ほんでも・・・


6回目 『浅川マキ』さん。 
・・・・・2004年 7月 11日・・・・・


 『1942年1月29日生まれ。本名 森本悦子。石川県出身。
1961(昭36)年、法律の勉強のため上京。68年、寺山修司作「千一夜物語」に歌手として出演した頃から注目を集める。同年、新宿・蠍座で自作の「夜が明けたら」をリサイタルで発表。この歌はその後ひそかにヒット。72年に発表した「かもめ」と共に、かの女の代表的な歌といわれる。もっとも、本人はそうしたイメージをこわそうと、ジャズからロックまで、幅広いジャンルの人たちと共演し、アルバムを作り、独特の世界を生み出している。また、短編小説「幻の男たち」がある。』
                                        ・・・田川律 著
       ・・・『現代日本 朝日人物事典』 1990年12月10日発行より・・・


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 20代半ばの1976〜8年頃、熱海市伊豆山に居た。
「今度、日比谷野音で山下洋輔トリオが来る。行かないか?淺川マキと誰某
(忘れた)も来るらしいけど・・・」と同僚が言った。
 山下洋輔さんと誰某は聴きたいと思った。

 山下洋輔さんのピアノよりも、坂田明さんのアルト・サックスが臓腑に入り込んだ。
 浅川マキさんが私の身体の中に陷ちて行った。

 翌日、都内在住の友人に「浅川マキさんのLPを全部買ってきて、録音してくれ」と頼んだ。
 数日後、『浅川マキの世界』『浅川マキU』『MAKI LIVE』『ブルー・スピリット・ブルース』『裏窓』『MAKI Y』この六枚だったか
(『灯ともし頃』『流れを渡る』までの八枚だったかも?)のLPを録音したテープが伊豆山に届いた。
 その後、これらのLPは保存用に一枚づつ買い増しされ、以後もCDに変わるまで新譜LPは二枚づつ買った。 


『淺川マキの世界』 浅川マキの
世界 


新譜ジャーナル別冊 

自由国民社

1972年2月15日 発行

(註・1)
 伊豆山から月に2〜3回上京し、時折、神田神保町の古書街を歩き廻った。
浅川マキの世界』も探したが見付らなかった。
 数年前、PCを買ってから時折”日本の古本屋”を覗いていた。
昨年に、ようやく見つけ、手に入れた。

 雑誌としては長い対談で、野坂昭如さんはTV朝生で見せるただの酔っ払いおじさんにあらず、執拗に、鋭く切り込む。
 いや、歌い手のマキさんにやっかみを覚えているだけか?

 ここに掲載されている歌は、LP四枚目ぐらいまでだと思う。
 それはちょうど、2年半近く仕事場の地下電気・機械室はもとより、仕事が終わり
(と言っても仕事らしい仕事はないので、ひたすら本を読んでいたのだが)敷地内に有った会社借り上げの旧官舎に戻っても、大きめの弁当箱ぐらいのカセットレコーダーで流し続けたテープの曲かなりが入っている。


     「夜が明けたら」  詩・曲 浅川マキ

     夜が明けたら  一番早い汽車に乗るから
     切符を用意いてちょうだい
     私のために一枚でいいからさ
     今夜でこの街とはさよならね
     わりといい街だったけどね

     夜が明けたら  一番早い汽車に乗って
     いつかうわさに聞いたあの街へ
     あの街へ行くのよ
     いい人が出来るかもしれないし
     ン〜あの街に行くのよ

     夜が明けたら  一番早い汽車に乗るわ
     みんなが私に云うの
     そろそろ落着きなってね
     だけどだけども人生は長いじゃない
     そう あの街はきっといいよ

     夜が明けたら  一番早い汽車に乗るから
     切符を用意いてちょうだい
     本当本当よお  一枚でいいのよ
     いつだって身軽なあたしじゃない
     そう乗るのよ


