(名古屋の山の登り方Vol.6より 加筆修正)
隣の山が小さく見えて
山はいつも同じ表情を見せない。登山家なら誰しも常識として知っていることだが、中盤にさしかかったところでこれを再確認させられた。
そもそもかき氷は、あの大きさだからいいのであって、これほど大きくなってくると、通常の食べ方では太刀打ちできない。大きくなった分、作る側にも食べる側にも、何らかの工夫が必要なのである。作る側の工夫として「マウンテン」は、中にアイスクリームや果物を入れたり、乗せると食べにくい小倉あんを中に安置したり、氷を粗削りにしたりと、いろいろがんばっている。変わったシロップを考案するのも、(実際にマスターが何と考えているかはこの際別として)食べる側を飽きさせない効果がある。
だけんどもしかし(おいおい)(*3)、あの量は辛い。普通サイズのかき氷を何十杯もおかわりするようなものである。いや、おかわりのほうがまだ楽だ。どの一口もほぼ同じ味だから。
酸っぱくなってしまったタマリンド。色がない。
私の食べた「タマリンド」で説明しよう。最初はあんずと梅の中間のような味で、甘さも程よかった。しかし、ご存じのとおり、かき氷のシロップは底にたまりやすい。放っておくと、上部の色が薄くなってゆく。もっとも、普通のかき氷なら、シロップが底にたまりきるまでに氷の方も解けてしまう。マウンテンのかき氷にも同じことが起こるが、注意すべきは、あの大きさで起こるということだ。氷が粗いため、シロップは早々と底へ流れてゆくが、食べる方はそれに追いつけず、中盤は味が極端に薄くなる。ミルクがかかっていたりすると、そのミルクだけが表面に居座り、先に触れたような雪崩(氷崩)が起きやすくなる。これに慌てている間にも、シロップはどんどん底へ溜まってゆく。しかも、シロップによっては氷の中に残る味と底にたまる味とに分離するものがあるらしい。「タマリンド」がまさしくそれであり、最初に味わったあの上品な甘さは姿を消し、青梅のごとく酸味の強いシロップのみが残ったのである。おまけに、自重により氷の中心部はかなり硬くなっているので、さらに進行が遅くなる。隣の山が小さく見えだすのはこの頃だ。
滑落の現場(マンゴー)。
これが終盤になるとどうなるか、もう想像がつくだろう。そう、濃縮されたシロップの一斉攻撃を受けるのだ。
頂はまだ見えず…
8合目まで上ると、山小屋が姿を現す。通常はバニラアイスクリームであり、ここでほっと一息つくのである。冷たいアイスクリームなんかで一息つけるのかと疑問に思われるかもしれないが、これだけの量のかき氷を食べた後に口に入れると、なぜか温かく感じるのである。それに、なんといっても安心できる味なのがうれしい。
しかし、例外がある。「宇治金時」と「小倉」に限っては、なぜか小倉あんも入っているのである。序盤に食べた小倉あんの再来。一息つくどころか、ため息が出てしまう。しかも、「小倉」は氷水である。この単調かつ険しい山道を登ってきた彼には、まさに晴天の霹靂(へきれき)。このまま雷に打たれてしまうのではないかという恐怖感。うーん、こわいこわい。
やあこんにちは。またお会いしましたね。
一方、同じ単調な山道の続く「ミルク」は、前述のとおりシロップの追加で復活を果たした。
8合目まで来ると、体調にも変化が現れる。トイレが近くなるのもそうだが、体温が急激に下がるのだ。私は持参したスプリングニットを着て、暖をとった。登山に防寒具は必携である。
引用註:
*3:フリーライター、かなざわいっせいの言葉。競馬ファンの間では「超」が付くほど有名。