未来からのメッセージ

第七の部屋 魔女とピエロ(3)

一日置いて、ラミエがまたアトリエを訪ねてきた。
「一昨日はありがとう! あれ、この前いたお姉さんいないわね」
「いなくなっちゃたんだよ」アキムが空気の抜けたような返事した。
「お父さん、なにか元気ないみたいね」
「それより、お母さんどう?」
「どうにか気を取り直してきたみたいだけど。それで、今日もお父さんにお願いにきたんです」
「いいけど。私にできることなら、言ってごらん」
「お父さん! お母さんとやり直して欲しいんだけど」
「そういう願い事か。お父さんの方から離婚したわけではなく、お母さんの方がお父さんを嫌ったわけだからねぇ。お母さんの方から仲直りしたいと言ってくれるのでなければ、できることではないんだよ」
「それは分っているけど。もしもお母さんが、仲直りしてもいいって言ったら仲直りできるかなぁ……ってことなんだけど」
アキムはしばらく返事しなかった。
アキムはいなくなったサリーのことを考えていた。ラミエは悲しそうな顔をしてアキムの返事を待っていた。
「そうだねぇ。お母さんがそう言うなら、ラミエのためでもあるから、仲直りしてもいいよ」ようやくアキムが答えた。
アキムの答えを聞くとラミエの表情が笑顔に戻り、
「お父さん、ありがとう! お母さんに伝えるね」と言って、ラミエは帰っていった。
ということで、サリーが予想していたような展開になってきた。
          ×    ×    ×
しかし、一週間待っても、ジェニファから復縁してもよいという返事は来なかった。
アキムは、その後のジェニファやラミエの様子が気になっていたので、ジェニファの所に行ってみることにした。
ホログラフィはジェニファの家の中を映している。
アキムの眼には、ジェニファの様子は元の状態に戻っているように映った。
「展覧会で出会ったお嬢さんはどうしているの?」
アキムは、サリーのことを気にして返事をできないでいるのかなと考えた。
「あの娘はこの前、アトリエを辞めたかもしれないんだ」
「かもしれないって?」
「突然、いなくなっちゃたんだよ」
「そう! 仲良くしていて、楽しそうに見えたけれどね」
こんな会話のあとで、ジェニファがラミエの様子について報告したり、新しい四次元アートの芸術組織の立ち上げ状況、お互いに最近制作した作品のことなどを話したりしたが、互いに『仲直り』の件については話題にすることを避けた。
アキムはアトリエに戻ったが、その後もジェニファから『仲直り』の件に関する話は無く、ラミエからの連絡も来なかった。
念のため、ラミエにテレビ電話をすると、
「お母さんが、『仲直りするかしないかは私の問題だから、お父さんには勝手に連絡しないで頂戴』と言われているの」とのことであった。
ということで、アキムは以前のようなやもめ暮らしに戻っていた。新芸術組織の事務局長としての雑務が、サリーがいなくなったアキムの寂しさを紛らしていた。
          ×    ×    ×
失踪してからおよそ一カ月後に、ひょっこりサリーがアトリエに姿を現した。
「ワーイ! 先生、ジェニファさんの所に戻っていなかったんだ」ドアを開けるなりサリーが言った。
サリーはすっかり日焼けしていた。
アキムは狐につままれたような顔をして、
「何処へ行っていたんだい?」と訊ねた。
「南の島や海面都市で、友達とバカンスを楽しんできたんです」
「ふーん! 暢気なもんだね」アキムは喜んでいる顔の表情とは裏腹に、すねたような言い方をした。
「忙しい時に突然姿を眩ましてしまって、すみませんでした。だって、子供さんに両親の仲直りをせまられて、ジェニファさんから離婚宣言を取り消すとでもいわれたら先生、きっとジェニファさんのところに戻ったでしょう。先生にとっては、私は生徒で、セックス相手くらいの存在だったでしょうから勝ち目はないし、私が『別れるのは嫌だ』と言って駄々をこねたら、すごーく悩ましい状況になっていたでしょう。私も愛憎ドラマのようなことは演じたくなかったし……、アトリエにいて、やきもきするのも耐えがたかったんで姿を消したんです」
「永遠に戻って来ないんじゃないかと思っていたよ」
「ジェニファさんと縒りを戻すのであれば、そのつもりでしたけど……ジェニファさんは離婚宣言を取り消しそうにないんですか?」
アキムは難しい顔をして返事しなかた。
サリーもしばらく黙っていたが、突然用事を思い出したかのように、
「今日はこれで失礼します」と言って、そそくさと何処かへ行ってしまった。
          ×    ×    ×
二日ほどすると、えらく明るい表情でサリーがアトリエに顔を出した。
ひとりの生徒がアキムの指導を受けていた。
「しばらく待っていてね。もうじき終わるから」
サリーは生徒の作品を覗いたり、輪を描くようにゆっくり歩いたりして時間を潰したあとで、コーヒーとショートケーキを丸テーブルの上に二セット置いた。
生徒が帰ってからアキムはテーブルに着き、サリーの顔を見た。
アキムは――こんな笑顔ってあるもんだなぁ――と思った。
するとサリーの表情が突然変わり、
