第一部 第3章 イシダイ―磯釣りとマイボートの釣り

左:磯割りのくじ引きに集まる渡船。(HP『四国の釣りにようこそ』表紙より。)
⇒1.四国でのイシダイ釣り、1)宇和海での磯釣り

















下:宇和島の沖、御五神(オイツガミ)の磯釣り場マップ(HP『広島アングラーズ』「アングラーズの薦める四国の磯」より)。   



















愛南町・中泊(ナカドマリ)のコケとノコギリ。70cmを超える大型イシダイが釣れる。











下右は豊後水道の激流の中にある、愛南町・沖の磯(オキノソウ)ヤッカン、「広島アングラーズ」による。
































      下左は高知県沖ノ島のノコバエ。イシ物は沖の離れ先端付近がポイント。写真はブログ「FC2 ID」「HONDA 60'S club」「沖ノ島」による。






























私の船釣りのホームグラウンド:写真下左は塩子(シオゴ)島、右は黒ハエ灯台。どちらも家串(イエクシ)から撮影された写真。(『みんなの由良半島』「由良写真館」より。)
⇒1.四国でのイシダイ釣り、2)マイボートのイシダイ釣り































下は塩子島から黒ハエにかけての図











黒ハエの近く、サクノセで釣ったイシダイの魚拓































2007年秋のある日の釣果。サクノセでは、毎日とはいかなかったが、しばしば複数匹、時に5匹、6匹と釣れた。

















         







サクノセ近くで釣ったコブダイ


同所で釣ったフエフキダイ

 
























下:私が初めてイシダイを釣った伊豆大島・上人(ショウニン)の滝下の磯(全磯連関東支部監修『航空写真で見る 伊豆七島の海釣り―上』より)⇒2.関東でのイシダイ釣り1)伊豆大島で初めてイシダイを釣る











































                 右:三宅島ベンケイの磯(『航空写真で見る 伊豆七島の海釣り―下』より))⇒2−2)三宅島で大型クチジロを釣る








左はベンケイの遠景。右はベンケイで釣った初めての大型魚クチジロの魚拓。































左はオカダの磯。
































下はオカダで釣った6.8キロのクチジロ。後ろに小さく三本岳が見える。









三宅島三本岳(大野原群礁)。三宅島本島は写真の左手前方向に当たる。写真は民宿・夕景HPより借用。



湘南真鶴(マナヅル)・鈴島(同書)。この港近くの磯で遭難しかかったことがある。
⇒2−3)初めての海釣り、釣れなかったイシダイ釣り
初めての魚拓、西伊豆・戸田(ヘダ)で釣ったブダイ

 








外房勝浦・黒鼻の磯(同『航空写真で見る 房総の海釣り』より)。3.4キロのイシダイを釣った。
⇒2−4)房総でのイシダイ釣り


南房・洲崎灯台下の磯(同書)。高知県には須崎(スサキ)市、東伊豆下田市には須崎(スサキ)半島があるが、南房・洲崎はスノサキと読む。

 



































西伊豆・入間(イルマ)の赤島(同『伊豆の海釣り』)、5.2キロのクチグロ・イシダイを釣った。⇒2−5)西伊豆、入間・赤島でのイシダイ釣り



 


























第3章 見出し一覧

1.四国でのイシダイ釣り
1) 宇和海の磯釣り
混雑した関東での磯釣り
宇和海、渡船の予約
御五神島の磯割り
ヤッカンでの釣り、カラスガイの使い方
大シケのなかの渡船、沖ノ島へ
中泊、コケ西の大イシダイの魚拓
四国の釣果

2) マイボートのイシダイ釣り
漁村に住んで1年目のイシダイの船釣り
浅場でも餌があればイシダイは来る
釣り場を作ることもできる
塩子島の釣り場
磯の近くでの掛かり釣りの難しさ
アンカーの種類とその長所、短所
錨の根掛り対策
餌のウニを採る
2007年、サクノセの石物釣り
良型「本イシ」が釣れた
サクノセでのアンカリングの苦労と暗岩・イサギ根
2008年のイシダイ釣り
大物との格闘
2008年の釣果
2丁錨の釣り
75センチのフエフキダイを釣ったこと
イシダイ釣りからの撤退

2.関東でのイシダイ釣り――思い出
1)伊豆大島で初めてイシダイを釣る
魚信あるいは当たり
イシダイの三段引き
両軸受けリール
新島での釣り、大型魚を逃す
イシダイが竿を返却しわが身を献上した?
イシダイは釣れない
「殿様釣り」
幻の魚・イシダイ
沖磯への渡船―チャカ着け
「サメのような」大型イシダイ・口白
戦場のような釣り場
遠投を要する伊豆大島
パーマ
大島の表磯と裏磯

2)三宅島で大型クチジロを釣る
ベンケイで5.4キロのクチジロを釣る
ベンケイ根
重くて魚が上がらない
ほかの釣り人に助けてもらう
ツル根での釣り
1983年と2000年の三宅島の噴火
三宅島オカダで6.8キロの口白を釣る
カチンコ
高磯用の道具

3)初めての海釣り、釣れなかったイシダイ釣り
乗合船の「五目釣り」
西伊豆・戸田で釣ったネンブツダイを全部食べたこと
東京湾の防波堤で釣ったサッパを食べたこと
40センチのフッコと25センチのクロダイに興奮したこと
戸田で38センチのブダイを釣り、初めて魚拓を取ったこと
「幻の魚」イシダイを釣ろうとあちこちに出かけたこと
湘南茅ヶ崎、烏帽子岩での釣り
真鶴で遭難しかかったこと

4)房総でのイシダイ釣り
勝浦、鴨川、行川アイランド、洲崎灯台に電車で行く
釣りクラブの先輩に連れて行ってもらい釣りをしたこと
「貫目」クラスの「本イシ」を見る
勝浦の磯で3.4キロのイシダイを釣る

5)西伊豆、入間・赤島でのイシダイ釣り
銭洲と鵜渡根、遠征釣り
入間・赤島で5.2キロの大型イシダイを釣ったこと
八丈島、奇妙な暖水塊の中でイシガキダイを2匹釣る
第一部私の釣り見出し一覧に戻る

1.四国でのイシダイ釣り

1) 宇和海の磯釣り

ここ1)では、わたしが40代後半に東京から松山に移ってからの、四国の磯でのイシダイ釣りについて書く。四国では餌にカラスガイ(イガイ)を使うことになり、私は新しい釣り方を覚えることになった。しかし磯釣りである点では関東での釣りと共通する点も多く、また、サンデーアングラーであり、気持の上でも、関東での釣りの続きという風に感じていた。

次の2)では、退職して松山から南予の漁村に移った後の、船からのイシダイ釣りについて書く。自分でみつけたポイントに船を掛け、しかも自分で採ったウニを餌に使っての、それまでと全く違う新しい釣りである。イシダイ釣りの経験があり、これから船で釣ってみようと考えている人には、第二幕のほうに興味が引かれるかもしれない。

2.「関東でのイシダイ釣り―思い出」で詳しく書くが、私は東京に住んでいた時、30代半ばに「石物」つまりイシダイ・イシガキダイを追いかけて磯釣りを始めた。幸運によるところが大きかったとは思うが、大型のイシダイ・イシガキダイを何匹か釣ることができた。しかし、10年近くやって、小さいものも含めてやっと10匹ばかりで、もっと多く釣りたいと思っていた。

40代後半に仕事の関係で四国・松山に移り、6〜7年間四国の磯に通った。周囲を温暖な海に囲まれた四国に移って、私はきっとイシダイの数釣りができると考えた。「数釣り」という語は辞書には載っておらず、釣り人の間でだけ通用する言葉のようだが、魚をたくさん釣ることを意味する。しかし、正直なところ、期待したような釣果を得ることはできなかった。

マダイ、グレ(メジナ)、ハマチ(ブリ)などは水温の下がる冬や春にも釣れる。石物は、三宅島など直接に黒潮がぶつかるところでは冬でも釣れることがあるが、ふつうは水温が20℃くらいになる5月頃から12月くらいまでが釣りの時期である。そして、8月、9月は、日陰のない岩の上での釣りは猛烈に暑く、体力のある若者を除けば、昼間の磯釣りは敬遠したいところである。最もよい時期は6、7月の梅雨の頃と10月から12月にかけてということになる。

第3章見出しに戻る

混雑した関東での磯釣り

房総、伊豆七島、伊豆半島など東京周辺の釣り場では、週末や祭日はやはりひどく混雑したが、平日はどこも空いていて、交通手段がありさえすれば、好きなところで竿を出すことが出来た。渡船をせず、地磯、つまり歩いていける陸続きのところで、イシダイを狙える場所があちらこちらにあった。私が釣った大型のクチジロ(イシガキダイの老成魚)2匹は三宅島の、中型イシダイは千葉・勝浦の地磯で釣った。もう一匹の大型イシダイだけが、西伊豆で渡船をして釣ったものだ。一方、愛媛・松山にきてみると、宇和海でイシダイを狙う場合には、必ず、渡船を使う必要がある。愛南町に住んで分ったことだが、地元の釣人のなかには、車で、釣り場の上まで行き、急な崖を下りて、地磯で釣っている人もいるが、それは釣り場付近の地理に詳しい地元の人で、かつ若く体力のある人だけに可能なことである。

東京にいたときには、夜10時くらいに竹芝桟橋を出港する定期船に乗って伊豆大島や三宅島によく行った。どちらも島内のバス通りから磯が見渡せるところが多く、危険な崖を下りたり登ったりしなくても入れる磯がいくらでもあった。地磯での釣りは渡船料金がかからないというだけでなく、天候にかかわらず釣りができるという大きな長所がある。晩秋から冬にかけては北東風や北西風が吹き、海は荒れる。しかし、大島や三宅島のような大きな島では、風裏になる側では、海は静かで充分に釣りを楽しむことができる。島には大型の定期船の発着港が島の両側にあって、台風のような場合は別として、どちらの風が吹いても島に上陸でき、到着した港のある側の磯で釣りができる。

しかし、沖の離れ磯ではそうはいかない。宇和海の沖磯では、晩秋から冬場にかけては強い西ないし北西の季節風が吹く日が多く、しばしば渡船が出港取りやめになる。直前の問い合わせでは釣りはできるだろうという船頭の返事だったので、(車を運転しない私はバスで)高知県の宿毛まででかけたが、朝になって出船が取りやめと決まったことがある。
松山から、4時間も5時間もかけて出かけて、そのまま戻ると言うのではとても敵わない。このときは運良く、松山から車で来ている人がいて、乗せてもらうことができた。しかし、この人もあきらめきれず、どこかで釣りのできる場所を知らないかと言う。私がそれまでに、1、2回行ったことのあった由良の鼻は、風裏の磯でならできるかもしれないと、途中平碆に回ってもらったところ、渡船でき、大猿島で数時間釣りをすることが出来た。沖磯での釣りは、場合によっては、遠くまででかけても、全くの無駄足になることもある。

第3章見出しに戻る

宇和海、渡船の予約

伊豆七島の地磯で釣りをする場合にも、交通や島内の地理その他いろいろ調べてからでないと簡単には出かけられないが、渡船を利用して沖磯で釣りをするときにも、渡船店に申し込みをすれば済むというものではない。
渡船は夜明けとともに出港する。松山から電車あるいはバスで宇和島以南に向かう場合には、その日の船には乗れない。前夜のうちに渡船店、あるいは船の出る港に着いていなければならない。ただし、渡船は、海の状態が悪ければもちろん欠航になるが、客の数が少なくても、やはり出ない。どの渡船も釣り客が4人か5人以上予約がなければ出ない。前日夕方に電話を入れても「今のところはまだ---」という返事のこともある。釣行の準備は全て整えておき、最終電車に間に合うぎりぎりの時間になってから、明日船が出るかどうかを電話で尋ねる。1軒目がだめなら2軒、3軒と電話を掛ける。結局、どこも、他の客からの申し込みが(少)なくて、あきらめたということもある。

こうして、翌朝は出船するという返事を得たら、前夜おそく、宿に着いて「泊まる」、つまり洗濯したシーツのついた布団で寝る(料金は1000円から2000円)か、到底きれいとは言いがたいけれどもとにかく夜具がある部屋で「仮眠」(無料)するかして出港を待つ。

第3章見出しに戻る

御五神島の磯割り

宇和島から宇和海に向かって20kmほど複雑な形をした三浦半島が伸びだしている。その先端から10kmほど沖に人口500人弱の日振島ヒブリジマが浮かんでいる。夏は海水浴場として賑わう。最近では、近くでマグロの養殖が行なわれている。宇和島港から高速定期船で50分ほどである。 私は5月の連休に子どもを連れて2泊ほどして、一緒に防波堤で釣りをして遊んだことがある

日振島の南5kmほどのところには御五神島オイツガミジマがある。御五神は大小の群礁からなるが、本島は長さが1.5kmある大きな島で、昭和30年ごろには数十戸が住み着いて漁を行なっていた。今は無人である。御五神の周辺は日振島に所属する漁場で、毎年、7月1日に、周囲で貝や海藻を取っている日振島の漁民が島に渡って、安全豊漁を祈る神事を行なっている。

御五神も日振島とともに、宇和海の激流の中に位置していて、ハマチ、マダイ、グレ、石物、クエなどあらゆる魚が釣れる。日振島(周辺の釣り場)へは宇和島周辺から渡船が出ている。御五神へは宇和島から愛南町までの沿岸各地から多くの渡船が出ている。

私は両島の磯に石物を釣ろうと何度か通ったが、日振島では5キロほどのコブダイが釣れただけで、石物は釣れなかった。御五神では1キロか1キロ半ほどのイシガキダイを5〜6匹釣っただけである。

恐らく平日でも磯釣り客がかなり多い(注)ためだと思われるが、宇和海、とくに御五神では磯割が厳格に行なわれている。磯割とは、当日、釣りを始める前に、抽選などで、各渡船が渡せる磯が決まる仕組みである。愛南町・中泊の磯のように、港から一斉にスタートしてそれぞれの船が狙う磯に向かい、同じ磯に複数の船が着いたらじゃんけんで決める。じゃんけんに負けた船は他の磯へ行くというようなところもある。また、出港する船が少ない時には話し合いで釣り場を決めるというような場合もある。

(注)愛媛県磯釣連盟会長・平井文敏氏が次のように書いている。宇和島市の日振島から愛南町の武者泊にかけての宇和海は「全国の磯釣り師が一度は竿を出してみたいとあこがれる」ところである。そして、年間約8万人の釣り人が訪れ、その8割が県外からであり、宇和海には50軒の渡船店がある。(2010.1.21愛媛新聞、「えひめ釣りファイル」)。

---------------------------------------------

御五神の場合、朝、釣り場近くの決まった場所に集まった船は舳先と舳先を近づけ、当番の船の舳先に乗った客が差し出す、柄のついた水汲み柄杓のような容器に入った串状のくじを引く。そして各船の客は、自分の乗った船が引き当てた番号で決まる、10箇所程度の磯のどこかを選んで、その磯で釣りをする。

御五神の磯釣り場マップ(HP『広島アングラーズ』「アングラーズの薦める四国の磯」より)。

それぞれの磯には定員があり、たとえばある磯でハマチが最近釣れていて全員がそこで釣ることを希望したとしても、皆がそこに下りることはできず、何人かはあふれて、他の磯に行くことになる。石物を狙う釣り人は、マダイやメジナ、ハマチなど「上物」を狙う人に比べれば小数で、互いにぶつかることはほとんどないのだが、石物を狙うのによい磯は同時にほとんど上物にもよく、結局、平日で釣り客が少ない場合は別として、多数派である上物師たちがまず釣り場を選び、それが決まったあと、石物狙いの人、とくに私のように常連でもなく、またグループで来ているのでもない者は、どこか空いている残りの場所で釣るということになる。というわけで、確かに東京周辺に比べればそれぞれの磯の混雑具合はずっと低いが、それでも入りたいに場所に必ずしもはいれるわけではない。

第3章見出しに戻る

ヤッカンでの釣り、カラスガイの使い方

私は、後で書くような理由で最初の1、2年は時間的に余裕があって、比較的釣行回数は多かったのだが、四国という新しい場所での釣りであることからくるハンディキャップがあった。それはエサに関することである。投げて釣る関東とは違い、宇和海の沖磯ではほとんどが足下での釣りで、当時はカラス貝の使用が一般的であった。しかし、私はカラスガイの使い方、つまりカラス貝の身を針につける方法を知なかった。そこで、四国に来てからも、はじめのうちは、関東でやっていたように、サザエを餌に使っていた。関東の地磯、とくに房総、大島、三宅島の地磯は遠浅で、深みを狙って仕掛けを遠くに飛ばす必要があり、思い切り竿を振って仕掛けを遠投しても千切れることのないサザエやトコブシを使うのが常であった。

しかし、宇和海の渡船店には、サザエやトコブシは置いておらず、私は早起きをして松山の市場に行きサザエを買ってから、釣りに出かけたが、竿が並ぶと、カラス貝を使っている人に負けてしまう。カラスガイは臭いが強く、イシダイを惹きつける力がサザエよりもはるかに強いということは石物釣り師のあいだの常識である。

愛媛県の南の端、愛南町の中でも最も南の渡船基地、武者泊からの渡船で、名だたる沖ノ磯(オキノソウと読む)の「ヤッカン」(形が薬缶=ヤカンに似ている)に数回行った。ここは足摺岬沖で分岐した黒潮の一部が宇和海に入ってきて突っかけるところで、石物のほかにハマチやヒラマサ、尾長グレなど、釣人垂涎の的ともいうべき大型の魚種が釣れる「超一級」の釣り場である。

2回目に行ったときに「なだれ」という、後が壁状のごく狭い石物釣り場に、私を含め、3人が1mくらいの間隔で並んで座った。釣りをはじめてしばらくすると上げの潮が流れ始め、やがて一番潮上にいた私の竿の穂先がコツンと動いた。「来たな」と私は身構えたが、食い込みはなく、3秒か4秒後、すぐ隣の人の竿が絞り込まれ、彼が3キロクラスのイシダイを釣上げた。


写真は南側からみたヤッカン。正面は凪の時だけ乗れるヒナダンという足場のよい磯。この右側の出っ張りを回ったところが、「なだれ」という釣り場。左側の足場があるところは上物釣りの人が乗る。正面(南側)から上げの潮がぶつかってくる。(同上「アングラーズの薦める四国の磯」からお借りした。)


このとき、私はサザエを使っていたが、他の地元の2人はカラス貝であった。イシダイは潮に乗って泳いできて、「なだれ」のポイントの一番潮上にあったサザエをつついたが、すぐそばにカラス貝が見え、(凹凸のある海底では潮の流れも多少は乱れるだろうから、臭いもしただろう)そちらに食いついたのだと思われる。
このとき私の隣でイシダイを釣った人は、宇和島に住む清水浩さんで、帰りは彼の車で宇和島まで送ってもらった。後に沖ノ磯や地ノ磯(ジノソウ)などで何回か一緒に釣りをした。
後に宇和島の釣具店で知ったのだが、清水さんは宇和島ではよく知られた釣り名人であった。私は清水さんに教えてもらってカラス貝を使うようになった。

カラスガイの剥き身はカキよりももっと柔らかで、剥き身に針を刺して持ち上げ、2、3回揺するだけで切れて落ちてしまうほどである。貝柱に針を刺すと少し持つが、しかし、小魚にちょっと突っつかれてもすぐになくなってしまう。そこで、大き目のカラス貝の殻を開き、貝柱に針を刺すとともに、さらに2、3個の剥き身をはみ出るほどに詰め込み、殻を閉じ、輪ゴムで縛る。殻にラジオペンチのようなもので欠目をつけておくと輪ゴムが滑らない、等々、餌の付け方を教えてもらうことができた。こうして、ようやく、四国で、イシダイを狙う、他の釣り人と同等の条件を身につけることができたのである。

第3章見出しに戻る

大シケのなかの渡船、沖ノ島へ

高知県沖ノ島周辺の磯に渡す船は、前夜、宿毛の片島港に停泊している。宿毛市は高知県の西の端にあり、愛媛県愛南町の南に隣接している。宇和海、愛媛県の渡船と比べて大型で、渡船のキャビンには毛布などが用意してあって、客はこの中で寝て、翌朝の出船をまっていればいいのである。夏は少々暑いが冬は暖かく、充分に「仮眠」ができた。もちろん、事前の出港確認は必要だ。

松山に来て間もない頃、92年12月末か翌年の1月か、私が始めて、沖ノ島に渡って釣りをした日はあいにくかなりのシケであった。真っ暗なうちに出港し、港の外に出ると、北西の向かい風がまともに吹き付けた。眠い目を擦りながら外を見ていると、ドドドドーッと大きな波が押し寄せるたびに船は高く持ち上げられ、次に波間に落ち込み、船首から海に突っ込まんばかりである。船は、減速したり、速度を上げたり、波をかわすためにジグザグに進んだりする。こんな荒波の中を走るのは初めてだった。「難破するのではないか」と頭の中が真っ白になるような恐怖を感じ、救命胴衣のヒモを締めなおしたのを覚えている。

しかし、船体がスマートでスピードの出る宇和島周辺の渡船をサラブレッドにたとえるなら、ここ沖ノ島の渡船は幅があって重そうで、駄馬にたとえることができ、波には強いのである。(このたとえは東京にいたころの釣り仲間の伊藤さんが、三宅島の渡船と八丈島の渡船を比較したときに用いたものだ。)30分か40分走って沖ノ島に近づくと、島の風裏になり波が収まる。無事、沖ノ島南端近くの東側にあるノコバエという磯に着いた。まだ暗かったので少し待ってから磯に上がったが、さっき感じた恐怖感はもうすっかり忘れて、竿を出した。


高知県沖ノ島のノコバエ(最も沖)。イシ物は沖向い先端付近がポイント。写真はブログ「FC2 ID」「HONDA 60’S CLUB」「沖ノ島」による。(仮)


慣れは恐ろしいものだ。2回目以降も悪天候のことがなんどかあったが、船頭が船を出すと言う時は大丈夫なのだと考え、シケを怖いと思わなくなった。一度は島の北東側にある一ツバエという磯で釣っているうちにシケてきて雨と風で前が見えないほどになったが、私は釣り続けていた。やがて渡船がやってきて、こんなにシケているのにまだやっているのか、早く片付けて船に上がらんかい、と怒鳴られたこともある。

沖ノ島は空いていて、低い磯で波があって釣りの出来ないときには別として、希望する磯にほとんどいつも一人で乗ることが出来た。6キロ、7キロのクチジロが何回か釣れたという釣り場を狙って、10数回行ったが、結局、型を見ることもできなかった。(小型であれ、狙った魚種が釣れることを「型を見る」といい、たとえば、「型を見ることができたのでよしとしよう」という言い方は、釣人が一応の満足を得て帰るときの決まり文句になっている。)

当時、今から20年ほど前は、松山から宇和島まで国道56号線を通る「宇和島バス」で3時間ほど掛かった。さらに宇和島から宿毛まで再び2時間ほどバスに乗る。宇和島までJRの特急で行っても、乗り換えの便が悪く時間は変わらない。始発駅の道後に近かったので最初の何回かはバスを利用した。ところが宇和島バスは禁煙になってはいなかった。冬、暖房で窓を締め切ったバスでタバコを吸われてはたまらず、バスの客全員に聞えるように、大きな声で、喫煙しないようにお願いします、と言ったこともある。毎回、声を上げるのも面倒なので、電車に変えた。宿毛に着くのは遅くても構わないのだが、夜6時半を回ると宇和島から宿毛までのバスはなくなり、3時過ぎくらいには松山を出る必要があった。こういう釣行は、午後授業があれば無理で、3年後くらいからは「お忍び」ができなくなり、高知の釣り場から足が遠のくことになった。

その後、東京などに較べると10年近くも遅れてだが、バスも禁煙になった。そして2000年を過ぎた頃から、松山から宇和島に向かって自動車専用道が伸び、今は、バスで宇和島まで2時間、愛南町までで3時間ほどで行ける。ずいぶん楽に行き来できるようになった。私は今、月1回くらいのペースで、松山と愛南町の間を往復している。
しかし、バス車中のタバコの煙はなくなったが、今度は携帯電話が使われるようになった。ケイタイ使用禁止のステッカーは貼ってあるものの、守らない客があり、また運転手が注意することもめったにない。大声でしゃべる客には私はケイタイは使わないことになっていると告げる。そもそも、宇和島バスは車内放送に繰り返しや無意味で不要なものが多く、本社の窓口で苦情を言ったことがあるが改善されない。宇和島バスは騒音に全く鈍感のようで、ケイタイ使用に無頓着なのも、そのせいだと思われる。車内放送自体をもっと減らし、ケイタイ使用者には注意して止めさせるなどして、静かな旅行ができるようにしてもらいたいものだ思っている。

第3章見出しに戻る

中泊、コケ西の大イシダイの魚拓を見る

私が松山に来て間もない頃、道後公園近くの焼き鳥屋に入ると、全長72cmという立派なイシダイの魚拓があった。板前がコケの西で釣ったものだと言う。彼は、客がないときには、手に下駄をはめて(足は長靴を履いている)、腕立て伏せを毎晩百回やって腕力を鍛えていると言った。
コケは中泊の沖に浮かぶ横島と言う大きな島の南側にある長さが50〜60m、高さが20mほどのやや大きな離れ磯で、その西の端、「コケ西」は、宇和海で最も大きなイシダイが釣れることで有名な釣り場である。
コケと向かい合って南側には、ノコギリという、「荒磯中の荒磯」で、転落死した人もあり、「ベテランの人以外にはすすめられない」とガイドブックに言うような、足場がひどく悪いが、やはり大型イシダイや超大型グレなどが狙えるという磯がある。コケとノコギリはこういうわけで「超一級のポイント」と言われている。『四国西部の釣り場』マリンジャーナル社。

私は、ノコギリで釣りをしてみたいとは思わなかったが、非力であるにもかかわらず、コケの西でやりたくなった。四国で腕試しをしたいというような気持ちもあった。「引き潮の当るときがよい」といわれていたので、潮時表とにらめっこをして日を選び、中泊に行った。しかし、一人では、よい磯にはなかなか乗れない。たいてい、2、3人のグループで来ている客を優先して乗せるからである。私は、コケのそばの、安全な、しかし、潮通しのよくなさそうな他の磯で我慢しなければならなかった。中泊は武者泊同様、バス便が悪く、2、3回行っただけで、学校が忙しくなって、「コケ西」に乗ることはできないまま中泊行きは終った。

第3章見出しに戻る

四国の釣果

私が勤めた女子大学は91年の12月に開校し、翌年4月に第一期生を受け入れた。最初の2年間は学生は1年生と2年生しかいないので、「専門科目」の授業や「卒論」などがなく、開校後4年以降に比べれば、授業数は大幅に少ない。こうした理由で、最初の2、3年は、平日にも、学科長などの言葉では「お忍びで」、どこかにでかけることができた。

四国に来てからの7年間、その後半の釣行回数は減ったが、武者泊まりの磯に7〜8回行ったほかに、愛媛県では、北から順に、日振島に10回近く、御五神島に15〜6回、由良の鼻(大猿、小猿、沖釣り)に2〜3回、中泊の磯に2〜3回くらい行った。また、愛媛県境を越え、高知県の沖ノ島周辺(宿毛から渡船する)に12〜3回、柏島周辺でも合わせて6〜7回は釣りをした。合計すれば、60日くらいは石物を狙って釣りをしたことになる。

しかし、御五神で1キロか1キロ半程度のイシガキダイを数匹釣ったのと、柏島のアンパンで3キロ強のイシダイを一匹釣ったのが四国の磯釣りでの釣果であった。これでは東京にいた頃に比べて成績はむしろ落ちたと言わざるをえない。

実は柏島では、竿先から一瞬目を離した隙に、竿が大きく曲がっていて、合わせると同時にナイロンの道糸がワイヤーハリスの上で切れ、逃げられたという失敗があった。合わせが遅れたため魚が深みに向かって走ってしまい、段になった海底の岩角などで糸が擦れて切れたと考えられ、もっと早く合わせていれば取れた可能性があった。「逃がした魚は大きい」と言うが、これは大物だったと思う。

付けていたウニの殻はテニスボールほどの大きさで、しかも棘を付けたまま使っていた。普通なら何回かガシャン、ガシャンと割ってから食う当たりが出るのだが、このときはほとんど一瞬で竿先が大きく曲がってしまっていた。つまり、これを食った魚はテニスボールほどの大きさのウニを一口で呑み込んだのである。釣っていないので正体はわからない。もしかしたら、その後家串で船から釣った大型のフエフキダイ、あるいは何匹か釣ったり、何度か一瞬で糸を切られた10キロを越えるコブダイかもしれない 。しかし、柏島のそのポイントは大きなクチジロが何匹も上がっている場所だったので、当時の私は、非常に悔しい思いをした。

柏島は宿毛市からバスで1時間以上もかかる。松山自動車道が宇和島まで開通する10年も前のことで、松山からは電車とバスでまるまる半日かかり、車で行っても最低2泊しないと、釣りができないという遠隔の地であった。私には数回行くのがやっとであった。あの大物を釣り上げていれば話は少し違ったが、60日の釣りで3キロ強のイシダイ1匹では、「四国の磯は石物が濃い」とは、私としては、到底言えない。

イシダイを釣ろうと思ったら、ひとつの磯に精通するまで通えという考えがあるが、私は、四国のさまざまなところに行ってみたいという気持ちもあって、ここという釣り場に通い詰めることはしなかった。それが貧果をもたらした1つの理由かもしれない。もう1つの理由は、石物のよく釣れる時期、6月〜7月、秋は10月〜11月には大学で教えるのに忙しくて釣りに行けず、水温が低く釣果の期待しにくい春休みなどに出かけることが多かったことだと思われる。腕については追及しないでほしい。

こうして、最初の頃は、もっとも遠い、高知県の釣り場に半日かけて釣りに行ったが、学生が増え、授業時間が増すにつれ、次第に松山から近いところに場所を変えることになった。宇和島沖の日振島周辺の釣り場へは、JR宇和島駅からさほど遠くないところから出港する渡船を利用することができた。夕食を済ませてから終電車に乗れば、その日のうちに宿に着くことができた。タクシーも1000円程度。そして、1000円の安い料金で洗濯されたシーツがついた布団で眠ることが出来た。日振島は波が高かった時を除き、ほぼ希望した磯で釣ることができた。しかし、残念ながら、やはりイシダイは釣れなかた。

仕事が年々忙しくなり、また家庭の事情もあって、勤め始めてから7〜8年経った頃、50才代の前半には、磯釣りに出かける時間的余裕がほとんどなくなってしまった。こうして、四国でイシダイをほとんど釣れなかったというだけでなく、釣りに行きたくても行けなくなってしまい、欲求不満がたまった。60歳に近づいたとき、何とかもう一度、本格的な釣りをやりたい。石物を釣りたいという強い思いが湧き上がってきた。

四国に来たときから、退職後、海の近くに住んで、釣りをして暮らすことを夢見ていた。だが、大学の教員・研究者という仕事柄、体力にはさほど自身がなく、定年退職を待っていては、イシダイ釣りはできなくなるかもしれない。堤防で半分居眠りをしながら小物竿を出すというならいざ知らず、本格的に釣りを楽しむためには早めに退職する必要があると考えた。

またこのころ見つけた『海のボートフィッシング―曳釣り・トローリングのすべて』という本を読み、走る船から長く太い仕掛けを流してハマチなどを狙う曳釣りにも新たな興味を引かれた。イシダイ釣りには、下手をしたら自分のほうが海に引きずりこまれてしまうかもしれない、危険な格闘という要素があるが、この本で紹介されている曳釣りにも、同様の危険を冒す、魚との格闘という面があって、自分で船を運転して行う釣りを是非やりたいと思った。

第3章見出しに戻る

2) マイボートのイシダイ釣り

イシダイが幻の魚と呼ばれ、めったに/ほとんど釣れないと言われるようになって久しい。その原因の一つとして、渡船でわたる人気の高い釣り場は、場荒れと言って、海底にワイヤーハリスやオモリ糸のナイロンの切れ端がたまるなどして、餌となる生物が育たない状態になってしまい、魚が寄らなくなっているということが指摘されている。釣り場によっては、渡船の組合がダイバーを雇い、年一回、海底の清掃をしているところもあるという。しかし、そうでないところは、釣り場の周囲の海底はひどい状態になっているところが多いようだ。イシダイがいなくなってしまったわけではなく、釣人が押しかける磯から少し離れた場所にいけば、魚影を見ることはできるという。

渡船で渡してもらう釣り場は、満潮時にも波をかぶることのない比較的高い磯か、あるいは、少なくとも、干潮時前後は波を被らない磯に限られる。暗岩や干出岩など、常に、あるいは一日のうち多くの時間、海面下にある岩礁では、イシダイがいても「磯釣り」はできない。しかし、自分で自由になる船があれば、人の乗れる岩場の近くだけでなく、岩礁地帯全体へと釣り場が一挙に拡大することになる。つまり、渡船で渡る、限られた数の磯で釣るのと較べ、イシダイを釣るチャンスがはるかに大きくなる、と考えられる。

ボートを買って、ポイントを自分で開拓して、好きなだけイシダイ釣りをやり、また、曳釣り、その他の釣りもやってみる。これが、60歳を目前にした私の四国での釣りの基本的な構想になった。幸い私は松山でも、家を買う(あるいは建てる)ことはせず、代わりに、東京と比べて家賃がずっと安い借家暮らしを続けてきたおかげで、ローン返済の心配はなかった。また、車も持たず、自転車で用を足してきた。酒、タバコ、ギャンブルもやらなかったので、余計な支出はなかった。退職金を使って、釣りの拠点になる愛媛県南部、南予に(中古の)住宅を手にいれ、(中古の)プレジャーボートを買っても、節約を心がければ、年金を受け取れるようになるまでの5年間の生活も含め、生活設計は十分成り立つと考えた。

第3章見出しに戻る

漁村に住んで1年目のイシダイの船釣り

家串に住んで船で釣りを始めたのは06年4月。まずポイントを探した。一般的には、10m以上の水深があり、イシダイの好むカニやエビ、貝などが生息する岩礁地帯がポイントだと言える。キス釣りに向いた遠浅の砂浜ではイシダイは釣れない。

「第一部釣り」の冒頭で書いているように、私の「ホームグラウンド」は、宇和海の南部にある出口の巾が南北10キロ、奥行きが東西約7キロほどの内海(ウチウミ)という大きな湾である。内海湾の南西側出口、西海北部には鹿島、横島など大小の島、岩礁があり、ここは高知沖から入り込んでくる黒潮の分岐が直接ぶつかってくるところである。この辺りの海中の様子を撮影したNHK・TVのある特集番組では、水深が50m程の岩場にイシダイが何匹も群れていた。

また、内海湾の中央部は水深が60mから80m程度で、海底はほとんどが砂または砂泥だが、所々に高さが3m程度くらいの根が点在しているようで、岩礁地帯にいると言われるマダイやイシダイが船からよく釣れる場所があり、餌や仕掛け、時期については聞いていないが、家串湾の西側出口にある塩子島の西の沖で、5キロの大型を頭に何枚ものイシダイを釣った人がいるという。つまり、周囲が砂地あるいは砂泥であっても、根があれば、イシダイやマダイはそこに居着いているか、あるいは、その点在している根を辿って回遊していると思われる。
狙って釣ったのではないが、後に実際、私も、塩子島の西、水深70mほどのところで、1月と4月、水温が16℃以下のときにマダイや大アジなどを狙ってマキコボシ釣りをやっているときに、オキアミの餌で最大54cm、3キロを越えるイシダイを数枚釣った。

私がよく船を掛けてマキコボシ釣りをする、家串や油袋地区のマダイを養殖している生簀などの周辺、あるいは由良半島南岸の最も奥まったところにある網代地区の真珠母貝の筏の周辺には、イシダイやイシガキダイの手のひら程度までの大きさの稚魚が無数に泳いでいる。これらの稚魚が成長するに連れて、それぞれの地区の湾内の筏や生簀からはなれて、外の岩礁地帯に出て行くのだと思われる。

小魚を食う、ハマチなどは海底から海面に近いところまで水深に関係なく餌の小魚がいるところを探して泳ぐ。イシダイやイシガキダイは貝やカニなどを餌にしているので、岩礁地帯の海底や岩と岩の間を泳いで餌をさがす。

磯釣りでは岩場から竿を出して釣る。イシダイが回って来るところが、防波堤のように切り立っていて足元が深ければ、餌を付けた仕掛けを足元に落とせばいいので、非常に楽である。岸からだんだん深くなって行く所では、沖の深いところに仕掛けを投入する必要がある。
私が30年程前に釣りをした、伊豆大島は活火山・三原山の溶岩が海に流れ込んでできた島で、島の周囲は海岸から相当沖まで水深のない浅い海が続いている。そこでほとんどの釣り場は「遠投」が必要で、最低、50〜60mは仕掛けを投げなければならないところばかりである。トーシキという釣り場では、高さが10mほどの崖の上から、島の若者は50号もの重いオモリを使って100mも沖に投げてイシダイを釣る。

