津山が誇る鉄道文化遺産 〜旧津山機関区 扇形機関庫〜

旧津山機関区 扇形機関庫の概要


2005/05/16開設 2017/05/03改訂
津山のRC造扇形機関庫
津山の扇形機関庫(2000年8月撮影)
建設当時の扇形庫平面図
建設当時の扇形庫平面図(管理人作成)
旧 津山機関区(現 津山運転区)扇形機関庫
●竣工年:昭和11(1936)年 ●構造 :RC(鉄筋コンクリート)造
●面積 :約2,514.4平方メートル ●高さ :約7〜8.5メートル
●奥行 :(収容庫部分)約22.2メートル(修繕室・鍛冶場部分)約27.2メートル
●収容線数:17線 ●展開角:転車台を中心に約160度(収容庫部分)
●備考 :
   高さ・展開角については、あくまで目安ですので、ご了解下さい。
   (高さは扇形庫前面の大まかな数値です。)
   ※面積・奥行は、『岡山県の近代化遺産』による。

■ 機関庫の概要

旧津山機関区 扇形機関庫は、津山駅構内(駅ホームの西方、津山運転区構内)の 西端に、南東を向いて位置しており、機関庫北側を姫新線・津山線が走っています。
収容線は17線あり、国内に現存する扇形機関庫としては、京都鉄道博物館 扇形機関車庫(旧梅小路蒸気機関車館)に次ぐ規模となります。
(梅小路の収容線は20線です。またその他の扇形庫では、会津若松(収容線15線)、大分・豊後森(収容線12線)。 米子(収容線9線)などがあります。)
また、1番の収容線(一番右の収容線)の隣には、 かつて修繕室や鍛冶場(火炉などがあった)などとして使用されていた部分が併設されています。
現在、16・17番庫の収容線が撤去されるなどしていますが、DE50−1号機やDD51−1187号機、キハ181−12などの展示車両のほか、 8番庫には現役の気動車などが修理のため収容されることもあり、現役で使用されている施設です。

【‘08年07月07日追記】
北海道・旭川運転所(旧旭川機関区)には、大正時代に建設され、京都・梅小路を上回る収容線24線を持つRC造の扇形庫があり、 SL廃止後もDL(ディーゼル機関車)の基地として使用されていました。
しかし、旭川駅の高架化と周辺市街地再開発事業に伴い旭川運転所は移転。
使用されなくなった扇形庫は、再開発事業地内に加えて老朽化もあり、平成19(2007)年10月に解体され、 現存する国内最大の扇形庫の地位を京都・梅小路に譲りました。


春・大隅公園の桜と扇形機関庫
春・大隅公園の桜と扇形庫

この機関庫は、昭和11(1936)年に当時の省線姫津線(現在の姫新線 姫路−津山間)が全通したこと に伴う津山機関区(当時は「津山機関庫」)の整備の一環として建設されました。
着工は昭和10(1935)年8月。
それまで機関車庫として使用されていた2線の矩形庫(4両収容、面積は約678u)を取り壊しての建設となったため、 当初は降雪の時期を迎える同年12月頃には車両を収容できる程度にまで仕上げる予定でしたが、 工事が遅れ、姫津線が全通する翌11年4月にようやく完成しました。
(ただし、機関庫内部の設備は6月頃まで工事が行われていたようです。)
当時の最新技術も用いられたこの機関庫の総工費は約11万600円で、当時の津山市の年間財政規模が30〜40万円程度、 この機関庫の3年ほど前に建設された津山市庁舎(RC造3階建て、内装には大理石も使われた。)の建設費が 約8万9,200円だったことを考えれば、この扇形車庫の建設は、当時の津山の中では一大事業であったといえるでしょう。

