津山が誇る鉄道文化遺産 〜旧津山機関区 扇形機関庫〜

「津山まなびの鉄道館」開館までの道のり 〜「鉄道文化遺産」扇形機関庫の保存活用〜


2017/05/03開設
─── 津山近郊には、旧美作河井転向給水所 転車台や美作滝尾駅、知和駅、美作千代駅の駅本屋など、 今では貴重となった建造物、設備が点在しています。
 現在、これら貴重な鉄道文化遺産・近代化遺産を保存活用しようという機運が高まっています。

 その中心となるのが、旧津山機関区の扇形機関庫・転車台です。

旧津山機関区 扇形機関庫に集う車両たち
旧津山機関区 扇形機関庫に集う車両たち


● 解体を免れた貴重な鉄道文化遺産「旧津山機関区・扇形機関庫」

 津山駅には、かつて津山機関区のほか、津山保線区や津山車掌区、新見客貨車区津山支区などがあり、 現在でも、9本の留置線を有する津山運転区があるなど、広大な敷地に各線を走る車両が行き交っています。
それはこれまで、この地域で鉄道輸送が盛んに行われ、地域の発展を支えてきた「証し」とも言えます。
 旧津山機関区の扇形機関庫・転車台は、その象徴的存在であり、また、SLが鉄道輸送の中心であった頃の名残が 徐々に各地から消えてゆく中で、全国でも12か所しか残っていない扇形機関車庫の一つとして、 貴重な鉄道文化遺産であることを、当サイトでも10年以上にわたり、お知らせしてきました。

旧津山機関区の扇形機関庫は昭和11(1936)年に建設された、フラットスラブ構造のRC(鉄筋コンクリート)造17線の機関車庫です。
当時流行した直線的なデザインで構成され、当時の先端技術で建設された機関車庫で、 最盛期には37両が所属していた津山機関区のSLの整備や点検の場として使用されてきました。
昭和46(1971)年を最後にSLの配置が無くなると、津山線・因美線・姫新線で運用されるディーゼルカーの整備・点検の場へと 変わりますが、国鉄からJRへ移行した頃になると、ディーゼルカーの主要な整備・点検は岡山気動車区などで行われることが多くなり、 扇形機関庫は次第に使用される機会が少なくなっていきました。

また、建築後50〜60年を経過し、躯体自体も老朽化してきていることから、平成9(1997)年、JRは旧津山機関区の扇形機関庫を、 同時期に建設された旧津山機関区事務所棟などとともに解体することとしました。
しかしながら、国鉄OBの中から「津山機関区の象徴として扇形車庫を残してほしい」という声が上がり、またJR側も解体費用等を 再調査したところ、扇形機関車庫部分の解体費用が巨額になることが判明。
こうして、平成9(1997)年12月に行われた旧津山機関区の諸施設の解体工事には扇形機関庫は含まれないこととなり、 当面、解体を免れることとなったのです。

転車台で方向転換するSL
転車台で方向転換するSL(平成4(1992)年5月)
しかし、扇形機関庫に入庫することはなかった。

● 動き出した保存活用への流れ

解体を免れた扇形機関庫ですが、しばらくは使われない状態が続きました。
この間にも、割れた窓ガラスは増え続け、荒れ放題の様相を呈していきました。
平成14(2002)年になり、ようやく活用策が検討され始めます。
当時、岡山電車区気動車センターの留置線で長年風雨にさらされ、錆だらけになっていた、 旧国鉄時代の試作ディーゼル機関車DE50−1号機が、鉄道ファンの有志により綺麗に再塗装されたため、 このDE50-1号機の保管場所として選定されたのです。
DE50−1号機は、平成14(2002)年12月、津山線経由で輸送されました。
しかし、これはあくまで当面の車両の保管を目的としたもので、一般に公開されることもなく、 また、扇形機関庫の活用を目的としたものではありませんでした。

解体を免れた旧津山機関区 扇形機関庫  旧津山機関区 扇形機関庫へ収容されたDE50−1号機
左側は、解体を免れた旧津山機関区 扇形機関庫(平成12(2000)年8月撮影)
右側の画像は、旧津山機関区 扇形機関庫へ収容されたDE50−1号機