第3章見出しに戻る

浅場でも餌があればイシダイは来る

宇和海で言えば、御五神や日振島、あるいは、由良の鼻、西海などの沖磯、そして、東京周辺では、私がかつて通った伊豆七島のとくに神津島、三宅島の沖磯など、渡船で渡る釣り場の多くは足元から深くなっていて、10mから30mくらいの水深がある。しかし浅いところにイシダイがいないというわけではない。神津島の属島の銭洲ゼネスでイシダイ釣りをしていて、足元の潮溜まりから3kg級のイシダイが逃げ出すのを目撃したという報告がある。あるいは千葉県鴨川のアシカ島で、あるとき水深20mの底では食わず、その4分の1の水深の5mで釣ったという報告もある。

房総の磯はごく浅く平らな岩礁地帯が広がっており、無数の溝がはるか沖にまで伸びている。そしてこれらの溝にはカジメが生えていて、貝やカニがたくさんいる。潮が満ちてくると、これらの溝を伝って沖からイシダイが入ってくるという。またちょうど波を被る程度の低い岩が、岸に平行に何列か走っていて、その先の3〜5mの深さでイシダイがよく釣れる場所があるという。このような場所では、竿にリール、仕掛けをセットして、餌のサザエをいくつかネットに入れて肩からぶら下げ、ウェットスーツで、歩けるところはちょっと歩き、そしてちょっと泳いだりして、なるべく前の岩に乗って、すぐ足下で釣るのだという。

東伊豆の海岸でよく見られる直径が50cmから2m程度までの、ゴロタ石と呼ばれる大小の石や岩からなる浜/海岸も、沖は砂地あるいは平らな岩盤になっていて、その沖の水深はせいぜい5m程度だという。そして、ゴロタ石が終る辺りはイシダイの通り道になっていて、80m、90mの遠投ができる人にはよい釣り場だという人もいる。(だが、船で狙うことは可能でも、太くて重い長さが5mを越える石鯛竿で、トコブシなどの大きな餌のついた仕掛けを、海岸から80m、90mもの遠くにまで飛ばして釣るのはむずかしい。)

第3章見出しに戻る

釣り場を作ることもできる

したがって、水深よりも、その場所に餌が豊富にあるのかどうか、あるいは、そこがイシダイが回ってくる通り道なのかどうかが重要なのだ。恐らくイシダイは一定のテリトリーを持っていて、その中を一日に一回、あるいは2回、回遊して餌を探すのだと思われる。『新イシダイのすべて』(週刊釣りサンデー別冊、1989)にはイシダイは一日に20キロ泳ぐ、というような研究者の報告が載っている。

すると、イシダイが回ってくる可能性のある磯、あるいは岩場から、イシダイの餌になるものを撒いてやれば、「人工的に」釣り場を作り出すことができるはずだ。家串周辺でも、真珠養殖の仕事をするかたわら、趣味でイシダイ釣りをやっている比較的若い年代の人がいて、彼らは近くのよく知っている場所に、自家用の船で渡って釣りをしている。小型の船外機船などで、磯に渡るのはよほどの凪の場合でないと危険で、こうした釣りかたは、周辺の海の状態をよく知っている地元の人だけに可能なことだ。彼らの場合、事前に、数日間、自分で取ったウニや自分の作業場で出たアコヤ貝の屑などを船で運んで撒いておく。そこは自分だけの、あるいは地元の人たち数人だけの手作りのイシダイ釣り場である。

このように餌場を作り出して魚を寄せて釣ることを、飼い付け漁という。瀬戸内海、山口県周南市(旧徳山市)沖の野島では遊漁船の組合が大規模にイシダイの飼い付を行なっていて、毎年6月くらいに大量のウニをコマせ、徳山港から島の地磯に釣り客を渡して釣らせていた。(船宿のH.P.があり現在もやっている。ただし釣果の報告はなかった。)私は前掲『新イシダイのすべて』でこのことを知り、松山に移ってきた年の夏休みに、2泊3日のスケジュールで行ってみた。野島には徳山からの定期船が一日1、2便あり、生活物資と人を運んでいて、民宿もある。私は渡船を使わず、定期船で島に渡った。釣り場は民宿のある集落のある場所とは反対側にあり、潮の引いた海岸を30分ほど歩いて行き、数時間竿を出したが釣果はなかった。満潮時には通れないところがあり、帰りは山越をした(標高50m程度か)。その夜、台風が襲来し、古い民宿は家が揺れ、雨漏りがし、眠ることができなかった。翌日は波が高く釣りは無理と判断し、釣果のないまま帰ってきた。

また、同じく山口県の情島(松山のほぼ真東で、愛媛県と山口県の境の近くにある)ではイシダイではなくマダイであるが、やはり漁協が飼い付け漁を行っている。愛媛新聞社、<空撮ポイント>『愛媛の海釣り 瀬戸内海』参照。

これら漁協や渡船組合などによって行なわれている飼い付けのように、大量の餌をコマせ、数ヶ月に渡って釣り場を維持するというのでなく、家串周辺の人がやっている数日前に真珠貝の屑やウニなどを入れておくというインスタントなやりかたでも、飼い付けは可能だと思われる。つまり効果が期待できる。

ある場所でイシダイがよく釣れるとしたら、その近くをイシダイがしばしば通るはずだ。しかし、ちょっと外れても、釣れないということもよく聞く。離れ根があって、その根際のAで釣れても、その反対側Bでは釣れない。あるいは、その根の際から10mほども離れた沖では食わない、などという。根の形状と潮の流れ方、つまり潮のぶつかり方との関係で食う場所がきまるからであろう。潮が緩いときには、たぶん、イシダイはポイントの周辺海底を泳ぎ回って餌をさがすであろう。しかし、潮が早いときには、潮に押し流されながら、潮のぶつかる根の際や壁に沿って、餌を探すであろう。従って、イシダイが釣れる磯の近くで、陸地から岩場が突き出ていてそれが潮流を横切るように海底にも伸びていたいるような地形の場所はすべて、イシダイ釣り場の候補であり、その伸びた根の潮上側はイシダイ釣りの好ポイントだと判断していいだろう。

第3章見出しに戻る

塩子島の釣り場

磯釣り場のガイドブックや釣り場の写真集を参考にすれば比較的容易に石物の釣れる場所がわかる。吉田英二編<フィッシングプレス・データブック>@『四国宇和海の磯』は渡船が行われているほとんどすべての釣り場の詳しい解説と、「釣り人の目の高さで見た」写真からなる磯釣りのガイドブックである。
愛媛新聞社<空撮ポイント>『愛媛の海釣り 宇和海』などは航空写真で、釣り場の付近の海底の様子も含め全景を俯瞰することができ、非常に有益だ。(そして、写真を見ながら、潮の流れ方や根の具合を考え、あれこれ釣り方について想像を巡らせるのはとても楽しい。)

家串湾口西側には南北に細長い、長さおよそ500m、一番高いところが標高48mのかなり大きな無人島、塩子島シオゴシマがあり、『愛媛の海釣り 宇和海』によると、北側の「ソリ」ではイシダイが釣れるという。塩子島は東西方向の遠く、たとえば国道56号線から見ると、「山」という漢字と同じように、両端と真ん中が高くなっている。
島の西側には、その高くなっている場所から、沖に向かって岩場が突き出ていて、先端は離れ根になったり、干出岩になっている。家串に行ってから知ったことだが、潮の干満による内海湾の潮流は、下げのときに時計回りに流れ、上げのときにその逆である。

塩子島の西側では下げのときに北から南に潮が流れる。イシダイは潮に乗って塩子島に沿って南北に移動するはずで、ソリ以外の、磯釣りのできない根の近くでも、イシダイは同じように釣れるだろう、そう私は考えた。家串で暮らし始めた2006年には、ソリの南にある、塩子島の中間辺の波をかぶる岩場の近くにアンカーを打って船を掛け、8月頃から10回ほど石物を狙って釣りをしたが、1キロ半から2キロをちょっと超えるくらいのイシガキダイを3匹釣っただけだった。

ほかの日は、ハマチ狙いの曳釣り、あるいは竿を使ったビシ釣り、サゴシが釣れたというと灯台のあるクロハエ周辺で、早朝の曳釣り、夕方から夜にかけて、塩子島付近でモイカのエギング、クロハエ周辺で太刀魚狙いの夜の曳釣りなど、あれもこれもと早朝から夜まで、あちこちで様々な釣りをやった。人から言われるまま、あるいは人の真似をして、いろんな釣りをとにかく試してみた。イシダイも「釣れるはずだ」とは考えていが、この年は本腰を入れるところまではいかなかった。




左は塩子島。家串小学校前から撮影。手前にアコヤ貝養殖筏の玉ウキが見える。「由良写真館」による。

















左は夕暮れ時の黒ハエ灯台。家串から撮影された。「由良写真館」による。



第3章見出しに戻る





磯の近くでの掛かり釣りの難しさ

錨を打って船を掛けて、磯の近くで釣りをするというのは初めての経験だった。磯の近くに船を掛けて釣るときに苦労するのは錨が外れて、船が動いてしまう場合と、その逆に釣錨を上げようとしたときに爪が岩に入り込んで錨が外れなくなる場合である。


狙う根に潮がぶつけている側に船をかけることは言うまでもないことだ。このとき風が磯の方向から吹いていれば、錨が外れても船は風下に向かって流されるので、船が磯にぶつかる心配はない。左の塩子島西側の磯の図、図-1参照。

問題は風が磯に向かって吹いている場合である。錨は磯近くのポイントから風上に向かったところに入れる。プレジャーボートでは、竿が出しやすい船尾をポイントの方に向けて釣ることになる。船は潮の流れと風とが釣りあったところに止る。 図-2参照

無風の時のほうが潮の流れだけで船の位置が決まるので楽だが、そういうことはめったになく、そして、風が弱くても潮の流れが変化するために、船の位置が変わる。
船が潮と風で振られて、位置が数mの範囲で絶えず変わるのはしかたのないことで、仕掛けを投入した後、竿を手持ちにし、糸を出してやったり巻き取ったりして、糸がゆるみすぎずまた張り過ぎないようにする。竿尻には尻手(シッテ)ロープを付けておき他の端は船のどこかに結んでおく。何か他のことをやっているときに、イシダイが食って、竿がもっていかれるようなことがあっても困らないためである。

2丁錨で船を掛ける場合についてはまた後で書くが、岩場の近くでは、危険が伴うのでやめたほうがよいということだけ、ここで述べておく。釣っている最中に風上側に打ってあるアンカーが外れると、船は風下、つまり、磯のほうへと吹き寄せられる。波が大してなくても船が磯にぶつかれば船底、あるいはペラが傷つく。
2丁錨の場合、風上(船首)側のアンカーが外れた時には、もう一方のアンカーロープの長さ分だけ風下に船は流れる。このアンカーロープの長さ(プラス船体の長さ)が磯あるいは干出岩までの距離よりも短ければ船は磯あるいは干出岩の手前で止まるかもしれないが、ロープが長ければ船は磯に届いてしまう。つまり、岩場にぶつかってしまう。
したがって、船首側のアンカーが外れて船が流れ出したらすぐにエンジンを掛けて磯から離れる必要があるが、二つのアンカーを引きずって走ることはできない。複数の乗員がいて、船首側のアンカーだけでなくもう一方のアンカーもすぐに引き上げることができればいいが、後ろのアンカーがしっかりとかかっていれば、非常に困ることになる。こういうわけで、磯の近くで一人で釣る場合には、小型の平底の船の場合はともかくとして、1トン以上のプレジャーボートの場合には、2丁錨は止めた方がいい。

1丁錨の場合なら、一応、錨が外れたと分ったら、すぐエンジンを掛けて船を前進させ、磯から離れてから錨を引き上げて打ち直せばいいということになる。しかし、一人では手が足りない。少し風上に走らせ、エンジンをニュートラルにしたら急いで船首に行き、ロープを手繰る。外れればよし。外れなければ(風上側でロープを引いてはずれなくても、船が風下に流れたら外れるかもしれない。そうしたら、やはり釣りはできないのだから、この錨を打ち直す必要は変わらない)、エンジンルームに急いで戻って、再度船を走らせて-----という具合にめちゃくちゃに忙しい作業をやらねばなない。アンカーロープを引きずったままでは、エンジンを掛けて船を動かすのは難しく、結局、干出岩のそばまで流され、船が磯にぶつからないよう、ボートフックで必死に突いたこともある。

アンカーの種類により、掛かりのよさは異なる。

第3章見出しに戻る

アンカーの種類とその長所、短所

塩子島西側の水深30m程度までの海底は、岩盤というよりはゴロタ石らしい。というのは私はこの年、ボート釣りの案内書を見て買ったバーフックアンカーを使っていたのだが、たびたび外れたからである。バーフックアンカーは3cm程度の太さのステンの棒(シャンク=軸、「すね」)のさきについた径が1cm弱の4本のステンの棒(バー)を傘のように開いて軽く曲げ、爪(フック)にして使うもので、海底が岩礁の時に掛かりがよいとされている。このアンカーは「掛かりがよく、外れなくなったときには、強く引っぱれば爪が伸びて外すことができる」というのがその特長である。確かに、割れ目が走っている岩盤などではいったん爪が入ればしっかりと掛かると思われるが、ゴロタ石が積み重なっているようなところでは掛かりがよくないようで、釣りの最中になんども外れ、慌てさせられた。また、バーフックアンカーは砂泥底では全く使えない。砂泥底の場所ではダンフォースアンカーが定評があるようだ。これは折りたたまれたスコップのようなもので、海底に投下後ロープを引くと刃が開いて砂地に食い込むようになっている。

バーフックアンカーは砂地では全く効かない。そしてゴロタ石のところでも外れやすく私は使うのをやめた。しかし、家串周辺は、かつて台風で壊れた真珠貝養殖筏のロープなどが沈んでいて、それに引っ掛かると、他のアンカーでは外すのが難しい場合も、バーフックアンカーは、船で強く引っ張れば爪が伸びるので、とにかく外せる。これはバーフックアンカーの大きな長所だ。

しかし、何度も曲げたり伸ばしたりしているとやがてバーが折れてしまう。翌年はクロハエの近くで釣りをすることが多くなり、ここは底が岩礁らしく、よく掛かって簡単に外れず何度も船で引っ張って外しているうちに、バーが折れて2度新しいものに買い換える羽目になった。

家串付近の海の底は、泥のところ、石のところ、岩盤のところと様々である。幾種類かのアンカーを船に積んでおき、場所によって使い分けるというのでないなら、私はストックアンカーを勧めたい。これは漁師が使っていて、どこの船具店でも置いている もっともふつうの(したがって安価な)アンカーで、底の状態によらず、だいたい有効だ。船の大きさによるが、23フィートか25フィートの小型のプレジャーボートなら、7キロから10キロの重さのこの普通のタイプのアンカーで大体間に合う。

第3章見出しに戻る

錨の根掛り対策

投下した錨が海底で引っかかってしまい、容易に外れなくなることがある。錨の根掛りである。原因はいろいろあるが、岩に挟まってしまう場合の根掛り対策として、実際に漁師がやっている次のような方法がある。
錨綱はふつうシャンク(軸ないし柄)の端についているリングに一本だけ結ぶ。しかし、岩礁地帯の中で次々と場所を変えて漁をしている(ホゴなどの底物釣りか)漁師は、もう一本、頭の方に(少し細い)綱を付け、移動するときに太い綱を引いて外しにくければ、船を少し前に出して頭の方の綱を引いて錨を外し、2本の綱を手繰りあげてちょこちょこ移動する、というやりかたをしていた。これは深いところではむりだが、30m程度までの浅場で移動して釣る場合にはよい方法である。

深場で、一定時間移動しないで釣りをする場合、次のようにすれば錨を外しやすい。錨綱をシャンクの端についているリングに結ぶのでなく、頭の方に結ぶ。その上でその綱とシャンクが20〜30度くらいの角度をなすように、荷造り用のビニールひもなどでシャンクの端のリングと錨綱とを結び、シャンクとその紐と錨綱が三角形になるようにする。細紐の長さをほとんどゼロにしてもよいが、少し長くして、シャンクと錨綱の間に角度を設けると、錨の掛かりがよい。

こうすれば、錨のフルーク(爪)が岩に食い込むなどして外れにくい場合にも、錨綱を張った状態で、しっかりしたクリートなどに綱を縛ってから、船を風上に進めて錨綱を引けば、細い紐が切れ、結局、錨を頭の方から引っ張ることになるので、まず外れないということはない。
この紐が弱すぎると釣りの最中に、船が波で揺れた時などに切れて錨が外れてしまうことがあるので、適当な強さが必要である。左の「錨の根掛り対策、図1」を参照。


だが、太く長い海底の沈みロープなどに引っ掛かった錨を外すのは非常に難しい。
宇和海沿岸では真珠養殖が盛んで多くの場所で、アコヤ貝養殖のための、長いロープを張って作られた真珠筏がある。ところが強い台風に襲われて筏が壊れたりすると、そのロープは海底に沈んでしまう。こうして、あちこちの海底に沈みロープが存在するのである。

次の図aは、普通のやり方でシャンクの端のリングに錨綱を結んでいる錨で、(風下あるいは潮下側に)止まっていた船が、沈みロープに引っかかった錨を引き上げ始めた時の海底の様子である。ストックは省略し、沈みロープ(断面図)はエンジ色の円で示してある。


沈みロープがなく、海底が砂泥底のときは、錨綱を巻くだけで錨を上げることができる。錨が岩に引っかかっても、船を潮上に進めるなどすれば外れることが多い。だが、船の錨綱が沈みロープに引っかかった時には、岩礁に掛かった時とは違い、錨綱を張って船の方向を変えて走ってみても外れない。

錨が海底の岩ではなく、沈みロープに引っかかっているのかどうかは、根掛りした場所の真上で、電動ローラー(ウィンドラス)で錨を巻き上げると、途中までは上がるが次第に重くなってローラーが回らなくなることでわかる。

このような場合には、図1のように錨綱を錨の頭に結んで細い紐でシャンクの端のリングと結ぶやり方をしている場合にも、細紐は切れず、沈みロープは外れない。


図1のような錨を使って風下に止まっていた、船がロープを引っ掛けたまま、ゆっくり風上側に進んだ状態が図2である。

錨綱を巻いて途中まで引き上げたところで、錨綱を急に緩めると錨はほぼまっすぐストーンと落ちるが、左下(船の後方)に引かれている沈みロープは、抵抗が大きいためゆっくりと沈む。こうして錨と沈みロープは離れ、錨だけを回収できる。(もし沈みロープがシャンクから見て反対側のフルーク、図では下側に掛かっていれば、錨を落としても外れない。その場合には反対方向に船を走らせて、同じようにする。)
また、錨綱をシャンクのリングに結んだ錨の場合にも、図aの状態から風上に船を走らせ、同じようにやれば、沈みロープは外せる。

私はこの方法を顔見知りの漁師から教わった。そして、実際これまで10回くらい沈みロープに引っ掛けた(最も深いところで70m)が、全部この方法で外した。1回で外れなくても、方向を正反対に変えて試すなど、2、3回やれば外れる。試してほしい。しかし、以前アコヤ貝養殖の筏が張られていた場所など、沈みロープの多いことがわかっている所で錨を打って釣るのは避けるほうがいいだろう。

第3章見出しに戻る

餌のウニを採る

イシダイ釣りの餌として、東京周辺ではサザエやトコブシ、マガニ、鬼ヤドカリなどが主に使われているが、私が1992(平成4)年に松山にきたときには、愛媛(宇和海)ではカラス貝(イガイ)、高知ではウニが使われていた。しかし、宇和海に異変が生じ、カラス貝は90年代半ばから全く取れなくなり、代わって宇和海でも石物を狙うのにウニを餌に使うことが主流になったようである。ただし水温が低いときにはサルボウ=小型の赤貝が使われる。

私は自前で調達できるウニを使ってイシダイ釣りをやることにした。ウニにもさまざまな種類があり、釣りでよく使われているものに、シラガウニ、バフンウニ、ガンガゼなどがある。南予(愛媛県南部)、および、高知県の柏島、沖ノ島、鵜来島などでは、棘の長いガンガゼが多く見られる。ウニは干潮時に水深1m程度のごく浅いところに集まってくる。真珠養殖の作業小屋の並ぶ岸壁にも、ゴロタ石の駈け上がりにも、いろいろなところにいる。自分であちこち浅いところを覗いて、ウニのいる場所を探す。場所によっては玉網を伸ばしてとることもできる。

ジョレンという、貝などを掘り出す一種の鋤あるいは熊手のような道具があり、漢字では鋤簾と書く。シジミやハマグリを取る漁師は、スコップかそれを一回り大きくしたようなジョレンを使うが、釣具店にいくと、潮干狩りなどで使うための、長さが30〜40cmの柄のついた小型のものが売られている。わたしはこれを4mほどの竹竿の先に縛りつけた道具を作り、これを使って岸壁の上から、あるい浅場で船の上からウニ採りをした。

湾内の水深が2mくらいの浅場では、錨を落として船が動かないようにしておき、船縁から身を乗り出して、海底の岩や石に着いているウニの位置を見定め、この道具を使ってウニを掬うようにして採る。竹竿を水中に2mほど入れて動かさねばならず、合計で2キロ近くある竿とジョレンの重さと水の抵抗とで、竿を動かすためにかなり力を使う。浅いところほど採りやすいが、あまり浅いと船の底が海底の岩にぶつかる恐れがあって、水深が2〜3mのところでやることになる。平底の船外機船ならペラを海上に上げることができ、ずっと浅いところでも可能だろう。

少しでも風があるときには、風上側には細かな波が立ち、海面に皺が寄ったような状態になって、水中のウニが見えなくなる。波が立たず海底がよく見える反対側で採り、風向きが変わるたびに、右側でやったり、左側でやったり、見えやすいほうの海に竹竿を入れ、ウニを掬う。また時々、風が完全に止まることもある。そのときには集中して、いくつか連続して採る。こうして、時には、真夏の灼熱の太陽を浴びながら、3時間近くも、ウニ採りをやった。

地元にはウェットスーツで海に入って、渡船の釣り客向けにウニを取り、アルバイトをしている人もいる。私も1〜2度、水に入って取ることを試みたことがある。水中眼鏡、ウェットスーツをつけ、手にジョレンを持って、海に入る。腰くらいまでの深さのところで採るのは難しくない。しかし、それ以上の深さのところでは、2mあるかないかというくらいのところでも、いったん、逆立ちをするようにして潜らないと、ジョレンでウニを掬って採ることは出来ず、潜って片手だけで泳ぎながらジョレンでウニを掬うというのは決して簡単ではない。かといって棘の長いガンガゼは手袋をはめていても手でつかんで採ることはできない。
またジョレンで掬ったウニは水に浮かしたカゴの中に移す。だが、カゴはふわふわと動き、またジョレンは500gくらいの重さだが、立ち泳ぎをしながら、ジョレンを持った手を海の上に上げて中のウニをカゴに振り落とすというのは非常に難しいのである。他のやりかたがあるのかもしれないが、こうしたやりかたしか思いつかなかった。このやり方では、1個1個採るのに時間が掛かり、また、カゴに数個たまると船の上のカゴにそれを移さなければならず、非常に効率が悪いことが分ってやめた。

結局、船上から、竹竿の先につけたジョレンで採ることにしたのだが、釣りの帰りに、真夏の海で、真昼間、太陽に焼かれながら船の上でウニを採るのも、体力をひどく消耗する。これを終えて帰港し、濡れタオルや釣り用の小物などを入れたバッグのほかに、釣れたときには数キロのイシダイを載せたリヤカーを引いて、家まで5〜6分歩く。これがつらい。足を動かすのがやっとで、途中でぶっ倒れはしないかと思いつつ、坂道を登って家に帰ったものである。

舳先近くの手すり越しに、竹竿を伸ばして取っているときに、身を乗り出しすぎて、海に落ちたことがある。夏の昼間で、船の上の作業を汗だくでやっている最中なので、むしろ、水に入って涼しくなり、気持ちがよくなったくらいだ。しかし、私は乱視の入ったやや強い近視のためメガネを掛けており、水に落ちた拍子にメガネが外れてゴロタ石の海底に沈んでしまった。水深は私の背丈ほどで、メガネが落ちた場所はせいぜい2m四方程度のごく狭い場所なのだが、裸眼で石の間を探すのは難しく、見つからない。メガネがないと生活が不便でかなわない。潜りの得意な友人の源さんに電話して、見つけてもらい、事なきを得た。(松山に戻った時ちょっといい焼酎を買ってきてお礼に持って行った。)

その後は、ウニ採りをやる時には、スポーツなどをやる時に使う、眼鏡のツルに掛けて頭の後ろで止めるメガネ・バンドを買って、使うようにした。その後暫くしてからのことだが、釣りを終えて筏に係留していた船のロープを解こうとして、海に転落した。このときには、メガネバンドをしていなかった。水深は30m以上のところである。メガネが外れて沈んでいれば回収は不可能だった。しかし、このときは、後ろ向きに背中から海に落ちたのがよかったらしく、メガネは外れなかった。

近視・乱視だけでなく老眼にもなると、メガネをしょっちゅう掛けたり外したりする必要があり、その際にメガネバンドを使っていると煩わしく感じる。こうして結局、船の上では、メガネバンドは使わず、「海に落ちないよう常に注意して行動するように心がける」ということにした----これは全く当たり前で、言わずもがなのことだ。その結果、メガネバンドは、今では机の引出しのなかに入れっぱなしになっている。

第3章見出しに戻る

2007年、サクノセの石物釣り

内海湾の南の端をなす中泊の磯で石物が釣れ始めるのは例年5月の連休明けくらいからのようだ。そこで内海湾内の北部、クロハエや塩子島では釣れるとしてももっと後になると考えた。また、塩子島の磯の近くのポイントは水深が15m前後で、やや浅いと思った。私は、関東での釣りの経験から、水深があるほど大型が回ってくる可能性が高いと考えていたので、他の場所を探した。

塩子島の南端から900mほど南には、灯台のあるクロハエという小島があり、ここは磯釣り場にもなっている。塩子島からここまでの海底は幅が100mくらいで、水深が6〜7mから15mくらいの岩礁帯になっている。この東西両側は水深が30mから40mくらいまでは岩盤で次第に深くなり、そこから先は砂底になっている。
塩子島とクロハエの中間に、大潮の干潮時に頭を出す、サクノセという大型バスくらいの大きさの根(干出岩)がある。この根は、東側を除き、周囲がほぼ垂直に切り立っていて、根際で水深が20m、5mも離れると25mある。そしてここには、塩子島の西岸よりもはるかに強い潮流がぶつかることがわかった。

そこでこのサクノセで石物を狙うことにして、6月に入ってから何回か、真珠の屑、ウニをコマせ、下旬に数回竿を出してみたが、5〜6キロのコブダイ(関東ではカンダイ)3尾とイラ数尾のみで石物は釣れなかった。

台風が通過したり、猛暑日が続いたりして、7〜8月はほとんど釣りをせず、8月下旬になってから、釣りを再開。27日から31日まで4日通い、1キロから2キロ200〜300までのイシガキを8匹、他にコブダイを釣った。大潮周りで、潮がガンガン流れ、潮止まり近くになって緩んだ時に釣れた。水温は非常に高く28℃から29℃。気温はもっと高く、タンクに入れて持っていった水を頭からかけ、オーニングを半開きにして日陰を作りながら釣りをしたが、それでも熱中症になりそうな暑さのなかでの釣りだった。

9月中旬に1日、下旬に大潮周りを狙って7日、合計8回出漁した。水温は27℃から28℃。気温は高い日が33℃、低い日が30℃だった。イラなどしか釣れなかった日も3日あったが、イシダイ60cm、3.5キロを頭にイシガキダイ1.5〜2キロを4匹の計5匹、あるいはイシダイ1.5キロと3キロのほかにイシガキダイ1〜1.5キロ3匹、計5匹釣った日があった。この9月中の釣りで、石物を合計18匹釣ることができた。

第3章見出しに戻る

良型「本イシ」が釣れた

次は、60cm3.5キロのイシダイが釣れた9月25日と、3キロのイシダイが釣れた27日の日記の文に少し手を入れたものである。

9月25日、大潮初日、5時満潮、11時干潮。天気予報では曇り時々雨。実際は、9時近くからどんどん晴れて暑くなった。とはいえ、今日の最高気温は宇和島で30度だった。起床は6時半ごろ。トースト、コーヒー、オムレツとレタスだけのサラダで朝食。

8時ごろサクノセで釣り始める。凪で、潮は緩く北から流れている。弱い北風で、船をサクノセのほぼ中央から20mほど北に掛ける。仕掛けは足元に落とす。水温は27〜8度。始めから活発な当たりで、まず小型のイシガキを釣り、2匹目には2キロ弱の縞のあるイシダイが釣れた。内海で釣る最初のイシダイだ。イシガキだけでなく、イシダイも釣れるはずと確信してはいたが、やはり実際に釣れると嬉しい。そして、「本イシの貫目クラス」への期待が高まる。3匹目と4匹目は石垣。4匹目はいったんデッキ、エンジンルームの上に上げたが、もたついて海に落とした。これはまずい、もう釣れないかもしれないと心配したが、当たりは続いた。

5匹目は、当たりは小さく、イシガキと変わらなかったが、掛けたあと引きが強く、もしかしたら、コブダイかもしれないなどと思ったとたん、竿がのされるかとおもうほどの引き。中腰の姿勢で竿を持っていることができなくなり、エンジンルーム手前のデッキに膝を付き、竿尻をデッキにつけてリールの前方を両手で掴んで、竿を起こそうとした。しかし、うまくいかず、竿尻が上がってしまい、竿はエンジンルームの上でほとんど水平になってしまった。元竿の前の方は、幅10センチほどの、船尾の少しだけ高くなっている縁(へり)で止まったが、そこから起こすことができない。

右手はリールの少し手前を上から押さえつけ、左手がリールの前方を下から持ち上げるかっこうになった。自分がどんな姿勢であったかは思い出せない。竿は2番から曲がってその先は海中に引き込まれていた。竿とエンジンルームの間には船尾の縁の高さと同じ1センチほどの隙間があり、竿を握っている左手はかろうじてつぶされずに済んだが、間に挟まって痛い。我慢して竿を掴みつづけた。しばらくは竿を引き起こすどころでなく、ただ元竿を押さえつけ、撥ね上げられないようにこらえているだけだった。しかし、やがて、突っ込みが弱まり、次第に竿がおこせるようになった。そして、魚は浮き、茶色(コブダイ)ではなく、黒っぽい魚体が海面下に見えたと思うと、縞の消えた大型の口黒が姿を見せた。ついにやった。思っていた通り、イシダイの良型を釣ることができた。

今朝釣り始めてからこの時まで1時間半足らず。そのあとも活発な餌取りがあるので釣りつづけた。途中から漁船がすぐそばに来て、こちらの釣りを見ている。魚が食ったら釣るしかないが、漁師の前で釣り上げるのはいやだった。ここでイシダイ、イシガキがよく釣れるのを見たら、釣りにくるかもしれない。プロの漁師がここで釣るのはごめんだ。20〜30分。数回、餌だけが取られ、漁船がいる間は"運良く"魚は掛からなかった。漁船がいなくなったあと2匹ほどイシガキダイの1〜1.5キロクラスを追加した。

11時ごろ潮が変わって東から流れ始めた。もう少しやってみようと思ったのだが、間もなくアンカーが外れてしまい、船が流され始めた。アンカーを打ちなおしてまでやる気にはならず、納竿にした。

イシダイはあとで測って、重さ3・5キログラム、体長60cm。釣ったときの手ごたえではもっと大きいかと思ったが、腹がやせていて体長の割には目方がなかった。しかし、四国で最初にイシダイらしいものを釣ったのは、愛媛に移って来て3年目の1994年、柏島の平バエ(アンパン)で3.1キロだった。それ以後、魚拓にするようなイシダイもイシガキダイも釣れなかった。途中、数年間仕事と子育てで忙しく、釣り、つまりイシダイ釣りを休んだが、13年かかってやっと2匹目の型物の本イシを釣ることができた。

最近、西伊豆・入間の赤島で20年以上前に大型イシダイを釣ったときのこと思い出し、イシガキダイがよく釣れているところには、そのうちに大きいイシダイも回ってくるのではないかと考えた。そのとおりになったといえるだろう。1貫目、あるいは4キロは越えられなかったが、近くの塩子島の沖ではマダイ釣りをしていた人が、5キロとか6キロとかのイシダイを釣ったことがあるというから、この付近に大型イシダイがいるということは確かだ。きっとそのうちに釣ることができる。

9月27日。昨日は釣りを休んで、昼前の干潮時に港の岸壁についているウニを20〜30個取った。今日は大潮最終日の4日目、満潮6時、干潮12時半。5時すぎに起床したが朝の気温は23〜4度で涼しく、体のあちこちが筋肉痛で痛むのでお風呂に入り、それから朝食。出港は、7時半。

ほとんど風がなく、海はべた凪。潮がゆるやかに北から流れている。一昨日と同様、サクノセの北西、20mくらいのところに船を掛けて、竿を出したのは8時すぎだろう。始めは晴れており、左斜め前から強い日差しが照りつける。水温は27度。操縦席の脇で気温は28度。オーニングを半開にしても朝は頭がやっと日陰に入る程度。暑い。予想最高気温は30度。9時ごろからは雲も出て、日差しが和らいだが。

最初の仕掛を入れて間もなくごそごそという小さい当たり。合わせるとうまく針掛かりしてかなり引いた。しかし上がってきたのはイラ。まさか今日はイラだけなどということはないだろうなと、少々不安を感じる。2度目の当たりも引き込まない。餌を付け替えて小さな当たりに合わせる。今度は小さいがイシガキ。ほっとする。3匹目は再びイラ。1.5キロくらいあり、途中、相当強く引いた。4匹目はイシダイの1.5キロくらいの型。これは当たりも小さかったが、リールを休まず巻くと簡単に上がってきた。イシダイはうれしいが、おととい釣ったものと同様やせた感じ。どうも、今のイシダイは「夏痩せ」しているようだ。

次も当たりは小さい。途中まで簡単に上がってくる。小さい魚を休まず一気にリールを巻いて釣り上げようとするのはみっともないと、巻くスピードを少し緩め、魚の引きを味わい少し楽しもうなどと思った瞬間、ガツーンと強い引き。魚が反転したのだろう。竿が大きく曲がり、道糸が竿に擦れて、ギュギュギュギュギュギュッと音を立てる。前の魚を釣ったとき、デッキに腰掛けた状態で股のあいだに竿を入れてリールを巻いたが、竿尻が内股にぶつかって釣り心地が悪かった。それで今度は立って中腰で釣っていた。竿がギュギュギュッと曲がり、体が浮きそうになると、腰を後ろに落として堪える。相当強く引いたので、コブダイでないことを願った。座って釣るよりもいい感じだ。2、3度突っ込まれたが、その都度腰を落として、堪えた。

上がってきたのは、全体がやや黒いが縞の残っているイシダイだった。一昨日釣ったものよりは小さいが50cmは十分越えており、3キロはありそうだ。またまた、良型のイシダイが釣れた。ここまで1時間ちょっとくらいである。そのあとも食いは続き、1.5キロクラスのイシガキを3匹追加。全部で6匹釣った。

11時近くになると潮がとまり、少し前に海の上を南に向かってゆっくり流れて行った空のペットボトルが戻ってきた。潮が上げはじめたのだ。10分か15分ほど、上げの潮で当たりを待ったが、全く当たりがなくなったので、納竿とした。今日も大漁でイシダイ釣りを十二分に楽しむことができた。4キロあるいは5キロを越える奴はまだだ。6キロを越える大型が来たら、堪えられるだろうか。楽しみはまだ残っている。しかし、なんだか、もう十分釣ったような気もする。数はもっと少なくてもよい。1日に1匹か2匹でよい。釣り上げるのがやっとで、釣ったあと、しばらく放心して、座り込むような大きい奴が1匹か2匹。これは贅沢な願いだろうか。これまでの記録の6・8キロを越えるものを釣ったらどうするだろうか。もう釣りはやめてしまうのではないだろうか。

2007年秋のある日の釣果。毎日とはいかなかったが、しばしば複数匹、時に5匹、6匹と釣れた。

この頃が絶好調で、それ以後、3キロを越えるイシダイを釣ることはできなかった。10月は2日だけの釣りで、1キロ半前後のイシガキを5匹。11月は6日から14日までに6回出漁。水温は21℃から22℃。コブダイしか釣れなかった日が一日あった他は、連日のように釣れ、1キロから2キロ弱のイシガキが10匹ほど釣れた。その後12月2日に行った。水温は20℃を下回っており、当りが全く出ず竿を上げてみると付けたウニの餌がそのまま残っていた。