津山に集中する津山線・因美線・姫新線は、山陰と山陽、また山陰と京阪神を結ぶ重要路線として建設され、 その結節点である津山には、機関区や車掌区、保線区、客貨車区支区などが置かれていました。
また、昭和30年代以降は姫新線経由で大阪方面や広島方面から、津山線・因美線経由で岡山方面や鳥取方面から、 それぞれ気動車急行が運行されるなど、交通の要衝として機能していました。
このうち機関区には、8620形、C11形、C56形、C58形など小型〜中型のSLが 最盛期の昭和20年代〜30年代にかけて、最大で37両配置され、 昭和46(1971)年の津山線・姫新線のDC・DL化によってこの地域でのSLが役目を終わるまで、 この扇形車庫に収容されていました。
その後も気動車の整備などを行うために扇形車庫は使用されていましたが、 津山駅に設置されている関連機関の整理縮小などにより、 数年前から車両の収容は殆ど行われなくなってきています。
しかしながら、各地にあった扇形車庫が取り壊されてゆく中で、津山に現存する扇形車庫は全国的にも貴重な存在であり、 岡山県教育委員会が選定した「岡山県の近代化遺産」、社団法人 土木学会が選定した「日本の近代土木遺産  −現存する重要な土木構造物2800選」、経済産業省が選定した「近代化産業遺産」、 及びJR西日本が選定した「登録鉄道文化財」にも選ばれています。

【‘17年05月03日追記】
旧津山機関区の扇形機関庫は、全国的にも貴重な近代化遺産であり、 津山の歴史を物語る上でも貴重な「財産」です。
この扇形庫が、旧国鉄時代から活躍した貴重なディーゼル車両を保存・展示し、 地域の鉄道の歴史・鉄道の運行についての仕組みをわかりやすく学ぶことが出来る施設として、 生まれ変わりました!
詳しくはこちらのページへ→   「津山まなびの鉄道館」開館までの道のり


■ 外部・内部のデザイン・構造等について

1.基本構造について
この扇形庫は、大正時代以降に数多く見られたRC(鉄筋コンクリート)造の機関庫です。
デザイン的には内部・外部とも凝った意匠を施している訳ではありませんが、 フラットスラブに防水施工を施した陸屋根、 機関庫外面の窓枠をスチールサッシュとするなど、 建設された昭和初期当時のRC建築の様式・施工技術を見ることが出来ます。
外観は直線と平面で構成され、余分な装飾などは行っておらず、シンプルな印象を受けます。
また内部については、フラットスラブで構成された陸屋根を支えるための梁は設けず、 支柱の柱頭部を漏斗状に広げて陸屋根の荷重を支える無梁版構造を採用しているため、 陸屋根の高さが全体的に低く抑えられています。
こうした様式は、昭和初期に建設された他の鉄道建築にも見られますが、 RC(鉄筋コンクリート)造の特長を生かし、機能主義・合理主義の視点を設計に取り入れた、 「モダニズム建築」の影響を受けているものと思われます。
車両収容庫は17あり、かつて修繕室や鍛冶場などとして使用されていた部分も併設されています。

扇形機関庫の内部
扇形機関庫の内部。
無梁版構造の状況がよくわかる。
('06年6月11日 機関庫見学会にて撮影)

修繕室や鍛冶場などがあった部分
1番庫隣の、修繕室や鍛冶場などがあった部分。

2.外観について
各車両収容庫入口には扉が無く、入口上部には採光・換気用の窓が横に2ヶ所並ぶ形で設けられています。
(かつては各車両収容庫入口に巻上げ式シャッターが設置されていました。)
現存している扇形庫の中で、建設当初からこのような窓配置になっている扇形庫は津山のみと思われますが、 私が調べた範囲では、各地に建設されたRC造の扇形庫の中でも、このような窓配置は少数派であったと思われます。

屋根については防水施工を施したフラットスラブで構成されていますが、 1〜4番収容線部分、5〜17番収容線部分、及び修繕室などの付属部分では、地上高が異なっています。
1番〜4番の収容線部分の屋根は、5番〜17番の収容線部分に比べて高くなっており、 以前は検査・修繕線として使用されていました。
また、雨水を機関庫背面に排出するように、屋根が全体的に正面から背面にかけて約2%の勾配で下がっています。
煙抜きの煙突は、各収容線の奥側天井に各1ヶ所ずつ設けられていました。
但し、1〜4番庫については、収容線の前側と奥側の各2ヶ所ずつ設けられていました。

側面・背面の壁面部分については、豊後森の機関庫などに見られるような支柱部分と壁面部分に段差がついて分かれている形ではなく、 全面フラットな壁面になっています。
(但し扇形庫は弧状の配列となるため、背面は各収容庫を分ける線(支柱のある場所)で角度をつけて区切ってあります。)
1番庫部分は背面の壁が無く、収容線が扇形庫を突き抜ける構造になっており、 かつては突き抜けた収容線の横に、石炭置場がありました。