そのような中で、この旧津山機関区の扇形機関庫・転車台に価値を見出し、『津山の財産として何とか保存活用すべきではないか』という 動きが現れ始めます。
まず、この扇形機関庫・転車台の価値・希少性をJRへ唱えた団体が二つ、現れます。
「津山町並保存研究会」は津山周辺の建築士の有志を中心に構成され、津山に残る貴重な建築物の実測調査などを行い、 その図面展の開催・図録の献本などを通じて、より多くの人に「まちの記憶」に触れて関心を持ってもらい、 これらの保存活用にも繋げていくことを目的とした団体です。
また、「エコネットワーク津山」は、津山地域を中心に自然や環境についての学習や知識の普及を通じて、 より環境への負荷の少ない地域社会を目指す団体です。
「津山町並保存研究会」は、旧津山機関区の扇形機関庫・転車台を『後世に遺すべき津山の財産』として 平成16(2004)年より実測調査の検討を開始し、JRから許可の下りた平成17(2005)年夏から翌年の平成18(2005)年にかけて、 実測調査を実施。
この実測調査で作成された図面の数々は、平成18(2006)年秋に開催された図面展で公開されたほか、図録にまとめられ、 県内の図書館等へ納められました。
一方、「エコネットワーク津山」も、津山の財産である扇形機関庫・転車台を保存活用していくことで、 津山地域内外のより多くの人に津山の鉄道に興味を持ってもらい、地域の公共交通機関である鉄道の利用促進にもつながるのではないか、 という観点から、JRと協議の上、平成18(2006)年6月に、扇形機関庫・転車台の見学会を実施。
この見学会には、全国から多くの参加者があり、見学会終了後に行われた意見交換会では、 『ディーゼル車両の博物館にしてみてはどうか。』との声も複数寄せられました。
以降、「エコネットワーク津山」は、扇形機関庫・転車台の見学会を、度々実施するようになりました。
このほかにも、平成17(2005)年3月に刊行された『岡山県の近代化遺産』にも掲載されるなど、旧津山機関区の扇形機関庫・転車台の価値は、 徐々に見直されていったのです。

「エコネットワーク津山」主催の見学会
「エコネットワーク津山」主催の見学会
(平成18(2006)年6月)

● 「みまさかローカル鉄道観光実行委員会」と扇形機関庫の一般公開

「津山町並保存研究会」や「エコネットワーク津山」の活動は、岡山県内の新聞など、報道でも取り上げられ、 その結果、この扇形機関庫・転車台を近代化遺産として、また地域の観光資源として段階的に保存活用を行っていく構想が持ち上がりました。
折しも、平成19(2007)年4月〜6月にかけて、岡山県とJR6社がタイアップして大型観光キャンペーン「岡山デスティネーションキャンペーン」 が行われることとなっており、美作エリアの実施イベントとして、エリア内のJR路線にある昔懐かしい木造駅舎や、 近代化遺産であるこの扇形機関庫・転車台を巡ってもらうツアーなどの実施構想が持ち上がりました。
それに先駆けて平成19(2007)年1月に立ち上げられたのが、JR西日本岡山支社や岡山県、津山市、美作観光連盟、 津山市観光協会、西日本鉄道OB会津山支部、津山商工会議所、津山町並保存研究会、エコネットワーク津山などで構成される、 「みまさかローカル鉄道観光実行委員会」です。

この「みまさかローカル鉄道観光実行委員会」では、まず因美線を中心とした沿線エリアを楽しんでもらう『みまさかスローライフ列車』の運行が決まり、 これに充てる車両として、運行期間中、JR四国からキハ58・キハ65の国鉄急行型気動車を借り入れることになりました。
また、旧津山機関区の扇形機関庫・転車台については、保存活用に向けての第一段階として、 キャンペーン期間中、扇形機関庫内部に保管されていた試作ディーゼル機関車DE50−1号機とともに、 観光スポットの一つとして、一般公開することとなりました。

また同時に、扇形機関庫に隣接して「懐かしの鉄道展示室」を設け、この一般公開も行われました。
この鉄道展示室は、2階建ての旧詰所棟(旧乗務員宿舎棟)の1階の一部を改造し開設するもので、 タブレット閉塞機や気象警戒板、行先表示板など、主に国鉄時代に使用された鉄道の備品を中心に展示。
また、扇形庫の実測調査図面や津山駅開業当時の写真、美作地方の旧国鉄線の歴史のパネル展示などで、 昔の様子を知ってもらおうというものです。

この機関庫や「懐かしの鉄道展示室」の一般公開には幅広い層から予想を上回る見学者が来場。
好評を得たため、「岡山デスティネーションキャンペーン」終了後の7月末〜11月末の期間で、再度一般公開が行われることとなり、 これにあわせて、後藤総合車両所(米子支社管内)所属で寝台特急『出雲』を牽引していたディーゼル機関車DD51−1187号機を 転属させ、扇形機関車庫に収容・展示することにより、扇形機関車庫での展示車両は2両となり、 さらに「懐かしの鉄道展示室」も拡張・リニューアルが行われました。

これと同時に、「みまさかローカル鉄道観光実行委員会」では、津山地域の鉄道遺産を本格的に保存活用していくことを見据え、 内部組織として、旧津山機関区の扇形機関庫・転車台の保存活用策の検討を行う「機関庫部会」と、 因美線での『みまさかスローライフ列車』の運行等の検討を行う「因美線部会」を結成。
「機関庫部会」には、JRからは岡山支社担当者や津山駅長・津山運転区長など、また岡山県美作県民局担当者・ 津山市観光振興課担当者・津山市観光協会担当者・津山町並保存研究会代表者・エコネットワーク津山代表者が参加し、 そこに、鉄道、とりわけ扇形機関庫・転車台の専門的知識を有する立場から、吉備国際大学の小西准教授と、 私(当サイト管理人)がメンバーに加わり、平成19(2007)年9月より、議論・検討がスタートしました。

● 「機関庫部会」における保存活用策の検討

この「機関庫部会」では、旧津山機関区の扇形機関庫・転車台について、
 @保存活用ができるのか?
 A保存活用できるのであれば、どのようなコンセプト・方向性の施設とするべきか?
 B公開方法や公開スケジュールは?
 CPR方法や集客につながるアイデアなど
以上の点を中心に、多い時では月1回のペースで、会議が行われました。