07年の釣果は、石物は全部で35〜6匹、ほとんどがイシガキで、イシダイは3〜4匹であった。

第3章見出しに戻る

サクノセでのアンカリングの苦労と暗岩・イサギ根

上で、磯でのアンカリング、磯の近くに錨を打って釣る掛かり釣りが難しいことについては書いた。サクノセでもアンカーが外れることはしばしばあった。昼の干潮時、船が海上に頭を出しているサクノセのすぐ近くまで流され、岩にぶつかりそうになって冷や汗をかくことが何度かあった。(ボートフックで必死に岩を突いた。)また、アンカーは根の北側にあり、流された船が南側に来てしまい、岩が海上にでているためアンカーロープを引っ張ることができなくなったこともある。このときは、錨はそのままにして、ロープを丸めて縛り、ブイをつけて放り込んで寄港し、翌日、満潮で船底が根にこすらない時に行き、ロープを引いて錨を回収した。釣り場が港から近いのでこうした対処も可能であった。だが、常に海上に出ている岩礁や島、あるいは干潮時には頭を出すサクノセのような干出岩の近くに船を掛けて行う掛かり釣りには危険がある。

そこで、錨が外れても心配せずに、もっと安全に釣りのできるところがないか、魚探とGPSを使って近くを探してみた。すると、サクノセから南に100mほど離れたところに、根の頂上の水深が15mくらい、大きさは南北が7〜8m、東西が15mほどの高根(暗岩)があることがわかった。この根の周囲は水深30mくらいあり、とくに根の北側は鋭く落ちこんでいる。サクノセがイシダイの通り道だということは確かで、サクノセに来る魚はここにも回ってくるはずである。そして、ここなら、アンカーが外れて船が流されても、干出するサクノセと違って船が根(岩)にぶつかる心配はなく、また、アンカーと船と根との位置関係で、アンカー・ロープを巻くことができなくなるというような問題は生じない。

そこで、08年はこの根の北側でイシダイを狙うことにした。この根の周囲はイサギがよく釣れることが分かっていたので、私は、自分用に、この根をイサギ根と呼ぶことにした。イサギは関東で言うイサキの関西での呼び名である。もちろんイサキをイシダイ仕掛けで釣ることはできない。イサギを釣るときには、ナイロンのハリスとオキアミの餌でマキコボシ釣りまたはビシ釣り(この近くではテンビン釣りと言い、大阪周辺ではズボ釣りとも言うようだ)で釣るのだが。

第3章見出しに戻る

2008年のイシダイ釣り

08年は、イサギ根で5月からイシダイ狙いの釣りを開始し、水温が21度より低いときに、刺を完全に切り取り、殻にひびを入れるなどしたガンガゼ、あるいは棘が短く小さい尻高ウニを使ってみたが釣果は得られなかった。6月に入ると水温が21〜2度を超えたので、ガンガゼを使って何日か数時間ずつ、イサギ根だけでなく、由良半島の先端近くの、地形的に有望だと思われる大きな暗岩にも足を伸ばしてみるなどして竿を出したが、やはり釣れなかった。

この内海湾では梅雨が明け、水温が十分にあがりきるまで石物は回ってこないのかもしれない。7月はイシダイ釣りはやらず、8月に入ってイシダイを狙って最初に釣行したのは8月8日で、7時ごろイサギ根に行った。

この日は、小潮。午前中の上げ潮は南東方向から流れることが分っていたので、イサギ根の南東50〜60mほどのところに本錨をうち、根の北側までロープを伸ばし、2丁目のアンカーを打つ。それから南東側のロープを巻いて根から少し離れ、水深28mくらいのところで釣った。

宇和海では夏、晴れていれば昼間はふつう、西ないしは北西からの弱い海風が吹く。上げ潮が南東からなので、錨が一丁だけでは船の位置が定まらず、釣りができないため、2丁錨で船を掛ける必要がある。そしてここでは、船が岩場にぶつかる心配がないので、錨が外れても、ゆっくり打ち直しをすればよい。潮は小潮でもかなり流れる。

この日は、午前9時〜10時、上げの7〜8分で、イシガキ1〜1.5キロ4枚、それに大型コブダイを釣った。8月16日まで7回出漁し、釣れたのは3回でイシガキばかり8匹だった。次は8月8日の日記に少し手をいれたものである。イシガキダイを数匹釣り、そのほかに11キロ超のコブダイを釣った。

8月8日

ウニを入れたカゴを積んで、出港したのは6時半くらい。曇っていて、薄暗い。サクノセの南の高根---「イサギ根」とこれから呼ぼう----の近くでエンジンを止めると、弱い北西風が吹いているが、船は西、あるいは北西にむかってゆっくり流される。つまり、南東から強めの潮が入っているということだ。イサギ根の南東50mほどのところに(10キロの)本錨をうち、根の縁までロープを伸ばし、水深14、5mとなったところで軽いほうの(7キロの)錨を打つ。少し滑ったが、たぶん、イサギ根の途中に引っかかってとまったはずだ。それから、南東側のロープを巻いて、根から10mか15mくらい離れる。船の数mの位置の変化に連れて、水深は23〜4mから29mくらいまで変化する。海底に相当な凹凸があることがわかる。

潮はかなり流れているが、25号のオモリで、潮上に投げて、足元か少し潮下に仕掛を止める。8時くらいまでは、餌取りもなし。ウニに切れ目を入れて落す。コマセのために、15分間隔くらいで、竿をあおって残っているウニを落とし、新しいものに付け替える。8時くらいに潮が緩んだ。潮の緩むのを見計らってだろう、柏(合併前、内海村の役場があったところ)の漁師が夫婦舟でやってきた。私の船のすぐ南側に、私のアンカーロープと平行に2丁アンカーを打って、いつものように、バクダン(マキコボシ)釣りを始めた。イサギを釣るのだ。

9時すぎくらいに、ごそごそいう小さなあたりが出るが、竿先を引き込まない。竿を少し立てると水の抵抗がなく軽い。餌をとられた。イシガキかイラか。同じような当たりの3回目、ゴソゴソッときて少し穂先が曲がったときにあわせる。ギューンと2番まで曲がり、魚がかかった。途中でよく引くが、ガクン、ガクンと首を振るような感じで、イラだと思った。しかし、斑点が見えた。浮いてきたのはイシガキダイだ。うれしい。今期初の石物だ。1.5キロくらいか。抜き上げる。上げ潮を狙ったポイントの選定が正しかったのだ。

第3章見出しに戻る

大物との格闘

次ぎの当たりも、最初のイシガキと同じようにゴソゴソッときたので、合わせた。そのあと、強い、重々しい引きこみが来た。竿尻を下腹に当て、左手でリールの向こう側を掴んで竿を支えると、元竿が水平から少し上を向いた状態で、3番から先は大きく曲がって穂先は海に向って突き刺さるようにまっすぐ下を向いている。

さっきのイシガキの時はドラッグは効いていた。ところが今度は竿の角度を保ったまま、リールを巻こうとすると、ずるずるすべって道糸を巻き取ることができない。糸を巻き取る代わりに竿を立てても、魚を根から引き離すことができる。だが、竿はある程度まで立てると、曲がるばかりで弾力がなくなり、魚を釣り上げる力にはならない。竿はもうすでに大きく曲がっていて、これ以上起こすのは無理だと思われた。リールを巻かなければならない。ドラッグがすべるので、道糸に掛かる張力を弱めなければ糸は巻き取れない。ポンピングをしようかと考えた。しかし、右手でリールのハンドルをつかんだまま、左手一本で竿を支えた状態で竿先を下げた場合に、魚が大きく、強い力で引けば、竿を再び起こすことができなくなってしまうかもしれない。

竿先を下げるのは危ないと思い、竿先を下げず、竿は水平より少し上に向けた状態に保ったまま、腰を落としながら、ハンドルを回す。運良く、魚はあまり突っ込まなかった。竿先を少しだけ下げては道糸を素早く巻き取り、次いで右手でも竿を握り、両手で竿を起こして魚を引き上げる。これを繰り返し、道糸を巻き取った。

途中まで来た時、魚は今自分が釣られていることに気がついたとでもいうように、すごい勢いで下に突っ込み出した。私が魚を掛けたとき、ちょうど、夫婦舟の女性がこちらを見、隣の夫にも話したようだ。二人でこちらを見ている。

道糸が短くなった分だけ、魚の泳ぎをますます直接に反映して竿が大きく曲がり、海面に穂先が突っ込む。そのたびに竿が船縁にぶつからないように、両足を踏ん張り体をのけぞらせ、「あー」とか「うーっ」と声を出しながら、両腕で竿を支える。そしてまたすぐに腰を落としながらリールを巻く。去年一度、サクノセで掛けた後、リールを巻けないまま、根に突っ込まれてワイヤーの上から仕掛を切られたが、これはそのときの雪辱戦だ!負けてなるか。ようやく魚が浮いてきた。しかし、魚の姿が見えたとき、私は思わず「あー、違う」と、向こうの船の2人に向ってなのか独り言だったのか、声を発した。斑点でも縞模様でもなく、薄茶色をした巨体だった。

            

コブダイである。大きく重い。竿尻をデッキのハッチとハッチの間の溝に入れて竿を立て、魚を船に近づけようとする。竿尻が滑って竿が立たず、魚が離れる。もう一回。立てた竿は左手で抱きかかえるようにし、近寄った道糸を、右手に持ったギャフに引っ掛けて引き寄せ、左手でワイヤーをつかむ。魚はまだ突っ込もうとするので、ワイヤーを右手に持ち替えて引っ張り、舷側に引き寄せてから、左手に持ち替えたギャフをエラの下に差込み、ギャフが掛かったことを確めてから、両手で引き上げる。魚がデッキの上にどさっと落ちた。
大きな口をあけている。口の内側の上のほうに、ちょっとだけ針が掛かっている。外そうかとおもったが、噛まれたら大変だと思いやめた。プライヤーが見当たらず、スクリュウサルカンからワイヤーのハリスをはずした。それから、メジャーを当ててみる。90センチだ。去年釣った最大のコブダイは85センチだったので、それを上回っていた。


左の写真の魚拓は前年の11月に釣ったコブダイ。

その後、10時前くらいまで、1時間くらいの間に、同じような小さな当たりに合わせて、1キロ半から2キロ半くらいまでのイシガキを3匹追加。合計4匹。これだけ釣れれば十分だ。今季初のイシガキを釣った日が、コブダイも入れて大漁(?)の日ともなった。コブダイは帰港してから、農協のマーケットの量りを借りて測ってみた。11キロちょっとだった。

翌8月9日の日記には、昨日のコブダイ釣りで無理をしたらしく、左肩と右胸が痛む。釣りにでるのはやめ、ごろごろして過ごした、と書いてある。           

8月28日、若潮の3日後の中潮、干潮10時半。8時半くらいにイサギ根の北へ。曇り。風は緩い北西風。最近、この根の北西沖60〜70mのところにKさんが入れっぱなしにしたアンカー(常錨)に付けてあるブイにロープを結び、それを伸ばしながら船を南東にゆっくり動かしてイサギ根の南東側まで行って、アンカーを打つ。それから北西側のロープを巻いて、根の北ないし北西側で、根から10mか20mほど離れたあたりに船を掛けるようにする。

すでに7分ほど下げているのに、潮はかなり早い。イーチ、ニーと数えて、およそ5秒で2mから3m流れる。1ノットから1ノット半ほどである。間もなく柏の漁師がやってきた。「がいに、潮が走りおるのう」。

ウニのとげを取り、25号オモリで潮上に15〜20mくらい投げて、船の横(南側)に仕掛を沈める。9時過ぎに、弱い当たりがあり、餌を取られた。すぐ仕掛を打ち直すと、ゆっくりした当たりの後に穂先が入ったのであわせると、魚がかかった。竿を60度くらいに立ててリールを巻こうとすると重くて巻けない。次の瞬間ズーン、ガガーッと竿が引き込まれた。

リールのハンドルをつかんでいた右手を放し、両手で竿をリールの前で掴んで引き込みに耐える。竿を立てたいが何もできない。ガンガンガンとものすごい力で竿が引っ張られ、元竿が水平くらいまで引き下げられてしまった。このまま突っ込みが続くと竿を「のされてしまう」と、一瞬、恐怖に似たものを感じた。とにかく渾身の力をこめて両手で竿を掴んで耐えた。10秒か15秒か。漁師が「大きいのを掛けたのう」と声を掛けてきた。激しい突っ込みが弱まり竿が少し立った。

右手を竿から離し、リールのハンドルをまわそうとすると、再び、段をつけるようにガンガンガンと突っ込み、また両手で竿を支える。15秒か、20秒か。もっとずっと短い時間なのかもしれない。最初の時よりも突っ込み方が強く長い。「ウワーッ、ウーン、ウーッ」。竿尻が、伊豆大島のフジブンで買った厚いゴム板を重ねて作った竿受けの上からぐりぐりと下腹に食い込んで痛い。竿受けの真中が腹と一緒になって凹み、縁が反り返っていた。「アーッウーン」。がまんの限界に近づいているように感じた。ガネルの縁まであと、10センチか20センチだった。竿をここに乗せれば楽になると思ったが、そうしたら、もう再び竿をたてられなくなるか、あるいは体ごと竿尻を持ち上げられてしまうような気がして、竿尻が下腹に食い込むのに耐え、自分の腕の力だけで竿を支えた。引きが少し弱まり、竿が少し立ち、リールを巻こうとすると、再び突っ込まれた。「ワーッ」。

しかし、3回ほどこの引きに耐えると次第にリールが巻けるようになり、途中でやはり何度か突っ込みがあったが、最初の2、3回よりは弱くなり、魚が少しずつ上がってきた。漁師が「5キロじゃ」と言う。そう、イシダイなら5キロくらいあるかもしれない。やっとここで大型のイシダイにめぐり合えるのだ。しかし、海面のすぐ近くまで上がってきた魚が最後の力で反転したとき、白っぽく、イシダイではないことがわかった。コブダイだった。ギャフを伸ばして道糸を引き寄せ、ワイヤーを掴んで、ギャフをエラの裏に入れて引き上げた。大きそうに見えたので、測ってみると90cmだった。目方は測らないと分からないが、体長ではこの前釣ったのと同じ大きさである。

コブダイを釣っている最中に発したうめき声を書いた。最近、新聞か何かで、テニスのマリア・シャラポアがサーブを打つときに、「ンアーッ」という声を発するというのを読んだのを思いだしたからだ。ついでに、昔、大平首相は質問されて詰まったときなどに「アーウー」と言う声を発したという話も思い出した。

狙って釣ったのではない。外道にすぎない。しかも食べてうまいというほどの魚でもない。イシダイの良型なら「やったあ、やったぞーッ」と昂揚感、達成感があるが、コブダイではそれがない。しかし、単にがっかりしたというのでもないし、疲労感しか残っていないというのでもない。イシダイの場合は、魚がかかった場合のことだが、自ら望んで大物にぶつかっていくのだ。コブダイはそうではない。いわば、相手から仕掛けられた戦いであり、戦わざるをえなかったがゆえに戦ったに過ぎないのだが、それでも、真っ向からぶつかって負けなかった、何とか相手の激しい攻撃に耐え抜いて勝ったのだ。その意味で、とにかく無事に終った、負けないでよかった、そういう安堵感のようなものはあった。

東京では「カンダイ(コブダイ)の一のし」という言葉を聞いていた。この言葉は服部善郎『海釣り大事典』(廣済堂、平成10年)にも載っている。カンダイは針掛かりしたときの最初の引きは強いが、それをこらえればあとは大したことはない、というのである。しかし、私がこのクロハエ周辺で掛けたコブダイはいずれも繰り返しモウレツな勢いで突っ込んだ。なお服部によれば関東ではもう5キロを越えるものはめったに釣れないという。

このあと、もし実際5キロのイシダイが来た場合にどうなるかを考え、厚手のネオプレンゴムでできた、ヒップガードを前後ろ反対につけ、これとフジブンの竿受けの2枚重ねで釣りをした。しかし、その後釣れたのは1キロかそこらのイラだけだった。

さほど気温は上がらず、9時くらいまで、暑さ対策は必要なかった。コブダイを釣ってしばらくすると、雨が降り出した。北側のすぐ近くの由良半島は見えていたが、10kmほど先の南の鹿島や中泊は全然みえず、その3kmか4km手前の三畑田島も一時見えなくなった。

コブダイを釣った後、体を冷まそうと、冷したタオルを頭や首に巻きつけていたが、雨が降りだしたら、冷たくまた肌寒く感じたのでカッパを着た。ところがカッパを着るとこんどはたいして体を動かさないのに汗でびしょびしょになった。しばらく降った後、こんどは晴れて、日が射してきた。カッパの上着はすぐに脱いだ。しかし、竿受けとヒップガードをつけ、長靴を履いているので、カッパのズボンは簡単には脱げない。しばらくそのまま釣りを続けていたが、熱くてたまらなくなって、当たりを見逃さないように注意しながら、少しずつ脱いだ。

  潮は10時くらいに緩み10時半に完全に止まった。11時時ごろ、穂先を持ち込まないもぞもぞした当たりがあって、3回餌をとられた。あわせたが針掛かりしなかった。要するに「釣果なし」。昨日もイシダイは釣れず、今日もコブダイの後はイラが釣れただけ。だが、昼食の時間になったので、とにかく、いったん陸に上がることにした。

  帰港して、コブダイをキャリーに入れリヤカーに乗せて歩いていると、カズさん(兵頭カズオさん)がいたので「見てよ」と声を掛ける。「何を釣った?」、「コブダイ」、「なーんだ、モブシか。どれ、うわー、ふといなー」。「誰か食べてくれる人がいないかねえ」。「そうだなあ、俺の兄貴のところに持っていってみなよ。たぶん食べるよ。義理の兄貴のところ。」

  農協の量りを借りて測ってみると、キャリーに入れた状態で14.5キロあった。キャリーが1キロ半ほどで魚は13キロ。この前、伊井安さんのところに持っていったのは11.5キロだったのでそれを上回る。

  カズさんの義理の兄さん、黒田さんのところで聞いてみると、この前、隣の伊井さんから「もらったばかりだ」という。農協に戻り店長に聞いてみると、浅野藤吉郎さんのところにもって行ってみるとよい。浅野さんは魚好きだと言う。

  藤吉郎さんは喜んで引き受けてくれた。私が「ありがとうございます」というと、「魚をもらって礼を言われたのは初めてだあ」と返事が返ってきた。

午後の上げ潮でもう一度イシダイを狙う積もりだったが、昼食を済まし昼寝をした後、疲れが取れず、出漁は止めにした。

  夜になっても、疲れが残っているのを感じた。竿を支え続けたせいだろう左腕、それもとくに上腕が痛んだ。また腰は左右両方が痛かった。サロンシップを貼って寝た。暑くも寒くもなく、タオルケット一枚で、窓を半開きで寝るのにちょうどよかった。わたしの家は、南側のコンクリート建ての家の陰になり、真夏でも、昼間の気温はめったに28℃を越えず、また、夜になると、北側の山肌を伝って冷気が下りてくるため、朝は23〜4度と非常に涼しい。

  しかし、頭が変に熱かった。9時に寝て、いったん12時ごろ目が覚め、氷水で絞ったタオルを顔に乗せて寝た。1時半頃再び目が覚めタオルを取り替えた。5時ごろまた目が覚め、今度はアイスノンをして寝た。6時に起きて新聞を読んだ。風呂に入りたくなり、熱い湯を足して入った。重い腰が気持ちよかった。

  -------------------------------------------------------------

第3章見出しに戻る

2008年の釣果

 

内海では、大潮周りは昼まで潮が下げていく。潮の強さは全くさまざまである。前日、潮が非常に緩く釣りやすかったのに、今日は潮がガンガン流れて仕掛けが止らず、潮止まりの前後だけ釣れるという具合である。

8月27日から9月4日まで連日9日間出漁し、釣れたのはそのうちの5日。釣果は石物合計16枚、うちイシダイが2匹。1日に1.5キロから2キロくらいのイシガキダイが6匹釣れた日があった。他に大型コブダイ1匹。水温は27℃から28℃。前年と同じような高水温だ。その後、9月13日〜15日の3日間でイシガキ2匹。9月下旬には、風で釣りにならなかった日も含め5回出漁。釣れたのは1.5キロ前後のイシガキ1匹。

10月中は7日間出漁して、1キロ〜1.5キロ位のイシガキを6匹。11月は中旬に6日間出漁、2キロを頭にイシガキを合計9匹。12日には1日に6匹釣れた。水温は21℃を上回っていた。

12月12日〜14日の3日間で、1キロ強のイシダイ1匹、0.5から1.5キロのイシガキが合計5匹釣れた。水温は12日には19℃。14日は18.5度だった。

12月17日、2時間の釣りで300〜500グラムの小型のイシガキ2匹、水温は18度を切っていた。水温が18℃以下になるとウニを食わなくなる。この日が2008年最後のイシダイ釣りになった。

釣れ始めた8月8日以降、10月末までに30匹、その後12月17日までに15匹ほど釣った。前年よりも10匹ほど多い45匹の石物を釣ることができたが、出漁日数は前年が21日なのに、08年は40日近くに上った。しかし、毎年釣れるかというとそうではなく、翌09年にはほとんど釣れなかった。あとで、カゴ漁をしている漁業者から聞いた話でも、この2年はとくにイシガキがよくカゴに入ったが、他の年は違うということだった。私は運がよかったということのようた。 

08年は、大潮周りの下げ潮の日には、イサギ根の北側で19〜20回釣りをし、釣果26匹。平均1.3匹だった。小潮回り、上潮の日にはイサギ根の南東で13〜14回釣りをし、釣果は12匹。平均0.9匹だった。この結果を見ると、大潮周り、下げ潮でイサギ根の北を釣るのが大分よいことがわかる。

第3章見出しに戻る

2丁錨の釣り

弁当を持っていけば大潮周りに午前の下げを釣った後、午後の上げ潮の時に釣ることもできたし、また、小潮周りにも午前の上げを釣ったあと、午後下げ潮を釣ることもできた。実際マキコボシ釣りでイサギを釣るときには、そうしたこともあった。しかし、そのためには、船を掛ける場所を、根の北側から南側へ、あるいはその逆に、変えなければならず、アンカーを打ちなおさなければならない。

07年からはウィンドラスという、アンカーロープを巻き取るための電動補助装置をつけていたので、腕の力だけで引き上げていたわけではない。したがって、アンカーが1本だけなら、場所を変えるのも、アンカーの打ち直しもどうということはなかったが、2丁錨となると非常に手間が掛かる。

イサギ根(仮称)の存在を知る前に、Kさんから教えてもらってこの近くに船を掛け、イサギのマキコボシ釣りを行っていた。その後水深も含めて、付近を詳しく調べ、すでに書いたような「イサギ根」の形状がわかるようにGPS画面上にマークを打つなどした。08年のイシダイ釣りでは、下げ潮時にはこのイサギ根の北側20〜30mくらいのところに船を掛け、上げ潮時にはにこの根の南西側20mほどのところに掛けて釣った。

左の図は、サクノセおよびイサギ根の大体の位置を示したもので、二つの根の間の距離は80〜100mである。 下げ潮時はAとBに錨を2つ打ち、Cで釣った。上げ潮の時には、Dに本錨を打ち、Bにもう一つの錨を入れて根の南東側20mほどのところEに掛けて釣った。

2丁錨にする理由は、下げ潮時で、風と潮の方向が大体はおなじであっても、強さは大きく変化したし、方向もまた変わり、Aの錨だけでは船はAを中心に円を描いて振られ、東向きの潮や風が強まると、サクノセとイサギの間の浅いところに寄せられ、ポイントに遠くなってしまうからである。

他方、上げ潮の時には、潮と風の方向が全く反対なので、一方だけに錨を打っても、船の位置が定まらない。Dに錨を打っても、風が潮より強ければ、船は根の東〜南東に行ってしまう。Bだけの錨では、風が弱く上げ潮が強ければ、船はBの北西〜西へ行ってしまう。

こういうわけで、風や潮が変化しても(ほぼ)一定の位置で釣りをすることができるためには2丁錨にする必要があるのである。

問題になるのは、釣りをしている途中で錨が外れ、打ち直す必要が生じたときである。右図は下げ潮の場合の錨と船の位置関係を示している。Aの水深は45mほど、Cの水深は30m程度であり、AC間はGPS画面上で約60m、CB間は30mである。

まずAで錨Xを入れたらその錨綱を伸ばしながらBまで船をゆっくりバックさせ、BでYを打った後、Yの錨綱を伸ばしながら、Xの錨綱をウィンドラスで巻いて船をCで止める。一人でやれるが、練習は必要である。2本の錨綱の端をむすびあわせておくと比較的やりやすい。X、Yはチェーンの重さも入れて10キロと7キロくらいである。

ところが潮や風の影響で、Xが外れてずるずる引けてしまったとすると、Xを打ち直さなければならない。錨Xのロープを(急いで)巻き上げながら、そして錨Yのついている他方のロープを伸ばしながら、船を動かしてXをいったん引き上げ、再度位置を見定めて投入する。そして、Yのロープを(手で)引いて元の位置の近くに戻ってXの掛かりを確かめる。何度か経験すればうまくやれるようになるが、風があったり潮が速いときは難しい。そしてCの近くに戻ってみたらXがかかっていないことがある。またやり直しである。

この作業は、イサギ根が暗岩なので磯に衝突するという心配をしないでできる。また、ウィンドラスがついているのでなんとか一人でも可能である。それでもかなりの労力を強いられる。また、2丁錨はポイント近くに先着の船がいる場合には避けたが、こちらが先に2丁錨で釣りをしていて、後からほかの船が来たという場合でも、錨の打ち直し作業には神経を使わざるを得なかった。

一方の錨Yを根際Bに入れて2丁錨にしておくと、潮替わりの後、錨Yを入れたままにし、Xを上げ、Yのロープをペラに巻かないように注意しながら船をゆっくりイサギ根の反対側に動かし、DにXを投入して、上げ潮で再び釣るということもできる。相棒がいるときには、2丁錨はとてもいいものである。だが、一人で釣る場合には、午前中の下げ潮で、錨が外れて打ち直し作業にてこずったりすれば、石物が釣れても釣れなくても長く重いイシダイ竿を20回かそれ以上の回数上げ下げして釣りをやったあと、再度場所変えをしてもう一度船を掛ける作業を繰り返す元気が残っていない。こちら側でもまた錨が外れて打ち直し作業が必要になるかもしれないのだ。特に9月までは非常に暑い。暑さだけでも体力を消耗する。

10月中旬を過ぎると、風が吹く日が増える。釣っているうちに北西風が強くなり、2本のアンカーを回収するのにひどく苦労したこともある。

第3章見出しに戻る

75センチのフエフキダイを釣ったこと

09年も前年同様、梅雨の時期にまず何回か石物を狙ってみたが全く釣れない。8月に3回出漁してイシガキ2匹だけ。9月は7回出漁して、イシダイ2.5キロ1匹のほかに、75cm、6.1kgのフエフキダイ(当地ではタマメと呼ぶ)が釣れたが、石物は貧果。さらに10月には8回出漁したが、全く釣れなかった。

09年9月25日。大潮。昼の干潮時にイサギ根南に出漁。日差しが昨日に続き、ひどく強い。当りがなく、また、今日も坊主かと思いながら粘る。12時少し前、あたり。イラ程度。竿先が少し曲がったところで合わせるとうまく掛かった。その後に強い引きがきた。

こらえながら、リールのハンドルを回そうとしたが全く回らず、竿を立て、のされないようにするのが精一杯。ドラッグがズルッと滑った。ドラッグを締め付け、思い切り竿を立ててこらえる。とにかく始めは頑張らなければならない。少し浮いたので巻けるだけ糸を巻き取る。途中でもう一回引きが来た。コブダイなのだろうか。コブダイなら、この後が凄い。こらえることができるだろうか。コブダイのような、ズズーン、ガガガガガーッという恐怖の引き込みは来なかった。強く強く引くが、なんとかこらえることができた。

イシダイだろうか。イシダイなら、かなり大きいはずだ。4キロはあるんじゃないか。期待しながら、力を入れ、少しずつ、少しずつ、リールを回す。ようやく水面下に姿が見えた。白っぽいピンクではない。つまりコブダイではない。イシダイか。ん?黄色っぽい。あれー!イシダイじゃない。ガバーッと水面に現れたのはフエフキダイ。竿を立て、魚を寄せて、道糸を掴もうとギャフを伸ばすが魚が泳ぎまわりギャフが道糸に掛からず、引き寄せられない。玉網にいれるしかない。魚は頭が水に入ると泳ぎ回る。頭が浮く程度に立てた竿を左腕で抱え、玉網を伸ばす。1回は失敗。2回目に入った。これでやっとOK。

針を外して生簀に入れると腹を上にした。マダイの様に空気袋があるのだろうか。それとも、だいぶ、空気を吸わされたので弱ったのだろうか。すぐに道具を片付け、錨を上げて帰港。

久しぶりの大物で、しかも、笛吹きダイの大物ははじめてなので、〆て、魚拓を採った。6.1キロ、75センチあった。

第3章見出しに戻る

イシダイ釣りからの撤退

一般に、イシガキダイは水温が高い時によく釣れ、イシダイは水温が20℃前後の方がよく釣れるとされている。そこで、09年も、梅雨の頃まだ水温が25℃以下のときに何回も釣行したり、また水温が下がって18℃に近づく12月には、シケ気味の時にも頑張って出漁したりしてみたが、イシダイはさっぱり釣れなかった

09年の結果にはひどく落胆し、翌年には、石物を狙って出漁する気がなくなってしまった。一番の理由はやはりなんといっても、2丁錨を打って船をかける作業が大変だということだが、「格闘」が面白いはずの釣りも次第に体にこたえるようになってきていたこともある。石物との格闘ではなく外道との格闘はとくに体にこたえる。
フエフキダイの場合は、以前から、一度釣ってみたいと思っていたので、激闘でへとへとになったが、魚拓に取ることができて満足した。しかし、毎年数匹掛かってくるコブダイの圧倒的パワーには全く閉口させられた。10キロを越えると、何とか釣り上げはしても体ががたがたになってしまう。そして釣ったあとは、大きすぎて下ろす(捌く)のは面倒だし、人に上げてもさほど喜ばれない。

コブダイは釣りたくないと思った。しかし、ウニ餌で石物を狙っているとこいつが食ってくる。襲撃であるが、襲撃と言うならむしろサメの方がましである。マキコボシ釣りで掛けた魚をサメに食われ糸を切られた経験は何度もあるが、イシダイ仕掛け、ウニ餌でサメを掛けた経験はない。サメが掛かれば、まっすぐ横に泳ぐのでサメだとわかるし、一方的に道糸を引き出されるだけで戦いにならない。竿はまっすぐになり、リールの糸を全部引き出され、最後は綱引きのようになって、糸が切れて終わりとなるはずである。
コブダイはサメとは違って、竿を大きく曲げて、下に引く。コブダイがサメと同様、針掛かりした後、確実にイシダイの大物と区別できるなら、道糸をはさみで切って不戦敗を選ぶこともできるだろう。だが、私が、過去、足下で(現在の場合に即して言えば船のすぐ近くで)4キロを越えるイシダイを釣ったのは、唯一回、西伊豆赤島においてであり、そのときも周囲の人には私が危ないと見えたほど、魚の引きは強かったのであり、良型ないし大型のイシダイと10キロ超のコブダイは簡単には区別できず、はじめから闘い放棄を決め込むわけにはいかない。魚を浮かせ姿を見るまでは闘うほかはないのである。こうしてコブダイの襲撃の可能性も、体力が低下した私の石物釣りのやる気を大いに失わせた。

また、8月、9月の暑い時期に行う餌のウニ採りががかなりの労苦であることは、すでに書いた。

それに見合った結果をもたらしてくれるときにこそ、苦労はするに価するのであり、さっぱり釣れず結果に期待をもてないイシダイ釣りは、苦労だけが目立ってくる。漁業者の話でイシダイ、イシガキダイがカゴに入らないということからも、石物が回ってきていないことが釣れない原因だと思われた。翌2010年には石物を狙っての出漁はやめた。

07年と08年の2年間、充分に釣って満足したということも関係しているだろう。まだあまり釣っていなければ、なんとかもう少し釣りたいと頑張るかもしれないが、もう充分釣った、いまさら、釣れないのに頑張って釣ろうとしなくてもいい、こんな気持ちもある。

イシダイ釣りから撤退したのには、もう1つ重要な理由がある。それは、マキコボシ釣りの面白さにはまってしまったということである。マキコボシ釣りは石物釣りのように激しく格闘するのではなく、指で静かに当たりを取ってあわせる。指先に現れる当たりの中に合わせのタイミングを計る、静かな緊張感がいい。そしてマキコボシ釣りは潮の流れの激しいところよりも、湾内の、真珠筏や魚の養殖生簀に船を掛けて釣ることが多い。釣れず、体力を消耗する石物ねらいの釣りよりも、釣れて、体力を消耗せずにのんびりと釣りを楽しめるマキコボシ釣りの方がずっといい。こうして石物釣りへの熱が冷めた。

07年10月、大阪にいたときの源さん夫婦の友人で、磯釣りで石物を追いかけているがまだ釣ったことがないという川村さんが家串にやって来た。私が、連日のように石物を釣っているということを源さんから聞いて、ぜひ一度釣らせてほしいと言うのである。3人で一緒に、サクノセに行き、2時間足らずの釣りで、うまく3人が1匹ずつイシガキダイを釣ることができた。翌年も彼はやってきたが、天気が崩れて釣りはできなかった。その後は彼の都合が悪く一緒に釣りをしていない。

私は、いまのところ、一人で出かけて、ぜひイシダイを釣ろうという情熱のようなものが欠けている。川村さんのような客人が遠方からやってきて、ぜひともイシダイ釣りをやりたいと言うのであればまた話は別である。これが私の現在のイシダイ釣りに関する心境だ。     

第3章見出しに戻る

   

2.関東でのイシダイ釣り――思い出

1)伊豆大島で初めてイシダイを釣る

イシダイ(石鯛)を最初に釣ったのは、私が37歳のとき、1982年の12月、伊豆大島の上人(ショウニン)の滝下というところだった。

それ以前、雑誌などでイシダイの釣り方や釣り場の記事を読み、1年ほど一人で千葉や湘南の釣り場に何回か行ってみたが全く釣れなかった。自己流でやっていても駄目なのだろうと、ある釣り雑誌の編集部に電話し、釣りクラブを紹介してもらった。紹介されたのは、私の住所が江東区だったこともあるだろうが、その雑誌にちょくちょく解説などを書いているベテランがいるという江東磯釣りクラブだった。

会員は30人を越える大所帯で、会長は蛯原甚三郎さん。伊豆七島の磯に大変詳しく、(三宅島・八丈島より北の)5つの島の磯の解説書を弟の昌介さんなどと一緒に書いていた。後に日本テレビにより出版された、カラーの航空写真で釣り場を紹介する関東地方の海釣りシリーズの一冊「伊豆七島の海釣り―上」(85年)でも解説者の一人として執筆している。私が入会の申し込みをしたのが(82年の)11月で、入会は次年度の4月からになるが、今年の最後の例会には参加しても構わないということだった。こうして、この年の12月、第一日曜日、伊豆大島で開かれた江東磯の例会に連れていってもらった。

大島には島の北東部にある岡田港と、島の西側にある元町港の二つの港がある。前夜10時ごろ東京港竹芝桟橋を出港した東海汽船の定期便は、通常、凪の時には、朝は岡田港に着き、大島よりも南の利島(トシマ)、新島、式根島、神津島を回ってから東京に戻るが、帰りの船は午後、元町港から出る。もし北東風が強ければ、始めから元町港につくことがあるし、逆に西風が強ければ、帰りの便も岡田港に入ることになる。真冬西風がビュンビュン吹き付けて、行きも帰りも岡田港発着という日が続くこともある。

その日は釣り日和だったと言っていいかどうかはわからな。というのは、曇天や雨天のときのほうが魚はよく釣れるというのが定説になっているからだ。ともあれ、その日は晴れて風もなく穏やかな日和であった。クラブの一行は岡田港に着くと2、3名ずつのグループに分かれて、予め手配してある車に乗ってそれぞれのお目当ての磯に向かう。そして、釣った魚を持って、お昼に元町港で行なわれる「検量」に集まることになっている。私は副会長の蛯原昌介さんと役員の鈴木莞爾さんと一緒ということになった。仲間同士でまとまって釣り場に入ることが多いが、もちろん、私は、誰も知らない。私を知っている人もいないし、私が知っている人もいない。2人のベテランが私の面倒を見てくれるのである。場所は上人の滝下というところで、それまでに数回しか大島で釣りをしたことがなかった私にはもちろん初めての釣り場であった。

大島の西側の磯は「表磯」と呼ばれていて、釣り場の数も多く、バスを利用できる有名な釣り場はすべて表磯にある。だが、岡田港からは島の反対側にある表磯まではやや遠い。他方、裏磯の上人の滝下は椿トンネルで知られた泉津に行く途中にあり、岡田港からきわめて近い。大島一周道路から崖をおりて8畳敷きほどの広さの磯に下りる。上の道路から磯は見えず、かなりの回数通った人でなければ、こんなところにイシダイ釣り場があるなどとは気がつかないだろう。