『青春遊泳ノート』 青春遊泳ノート

浅川マキ 著
竹中労 著
石堂淑朗 著
嵐山光三郎 著
唐十郎 著
深沢七郎 著

双葉社

1973年6月15日 
初版発行
 日比谷野音以後、それほど多くはないが、浅川マキさんのコンサートに行くようになった。註・2
 その頃、浅川マキさんのバックには、素朴なフレーズをくり返し弾いていたギターの萩原信義さんが必ずいた。
(その後、浅川マキさんが「北陸の貴公子」とかの紹介でロック・バンド”めんたんぴん”の飛田一男さんが弾いたりしていた)

 この本で、モダンジャズの今田勝さんと、ロック出の若い萩原信義さんとの真剣な”音”のぶつかり合いを知った。

『一ッ橋大学の兼松講堂でのコンサートの時だった。
 今ちゃんは憤然として舞台を降りて来た。
「マキが萩原君のがブルースだと言うのなら、おれのブルースとは違う」
 そう言うのである。
 萩原がフレーズを弾く、今ちゃんがうなりながらピアノを押さえる、ぶつかる。そんなふうにして暮れになってしまった。』


 学園祭の秋から年が明けた一月の末、ついに萩原は新潟の公演で立ち往生となってしまう。
 帰路、夜汽車の中で、


『「今田さん」萩原も今ちゃんもこんなにまっすぐ見合ったのははじめてだったろう。「今田さん、おれ、イモですか」「・・・イモだよ」これまでの重い雰囲気が飛んだ。今田トリオと萩原とわたしと今田トリオのぼうやの六人は一瞬息を呑んだ。』
                                 『あの娘がくれたブルース』より。

   
「あの娘がくれたブルース」  詞・曲 浅川マキ

      暗い港に来て見れば  潮の匂いと外国船
      聞いてくれるなわたしの話を  今更出番がないものを
      影とふたりで今日迄来たが  遠くの灯りも又消えりゃ
      弱いおいらに戻ってしまう
      あぁ昔を想うじゃないが  あの娘がくれたブルースよ

      うたを唄おうか  口笛吹こうか  酔って今夜も何処へ行く
      雨になるのか南の風が  なんで今更あんたの暖(ぬく)み 
      影とふたりで今日迄来たが  遠い霧笛を背中に聞いて
      弱いおいらに戻ってしまう
      あぁ昔を想うじゃないが  あの娘がくれたブルースよ

      昨日拾った手紙のなかに  あのふるさとの秋の色
      何の未練もない筈なのに  わたしのこころに船が着く
      影とふたりで今日迄来たが  港灯りに夾竹桃が・・・・
      弱いおいらに戻ってしまう
      あぁ昔を想うじゃないが  あの娘がくれたブルースよ              


『五木寛之対話集・2・・・午前零時の男と女』 五木寛之対話集・2
・・・午前零時の男と女』
            (註・3)
五木寛之 著

永六輔・岩下志麻・篠山紀信
麻生れい子・山下勇三・堤玲子
永末十四雄・橋本隆・植草甚一
北山修・浅川マキ・犬養道子
矢崎泰久・若林美宏・今野勉

角川書店(文庫)

1974年6月10日 
初版発行
 五木  いま、あなたがうたっている歌の中で、自分が一番好きな歌というと
      何ですか。

 浅川  そうですね・・・一番新しく書いたっていうか・・・。こんどうたう歌です
      ね。

 五木  それはいい。今までのレパートリーの中であれとかこれとかという
      より、こんどの歌っていうのは面白い。

 浅川   こんどは、タイトルが「少年」っていうんです。・・・(略す)・・・
                  ・
                  ・
                 (略す)
                  ・
                  ・
 五木  だからいつも、ある時期、淺川マキと聴衆とがすれ違うわけで
     あって、「違うんだな」ということをいわれることは、すごくいいこ
     とだと思うんですけどね。・・・(略す)・・・それは水の流れみた
     いなもので、それがどっちか止まっちゃうと、水はよどんじゃうし、
     よどんだ水ってのは腐った水になっちゃうしさ。

                    
『たとえ5人の聴衆のためでも』より。

 多分、1977年か78年、池袋・文芸座のオールナイト・コンサートで、私達が座った席の横通路を挟んだ席で、萩原信義さんにそっくりな男が一升瓶を抱え持ちながらステージを視ていた。
 あの男は萩原信義さんに間違いなかったと思っている。
 ただ、萩原信義さんがこのコンサートに出ていなかったのは、淺川マキさんとの”音”のぶつかりあいの結果だと思う。
 このコンサートではトランペットの近藤等則さんが出てきたと憶う。
 長く続いたいわゆるノブとマキの「腐った夫婦」の関係
(前のコンサートでの浅川マキさんの発言)が終わりを告げたのは本当だった。


