放射性原子核の自然崩壊のサイコロ・シミュレーション
  手元にある現行の高等学校「物理」の教科書(2冊)には,放射性原子核の自然崩壊の「半減期」を理解するため,サイコロを用いたモデル実験(シミュレーション)が探究活動として載っており,2018年度のセンター試験にもこれを題材とした 問題 が出題された。どの程度の学校で実際にこういう探究活動が行われるのか知る由もないが,たとえ体験していなくても,あるいは教科書にこの課題が載っていなくても,半減期のことを理解しておれば解答可能な出題になっている。

  試験の問題(問[)は,「最初に1000個のサイコロを用意しておき,1の目が出たら崩壊とみなして取り除くことを10巡繰り返して残存数の減り方を調べる模擬実験」で,記録された時系列データとしてもっともらしいのは,用意された3通りの特徴的なグラフのうちのどれかを答えるものである。

  これに対して SEG の吉田弘幸先生は,Twitter 上で「『どの目も等確率で出るサイコロを600回ふったときに1の目は何回出るか』という問は,入試問題として成立するか?」という,いかにも誘導尋問的なアンケートを実施して伏線を張った上で,「実は2019年1月に実施されたセンター試験の物理で同様の解い方がされている」と断罪されている。おそらく設問[]を問全体の文脈から切り離して(,「確率現象である以上,特定のグラフを『これ』と断定することはできない」という難癖であろう。

  確率の問題であればこの指摘は一般論として妥当であるが,明らかに恣意的な論点のすり替えである。これは確率の問題ではなくて,確率現象の実験データの解釈(読み取り)の問題である。普通の測定実験であれ模擬実験であれ,この程度にバラツキの少ない測定結果であれば,ただ1回の実験データであっても信頼できる特徴を見出すことは十分に可能である。普通の測定実験では測定による誤差も加わるが,もっとバラついたデータから意味のある結論が推定される例も珍しくはない。なんなら,この「1000個」を用いた1回の試行の測定結果のグラフは,(目盛りを付け替えて)「40人クラス」(啓林館)での実験を25回繰り返した平均値だと言えば文句はなかろう。

   問題文をどう深読みしても, 「1の目は何回出るか?」に相当するような問い方はされてはいない。単に「1の目が○○回出た」という1回の試行結果の事実がグラフで示されているだけである。確率現象では「出る」と「出た」は大違いだ。(「出る」らしき後半の問[]でもちゃんと が付けられており,さすがにこの問のことではないらしい。----- 私も最初は[]のことかと思ったが,この反論を述べた人は「ここにも作問者と同じく日本語の分からない人がいる」と切って捨てられた。)繰り返すが[]では,明白な違いのある3種類のグラフのうちで「実際の原子核の崩壊の様子をよく表している」,つまり「同じ時間幅でおよそ半分,半分と減っていると判断できるのはどれか」を問うているだけである。サイコロ・シミュレーションのことは知らなくても,自然崩壊で指数関数的に減少することくらいは高校物理の常識であろう。

  以上は問題の日本語を素直に読んだ私の個人見解(センターにアルバイトで雇われてもいないし,センターを擁護する義理もない)であるが,吉田先生の Tweet には非常にたくさんの人が「いいね」して(おそらく殆どは)賛同しておられる。あとはこの記事を読んでくれている人の判断に任せよう。


  1000個のサイコロを振って実験したというのはご愛嬌だ。実際は一様乱数を使ったモンテカルロ・シミュレーション(ん?サイコロ・シミュレーションのモンテカルロ・シミュレーション?)だろう。「イチか,バチか」の独立なベルヌーイ試行を1000回程度も繰り返せば,バラツキは数%になることは確率現象としては初歩の常識である。もちろんセンター試験の「物理」でその知識を要求しているわけはなく,実際の測定結果のバラツキの少なさでそのことを暗に語っているだけである。モンテカルロなら100万個の実験(バラツキ 0.1%,実線の太さの中だ)でもわけないが,多少のバラツキも目に付く1000個は確率事象「らしさ」も残っていて絶妙な選択だ。作問者はサイコロの数をいろいろ試してみたに違いない。

  時間は離散的に扱うとして,単位時間内に「消滅の確率が q ,生き残る確率が p (= 1 - q) 」の独立にふるまう N 個の確率粒子のうち,t 単位時間後に生き残っている数は平均として N pt であること,つまり期待値が指数関数に乗るであろうことは直感的に理解できると思う。しかしながらその正確な説明やバラツキがどうなるかは,さすがに高校の物理の教科書には書かれていない。この手のシミュレーションならあっという間にできるので,「p = 5/6, q=1/6」「N = 1000 」と「 N = 40 」の結果と,あわせて確率分布(2項分布)の導き方を提示しておく。なお半減期は,「生き残り」の数ではなく崩壊した原子核から出る単位時間当たりの放射線量の測定で決められると思うので,崩壊数(期待値は N pt-1 q) も同時にプロットしてある。 実験結果と解説

  この程度のシミュレーションなら,多少はプログラミングを心得ている人なら誰でもすぐにできると思うが,私が提示した一通りの実験データに疑いのある人のため,プログラムを提供しておく。以下のリンク先に置かれたファイルを全部「同一のフォルダ」にダウンロードし,実行ファイル(Windowsの exe ファイル)をクリックしてプロットデータを更新してから,Tex ファイルをコンパイルすれば,何度でもシミュレーションを繰り返して表示することができる。 DICE FILE SET


感想: この吉田先生は,どうも問題の文章や一つの文の中から一部の文言だけを抜き取った上で一般論化し,揚げ足取りをする日本語がお得意のようだ(例えば [261])。これに対してうっかり疑問を呈しようものなら「日本語が分からない人は教育に携わってはいけない」とか,「頭悪い」「低能」「無能」「知能が低下」...と クソミソ で,挙句の果ては「(擁護のために出題者に)バイトで雇われた人たち」と決めつけなさるのがお決まりのコース! とりわけ政治家に対する罵詈雑言は,「人間のクズ」「地頭が悪い」「薄らバカ」「悪魔」「目は無能そう」「無知な無能人間」「人間の脳ミソしてない」「クルクルパー」「いかれポンチ」「幼稚園児」「ボケ」「頭おかしい人」「鬼畜」「本質がヤクザ」「ガキ」「カス」「頭が空っぽ」「犬畜生」「頭ペラペラ」「頭にウジ」「非人間」...(某氏『吉田語録』)と,人格を疑いたくなる稚拙さ・汚さで,微塵の批判精神も感じとれない。ブロックされようものなら「待ってました」とばかり,まるで鬼の首でもとったように大はしゃぎ!そこそこ「いいね」が集まるものだから,これでもって「舌鋒鋭い政治批判をやって政治家に怖れられている」と勘違いなさっているのではないか。「政治家に対してなら何を言ってもいいよね」は民主主義とは無縁のテロリストの言い訳そのものであり,とてもじゃないが熟年の域に達した教育者の言動とは思えない。何十年も昔の小学校や高校時代の自慢話(中には小学校の音楽の先生のせいで英語が話せなくなったとかいう恨み節もある)がやたら出てくることから察するに,いまだ学徒気分から抜けきっていらっしゃらないのかもしれない。まるで子供のケンカのようにやたらマウントを取りたがる人の自己陶酔にすぎず,罵倒の相手に対して何の効き目もないのであるが,教育に携わる人による公開の場でのこのような差別的言辞は,人権意識(人の尊厳への理解)が未熟な生徒や子供たちに対して決していい教育効果を及ぼすとは思えない。この先生のもとで同類の差別観に染まったエリートが再生産されないことを願うばかりだ。 もどる