伊豆大島・上人の滝下の磯

磯の背後はすぐ崖になっていて、狭くて、竿が振れないと思ったが、一か所だけ端に突き出た平らな岩があり、昌介さんが、竿はここで振るんだと言うとおり、そこだけは後に空間があって、竿を後に構えることができた。「さすがに昌ちゃんは良く知っているねえ」と、鈴木さんが感心して言った。蛯原さんが初心者の私を釣れて行くことを考慮して選んだのだろうと思うが、遠投を要するところが多い大島の磯の中でここは比較的ポイントが近く、40〜50mくらいから「駆け上がり」、つまり急な斜面になっていて、深くなる。この駆け上がりがポイントだ、と昌介さんが説明してくれた。昌介さんと鈴木さんが仕掛を投入した辺りをめがけて私も投げた。

大島を始めとして関東では、沖磯を別として、足元で、あるいは10mか20m仕掛を投げればイシダイが釣れるようなところはほとんどなく、たいてい50m以上、釣り場によっては、60m以上遠くに仕掛けを投げなければならない。そしてイシダイが回ってくるのは、多くて、1日に1回か2回。そのときまで、針に付けた餌が他の小魚に突っつかれて無くなるたびに、仕掛けを上げ、新しい餌を付けて投入するということを繰り返しながら、じっと待つのである。忍耐力のない人にはイシダイ釣りはできない。これはまちがっているかもしれない。実際には、ビギナーには、まだ見ぬ巨魚が竿をガーンと曲げるだろう瞬間、すでに釣ったことのある人にとっては、この前釣ったものを上回る大物が再び竿を絞り込む瞬間をいまかいまかと待つうちに時間があっという間に経ってしまうのであり、忍耐心とはまったく関係がないかもしれない。

岩場に打ったピトンについた竿掛けに竿を置く。すぐ足下でイシダイが次々と釣れる場所では竿を持ったまま釣り、このスタイルを持ち竿という。遠投を要し、当たりの回数が少ないところでは、竿を竿掛けに置いて、「置き竿」で釣る。鈴木さん、昌介さん、私の3人によって、40mか50mくらい先の海に5mくらいの間隔で仕掛けが投入され、磯に3本の竿が並んだ。

第3章見出しに戻る

魚信あるいは当たり

針についているサザエやトコブシなどの餌を魚がつついたり、くわえて引きちぎろうとしたりすると、その動きが道糸を伝わって、竿の先を揺らす。このことを当たりが出るという。当たりは、餌を食おうとする魚が発する信号という意味であろう、魚信と書くこともある。竿先の揺れが当たりなのか波によるものなのか、初心者では分からないことがあるし、魚の当たりが竿先に現れないこともある。手持ちにしている竿と道糸が直線に近い状態になっているときなどには、手元に神経を集中していると、竿先が動かずに、道糸から竿にコツコツ、あるいはゴソゴソという響きだけが伝わってくることがある。したがって、すべての当たりがわかるというわけではない。しかし、当たりが出れば、イシダイとは限らないが何か魚がきたことを示す。置竿の場合、釣り人は竿先がコンコンと揺れる、はっきりした当たりが出るのを待つ。

カサゴ(愛媛県ではホゴ)は餌を見つけると大きな口を開けて一気に呑み込むようである。釣り上げられて来る時には口の周辺に針掛りしていることはめったになく、ほとんどの場合、腹の中に針がかかっている。しかし、他の魚は、コマセで沢山集まり、競争して餌を食うような場合を除き、オキアミなどの餌に近寄っても、最初はちょっとつついてみるだけで、すぐにはくわえない。そして、くわえても、そのまま丸呑みするのでなく、餌を噛んで上手に針を吐き出し、餌だけを飲み込む。そこで、当たりがあっても、ただ待っていては餌を取られるだけになる。針が餌と一緒に魚の口の中に入っているあいだに、釣り糸をすばやく引っ張り、餌を逃がすまいと反射的に閉じる魚の口に針が掛かるようにしなければならない。それが竿を立てたててあおる動作であり、合わせという。最初の小さな当たりが出たときにすぐに合わせても、魚がまだつついているだけで、餌が口の中に入っていなければ、針は掛からない。しかし、はっきりした当たりを待っていても、タイミングが遅れれば、餌を取られてしまうということになる。

イシダイも見つけた餌を一気に口に入れるということはめったになく、多くの場合、見つけた餌をまずつついてみたあと、いったん、口を離してから再度くわえるという。

私は愛南町に住むようになってから船でイシガキダイやイシダイをかなりたくさん釣った。そして直径と深さが1m半ほどの生簀に入れてしばらく生かしておき、餌の食い方を観察したことがある。イシダイとイシガキダイが3、4匹入っている生簀を海面下2mほどのところまで引き上げ、割ったウニとヒオウギ貝(ホタテの仲間⇒第二部第4章(7)「ヒオウギ貝を育てる」参照)の身を数個入れてみた。一匹のイシダイがウニの中身をすぐに口に入れて、そのまま食ったが、ヒオウギ貝の大きな剥き身はつついただけで、私が見ている間は食わなかった。他の魚は全く食わなかった。ヒオウギ貝はウニほどは好物でなかったのか、それほど空腹でなかったのか、生簀の中で上から覗かれている状態では食欲が起こらなかったのか。しかし翌日にはウニの殻も、貝の身も全部なくなっていた。

また、イシダイが喰えるものならなんでもすぐに食いつくのではなく、始めにつついてみて好きなものはすぐに食うが、つついただけで止めて、そばにある他の餌を先に食う(場合がある)ということは確かである。上の1)「宇和海の磯釣り」のなかで、3人並んで竿を出していた時に、最初に、サザエの餌を着けていた私の竿にコツンと当りがあったのに引き込まず、すぐに、隣のカラス貝の餌を付けていたほかの人の竿が曲がって、イシダイが釣れたということを書いている。⇒「ヤッカンでの釣り」参照

第3章見出しに戻る

イシダイの三段引き

「イシダイの三段引き」という言葉がある。最初、「コンコン」と当たりが出たあと、竿はもとに戻り、次により大きな2回目の当たりが出る。そして3回目に「コン、コン、コーン」という竿全体を曲げて引き込む、大きな当たりが出る。竿の曲がり方が3段階で大きくなるというのである。最初の当たりが来ても、イシダイは餌をつついてみただけで、まだ食いついてはいない。ここであわせても、針は掛からない。「早合わせ」は失敗のもとだ。次にイシダイは、一口か、二口、餌をかじる。このとき2回目の当り出るが、餌はまだ充分口の中に入っていない。イシダイは最後に残りの餌をくわえて走り、このときに竿が大きく曲がるという。むしろ、「遅合わせ」ぎみに、三回目の引きを待ってから、あわせるのが良い。私が読んだ本では、そんな風に書いてあった。ただし、三段引きになるのはサザエやトコブシなどの餌の場合で、しかも、典型的な三段引きはめったに見られないとも言う。

「コンコン」と書いたが、もちろん竿先が揺れても、実際には、いかなる音も出ない。これは擬音語ではなく擬態語である。小物竿と違う、太くて長い、関東ではたいてい5.4mの竿が揺れるときの状態をどのような語で書き表すのがよいか、悩むところだ。「コンコン」は軽すぎ、「ゴンゴン」あるいは「ゴツン、ゴツン」の方がいいかなとも思う。しかし、竿をまげて引き込む当たりを表現するのには、「ゴン、ゴン、ゴーン」(これでは鐘が鳴っているようだ)でも、「ゴツン、ゴツン、ゴツーン」でもおかしい。

最初の当りを「ガシン、ガシン」、竿を引き込んでいく当りを「ガシ、ガシ、ガシーン」とするのもいいように思う。ただ、これまで「釣行記」の類を読んでいて、「ガシン、ガシン」と書いたものには出会った記憶がない。他の釣りの場合を含め、いっぺんに大きな当りが来た時には、「ガツーン」と表現することが多い。

私の最近の経験では、ウニでも三段引きに似た当たりになることがある。水温が27度から29度と高い時期にとくにそうだった。20匹近く釣ったが、その半分以上は、始めの当りで身構え、竿が大きく曲がってから竿をつかんで合わせて、釣った。ほぼ三段引きであった。しかし、ウニの場合には、一般に、ゴツンゴツンと何回かつっつくような、小突くような当りが出るが、引き込むことはなくそのまま餌がなくなるという場合が多い。くわえて走ったりせず、その場でゆっくり噛み砕いて、針を吐き出し、うまいところを呑み込むのだろう。

水温が21〜23度くらいのときにも20匹以上釣ったが、ごそごそと竿先が揺れるだけのことが多く、ゴツンゴツンというはっきりした当たりがでたのは1、2回だけだった。大きな当りが出るのをまっていると、餌を取られるだけで、このような場合には小さな当たりでも、合わせないと釣れないが、当たりは断続的になるので、タイミングよくあわせるのが難しい。他方、「三段引き」ならば、最初の当たりでいつでも竿をもって立ち上がれるよう身構え、次第に当たりが大きくなり、竿が勢いよくグーンと曲がったときに竿つかんで立ち上がり、竿をあおればたいてい針掛りするので、合わせやすく釣りやすい。

ただし、当りが出たからといって、イシダイだとは限らない。仕掛けが落ちたところに魚がいれば、何であれ、餌を食う。多くの場合、小魚で、竿が太いために竿先に当りが出ず、いつのまにか餌がなくなってしまう。これを「餌取り」という。そして、針が大きいせいもあるが、餌取りの小魚はまず釣れない。細かな竿先が震えるような当りがあっても合わせようがないからである。はっきりとした、しかし竿先が2〜30cmだけ揺れる当りがいつまでも続くので、上げてみるとウツボが針に掛かって、ワイヤーハリスに絡み付いて団子のようになって上がってくることがしばしばある。

狙った魚以外のものが釣れると「外道ゲドウ」などと呼ぶ。おどろおどろしい呼び方だが、ウツボやウミヘビなどの場合もあるが、アカハタ、カサゴ、ブダイなどが釣れることがある。これらの場合はよいお土産になる。ただし、私の関東でのイシダイ釣りの経験では、10回のうち9回まで、いや50回のうち49回まで、外道も含めて全く何も釣れなかった。イシダイ釣りは極めて釣れない釣りである。

上人の滝下で釣りをしたときには、「三段引き」という言葉を本で読んで知っていただけで、一度もイシダイの本当の当たりを見たことがなかった。私が「合わせのタイミングがわからないんです」と言うと、昌介さんが「うん、分かった。当たりがでて、俺がよし、と言ったら合わせるんだ。そしてあとは休まずリールを巻く。休んだら根に突っ込まれてばらすぞ。いいな」と言った。私はうなずき、心の中で、思い切りリールを巻くぞ、とつぶやいた。

やがて、魚が回ってきたのだろう、私の竿の先がコンコンという感じで揺れ、その揺れはいったん止まった。そしてすぐにまた、前より大きく揺れた。私がそれまでに一度も見たことがない大きな揺れ方で、(実際には、外道の可能性もあるのだが)私は「イシダイがきたっ」と思い頭に血が上るのを感じた。昌介さんが「まだまだまだっ!」と言い、穂先の動きがスピードを増しながら大きく曲がったとき、「よおーし!」と言った。言われた通りに私が竿を持って立ち上がり、できるだけ大きくあおると、グーンと魚が引くのが分かった。私は魚の引きに負けないようにと、竿を立てたまま可能な限りのスピードで、道糸を巻いた。

第3章見出しに戻る

両軸受けリール

この時は「平行巻き」が付いたリールを使っていたので、下腹に竿尻をあてて、左手で竿を握り右手に力を入れてハンドルを回すだけでよかった。平行巻きとは道糸を導くスリットがスプールの回転に同調して左右に動き、道糸を平行に巻き取れるようにした仕組みである。船釣りでは平行巻きがついた両軸受けリールを使うのが一般的であるが、イシダイ釣りでは平行巻きが付いていないタイプのものを使う人の方が多い。だが、両軸受けリールを使い始めたばかりの私は、平行巻きがついているほうが巻き取りが簡単だと考えて、このリールを使っていた。

途中だが、リールについて少し説明しよう。防波堤の小物釣りなど、道糸にそれほど強い力がかからない釣りではスピニングリールを使う。スピニングリールは、竿に取りつけたときに、回転軸が竿と平行に向いたスプール(糸巻き)に道糸が巻かれていて、仕掛を投げると道糸はらせん状に出て行く。糸がねじれるので、糸が細くないと遠くまで仕掛を投げることができない。ただし、仕掛の投げ方は比較的簡単に覚えられる。スピニングリールのスプールはその軸の片方の端でだけ、回転ギアが組みこまれた本体につながっているので、糸を巻き取る力は弱い。他方、両軸受けリールは文字通り、スプールの軸の両側がリール本体の軸受けによって支えられている。そしてこのタイプのリールは竿に取りつけると、スプールの軸が竿と直角になり、仕掛を投げると、スプールが糸の出て行く方向に回転するので、道糸がねじれることはない。上手に投げれば(この点は後でまた説明しよう)、太い道糸の場合にも遠投が可能である。また、両軸受けリールは強い力で道糸を巻き取ることができる。

スピニングリールの場合には、回転ハンドルを回しさえすれば、道糸はむらなくきれいに巻き取れるしくみになっている。両軸受けリールでは、平行巻きの機構がついたものとついてないものとがあり、平行巻きがついていれば、上で書いたように、ただハンドルを回しさえすれば良い。ほとんどが右利き用に作られているが、平行巻きがついてないものでは、道糸を巻き取るときに右手でハンドルを回し、竿とリールを一緒につかんだ左手の親指を左右に動かして、巻かれる糸の位置を少しずつ変えてやり、スプールの全体に平らになるように糸を巻き取る必要がある。左手の親指をうまく使わないと、道糸が特定の場所だけに巻かれて山ができ、リールの外枠につかえてしまい、それ以上糸が巻けなくなってしまうことがある。私は後に入間の赤島で釣りをしたときにその経験をしたが、初心者の場合は、平行巻きのついてないリールを使っていて、魚が掛った興奮で左手親指の操作を忘れてしまい、糸が巻き取れなくなる失敗を犯す。私は、初心者は平行巻きが付いたリールを使うほうが、糸を巻き取るのが楽で、無難だということを本で読んで知り、この上人の滝下での釣りの際には、平行巻きのついたリールを使っていたのである。

こうして、リールのハンドルを懸命に回して魚を釣り上げることができた。釣り上げたのは(後で量って0.8キロで)大きくはなかったが、まさしくイシダイで綺麗な横縞が入っていた。(魚の縞模様が、背骨と平行なら縦縞で、直角に入っていれば横縞である。)私は初めて釣ったイシダイに感激し、実物に初めて手で触りながら、その30センチを少し越えるくらいの小型イシダイをじっくりと見た。昌介さんが「初めてイシダイを釣った人間は、たいてい興奮して手が震え、タバコの火が着けられないもんだ。どうだ火が着けられるか」と言った。私もそのころはタバコを吸っていた。精神的に興奮しても、また腕の筋肉を激しく動かした後でも、手が震えて、細かな作業はできない。フルスピードでリールを巻いたせいで腕は疲れていたとは思うが、火を着けることはできた。私は相当に興奮していたが、昌介さんは私が落ち着いていると思ったようだ。一服してから、餌を付けて再度仕掛を投入した。少し待つとまた私の竿に当たりがきた。

今度も「まだまだまだっ!よーし!」で竿を上げた。先程の腕の疲れが残っているのか、リールを巻きつづけるのが辛く、私は「ウワー、きついー」と悲鳴をあげながら、それでも休まずに、巻いた。そしてこんどは1匹目よりも大きなイシダイが釣れた。後の検量で1.8キロだった。取り込みは、竿で抜きあげたのか、他の二人が玉網を出してくれたのかは覚えてない。イシダイとしては大物では決してない。しかし、私にはりっぱなイシダイに見えた。昌介さんはリールの巻き方がいいと褒めてくれた。人によっては、始めてイシダイを掛けた瞬間、これまで経験したことのない引きの強さに驚いて、精神的に圧倒されてしまい、リールのハンドルを回すのも忘れて、ただ竿をつかんで突っ立っているだけになってしまうこともあるという。私は、教えられたとおりに、必要な動作を行うことができたというわけだ。とうとうイシダイを釣った、しかも2匹続けて。うれしさが体中に広がった。

しかし、この日は、仕掛けの投入も合わせもまたリールの巻きかたも教えられたとおりにやることができたとはいえ、言われたとおりにやっただけで、イシダイを「自分で」「一人で」釣ったとは到底言えないことは明らかだ。だが、イシダイ釣りを本格的に始めるスタート地点にいるのだから、これはしかたがない。そして、イシダイを一人で、独力で釣ったのはずっと後のことだ。

この日、上人の滝下では2回しか当たりがなかった。ほぼ同じ場所に3人が仕掛けを投入していたのに、ベテラン二人の竿には来ず、その2回がビギナーの私に来たのだった。まさにビギナーズ・ラックである。また、この日の大島での例会で、会員の誰もイシダイを釣った人はいなかった。だが、私は磯釣りクラブというのはすごいと思った。クラブに入る前から釣らせてもらった。入会すれば、どんどん釣れるだろうと考えた。そして一も二もなく直ちに入会手続きをした。以後、数年間江東磯の会員として、4月から12月までのシーズンの月1回の例会には必ず参加した。例会に参加した回数は30回以上になるだろう。

しかし、例会では、私は1匹もイシダイを釣ることができなかった。例会の時に、他の会員が釣ったことはあったが、3、4年間に合わせて2、3回であり、私がそばで釣り上げるのをみたのは1回である。つまり、釣りクラブに入れば、誰でもすぐに、あるいは必ず、そして何匹も、イシダイを釣ることができるというわけでは決してないのだ。上人の滝下で釣れたのはもちろんベテランのよき指導を得たからなのだが、他の釣り場ではなく、たまたまその釣り場にイシダイが回ってきて、他の2人の仕掛ではなく私の仕掛に食いついてくれたという、全くの幸運に恵まれたからなのだ。イシダイはやはりめったに釣れない魚なのである。

第3章見出しに戻る

新島での釣り、大型魚を逃す

翌83年11月の例会は新島で開かれ、このときに私は他の会員が近くで釣り上げるのを目撃した。釣り宿の夕食ででたイサキの煮付けをみんながうまいうまいと言って食べたのに、体調のよくなかった私は食べ残した記憶があり、例会は1泊2日で行なわれたのである。だが、1日目にわたしは誰と一緒に、どこでどんな釣りをしたか、全く記憶がない。何も釣れなかったことは確かである。

チャカ(渡船)は釣り場を順に回って、事前の相談で決まっている人を数人ずつおろしてゆく。初日は夕方まで釣りをやるから、夕方、再び船が迎えに来て、朝と同じ順序で釣り人を拾って帰る。ただし、天候が下り坂に向かっているときは、一番遠くの磯に真っ先に行って釣り人を拾うので、この迎えの順番は絶対ではない。迎えの船が磯に着くと、釣り人はその日の釣果についてあれこれ言いながら船に乗ってくる。「いやー、全然ダメだったよー」あるいは「ボラ一匹!」とか。2日目は昼までの釣りだが、渡船による送り迎えは同じである。

私は、朝は自分の降りる磯につくまで、帰りは自分が船に乗ってから港に戻るまで、途中の釣り場をすべて頭に入れておきたいと、名前はもちろん、過去の成績はどうか、どんな潮がいいのか、ベテランに尋ね、目を皿のようにして磯の形を脳裏に焼き付けようとした。もちろん今ではほんの断片的な記憶しか残っていない。それでも、渡船基地・渡浮根港より南側にあるショシの鼻から船に乗りこみながら「ボラ1匹!」といった人の、名前は思い出せないが、顔は思い浮かんでくる。あるいは、チャカが本島北端の根浮岬を回って島の東側に出、沖の長根で6、7人を下ろしたとき、私が益子さんに磯の名前を尋ね、「ナガンネだよ」という答えが返ってきたこと、タコフクに鈴木莞爾さんがだれかもう一人の人と下りたこと、またタコフクのすぐ近くに御根のツボ根という小さな根があり、この名前はおそらく一坪くらいしか広さがないという意味でつけられたのだと思うが、ここに渡った甚三郎さんが、チャカに戻ってきて「オツボネもさっぱりだった」といってニヤっとし、私は「お局」と言う語を思い浮かべたことなど、いくつかの場面の記憶がある。しかし1日目に自分が誰とどこで釣りをしたか覚えていない。その理由は恐らく2日目の出来事から強い印象を受けて、前日の釣りの記憶が消されてしまったというところにあるように思われる。

私が2日目に村瀬さんと一緒に入った釣り場は根浮岬の御子下というところだった。地磯だが、渡船を使わなければ入れない場所にある。高さが30m以上あるのではないかと思う断崖絶壁の下の釣り場で、最初は上から石がおちてこないか不安を感じた。私はチャカ付け場でやることにし、村瀬さんはそこから20mほど離れた、岬の先端に近いほうの釣り場を選んだ。

40〜50m沖に仕掛を投入したが、潮が動かず、餌取りもなく、退屈な時間がしばらく続いた。やがて、村瀬さんが竿を掴んであおり懸命にリールを巻き始めた。そしてまもなく大きなクチジロを釣り上げた。60cmをはるかに越えていただろう。クチジロとは、イシダイの仲間・イシガキダイの老成魚で、体の石垣模様はぼやけて、口の周辺が白くなっているので、こう呼ばれる。自分の竿を置いたままにして行って見ると、私が同じ年の1月下旬に三宅島で釣ったクチジロは腹がボテッと出ていてやたらと重かったが、村瀬さんが釣った魚は、まだ秋でそれほど餌の食いだめをしていなかったせいか、体長はあったが体は引き締まっており、顔つきまで精悍に見えた。

私が「やったねえ」と言うと、彼は「須藤さんここへ来なよ。当たりがある。こっちのほうがいいよ」と言う。私は彼の勧めに従って、そちらに移ることにし、まず、餌をつけた竿と竿掛けだけ持って移動した。

元の釣り座からはわからなかったが、ここから眺めると沖に潮目が見えた。磯のすぐ近くでは元の釣り座同様、潮は全く動いてないが、右側の岬の先端から手前に回りこんだ潮がこの釣り座の沖では40〜50mほどのところを南に向かって流れていることがわかった。潮目は元の釣り座の沖ではもっと離れていて、私が仕掛を投入していたのは、その潮目のずっと手前だったのだ。私は竿掛けのピトンを打つと潮目をめがけて仕掛を投入し、竿をおいて、残りの荷物を取りに元の場所にもどった。

すると村瀬さんが「須藤さん、当たりだ、当たりだよ」という。振りかえると竿が曲がっていた。間に合わないと思い「上げて。村さん、竿上げて。頼む」と叫んだ。「じゃあ、上げるよ」と彼は曲がった私の竿を掴み、リールを巻き始めた。私は荷物を放り出し、走って彼のところに行き、竿を受け取ってあおりながらリールを巻いた。しかし、リールのハンドルを2〜3回回すまもなく、すぐにフワッと軽くなった。魚が外れたのか。だが魚がこちらに向かって走った場合にも軽くなる。その場合は道糸がゆるまないようできるだけ早くリールを巻かなければならないと聞いていた。そこでできるだけハイスピードでリールを巻きつづけた。しかし、リールに重みがもどってくることはなく、空の仕掛だけが帰ってきた。針掛りが十分でなく、竿を受け渡しした際、瞬間的に道糸が緩み、針が外れてしまったのだろう。だが、村瀬さんによれば、掛った魚の引きは、彼が最初に釣ったときよりもさらに強かったという。

検量結果の精しい数字は忘れたが、彼が釣ったクチジロは5キロかそれ以上の大物だった。もちろん新島での例会の優勝魚になったが、それだけではない。この年、例会以外の釣行も含め、他に石物(イシダイとイシガキダイ)を釣った会員はなく、彼は年間大物賞をも獲得した。

私は新島の例会で、イシダイを釣り損ねた。私もはじめから彼と同じ釣り座で釣っていれば、魚が掛ったときに竿の受け渡しなどしないですみ、イシダイを釣り上げることができたかもしれない。いや、その可能性は大きかっただろう。

あとで蛯原さんが書いているガイドブックを読むと、新島では潮はほとんど南から北へ、御子下の釣り座から見れば右に、流れる。そしてその潮のときは私がはじめに竿を出した場所の方がよいという。しかし、潮は逆方向に流れていた。私も村瀬さんも御子下については何も知らずに入ったのであり、どちらの釣り座がいいかを考える材料をとくに持ち合わせてはいなかった。仕掛けを狙ったところに投げ、当りに合わせ、魚を掛けたら確実に魚を寄せて取り組むという、一定の釣技は必要である。しかし、ベテランぞろいの江東磯釣りクラブ会員の1年間の釣りで、石物は1匹だけであった。村瀬さんがこの日、岬先端に近い方に釣り座を定め、大型クチジロをモノにすることができたのは、運の果たしたところが大きかったからだと言ってよいのではないだろうか。私は惜しくも大型魚を逃したが、それは運が悪かったためである。そして幸運はめったにない。

以前は新島にはたくさんのイシダイがいたらしい。鈴木さんがかつて2、3人でタコフクに上がったとき、イシダイが6匹も7匹も釣れ、スカリに入れて海に漬けておいたところ、魚の重みで岩にこすれたスカリのロープが切れてしまい、全部海に流してしまったという、なんとももったいない話も聞いた。その後、ポンプで空気を送りながら潜り、モリでイシダイを突く漁が行われて、イシダイがいなくなってしまったのだという。どのような理由なのかはともかく、また新島に限らず、イシダイの数は昔に比べて、はるかに少なくなっているようだ。大所帯でベテランが集まっている江東磯釣りクラブといえども、1年に1匹、良型あるいは大型のイシダイを釣ることはなかなか難しいのだ。

第3章見出しに戻る

イシダイが竿を返却しわが身を献上した?

85年の晩秋だったと思うが、クラブの例会が三宅島で行なわれた。私はこのときに始めて会ったのだが、もと江東磯の会長を務めたこともあるという、やや年配の会員が顔を出した。久しぶりだという。過去にイシタイを何枚も釣っており、他の会員からイシダイ釣りの名人と崇められていた佐藤さんである。

あいにく例会当日の朝は西風が強くしかも雨混じりという、悪天候であった。この雨は9時くらいには止んだが、釣り場は島の南東側に限られ、私はツル根に行くという他の人について行った。ツル根は、私はそれまで行ったことがなかったが、三宅島でも一二を争う有名磯で、入磯希望者を募ったときに私は真っ先に手を上げた。ツル根に行ったときのエピソードはまた後で書こう。

名人が選んだ釣り場は坪田港の防波堤だった。ここは荒れ気味のときに大型の石物が釣れるのだという。だが、三宅島まできて、磯に入れないならともかく、進んで防波堤でやろうと言う人は、まず、いないだろう。そして、初心者でなくても、名の通った磯から竿を出したいとたいていの人は考えるだろうが、さすがに名人は違う、と後で思ったものだ。

朝、風雨がきつかったため、この名人は竿を防波堤の上において、少し離れたところにある灯台の陰に入って、竿を見ていたという。いきなり当たりがあり、あっという間もなく、魚に引っ張られて竿が海の中に飛びこんでしまった。磯釣りでは、たいてい、尻手(シッテ)ロープと言って、竿尻にロープをつけて、端を岩場に打ったピトンなどに結んでおく。こうしておけば、何か起こっても、竿が海に落ちることはない。防波堤の上でも、灯台の扉の把手などどこかにロープを結んでおくところはあるものだ。しかし、「上手の手から水が漏れる」というとおり、名人も失敗をすることがあるのだ。

私は船釣りの際、リールのついた3mほどの竿を海に落としたことが2度あるが、竿はリールの重みですぐに沈んでしまった。また帰港して道具を片付けようとしてカーボンのイシダイ竿の3番を落としたこともあるが、これもすうーっと沈んでしまい、回収できなかった。

カーボンではなく竹竿だったのだろう。この名人の竿は海に飛びこんでも海上に浮いていた。そして道糸の先の針に掛っている魚が泳ぐのであろう、竿は次第に防波堤から離れ、やがて40〜50mも沖のほうに出ていってしまった。ところがどうしたことか、しばらく経つと竿がまた足元まで戻ってきたというのである。そして、ロープをつけた鉤(カギ)で引っ掻けて竿を回収したところ、まだ魚がついていた。こうしてこの名人は検量所のテントにイシダイを持ちこみ、見事、この日の例会で優勝した。これはうそのような本当の話しである。

この日、名人はイシダイを釣ったと言えるのだろうか。竿を釣った(あるいは奪った)イシダイが、竿を返すと共に我が身を献上したと言うべきではないか。いや、やはり、釣り人が竿とリールを使ってイシダイを掛け、最終的にイシダイを手中に収めたのなら、イシダイを釣ったと言って構わないだろう。そして単に偶然、あるいは幸運だけでイシダイを釣ったのではなく、その日の天候を見て、イシダイの釣れる確率の高い釣り場を選んだという、豊かな経験に支えられた判断力が決定的に重要であろう。しかし、それでもやはり、一度海に落ちた竿が戻ってきたというのは、まずめったにない幸運のおかげだと思われる。イシダイを釣るには幸運の味方が是非とも必要なのだ。

第3章見出しに戻る

イシダイは釣れない

以下で書いていくが、私は82年12月に上人の滝下で釣った始めてのイシダイに加えて、翌年1月には三宅島で、その次の年の秋には西伊豆入間で、そして88年春には再び三宅島で、大型のイシガキダイやイシダイを釣り、そして89年には房総勝浦で中型のイシダイを釣ることができた。私は最初のイシダイを釣るまでに3年かかった。そして3匹目を釣った後、4匹目を釣るのに4年かかった。このほかに八丈島で、2キロ前後のイシガキダイを2匹釣ったが、それらをいれても、東京で磯釣りをやった10年近くの間に、釣った石物の数は合計10にも満たない。しかし、この釣果は平均的なイシダイ釣りファンと比較するとかなりいいほうなのである。

どのようにして調べたかはわからないが、1980年代半ば、東京周辺には熱狂的なイシダイ釣りファンが3000人くらいいるという記事を雑誌か何かで読んだことがある。「イシダイ釣りファン」とはイシダイを釣ろうと磯に通っている釣り人のことで、その多くはまだ一匹も釣ったことがない人だと言ってもいいだろう。そして最初の一匹もそうだがイシダイを釣るのはどれだけ難しいかと言う話しが山ほどある。 費用の面から言うと、一匹釣るのに100万、あるいは200万かかる、車が1台買えるなどと言われる。実際に都心から三宅島や神津島に行き、渡船を使って釣りをすれば、釣り場に行くだけで当時でも一万円を超えた。そして餌代が4〜5千円、人によっては1回に5千円以上、夏場の餌取りの多い時期には一万円近くも餌代に使う。仕掛け類の費用や雑費を入れれば合計二万円ほどになる。年間20回行くとして、一匹目を釣るまでに5年かかったとすれば200万円になる。渡船を使わなければずっと安くなる。それでも交通費は必要で、100万円を下ることはないだろう。
こうしてイシダイ一匹の値段は車1台の値段と同じだと言っても決して大げさではない。島に住んでいる人や、房総や伊豆の海岸近くに住んでいる人の場合には、道具をそろえる費用を別にすれば、現在の私のように餌を自分で調達して、金をかけずにイシダイ釣りをすることが可能だが、都市に住んでいる人の場合にはそうはいかない。イシダイを釣るには車が買えるほどのお金をかけて、5年も6年も、あるいはそれ以上の年月をかけて、磯に通わなければならないのである。

第3章見出しに戻る

「殿様釣り」

最初の一匹を釣るのに多くの年月がかかるということとは別の話しだが、ついでに、石鯛釣りは「殿様釣り」だと言われることにもふれておこう。釣りをするためには、竿やリールなど釣り道具を揃える必要がある。石鯛竿はかなり高価である。

クラブの例会に行くと、ベテラン会員が盛んに話題にし、カーボンがいいかグラスがいいかが問題になっていた。「やはり、カーボンはすごいねえ。(玉網で掬わずに)魚を簡単に抜き上げられる」とか、「遠投には絶対カーボンだ」とか言う人があり、「食いこみはやっぱりグラスの方がいいな。カーボンは食っても、すぐに餌を離してしまう」いうような言葉も聞かれた。たぶんカーボンロッドはグラスロッドに比べ細くて軽いため竿を振りやすく、しかも反発力が強いので遠投に有利だということが、グラスロッドに取って代った最大の要因だと思われる。
グラスロッドは柔らかくて「食い込みがいい」という長所があったにもかかわらず、次第に使われなくなり、まもなく製造が中止になったようだ。80年代半ば以降は磯でグラスロッドを使っている釣り人はほとんど見られない。「パワーがある」つまり曲がったときに反発力が大きく重い魚を釣り上げるのに有利だというカーボンロッドは普通6、7万円以上し、中には10万円を越えるものもあった。これは今でも変わらないようだ。

竹製のイシダイ竿は非常に高価である。和竿ともいうが竹竿は、「しなやかで魚の食いこみがいいが、パワーのない」グラスの竿と「パワーがあるが、硬くて、魚の食いこみが悪い」カーボン竿の「両方の長所を併せ持つ」と言われ、一本一本手作りで30万円以上するという。しかし、竹竿は化学繊維と違い、手入れ、保管が難しい。前にふれた佐藤名人はこの竹竿を何本ももっており、エアコンつきの専用の部屋に保管しているという話であった。

丈夫な両軸受リールも必要である。当時日本メーカーは石鯛釣り用のリールはまだ開発途中で、スウェーデンのABU社製か米国PENN社製がよいといわれ、円が安かったせいもあって、ペンのもので3〜4万円、アブのものが4〜5万円ほどだったと思う。

竿は1本で始めるがやがて2本使うようになる。少し違う場所に投入してイシダイが食う可能性をより高めるためである。そしてリールはパーマした場合に備え、計3つ必要だということになる。パーマについては後で説明する。ここではリールに巻いた道糸の縺れとだけ言っておく。道糸が縺れた状態では仕掛けの投入ができないが、簡単に直らない。そこでパーマしたリールを使うのはやめ、予備のリールに交換して釣りを続けるのである。こうしてイシダイ釣りは毎回の釣行にかかる費用もさることながら、インフラ整備にも金をかければきりがなく、非常にお金がかかる釣りである。

イシダイ釣りでは餌が1日に4〜5千円もかかると言った。イシダイを釣るには、餌を針につけて海に投入し、イシダイがそこに回ってくるのをじっと待たなければならない。海の中には他の魚が沢山いて、餌が落ちてくればそれを食う。イシダイの硬い歯と強い引きに耐えられるように作られた大きくて太い針は小魚が餌取りをするのに少しも邪魔にならないどころか、それを間違っても呑みこむことのできない小魚にとって安全で好都合であり、餌取りは激しい。

そこでイシダイ釣りの餌には、エビやイソメなどの柔らかいものではなく、小魚がつついても簡単にはなくならない、硬い殻に包まれているか、あるいは身そのものが固くて丈夫な餌が使われる。東京周辺の釣り人の間でマガニと呼ばれている大型のカニがそうである。(房総のそれは赤みを帯びた直径が4〜5センチ、厚さ1センチほどの甲羅で、イソッピと地元の人は呼ぶ。図鑑などを見るとショウジンガニのようだ。三宅島のそれは緑色がかった茶色で、甲羅の直径は5〜6センチあるのが普通で、大きいものは7〜8センチあり、厚さは2センチくらいある。大きなものは二つに割って針に刺す。この正式な名前はイボショウジンガニだと思われる。)
オニヤドカリ(上半身が硬い)、サザエやトコブシ、アワビも丈夫である。イセエビやウチワエビもエビではあるが、かなり丈夫で餌持ちがよい。四国でよく使われるガンガゼなどのウニも小物の餌取りに対しては非常に強いが、遠投しにくいので、遠浅の釣り場が多い関東ではあまり使われない。
マガニ、オニヤドカリは1個100円以上、ウニが100円くらいで、1日に30から40個、夏の高水温期にはその倍の数が必要になることもある。サザエは1キロ2000円前後、トコブシは3500円前後、アワビなら5000円以上する。サザエ、トコブシやアワビ、あるいはイセエビなどと聞くと、釣りに行かずに食べたほうがいいという人がいるが、実際、相当に高価なものを釣り餌に使っているのである。そしてアワビやトコブシなら1日で1キロ、身がそれらより少しやわらかなサザエは2キロくらいは使う。

イシダイは海底の岩や石の間、あるいは溝の中を泳いで餌を探すので、底物といわれることがある。メジナ(関西ではグレ)やイサキ(イサギ)などは海の中層から上を泳ぎ回るので、上物(ウワモノ)という。上物釣りではオキアミなどの小さく柔らかい餌を使っていて、餌をすぐに取られるため、一日中立ちっぱなしで、仕掛けの投入、回収を忙しく繰り返す。
しかしイシダイ釣りでは、高価な道具を使って、上等な餌を海に放り込み、置き竿にして、座ってじっと待つ。1匹釣るのに何年もかかり、手ぶらで帰ることがほとんどだから、イシダイは非常にうまい魚であるにしても食べるために釣りに行くのではまったくない。お金を捨てに海に行くようなものである。こうしてイシダイ釣りは「庶民の釣り」ではなく、「殿様釣り」といわれるのである。