     
「あなたに」

     
どうして  別れたのと  聞くのなら
      日が過つにつれ  何も言えなくなっていく
      あなたは  暇になったよ 
      そう言って笑った
      もうすぐ春が来ても  独り暮らしは続く
      私のことではなくて  あなたのことでしょうか


『幻の男たち』 幻の男たち

浅川マキ 著

講談社 

1985年6月25日 
初版発行
 小説とは呼べない”小説”だが、コンサートで視る浅川マキさんを彷彿させる文章。

 LPのジャケットに挟み込まれている歌詞カードに載せられている淺川マキさんの文章以外で、私が初めて眼にしたものは雑誌『展望』に載せられていたものだったと想う。味のある文だった。 
註・4
 『幻の男たち』が出ると知った時、すぐに予約を版元に入れた。

 萩原信義さんはこの本のどの短編にも登場しない。
名前すら出てこない。

 『灯ともし頃』には、構成・作家の室井昇さんが。

 『にぎわい』には、俳優の原田芳雄さんが。
  (文芸座の夏か年末かのオールナイト公演で「りんご追分」を絶唱した)

 『向こう側の憂鬱』には、サックスの本多俊之さんが。
  (坂田明さんのサックスに比して、都会的な明るさを感じた)

 『プロデューサー』には、プロデューサーの寺本幸司さんが。

 『部屋』には、トランペットの近藤等則さんが。
  (彼の突然の即興演奏で会場に来ていた聴衆者が怒り出した事がある。
  『小さな和太鼓・玩具など』を使った『創り出す変則的なリズムは鋭くて、
   わたしのうたを破壊している。』
・・・『部屋』より抜粋
   懐かしの”マキ節”を聴きに来た者からすれば、戸惑いから怒りに転ず
   るのは解るが・・・)


 『埠頭にて』には、吉田拓郎さんが。

 『デュオ』には、渋谷毅さんが。
  (山下洋輔さんのピアノはそれほどにも好きになれなかった。渋谷毅さんを
   初めて聴いた時「こんなにやわらかいのに、鋭く這入り込む音色を出すな
   んて!」そう想った)


 『暗い目をした女優』には・・・。
(註・5)


 
    「夕凪のとき」・・・LP『灯ともし頃』より

   
今はちょうど  夕凪のとき
     風も止まって  ほんのひと時  汗ばんでいる
     すっかり暗くなれば  外灯は星に向かって輝いて行く
     だが今は  夕凪のとき
     季節の変わり目には  窓をあけて  夜の匂いを待つ
     私の好きな  灯ともし頃は  寂しい時だろか

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
本に付録として挟み込まれている、柄谷行人さんと淺川マキさんの対談『「幻の男たち」について』は、個人的に友人のパン屋さんの剛君から聞いている柄谷さんの性格が良く出ていて「さもありなん」と言う気がする。(パン屋さんは「地域通貨」の関係で、柄谷さんと少々論争したらしい)
 剛君から視た柄谷氏は「まぁ、賢いのかも知れないけれど、ただの自分勝手の子供じみたおっさん」との事。

 良く言えば”知性”対”感性”なのだろうけれど、柄谷さんの「僕、賢いのよねぇ〜」に対する浅川マキ。
 おっさんと、浅川マキさんとの対談が噛合うわけがない。
 編集者が、編集者自身をも含めて救いの手を入れる。
『生理として柄谷さんの本がわかるというのはおもしろいですね。今回これを書かれていて、やっぱり生理として書かれている部分が非常にありますから、文章についてそういうのは意識的じゃなくて、しかし結果としては・・・(略す)・・・私が”群像”編集部にいるときエッセイをお願いして、そのときにとってもちゃんとできていたものですから、・・・(略す)』   