「機関庫部会」で保存活用策について議論が行われていた間も、扇形機関庫・「懐かしの鉄道展示室」の一般公開は行われ、平成19年は約4,800人が見学。
平成19(2007)年11月からは、この秋からの『みまさかスローライフ列車』等に使用するため、広島運転所(広島支社管内)から転属させた 国鉄急行色の塗装を施した急行型気動車キハ58−563とキハ28−2329が展示に加わり、扇形機関庫の展示車両は4両に。
(このキハ58−563とキハ28−2329は、平成22(2010)年秋まで現役車両として使用され、扇形車庫から出庫しているときもありました。)
この当時は、津山駅前で受付を津山市・津山市観光協会が担当し、定時になったところで、 津山駅長や他の職員が津山駅前から駅構内を経由して扇形機関庫へ見学者を案内・説明する一方、 「懐かしの鉄道展示室」では国鉄OBが解説するといった、ツアー方式をとっており、 構内のレールや扇形車庫・展示車両についての駅長等の説明、また展示室でのOBの解説に、熱心に聞き入る光景が見られました。

一般公開(機関庫)の様子
「懐かしの鉄道展示室」
平成19(2007)年の一般公開の様子。
現在では貴重となった扇形機関庫や転車台、また庫内の貴重な展示車両の見学に、大勢が集まった。
「懐かしの鉄道展示室」の横には、かつて津山線福渡駅で使用されていた腕木式信号機が設置された。

扇形機関庫・転車台の保存活用策について検討してきた「みまさかローカル鉄道観光実行委員会」の「機関庫部会」では、議論の結果、 扇形機関庫・転車台の価値を再認識し、この貴重な鉄道遺産を津山の財産として活用させる方向で一致したと同時に、
 @扇形機関車庫の耐震補強・補修を行い、有形登録文化財への申請を目指す。
 A他にない特色ある施設として、ディーゼル車両を中心とした国鉄型車両を扇形機関車庫に収集・展示する。
 B鉄道ファンだけでなく、子どもがいろいろ学ぶことが出来る施設とすること。
 C現役施設としての役割を残しながら、研修施設としての役割を持たせる。
 D機関車庫南西側をエントランスとし、機関車庫裏手側を駐車場等として活用する。
 E津山の機関庫をPRするためのグッズを開発する。
といった案が、メンバーから提示されました。
しかし、施設を所有するJR側としては、『前向きに取り組みたいが、これだけの事業を行うことになると、億単位の予算が必要であり、 JR西日本各支社を含めた全社を挙げての支援体制が必要であるが、現時点では岡山支社内部での体制が出来たところであり、時間が必要。 また、文化財指定の申請は、現時点では困難。』とのことであり、 この部会で出た案は、JRや津山市・津山市観光協会などがそれぞれ持ち帰り、将来的な実現に向けて、 内部での検討材料とされることとなりました。

● 年々充実してきた扇形機関庫・「懐かしの鉄道展示室」の一般公開

平成19年の扇形機関庫・「懐かしの鉄道展示室」の一般公開と同様の形式での一般公開は、平成20(2008)年以降も継続されることとなり、 平成20(2008)年の一般公開では、JR四国から、 多度津工場で保存されていた亜幹線・支線区用の万能タイプのディーゼル機関車DE10−1号機を借り入れ、 平成21(2009)年5月まで展示。
この平成20年の10月には、津山扇形機関車庫・転車台が、JR西日本が社内制度として設けている『登録鉄道文化財』に選定されました。
この『登録鉄道文化財』制度は、旧国鉄が設けた『鉄道記念物』制度を基本に、『鉄道記念物』に準ずるものを『準鉄道記念物』とし、 その『準鉄道記念物』の候補となりうるものを『登録鉄道文化財』としたもので、法的な文化財という意味ではなく、 保全の努力規定はあるものの、義務が課せられるものではありませんでした。
しかし同年には、津山扇形機関車庫・転車台が、地域の産業近代化の歴史を物語る貴重な施設であるとして、 経済産業省からも『近代化産業遺産』の指定を受けることとなりました。
(同時期に、会津若松の扇形機関車庫なども指定を受けています。)
この平成21(2009)年には、一般公開を行いながら扇形機関庫屋根スラブ面の全面防水工事が実施されました。

「近代化産業遺産」のプレート(機関庫)
「近代化産業遺産」のプレート(転車台)
平成21(2009)年に設置された、「近代化産業遺産 平成20年度選定 経済産業省」のプレート。
扇形機関車庫の前面柱と、転車台にも設置された。
屋根面防水工事後の様子
壁面の劣化状況の調査
平成21(2009)年には、扇形庫全体の屋根面防水工事が行われた。
このときの施工部分では、煙突のあった穴の跡も、そのまま残すよう配慮されている。
また、壁面の鉄筋コンクリートの劣化状況の調査も行われた。

一方、「みまさかローカル鉄道観光実行委員会」では、扇形機関庫・転車台の保存活用策の議論について、 一定の方向性を導くことが出来たとして、平成22(2010)年3月をもって、「機関庫部会」を「因美線部会」へ統合する形で、部会を廃止。
(私(当サイト管理人)は、これ以降、「みまさかローカル鉄道観光実行委員会」のメンバーから外れることとなりました。)