機関庫背面、及び側面の窓については、回転窓と、はめ殺し窓で構成されています。
これらの窓枠には、スチールサッシュが採用されています。
背面部分の窓については、各収容庫部分ごとに、 横に3ヶ所、縦に2ヶ所の合計6ヶ所が等間隔に設けられており、 それぞれがガラス障子の回転窓とはめ殺し窓を組み合わせて造られています。
正面の車両収容庫入上部口に設けられている採光・換気窓にも、 この形式の窓ガラスが採用されていました。

1番庫付近の機関庫背面 1番〜4番庫の正面外観
左の画像は、1番庫及び修繕室や鍛冶場などがあった部分の背面側。
鍛冶場の部分は、機関庫部分よりも後方に張り出している。
また、1番庫背面の壁は無く、収容線が突き抜ける構造になっている。
右の画像は、1番〜4番庫の正面部分。
画像左端に5〜6番庫、右端には修繕室などがあった部分があるが、 それぞれ屋根の高さが違うのがわかる。
また、車両収容口上部の採光・換気窓も、ここの扇形庫の特徴の一つ。
現在はガラス障子が無くなっている。

扇形庫背面部分の外壁 左の画像は、扇形庫背面部分の外壁と窓。
下段の窓より下側は、コンクリート厚が他の部分よりも厚くなっているものの、 その他の部分は、軒下に張り出している部分を除いて全面フラットな壁面となっている。

3.内部構造について
扇形庫内部は、基本的には支柱以外に壁面を設けない構造となっており、 各収容庫部分を自由に移動できる形となっています。
(但し、現在は15番庫と16番庫の間にコンクリートブロックで間仕切壁が 設けられています。)

17線ある収容線のうち、2〜17番の収容線には アッシュピット(蒸気機関車のボイラー内に溜まった灰を落としたり、車輪等を点検するための溝)が、 また2番庫にはドロップピット(収容線と交差するように設けられ、 車体の下から蒸気機関車の動輪などの脱着を行うためのジャッキを設けたピット)が、それぞれ設けられていました。
また1番庫から4番庫付近にかけての天井中央部付近には、 ドロップピットジャッキで外された動輪や部品などを運搬するためのモノレールクレーンが渡されていました。
1〜4番庫は、SLの検査・修繕に用いられていたため、こうした設備が設けられていました。
なお、各収容線の終端には、第三種甲車止めが取り付けられています。

また、床面や各種ピットは基本的にはコンクリート造となっていますが、鍛冶場前の床面は木煉瓦敷となっています。
津山の2年前に建設された豊後森の扇形庫の例においても、修繕職場やビームジャッキを設置した収容線部分の床面は 木煉瓦敷となっています。
これは、部品等が床に落下しても破損しないように衝撃を和らげるためのものであり、 津山の扇形庫においても、修繕室の床面は木煉瓦敷であったと思われます。

機関庫を支えている支柱は、正面及び背面・側面部分は角柱、内部(奥行2列)は円柱で構成されています。
一般的に天井部分のスラブからの荷重を支えるには、天井下に梁を渡し、それを支柱で支える方法(有梁スラブ構造)となりますが (京都・梅小路の扇形庫などがそうですね。)、津山の扇形機関庫は、梁を設けず、 より広い範囲からの荷重を支えるよう支柱の柱頭を漏斗状に広がった形とし(これを「補強ハンチ」というそうですが)、 さらにその上に厚い支板を設けることで、 天井部分からの荷重を支柱のみで支える方法(無梁スラブ構造)を採用しています。
(無梁版構造、または平版構造、フラットスラブ構造とも言います。)
但し、1〜4番庫の間にある内部支柱には、それぞれ前面側支柱から奥側支柱にかけて、モノレールクレーンを支えるためと思われる梁が 渡されています。

この無梁スラブ構造は、梁が無いため屋根の高さを低く抑えたり、内部空間を有効利用できるなどの利点があり、 昭和初期に建設された鉄道建築には、高架橋のほか、名古屋駅コンコースを始め、こうした形態を採るものもあったようですが (大分・豊後森の機関庫でも、一部に無梁スラブ構造を採用しています)、 有梁スラブ構造に比べて耐震性がやや低いなどの点もあり、現在ではこうした構造を採ることはあまりないようです。
そうした意味でも、全体的に無梁スラブ構造を採用している津山の扇形庫が残っていることは、 貴重と言えるでしょう。