『Jazz Life・・・淺川マキの闇』 Jazz Life』 
9月号
特集・・・・・・・
「淺川マキの闇」

立東社

1995年9月1日 
発行
 浅川マキさんはかって”アングラの女王”とか”ネクラ”と必ずと言ってよいほど付けられていた。
そして”闇”。
 私には彼女がそのようには視えない。
 (色としての”黒”ならば、確かに舞台衣装は”黒”だけれど・・・)
言葉の持つ印象からすればそう取れなくもないが、それは表面的なものに思える。

 彼女自信に暗さを感じた事はない。
 今も言っているのかどうか知らないが、舞台に出てきて言う「良く来たわねぇ〜」その後に続く語りの巧さ。間の取り方。
 これだけを見ても、根はお茶目な明るい人だと思う。

 アングラは寺山修司さんだから仕方ないにしても、ネクラは論外でしょうよ。
 ただ、”闇”が空間・世界を意味するのなら、共演者さん達を漆黒の闇で包み込む浅川マキさんが視える。

 闇の中で共演者さん達はぶつかり合う。
真崎守さんの作品名で言えば『共犯幻想』ってことか?
 この時、同じ闇に入り込めた聞き手は浮游感覚になる。
歌は子守唄に聴こえる。


   
「少年」         詞・曲 浅川マキ

     夕暮れの風がほほを撫でる  いつもの店に行くのさ 
     仲のいい友達も少しは出来て  そう捨てたもんじゃない

     さして大きな出来事もなく  あのひとはいつだってやさしいよ
     何処で暮らしても同じだろうと  わたしは想っているのさ

     なのにどうしてか知らない  こんなに切なくなって
     町で一番高い丘に駆けてくころは  ほんとに泣きたいぐらいだよ

     真っ赤な夕日に船が出て行く  わたしの心に何がある


『こんな風に過ぎて行くのなら』 こんな風に過ぎて
行くのなら


浅川マキ 著

石風社 

2003年7月15日 
初版発行

 ここに載せられている『ビリーなら今頃どっかの港町』『あの娘がくれたブルース』『暗い目をした女優』は上記の雑誌・本と、重複する。

 
30年、自分を崩さず、時代に流されず、多くの共演者と”音”を作り (マキさん曰く最高の贅沢良くぞ良くぞ・・・そう思う。
 願わくば、このままいつまでも、私の中でのとっておきの”美人”でいておくれ。


   
「こんな風に過ぎて行くのなら」  詞・曲 浅川マキ

     こんな風に過ぎて行くのなら
     いつか  又  何処かで  なにかに出逢うだろう
     あんたは去ってしまうし 
     あの娘も  あっさり結婚
     今夜程  淋しい夜はない
     きっと今夜は世界中が雨だろう

     こんな風に過ぎて行くのなら
     いつか  又  何処かで  なにかに出逢うだろう
     子供達が  駆けてく道を
     何気なく  振り返えれば
     長い長い  わたしの影法師
     そうよ今夜もやるせない夜の幕が開く

     こんな風に過ぎて行くのなら
     いつか  又  何処かで  なにかに出逢うだろう
     なにもかも隠してくれる
     夜のとばりをくぐり抜ければ
     今夜程  淋しい夜はない
     きっと今夜は世界中が雨だろう