第3章見出しに戻る

幻の魚・イシダイ

「幻の魚」といわれるイシダイを釣るのがいかに難しいかという話しに戻ろう。伊豆下田の10キロ沖に伊豆半島随一の釣り場と言われる神子元島という島がある。潮通しがよく、イシダイがよく釣れるのでイシダイ釣りファンが足繁く通うところだとも言われていた。
1980年ごろスポーツ新聞の特集記事で読んだのだが、神子元島でいくつかのクラブの共催で磯釣り大会が開かれ、100人を越える参加者が大物を釣ろうと集まった。しかし----大半の参加者がイシダイを狙ったはずだが----イシダイを釣った人は一人もいなかったという。これは驚くことではない。

しかし、この日、釣り大会参加者とは別に、一般の釣り客も神子元島で釣りをしており、その中の一人が3キロほどのイシダイを釣ったという。大会に同行した記者がこの釣り人にインタビューしたところ、この人は13年間イシダイ釣りをやってきて、この日始めて念願のイシダイを釣ることができたと答えたという。
私の周囲にもイシダイを何年かやったという人はかなりいる。しかし、たいていは数年であきらめ、釣れる魚の釣りに転向していた。13年間も釣れないのに、イシダイ釣りを続けてきた人の執念には驚かされるだろう。

私も10年近く関東でイシダイを追いかけていた間、他の魚はまったく目に入らなかった。釣れようが釣れまいが、とにかくイシダイしか釣りたい魚はなかった。たぶん、この人もそうだったろう。いろいろな釣りをやりながら、時々、イシダイも狙ってみるという程度なら、イシダイ釣りファンとは言わないだろう。他の魚には目もくれず、イシダイ一辺倒で、釣れなくても追いかけつづけるから、イシダイ釣りファンなのだろうし、イシダイ釣りファンは、メジナやヒラマサといった他の魚の釣りファンとは違って、10年を越えて、幻を追いかけつづけて動じない、まさしく「熱狂的なファン」なのである。

神子元島で始めてイシダイを釣った人は、イシダイを釣るには釣ったが13年もかかった。イシダイを釣るのは簡単ではない。イシダイはまず釣れないと思わなければならない。そして釣れるとすれば幸運の味方が必要である。

私は釣りクラブ入会直前に、一緒に連れて行ってもらった例会でイシダイを釣った。だが、クラブに入って以後、一人であるいはクラブ会員でない友人と一緒に行ったときには釣れたが、クラブの例会では、一度、新島でイシダイ/イシガキダイの大物らしい魚を逃がしたことがあっただけで、さまざまな有名釣り場に行ったにも関わらず、一匹もイシダイを釣ることはできなかった。これはどうしてであろうか。

どこの釣り場も日曜・祭日は込み合う。三宅島の三本岳や御蔵島の元根周辺、あるいは神津島の祇苗(タダナエ)島周辺、恩馳(オンバセ)群礁,銭洲(ゼニス)群礁など有名釣り場もふだんはすいているが、日曜・祭日は、一般の釣り客が押しかけると共に、多くの釣りクラブの例会会場になり、ひどく混み合う。

第3章見出しに戻る

沖磯への渡船―チャカ着け

渡船(チャカと呼ばれていた)の出発時間は以前は業者任せで、その結果、出発時間はどんどん早くなってしまった。どこの業者も、他の船より早く、よい(人気の)磯に着けて自分の客を渡そうと考える。ゆっくり港を出る業者のところには客が行かなくなるだろう。こうして、まだ暗いうちに船が出るのは珍しくなく、真夜中に船が出るなどというところもあった。磯に近づけばライトを点けて、客を磯に渡す。しかし、磯の近くにくるまではライトを点けても無駄で、当時、船で使うGPSプロッターはなかったから、船頭は経験とカンを頼りに、真っ暗な海を沖の磯に向かって、最高速度で突っ走るのである。
こうして、伝聞であるが、三宅島三本岳のマカド根に、ある有名クラブの人々を乗せた渡船が激突するという事故が起こり、背骨を折る大怪我をした釣人もでた。この事件は新聞には載らなかったが、釣人の間では広く知られた。その後、渡船業者の申し合わせで、出港時間を厳守することになったという。

現在では、磯割りの仕組みを取っているところも多いようだ。それぞれの業者がどこの釣り場に入れるかが月毎、曜日毎に順繰りに決まって行くようになっていて、釣行日が決まれば、行きたい磯が割り当てられている渡船に乗ることができるところもある。当日朝、客を乗せて出港した渡船が沖の釣り場の近くに集まって抽選をして、当たった番号の枠にある磯に向かうというところもある。それぞれの渡船が客の要求に応じて特定の磯に向かい、かちあったらじゃんけんで決めるというところもある。
現在の三宅島がどうなっているか不明である。しかし、当時の三宅島では、出港時間は決められたが磯割のシステムはなかった。夜明けとともに10数隻の船が用意ドンで一斉に沖の磯に向かって走り、早いもの勝ちで目指す磯に客を渡した。例会では、チャカが目指す根に近づくと、釣り場に精通したクラブの幹事が他の船の動きも見ながら、チャカ着けの場所を船頭に指示し、船頭は他の船に先を越されないよう、急いでその場所に向かう。時には同じ場所に数隻のチャカが集まり、舷舷相い摩す海戦のような状況になることもある。

四国では、また、伊豆七島の中でも八丈島ではそうだが、チャカ着けの際には、ベタ着けといってエンジンを吹かせて舳先を磯に押しつけ、客は両手に荷物を持って歩いて磯に渡る。
関東の多くの釣り場では、船は磯のすぐ前で止まり、釣り人は、波のリズムを見計らって、磯へ飛び移るのである。海が荒れていれば、舳先は波で4mも5mも上下する。舳先が下がりかけたときに飛べば、釣り人は磯に届かず海に落ちる危険がある。逆に、磯から船に移る際に、舳先が下がり切って、上がろうとするときに足を着くことになれば、ショックが大きい。足首を骨折したという話も実際にあった。
イシダイ釣りをはじめとする離島での大物釣りは、単に楽しむだけのスポーツではなく、一歩間違えば、命にかかわる危険を冒す、一種の冒険でもあり、かなりの運動神経、勇気、決断力などをもっていることが必要である。

こうして何人かが先に渡ったら、船から荷物を投げ渡す。投げ方がまずいと荷物がうまく届かず、海に落ちる。沈んでしまえばそれまでだが、荷物が浮けば船の上から手かぎで引っ掛けて回収する。荷物の落下はしばしば目撃した。荒れた海で、波にもまれる荷物を引っ掛けるのに時間がかかり、場所取りを急いでいる場合には、皆イライラする。小分けしてあればいいのだが、荷物の中には大きくて重いものもあり、腕力がないと投げられない場合もある。

迎えのチャカの場合、磯の上から大きく重い荷物が投げ下ろされると、勢いがついて受け止めるのが大変である。海が荒れているときには、舳先に立つ者は手すりにつかまっていなければ海に振り落とされてしまう。片手で手すりにつかまり、飛んでくる荷物を残った手と胸で受け止めるのである。大きな重い荷物の場合、下手をすれば体ごと吹っ飛ばされてしまう。舳先に立つのは体が大きく、しかも運動神経の発達したベテランである。私は例会で蛯原甚三郎さんが激しく上下する舳先に仁王立ちになって荷物を受け止めているのを何度も見た。

甚三郎さんは弟の昌介さんと一緒に運送会社を経営していた。当時は日本が右肩上がりの経済成長を続け、有数の経済大国になりつつあった時代である。運送業界もきっと景気がよく、仕事は忙しかったと思う。それでも例会に欠席するということはめったになかった。
甚三郎さんは体重が100キロ近くありそうに見える体格のよい人で、仕事上、時には鉄材などを担ぐこともあり、「重いものを担いだり運んだりするのはへいちゃらだ」と言ってたのを聞いた覚えがある。本人の口から聞いたのか他の人が言っていたのかは忘れたが、地元の野球チームにも入っていて、すごいスラッガーだという話しだった。強打者であるためには体力だけでなく、よい選球眼、ボールをジャストミートするための鋭い反射神経など、いい運動神経を持っていることが必要である。甚三郎さんはこうした体力と運動神経に恵まれていたからこそ、荒海での磯渡しでも重要な役を引き受けることができたのだろう。

第3章見出しに戻る

「サメのような」大型イシダイ・口白

甚三郎さんの体格にふれたついでに、三宅島の沖の三本岳には彼の体格をもってしても、取り込むことのできない大型のイシダイがいるらしいという話しを書いておこう。三宅島の南西10キロほど沖の大野原群礁、通称三本岳の島々は「巨魚の宝庫」で「釣り人垂涎の、関東屈指」の釣り場などと言われ、こうした釣りクラブの例会や釣りクラブの連合体による大会などがよく開かれる場所である。マカド根はその一つで、「三本を代表する根」で、「記録的な大型のイシ物が期待できる磯」である。(『航空写真で見る、伊豆七島の海釣り』(下)日本テレビ、昭和60年、110、111ページ。)

三宅島までは東海汽船で行き、三本岳へは渡船に乗り換えていく。マカド根で行なわれた江東磯の例会に参加したときに始めて私は三本に渡船して釣りをした。その例会の帰り、東海汽船の船の中で甚三郎さんが、大型のイシダイかクチジロを掛けたが取り込むことができなかったと、悔しそうに話していた。
「いやー、掛けたときはけつが浮きそうになったよ。竿は立てたんだが、魚が全然止まらないんだよなー。潮が流れるみたいにぐんぐんぐんと泳いで行きやがる。竿がだんだん曲がって、手元からへの字になっちゃってよー。そして最後は〔道糸が〕ブッツンよ。」多分、体が大きく力のある蛯原さんなので、元竿---継ぎの竿の一番太いところ----を立てて堪えることが出来たのだろう。私のような非力で体重の軽いものなら本当に「けつが浮」き、竿が真っ直ぐに伸びて綱引き状態になっただろう。

私は蛯原さんの後ろで聞いていたが、皆、車座になって酒を飲みながら話している。力だけで取りこもうとしてもだめだ、という人もいた。「竿をこーゆう風に横に倒して、魚の泳ぐ力を利用しながら魚の向きを変えるんだ」。強い力でイシダイが泳いだとき、竿をどのように動かして魚の走りを止めたり、向きを変えさせたりするかという話しになった。
「そんなんじゃねえったら」と甚三郎さんは手を横に振った。「竿を倒すもなにもねえんだよ。合わせてから、こう竿を立てるよなー、竿は立ったんだよ。竿を立てれば普通はいったん止まるだろう。だけど、全然関係ないんだよ。関係なしに魚は泳いでいくんだ。そしてこらえてると、元竿がこのへんからこういう風に曲がっちまったんだから、どうしようもないだろ」。他の人が言う、「サメだよ、あれは。サ、メ」。

たしかにサザエやトコブシの餌にサメが食ってくることもあるらしい。しかし甚三郎さんは当たり具合から、イシダイに間違いないと言う。「バッカヤロー、サメが三段引きをするかよー!」と甚三郎さん。誰かが言った「三本には10キロクラスの口白がいるっていうからなあ」。
私はきっとそうだと思った。海老原さんのように立派な体格をした釣り人の必死の頑張りをものともせずに、太い道糸をぶち切っていく奴がいるのだと考えて私は背中がゾクッとした。
また他の誰かが言った、「サメみたいに引きが強いクチジロか。すげえなあ」。他の誰かが茶化した、「サメみたいにでかいクチジロじゃなくて、口の白いサメだろう?」。乗船後すぐに飲み出した甚三郎さんも酔ってきて、最後は「そうだよ、あれはサメだ。サメ、サメだったんだ、くそー」と悔しさぶちまけるかのように言い、ごろりと横になった。

第3章見出しに戻る

戦場のような釣り場

釣り場が狭いとき、チャカが一隻着けば他のチャカは他の釣り場に向かう。大きい根の場合には、何隻も寄ってきて客を渡す。自分の船だけでなく、他の船からよその釣り客も渡ってくるから、先に渡った人は、とにかく自分と自分の仲間の釣り場を確保しようと荷物を持って急ぐ。その磯の釣り場の知識がないと、うろうろしているか、他の人の後ろについて移動するしかないが、その行き先で何人が釣りをやれるかはわからない。自分の荷物が見当たらず、必死に探し回る人もいる。「こっちはいっぱいだ。そっちはどうだ」と言うような叫びが交わされ、いったん入った場所から、他の場所へと大急ぎで移る人もいる。チャカ着けのときには海上が戦争のようだったが、今度は磯の上が、しばらくの間、右往左往する人で戦場のようになる。

こうして、始めてでどこで竿を出したらいいのか分からないでいる人と、しんがりで最後まで船に残って荷物を投げ渡したベテランが残り、磯がいったん落ちついたところで、ベテランが始めての人に空いているところを探してやり、自分はすでにいっぱいになっているどこかの釣り座に、片手をちょっと上げて挨拶をして「他にないから頼むよ」ともぐりこむ。

マカド根は磯が比較的平らで、島の周囲のどこからでも竿が出せるので、三本の中でもっとも多くの釣り人が乗れるが、とくに、北側に、晴れたときに神津島が見える神津向かいという釣り場があり、マカド根の中でも最もよく釣れるという定評がある。

南の端には丸山根という釣り場があるが、そこは狭くて一人しかやれない。この神津向いには、日曜・祭日で釣り人が押しかけたとき、幅10mかそこらの、半円筒状にえぐれた場所を囲んで10数本の竿が並ぶこともある。神津向いに10人の釣り人がいれば、イシダイがここに回ってきたとしても、一つの仕掛けの餌しか食わないのだから、イシダイを釣る確率は10分の1以下である。ここは丸山根など他の場所に比べ、10倍以上もイシダイが釣れているのだろうか。
イシダイがよく釣れるという北からの潮がマカド根にぶつかるところが神津向かいで、その潮に乗って泳いできたイシダイが、最初にまず、神津向かいで餌を探し、それから磯際を伝って他の所に行くのだとすると、やはりここが一番よいということになるのかもしれない。それにしても肘がぶつかりそうになりながら竿を出すのは、バーゲンセールに押しかけた買い物客のようで、なんだかあさましい感じがした。

このようにクラブの例会では、有名磯に行って釣りをすることができるのだが、たいていはひどく混んでいて、もっともよく釣れると言われている場所には入れないか、入ることができても何本もの竿が出ていて、他の人とお祭りになる、つまり仕掛けが絡んで釣りにならないか、釣りは一応できても隣りの人の竿に釣れたということになる場合が多い。
こうしたことからすれば、釣りクラブの例会や大会では、むしろ釣れなくても当然だといわなければならない。私は例会や大会で、三本のほか御蔵島の元根周辺、神津島の灯台下周辺と祇苗島(エボシ)、式根島(ハタカネ)、それに新島本島など、有数の釣り場に行って釣りをした。時には新島での場合のように魚は逃がしたが釣りらしい釣りをやれたこともあったが、よい場所には入れず、混んでいて竿を出すのがやっとということが多く、イシダイを釣ることはできなかったし、そこで他の人がイシダイを釣り上げるのを見たのも、新島のときだけである。

それでも、クラブに入ることで、私は、それまではガイドブックを読んだり、釣り場の写真集を眺めて空想を逞しくしたりするだけで、一人ではとても行くことができなかったはずの、離島の有名な釣り場のあちこちに行くことができ、本当によい経験をした。クラブで一度行くと、釣り宿やガイドなどとの連絡が取りやすくなり、こんどは一人でもいけるようになる。

第3章見出しに戻る

遠投を要する伊豆大島

江東磯釣りクラブのベテランに釣れて行ってもらった上人の滝下で始めてイシダイを釣ったが、技術や経験はおくとして、イシダイを釣るのはやはり非常に難しく、幸運の味方が必要だということを語ってきた。上人の滝下で釣りをした後も、伊豆大島には、釣りクラブの例会で何回か行ったのを含めて、合計すると20回近く釣りにいった。はっきりと覚えているのは、千波崎、二つ根、クサツグ、神の根、石屋、トウシキ、墓場下、市兵衛、オオツクロ、泉津港、乳ケ崎(チガサキ)などである。

乳ケ崎以外はバス停から少し歩けば行けるところで、とくに釣り宿からもバス停からも近いトーシキには数回行った。交通の便という点からは大差がなくても、手前に根が張り出していたり、ポイントが遠かったり、あるいは釣り座の足場がよくなかったりするところは、1回限りになってしまった。

大島は活火山・三原山の溶岩が海に流れ込んでできた島で、島の周囲は海岸から相当沖まで水深のない浅い海が続いている。一般にイシダイは海底が平坦で浅いところにはやってこない。イシダイがよく釣れるところは水深があり(10m〜50m)、海底に大きな石がごろごろしていたり、岩盤の間に溝が入りこんでいたりして、海底が複雑で変化に富んだところである。こうしたところは海草が多く、イシダイが好む貝類やウニなども多いからである。海溝が多くて海草が茂っている房総の磯のように、水深がほんの数mしかなくてもイシダイが釣れるところもある。しかし伊豆七島ではあまり浅いところでは釣れない。そして遠浅の大島では60〜70m以上先からやっと深くなり、遠投すればするだけイシダイの釣れる確率が高くなる。仕掛けを60mは投げられないと大島でイシダイを釣ることは難しい。

大島の南部、波浮地区のトーシキというところは、海のなかに家ほどもある大きな岩が幾つも転がっていて、その大岩の間ならば岸から30か40m位の近いところでもイシダイが釣れるという。だが、ここも遠投すればするほどよいと言われ、実際、地元の若い人が隣りでやっているのを見たことがあるが、三つ環にワイヤーハリスと50号くらいの重いオモリを結び、この三つ環に直結した道糸を竿先に短く巻き上げ、頭上に振りかぶった竿の先を体の後でできるだけ下に下げたところから、全力で振り切る。こうして100mも仕掛けを飛ばすのである。三つ環は、糸やワイヤーを結ぶための小さな環が三つついている釣りの小道具の1つで、環のおのおのが自由に回転するようになっているため、そこに結ばれた糸についたオモリやワイヤーの先の針につけた餌が回転しても互いに絡みにくいのである。

私は2〜3年たってからでも60mくらい、始めはうまくいって40か50mくらいしか飛ばすことができなかった。トーシキは海面から10m近くある崖の上の釣り場で、高い分、仕掛の飛距離が伸びる。そして波の心配はいらない。ベテランも来るが、初心者でも釣りやすい釣り場なのである。トーシキには何回か行ったが、結局イシダイは釣れなかった。

東京に人魚会というイシダイ釣り師のエリート集団があった(今もある)。エリート集団だというのは、イシダイを数多く釣った実績のあるものだけが会員になれるからだ。釣り雑誌でイシダイ釣りに関する座談会だとか、釣り方や釣り場の解説だとかの記事には、かならず人魚会の会員の名前があった。 また、三宅島三本のマカド根にある丸山根という名の釣り場は人魚会の丸山という人がしょっちゅう竿を出していたのでそう呼ばれるようになったのだという。
人魚会の会員で大島をホームグラウンドにしている斉藤栄次という若い釣り師がいて、毎年、大島で何枚もの大型のイシダイを釣っているということだった。また斎藤さんと江東磯の蛯原昌介さんとは、仕事上の関係もあって、兄弟のように仲がよいという話であった。

----------------------------------------------------------------------------------------------------

インターネットで最近見た人魚会のクラブ入会案内には「たとえ、35kgのモロコ〔クエ〕が釣れても60kgのカッポレ〔小笠原諸島などにいる大型魚・クロヒラアジ〕が釣れようとも、4kgの石鯛の方〔の価値〕を認める。これが人魚会の流儀です。そんな石鯛バカの集まりです」とある。毎年、会員の誰かが4キロ以上のイシダイ、7キロ、8キロ、9キロという大型のイシガキタイを釣っているようだ。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------

私が上人の滝下で始めてのイシダイを釣った後、伊豆大島でまたイシダイを釣りたいと昌介さんに言うと、「俺は今忙しくてクラブの例会以外にはとても一緒に行けないが、栄次が大島によく行っているから面倒をみてやれと言っておくよ」という返事だった。しばらくあと、私が波浮港近くのフジブンという昔からある有名な釣り宿に泊まったとき、栄次さんと一緒になった。かれは昌介さんから話しを聞いているよと言い、翌日、千波平床に行くから一緒に行こうと誘ってくれた。

千波平床は大島の南西にあり、春先に黒潮が突っかけてくると大島で真っ先にイシダイが釣れると言われている、大島一の有名磯で、宿から車で少し行き、車を降りてからビニールハウスのある畑のなかを通り、荷物が多いとかなりきつい急坂を下ったところにある。そこは岩場が筋状になって前方に伸びており、その際を狙って、手前の少し高くなった4畳半ほどの広さの平らな石=「平床」の上から仕掛けを投げる。

第3章見出しに戻る

パーマ

私は遠投が下手で、とくに始めたばかりのころはしょっちゅうパーマした。仕掛けを投げるときは、スプール(糸の巻いてある円筒状部分)の回転を止めるクラッチをフリーにし、リールの後方、つまり竿尻に近いほうを掴んだ左手の親指でスプールを道糸の上から押さえておく。そして、肩幅より少し広く開いた右手で、竿をリールの前方で握り、剣道の竹刀の面を打つときのように、竿先を後方に倒すようにして頭上にかまえ、次いで、左手を引きつけ右手を押しだして竿を強く振る。竿先が頭上を通過するときにスプールを押さえている指を離し、スプールが回転できるようにする。道糸の先端には餌のついた針とオモリがついている。道糸は前方に飛んで行くオモリに引っ張られて、スプールを勢いよく回転させながら出て行く。

このとき、スプールの回転速度が道糸の出て行く速度よりも早いと、解けた道糸が行き場を失って膨れ上がり、鳥の巣のようになって縺れてしまう。これが(髪のパーマネントから来たと思われる)釣り人用語の「パーマ」で、英語ではバックラッシュbacklashと言う。糸が縺れれば、道糸はリールから出て行くことができなくなり、飛んでいた仕掛けはガクッと止まって、海に落ちることになる。仕掛けを投げたあと、仕掛けの飛ぶ速度が落ちてきたら、左手親指の腹でスプールを軽く擦ってスプールの回転にブレーキをかけることで、バックラッシュは防げる。しかし、これにはかなりの練習が必要である。

遠浅の大島でイシダイを沢山釣っている栄次さんは遠投の名手でもあった。実際に餌をつけて投げる前に、竿を片手で水平にもちリールのクラッチをオフにして、オモリと針だけの仕掛けを2、3回真っ直ぐ下に落としてみて、軸受けのネジでスプールの回転具合を調節した。それから、餌を付けてゆっくりと竿を頭上に構え、一、二と言う感じで膝を少しだけまげ軽く体をゆすって呼吸を計るようにしてから、竿をビュンと振り切って仕掛を飛ばし、「80mくらいかな」と言った。大島の若者がすごい馬力で遠投するのをみたことがあったが、それとは違って栄次さんの竿の振りかたには力が入っているという感じは全くなく、リズムに乗って体を動かすと仕掛けが勝手に飛んでいったというような印象を受けた。

「先生、投げてみな」と言われて、見られていることを意識して、つい力んで投げるとパーマ。仕掛けは20〜30m先にバシャリと落ちた。もつれた糸を解きながら巻きなおし、再び竿を振るがまたパーマ。すると「一度パーマすると糸に癖が付き、パーマしやすくなるんだよ。俺が一回投げて癖を取ってやるから、それからにしな」と言われ、竿を渡す。道糸をゆっくりと巻きなおし、スプールの回転具合を調節したあと栄次さんが竿を振ると、道糸がビューと音を立てて真っ直ぐに出て行った。しかし、すぐにガツンと音がして糸の出が止まってしまった。「なんだこれは」と斉藤さんがリールを見ると、平行巻きの、糸を導くスリットに道糸のつなぎ目のコブがつかえていた。

道糸は磯の角にこすれたりして傷がつくので、何回か釣りにいったら交換する。私はそれほど遠くに飛ばせないので、100m以上巻いてある道糸を全部取り替える必要はないと考え、巻かれた糸のうち何度か使った上のほうの50mか60mを切って捨て、新しい糸を繋いで巻いておいた。そして、栄次さんが投げると、新しく巻いてあった分がつなぎ目まで全部出てしまったというわけだ。「道糸は繋いだらだめだよ」と斉藤さんが苦笑しながら言った。

この日は釣れなかったが、道糸をきちんと巻いておくこと、スプールの回転具合の調節をしてから投げることなど、遠投に必要なことを教えてもらった。そして、以後は道糸はつなぐことは止め、何回か使ったら、上と下を反対にして巻きなおして使い、そしてまた数回使ったら全部取りかえるということにした。また平行巻きはナイロンの道糸がしっかりと巻かれておらず、少しでもねじれがあったり折れ目がついていたりすると、結び目でなくともスリットのところで糸がつかえやすいことがわかった。そこでリールから平行巻きの機構を取り外した。そして、平行巻きに頼らずに左手の親指を使って糸をきれいにしっかりと巻きとれるように練習した。また家の近くの川で道糸にオモリだけをつけ、竿を振って飛ばす練習をした。こうして、クラブの集まりで飛距離を競い合うときに測って、60mを超えるくらいは投げることが出来るようになった。

遠投のできない初心者にイシダイが釣れないのは、磯の形状(水深、潮通しなど)によるだけでなく、近場(岸から近いところ)にはナイロンの糸くずなどがたまっていて海藻が育たず、したがってイシダイの餌となるカニや貝類がいない(こうなることを「場荒れ」という)からだという説もある。これは本当らしい。「昔は」大型イシダイがよく釣れたというが、最近はイシダイが釣れたというニュースがほとんどない有名釣り場が多い。ガイドブックや雑誌などで紹介されている釣り場は、紹介者がそこに通って何匹も釣り、もう釣れなくなってほかの場所に移ってしまってから、紹介するのだとも言う。釣り場によっては渡船業者がダイバーを雇って、1年に一回海底の掃除を行うところもある。伊豆大島の釣り場は離れ磯ではなく、地磯(陸)からの釣りなので、専門の渡船業者はいない。たまに強い台風が来たときに大波で海底がきれいになることはあっても、定期的に磯の掃除をするものがいない。東京から近い伊豆大島は釣り人の数も多く、人気の高い釣り場では50mか60m先までの海底は場荒れしている可能性も高いと考えられる。

第3章見出しに戻る

大島の表磯と裏磯

大島の若者や、斉藤栄次さんのように、超遠投の技術でこれをカバーしようとする人もいる。だが、行くのが難しく、めったに人が行かない場所に行って釣るということも考えられるだろう。交通の便がよいところ、つまり、バス停から近い、あるいはグループで行くならタクシーや釣り宿の車を使う手もあるから、とにかく車の入れる道路から近いところには、釣り人が入ってない場所はない。大島の表磯と呼ばれる島の西側はこの条件が当てはまる。

地図を見れば分かるが、島の周回道路は、空港から元町を経て波浮港まで島の西側では海岸の近くを通っている。しかし、波浮から北の島の東側では、道路は標高が200mより高いところを走っており、道路から磯に「下り、上り」するのは200mの山を「上り下り」するのと同じことになる。この大島の東側の磯を裏磯という。『航空写真で見る―伊豆七島の海釣り』(上)では、代表的な裏磯のひとつ、黒崎周辺について「この周辺は数ある大島の磯の中でも、超一級といわれている。その理由として、周遊道路から離れている(距離、標高差とも)ため、徒歩で下り30分、上り60分以上の山道を完全装備で往復することは容易ではなく、一般的にはまず、チャレンジする釣り人がいない、したがって、場荒れしていない----」と書いている。また「脚と体力に自信のある人、時間的に余裕のある人なら---挑戦できる--」とも書いている。

後の三宅島での釣りのところでも書いたが、予備の竿とリールなども加えると釣り道具と弁当や水、餌の全重量は10キロを越える。この写真集では、黒崎の近くの釣り場の解説では、「健脚向きなので装備を軽くし、竿は1本、オモリも10個ぐらいに限定し、歩きやすくすることが必要」などと書いてある。それでも必要な荷物の重量は7〜8キロになるだろう。

私が、いわばフル装備で行った三宅島の釣り場は歩いて15分くらいのところで、「アップダウンのある悪い道」とはいえ、200mの標高差のある山道を上り下りするのとはわけが違う。すでに失くしてしまった、私が愛読した伊豆七島に関する別のガイドブックでは、詳しい内容は忘れてしまったが、「帰りの道を思い出すと、いまでもぞっとする」という文があったことははっきりと覚えている。私がこうした記事を熱心に読んだのは、私の技術ではなかなか釣れず、なんとか釣りたいと思ったときに、遠投の技術を脚でカバーできないだろうかと考えたからであり、人の入らない、場荒れしていない場所にはイシダイがいるだろうと考えたからだ。

しかし、ほとんど人が行かない、はっきりした道があるかどうかわからない、初めての場所に、単独釣行する勇気はなかった。また、車で伊豆や房総に一緒に乗せて行ってくれる釣り仲間はあったが、「下り30分上り1時間」の道を荷物を持って一緒に行こうという人は見つからなかった。こうして私の場合、大島の裏磯への釣行は一回もなかったが、釣り人の中にはごく少数であれ、脚と体力に自信があり、時間的に余裕のある人で、イシダイを釣ることに超人的な執念を燃やし、難路にもかかわらずあえて挑戦した人たちもいたことはいたのだ。

だが、これは、私同様、イシダイ釣りに熱中した人々がたくさんいた30年も前の話である。その後、イシダイ釣りをやる人が減ったといわれている。めったに釣れないイシダイではなく、釣れる上物(メジナ、ヒラマサ)に飛びつく人が増えているとどこかで読んだ。またルアー釣りが若者の間に広がったこととも関係があるらしい。そして、私が四国に転居した90年代初めごろには「もう少しするとイシダイ釣りをやっていた世代の人々が引退し、イシダイ釣りをやる人が減るので、少数派である若いイシダイ釣師にとって、よい釣り場に自由に入れるチャンスが到来する」というようなことを雑誌で読んだ覚えがある。

上で書いたが、当時は、休日には釣り座を確保するのがたいへんであった。石物釣り場と上物釣り場はたいていのところでは分かれており、釣り人全体の数が増えても、イシダイファンの数が減れば、イシダイを狙う釣り人が好きなところで釣りをできるようになるというのはたしかだろう。それどころか、イシダイ釣りをする人がうんと減れば、場荒れしていた磯はやがて回復するだろうし、かつての有名磯で、それほど遠投しなくても、良型のイシダイが釣れるようになるということが考えられる。そんな時代になったときに、10キロ近い荷物を持って「下り30分、上り1時間」かけて裏磯に出かけた人々はどんな風にその釣行を思い起こすのだろうか。彼らは、まだ磯でイシダイ釣りをしているだろうか。

その人々があの記事を書いたのは、実際に大島の裏磯に入っていたときからさほど時間が経ってないころであり、その路程の厳しさを思い起こすことはまだ彼らを「ぞっと」させたのであろうが、30年も経った時には、彼らはきっと、脚と体力に自信があった若い頃をなつかしく感じながら、楽しく思い起こすことになるのではないだろうか。

温暖化が急激に進行し、伊豆大島周辺が沖縄の海のようになり、イシダイがいなくなってしまえば、これらの話はまったく意味のないものになるのだが。

第3章見出しに戻る

2)三宅島で大型クチジロを釣る

ベンケイで5.4キロのクチジロを釣る

伊豆大島で始めてのイシダイを釣ってから一月ほどしか経っていない、翌83年の1月、三宅島に行き、5.4キロのクチジロを釣った。クチジロ・口白とは老成したイシガキダイの雄だとされ、2〜3キロまでの若魚にある石垣模様が消えて全体が黒くなり、口の周辺だけが白くなっているものを言い、大型魚が多い。伊豆大島には、江東磯の例会に連れて行ってもらう以前にも、イシダイやブダイを釣ろうと2〜3回行ったことがあった。しかし、大島より南の伊豆七島には行ったことはなく、三宅島に行ったのはこのときが始めてであった。

何の知識もなしに三宅島まで釣りに出かけるというのは無理である。今は全国どこででも手にいれることのできる、航空写真を用いた釣り場のガイドブックはこの当時はまだなかった。私が今も持っている、全磯連関東支部の監修で日本テレビ出版部による『航空写真で見る、伊豆七島の海釣り』上、下の出版は昭和60年(1985)、『航空写真で見る、伊豆の海釣り』、『航空写真で見る、房総の海釣り』が昭和59年で、これらが航空写真を使った海釣りガイドブックの魁だったのではないか。

一方、それ以前から、ひかりのくに株式会社から『東伊豆の釣り場』、『南西伊豆の釣り場』、『伊豆七島の釣り場』、『続伊豆七島の釣り場』など、B6版のFishinghandbookと英語でうたった、シリーズが出版されていた。私が92年に四国に来てから買った『四国東部の釣り場』は初版が1979年、83年に5刷発行となっている。
このシリーズでは、それぞれの地域の磯に精通したベテランの解説、釣魚のポイントが記された図とともに、海上からあるいは近くの他の場所から見た磯、島(ハエ、根)のモノクロの写真が沢山掲載されていた。また、なくしてしまって出版社名がわからないが、A4版で写真と、リアルに描かれた磯の図が沢山使われた伊豆七島の釣り場のガイドブックも、航空写真を使ったシリーズが発売される3〜4年前くらいに売りだされたと記憶する。私はこのガイドブックをばらして、始めての釣り場に行くときに、該当する釣り場が解説されている数ページを持って出かけた。そのためにこの本は私が引越しするときに散失してしまった。

1980年前後にこれらの様々な釣り場ガイドが集中的に出版されたのは、この時期に伊豆七島など遠くの島々に出かけてイシダイやヒラマサなど大型魚を追いかける本格的な磯釣り人気が高まったことの反映だと思われる。と同時に、これらガイドブックがそうした遠征釣り人気の高まりをいっそう後押ししたのではないか、とも思われる。

私はこの「Fishinghandbook」シリーズ『続伊豆七島の釣り場』を読んで、一人で三宅島に出かけた。他の島でなく三宅島に行ったのは、宿に泊まらなくても釣りができ(この点は伊豆大島と同じ)、定期船の着く港から歩いていけるところに、有名な釣り場がいくつもあって、ガイドや車を頼む必要がなかったからである。

三宅島には、大島と同様、二つの港があって、到着時の風向きで入る港が変わる。たいてい前夜竹芝桟橋出港時に、入港予定の港名が放送されるが、風が変わって、朝、三宅島に着いたときに違っていることもある。冬場は北西ないし西風が吹くことが多く、船は島の北東部にある三池港に入る。北東の風のときには島の南西部阿古(アコ)地区の錆ガ浜港(阿古港と呼ばれてもいた)に入港する。東海汽船の定期船は三宅島を出た後、八丈島に行き、午後1時ごろ再び三宅島に寄って、夜、東京港に帰る。帰りの便の到着港も風によって変わる。

ガイドを頼んだ場合には、出発時刻に間に合うように車で迎えに来て、港に送り届けてくれるから、約束の時間まで釣りに専念していればよい。しかし、そうでない場合、釣り人は、今では携帯電話で容易に出港地を確かめることができるが、当時は昼近くなったら、どこか人家のあるところまで行って公衆電話を使うか、電話を借りるかして出港地を確かめておく必要があった。こうしたことを頭に入れておかないと、出港地が変わったのを知らずに港に行ってから慌てることになる。出港時間に間に合えばタクシーを飛ばして島を半周するか、間に合わないときには島に一泊することになる。

第3章見出しに戻る

ベンケイ根

その日、私は船が三池港についたらベンケイに、そして阿古港についたら潮の鼻周辺(今崎海岸)に行くつもりだったが、船は三池港に着いた。船の到着時刻は5時前で、冬の朝はまだ真っ暗である。出港までにしばらく時間があり、船内で暫く待っていて明るくなってから下船、上陸した。途中まで一駅か二駅、周回道路を通るバスに乗ることもできたが、海を見ながら歩くほうが気持がいいし、始めての三宅島をこの足でしっかり踏みしめたいとも思い、港を出るとすぐに海岸に沿った道に入って歩いて行った。

道の陸側は草原でその向こうに空港の滑走路が見える。反対側は溶岩が固まってできたごつごつした海岸で、もちろんその向こうには真っ青な海が広がっている。真冬なのに全然寒くなく、大きなリュックを背負って両手に荷物を持って歩いていると少し汗ばむほどである。15分か20分行くと海岸が広くなり、それまで通ってきた海岸とは違って、黒い小さな火山礫と思われるものが敷き詰められた広場のようなところに出た。ベンケイにはその後も何回か行った。ここはテングサ干し場で、一面にテングサが広げられているのをみたこともある。この最初のときにどうであったかは覚えていない。(私は千葉で5月に天草が干されているのを見たことがある。Web検索によると伊豆では4月から10月に干すという。真冬に天草を干すことはないようだ。)

三池港を出てここまではたいした磯はなかったが、この広場の先には、低いけれども、海に大きく突き出た広い磯が見えた。そしてガイドブックの図にあったとおり、この磯の右前方沖には、一目でわかる小さな離れ根が見えた。ベンケイ根に違いないと思われた。