平成22(2010)年の一般公開では、糸魚川鉄道部(金沢支社管内)から、 大糸線で使用されていた昭和30年代に製造された山岳路線用(エンジン2基搭載)の一般型気動車キハ52−115と、 鳥取鉄道部(米子支社管内)から、旧国鉄時代の客車オハ50にエンジン等を搭載し改造して気動車化したキハ33−1001が、 それぞれ展示に加わり、展示車両は6両に。
「懐かしの鉄道展示室」も、入口にスロープを設置の上、さらにスペースを拡大。
また、見学の待合スペースにもなっていた駅前観光案内所内に、昭和40年代前半頃の津山機関区の様子を再現したジオラマを設置。

キハ52の入庫式
駅前観光案内所内のジオラマ
平成22(2010)年の一般公開初日には、キハ52ー115の入庫式も行われた。
駅前観光案内所のジオラマは、Nゲージのサイズで、電動で転車台が回転する精巧なもの。

平成23(2011)年の一般公開からは、駅の構内踏切を見学者に利用させる危険性が以前から指摘されていたこともあり、 「機関庫部会」で出た案のとおり、機関車庫南西側をエントランスとし、受付も現地に設けることに変更。
さらに見学者の使用できるトイレが、JR社員が通常使用使用しているところしかなく、不便であったことから、 「懐かしの鉄道展示室」建物横に多目的トイレを設置。

扇形機関庫南西側に設けられたゲート
機関庫横での受付風景
平成23(2011)年に設置された、機関庫南西側のゲート。
以後、ここをエントランスとして使用することとなる。
また一般公開の受付は、ゲートを入った付近に変更された。
「懐かしの鉄道展示室」横の多目的トイレ
「懐かしの鉄道展示室」横に設置された多目的トイレ。
車いす利用者も使用が可能。

また、展示車両も、京都総合車両所から、昭和40年代に製造された山岳路線向けの特急形気動車の先頭車キハ181−12が、 金沢総合車両所から、昭和30年代に大型のラッセル板を備えた除雪用機関車として製造されたDD15−30号機が、 後藤総合車両所から、昭和30年代に製造され、駅構内で貨車などの入換作業に使用されていた10t入換動車が、 それぞれ加わり、扇形機関庫への展示車両は、合計9両となりました。
平成24(2012)年の一般公開からは、扇形機関庫16・17番庫部分に造られていた2階建ての旧詰所棟の1階部分に、 津山の街並みや津山駅を模した鉄道模型のジオラマを展示した「津山街なみ展示室(鉄道模型)」がオープンしました。
この「津山街なみ展示室(鉄道模型)」の鉄道模型の操作は、市内の鉄道模型店が受託しました。

「津山街なみ展示室(鉄道模型)」
「津山街なみ展示室(鉄道模型)」のジオラマ

この扇形機関庫・「懐かしの鉄道展示室」では、展示車両や展示室など、「ハード面」の整備だけでなく、 見学者の方に楽しんでもらうためのイベントの実施や仕掛け作りなど、「ソフト面」の整備も行われていきました。
平成19(2007)年の一般公開開始以降、一貫して続けられてきたのが、「懐かしの鉄道展示室」でのOB等による解説。
戦前からの津山駅・津山機関区の姿を知るOBの解説は、なかなか聞くことの出来ない貴重なものでした。
また、一対のタブレット閉塞機を実際に操作し、単線区間でのタブレット使用の様子を再現する「タブレット閉塞機の実演」は、 全国的にも大変珍しいとあって、熱心に見学する鉄道ファンが相次ぎました。

タブレット閉塞機の実演
「懐かしの鉄道展示室」の様子
画像は平成21(2009)年の一般公開の時の様子。
「懐かしの鉄道展示室」では、鉄道OBがタブレット閉塞機の操作の実演や、その他さまざまな貴重な展示品の解説を行ってくれた。

平成23(2011)年の一般公開からは、子どもサイズのJRの制服・制帽(デザインは正式なものと同じ)と、記念の撮影台が用意され、 子ども連れの見学者には、展示車両の前で子どもに制服を着せて記念撮影を出来るとあって、行列が出来る日があるなど、 好評を博していました。

制服を着て記念撮影
子ども用制服を着て、キハ52の前で記念撮影。

平成24(2012)年の一般公開からは、JRの関連会社や津山市観光協会会員業者などが作るオリジナルグッズなどの販売も始められます。
平成25(2013)年の一般公開では、キハ52−115を転車台に載せて方向転換させるイベントを実施。
さらに、キハ181ー12の車内を公開。
これには、キハ181−12を扇形庫から3mほど引き出した上、運転台から車内へ出入りできるよう、タラップを設置して実施しました。

キハ52の転車台イベント
平成25年の受付の様子
左側は、転車台に載ったキハ52−115の回転イベント。
右側は、平成25(2013)年の一般公開の受付の様子。
この頃になると、見学開始の時間より早く来る見学者の方の待合場所・日差しや風雨を避ける場所として、 この場所にテントが常設されるようになった。