(現在、高層マンションなどで採用されている無梁版構造は、ここで示した構造とはちょっと違うようですので、 念のため。)

扇形庫の内部(奥側)
1〜4番庫部分の天井
上の画像の左側は、扇形庫の内部(奥側)の状況。
各収容線には点検用ピットがあり、第三種甲車止めがついている。
また右側の画像は、1〜4番庫部分の天井。
基本的には無梁版構造になっているが、支柱間に梁が渡されている。
梁の中央部には、モノレールクレーンが取り付けられていたと思われる跡が残っている。
(いずれも、'06年6月11日 機関庫見学会にて撮影)

左の画像は扇形庫内部の支柱の柱頭部分。
柱頭が漏斗状に広がり、その上に支板が設けられている。
なお、扇形庫正面及び背面の支柱の柱頭部分も、形状は違うものの、 上部が広がり、その上に支板が設けられている。

扇形庫内部の支柱の柱頭部分
鍛冶場前の床面 左側の画像は、鍛冶場前の床面。
建設当時のものではないかと思われる、木煉瓦敷となっている。
豊後森の機関庫でも、修繕職場などの床面は木煉瓦敷となっており、 津山の扇形機関庫においても、修繕室などの床面は木煉瓦敷であったと思われる。
('06年6月11日 機関庫見学会にて撮影。)

【‘08年12月23日追記】
■ 扇形機関庫の統一規格「扇形機関車庫設計標準」と津山の扇形機関庫

鉄道施設・設備を造る際には、構造や寸法などの様々な規格・基準が設けられています。
扇形機関庫についても旧鉄道省により「設計標準」が設けられており、津山の扇形機関庫もこれに従って設計・建設されました。

我が国の扇形機関庫は、新橋や横浜などをはじめとして明治期から各地で建設されていましたが、 設計する際の各部の寸法や設置する設備について、明確な統一基準がありませんでした。
そこでまず、主要部分についての「設計標準」が大正13(1924)年に規定され、 これを改正する形で、昭和2(1927)年にはより詳細な部分についての設計標準が規定されました。
さらに昭和7(1932)年には、この設計標準を図面化したものも作成されました。
以後、こうした設計標準をもとに、各地の扇形機関庫が建設が行われました。

この設計標準では、まず扇形庫を「甲種」と「乙種」に区分し、 それぞれについて扇形庫の奥行きや高さ、柱の間隔、転車台までの距離や角度などのほか、 ピットや煙突、収容線入口の扉など、扇形庫内部に設けなければならない設備について規定していました。
また、庫内に設ける設備について別に規格が規定されているものはそれを考慮すること、 収容線の一部を検査修繕線とし、修繕職場を設けること、 その検査修繕線や修繕職場にはドロップピットやクレーンなどを設けること、などについても規定していました。
(ただし、収容線の数については、この設計標準とは別に、 機関区の機関車配置数の60%を収容出来るようにする(寒冷地では100%)、とされていたようです。)

「甲種」と「乙種」の違いは、柱間隔や奥行き、転車台から距離など、各部の寸法にありますが、 これは8620形蒸気機関車の大きさを基準とし、基準よりも大きな機関車を収容する機関庫を「甲種」、 基準以下の大きさの機関車を収容する機関庫を「乙種」としています。
従って乙種の機関庫よりも甲種の機関庫の方が、各部の寸法が大きくなっています。
幹線区を受け持つ機関庫と支線区を受け持つ機関庫では配置・収容される機関車の大きさが違うことからこのような区分を設け、 幹線区の機関庫を甲種の規格で、また支線区の機関庫は乙種の規格で、それぞれ建設していました。
なお、津山に乗り入れている因美線は山陰本線の支線、姫新線は山陽本線の支線として建設されています。

【‘17年05月03日追記】

ここ数年、この「扇形機関車庫設計標準」について、国内の研究者の方々が各誌に発表されておられますが、 その基礎資料として用いられている旧国鉄編纂の『鉄道技術発達史』(昭和34(1954)年)の中の、 「扇形機関車庫設計標準」についての記述に誤りがあるため、誤った認識に基づいた発表がなされているようです。
『鉄道技術発達史』には、扇形庫の区分を「甲種」、「乙種」、「丙種」の3種に区分したような記述がなされていますが、 昭和初期の「扇形機関車庫設計標準」そのものには、「甲種」、「乙種」の記載はありますが、「丙種」の記載はありません。
つまり、扇形機関庫に「丙種」は存在せず、あえて区分するならば、以下のとおりとなります。