根を目標に、馬の背状になった磯の南側に沿ってできるだけ前に出た。鵜の糞で白くなった岩の付近で、周りより少し高くなったところに荷物をおいて、波の様子をしばらく観察した。東京から200q近く離れた離島で始めて釣りをする海であり、緊張しないわけには行かなかった。
しかし、海は穏やかで、うねりは少しあったがさほど高くなく、危険はなさそうだったので、そこを釣り座にすることにした。根までは60mかそれ以上あるように見え、もっと近いところに行きたかったが、釣り座にしたところから先は厚さが30センチほどで高さが1mほどの筋状の岩が幾重にも屏風のように並んでいて、その間の溝には海水が入りこんでいる。もっと根に近づき、その筋状の岩の上に竿掛けのピトンを打って竿を出すことができたとしても、その後に立つことも座ることもできず、最初に選んだ場所でやるほかなかった。



沖のベンケイ根の少し右側に向かって40mか50m仕掛けを投げ、道糸を張って置き竿で待った。波が寄せたり引いたりするのと一緒に、グラスファイバーの柔らかい竿の先が曲がったり伸びたりする。10時頃だったろうか、竿がグイッと曲がり元に戻らずに止まった。
あれっと思った。当たりかもしれないと思った。私が知っているイシダイの当たりは1ヵ月半ほど前、大島、上人の滝で見た、コン、コーンという速いスピードの当たりで、竿がギューンと海に向かって突っ込むように曲がって行った。
だが、この時の当りは、竿が「グイッ」という感じで曲がったが、スピードはなく、そして曲がったまま止まったのである。しかし、その竿の曲がり方はそれまでの波による曲がりかたとは違っていた。私は当たりだと自分に言い聞かせた。そして竿を掴むと立ちあがりざまにあおった。立てようとした竿は途中で止まり、私は根掛かりだと思った。

第3章見出しに戻る

重くて魚が上がらない

しかし、次の瞬間、竿の向こうで何か牛のようなものがのそりのそりと動いたように感じた。ぐんぐん引くというのではない。何か大きな重い物がその体重で、私が竿を立てリールを巻くのに抵抗しているのだった。
竿尻は腰に当て、左手でリールの少し前を支え、ふつうはその左腕の力で竿を立てる。ところが左腕の力だけでは竿は立たなかった。私はリールのハンドルを持っていた右手を離し、左手に添え、両腕の力を使って竿を立てて、その重い物を少し、20センチか30センチだけ引き寄せ、次に竿を少し倒しながら右手でハンドルを回して糸をちょっと巻き、そしてまた両手で思いきり力を込めて竿を立てた。

このやりかたをスピーディーに繰り返し、すばやく道糸を巻き取る動作をポンピングというが、ポンピングはテクニックであり、練習にもとづく意図的動作である。このときは、竿を立てた状態でなんとかリールを巻きたいと思って、リールのハンドルを回す手に力を入れたら、左手の力では竿を支えることが出来ず、重さで竿が少し前に倒れ、結果的に少し糸を巻くことができたが、それ以上竿を倒しては危ないと思い、ハンドルを回すのをやめて両手で竿を立てたのである。これしかできなかった、しかたなしに行なった動作である。あるいは「結果的にそうなってしまった」だけであった。この動作を繰り返したのであって、ポンピングとは呼べなかっただろう。

それでも私が少しずつ道糸を巻き取るのにあわせて、その重いものはゆっくりゆっくりとこちらに近づいてきてくれた。やがてその重い物は15mほど先の海面に姿を現わし、大型のイシガキダイであることが明らかになった。私は「やった!」とは思ったが、その喜びに浸っている余裕は全くなく、魚をもっと近くに引き寄せようと、竿を立てたり少し倒したりという動作を何度か繰り返し必死にリールを巻いた。やがて魚は波打ち際から3〜4mのところにきた。時々魚の頭が海面の上に出て、口の周囲が白い、クチジロであることが分った。

私が立っていたのは、うねりが押し寄せ海面が盛り上がったときに、海面からの高さが1mか2mほどある岩場の上であった。うねりが引くと海面は1mか2m下がった。つまり波が一番引いたときには、海面から岩の上まで3mか4mほどあった。魚が2キロ位までのものなら抜きあげることができたかもしれない。抜き上げた魚が飛んできたら体で受け止めることもできるし、それに失敗しても、後の浅い水溜りに魚が落ちるだけで、逃がす心配はない。本では、抜きあげるときは波のリズムを見て、波が打ち寄せるときにその力を利用して磯の上に引き上げるなどと書いてある。

しかし、実際には魚が非常に重く、「言うは易く、行なうは難し」で、波の力を利用しようと試みたが、全然うまくいかない。

魚が海中からいったん姿を現したあと、私は竿をたてたままで、道糸を決して緩めなかった。魚は泳ぎ回って逃げようとしているのではなく、重みで水の中に潜ろう(あるいは沈もう)としているだけのように見えたが、非常に重く、私は竿先を下げないように竿を立ててこらえるのが精一杯であった。道糸に引っ張られて海面から上に出ているのは口の周辺だけで、体の残りの大部分は水中にあった。両腕にさらに力を入れ、全力で竿を立てると、瞬間的には、体の半分が浮いた。しかしそれ以上は浮かなかった。すでに上半身は汗びっしょりになっていた。竿がグラスファイバーで曲がりやすいということもあっただろうが、魚も大型で重かった。

斜面になった足元の岩場を駆け上がるように海面が高くなるときに全力で竿を立てる。魚は波に乗って、磯際に寄ってくる。しかし、岩の上まではまだあと1mか2mある。魚の体は半分ほど水の上に出ているが、それ以上どうにもならない。うねりが引きに転じて海面が下がるとともに、魚も水に引っ張られように下がっていく。数回同じことを繰り返しているうちに、私はすっかり疲れてしまった。

重い魚を掛けた場合に、竿を立てるのは腕の力だけによるのではない。竿を掴んだ両腕を曲げ体に引き付けると同時に、両膝を曲げ竿尻の当っている下腹を突き出し、背をのけぞらせるようにして、体といっしょに起こすのである。両腕で掴んだ、竿の太い部分(元あるいは元竿という)は、体を立てれば一緒に立つ。しかし、元より先の部分は、カーブを描き、竿先に近いところは、直線状になって、荷重のほうに向く。荷重が小さい時には曲がり方が小さく、荷重が大きくなれば竿の曲がり方が大きくなる。波が寄せたり引いたりすると、道糸にかかる荷重の大きさが変化し、竿の曲がり方も変化する。竿が大きく曲がる時には腕にも大きな力がかかるが、(耐えられる限り)腕は曲げたままに保ち、膝、そして背筋を使って、それに耐える。

情けないことに私にできたことは、波によって魚が磯際に近づいたりまた離れたりするのにあわせて竿が大きく曲がったり、小さく曲がったりするのに、ただ「耐える」ことだけであった。それ以外何をしたらよいか、考え付かなかった。魚を磯の上に引きずり上げることも抜き上げることもできなかった。そして次第に疲れが増してきて、耐えることも難しく感じられてきた。

後に使うようになったカーボンの竿に比べ、柔らかいグラスファイバーの竿は重い魚を抜き上げにくいことは確かである。しかし、問題は竿を用いる人間の力である。私の力が弱くて、竿を瞬間的にであれ、思い切り立てることが出来なかったことが、魚を抜き上げたり引きずりあげたりすることができなかった原因の大部分であったと思う。
しかし、抜き上げられなかったことの原因としてもうひとつ、足場が悪かったことも挙げられる。竿を立てるときに、力が入りやすい竿の角度がある。5mを越える長い竿では足元に近づいてきた魚を釣り上げようとしてもうまくいかない。足場がもう少し広く、魚が波とともに磯に近寄ったときに、1歩か2歩後に下がって、適当な角度になるように竿を立てることができれば、魚をぬき上げるか引きずり上げることができていたかもしれないとも思う。しかし足場は馬の背のような狭い岩の上で、その余裕はなかったのである。

第3章見出しに戻る

ほかの釣り人に助けてもらう

私は自分一人では無理だと判断し、助けを求めようと周りを見回した。私はベンケイ根に向かって細長く伸びている岩場の先端に近いところで釣りをしていた。もっと後方には、磯際に大きな離れ岩があって、この岩にぶつかって砕けた波が生み出すたくさんの気泡で海中が白くなっているところ、つまりサラシ場があった。私がこの磯に入ってきたときは誰もいなかったが、今見ると、そのサラシ場で上物釣りをしている人がいた。

「すみませーん。助けてもらえませんか。魚が重くて一人で上げられないんです」。大声で叫んだ。その人は快く自分の釣りを中断すると、急いで近寄り、玉網の柄を延ばして魚を入れてくれた。しかし、ほっとして私が道糸を緩めると、岩角に擦らないようにと持ち上げかかった玉網の柄が、魚の重さで大きく曲がってしまった。

これでは魚をあげることができない。そこで、また私はリールを巻いて道糸を張って玉網にかかる負担を減らすようにし、波が寄せてきたときに、私が竿を立てて道糸を張るのと一緒に玉網を持った人がその柄を引き寄せるというように、二人が息を合わせることで、やっと磯の上に引き上げることができた。

手伝ってくれた人は「うわー、大きいね、こんな大きいのは初めて見たよ」と驚いた様子だったが、また前のところに戻って釣り続けた。私は、名前を聞き、帰りの船で一杯おごるとか、あとで礼状を出すとかすべきだったと、東京に戻ってから思ったが、このときは興奮で頭を働かせることが全くできなくなってしまっていた。恩知らずにも、そのときはただ言葉でお礼を言っただけで済ませてしまった。

釣った魚をスカリ(ビク・魚篭ともいう)に入れ、岩の間の水溜りに沈めておき、新しく取り替えた仕掛けに餌をつけて再び投入したが、釣果を確かめたくて、何度もスカリを引き上げて魚の姿を見た。11時半頃になり、まだ時間はたっぷりあり、また天気がよく船の着く港が変わることはないだろうとも思ったが、万一の場合を考え、早めに納竿して、港に向かった。餌やオモリが減り、水筒も空にして、荷物はかなり軽くなっていたはずだ。また、なによりも大物を釣ったという気持ちで足取りも軽くなるはずだった。

しかし、実際には、釣った魚がかなり重く、何回か立ち止まって魚を入れたバッグを持ち替えたほどで、港に着いたときにはへとへとになっていた。お昼を食べて休もうと寄った食堂兼土産物屋の克己(カツミ)のお女将さんが「ワーッ、大きいのを釣ったわね」と褒めてくれた。量りを借りて量ると5.4キロあった。道すがら考えたことだったが、わたしはテレビの大物賞に応募してみようと思うと話し、魚拓をとったらこちらに送るから、「確認者」のところに判子を押して送り返して貰えないかと頼んだ。お女将さんは快く引き受けてくれた。

帰ってから釣りクラブの蛯原さんにも報告すると「5.4キロなんていう大物は俺も釣ったことがない。よかったなー」と褒めてくれ、テレビの賞にぜひ応募したたらいいと勧めてくれた。しかし、この年はイシダイの当たり年だったらしい。実際に私は魚拓を出して応募したが、入賞には全然届かなかった。優勝したイシダイは確か、重量が9キロもあり、10年、20年に1匹出るかでないかという大きさの魚で、釣ったのは今村さんという人だった。

第3章見出しに戻る

ツル根での釣り

クラブの85年の例会で三宅島のツル根に行ったときに、今村さんに出会った。10月か11月ではなかったか。定期船から下りて、釣り場に向かう車に乗った時にはまだ暗かった。そして雨が降っていた。やや強い風も吹いていたが西風だったので、島の南東側のツル根ではどうということはなかった。私は、始めてだという、もう一人の誰かと一緒に先輩の二瓶さんの後についていった。

周回道路から坂道を下り、ちょっとした崖を降り、でこぼこの岩場を少し歩いた後、権兵衛池という長さが20〜30mあってやや深い潮溜まりを迂回して、池の前の釣り場に出るのだが、その途中の岩場は波をかぶっていた。二瓶さんは前夜船の中で開かれた宴会で飲んだアルコールがまだ残っているらしく、上機嫌で鼻歌を歌いながら歩いていた。足元に波が打ち寄せ、私は思わず二瓶さんのリュックにつかまった。池の前の馬の背状になった釣り場に着くと、もうすでに一人で釣っている人がいた。彼はツル根で一番いい場所に陣取り、2本竿で釣っていた。私はその隣に竿掛けのピトンを打った。

夜が明けると、その先着の釣り人が、テレビに映った優勝者の写真で見て顔を覚えていた今村さんだと分かった。周囲を見まわすとツル根には10数人、そして両隣のヤナガネとウノクソに数人ずつが入っていた。

8時を回ったころには雨が上がって薄日が差し始めた。ここは西風のときには強風でも影響の少ないところだが、風波はもちろん、早朝に磯を洗っていた弱いウネリも全く収まって、海は油を流したようだという文句がぴったりの状態で、前方には太平洋の大海原が広がっているにもかかわらず、まるで湖の岸辺にいるかのようだった。気が付かなかったが、少し靄がかかっていたのかもしれない。

靄のせいなのか日光が薄雲を通過してくるせいなのか、そうでなくても黄色味を帯びた晩秋の、低く上った太陽の光が、ボーッと辺り一面を、とりわけ、前面の海全体を薄黄色に染めていた。だが、それは、ほぼ真正面に上り、海面に反射した太陽の光がまぶしく、時々目がくらんで、そのような感じを受けただけだったのかもしれない。

昨夜来の強い風で吹き飛ばされた木の葉が何枚か海に浮いているのが見えたことが、なおさらそうした印象を強く与えたのだろう。カレンダーの写真などでしばしば見ることがある、向こう岸の紅葉が映って赤や黄色に染まった湖の光景にそっくりであった。潮の流れは魚に食い気を起こさせ、釣り人にやる気を起こさせるが、そのときはまったく潮が流れず、ツル根の前の海はよどんだ水をたたえて静まりかえっており、餌を付け替えて仕掛けを投入するボチャンという音だけが時々響いた。

いつでもそうだが、9時くらいまでは、皆、今日こそは釣るぞと張り切って仕掛けを投入し、穂先を油断無く見つめている。しかし、誰にも当たりがなかった。10時ごろになって、潮が全く動かず、当たりがないと、皆、いい時間帯はもう過ぎた、条件の悪い今日は釣れそうもないと考え始める。また前夜は遅くまで飲んだり、釣り談義に花を咲かせていたりしたため、当然ながら眠気を感じ、今日はだめだとあっさり竿を片付けて、リュックを枕に昼寝を決め込む人もいる。

私は根気よく釣りをつづけていたが、少し退屈を感じて、横にいる今村さんに話しかけ、今年は何匹石鯛を釣ったかと聞いた。答えは確か70とか80とかいう数だった。これはもしかしたら、石鯛釣りをはじめてから今までに釣った数の合計だったのかもしれない。遠征釣りに何度も行き、一回に10匹、20匹釣っていれば、1シーズンに70、80釣ることも不可能ではない。しかし,関東では1シーズンに70匹も80匹も石物を釣るというのは極めて難しい。私は「今年何匹釣ったか」と聞いたので、その答えに仰天した。

やがてかれの竿に当たりが出た。ツル根の磯は低く、比較的取り込みやすいのだが、彼は無駄のない一連の動作で魚をかけて寄せると、4キロを優に越えていると思われる良型の口白を一気に抜きあげた。手際よく針を外し、スカリに入れて後ろの権兵衛池に放り込んだあと、彼の言った言葉が印象的だった。「いやー、こんな潮でも食うんだねえ。いつ釣れるか、本当にわからないものだ」。

凪ぎの時よりも波気のあるときのほうがよく釣れ、そして潮がよく動く時のほうが食いが立つと一般に言われている。これは防波堤釣りでも、船釣りでも、また磯釣りでも、多少でも長く釣りをしていた人が口を揃えて言うことである。その日のツル根はベタ凪ぎで、全く潮の動きがなく、この定説に従えば、イシダイが釣れる見こみはひどく薄いはずであった。多くのイシダイを釣ったことのある今村さんも、そう考えながら釣りを続けていたのである。そして、その確かな定説を覆して良型のイシガキダイを釣り上げたのである。もともと私は磯に乗ったら、たいていいつでも根気よく釣りつづけるようにしていたが、以後、私はどんなに潮が悪そうでも、時間の有るかぎり、休まず油断せずに釣りつづけることにしている。  

第3章見出しに戻る

1983年と2000年の三宅島の噴火

ベンケイで大型のクチジロを釣った話しにもどろう。私が一人で出かけ、5.4キロのクチジロを釣ったことは誰も否定しないだろう。そして私はテレビの大物賞は逃したものの、この後の1年間は釣ったぞ、大物を釣ったぞという興奮が続いた。しかし、時間が経つに連れ、100%の自力でなかったことに関する不満が次第に大きくなって行った。

たまたま、近くに釣りをしている人がいて、親切に玉網を出して掬ってくれたから、あの魚をとりこむことができたのであり、独力であの魚を釣ったのではない。誰もいなければ、どうなっていただろうか。今考えると何か方法がありそうに思うが、あの時近くに誰一人助けてくれる人がいなかったとすれば、あれこれ試しているうちに、道糸が岩角でこすれて切れてしまい、結局魚には逃げられてしまったのではないかと思う。帰ってから、私はとにかく玉網が必要だと考え、以後の釣行には柄の長さが釣り竿と同じ5.4mの玉網を持って行くことにした。

一本のナイロン糸で引っ張り寄せるのとは違って、いったん魚を玉網に入れてしまえば、その魚を逃がすということはまずない。しかし、船から釣ったときの経験だが、マダイなどとは違って、イシダイはいったん海面に浮かしてもなかなか弱らず、糸が少しでも緩むとすぐに海中に突込っこもうとするので、一人で玉網を使って魚を掬うのはなかなか難しい。イシダイを海に突っ込ませないよう、片手でもった竿を動かして、もう一方の手で差し出した玉網の上に魚を引っ張り寄せなければならないが、それにはかなりの腕力が必要なのである。しかし、当時はそんなことは知らなかった。玉網は持っていても、練習なしで掬おうとしてうまくいかず、もたもたしているうちに逃げられてしまっていたかもしれない。

その後良型イシダイを釣ったのは3回だけであるが、その2回は他の人に取り込んでもらうことになった。あとの一回は一人で釣ったが、この時のイシダイは3.4キロで、それほど重くはなく、また足場が広く、玉網を使わずに抜き上げた。そういうわけで、玉網で掬うのに失敗してイシダイに逃げられ悔しい思いをするという経験はしないですんだが、買った玉網を使うことは一度もないままになってしまった。

こうして、100%自力で、独力で、と言うことはできないが、私は始めて三宅島で釣りをしたその日に、5.4キロというかなり大型のクチジロを釣ることができた。ビギナーズ・ラックとはよく言ったものだが、1ヶ月ばかり前の12月に大島で大きくはないが2キロ近いイシダイを釣ることができたのに続いて、良型のクチジロである。私はほとんど有頂天になった。

そして、その年は秋まで三宅島に通った。もし、この年に雄山の噴火が起こらなければずっと三宅島に通いっぱなしということになっていたかもしれない。この年の10月、三宅島中央に山頂を持つ活火山・雄山オヤマが中腹から噴火した。
このときの噴火の模様について少し触れると、地震が頻発してから一時間後に噴火が起こり、15時間後には収まった。溶岩で陸路を絶たれた島の南部の住民と釣り人は船で海に逃れた。島の南西、阿古集落に向かって流れた溶岩流で400戸が全壊、焼失した。溶岩流は海岸に立っている小学校と中学校の校舎にぶつかって止まった。噴火口がいくつもでき、島の南端の有名釣り場、新鼻(ニッパナ)周辺はすぐ近くから吹き出た火山灰と火山礫で埋まってしまい、ニッパナから近いところにあった江東磯の定宿も燃えてしまった。しかし、住民と釣り人に一人の犠牲者も出なかったのは不幸中の幸いだった。2000年の噴火の際の新聞(6月27日、29日朝日新聞)を参考にした。

18年周期とか19年周期とか聞いていたとおり、三宅島は2000年に再び噴火した。噴火は長く続き島民全部が島外に長期間避難することになった。2000年6月26日、地震が頻発し、いったんは人口3800人の6割が学校などに避難し、島外への避難のために自衛隊の艦船が派遣された。
しかし、地震が収まり、6月30日には安全宣言がなされた。その後、7月から神津島、新島に深度6弱の地震が起こるが、三宅島のマグマ活動とは別だとされた。7月9日、14日、8月18日再び雄山が噴火。8月24日、安全宣言を撤回。小中学校の生徒全員136人が島外に避難。8月29日再度雄山が噴火。9月1日東京都が全島民の避難を指示。この噴火では有毒ガスの発生が続いた。大量の亜硫酸ガスで東京都内でも濃度が1ppmに達したが、これは喘息患者なら致死量に相当するという。
Wikipediaによると、避難指示が解除されたのは4年半後の2005年2月、山頂付近を除いて居住制限が解除されたのが2011年で、しばらくは観光客を含め滞在者には脱硫マスクの携帯が義務付けられていたが、2013年7月1日より、山頂付近立入り禁止指定区域を除き、ガスマスクの携行は原則不要になっているという。

第3章見出しに戻る

三宅島オカダで6.8キロの口白を釣る

83年の噴火ではまもなく通常の生活が取り戻され、釣りもできるようになった。私はしばらくは房総の磯に転進していたが、再び、三宅島に通った。私は、日帰りで、あるいは大学の春休み、夏休みなどには何日か泊まって、バスを利用できるか釣り宿から歩いて行ける地磯が主だったが、たまには渡船を利用する三本岳にもいってイシダイを狙った。アカバッキョウ、伊豆岬灯台下、大鼻、今崎海岸、ママ、イシヤジリ、オカダ、ツルネ、ベンケイ、三本岳のマカド、大根などで、合計すると40日くらいは三宅島で釣りをした。

三宅島では、ベンケイで釣った4年後、87年4月にオカダで6.8キロの大型クチジロを釣った。これが私の石物の記録になった。84年に、3匹目のイシダイを釣った入間赤島での釣りについて書く前に、オカダで4匹目の石物を釣った時のことを書こう。

オカダはそれ以前に数回釣りをしたことがあった。そのころ利用していた薄木荘という釣り宿から近かったことが主な理由で、宿からは歩いて10分ほどで行けた。草原の中の細い道を歩いて磯が見えるところまできたら、いったんゴロタ石の浜に下り、それから台地状に切り立った岩場を登る。佐竹さんの書いたガイドブックに「ロッククライミングする」と書いてあったように思う。
実際は、でこぼこした岩に順につかまったり足を掛けたりすれば、荷物を持ち、リュックを背負ったままでも登れるところで、上に登るのには困難はなかった。先端の岩場の海面までの高さは10m以上、15m近くあり、釣った魚を上に引き上げるのが難しいことが欠点であるが、実際に魚を釣るまでは、どうやって魚を引き上げるかは問題とはならず、釣り人はこの欠点を気にかけずにオカダに上る。

高いので周囲が遠くまで見渡せた。正面には10キロほど沖に「指を三本立てたような」三本岳が見え、オカダのすぐ右隣りには、オカダ以上に有名な真鼻マハナという磯があった。その先は右側にゆるやかに入りこんだ湾になっていて、7〜8百mほど先、その湾が終わって突き出たところに、私が何度か竿を出したことのある、これまた有名なママという釣り場が見える。反対にオカダの左手の方はやや低い磯が続き、1キロほど先に少し突き出ているのが、江東磯が定宿にしていた門屋敷という釣り宿がすぐ上にある、ミズガエシやホホズシロという磯である。そのまた1キロほど先には、噴火で埋もれたニッパナとその離れがあったが、ニッパナがオカダから見えたかどうかは覚えていない。

私が最初に行ったときは、真鼻の沖のハナレ岩と海岸から突き出た岩場は、下に波が通っている橋のような細長い岩でつながっていた。私は怖くてそこを通って前に出たことはなかったが、83年秋の噴火のときか、その直前かに起こった地震の際に、上の岩は崩れ落ち、「地」の真鼻と「ハナレ」とに分かれてしまった。その後1、2度来て釣りをした。
オカダの正面は所々岩が露出している浅場で釣りはできなかったので、真鼻のハナレに釣り人がいないときは、この浅場と真鼻の間の深くなったところのなるべく前を狙って仕掛を投入した。うまく投げることができたときには離れのそばに仕掛けが届いた。ハナレで人がやっているときには、反対側、オカダの左側に寄り、浅瀬の少し先を狙うか、縦に入りこんだ溝を狙って投入した。

私は、釣りクラブの例会で行くとき以外は三宅島にはほとんど一人で釣りに行った。その日は東海汽船の中で、知っている人といっしょになった。当時私はJR(国電)新小岩駅の近くに住んでいたが、母親の居た江東区の南砂に時々行った。そしてたまたま近くのラーメン屋さんに入ると、6キロか7キロの大きなイシダイ(クチジロ)の魚拓が貼ってあり、聞いて見ると、店主のAさん(名前を思い出せないので、こう呼ばせてもらう)が釣ったのだと言う。私よりも三宅の磯にはるかに精しく、イシダイも数多く釣っていることが分かり、それから何回かラーメンを食べに寄って釣りの話しをすることがあった。この日、Aさんが、友人2、3人と一緒に、東海汽船に乗っていた。記憶は確かではないが、Aさんのグループは日帰りの予定で、私は「薄木荘に一泊する予定で、今日はオカダに行くつもりだ」と言うと「じゃあ、いっしょにオカダに行きましょう」ということになったように思う。

まだ薄暗い中で、薄木荘に頼んでおいた三宅島で取れるマガニを針に付けて、足もとから、30〜40m続く浅瀬の向こう側を狙って、仕掛を投入した。第一投である。やや追い風で、深いところまで仕掛が飛んだか、あるいはうまい具合に、縦の溝に入ったかしたのだろう。まもなく、ゴツン、ゴツンというゆっくりとした、しかし力強い当たりが竿先に出た。

私は少しおどけて「おー、来た、来た」と回りに聞こえるように言いながら、少し待った。竿先がググーッと引きこまれ、私が竿掛けから竿をはずして両手で持ち、立ち上がりながらあおると魚が掛ったと分かる強い手応えがあった。このときにはカーボンの竿を使っていたが、竿のたわみ具合からかなり大きく重いことが分かった。重かったけれども、力を入れてリールを巻くと後で分かった魚の大きさに比べれば割と楽に足元まで魚を寄せることができた。

しかし、そこからが問題だった。それまで数回ここで竿を出したことがありながら、釣れた場合にどうするかを真剣に考えたことがなかった。どうやって魚を10数mの崖の上に引き上げるか。今それが現実の問題となった。
大島の仕掛けとは違って、三宅島で使う仕掛けは、道糸をハリスとオモリ糸のついている三つ環に直結するのでなく、三つ環に1mか1.5mの長さの根ズレ(関西では瀬ズレ)ワイヤーを結び、ヨリモドシを介してその上に道糸を結ぶ。針に掛った魚が強い力で仕掛けを引っ張って走ったときに、根(関西で瀬)、つまり海底の岩にこすれて、切れてしまわないように、イシダイ仕掛ではハリスにワイヤーを用いるのが一般的であり、この点は大島で使う仕掛けも同じである。遠浅で遠投第一の大島で釣りをする場合には、道糸をいっぱいに巻きこみ、竿先から垂れ下がる部分をできるだけ短くして、竿を振る。そのために、三つ環と道糸を直結する。三宅島では大島ほどの遠投は要求されず、また釣れる魚が大きく泳ぐ力が強いから、ハリスにワイヤーを用いるだけでなく、さらに道糸との間に根ズレワイヤーをつけるのである。

魚を取り込むときには、竿で抜き上げてしまうのでなければ、道糸が磯の角で切れないよう注意し、玉アミを使って魚を掬うか、あるいは根ズレワイヤーの上のヨリモドシを掴んで引き上げるかする。潮の鼻で見たことがあるが、少し高い磯でも、4〜5mくらいまでなら、4キロくらいの魚をカーボン竿の弾力を使って抜き上げてしまう人もある。しかし、10m以上あるところでは、抜き上げるのは不可能で、玉網も届かないし、根ズレワイヤーを掴むこともできないから、道糸を掴んで魚をゆっくりと引き上げるしかないということになる。そのときに、何十秒間か数分間、魚は宙ぶらりんの状態になるわけで、魚が掛かった際に海底の近くの岩にこすれて傷がついているかもしれない道糸がその重さに耐えられるかどうかが問題になる。

しかし、私が悩む前に、誰かが、カチンコと呼ばれる道具を取り出した。以前、大島のトーシキで釣りをしたとき、一緒に行ったクラブの先輩からみせてもらって、カチンコについては知っていたが、私は持っていなかった。たまたまAさんの仲間の一人がもっていたのである。これは消しゴムを少し大きくしたくらいの直方体の真鍮片で、その一方の端には、直径が2〜3mmの丈夫なロープが結んであり、反対側の端には道糸が入るだけの溝が刻んであって溝の奥はヨリモドシが通る程度の広さの穴になっている。左下図、カチンコの平面図を参照。

第3章見出しに戻る



カチンコ

高場で魚を引き上げるときに道糸が切れて魚を落とし、悔しい思いをした人たちが発明した道具の一つがカチンコである。

カチンコの溝に道糸を通して上からカチンコを下ろし、まず、道糸の端についているヨリモドシをカチンコの溝の奥の穴をくぐらせ、カチンコをヨリモドシの下に入れてやる。それからロープを引っ張ればカチンコは斜めになって、ヨリモドシはカチンコの穴に引っかかる。こうなれば道糸には魚の重さは掛らず、ヨリモドシから下のワイヤーが重さを支えることになる。右、カチンコの断面図参照。

つまり、カチンコがうまくヨリモドシの下に入り、ロープを引いた時にヨリモドシがカチンコの奥の穴に引っかかって止まれば、道糸が切れる心配なしに魚を上まで引き上げることができる。しかし、カチンコを下まで下しても、ヨリモドシがカチンコの穴をうまく通らず、カチンコがその下に行かない(これは起こりがち)か、下に入ってもロープを引いた時にヨリモドシがカチンコの穴を素通りすれば(こちらのケ―スは少ないと思われるが)、カチンコで魚を引き上げることはできない。




実際、この時にも、ヨリモドシの下にカチンコが行かず、人を換えて何度もやってみたが、どうしてもうまく行かないということで結局あきらめ、直接道糸を持って引き上げることになった。そこで一人が素手でナイロンを掴んで引き上げ始めた。 一方の手を下に伸ばして道糸を掴んで引き上げ、上にたるんだ糸を他方の手の平で巻きとるということを繰り返すのだが、これも簡単ではない。糸が岩角に触れないように、糸を掴んだ手を磯からできるだけ前方に突き出して糸を手繰らねばならない。相当な力を使う。ところがそれだけではなく、手の平に巻きつけた糸の量が多くなるとそれが次第に手を締め付けてくる。

しばらくやっていた人は、手が痛くなってしまい、他の人が途中から交代した。私は、魚の重さで途中で道糸が切れないか、あるいは魚が揺れて岩にぶつかった拍子に針から外れて落ちてしまわないか、はらはらしながらも、手を拱いて傍で見ていることしかできなかった。

長い時間がかかったような気がしたが、魚は何とか無事に、10数mの崖の上の岩場に引き上げられた。人々は、自分が釣った魚でないにもかかわらず、可能な限り慎重に、時間をかけて魚を取り込んでくれた。そして、岩の上に横たわった大型のクチジロを見て、自分の魚のように喜び、拍手をしたり、手のひらをもう一方の拳で打ったりしながら、大きな歓声を上げた。その喜び様は私が大型のクチジロを釣ることができて喜んだ以上であった。恐らく、仲間が協力し合って、難しい骨の折れる仕事を成し遂げることができたことに対する喜びだったのではなかろうか。

それ以前に5キロを越す物を二匹釣っていたが、重さの見当がつかなかった。「5キロは超えてるんじゃないですかねえ」と私が言うと、Aさんが「いやもっとあるかもしれない」と言った。そして彼は持っていたカメラで、私がその魚を抱えているところを撮影してくれた。私は赤いヤッケにブルーのトレパン、それに磯釣り用のヘルメット姿でサングラスを掛けている。遠くに三本岳が写っていて、クチジロが怒って口をカッと開いている。私が持っている自分の写真の中でもっとも好きな写真である。

三宅島オカダで釣ったクチジロ。後に大野原群礁(通称三本岳)が小さく写っている。

「今日は釣れるぞ」とAさんが言って、みんな再び海に向かって仕掛を投入した。しかし、この日は私が釣った1匹だけで、後は全く釣れなかった。Aさんのグループは昼の船で帰ったが、ついでに私の魚を釣り宿にとどけてくれた。私は夕方までオカダに残って、そして泊まった翌日も、同じ場所で釣りを続けたが、やはり、魚は釣れなかった。

冷凍してあった魚を宿で量って見ると、重さが6.8キロ、体長が69センチだった。これが私が現在までに釣った石物の記録魚である。だが、このオカダで釣った魚についても、ベンケイで83年に釣ったとき、そしてあとで書く入間の赤島で84年に釣った時と同様、魚を掛けてから最後に魚を手でつかんで針を外すところまで自分一人でやったとは言えないところに不満が残っている。

ベンケイでは、今なら、竿を持って磯に沿って斜めに下がり、穂先が岩角で折れても構わず、道糸をつかんで、なんとか引き摺り上げようとするのではないかと思う。また、赤島では私が竿を立てられずにいると見た仲間が助っ人に入って、下から竿を支えたり道糸を引っ張るなどしたが、助っ人なしで釣り上げることができなかったのかどうかはわからない。しかし、このオカダの場合には、私は一人だったとすれば、絶対に上まで魚を引き上げることはできなかったと思う。オカダで釣ったクチジロは、私が釣った一番大きな魚だが、一部であれ他の人の助けを借り、それがなければ釣り上げることはできなかったという面もまた一番大きい。

第3章見出しに戻る

高磯用の道具

私はこの魚を釣った後、高い磯で魚を確実に取り込むための特殊な道具を買った。三宅島には、三池港から北に少し行ったところに、サタドー岬という釣り場がある。ここではしばしば10キロを超す大型のシマアジやヒラマサが釣れるというが、海面までの高さが30m近くもある。大型魚を釣るにはハリスも道糸も太くする必要がある。

他方、仕掛けをある程度遠くまで飛ばすことも必要で、道糸は細いほど遠くに投げやすい。また、糸が多少太くても、一瞬で10mも15mも突っ走るヒラマサなどの大型魚を止めることは不可能で、すぐに止めようとしても糸を切られるだけである。道糸が強い力で引っ張られるとスプール(spool、糸の巻いてある円筒部)がゆっくり逆転してリールから道糸が出ていくようになっている機構をドラッグというが、大型魚を掛けたら、ドラッグを使って少しずつ糸を出してやり、魚が疲れるのを待ってから取りこむ。糸は細めのものを使っていても、ドラッグをうまく使うことで魚のパワーをかわすことができる。だが、こうして掛けた魚を足元まで寄せたとしても、重さが5キロ、6キロあれば、30mもある崖の上まで、太くても直径が1oもないナイロン糸を持って引き上げることはまず無理である。(当時はPEなどの強い糸がなかった。)

そうした高い釣り場で釣った大型魚を引き上げるために三宅島で発明された道具がある。名前があったと思うが思い出せない。それは両端と中間に合わせて4つの丸い枠がついた網製の籠のようなもので、伸ばすと1mほどになり、持ち運ぶときには提灯のようにたたむことができる。籠の前(下)の枠には鳩舎のトラップに似たものが円形に並べて取りつけられていて、内側には開くが外に向かっては開かないようになっている。一定の大きさの魚は下からは入ることはできるが出ることはできない。籠にかぶさっている網は細い紐を引くと後ろ(上)側が絞られて閉まり、両手で紐をのばせば網が開くようになっていて、籠の中に入った魚を後ろ(上)から出すことができる。

魚が釣れたら、カゴの前(下)の方から、釣り竿を竿尻側から入れて籠のなかを竿先まで通した後、上の枠についたロープを少しずつ緩めながら、籠を道糸に沿って海面に下ろして行く。釣り針にかかって海面に頭を出して浮いている魚が、その上から降りてきたカゴの下側から中に入る。いったん尻尾まで入ってしまうと、魚の重みでトラップが閉まって魚は外に出られなくなり、直径数ミリの丈夫なロープを引っ張れば籠ごと魚を引き上げることができる。

私はこの魚を引き上げる籠を竹芝桟橋の近くの釣具屋で見つけると、直ちに購入し、以後、三宅島に行くときは必ずこの道具を持っていった。しかし、オカダや今崎周辺の釣り場など、取りこみにこの道具を必要とする高磯で魚が釣れたことはその後一度もなかった。92年に四国へ移るまでに、あと1匹だけイシダイを釣ったが、それは房総、勝浦の低い磯でのことで、この道具は必要なかった。四国に移ってからも、この道具を必要とするような高磯での釣りをすることはなく、結局この道具は一回も使わないままになってしまった。今は「改造」されて、緋扇貝を入れる生簀になってしまっている。