平成26(2014)年の一般公開では、ラッセルヘッドが重いDD15−30号機を除く各展示車両を、扇形庫から3mほど引き出す「頭出し」や、 定期的に、転車台へ載せて方向転換させるイベントのほか、キハ58−563の車内を公開し、この車内で写真展も実施されました。

展示車両の「一斉頭出し」
転車台に載ったキハ181−12
どちらも平成26(2014)年の一般公開の時の様子。
展示車両の「一斉頭出し」は終盤に一度きりの実施だったが、展示車両を1両ずつ引き出して転車台に載せての展示は、 定期的に行われた。
キハ58車内の写真展(1)
キハ58車内の写真展(2)
また、キハ58ー563の車内で行われた写真展は、窓枠をフレームに見立て、窓枠大に引き延ばした写真を貼り、 車外からライトで照らす方法で行われた。
見学者は昔ながらのシートに座り、昔懐かしい写真を鑑賞した。
展示車両の移動に導入された「アント車両移動機」
また、平成25(2013)年まで展示車両の移動は人力で(押して)行われていたが、 平成26(2014)年より、他区で不用となった「アント車両移動機」が導入され、作業効率が上がった。

また、さらに鉄道ファン向けのサプライズイベントとして、DD51−1187号機に寝台特急「出雲」のヘッドマーク(レプリカではなく本物)が、 キハ58−563に急行「砂丘」のヘッドマークが、それぞれ取り付けられるイベントも実施されました。
こうした「ハード面」「ソフト面」での取り組みの結果、一般公開がスタートした平成19(2007)年以降、 見学者数は、平成26(2014)年まで、約5〜6,000人/年の間で推移する事になります。

「出雲」のヘッドマーク(本物)をつけたDD51を撮影する大勢の見学者
「出雲」のヘッドマーク(本物)をつけたDD51−1187号機を撮影する大勢の見学者(平成26(2014)年5月)


● 一般公開における関係者の努力

年間50日近く実施されてきた扇形機関庫・「懐かしの鉄道展示室」では、現役施設の一般公開であるため、見学者の安全をいかに確保するかという点も、 常に関係者を悩ませてきました。
平成19(2007)年の一般公開スタート時には、公開エリアと非公開エリア(立入禁止)部分との境界が明確でなく、 見学者が危険な場所へ立ち入るケースが続出。
このため、平成19(2007)年の一般公開では、カラーコーンとコーンバーなどを用い、見学エリアと立入禁止である留置線部分を区分け、 平成21(2009)年には、見学エリアと留置線部分の境界に一部フェンスを設置。
平成22(2010)年の一般公開からは、転車台の周囲にも、仮設の安全柵を設置(当初はポールとトラロープ、後にカラーコーンとコーンバーを使用)。
さらに、平成23(2011)年には、機関車庫南西側をエントランスに変更したことに伴い、機関車庫背面側へフェンスを設置(壁際は落下物の恐れがあるため)し、 加えて、見学エリアと留置線を完全にフェンスで仕切る(一部は可動扉)こととなりました。
また、扇形機関庫の駆体の老朽化から、天井からコンクリートが剥離していることが確認され、全面補修は行われたものの、見学者の安全を優先し、 平成23(2011)年の途中から、扇形機関庫内部への立ち入りは禁止とされました。

見学エリア境界のフェンス
扇形機関庫内部の様子
左側は、見学エリアと留置線を仕切るフェンス。
転車台へつながる部分は可動扉となっており、留置線上の車両が転車台へ載る場合は、この扉を開放する。
転車台ピット周囲には、作業効率の問題から、カラーコーンとコーンバーで、安全策をとった。
また右側は、立入禁止となる前の、扇形機関庫内部の様子。
DD15−30号機と、10t入換動車が並ぶ。
レールの間にピットがあるが、誤って落ちないように、木の板で塞ぎ、安全策をとっていた。

このような安全策が取られてきたきた結果、走り回って転んでケガをした子どもはいたものの、大きな事故もなく、一般公開を継続することが出来たのです。
このことにより、公開日当日の運営に当たる要員も、イベント実施日等を除けば、JRから2〜3名と、津山市観光協会・津山市から各1名、 「懐かしの鉄道展示室」での解説を行うOB2名、「津山街なみ展示室(鉄道模型)」の模型操作を行う委託業者1〜2名、 さらに、準備から受付・見学者の誘導、解説まで何でも出来るボランティアスタッフ3名(学生2名、社会人1名)の、 計10〜12名程度で運営できる体制にまで整っていきました。

一般公開受付の様子
見学申込者の多い一般公開日は、受付は大忙し。

また、見学者が増えるに従って、自家用車を利用して来場する見学者も増加していきました。
しかし、構内への自家用車の乗り入れは原則出来ず、付近に駐車場もないことから、周辺道路への路上駐車が発生。
地元住民の方々・地元町内会から苦情が相次ぐことになります。
このため、公開日当日の運営にあたる要員が周辺道路を見回り、路上駐車しようとする車に移動を促すなどの取り組みも行いました。
こうした取り組みのほか、地元住民の方々・地元町内会の方々に、この施設の一般公開について、より理解していただくため、 平成24(2012)年7月24日、イベント列車で到着する団体客が夕方から夜にかけて扇形機関庫・「懐かしの鉄道展示室」を見学するのにあわせ、 地元住民の方々を招待した特別公開を実施。
ライトアップされた扇形機関庫前にテーブルと客席、転車台ピット付近に特設ステージが作られ、音楽の演奏が行われたほか、 ビールやホルモンうどんも振舞われました。