「先生! 先生と『取引』したいんですけれど」と言った。
「君と取引するようなことって、何かあるんだろうか?」
「大ありの、アリババなんです! 結婚宣言しませんか!」
アキムは、サリーから「セックスしてみたいと思ったことありませんか?」といわれた時と同じように、またまたショートケーキをコーヒーカップの上に落としてしまった。
サリーの顔は元の明るい表情に戻っていた。
「取引って、結婚のこと?」アキムが訊きなおした。
「ピンポーン そうよ!」
「結婚のことを取引とは言わないんじゃない?」
「そのようにいう人も世の中にはいるんです」サリーは断言するように言った。
アキムは――そういえば、二年前に男女問題相談センターのバンスが同じことを言っていたっけ――と思い出した。
「結婚しても僕にはラミエがいるから、君との間で子供をもうけるとなると一人っ子の『奨励』政策とバッティングすることになる。」
「先生が『奨励』を守る必要があるとお考えでしたら。それでもかまいません」
「そんなに簡単に結論をだせる話ではないと思うけど…」
「私は、もう十分に考えた上での結論です。先生、今でも私のこと欲しいと思っていますよね」
「うん」とアキムはうなずいた。
「だけど、娘さんから別れた奥さんとの復縁を哀願されて悩んでらっしゃるのでしょう。そして、ジェニファさんが復縁してもよいと言ってきたらそのつもりでいるんでしょう」とサリーが詰問した。
アキムは今度も返事をしなかった。
「でも、ジェニファさんからの復縁の申し出はありませんよ!」
「どうしてそんなこと分るのかね?」
「ジェニファさんと会って、直接確かめてきましたから」サリーは軽い口調で言った。
アキムは「えぇ〜!」と叫んだあとで、
「なんでそんな勝手なことを!」と言葉を荒げて言った。
するとサリーは、ロボットのように頭をガクッと下げ、肩をダラーと落として、
「ショボーン!」と言った。
その仕草があまりに滑稽だったので、アキムはこれ以上怒れなくなってしまった。
サリーはそのままの姿勢で、
「エーン! エーン! だって、先生、いつまでもジェニファさんの返事を待つつもりでいるんだからぁ〜。シクシク。ブツブツ」と子供のように、手で涙を拭ってしゃくりあげるような仕草をした。
アキムは――サリーには勝てないなぁ〜……こんな芸当、何処で覚えたんだろう――と思いながら、
「それで、どんな話をしてきたのかね?」と訊ねた。
アキムの口調にやさしさが戻ると、サリーはガバッと頭を上げた。
「ジェニファさんは『縒りを戻すつもりはありません』って言っていました。『でも、先生はジェニファさんからの離婚宣言の取り消しを待っているようですよ』と言ったんです。そしたら、『それはあの人の勝手でしょう』とおっしゃるんです。『それでも、お子さんのこともあるので、未だにジェニファさんに縛られているようなんです』と言うと、『離婚した相手の自由を縛るなんて理不尽なことができるわけがないでしょう。私への未練とも思えませんけれど……そうね、あなたがいうようにラミエのことじゃないかしら。私が元気になれば、ラミエも『仲直りして欲しい』なんてことは言わなくなりますよ』っておっしゃっていました。『それでは、私が先生を頂いても宜しいんですね』と言うと、『どうぞご勝手に』とおっしゃいました」
アキムはサリーの話をひととおり聞いたあとで、
「ジェニファに離婚宣言を取り消す意志が無いとしても、そのことと私と君が結婚宣言することは別のことだと思うけど」と言った。
「一ヶ月前まで、実質的に結婚状態にあったではないですか……現実を追認するだけのことだと思いますけれど。そうなんだよなー」
「そういうことではなくて、仮に結婚宣言したとして……これからもずーっと仲良くやっていけるかどうかということなんだ。ジェニファの時のようなことを繰り返したくないからね」
「そのご心配は充分承知しています。なんならカウンセラーと相談されてきては如何でしょうか。私の方は、もう相談してきましたけど」
「えぇ〜!」とまたアキムはびっくりして言った。
「先生もご存知のバンスさんです。ついでに、バンスさんから先生とジェニファさんとのいきさつも全部聞いてきました」
アキムは――それで、さっき『取引』なんていう言葉を使ったのか――と得心した。
「バンスさんはなんて言っていた?」
「私の口から聞くよりも、直接バンスさんからお訊きになった方が宜しいんではないでしょうか? バンスさんとの相談のあとで、ジェニファさんのところに行ったのです。バンスさんと話していて、ジェニファさんは先生と復縁する意志が無いとの確信が持てたので……」
「二日前に来たと思ったら、急にいなくなったのはそういうことだったの」
「もうひとつ言うことを忘れていました。念のため、私の両親にも話をして、両親の了解もとっておきましたから」あっけらかんとサリーが言った。
アキムはサリーの綿密、大胆でスピーディな行動に驚かされるばかりであった。
この日、サリーは全てのお膳立てを済ませたあとで『取引』に臨んでいたわけで、アキムに結論を預けるだけにして姿を消した。