高磯用の道具をそろえたものの、かえって足は釣りやすい低い磯に向かうことが多かった。三宅島で何度か行った好きな磯のひとつが大鼻である。ここへは島の南東部阿古(あこ)集落の端、夕景(ゆうげ)浜で車を降りてから15分か20分、アップダウンのある悪い道を歩かなければならない。オモリが7、8個で1キロ、竿掛け2セットで1キロ、飲み物1リットルで1キロ、リール二つで1キロ、それにハンマーや根掛りカッター、仕掛け、ハサミなどの小道具、磯靴、カッパ、着替えの服、弁当などの入った10キロ近いリュックを背負い、さらに竿二本と玉網が入ったバッグ、カニを入れた重い木箱を両手にもって歩く。ふだん車に乗らず、歩くことに慣れていた私も汗をかいた。

だが着いてしまえば磯は低く、足元から深くて遠投の必要がなく、非常に釣りがしやすい。平日に一人で釣行する人にとっては、魚の取りこみという点でも、持って来いの磯であった。また、海の水で手が洗えるのは非常に気持がいい。そして、魚が釣れれば水溜りに生かしておける。とにかく、高磯の上から釣るのに比べて、各段によい。残念ながら私はここで魚を釣ることができなかったが、時々スポーツ新聞に大鼻で大型のクチジロが釣れたことが載っていた。もちろん凪ぎの時にしか入れないが、港から送ってもらって車を降りる夕景浜からガイドの人が見れば釣りができるかどうかすぐに分かる。だめなら、戻って、阿古集落と阿古(錆が浜)港の間にある、今崎海岸の潮の鼻周辺かオカダなどに行く。大鼻は非常に低いので凪ぎのときにしか入れないということが、かえって安全という観点からもよい磯であり、また天候によってほかの磯に転向する場合に少しも困らないという利便性のよい磯であった。

第3章見出しに戻る

3)初めての海釣り、釣れなかったイシダイ釣り

これまで自力、独力で釣ったのではなかったが、とにかく釣ったときの話しを中心に、大島、三宅島でやった釣りについて書いてきた。まったく一人で、したがって自力で、独力で釣ったのは房総勝浦で3.4キロのイシダイを釣ったときだけだった。この時の釣りを含め、房総での釣りについても、これから書こうと思う。

しかし、1年に20回かそれ以上釣りに行ったから、10年間では200回以上になる。釣れたのは、1キロくらいのものを入れても10回程度なのだから、200回のほとんどは釣れなかったのである。釣れたときの記憶は鮮明だが、釣れなかったときのことは忘れやすい。それでも、200回の釣れなかった釣行の中には、今でもはっきりと覚えているものもある。しばしば、一つの磯に通ってその磯に精通することが大切だと言われるが、私はそれとは正反対に、始めたばかりの時期にはむやみにあちこちの釣り場に行ったし、1匹目、2匹目のイシダイが釣れた後も、同じ場所に通うということはなかった。

イシダイ釣りを始める前に半年ほど防波堤などで小物釣りもやった。また乗り合いの釣り船で数回、沖釣りもやった。それらの釣りと、イシダイを追いかけて出かけたいろいろな場所での釣れなかった釣りについて、次に書こう。

第3章見出しに戻る

乗合船の「五目釣り」

海釣りを最初にやったのは、大学3年のときであった。友人に誘われて、茅ケ崎かどこかから出港する、比較的安く、予約なしで乗れる乗合船で「五目釣り」に行った。新潟に住んでいた小学生の頃、川で小さなフナやコイを釣って遊んだことはあったが、それ以来の釣りで、海で船に乗って釣りをしたのはこのときが最初である。

「五目釣り」とは、魚の種類もほとんど知らず、特定の魚を狙って釣るのでなく、とにかく海で船に乗って魚を釣ってみたいという、初心者向きの釣りである。コマセを沢山撒き、寄ってくるアジやサバなどの魚を、サビキ針という疑似餌のついた針を用いて釣るもので、仕掛け(針とオモリ)は別料金だが、竿やリールなど必要な道具は釣り船店で借りられ、これらの使用料もコマセ代も料金の中に含まれている。客は、釣れた魚を入れて持ち帰るためのクーラーボックスに船の上で飲む飲み物などを入れて出港時間までに港にいけばよいという、ごく手軽な釣りである。

東京から電車で着いて、出港間際の船に乗った。船はもうほとんど一杯になっていて、舳先の、床が斜めで座りにくい場所しか空いてなかった。始めははしゃぎながら釣りをしていたが、池や湖で手漕ぎのボートに乗ったことしかなかった私は、まもなく船酔いで吐いた。しかし、ちょっと船室で横たわっただけで、吐き気がおさまるとまたすぐに竿を出した。そして、また吐いたが、今度は休まず、吐きながら釣りを続けた。

沢山は釣れず、友人も私もサバを数匹釣っただけだった。近くのほかの釣り客が、私がそれまでに見たことのない魚を釣り上げた。だれかが「ウマヅラだ」と言った。私はウマヅラという珍しい魚を釣った人をうらやましく思った。アジ、サバ、サンマ、サケくらいしか見たことがなかった当時の私には、ウマヅラは珍しい魚に思えたのである。

第3章見出しに戻る

西伊豆・戸田で釣ったネンブツダイを全部食べたこと

工学部を卒業した後いったん官庁に勤めたが2年で辞め、再び同じ大学の文科系学科に入りなおした。そのころはすでに結婚しており、夏休みに、同じ大学の病院に勤めていた妻と一緒に静岡県の戸田(ヘダ)に行き、戸田湾に面した大学の寮に泊まって遊んだ。寮はボート部の練習用に作られたものだが、大学関係者は誰でも利用できた。

寮に、小学校時代にやった釣りで使っていたのと同じ、細い竹の先に玉ウキと釣り針のついたナイロン糸を結んだだけの簡単な釣り道具が置いてあり、私たちは、フェリー乗り場の桟橋で釣りをした。当時は水がきれいだったのだろう。ネンブツダイと小メジナが次から次へと釣れた。私たちはこれを東京にもって帰り、全部食べた。

毒のあるフグを除けば、味はともかく、食べられない魚はない。しかし、漁船の網で取れたネンブツダイはほかの雑魚(ざこ)と一緒にすり身にして油で揚げたさつま揚げ(四国では「ジャコ天」つまりザコの天ぷらと呼ばれている)などとして食べられているが、釣ったネブツダイを食べる人はほとんどいないだろう。メジナはポピュラーで、私たちもすでに知っていたが、釣れたもう一種類の魚がネンブツダイで、ほとんど食べない魚だということを知ったのはしばらく経ってからのことだった。

その後20年近くたってから、隣りの土肥(トイ)温泉に行く機会があって、帰りに戸田に寄ってみた。かつては、大学の寮の前の砂浜に転がっている大きな石を起こすと下にはカニがいて、いくらでも取ることができたが、このときには石は真っ黒なヘドロで覆われており、環境問題に関心を持つようになっていた私は、戸田湾がひどく汚れてしまっていることを知り、残念に思った。恐らく、ネンブツダイの姿もみられなくなってしまっていたのではないだろうか。

第3章見出しに戻る

東京湾の防波堤で釣ったサッパを食べたこと

1980年頃、大学院の後期課程にいたときに防波堤釣りを始めた。この頃私は江東区の南砂に住んでいた。ある日、妻に、埋立地の防波堤でサヨリが釣れているというが行って見ないかと、誘われた。妻はすでに小物釣り用の道具一式を近所の釣具屋で買って、用意をしていた。唐突だったが、興味を引かれて、一緒に自転車で30〜40分かかる防波堤へいった。江東区の南の端、新木場「夢の島」よりもさらに先で、地図を見ると、現在は、海浜公園とキャンプ場などになっている。当時は埋め立て造成中で、すでに土で覆われていて廃棄物などは見えなかったが、13号埋め立て地と呼ばれていた。ここに東京湾東防波堤という長い防波堤があり、日曜日だったこともあり多くの人が釣りをしていた。今はこの上を東京ゲートブリッジが走っている。

サヨリが釣れているというニュースをいつ聞いたのかわからないが、すでにサヨリはいなくなっており、釣れたのはコノシロの仲間のサッパという小魚ばかりだった。私たちは当時もまだ魚の名前をほとんど知らず、図鑑を見てそれが海タナゴだと思った。『防波堤釣り』の解説書にタナゴ釣りが載っていて、煮つけにして食べるうまい魚であると書かれていた。私たちは釣ったサッパをすべて煮付けにして食べた。釣り道具を買った店で話しをすると、若い店主は少し顔をしかめて、私たちが釣ったのはサッパという魚で普通は食べないと言った。私は悔し紛れに「それでも、うまかったよ」と応じたのを覚えている。

味はもちろん覚えていない。だが、岡山周辺ではこのサッパをママカリと呼んでいる。これをおかずにして食べると、自分のママ(飯)だけでは足りなくなって人のママまで借りて食べたくなる、それほどうまい魚とされているという。どうして東京ではサッパを食べなかったのだろうか。当時、東京湾内の水はひどく汚れていたから、魚が油くさかったことは考えられる。しかし、セイゴ(スズキの若魚)を塩焼きにして食べて少し油くさかったような記憶もあるが、しかし、セイゴだけでなく、クロダイも、イシモチ(ニベ)も、釣った後すぐに〆て血抜きをしたかどうかなど魚の扱い方によって、同様に、油くさいものもあったはずで、湾内の水の汚れが、当時一般に東京湾内のサッパを食べない理由ではなかっただろうとも思われる。私が食べたサッパは油臭くはなかった。しかし、その後は、サッパは釣らないようにした。

まもなく私は、仕事で忙しい妻を尻目に、釣具屋に釣り方や釣り場を教わって、一人で釣りに出かけるようになった。サビキ仕掛けで防波堤の壁に付いている小メバルを、次に投げ釣りで13号埋立地東側の荒川尻のイシモチを釣った。さらに、この埋立地に渡る橋の周辺で、大型の電気ウキと青イソメの餌でセイゴやフッコ(スズキの若魚)を、あるいは埋立地南側のテトラポッドの入ったところで、小さな電気ウキと袋イソメの餌でクロダイ(チヌ)を、どちらも夜釣りで釣った。

文豪・幸田露伴と親交があり、釣りの名文を書いた石井研堂という明治時代の釣人がいる。彼の『釣師気質』(初版は明治39年)の中の「ひびの小黒鯛釣----(7月)」では、クロダイ釣りの餌について、次のように書いている。「ひび」はノリ(海苔)やカキを養殖するために海中に立てられた竹や木の棒、「小黒鯛」は小型のクロダイのことである。当時はよく海苔ひびに船を係留して小型のクロダイを釣った。

わが東京では古来もっぱら用いしは「ひらた蝦〔エビ〕」、「まぐち蝦」などにして、土用後は小蟹を用いたりし。然るに、近年新たに羽田の海底より掘り捕る、袋磯女〔フクロイソメ〕と称する環節虫を用いだしてより、ほとんどほかの餌を顧みる者なきに至れり。この蟲、袋蜘蛛の筒に似たる外套中に隠る。その状醜怪にして強く硬く、外見快きものにあらず。されども、もち好(よ)き一利あり。

これを読むと、東京湾では明治時代に「フクロイソメ」をクロダイの釣り餌として使い始めたことがわかる。そのころは昼釣りだけであった。石井研堂はフクロイソメが「強く硬く」て「もちがよい」点が、他の餌を駆逐してしまった理由だと考えている。

しかし、近年では、フクロイソメを使うのは、イソメが海の中で光るので夜でもクロダイが餌を見つけやすく、他の餌よりもよく餌付くからだと言われている。私が東京湾の防波堤周りでクロダイ釣りをちょっとだけやった1980年ごろは袋イソメがもっぱら使われていた。手で触った感じでは、ほかのイソメ、たとえば青イソメに比べて、袋イソメがとくに硬くて丈夫だとは思わなかった。(ただし青イソメは日本にはおらず、30〜40年前に韓国から輸入されて普及したというから、研堂は比べることはできなかった。)

1980年ごろ袋イソメの人気が高かったのは、青イソメとは違って、クロダイをひきつける独特の臭いや味があり、青イソメよりも断然よく釣れることがわかっていたからではなかっただろうか。イシダイ釣りではサザエやトコブシなど持ちのよい餌が、特別の臭いを発する粘液を持つカラスガイには適わないように、また外観上は小エビと変わらず、そしてエビ類に比べて持ちはよくないオキアミがその味や臭いのゆえに、ほとんどの釣りを席巻してしまったように。

第3章見出しに戻る

40センチのフッコと25センチのクロダイに興奮したこと

妻と最初に防波堤釣りに行ったのは春休みだったが、その後毎週のように一人で埋立地に通った。梅雨の時期で、時々生暖かい弱い風が吹き、ポツリポツリと雨が降っている夜だった。他の釣人の姿は見えなかった。常夜灯の下を釣り座にし、3mほどのグラスの投げ釣り用の竿とドラッグ装置のないスピニングリール、単三の電池を使った大きな電気ウキ仕掛けで、青イソメを房掛けにしてセイゴを狙っていた。

10mか15m沖の大きな電気ウキの赤い光がゆらゆらっと揺れて暗くなり、竿を立てるとググッと重さが感じられた。海面に現われた魚は針をはずそうと首を振って抵抗し、竿が折れそうに曲がったが、構わずリールを巻いて強引に引き寄せ、船着場だったのかコンクリートの足場は海面まで30〜40cmしかなかったので、後に1、2歩下がりながら、そのまま魚を抜き上げた。とにかく「ドサッ」と大きな音を立てて足元に魚が落ちたのを覚えている。

私が釣った初めての大物で、40センチ近かった。物差しで計ったのではない。40センチと言えるのは、帰ってすぐにガステーブルのレンジで塩焼きにして食べたのだが、まっすぐに入れたのではレンジの扉が閉まらず、斜めに、対角線上に置いて焼かねばならなかったからである。それでも尻尾がはみ出していた。

また、フッコを釣ってから2、3週間後、台風が接近しつつあったか、通過したばかりであったか、やはり夜に、同じ13号埋立地でクロダイを釣った。テトラ周りのクロダイ釣りには、普通、伸ばした竿の穂先をつかんで曲げると竿尻にくっつけることができるほど穂先の非常に柔らかい、かなり高価な竿を使うということは知っていたが、私が使ったのは、妻がサヨリ釣りにとすすめられて買った3mほどの小物竿だった。

この日は、高い波がテトラに当たって砕けてできるしぶきと横殴りの雨を受けながらの釣りだった。やはり、私の他に釣りをしている人の姿はみえなかった。それまでにも何度か他の釣人に混じってテトラに乗ってクロダイを釣ろうとしたが、釣ることはできないでいた。この日はもちろんテトラには乗れず、防波堤の上からの釣りだった。小型電気ウキの明るさは波にもまれて絶えず変化し、当たりの有無は全く分からなかったが、ウキの光の変化で判断するまでもなく、直接、竿先が引っ張られた。

波が荒く、警戒心の強いというクロダイも油断して、一気に餌を飲み込んだのだろう。玉網を持っていたが使う余裕がなく、抜き上げた。25センチをやっと超える程度の小型のクロダイだったが、魚の「格」としては、セイゴ・フッコよりずっと上だった。

セイゴ・フッコはどんな竿ででも、電気ウキと青イソメを付ければ、釣りを始めたばかりの全くの初心者にも釣ることができる。しかし、クロダイはそうはいかない。非常に柔らかな長い竿を使い、魚が食ったときに抵抗を感じさせない細い糸、細く小さな電気(電子だったか)ウキを使って、音を立てないようにして釣る。ベテランでなければ釣れない。そう聞いていた。何号のハリスを使ったかは覚えていないが、太めだったのではないか。また竿は竿先の硬い単なる小物竿だった。しかし、ハリスが太めで、魚も小さかったために、堤防の上から抜き上げることができたのではないかと思う。私はクロダイだと分かって興奮し、手が震えて、魚に掛かっている針をなかなか外すことが出来なかった。そして、私は、すっかり、海釣りの面白さにはまってしまった。

第3章見出しに戻る

戸田で38センチのブダイを釣り、初めて魚拓を取ったこと

夏休みにまた戸田の寮に行った。今度は竿を2本、1本はイシモチやフッコを釣った投げ竿、もう一本は小型ながらクロダイを釣った小物竿を持って行った。戸田湾の右側出口は崖とゴロタ石からなるが、そこに向かって反対側から砂州が突き出ていて、その外側はゴロタ石、内側は海水浴場にもなっている砂浜である。大学の寮は湾口に近いほうの砂浜のはずれにあり、それから先のほうにはゴロタ石が点在していた。定期船発着所の近くにマスミ屋という釣具店があり、大学の寮の近くでは何が釣れるかとたずねると、カニを付けて投げればブダイが釣れるという。寮の近くではカニを見なかったので、カニの餌は置いているかと聞くと、寮の裏の浜の波打ち際に転がっている大き目の石を潮が引いたときに起こすとその下にいるから、捕まえるのだという。

初めての魚拓、西伊豆・戸田(ヘダ)で釣ったブダイ

言われたとおりにカニを捕まえてやってみると、釣れたのは一匹だけであったが、大きなブダイだった。私が始めて釣ったブダイである。38センチで大きさは大したことはないのだが、私は驚き、また感激した。私が店に持っていって見せると、「これはかなり大きいほうだ」というような微妙な言い回しだったが主人はほめてくれ、魚拓まで取ってくれた。そういうわけで今も私の部屋の壁には、ほかの大物に交じって38センチのブダイの魚拓が張ってある。

戸田でブダイを釣ったのをきっかけに、磯での釣りを始めた。最初は小田原から先のゴロタ石の海岸で、ブダイや大きめのカサゴなどを狙って、家から自転車で13号埋立地に行って取った磯ガニを餌に付け、埋立地でフッコを釣ったのと同じ投げ竿で投げこむだけの釣りだった。大き目のカサゴが一匹釣れたくらいで、思い起こせるような釣果はなかった。ブダイは、その後、冬、伊豆大島の泉津などでも狙ったが、結局、一匹も釣れなかった。

現在私が釣りをしている四国南西部では、地元の人が「エガメ」と呼ぶイロブダイがしばしば釣れる。これは体の形からはブダイであることは確かだが、関東で釣れる体の全体に赤みを帯びたアカブダイ(ブダイのメスだともいう)と違い、黄色と緑のまだら模様をしている。そして、引きが強く、30センチを超えるエガメは同クラス以上のマダイかと思わせるほどである。

しかし食味においてアカブダイに劣るようである。アカブダイは、当時、大島では地元の人がヤスで突いて干物にして売っていた。釣れなかったとき、土産に買って帰り焼いて食べたがうまかった。しかしこちらのエガメは地元の人は「あまりうもうない」という。私はエガメを干物にして食べたことがなく、切り身を塩コショウをしてフライパンで焼いて一度食べたかぎりではあまりうまくなかった。だが、料理の仕方によって違うだろうし、またほかの旨い魚をたくさん食べている当地の人々の評価をそのまま受け入れるべきではないとも思う。

しかし、これらの話はともかくとして、私は当地で釣った魚は、イシダイ、フエフキダイ、コブダイ、マダイのほかには、90センチ近いブリや40センチを越えるイサキやアジも含めて魚拓を取っていない。イロブダイの魚拓もとらなかった。そういうわけで、ブダイの魚拓はこの戸田で釣った時に取ったものがただ一枚あるだけである。このブダイの魚拓は磯釣りを始める直前の、私の初期の釣りと私の若かった頃をなつかしく思いおこさせてくれる大切な記録である。

第3章見出しに戻る

「幻の魚」イシダイを釣ろうとあちこちに出かけたこと

湘南で磯釣りを始めてまもなく、めったに釣れないために「幻の魚」と呼ばれ、また美しい姿・形をしている大型魚で「磯の王者」とも呼ばれているイシダイという魚がいることを本を読んで知った。そして釣ってみたいと思った。私は突然のイシダイ熱に取りつかれた。

大学院を終了したあと非常勤講師をしていた私立大学の保養施設が外房(千葉の太平洋岸)の有名釣り場のすぐ近くにあり、安く利用できることがわかったので、太めの「メジナ竿」を買って、一泊でイシダイ釣りに行った。ここで始めて渡船を使って、と言っても小型の船外機船だったが、離れた磯で釣りをした。渡船の船長は私の竿を見ると、「そんな竿では折られてしまうぞ」と言った。その日は当たりがなく、竿を折られることもなく帰ってきた。次回はグラスの石鯛竿を買って行ったが、また当たりはなく、合計3回ほど行ったが釣れなかった。

千葉市のちょっと先の、東京湾湾内の発電所の排水口でイシダイが釣れているという、スポーツ新聞の釣り欄の記事を見て行ってみたが、サンバソウつまり20センチか25センチのイシダイの子を5、6号のハリスにカラス貝の餌をつけて短竿で釣るのだという。私がワイヤー仕掛けにサザエを付けて5.4mのイシダイ竿を出すと、回りから白い目で見られた。私には当たりもなく、釣れなかったが、このときは他の人が釣るのを見ることもできなかったので、小型のイシダイでもなかなか釣れないのかと思った。 

そのしばらくあと、城ヶ島の磯でイシダイを狙って釣りをした帰り、時間があったので、島の対岸にある、三崎の防波堤に寄って竿を出したことがある。私が釣りをしていると、地元の人なのだろう、短パン姿の若者が短い竿とカラス貝を少し入れた袋だけ持って自転車でやってきて、ナイロンハリスに餌を付けると、竿を片手で持って防波堤の縁にくっつけるようにして仕掛けを入れた。

と、1秒も経つか経たないうちに小型のイシダイを堤防の上に撥ね上げた。釣った魚から手早く針をはずすと、その魚には目もくれず、手早く新しい餌をつけて再び仕掛けを入れ、また数秒も待たずに竿をはね上げた。今度は魚は釣れず餌を取られただけだったが、餌を付け直し再び投入すると、またすぐに釣れた。こうして30分ほどの間、忙しく、仕掛けの投入を繰り返し、彼は数匹の小型イシダイを釣ると、予定した数を釣ってしまったのか、それとも釣れる潮時が終わったと判断したのか、堤防の上にバタついている魚をビニール袋に入れると、自転車の籠に放りこみ、ポカンと眺めている私をおいて、さっさと帰って行った。

私はその忙しいが確かによく釣れる、ナイロンハリスとカラス貝を使った釣りに驚き、また感心した。他方、あまりにも簡単に釣れてしまうので、なんだこんなものかという味気なさを感じると同時に、ワイヤーやサザエを使う自分の大げさな仕掛けで釣れない悔しさの裏返しなのだろうが、イシダイという魚の価値が貶められたようで腹立たしくさえ感じた。私が不器用で、様々な釣り方を試してみる気になかなかならないということもあったが、本で読んでいた豪快なイシダイ釣りというイメージに全くそぐわないその釣り方を試して見ようという気は起こらなかった。

第3章見出しに戻る

湘南茅ヶ崎、烏帽子岩での釣り

あるとき、湘南茅ヶ崎、烏帽子岩の釣り場を詳しく解説した釣り雑誌の記事読み、行ってみた。渡った磯の名前は忘れてしまった。すぐ近くで、オニヤドカリを針に付けて、つまりイシダイを狙って釣っている、私と同じ初心者らしい中年の人がいた。私は当時30代半ばで、自分を中年だとはまだ思っていなかった。彼のスタイルが私の眼を引いた。

当時、磯釣りでは、万一のため救命胴衣を付け、岩場での怪我を防ぐためでもあるが、また汚れても構わないように、長袖長ズボンで厚手の作業服のようなものを着て、地下足袋に鋲を打ったような磯タビを履くという、やぼったいスタイルが普通だった。私はそれが大物を真剣に狙う釣り人の格好だと思っていた。ところが彼は救命胴衣は着けず、伊達で掛けるサングラスを掛け、帽子はカンカン帽のようなものを被り、花柄模様の派手な半袖シャツでバミューダズボン、そしてゴム草履という出で立ちで、(一人であったが)女友達と一緒に遊びに来たついでに釣竿を出してみたというような雰囲気で、釣りをしていた。茅ヶ崎は都心からも近く、手軽に磯釣りのできる場所で、こんな恰好の客も結構いたのかもしれない。私は、沖の磯に渡ってやるイシダイ釣りを一種の冒険のように考えていたので、何か不真面目な奴だと思った。

私は、時々は海を眺めたり、周囲の様子を見たりしながらも、何時でも竿を持って立ち上がれるように、片膝を着いて構えていた。彼は竿を小さな岩に斜めに置き、そこから少し離れた別の岩に腰を掛けていた。

そのうち、彼の竿ががたがたと揺れた。彼は驚いて帽子が脱げそうな勢いで飛び上がり、急いで竿を掴んだが、魚は餌を取って逃げたようであった。彼もイシダイの当たりを初めてみたのだろう。サングラスを外し、派手な恰好に似合わぬ、真剣な顔をして、近くの人に向かって言った。「イヤー、すごい当たりだった」。私はイシダイが近くに来たのだと、いっそう真剣に竿を見つめたが当たりは来ず、また彼の竿も二度と曲がることはなかった。

第3章見出しに戻る

真鶴で遭難しかかったこと

東京駅から東海道線の始発電車に乗って小田原よりも先の海岸に何度も磯釣りにいった。そして神奈川県の西の端、真鶴にも何回かイシダイ釣りに行った。真鶴町は相模湾のなかに突き出た半島を持ち、半島先端にある「三ツ石」を始めとして、釣り場も多かったが、昔からきれいな海で海水浴や磯遊びのできるところとして知られた観光地で、私も新潟に住んでいた子どもの頃、夏休みに、東京の親戚の家に遊びにきて、真鶴の海岸に連れて行ってもらった事がある。もちろん、真鶴という名前しか覚えておらず、磯釣りをするために真鶴に行ったのは、やはり、雑誌で釣り場の解説記事を読んだからである。

半島東側付け根の真鶴港の出口に、2、3人が釣りのできる鈴島という小さな島がある。ここには駅から歩いて10分くらいで行ける。鈴島は陸地と数mしか離れておらず、干潮時には露出する岩伝いに3歩か4歩歩けば、足をぬらさずに渡ることができる。昼でも蚊の多いところで、2度目以降は蚊とり線香を2、3本炊きながら釣りをした。ここで釣りをするときは、餌のサザエは現地の釣り餌屋で買ったが、13号埋め立て地で取ったイソガニを冷凍しておいてコマセ用に持っていって撒いた。冷凍したカニの塊を投げてもせいぜい4、5m先にしか届かず、仕掛けは下手でも20〜30mくらい沖に投げるので、コマセの効果があったかどうかは疑わしい。何度か行ったがイシダイは釣れなかった。

湘南真鶴(マナヅル)・鈴島

磯釣りを始めたばかりで、海に慣れていなかった。あるとき、玉網を足元に置いて釣りをしていた。夕方になり、潮が満ちてきた。そして、仕掛けが根掛かりをして道糸を切るのに手間取っている間に玉網が流されてしまった。針のついた仕掛けを投げ、引っ掛けて取ろうとしている間に時間が経ち、荷物を片付けて帰ろうとするころには暗くなりかかっていた。

島と陸の間の岩は潮が満ちて水の下になってしまっていた。明るければ岩が見えて、ふくらはぎくらいはぬれても、歩くことはできるが、もう、岩は見えない。救命胴衣を持っていたから、それを着て、荷物を持たずに行けば、水に漬かっても、向こう岸に渡ることには問題はないと思ったが、荷物を置きっぱなしにすることはできないと考えた。

今なら、どうしても渡れないというときには、荷物を高い所に置いておき、とにかく体一つで渡り、翌朝潮が引いてから荷物を取りに戻るだろう。どうして荷物を置いては帰れないと考えたのかよくわからない。簡単なことに気がつかなかったり、決断できなかったりするのが初心者というものなのかもしれない。

だが、そうやって迷っているうちにどんどん暗くなり、潮もますます高くなった。私が困っているのに気がついたのだろう、向こう岸にいた観光客らしい人が数人、こちらの様子をみている。ライトで照らす人もいる。大声で「帰れないんです。助けて下さい」と叫んだ。やがてだれかが連絡をとったのだろう、近くの地元の人が来て、「大丈夫だよ。見ててやるから荷物を持ってこっちに来なさい」と言う。

私は「ロープを投げて貰えませんか」と言うが、大丈夫だの一点張りである。仕方なく、私は勇気を奮い起こし、救命胴衣を着て、リュックと竿を入れたバッグを掴んで水の中に入った。岩の上を歩けないので、胸まで水が来た。半分は泳ぎ、半分は足の届く岩を蹴って歩くという感じだったが、直ぐに向こう岸に着いた。渡ってしまえば、大したことはなかったと思えた。だが、応援し、見守ってくれる人がいなかったら、帰ってこれなかっただろう。

1、2年後、かなり海に慣れたころにも鈴島にいった。こんどは台風が近づいているときだった。潮が引いている時に渡り、途中の岩が出ているうちに帰る予定だった。暫く釣りをしていたが、風が強くうねりもあって、釣りがやりにくく、潮が満ちてくる時間よりもずっと早い時間だったが釣りを止めた。さあ帰ろうと岩場の後ろに回ってみると、確かに途中の岩はまだ頭を出しているのだが、うねりが島の背後に回り込み、足場にする岩にも波が打ちつけている。荷物を持ってゆっくりと岩の上を歩いていけば、波に足をすくわれてしまう。これはまずいことになった、と思った。しかし、以前のときよりは海に慣れていた。

私は荷物を纏めて高いところに置きなおし、体一つで渡ることに決めた。荷物はあとで船できて回収するつもりである。このときも陸で何人か観光客らしいひとがいて私がどうするのかと見ていた。私は救命胴衣を着けてから、渡るときに足場にする岩の位置を確かめ、うねりのリズムを見計らい、波が引いたときに、一息に、ぽん、ぽん、ぽんと3つの岩の上を飛んで陸に渡った。そして真鶴港にいた小舟の漁師に事情を話し、私を乗せて船で鈴島に行ってくれるよう頼んだ。

漁師は引き受け、鈴島の前まで行った。私は、渡船から磯に飛び移るのと同じ要領で島に渡ろうと思っていたのだが、うねりが大きく、船が小さくて、漁師は島に船を近づけるのは無理だといった。私がこのまま一晩放っておいて荷物が流されたら困ると言うと、漁師は、これくらいのうねりなら、荷物に心配はないし、明日の朝の干潮時に、裏から歩いて渡れるという。この言葉を信じて、私は釣り宿に一泊して、翌朝の干潮時に再び鈴島に行った。台風は昨夜よりも近づいていたが、うねりの大きさは変わらず、そして、潮が完全に引いた状態では、表側の波は島の裏側には全然影響がなかった。さすが地元の人は毎日見ているだけのことはあり、よく知っていると感心した。こうして私は何の心配もなく岩の上を歩いて島に渡り、荷物を持って帰ることができた。

しかし、このあとも繰り返し似たような反省をするのだが、まず、海が荒れているとき、荒れてくることが分かっているときに釣りに行くべきではなかったのである。そして一定の波高の時にどのような状態になり、刻々と変わる潮の高さでどうなるのか、こうしたことを十分知らなければ、潮の満ち引きを見て離れ磯に渡るのは危険だということがよく分かった。

第3章見出しに戻る

4)房総でのイシダイ釣り

以下では、東京にいた頃に最後に釣ったイシダイの話を中心に、房総(千葉)の磯での釣りの話しを書こうと思う。房総の磯へは、釣りクラブに入ってからもよく行った。沖磯に渡るために渡船を使えば、近いところでも2500円から3000円、三宅島三本岳までは5千円か6千円くらいかかった。予備校や塾でのアルバイト、それに大学の非常勤講師の給料では、渡船を使う釣りは、4〜12月まで月に1回行なわれた釣りクラブの例会の時くらいがせいぜいであった。

勝浦、鴨川、行川アイランド、洲崎灯台に電車で行く

房総には渡船を使わず、地磯から釣れる場所がたくさんあった。都心から総武線で千葉まで行き、そこから外房線の終電に乗ると、夜11時すぎに勝浦、鴨川などに着く。駅のベンチでごろ寝して、夜が明けたら磯に出る。行川アイランドからも太見からも、徒歩で10分か15分で行ける磯があり、何度か行った。洲崎(スノサキ)灯台は、東京駅から内房線の始発電車にのれば、終点館山で下りてバスに乗り換え、午前9時くらいには磯に入ることができた。 釣り場写真集などで見ると、どこの磯も簡単に行けそうであり、また、竿を出して釣りをすることも難しくなさそうである。だが、千葉の磯は低く、潮が引いたら岩場を伝って何十mも前の方に歩いて出ていくことができるが、潮が満ちると釣り場自体が没するか、途中が波をかぶり帰って来れなくなるようなところが多い。また、写真で矢印がついていて、竿を出すところだということになっているが、実際には、潮が十分満ちていないと、前方に岩があって、釣りは難しいというようなところも多い。たいていは一度行ってもそれっきりというところが多かった。

また、無人駅の行川アイランド駅は、ホームの反対側に山林が迫っていて、夜が明けるまでホームのベンチで寝ようとするのだが、樹木や笹などが風に吹かれてザワザワと鳴り、またギャーというような野鳥の鳴き声なども聞こえてきた。何か動物が近づいてこないか気になって、ほとんど眠れなかった。太見も無人駅だが、駅前広場に面して数軒の商店があり、周囲には家並みがあった。しかし、人の気配がするところも落ちついて眠ることはできなかった。当時はまだ、ホームレスが寝ているところを少年に襲われるなどという事件は起こってなかったと思う。それでも、寝ているところを誰かに襲われたりはしないか不安で、人が近づいたときにちょっとでもそれを妨げることができるようにと、気休めにしかならなかったと思うが、荷物を入れた大きなリュックや釣り竿などを回りにおいて、用心した。

大都市の住民は自営業などの人はべつとして、ふだんの生活では車を運転する必要がない。私は地方都市の松山に移ってからも車を買わず、また現在住んでいる漁村でも、時々必要性を感じることはあるものの、相変わらず車に乗っていないが、東京にいたときにはもちろん、車を持っていなかったし、車を買うことは一度も考えなかった。しかし、車を使えば、好きな時間に出発して釣り場のすぐ近くまで行くことができ、釣り場についたら車の中で休憩して、夜明けと共に釣りを開始することができる。電車で最寄りの駅まで行き、歩いて入磯するのに比べて、格段に楽で快適な釣りを楽しむことができる。

第3章見出しに戻る

釣りクラブの先輩に連れて行ってもらい、釣りをしたこと

釣りクラブに入っているときには、時々、自営業で車を持っている会員に乗せてもらい、釣りに連れて行ってもらうことができた。とくに二瓶さんは面倒がらずに誘ってくれた。私は運転できず、乗せてもらうだけだったので、ガソリン代を多めに渡そうとしたが、彼は必要なガソリン代の半分しか、頑として受け取らなかった。彼は私より5つか6つ年上で、穏やかな性格の人だった。

私はこの頃は大学の正規の教員の口が見つからず、非常勤講師をやりつつ、塾や予備校でアルバイトをしていた。「家計の主たる支持者」は妻であり、妻は病院の勤務で忙しく、自分から買って出たことだが家事・育児は私の役目だった。生まれたばかりの娘が大きな病気をしたこともあって、一時、家事・育児はかなりのストレスになった。

今思うと、精神的な余裕のなさが外にも現われ、相当にぎすぎすしていたのではないかと思うが、二瓶さんは温厚な人で、いやがらずに相手をしてくれた。また、私は、二瓶さんとののんびりした会話の中で日ごろの緊張が大いに解きほぐされたとも思う。イシダイは残念ながら一匹も釣れなかったが、二瓶さんと色々な話をしながら楽しくゆったりと過ごした房総での釣りを忘れることはできない。

野島崎あたりまでは館山を通って、海岸沿いに行ったが、鴨川方面には木更津の少し先から山越えの道を通って行った。洲崎から野島崎の間の南房の磯に行くことが多かった。二瓶さんが話していたことで愉快な話しを一つ書こう。釣り人の日焼けのし方を見れば、その人がどこに通っていたか、すぐに分かると言う。なぜか。野島崎からから西、とくに州崎辺りはでは南ないし西を向いて釣るが、鴨川周辺では東を向いて釣る。鴨川方面に行く人は、顔や、手など体の右半分だけが焼け、洲崎方面に通う人は反対に左半分だけが焼ける。右半分が焼けている人は鴨川方面に通っており、左半分が焼けている人は洲崎方面に通っている。こうして、日焼けの仕方を見れば、その人の通っている磯がどのあたりかがわかるというのだ。私はなんだか眉唾の話のように思い、「本当ですか」と尋ねたが、彼は真顔で「いや、これは本当だ」と答えた。どうだったのだろうか。

第3章見出しに戻る

「貫目」クラスの「本イシ」を見る

洲崎灯台下の磯には、クラブの例会でもいったし、他の時に二瓶さんの車に乗せてもらって1、2回行った。また、館山まで始発の電車で行き、バスに乗りかえて、一人で行ったことも何回かある。こうして10回近く通ったが、私は洲崎では一度も釣らなかったし、人が釣るのを見たこともなかった。ただし、釣りクラブの先輩の一人で、JR錦糸町駅近くで中華料理店を営む益子さんが洲崎で釣ったという良型のイシダイを彼の店でみたことがある。