夜間の特別公開の様子
夜間の特別公開の様子。
地元の方々が大勢訪れた。

この一般公開の継続実施の水面下では、この扇形機関庫・転車台の永続的な保存活用に向けて、 JR社内における体制が作られつつありました。
まず、岡山支社内部で各セクションからなるプロジェクトチームが編成され、 施設の整備・イベントの実施案などが計画的に検討・予算措置が行われていきました。
その結果、平成21(2009)年の扇形機関庫屋根スラブ面の全面防水工事、平成23(2011)年の機関車庫南西側のエントランス化に伴う ゲート設置やアスファルト舗装・各所へのフェンス設置・「懐かしの鉄道展示室」横への多目的トイレ設置、といった、 少額予算では出来ないようなことも計画的に実施されてきました。
また、この扇形機関庫・「懐かしの鉄道展示室」の一般公開は、岡山支社を挙げてのものであり、イベント実施時などには、 岡山支社長や副支社長なども度々訪れ、現地で直接指揮を執ることもよくありました。
平成26(2014)年9月13日には、今後の観光政策やイベントなどでの協力関係の構築を目的とした、岡山県とJR西日本との包括協定締結式を、 岡山県知事を迎えて、この津山の扇形機関庫で実施。

包括協定締結式の記念撮影
包括協定締結式の記念撮影
左から、伊原木・岡山県知事、岡山県のキャラクター「ももっち」、JR西日本岡山支社のキャラクター「くまなく」、 中村・JR西日本岡山支社長。

こうした一般公開時の様子などを、岡山支社から本社内部・各支社に広く発信すると同時に、 JR西日本の本社から、会長をはじめとする各役員に津山まで来てもらい、一般公開を実際に視察してもらうことで、 旧津山機関区の扇形機関庫・転車台の貴重性、地域資源としての有用性を、本社幹部にも認識してもらうなど、企業内努力も行われてきたのです。
その結果として、この扇形機関庫・転車台・「懐かしの鉄道展示室」について、JR内部での協力体制が次第に整い、 本社内部でも、この扇形機関庫・転車台を活用した車両の展示・学習施設の検討が行われるようになったのです。

● 実現した常設展示施設『津山まなびの鉄道館』の開館

そしてJRは、平成26(2014)年の一般公開終了後、約1年をかけて扇形機関庫・「懐かしの鉄道展示室」をリニューアルし、 新たな展示施設を整備すると発表。

平成27(2015)年3月には、新たな展示車両として、前年に閉館した大阪の交通科学博物館に展示されていたSL・D51−2号機(通称「ナメクジ」)、 ディーゼル機関車・DD13−638号機とDF50−18号機が、それぞれ陸送により搬入され、3月16日には、関係者・報道関係者を招いて、 D51−2号機の扇形機関庫への入庫式も行われました。

D51−2号機の入庫式
陸送されたDF50−18号機
3体に分割されて陸送されたD51−2号機は、津山駅ホーム南側の留置線で組み立てられ、 駅構内をDE10形ディーゼル機関車に牽引されて移動。
転車台で方向転換した後、扇形機関庫に入庫した。
右側は、陸送された後、クレーンで吊るされ、トレーラーから線路上へ移されるDF50−18号機。

次いで、同年8月には、金沢総合車両所富山支所より、主に大糸線の除雪にあたっていた除雪用ディーゼル機関車・DD16−304号機が回送され到着。

新たな施設の運営形態については、JR・津山市・津山市観光協会の間で、また「みまさかローカル鉄道観光実行委員会」で協議が行われてきた結果、
 @常設の公開施設とすること。
 A施設及び展示品については、JRの帰属とすること。
 A施設の運営については、津山市観光協会が行うこと。
 BJR社員があたる展示車両の移動や転車台の操作を除き、基本的には津山市観光協会の人員でまかなうこと。
以上の点を基本とした形態で運営することとし、同年12月、リニューアルオープンのプランを正式に発表。
扇形機関庫への展示車両を、これまでの9両から13両へと増やすことにより、車両が入庫可能な収容線が不足することから、 レールが取り外されていた1〜4番庫に、レールを再設置。
(ただし、2番庫のドロップピットは復元されませんでした・・・。)

復元されたレール(2〜4番庫部分)
修復された機関庫背面側の窓
扇形機関庫への収容車両を増やすため、1〜4番庫の線路が復元された(画像は2〜4番庫)。
2番庫には、かつてSLの動輪を取り外すための「ドロップピット」があったが、それは復元されていない。
また、機関庫背面側の窓も、一部修復された。
これは平成21(2009)年、試験的に前面側に1枚だけ取り付けられたものと同種のもので、 特注のサイズ・デザインのアルミサッシュに、ガラスの代わりにポリカーボネート板をはめてあるが、 本来は横軸回転窓のところ、嵌め殺し窓にしてある。