『ジャズ西遊記』 ジャズ西遊記

坂田 明 著

晶文社

1972年2月20日 
初版発行
 坂田明さんが吹くアルト・サックスを聴いていると、楽器ではなく彼自身の音(肉声)に思える。

 計算された即興演奏
(これは、変か)にすら思える彼の音のように、彼の文章も・・・・。
 この本には浅川マキさんは出て来ない。


 山下洋輔さんの確か『ピアニストを笑え
(晶文社刊)には出て来たように思うが、処分したので確認出来ない。


 「
あなたなしで」  日本語詞 浅川マキ  曲 E.Williams

     川を下って行くあの船のように
     ゆらゆら揺れながら流れて行こう

     あぁやるせなく愛しく

     変わることのない おいらのこの暮らしは
     明日も同じように続いて行くのだろう

     あぁあなたなしでいくさ

     町に出て女を追いかける暮らしに
     とても勝目はないさ
     なにも変わりはしない

     あぁ一日は長い

     煙草は五箱で今日も吸ってしまうし
     片手にはコップ酒
     いつも離(は)なしはしないさ

     あぁやるせなく愛しく


『ああ良心様、ポン』 ああ良心様、ポン

明田川荘之 著

情報センター出版局

1981年7月7日 
初版発行
 アケタの店で、浅川マキさんが1ヶ月歌うと知り、その始めと、中間と、終わりの3回、遙々、伊豆山から行った。

 1回目、萩原信義さんがいたと想う。
もう一人ゲストは誰だったのか覚えていないが、ドラムだったような気がする。

 2回目、萩原信義さんはいなかった。
ゲストは渋谷毅さんだった。
 演奏が始まり、マキさんが唄い出したのだが噛み合わない!
何が有るのか知らないが、聞き手にそれが解かるほど二人ともぶつからないのだ。
世界を、空間を、作り出せないのだった。

 終了した時、眼の前でピアノに寄りかかっていた渋谷毅さんに私は言った。
「学芸会みたいでしたね」と。
渋谷毅さんはうなだれていた。
 浅川マキさんのライブで唯一視た聴いた、明らかなペケポン・ライブ

(と私には思えた)
だった。
それは逆の意味で貴重なライブでもあったんだけれど・・・。

 3回目、勿論、萩原信義さんはいなかった。
ゲストは川端民生さんだったと思う。
 とここまで書いて、川端民生さんが1回目だったかなぁ?とぐらついた。
 ウッド・ベースのみのバックで、マキさんが唄う。
完成された”音”のように聴こえた覚えがある。
 川端民生さんは元々、エレキ・ベース出なのに、いつのコンサートでもウッドを弾いていた。
(エレキ・ベースを弾いたのは1回ぐらいのように思う)
その姿は後光が差していたように視えた。
 昨年だったか、訃報の記事を新聞で読んだ日、仕事になれへんかった。


    
「別れ」    詞・曲 浅川マキ

       疲れきった  このからだ
       でもまだ暖もりはあるさ
       もうすぐ  朝陽は昇るだろう
       何ひとつ  変わっちやいない
       また  ひとつ  星が消えて行く

       去って行く  その背中に
       でもまだ暖もりはあるさ
       今わたしが  声をかけたなら
       あなたはきっと  振り返るだろに
       また  ひとつ  星が消えて行く

       少しばかり  時が過てば
       誰もが  わたしの事など忘れるだろう
       遠いところで  呼んでるような
       そんな気さえするのだが
       また  ひとつ  星が消えて行く


『奇妙な果実・・・ビリー・ホリディ自伝』 奇妙な果実
・・・ビリー・ホリディ自伝』

ビリー・ホリディ 著

油井正一 訳
大橋巨泉 訳

晶文社

1971年2月27日 
初版発行
  浅川マキさんは”ビリー・ホリデー”をよく言う。
マヘリア・ジャクソンの事を言っていたのも聞いたが、圧倒的にビリーだ。
 『奇妙な果実』を読んでも、ビリーの何処がマキさんを引きつけるのか分からない。
 『こんな風に過ぎて行くのなら』に『ビリーなら今頃どっかの港町』を書いているので読み返してみたが、分からない。

 ただ、浅川マキさんのおかげで、ビリー・ホリデーのLPを数枚聴いた限りでは、
(ビリーのみならず、マヘリア・ジャクソンやダミアも買うはめに)アドリブ的な唄い、彼女独自の唄い、”音”に対する貪欲なほどの感性が、マキさんと通じるように思う。
 でも、これって、マキさんがビリーに引かれる意味にはならないねぇ。
単純に「生理的に通じるものがある」ってマキさんは感じたって事か。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 伊豆山を辞め、花のお江戸暮らしに戻り、半年程し、”気魄龍”と名づけられた友人の車を借りて、お江戸を出、美川町で夜明けを迎え、海岸で半日ポケーとし、大阪に帰った。


   「ガソリン・アレイ」 日本語詞 浅川マキ
               Rod Stewart-Ron Wood

      何もかもが 
      うまく行かなくてさ
      毎日  毎日が
      これじゃおいらが
      生きてる事さえ
      無駄な気がしてきた