設計標準で規定しているように、扇形機関庫は機関車の収容のみでなく、 修繕や検査も行うことが出来るようになっています。
蒸気機関車の動輪や炭水車を外して行う大規模修繕や、6か月ごとに行う「六か月検査」(略して「六検」)を行うことが出来る機関庫は、 なるべく一つの運輸事務所(複数の線区の駅や機関区などを管轄する地方機関)管轄区域内に一ヶ所設けられることになっており、 こうした機関庫は、複数の機関区の車両の大規模修繕や六検を受け持っていたことから、「集中機関庫」と呼ばれていました。
設計標準では、この集中機関庫の検査修繕線・修繕職場は機関庫を後方に延伸して設けるものと規定しており (つまりこの部分の扇形庫の奥行きが深くなる)、甲種の機関庫・乙種の機関庫それぞれにつき、 この検査修繕線が3線のもの(ここでは「Aタイプ」とします。)と、2線のもの(「Bタイプ」とします。)に分類していました。
ただし、地形上やむを得ない場合や集中機関庫以外の機関庫では、機関庫の奥行きは延伸せずそのままとし、 検査修繕線の横、扇形庫の端に修繕職場を設けることとしていました(これを「Cタイプ」とします。)。
岡山運輸事務所管内では当時既に岡山機関区が集中機関庫となっており、 自区のほか姫路・糸崎・新見・津山の各機関区の車両の大規模修繕や六検を受け持っていました。
従って津山の扇形機関庫は、乙種でCタイプの機関庫として造られたのです。

以上のように、設計標準によって規定された統一基準によって、大正末期以降の各地の扇形機関庫は造られましたが、 この設計標準では、屋根や外部デザイン、鉄筋コンクリート造か鉄骨造かといった構造については規定されていません。
内部作業で必要な明るさを採るために設ける採光窓や屋根の構造は地方的事情を考慮したものとすること、 といった程度に止められており、このことから、デザインや屋根、構造といった部分については、 それぞれの扇形機関庫を設計する機関の裁量に任されていたことがわかります。
各地の扇形機関庫の建設は、当時の鉄道省の地方機関(各地の建設事務所や改良事務所)が行っており、 津山の扇形庫は、岡山建設事務所が担当していました。
この扇形庫の特徴である直線的でシンプルなデザインや、モダニズム建築の影響を受けている点、 また当時の最先端の建築技術であった無梁スラブ構造が採用されたことは、 当時の岡山建設事務所の方針や設計担当者の設計思想が強く反映されたものと言えるでしょう。

●ちなみに・・・

旧国鉄の構造物に対して無梁スラブ構造が使われるようになったのは、 東北本線 秋葉原ー御徒町間の貨物線高架橋(昭和4(1929)年竣工)が最初です。
この高架橋は、従来の高架橋から分岐し増設する形で設けられたため、分岐部分には、 梁を用いない無梁スラブ構造の特性が生かされています。
それから5年後の昭和9(1934)年、扇形機関庫に無梁スラブ構造を用いた最初の実例と思われる大分・豊後森の扇形機関庫が建設され、 さらに2年後の昭和11(1936)年、津山の扇形機関庫が建設されます。

津山の扇形機関庫の翌年(昭和12(1937)年)の2月に竣工した三代目の名古屋駅(現在のセントラルタワーズになる前の駅舎)は、 駅本屋(RC造地上5階(一部6階)、地下1階建て)に隣接するホーム群を高架化し、その高架下のコンコースを、 駅の東西(現在の桜通口と太閤通口)を結ぶ自由通路とすることによって、改札を通らなくても、 駅の東西を行き来できるようにしたことで知られています。
このコンコースに無梁スラブ構造が採用され、これは我が国最初の試みだったとされています。(『駅のはなし』による)
現在ではこのコンコースも改装され、構造状況を窺い知ることは出来ませんが、 広いコンコースで無梁スラブを支える支柱群の様子は、壮観なものだったのではないかと思います。