また、津山の街並みや津山駅を模した鉄道模型のジオラマがある「津山街なみ展示室(鉄道模型)」が『まちなみルーム』へ、 「懐かしの鉄道展示室」が、岡山の鉄道の歴史を学べる『あゆみルーム』と鉄道の運行の仕組みを学べる『しくみルーム』へ、 それぞれリニューアルされ、さらに、課外学習などで訪れる団体が映像資料などで学習出来るよう、 『まなびルーム』(鉄道館入館受付・事務所を併設)を新たに設置する、というものとなりました。
さらに、「みまさかローカル鉄道観光実行委員会」において、D51−2号機の汽笛を復活させ、鳴らすプランも提案されましたが、 検討の結果、D51−2号機の汽笛を鳴らすには、配管等の交換が必要となり手が掛かることなどから、 別個に、D51−755号機の汽笛を圧縮空気で鳴らす装置を取り付けることになりました。

年が明け、平成28(2016)年1月から本格的な施設整備に着手。
3月29日には、JR西日本・津山市・津山市観光協会の三者の間で、『津山まなびの鉄道館』の適切な管理運営を図るための基本合意書を締結。
その内容としては、
 @同館は子どもたちが地域の鉄道の歴史・鉄道の運行についての仕組みをわかりやすく学ぶことが出来る施設とすること。
 A同館は地域の観光振興に寄与する施設とすること。
 B同館の施設はJRの所管とし、津山市観光協会がJRから無償で借り受けて管理運営すること。
 C津山市は、津山市観光協会と連携・協力すること。
 DJRは、同館施設の保守管理を行うこと。
 E平成28年度中に、同館の維持発展について協議・調整するための運営協議会を設置すること。
となっています。
整備のほぼ終わった3月30日には、関係者・報道関係者を招待しての内覧会を実施。

内覧会の様子(ゲート前)
内覧会の様子(扇形庫前)
平成28(2016)年3月30日の内覧会の様子。
関係者・報道関係者に、一足先に公開された。

施設内部や、4月2日から津山線で運行が始まる「みまさかノスタルジー」(近郊形気動車キハ47を旧国鉄一般色風のツートンカラーに塗り替え、 内装も国鉄時代をイメージしたものに改装した車両)が公開されました。
そして、『津山まなびの鉄道館』は、平成28(2016)年4月2日にオープンを迎えることとなります。

オープン当日は、『旅立ちの汽笛』と名付けられた汽笛の合図のもと、JRや行政関係者などがテープカット。
数百人の観客が訪れ、1年5ヶ月ぶりに公開された扇形機関庫・転車台に展示された13両の車両や、 新しくなった展示室などを熱心に見て回ると同時に、この日、運行が始まった「みまさかノスタルジー」の津山駅到着を、 旗や手を降って迎えました。

オープン当日の受付の様子
オープンを祝うテープカット
平成28(2016)年4月2日オープン当日は、朝早くから開館を待ちわびる人の長い列が出来た。
受付のある建物に『まなびルーム』もあり、中で休憩することも出来る。
『旅立ちの汽笛』を合図に、テープカットが行われ、正式にオープンした。
オープン後の賑わい
「みまさかノスタルジー」の到着
扇形機関庫にずらりと並ぶ展示車両を見る大勢の人たち。
また、「みまさかノスタルジー」が津山駅へ到着するのにあわせて、敷地内から手や旗を振って出迎えた。
「あゆみルーム」の様子
「しくみルーム」の様子(1)
「あゆみルーム」では、岡山や津山周辺の鉄道の歴史が、また「しくみルーム」では鉄道の運行に関する 基本的知識が学べるようになっている。
「しくみルーム」の様子(2)
「しくみルーム」の様子(3)
昔の駅名板やナンバープレート、ヘッドマークも展示されており、 タブレット閉塞機や色灯式信号機も展示されている。

オープン当初、津山市観光協会等では、年間の入館者数を約15,000人程度と見込んでいました。
ところが、実際はその予想を遙かに超える入館者数となり、1年間で約77,000人を記録。
嬉しい誤算の反面、課題も現れてきました。

● 『津山まなびの鉄道館』の今後の課題

当初は来館者用駐車場を、扇形機関庫背面側に普通車15台程度としていましたが、予想以上の来館者に対応しきれず、 やむを得ず、付近の空き地を使用させてもらうこととなりましたが、路上駐車などが発生することもあり、 駐車場不足の対策が必要となりました。
このため、津山市が平成28年度補正予算措置をし、隣接地に駐車場を整備しました。
さらに、地元住民・町内会などとの調整が必要なことも数々あります。
館内の放送、特に『旅立ちの汽笛』は大きな音が鳴るため、地元住民の方からは「うるさい」との苦情が出る場合があります。
また、予想以上に多くの方が来館しているため、付近の車の通行量が増えるなど、地元の方への迷惑の原因が増えつつあります。
この施設の運営には、地元住民の方々のご理解を得ることも、欠かせなくなってきています。

JR岡山支社・津山市・津山市観光協会では、この『津山まなびの鉄道館』の運営に関して、「運営協議会」を設立。
発生する諸課題に対応することとしていますが、課題はこれだけではありません。