      帰えろう
      おいらが生まれた  あのガソリン・アレイへ
      帰えろう
      細い路地の あのガソリン・アレイへ

      何気なく見りゃ街並みさえも
      泣いてるみたいだが
      この街を離れて行く事は
      間違いかも知れない
      だけど  わかって欲しいんだ
      おいらは決めたのさ

      帰えろう
      おいらが生まれた  あのガソリン・アレイへ
      帰えろう
      細い路地の  あのガソリン・アレイへ



  ここで、Rod Stewartが唄っていたのを、もう一つ。


   
「それは スポット・ライトではない」  日本語詞 浅川マキ
                             B.Goldberg-G.Goffin

     もしも  光が  またおいらに
     当たるなら  それを  どんなに  待ってるさ

     ずっと以前(まえ)のことだけれど
     その光に気付いていたのだが
     逃(の)がしただけさ

     だけど  ふたたび  いつの日にか
     あの光が  おいらを照らすだろう

     あの光  そいつは
     古びた町の  ガス燈でもなく
     月灯りでもない
     スポット・ライトでなく
     ローソクの灯じゃない
     まして太陽の光じゃないさ

     あの光  そいつは
     あんたの目に
     いつか輝いていたものさ

     また  おいら  いつか
     感じるだろうか
     あんたは何を  知ってるだろうか


  私の知る限りでは、ロッドさん以外にも、キム・カーンさん、大上瑠璃子さん、金子マリさんが唄っている。
 キムさんは、静かに。
 大上さんは、身体同様にパワフルに。
 金子さんは、やはりバタ臭く。
 もちろん、聴いていて浮游感覚になるのは、浅川マキさんとつのだひろさんのコンビ。
 



 浅川マキさんへ

 齢、六十を越えた体力ではしんどいかも知れへんけど、また当地で、出来れば近鉄アート館みたいな所ではなくて、もう少し身に合った所で(?)ライブを、お願いね。


 おまけです。
http://www.youtube.com/watch?v=af7LkFp6NnM

             追記。
     
  
    ”2ちゃんねる”を一部削除して転載。
 (527・530は、阿呆坊です)
526 :いつか名無しさんが:2005/10/21(金) 23:54:44
今、梅田のraindogsから帰ってきました。
マキさん最高やったで!!

527 :いつか名無しさんが:2005/10/22(土) 07:38:09
行きたくても行けないので、うらやましい。
もうチョイ、仔細に書いておくれ。

528 :いつか名無しさんが:2005/10/22(土) 09:50:22
>>526
俺も行ってたよ。会ってたかも知れないな。

浅川マキ(Vo) セシル・モンロー(ds)のみ。
セシルのパワフルなドラムの隙間から、
マキさんの呪詛のようなヴォーカルが押し寄せてくる。
なんか完全に気圧されました。
思ったよりすっとお元気でした。
曲は色々ありすぎて憶えていないけど、
セントジェームス病院を聴けて良かった

小屋は小さいけど三日ともフルハウス。
若い客も多くて、良い感じで盛り上がりました。

529 :いつか名無しさんが:2005/10/23(日) 00:23:25
最終日夜の部、観てきました。登場した途端、会場は笑いに
包まれ、マキさん一言
「立ってるだけで笑いが起こるなんてすごい存在感でしょ」
最後の曲が終わりステージを降りようとする時、ファンから花
束を贈られ 「スターみたい」
そしておまけにもう一曲。なんか良かったなあ。無理してで
も行ってよかったよ。

530 :いつか名無しさんが:2005/10/24(月) 07:56:29
528さん。
529さん。
う〜、情景が浮かんできそうです。
ありがとうございます。

最後に視た聞いたのは、近鉄アート館。
その前は島之内教会。
先日の毎日新聞によると「と〜ぶん、大阪では行わない」
やっぱり、無理してでも行くべきでした。

531 :いつか名無しさんが:2005/10/24(月) 23:58:30
>>530
島之内教会!!
内田勘太郎がギターで付き合ってて、
木村が途中から乱入して盛り上がりまくって、
浅川マキが苦笑してた、あの時ですか?
もう何年になるんでしょう。