第一御徒町高架橋
名古屋駅コンコースのフラットスラブ
秋葉原ー御徒町間の第一御徒町高架橋。
旧国鉄で最初に無梁スラブ構造が採用された。
現在は高架下が再開発され商業施設になっているが、施設内のデザインの一部としても、無梁スラブ構造が生かされている。
('10年10月撮影)
名古屋駅コンコースの無梁スラブ。
見づらいが、補強ハンチと支板が確認できる。
工事のため天井の化粧板を外してあるところを撮影したもの。
('07年2月撮影)


■ 現在の状況
現在の扇形庫平面図
現在の扇形庫の平面図(管理人作成)
昭和46(1971)年を最後にSLの配置が無くなって以降、 1〜4番庫及び修繕室にあったSL時代の設備は撤去され、修繕室から3番庫にかけては、 機関区構内から発生する排水を浄化処理する排水処理装置(加圧浮上式)が昭和51(1976)年に設置されましたが、 老朽化により使用していなかった部分が平成20(2008)年3月に撤去され、 さらに、平成28(2016)年4月に「津山まなびの鉄道館」としてオープンしたことに伴う収容線の工事により、 1〜4番庫の収容線が再設置されました。
ただし、2〜4番庫のアッシュピットや、2番庫のドロップピットは復元されていません。
現在、排水処理装置は元修繕室部分にあります。

16〜17番庫の収容線のレールは撤去され、庫内には昭和44(1969)年に設置されたプレファブ2階建ての元・検修詰所棟があります。
この検修詰所棟が設置された際、15番庫と16番庫の間には、コンクリートブロックで壁面が設けられています。
この元・検修詰所棟の1階は、現在、「津山まなびの鉄道館」の『まちなみルーム』として使用されています。

5番〜15番の収容線には、それぞれアッシュピットが残っています。
また、6番庫と8番庫は、収容線のアッシュピットのほか、レールの外側も掘り下げて、 気動車の台車・床下機器等の検修用とみられるピットを、昭和53(1978)年に設けてあります。
8番庫は、この扇形機関庫が車両の展示施設となって以降も現役車両の応急的な修繕場所としての機能を確保するため、 平成23(2011)年にフェンスで囲う工事が行われ、通常は閉鎖されていますが、 応急的に入庫しての修繕が必要な現役車両がある場合、フェンスの扉が開けられ、車両が入庫出来るようになっています。
6番庫と7番庫の間の内部支柱には、旋回型のホイスト式壁クレーンが設置されていましたが、 平成19(2007)年4月には撤去されています。
なお、鍛冶場として使用されていた部屋は、現在、電源室となっています。

外壁については、建設から80年以上が経過しているため、鉄筋コンクリートが痛んでいる部分が各所に見られますが、 平成21(2009)年には、外壁の老朽化している部分の点検も行われ、 平成28(2016)年と翌年の平成29(2017)年には、外壁面の全面補修および、 窓ガラスの交換(スチールサッシュの横軸回転窓をアルミサッシュのはめ殺し窓に、ガラスをポリカーボネートに、それぞれ交換)が行われています。
また、17番庫(現在『まちなみルーム』がある部分)側の側面外壁は、 かつては背面部分と同じような窓が配置されていましたが、昭和44(1969)年に検修詰所棟が設置された後、 これらの窓とその周囲の壁の一部を撤去してあります。
2〜4番庫と6番庫及び8番庫正面部分には、正面支柱に鉄骨が取り付けられ、波板で屋根を延ばしてあります。
SLの配置が無くなって以降、この扇形庫は車体の長さが20〜21m級の気動車の整備に使用されており、 車両の端が扇形庫からはみ出すため、当初は、6番庫と8番庫部分のみ設置されていました。
現在では、扇形庫へ展示されている車両を観るための雨よけのため、2〜4番庫にも増設してあります。
屋根部分については、煙抜きの煙突については全て撤去され、 殆どは蓋をして塞いでありますが、5番〜11番庫部分の屋根は平成7(1995)年頃に、 その他の部分の屋根は平成21(2009)年に、それぞれ防水施工(アスファルト防水)が再度施されています。
こうした屋根面の防水の改修や老朽化した外壁の点検などは、 平成21年になるまでは扇形庫全体ではなく、一部分のみ行われるに止まっていました。
しかし、一般公開などを通じて貴重な鉄道遺産であることが知られるようになり、 また平成21(2009)年2月には経済産業省が選定した「近代化産業遺産」に、 その前年10月にはJR西日本が選定した「登録鉄道文化財」にも選ばれ、 今後この扇形機関庫を保存活用する方向性が徐々に出来つつあることから、 平成21年になって扇形庫全体の改修・点検が行われることになったものです。