今後、津山の観光資源・として、持続的な発展と、扇形機関庫・転車台の保存活用を図るには、ハード面・ソフト面、 両方の課題が見受けられます。

まずハード面の課題として、
 @扇形機関庫の修復・耐震補強
 A展示スペースの拡大
以上の2点が挙げられます。
今回のリニューアルオープンにあわせて、扇形機関庫背面側の窓の一部など、一部が修復が修復されたものの、 依然として劣化したままの部分が多くあります。
昭和11(1936)年に建設されたRC(鉄筋コンクリート)造であり、建設されてから80年以上が経過しており、 今後、いかに駆体を保全していくかが最大の課題となります。
劣化・破損した部分の修復を継続し、さらに、貴重な鉄道遺産の活用という面からも、 フラットスラブ構造という特徴的構造の示す意匠を損なわない形での耐震補強を実施し、 来館者の方に、機関車庫内に入って車両を見てもらうことが出来る環境を整えることも必要です。
また、平成26年の一般公開まで「懐かしの鉄道展示室」に展示されていた展示品も、現在多くが倉庫に収納されたままとなっています。
それらには、津山の扇形機関庫の一般公開に対し、様々な方々から善意で寄せられた貴重な品々も多くあり、 貴重な鉄道遺産の一部であることに変わりはありません。
それらを展示し、さらに様々な展示品・展示車両を意欲的に収集し、展示することで、資料展示・学習施設としての『価値』も高まります。
そのためにも、今後の展示スペースの拡大が待たれるところです。

以前の「懐かしの鉄道展示室」の展示品の一部(1)
以前の「懐かしの鉄道展示室」の展示品の一部(2)
以前の「懐かしの鉄道展示室」の展示品の一部。
これらは平成29年初頭現在、展示されていない。。
平成20(2008)年の一般公開の様子。
平成20(2008)年の一般公開の様子。
この頃のように、扇形機関車庫内に入って観ることが出来るようになるのは、いつの日か・・・。

次に、ソフト面の課題としては、
 @お客様に満足して頂き、何度でも来館して頂けるような、「仕掛け」づくり
 A専門的な対応の出来るスタッフの育成
の2点が挙げられます。
平成19年から平成26年までの一般公開において、現役施設を見学してもらうという趣旨から、参加料は一貫して無料でした。
『津山まなびの鉄道館』では、入館料を徴収しています。
お客様から入館料を頂くからには、来館するお客様に満足して頂ける施設を目指さなければなりません。
現在、庫内の各展示車両を引き出して、転車台に載せ、方向転換させるイベントを定期的に実施していますが、 今後も同じイベントを踏襲するのではなく、鉄道ファン向けのイベントやファミリー層向けのイベントなど、多種多様な「仕掛け」を企画し、 『何度来ても飽きない、魅力ある施設』づくりが必要です。
また、この施設の運営にあたるスタッフは、JR社員が展示車両の移動や転車台の操作を行う場合を除き、津山市観光協会職員の数名と、 『あゆみルーム』『しくみルーム』等で説明にあたるJRのOB2〜3名体制で行われています。
しかし、平成26年の一般公開までのように、津山駅や津山機関区、扇形機関庫・展示車両についてなど、 来館者から尋ねられて回答が出来る運営スタッフが少なくなってきています。
『しくみルーム』に設置してあるタブレット閉塞機の「実演」も、次第に行われなくなってきています。
そうした専門的な対応が出来るスタッフを常に配置し、お客様に『ここに来て良かった』『ここに来て勉強になった』と言って頂ける施設を 目指さなければなりません。
また例えば、来館者から展示品の寄贈の申し出があった際、展示品の管理区分が津山市観光協会ではなくJRになることを理由に対応を断るのではなく、 JR津山駅へ取り次ぐなど、細やかな心配りの出来る運営スタッフを育成することも、お客様に満足して頂ける施設づくりには重要です。
『津山まなびの鉄道館』の来館者は、岡山県内から来ているとは限りません。
遠く、九州や関東・東北などからも、わざわざ来館して下さる方々が大勢いらっしゃいます。
その方々にも、満足して帰って頂くことが出来る施設づくりをしなければ、これから先の持続的な発展を望むことは出来ないでしょう。

・・・終わりに・・・

─── 旧津山機関区の扇形機関庫が解体の危機を免れ、『津山まなびの鉄道館』としてオープンするまで、実に18年以上の歳月が経過しました。
また、この扇形機関庫・転車台の保存活用に向けての動き・一般公開が始まってからも、10年以上の歳月が経過しました。
今の『津山まなびの鉄道館』の賑わいに至るまでには、関係各機関、様々な立場の方々が、この『貴重な鉄道文化遺産』の保存活用に向けて、 尽力されてきた結果だということを、忘れてはなりません。
現在の関係者を含む、全ての方々に、これだけの背景があったということを覚えておいて頂きたい、という願いから、このページを作成しました。
そして、これからも、この『津山まなびの鉄道館』が、『津山の財産』として、また『貴重な鉄道文化遺産』として、 末永く皆に親しまれる施設であることを、願って止みません。


■当サイト内の文章・画像の無断転載の禁止について(注意)■ (2017/05/03掲載)

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