今回は21日金曜のを見に行きました。
印象に残ったのは、
山下洋輔トリオとやったアルバムから2曲、
やっぱりセントジェームス病院、
summertimeやるとは思わなかったし、
夜が明けたらも、、、

会場で売っていたDVDのジャケット写真を見て、
うーむとうなったのは、私だけですか?
ちょっと怖かったけど、良いステージでした。
淺川マキ・2005 大阪・梅田RAIN DOGS


ホンダ1300・クーペ9(後ろ)
7回目は、『欲しい物は、手に入れる・・お上編』です。


HONDA1300イクーペ9でに乗って・・・掲示板へ。
 この車に乗って往き、
”本”の事でも、
”わんこ”の事でも、
何でも書いて
(掲示板)おくんなはれ。


ホンダ1300クーペ9の郵便車。
「お手紙は、この”HONDA1300クーペ9”で運びます」


アイコン・阿呆坊。 全面ページで見ています方に。
左の画像をクリックしますと
「表紙」へ行きます。

文責は当HP管理者に有ります。



   『夜が明けたら』『かもめ』
    シングル版のジャケット
      (東芝EMI株式会社)

               (戻る)

(註・1)

 この雑誌には、真崎守さんの『25時63分』が載せられている。
漫画への挿入歌は『ちっちゃな時から』
(詩・寺山修司。曲・山木幸三郎)なんだけれど、浅川マキさんのLPには真崎守さんの詞、『死春期』『翔ばないカラス』(他にもあるのかも知れないけれど註・4の理由で調べられない)があり載せられている。
 真崎守さんは好きな作家で、いつか『ほんなら・・・ほんでも・・・』に載せようかなと・・・・。



      「死春期」   詞・真崎守  曲・淺川マキ

      めぐる季節の  人の世に  夏もあります  秋もある
      冬さえあるに  春だけを  おんなは春を  売りまする

      春を手渡す  みかえりに  ひとり寝る夜の  せつなさを
      追い消し去れる  ものならば  春も涙も  売りまする

      めぐる季節の 人の世に  忘れ残りの  風が吹き
      子守唄さえ  ない夜に  死にゆく春も  ありまする

 マキさんの唄はここまでですが、真崎さんの「ナレーションもどきの文章」(朝日ソノラマ刊『死春期』の後書き『死春期のーと』より)には下記の詩などが書かれています。

      めぐる月日の  遠い日に  子守唄やら  挽歌やら
      耳にしました  いくたびか  他人(ひと)の唄なら  聞きました

      唄さえ知らず  みかえりに  春を手渡す  知恵も無い
      幼ごころに  知りまする  ひとり遊びの  手の内を

      めぐる季節の  人の世に  雨降り露地に  水たまり
      風が吹いたら 揺れまする  浮かんだ顔が  消えまする

      めぐる季節の  人の世に  子守唄さえ  ない夜に
      雨降り露地に  またひとつ  死にゆく春が  ありまする

                                         (戻る)

(註・2)

 覚えているかぎりでは、
@池袋・文芸座でのオールナイトの夏、7月7日。
 共演者は、萩原義信・山下洋輔トリオ(坂田明・小山彰太)
 杉本喜代志・川端民生・向井滋春・後藤次利・つのだひろさん。
 
(ポスターが残っていたので正しいはず)
Aアケタの店
 上記の『ああ良心様、ポン』参照。
B池袋・文芸座での年末オールナイト。
 覚えていないが、共演者は本多俊之・渋谷毅・近藤等則・内田勘太郎
 ・飛田一男さんなどが出ていたように思う?
 実は、@が先なのかBが先なのか思い出せない。
C関西学院大学 学園祭でオールナイト。
 当時、私は北大阪で暮らしていた。
 東京在の友人をさそったら「行く」と言うので。
 共演者は内田勘太郎さんが来ていたのは覚えているが、後はうろ覚え
 で多分、山下・坂田・向井・つのださんあたり?
 内田勘太郎さんのギター弦が切れたのは此処か?Bか?
 「かんたろう〜、お前やったら いける!!」って言う野次
(?)から
 すれば関学か。
D大阪・島之内教会、80年11月1日〜3日の内、1日目と3日目の
 2回。
 共演者はトニー木庭・山崎弘一さん。
 