83年の12月、そろそろイシダイ釣りがシーズンオフになるというころのことだった。イシダイは調理場のコンクリートの床に置かれた、大きなたらいの中に氷水と一緒に入れられていた。老成魚である証にすでに縞は消えており、全身が見事な銀色をしていた。私が大きさを尋ねると、彼は「うーん、貫目をちょっと切るな」と調理中のフライパンをゆすりながら答えた。

1貫目(3.75kg)を越える大型イシダイはめったに釣れない。イシダイは釣人の憧れの的だと言われるが、就中、「貫目」を越えるイシダイは、イシダイ釣師が一生に一度釣れるか釣れないかの夢であり、「貫目」はイシダイの特別の大きさを言い表す、イシダイ釣り師の間でだけ通用する言葉なのである。

四国では、イシダイよりもイシガキダイの老成魚クチジロの方が価値が高いと考えられているが、関東では、ホンイシ(本イシダイの略)と呼んでイシダイのほうが価値が高いとする。7キロ、8キロのクチジロというならまた話は別だが、5、6キロのクチジロよりは「貫目」を越える「ホンイシ」のほうが断然、価値が高いと考えられている。後で書くように、84年の秋には私は西伊豆で、5.2キロの本イシダイの雄の老成魚、クチグロを釣るが、それより前のことだった。また、私は益子さんのイシダイを見る前に、三宅島で5キロを越えるクチジロを釣ってはいたが、イシダイは大島で2キロ弱のものしか釣ったことがなく、益子さんの釣った「貫目」クラスの見事な「ホンイシ」に見入った。魚を見るために、クラブの会員が何名か打ち合わせて、益子さんの店に集まり、彼が作る料理やラーメンを食べながら、釣り談義をしたのを思い出す。

第3章見出しに戻る

勝浦の磯で3.4キロのイシダイを釣る

勝浦はほぼ南に向いて開けた大きな湾に面した港町で、湾の東側出口の八幡岬には灯台があり、渡船を使う必要のある「灯台下」と呼ばれる磯が広がっている。湾の西側の出口は黒鼻と呼ばれる崖で、この崖の下に歩いていける釣り場がある。

私は黒鼻で3.4キロのイシダイを釣った。このときばかりは、他の人の手をいっさい借りることなく、完全に独力で、イシダイを釣ったと言える。1988年8月15日と魚拓に書いてある。夏真っ盛りの頃であり、昼間の磯釣りは暑くてたまらないから、午後の列車で東京を発ち、3時か4時頃から、日没まで釣りをしようと考えた。多分、釣れないだろうと考えたのだろう。夜は、安房小湊に行って泊まり、そこで渡船してもう一日釣りをする予定だった。

外房・勝浦、黒鼻の磯

  勝浦周辺では、それまでに何回か釣りをしたことがあった。私は総武線新小岩の近くに住んでいて千葉までは30分ちょっと、千葉から勝浦までは普通列車で1時間半足らずで行けた。
他のところに行くときには、釣りクラブの人に教わったのだが、たいてい釣行前日に築地の卸売市場に行き、通常の値段の半分以下でサザエやトコブシを買っておき、それを持って釣りに出かけた。
勝浦では、途中の土産物屋でサザエを入手することができたので、餌を事前に準備しておく必要がなく、思い立った時に出かけられた。
夏の間は終電で行き、勝浦駅からすぐ近くにある港で、生暖かい海水に腰まで浸かりながら、テトラポッドの間でイシダイの好きなマガニを取ってから、釣りに行ったこともある。ヘッドライトの光をまっすぐに当てるとカニが逃げるので、首を少し横に向けライトの縁の弱い光をそっとあてて近づき、軍手をはめた手でバシッとたたくようにしてつかむのがコツである。20匹くらいはすぐに取れた。イセエビも見たが、手で捕まえることはできなかった。

勝浦駅から500円ほどタクシーに乗り、黒鼻に上っていく坂道の手前にあるお寺の脇でタクシーを降りる。坂道を上ると巾が10mほどの狭いがけの上に出る。そして丈が腰くらいまでの笹薮のなかをくねくねと行く狭い尾根道を数分 歩くと、崖の先端に出、そこから、波で削られて堆積層が剥き出しになったほぼ垂直の崖をジグザグに下りると、釣り場になる。私は当時はまだ30代で体力があり、数回ここに行ったが、岩角につかまりながら、片手で竿ケースを持ち、重い荷物を入れた籠パックというスチールパイプの枠の四角い大きなリュックが岩につかえないように気を付けながら登り下りした。

勝浦・黒鼻の磯には休日には10人以上の釣り人が押しかけるという。その日はお盆の期間中だったが、私のほかには一組の男女がウキ釣りをやっているだけだった。イシダイのポイントは50〜60m遠投する。手前に向かって駆け上がりになっていて、そこから海が深くなるのである。
大海原に向かって竿を振り、仕掛を飛ばすのはいつでも爽快である。足場にしたところは少しすべったが、後ろが浅い水溜りで低くなっていて、竿を十分後ろに倒して構えてから振ることができ、仕掛けを投げやすかった。本格的にイシダイ釣りを始めて5年ほど経っており、投げ方も以前に比べて上達し、バックラッシュなしに投げることができるようになっていた。とくにその日は、湾を渡って陸の方から風が吹き、仕掛けは追い風を受けて、気持ち良く飛んだ。太陽が背中から当たっていたが、暑さは気にならなかった。

小物の餌取りはあったが、イシダイの当たりは出ないまま2時間ほどすぐたって、6時半近くになっていた。今日もだめか、明日の小湊に期待するか、などと思い始めたときだった。コン、コンという最初の当たりに続いて、すぐに竿がグーンと曲がった。「来たっ!」。竿掛けから竿を外し、リールの前後を両手で掴み、腹につけたフジブン製のパッドに竿尻を当てて体全体で竿を思い切りあおる。竿を抱えた両腕にグーッと重みがかかり、竿が大きく曲がった。魚が掛かったのだ。

力を入れてリールを巻いていると、後ろから「あっ、ほら、魚が釣れたみたいよ」という女性の声が聞こえた。寄せた魚を抜きあげた拍子に足がすべり、後ろの水たまりに尻餅をついたが、どうということはなかった。二人が近寄ってきて、「大きい。イシダイよ」と女性が言い、私は大得意だった。魚を針から外すのと、勝浦湾の奥に見える山の陰に太陽が沈むのとが同時で、あたりがすっと薄暗くなった。興奮で手が少し震えていたが、急いでクーラーバッグに魚を入れ、道具を片づけて、足を踏み外さぬよう用心しながら崖道を上った。

イシダイが釣れたのだから、小湊の宿をキャンセルして家に帰ってもよかったが、思いつかなかった。いや、欲張って、小湊でもう一匹釣ってやろうとおもったのかもしれない。次の電車で小湊に行った。渡船宿でおかみさんから量りをかりて測ると3.4キロだった。前年にはオカダで大型のクチジロを釣ってはいたが、イシダイは5年前に入間の赤島で釣って以来釣ってなかったし、房総では始めてだった。思わずにんまりとした。私がおかみさんからもらった発泡スチロールの箱に氷と一緒に入れた魚を見ていると、外から帰ってきた船頭が「なんだ、もうイシダイを釣ってるじゃないか」と、やや不機嫌な顔で言ったことを思い出す。泊り客は私一人で、翌日は沖磯もがらがらに空いていて、人気の高い有名磯に乗って釣りをすることができたが、魚は釣れなかった。小湊には、その後、友人の伊藤さん、広橋さんと一緒にもう一度行ったが、3人とも釣れなかった。  

第3章見出しに戻る

5)西伊豆、入間・赤島でのイシダイ釣り

以下では、84年の秋に西伊豆入間の磯で大型のイシダイを釣ったときの話しを中心に、伊藤さん、広橋さんと一緒に行った釣りの話しを書こう。

銭洲と鵜渡根、遠征釣り

伊藤さんとは、野島崎の近くのドロタという小さな磯の上で始めて会った。野島崎周辺には水深が10m足らずの浅い海が広がっており、多くの釣り場がある。ドロタは、一つだけポツンと離れたところにあり、満潮になると波が上がってくるほど低く、また、4畳半ていどの広さしかない小さな磯だが、イシダイが良く釣れることで人気が高かった。江東磯の例会の時にほかの会員に連れられて行き始めてドロタで釣りをした。

その後、非常勤で授業のない水曜日に一人で釣りにいった。同じ渡船で、もう一人の客がいた。釣りをしながら話をすると、彼は新宿から遠くないところで釜飯屋を営んでいて、水曜日が定休日なのだという。そして郷里は直江津(1971年に高田市と合併して上越市になった)で、新津(2005年に合併して新潟市秋葉区になった)の出身である私と同じく新潟県人であることが分かった。彼は当時真っ赤なカローラに乗っており、帰りは私を乗せて江東区の私の家まで送ってくれた。その後ときどき彼の店に食事にいった。また非常勤で教えている女子大の学生が数人で私と一緒にコンパをしたいと言った時に伊藤さんのお店に行った。

伊藤さんの店の客で、やはり上越地方の出身で、釣りの好きな広橋さんという人がいた。広橋さんは工務店を経営しており、金持ちで、高級乗用車に乗っていた。広橋さんの車に乗って、3人でいろいろなところに釣りに行った。房総にも数回行ったが釣れないというのでだんだん遠くにいくことになった。三人で、あるいは伊藤さんと広橋さんのどちらかと一緒に2人で、神津島、八丈島に竹芝棧橋から定期船にのって、泊まり掛けで釣りに行った。また、車で伊豆の下田まで走って、そこから、神津島の属島の銭洲(ゼニス、あるいはゼネス)、新島の属島のウド根などにチャーター船を使って行く、遠征釣りにも行った。

-----------------------------------------------------------------------------------

銭洲の位置を示す地図は『うだうだ生活日記』http://fumifumio.blog.so-net.ne.jp/2006-07-24からお借りした。
ふみふみさんは「銭洲の位置関:すげー遠いよ。」と書いておられる

銭洲は神津本島の南西40キロ、下田の南南西80キロにある、大小10いくつかの岩礁群である。銭洲は魚影が非常に濃く、漁師が銭を稼ぐことができるところなのでそう呼ばれるようになったという話を当時どこかで聞いたことがある。ウィキペディアにも同じことが書いてある。
だが、違う説もある。1964年に59歳で亡くなった毎日新聞の記者で、伊豆七島でイシダイ釣りをし、『つりの道』(<釣魚名著シリーズ>二見書房、昭和51年初版)という本を書いた、緒方昇という人がいる。
この本の中で緒方は、銭洲とは英語で天辺、頂点、絶頂を意味するzenithのことであり、海底火山の頂上がわずかに海上に姿をあらわし、いつも白波に洗われている岩礁だ、と書いている。なお、緒方の『つりの道』には、釣りを題材にした楽しい詩が載っている。⇒第三部第4章「釣りについて、釣りの快楽について」の末尾「間奏曲<人生至楽>」参照

人の住む青ヶ島より南にもいくつかの無人島や岩礁があり、伊豆諸島の南端は屹立した一本の大岩で孀婦(そうふ)岩(孀婦島ともいう)という名である。伊豆諸島の島や岩礁は、大島や三宅島のように多数の住民がいる大きな島も無人の岩礁もすべて、海底火山あるいはその外輪山が海面より高くなったもので、その意味では、伊豆諸島の島々はいずれも「zenithゼニス」であり、銭洲群礁だけゼニスと呼ぶ理由がないようにも思われる。

だが、銭洲のおもな釣り場はヒラッタイ、エビ根とそこから少し離れたところのカド、大根、石山根の二カ所であるが、大正15年英国の軍艦ネープルス号が濃霧のために暗礁に乗り上げ沈没したのに因んで、後者はネープルーズと呼ばれている(全日本磯釣り連盟編『伊豆七島の釣り』下、日本テレビ、1985。p63)。この船の乗組員たちがこの群礁の全体をzenithと呼んだことからゼニスという名がでたと想像することは無理だろうか。

 

2枚の画像は http://www.iwashi-divers.com/『西伊豆ダイビングサービス イワシダイバーズ』HP,「冒険ツアー」の中からお借りした。

ちなみに、青ヶ島の南60キロにはベヨネーズ列岩、そのまた南50キロには須美寿(スミス)島、その南100キロには鳥島、その南70キロには孀婦島があり、これらは「豆南諸島」とも呼ばれている。
孀婦岩は元英国海軍大尉で、カナダ西岸と中国を結ぶ(非合法の)貿易を行っていたフェリース号の船長、ジョン・ミーアズ(1756?〜1809)によって発見され、Lot’s wife(旧約聖書にでてくる人物ロトの妻の意味)と名づけられたものを、明治時代の日本の水路誌に孀婦(つまり寡婦)と翻訳、記載されたのが日本語の名前の始まりであるという。
また、1670年阿波の国・海部郡のミカン船が偶然小笠原の島々に漂着したことをきっかけに、幕府は延宝3年(1675)島谷市左衛門を派遣して調査を行った。島谷らは父島に祠を建て、その脇に「大日本之内也」と記した。
また、島谷は青ヶ島と小笠原群島とのほぼ中間に位置する鳥島の存在も確認した。江戸時代を通じて十数例の漂着者が知られており、漂着者たちはいずれもこの島には大きな白い鳥、すなわちアホウドリが大量に生息していることを報告している。鳥島と言う島名はこのアホウドリに由来する。長谷川亮一『幻の日本領と南洋探検家たち―地図から消えた島々』(吉川弘文館、2011)参照。

鳥島は確かに日本人が名前を付けた島である。しかし、ベヨネーズ列岩は、1846年フランス海軍の軍艦バイヨネーズが発見したという―ウィキペディアによる。「バイ」はフランス語風によめば「ベ」であろう。スミス島も、現在、日本に属することが認められているにせよ、日本語名でないことは明らかで、ウィキペディアによれば、ヨーロッパ名はSmith Islandであるという。このヨーロッパ名が付いた経緯に関してウィキペディアは何も触れていない。またウィキペディアは銭洲で軍艦ネープルスが座礁したということについても全く触れていない。それぞれの島や岩礁の「歴史」についての記述にでこぼこがある。

一般的には、航行中に発見したのであれ、座礁したのであれ、その島あるいは岩礁の存在を報告した船、船長などにちなんだ名前が付けられるようである。するとゼニスというのも座礁した船の乗組員たちによってそう呼ばれたことからその名が付いたと、緒方が言うのも一概に否定できない。「ゼニス」は銭の稼げる銭洲なのか、それとも、海底火山が噴火してできた「てっぺんzenith」なのか、知りたいものだ。

-----------------------------------------------------------------------------------

銭洲では以前からも渡船による磯釣りが行われていたらしいが、渡船組合が漁協と漁場利用協定を結んで正式にあるいは公に磯釣り渡船が行われるようになったのは昭和59(1984)年のことだと言う〔前出『伊豆七島の釣り』下〕。今になって知ったことだが、私が広橋さんや伊藤さんと一緒に行ったのは銭洲への公の渡船が始まってすぐのことだったのだ。

思いつくまま書いていると話がとめどなく広がってしまう。もとの話に戻ろう。銭洲には伊藤さん広橋さんと二度行った。一度目ははじめ3人一緒にカドのマンナカに下ろされた。カドに乗ってすぐに伊藤さんが良型のイシダイかイシガキダイを釣った。カドのマンナカはポイントがはっきりしていたが、釣り場は馬の背のようなところで、3人が竿を出すには狭すぎ、途中で私は大根に移った。しかし、大根もすでに人が大勢乗っていて、よいポイントには入れず、私は結局釣ることはできなかった。

もう一回、別の釣行のときには外ヒラッタイに乗った。4、5人一緒だった。潮が東から流れていて、一番東側で釣っていた人だけが足元にぶつかってくる潮で続けて2、3枚釣った。私を含めほかのものは潮の下にいて釣れなかった。外ヒラッタイは西からの潮が中ヒラッタイとの間を流れるときがもっともよく釣れるといわれている。だから、磯釣りファン、とくに釣れないイシダイを追いかけているファンには憧れの地である銭洲も、潮によって、釣り座によって、釣れたり釣れなかったりするのである。

先の地図を参照していただきたいが、鵜渡根(ウドネ)島は利島と新島のほぼ中間にある比較的大きな無人島で、長さは1km以上あり、標高も200mちょっとある。主な釣り場は鵜渡根本島の周辺にある群礁で、私が乗ったのは本島の北西側にあるフズシ根の本場というところだった。この日は潮の流れがなく、当たりが全然なかった。

ウド根や銭洲に行くときは、他のグループの客と一緒に、7、8人が乗って、夜中の2時過ぎに下田を出港して2〜3時間、夜中の海を突っ走って払暁に釣り場に到着する。その間、乗客は狭い船底に体をくっつけて横たわり、仮眠する。大きなイビキをかいてすぐに寝てしまう人もいたが、わたしはほとんど眠れなかった。うとうとしたと思ったら「着いたぞー」という声で、眠い目を擦りながら磯に上がる支度をする。

広橋さんは、車にも、船にも弱かった。自分の車を運転していても酔うことがあると言っていた。あるときは 「(酔い止めに買った)この磁気バンドはよくきくぜ」と、ハンドルをつかんでいる腕のシャツを巻くって見せたこともあった。磁気バンドは船酔いにはきかなかったのか、私と一緒に銭洲へ行ったときには、一晩中、デッキの上でロープに掴まって風に当たり、吐き気に堪えていた。彼は私より7つか8つ上で、私が当時40ちょっと過ぎだったから、彼は50才くらいだったろうが、「徹夜で」船酔いに苦しみ、夜が明けた時には声を出すのがやっとというくらいにしおれていたにもかかわらず、磯に上がると、途端に元気を取り戻して、釣りを始めるのだった。

広橋さん、伊藤さんは何回も行ったようだが、チャーター船を使う遠征釣りはお金がかかり、私は3回しか行っていない。お金がかかるというだけでなく、真夜中に10人乗り程度の船で走るのが怖かったということも、2〜3回で止めた理由である。

伊藤さんの経験では、ウド根にゆく途中、大きな音を立てて流木に衝突した。ペラがだめになってしまい、結局、釣りは中止になり、他の船に迎えに来てもらったという。流木程度なら、渡船が浸水したり、沈没したりするということはないかもしれない。だが、船同士の衝突の場合にはそうはいかない。
東京湾で遠征釣行に向かう釣り船が自衛隊の潜水艦と衝突、沈没して、キャビンの中にいた客が逃げられずに犠牲になったという事故があった。大型船と衝突すれば、釣り船は一たまりもない。潜水艦との衝突事故は昼間だったが、夜間であれば、たとえ船外に脱出できたとしても助からないことの方が多いだろう。

また、渡船が銭洲で釣り客を下ろしたあと、客の目の前で、船頭が自分の打ったアンカーロープをペラに引っかけたままエンジンを掛け、ロープがペラに巻きついて船もろとも海に引きずり込まれてしまうという事件もあった。磯の上に残された釣り人がどれほど驚愕したかは想像に難くない。その日銭洲に来たのは一隻だけだった。当時はまだ携帯電話が使われておらず、陸地との連絡方法がない。船頭の家で異変に気がついて救助船を出し、それが迎えにくるまで、釣り人たちは周囲に海しか見えない岩場で、ただじっと待つしかないのである。銭洲で一番大きな大根は高いところで10m以上あって、多少の波なら安全だというが、他の根はみな低い。ヒラッタイというところは、もちろん岩場に割れ目や多少のでこぼこはあるが、全体が海面から1mか2mしかない本当にまっ平な磯で、少しでも波が出ればすぐに洗われてしまう。

乗った磯がどこだったかまでは知らないが、彼らは釣りどころではなかっただろう。釣り人たちは、波に浚われないように、ピトンを打って体をロープに縛ることができるようにするなどの準備をしただろうが、連絡のつかないまま低い磯の上で夜を過ごさねばならなくなったときの不安はどれほどのものだっただろうか。幸い海は凪で、釣り客は救助に来た船で帰ることができた。今は誰もが携帯電話を使えるようになって、連絡方法が大幅に改善された。それでもチャーター船による遠征釣りは、怖いものだ。

第3章見出しに戻る

入間・赤島で5.2キロの大型イシダイを釣ったこと

東京方面から東伊豆を南下して行った場合、石廊崎を回って最初の漁港が中木でその次が入間(いるま)、そして吉田と続く。赤島は入間の西の端にある磯でそこから先は吉田になるという。その日は、確か、下田から少し行った手石港辺りから渡船する積もりで行ったのだが、途中、北東風が吹いていて、結局石廊崎の西に回ったのだった。

入間港に行って尋ねると、「イシガキが良く釣れている」というのが船頭の言っていたことだった。実際、われわれが赤島につくと、本島にはすでに3人ほどの人が渡っていて、本島とハナレの間の、小さなワンドのようなところで、(トコブシなどを小さく切ってつけた仕掛けで)1キロほどの小型のイシガキを次々に釣っていた。私たち3人はハナレに下ろされたが、伊藤さんと広橋さんは、ハナレからでは本島との間のワンドに竿が出しにくいと、本島に移って竿を出した。

西伊豆・入間の磯、赤島

私は沖に向いたハナレの先端に一人で残り、「イシガキはいらない」と自分に言い聞かせ、サザエを2、3個たっぷりつけた仕掛けを投入してじっと待っていた。潮は止まっていた。後の方では、イシガキが釣れる度ににぎやかな歓声が聞こえていた。私は知らぬふりで、自分の竿先だけを見つめていた。やがて下り潮(西からの潮)が効いてきた。そして「コツン」という小さな当たりがあり、「ん?」と身構えると同時に、竿先がズーンと海中に突っ込んだのだった。

私は立ち上がりながら大きく竿をあおった。その瞬間の態勢がどんな風だったかは覚えていない。よろめいたとか、引きずり込まれそうになったとか、そんなことはなかった。しかし、ポンピングしながらリールをぐんぐん巻いて魚を浮かせるという態勢でもなかったことは確かだ。リールをまくことはできず、竿を両手で掴んで、魚の強い引きに耐えているという状態だったと想像する。
この時、本島から広橋さんと伊藤さんが岩伝いに飛んでこちらに渡ってきた。そして広橋さんが「肩、肩、肩をいれろ」と言った。先に来た伊藤さんが、竿の下に入り、肩で竿を支えた。

私は、魚が足元で食ったときは、竿をあまり立てずにリールを巻くのがよいということを知っていた。その半年ほど前、三宅島三本岳マカド根での釣りクラブの例会の際、イシガキらしい魚を足下で掛けたが、手前の根に潜られ、釣り上げることができなかった。その後でベテランから教わったことだ。竿を立てると道糸が手前に寄り、魚が根に潜りやすくなってしまう。竿尻を腰に当てて竿を水平に構え、道糸と岩場との距離を取ってリールを巻くのがよいというのである。
赤島で魚を掛けてリールを巻こうとしたときの私はその積もりであった。しかし、伊藤さんによれば、私は「竿を立てることができず、のされている」ように見えたという。それで肩を入れることになったようだ。

竿の保ち方について考えながらやっていたのだから、比較的冷静だったと言えるようにも思う。しかし、肩を入れてもらった後、魚の取り込みまでのことがはっきりしない。伊藤さんが「糸を抜け」と言って、広橋さんがリールの少し前から道糸を手で掴んで引っ張ったことは覚えている。

他方、私は、肩入れをしてもらったせいか、道糸を手で引っ張ってもらったせいか、リールのハンドルを回せるようになったが、左手の親指で道糸を平行に巻き取る操作を忘れてしまい、道糸が中央部だけに巻かれて山になり、リールの外枠の棒につかえて途中から糸が巻けなくなってしまった。
だが、道糸をリールで巻き取ることはできなくなったが、手で道糸を引っ張ったので魚は上がってきたのだろう。はっきりしているのは、私が自分の腕で竿を支え、リールを巻いて、魚の引きを感じながら次第に魚を浮かせたのではないということである。そして魚が海面に浮いた時に、自分で玉網で掬ったわけでもなく、また、浮かせた魚を、誰かが出した玉網のところに竿を動かし誘導したわけでもない。伊藤さんか、広橋さんかどちらかが、竿を動かして玉網に魚を入れたか、道糸を掴んで抜き上げたかしたのである。

私がはっきり覚えているのは、魚が磯の上に横たわった後のことで、口に刺さった針を外そうとして、噛まれそうになり、慌てたことを思い出す。生かしたまま港に帰って量ると5.2キロあった。氷を入れた海水に沈めて〆た。
滅多に釣れない大型のイシダイで、縞模様は消え、口の周辺だけが黒い、口黒と呼ばれる老成魚であった。「これは釣れる!」ということで予定を変えて一泊し、次の日の昼まで釣りをした。しかし、2日目は3人とも何も釣れなかった。

魚は私が家に持ってかえって食べたし、(全磯連に提出した)魚拓にも釣り人は私の名前になっている。また、釣り宿にかかってきた中日新聞・釣り欄担当の記者と電話で話をし、翌日の新聞には私の話と名前が載った。

しかし、入間で釣ったイシダイは、魚を掛けて竿を立ててから後、磯の上に魚を引き上げるまでの間、竿を掴んでいただけで、それ以外何もしていないと言ったほうがいい。餌を自分で付けて仕掛けを投入するというのは当たり前で、魚が掛ってからは、磯の上に魚を引き上げるまで、他の人がやってくれたのである。三宅島ベンケイで釣ったときは魚を掛けてから、魚を浮かせ、足元に寄せるまで、リールを回し、魚の重さを感じつつ、自分でやった。そして、最後の取りこみのところで、他の釣り人から玉網を出してもらったという点に不満が残ったが、入間・赤島ではもっとずっと多くのことを人にやってもらったという理由で、非常に不満足な釣りだったということになる。

これはもちろん、助けてくれた伊藤さんと広橋さんに対する不満などでは毛頭ない。自分で釣り上げる自信があれば、「だいじょうぶ。一人でやります!」といえば済むことである。蛯原昌介さんから聞いたことだが、彼は魚を掛けたときに横に人が集まってきたら、「手を出すなよ」と言うという。そう言われて手を出すものは誰もいないだろう。しかし、これはやはり多くのイシダイを釣りあげた経験があり、最後まで一人で釣り上げられるという絶対の自信をもっているベテランだからこそ発することのできる啖呵のようなものである。前に述べたが、巨漢の甚三郎さんでも三宅島マカドでやられたことがあるように、イシダイの引きが強くて竿をためられず(「ためる」とは、竿が十分な弾力を発揮できるように、適度に曲がった状態に竿を保持することを言う)、竿が伸されて(「ノサレ」と読むが、これは竿がまっすぐに伸びてしまうことである)しまい、道糸が切れて魚に逃げられるということはしばしばあるようだ。

私のように、イシダイをまだ1匹か2匹しか釣ったことがなく、痩せた体で、強い腕力も足腰も持っていない者は、大きなイシダイが足下で反転して突っ込んだりすれば、磯から転落するということもありうる。私は結局、二人の助けによって、竿を伸されたり、磯から転落したりする危険なしに魚を釣り上げることのできる保証を手に入れたのである。その瞬間には何も考えていなかったが、結局、その助けを拒む理由がなかったから、私は無意識のうちに助けをすすんで受け入れたのである。不満足なのは、手助け無用と自信を持って、最後まで一人で魚と勝負することができるだけの力量を私が欠いていたことに対してである。

話がわき道に入る。大物を掛けてというのではないが、釣り客が磯から転落するのを目撃したことがある。三宅島三本の大根で釣りをしていたときのことである。3月ころだったが風がなく暖かい日で、ゆるいうねりが少しあるだけの、凪ぎといってよい状態の日だった。三宅島本島がほぼ正面に見える「本島向い」と呼ばれるその釣り場は2段になっていて、下の段は海面から2、3mの高さのところにあり、上の段はそこから2〜3m上にある。釣り場は狭く、すべりやすい岩からできていて、下の段と上の段の間は滑り台のようで簡単には移動できない。釣り客は私のほかに、名古屋から来たという若者が二人だった。船頭は私たちを磯に下ろすと、下は波をかぶるから、竿はロープをつけて下から出しておき、人は上の段にいるように、と言って他へ回っていった。

始めは3人とも上にいたが、名古屋の若者の一人に小型のイシガキダイが釣れた。その若者は魚を取り込むために下の段におりたまま、そこにとどまり、得意気に上の段の友達とおしゃべりをしていた。暖かな陽気のせいもあっただろうが、彼は救命胴衣も脱いでいた。そのとき、突然、するすると下から波がはい上がってきて、「滑り台」の半分くらいまで上がり、そしてスーッと引いた。大きな波がドーンと打ち寄せたというのではない。しかし、下にいた若者は、その波にさらわれ、私の竿も含め並んだ釣り竿をつかみながら下に落ちていった。ほんの一瞬のできごとだった。

少し離れたところを流している渡船に知らせようとして、上の段にいた友達は「おーい、おーい」と叫んだが、声は届かない。私は、自分の救命胴衣の胸の呼子を思い切り吹いた。そして、落ちた人を見つけて船頭に教えようと、船が近づくまでの20〜30秒間、必死に海面を見回したが若者の姿は見えない。海にすぽっとはまったきり、浮いてこないのだ。私は背筋が寒くなった。呼子の音を聞いて船が飛んできた。船頭も身を乗り出して海面を見回した。数秒後、磯から100mも離れたところに頭が見えた。30秒ほどでそれだけの距離流されたのだ。若者は手を動かして泳いでいたが、船の上に引き上げられると同時にぐったりとデッキの上にくず折れた。あとで聞いたのだが、若者は泳ぎが達者だったから、死なないで済んだという。

波は怖いものだ。そして波にさらわれたとき、救命胴衣を着けていれば、海の中に潜ってしまわない可能性があるし、潜ってもすぐに浮くだろう。あの若者は泳ぎが達者だったにせよ、船が現場の近くにいて、すぐに救助されたことなど、かなり運がよかったから助かったのである。

第3章見出しに戻る

八丈島、奇妙な暖水塊の中でイシガキダイを2匹釣る

広橋さんと2泊3日のスケジュールで八丈島に行き、八重根港の近くの宿に泊まって、1日は渡船して八丈小島の小地根で、もう1日は、車を借りて本島の北部、中根ケ崎で釣りをしたたことがあるが、何も釣れなかった。 

  八丈島には、同じころ、小学校に入る前の娘の晶(アキ)と一緒に行き、一般の民宿に泊まって、八丈島一周道路のバス停近くの地磯で釣りをしたこともある。娘は、それ以前にも、南房総の堤防での釣りや東伊豆富戸の磯での釣りに連れて行き、一緒に釣りをしたことがあった。前夜竹芝桟橋を出た東海汽船は三宅島経由で、朝8時半ごろ八丈島の東部、底土港に着く。民宿は、三原山の東のふもとで、島の南東部の末吉という地区にあった。末吉には、底土港から島の中央部を北東側から南西に横断し、樫立、中之郷などの地区を通る都道を反時計周りに回るバスで行く。

末吉の近くに、イシダイ、ヒラマサ、シマアジなどの大物が釣れることで有名な石積みの鼻という釣り場があり、しかもここは高磯で波をかぶる心配がなく子供連れでいける安全な釣り場だということを聞いていた。民宿近くのバス停から一駅か二駅バスに乗った。石積みの鼻では、私は何も釣らなかったが、娘は大きなカサゴを一匹釣った。バス停から磯までは300mほどの距離があり、磯に入るときは下り坂で楽だったが、帰りは上り坂で子供の足には辛い。荷物はすべて私が持ったが、大物を釣ったと機嫌よく歩き始めた晶は途中で疲れたとぐずり、歩くのを止めたがったが、なだめすかしてようやくバス停まで歩かせた。

次の日は、樫立地区の乙千代が浜という磯に行った。ここもバス停から歩かなければならないと聞いて、娘は一緒に行きたくないと言い、宿のお上さんが娘と遊んでくれると言うのでお願いし、一人ででかけた。バス停から磯までは石積みの鼻ほど遠くはないが、折れ曲がった長い坂を下る。帰りはかなり疲れる。

 『伊豆七島の海釣り』(下)の空撮写真を見ると、乙千代が浜の磯はプールの前から竿を出すが、左側には前方70mか80mまで細長い岩場が伸びていて、その途中には干潮時には渡って釣りができる畳根というやや大きな根がある。周囲を観察してから釣り座を選んだはずだが、こうした釣り場の回りの光景、周囲の磯の形状などについての記憶が全くない。私は磯は足場がよく、すぐ足元から深くなっていたということと、小さな入江の中にあると感じられたということしか思い出せない。

始発のバスに乗って磯に入ったときには、潮は全く動いていなかった。30mか40m、仕掛けを軽く投げた。底は平らで根らしい根はなかったと思う。ときどき竿を挙げてみても餌がそっくりそのまま残っていた。退屈な時間が2〜3時間過ぎた頃、突然、潮が流れ始めた。それまで見たこともない、そしてその後も見たこともない奇妙な流れ方だった。

一般に、潮が流れると海面にさざ波がたち、潮が流れているところとそうでないところが区別できる。たいていは潮流は何百メートル、時には、黒潮などのように何十キロもの幅のある大きな川のように流れ、潮が流れているところとそうでないところの間には、潮目と呼ばれる境目が見える。たいていは沖から潮流が押し寄せてくるので潮目は一本しか見えない。潮目の手前では潮が止まっておりその沖では流れている。そして潮目が海岸まで達したときに潮目はなくなり、前面の海全体が流れているように感じられる。

ところがこのときには、幅がせいぜい20mほどの二本の潮目で周囲と区別できる細長い潮流が、まるで大きな蛇が体をくねらせるように、まさしく「蛇行」しながら狭い湾内にニョロニョロという感じで、入りこんできて、足元に突っかけてきた。30〜40m前方に投げ込んでいた仕掛けは足下に押し付けられ、当たりに合わせて竿をつかんでリールを巻くと、魚はまっすぐ足下から上がってきた。その潮は右手沖から入り込んできて私の足元にぶつかって左に流れ、左側の沖に延びた岩場に沿ってほぼ180度方向転換して沖へと出て行った。潮の流れは30分ほど続き、この潮が流れている間にイシガキダイが2匹釣れた。竿は一本しか出していなかったのだが、もう一本出していれば、もう1〜2匹釣れたかもしれない。イシガキダイはこの潮の中にいたのだ。潮が止まると、その後は最初のように当たりも餌取りも全くなくなった。

私が現在釣りをしている宇和海では、2〜3ノット程度の潮流がしばしば流れる。船で錨を打って掛かり釣りしているときには、2ノットの潮の流はかなり速いと感じられる。ただし、黒潮は伊豆諸島周辺で最速7ノットで流れるという。私が乙千代が浜で釣りをしていたときの奇妙な潮流の速度は分からないが2ノットとしてみよう。1ノットは時速約1,850mだから、2ノットの流れが、30分間続いたとすると、その長さはおよそ1.8kmということになる。この潮は大まかに言えば径が20mほどで長さが1.8kmほどの円筒形の水塊であるが、おおきな蛇が泳いでいるようにやってきて通り過ぎて行った。3月頃は全般に海水温が低く八丈島周辺でも15度Cを下回ることもあるようだ。「四国でのイシダイ釣り」の2)マイボートのイシダイ釣りで書いたが、宇和海では、イシガキは18度を下回るとウニを食わなくなる。八丈島で使った餌はサザエかトコブシであったが、やはり春の低水温の時期にはくいが落ちることは確かだと思われる。

周囲に比べて温度が低い海水がまとまって滞留しているとき、そこに冷水塊があるなどと言う。冬あるいは春、黒潮から分岐した暖かい潮が宇和海を北上することがある。このような現象を暖水舌と呼んでいる。私が経験した現象は、細長い暖水塊の通過と呼ぶことができるかもしれない。私が釣ったイシガキダイはこの始まりと終わりのある細長い暖水の塊のなかにとどまり、潮流に乗って移動し餌を食っているように思われた。

東京に帰る前の晩から天候が崩れた。当日は雨が強く降り、風も吹いていた。宿でトラベルミンを呑ませればよかったが、晶は港に向かうバスの中で酔ってしまった。そして港についてから呑ませたがもう効かず、帰りの船がうねりでズズズーン、ズズズーンと上下に揺れるたびに、「ヒーヒー」と苦しそうな泣き声を上げた。

晶が小学校の2年か3年のときには上越のスキー場に連れて行った。このとき、ビンディングといっただろうか、スキー靴を固定する金具の調節を私が行ったのだが、調節の仕方がまずかった。初日か2日目に、夕方まで滑って疲れが溜まったためか、晶が転んだ。だがスキーが外れなかった。晶は足首をひねり、その痛みに「ヒーッ」と声にならないような悲鳴を上げた。足首の骨が折れたのだった。予定を繰り上げてその日のうちに東京に連れ帰り医者に行ったが、このときも私は娘をかわいそうな目に合わせることになってしまった。釣りとは関係のない話だが。

釣れた時の釣行については、全て書いた。しかし、釣れなかった釣行が200回近くあるだろう。それについてはごく断片的にしか思い出せないかあるいは全く忘れてしまった。

第3章見出しに戻る