修繕室部分に残る排水処理施設
再設置された2〜4番庫の現状
上の画像のうち左側は、修繕室部分に残る排水処理施設を見たもの。
設備の大半が撤去されたが、修繕室部分に処理槽が残っている。
また右側の画像は、再設置された2〜4番庫の収容線の現状。
本来は、2番庫の中央付近にドロップピットが、2〜4番庫それぞれにアッシュピットがあったが、 それは復元されていない。

6番庫の検修ピット
17番庫側の側壁外面
上の画像のうち左側は、6番庫の検修ピット。
同様のピットが、8番庫にも設置されている。
また右側の画像は、17番庫側の側壁外面。
昭和44(1969)年に検修詰所棟が設置された後、窓とその周囲の壁の一部を撤去してある。

17番庫正面側の現状
1番〜6番庫正面側の現状
左の画像は、16番・17番庫正面側の現状。
17番庫部分に設置された検修詰所棟の1階は、現在、『まちなみルーム』として活用されている。
また、15番庫と16番庫の間には、コンクリートブロックで間仕切壁が造られている。
この壁は、昭和44(1969)年に検修詰所棟が設置された際に設けられた。
右の画像は、1番〜6番庫正面側の現状。
2番〜4番、6番、8番庫では正面支柱に鉄骨を取り付けて屋根を延ばしている。


かつては扇形庫の裏側にも機関区の建物等が並んでいましたが、現在は何もないため、 横を通る津山線・姫新線の車窓や外周の道路からも、扇形庫の裏側部分を見ることが出来ます。
建設当初の窓ガラスは全て、新しくアルミサッシュにポリカーボネートをはめ込んだ、 はめ殺しの窓に取り換えられています。
また、外壁は全面的に補修されています。
扇形庫の裏側部分の現状
扇形庫の裏側部分の現状(平成29年4月現在)。
扇形庫の裏側は、現在、来館者の駐車場となっている。

■旧津山機関区 扇形機関庫の今後についての私的意見■

全国に残る扇形機関庫(転車台も含めて)は、蒸気機関車全盛時代の名残であると同時に、 鉄道が近代社会の発展に貢献してきたことを示す遺産の一つでもあります。
(梅小路や天竜二俣、手宮などの扇形庫は、文化財としても、その価値を認められています。)
そうした意味でも、ここ津山の扇形機関庫は、全国に現存する数少ない扇形庫の一つとして、 また、現存するものの中でも梅小路に次ぐ規模のRC造扇形庫として、 貴重な施設といえます。
同時に、鉄道を含めたこの地域の歴史を語る「生き証人」の一つでもあります。

現在の扇形機関庫の状況は、建設された当初と比較すると、 手が加えられている部分も各所にありますが、基本的な部分は当時の様相をよく残しています。
戦前の建築様式を示すものとしても「津山に遺すべきもの」の一つであり、 貴重なディーゼル車両を保存展示する「津山まなびの鉄道館」として一般公開施設となった経緯を踏まえ、 この扇形機関庫を今後も末永く保存活用していくためには、「耐震補強」は避けて通れない道です。
「耐震補強」は、扇形庫の躯体維持のためだけではなく、来館者が扇形庫内部(現在は立入禁止)へ入って見学出来るよう、 安心・安全を確保する意味もあります。
扇形庫の文化財的価値を考えた場合、この「耐震補強」際しての補強方法は、 扇形庫の内観・外観に与える影響を充分に考慮して行われるべきものであり、 今後、ここ津山の扇形機関庫の「耐震補強」が検討される場合、そのようなコンセプトで行われることを強く望みます。

梅小路の扇形庫の外壁に設けられたブレース
梅小路の扇形庫の耐震補強のため、外壁に設けられた太いブレース(筋交い)。
梅小路の扇形庫は国指定重文のため、耐震補強工事においては文化庁等との協議が重ねられたが、 プレースの多用は、内観・外観を大きく損なう可能性がある。

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