(ポスターが残っていたので正しいはず)
 3日の最終日で、教会牧師の「前回の公演の時はまだ子供だった」息
 子さんがピアノ
(オルガンだったかな?)を1曲。
E名古屋・ミリオン座、81年9月12日。
 当時、犬山市に居た友人が「行かないか」と言うので。
 仕事を終えてから西名阪を飛ばしていたら覆面に捕まったと言うおま
 けが・・・。
 共演者は、向井滋春・本多俊之・近藤等則・大出元信・渋谷毅・山崎
 弘一・つのだひろ・トニー木庭さん。
 
(ポスターが残っていたので正しいはず)
F大阪・近鉄アート館、『浅川マキ・13年ぶりに大阪で歌う』と書か
 れているから93年
(?)
 お仕事を早仕舞いして、嫁はんと。
 共演者は、渋谷毅・川端民生・NONROE・植松孝夫・松田洋さん。
 公演が始まる前、並んでいる時、ほぼ私と同世代の周りの人達の会話
 は「前に行ったのは京大・西部講堂だった」が多かった。
 終わってぞろぞろと出て行く時、彼らは思っていた”浅川マキ”とは
 かなり違ったようで、それは公演中の”乗り”が非常に悪かった事で
 も分かる。
 これは、浅川マキさんも感じたようだった。
 つまり、”萩原信義”が居た頃の”マキ”ではないと言う事ですね。
 いつまでも同じ”浅川マキ”なら、気持ち悪いと思わないのかねぇ?

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(註・3)

 私は五木寛之さんの著書をほとんど読んでいない。
 下の姉は好きだったようで「読んだら?」と言われて『
さらばモスクワ愚連隊』『風に吹かれて』『青年は荒野をめざす』それと『青春の門』の途中巻までぐらいだ。
 但し、どれも購入していない。
 だいたい、”デラシネ”と言ううたい文句が嫌いだった。

五木寛之対話集・2・・・午前零時の男と女』で対談している人のうち浅川マキさんは別にして、永六輔さん、堤玲子さん、北山修さん、矢崎泰久さんを読みたかったので購入した。
 北山修さんはいつか『ほんなら・・・ほんでも・・・』に載せようかなと思っているが。

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(註・4)

 ビデオ『幻の男たち』や各CD、ラジオ放送やライブでの録音テープ類、ポスター等は見つかったのだが、『展望』のみならず、冒頭に記したLPも六〜七枚見当たらなければ、チケットの半券や、パンフレット、新聞・雑誌の切り抜きなどを綴じておいた帳面二冊もない。
 何処にいったのやら・・・・?

 最後の切り抜きは、週刊『朝日』連載「本のひとやすみ」松原隆一郎の『こんな風に過ぎて行くのなら』を取り上げたものだったと思う。

「あなたに」「夕凪のとき」の詞は覚えていたのを書いたが、漢字の使用法は分からないし、詩・曲の作者が誰なのかも確かな事は分からない。だから書かないでおいた。

 年月日が不確かなのも、この為ですわ。


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(註・5)
        「暗い眼をした女優」  詞・浅川マキ  曲・近藤等則

      いつも見る夢  暗い町の舗道 
      ひとり歩く  若い女がいる
      
      暗い眼をした女優
      ミシェル・モルガンの眼を
      もうひとつ  暗くした女優の眼が
      若い女を都会へと誘う

      暗い眼をした女優は
      思い切り踵の高いハイヒールをはくの
      コツコツコツコツコツ
      大都会のアスファルトを響かせながら

      若い女の旅は  あてどない
      暗い眼をした女優は
      何処へ行ってしまったのかしら

      いつも見る夢  暗い町の舗道 
      ひとり歩く  若い女がいる

      スキャンダルで消えてしまった
      女優のはなしに
      男は首をかしげる
      「さあ、ほんとうに  覚えていないなあ」
      仕方がない
      まだまだ旅の途中だから
      若い女は今夜も
      見知らぬ男に抱かれて眠ると
      そこからは  もう
      時代の影する 見えない

      いつも見る夢  暗い町の舗道 
      ひとり歩く  若い女がいる

                                 
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