アキムは――放っておくと何をしでかすか分らない娘だな……おかげで、袋小路に追い込まれてしまったような気分だ――と思った。

「エポカの世界では、結婚宣言をしても、しなくても何も変わらないわけですよね。そうすると『結婚宣言』するということはどういう意味があるんでしょうか?」
「ホウ、ホホーウ! 一時的な男女関係ということではなく、互いにこれからずーっと夫婦であろうとすることを誓い合うこと、それと世間の人から夫婦として認知してもらうことかな」
          ×    ×    ×
アキムはサリーとの会話のあとで、ことの次第を確認するためにジェニファに電話した。
ジェニファは淡々とした口調で、
「あの娘、あなたのアトリエを辞めたみたいだって聞いていたから、突然押しかけてきたんで面食らったわ。姿を消したのは私のことが原因だったみたいね。結構優しいところがあるんだ。……それはそうと、あなたの優しさが少しは理解できたような気がするの。でも私には自信がありません。やはり相性には逆らえないと思うんです。復縁すれば、あなたはこれまでどおり私と生活をできるかもしれませんが、夫婦といよりも共同生活のようなものにしかならないでしょう。たぶん、それは現在のあなたにとって幸福なことではないと思うんです。
ラミエのことは大丈夫です。私が元気になりさえすれば、私にもあなたにも『復縁して下さい』なんてことは言わなくなるわ。ラミエは私の心の支えになっています。ですから、私のことも心配におよびません。今回、心配して頂けたことは充分あなたには感謝しています。
そういうわけで、サリーさんがあなたに話したことは全て本当です。あの娘は世間の常識と違う感性をもっているみたいですね。私にはあの娘のようにあなたを愛する自信がありません。あなたのような朴念仁には意外にあっているのかもしれないですね」と言った。
朴念仁か……相変わらずだな。ということは、ジェニファは大丈夫のようだな――とアキムは思った。
          ×    ×    ×
ホログラフィは男女問題相談センターになっている。
翌日の朝、アキムはバンスを訪ねた。
アキムの顔をみるなりカウンセラーのバンスは、
「来ると思っていましたよ。今度のあなたのお相手は痛快な娘さんですね」と挨拶代わりに言った。
「相談の趣旨はお察しのとおりかと思いますが……私の懸念は、歳の若いセックスを人生の目的にしているような女性と一生うまく連れ添っていけるものかどうか……ということなんですが?」
「人生の目的が性交渉……というのは、何か問題ですか? 一番楽しいことが人生の目的と素直に言っているだけのことではないでしょうか。性交渉を敬遠するようなカップルは破綻するケースが多いものなので、結構なことかと思いますけれど。もちろん、性交渉が人生の全てでは無いことぐらい彼女だって分っていますよ。彼女は、言葉とは裏腹に、分析データで見る限り、『愛』をやたら口にする人よりも遥かにやさしさやおもいやりのある娘ですよ」
アキムは――そうかもしれないな――と思った。
「DNAの目的は子孫を残すことで、DNAはそのために人間の意識に絶えず性交渉を希求させているわけなので、『セックスが人生の目的』と言っても少しもおかしくないし、彼女のいうことは間違っていないと思いますけれど。それとセックスが好きなことと、浮気性であることや淫乱であることとは別の話ですよね。事実、彼女には浮気性と思えるような男性遍歴はありませんが」
「そうなんですか」予想外の話にアキムは驚いた。
今までサリーに彼女の男性遍歴については訊ねたこともなかったが、彼女のようなチャーミングな女の子にたいした男性遍歴が無いというのは信じ難いことであった。
「ボディラブは最高の喜びの表現です。感情のプールに満足感や安らぎを与えます。ボディラブは性交渉自体による満足感よりも年齢とともに姿形を変えて長続きするものです。
それと彼女は軽々しく意味不明な『愛』という言葉を使うのが私と同様に嫌いのようですね。けっこう理性的な性格で、感情に素直な性格ですよ。感情に嘘をつけない性格ともいえますね。……能天気に見えるから、誤解される方が多いと思いますけど。あなたは感情的には彼女のことを理解しているようですが、私には、あなたがまだまだ固定観念からご自身の感情を素直に認めようとしていないように思えますけど」
「言われてみれば、そのとおりかもしれませんね」
「彼女と付き合っていて、あなた自身何か変わったなと思われるようなことはありませんか?」
「彼女といると、とても心的にも性的にも何ともいえぬ充足感を覚えます……性的な満足感というよりも動物的な満足感という類のものでしょうか。それと、眠っていた子供時代の無邪気な感性が呼び覚まされたというか……感性が解放されたような気がしますけど」
「そうでしょう! 私の『愛やセックス』についての考えと彼女の考えは同じです。彼女は数少ない私の考えの賛同者です」
アキムの脳裏には、今までのサリーに関して思い描いていた姿――単なるセックス好きの快活な女の子――とは全く違うイメージのサリーの女性像が形成されつつあった。
バンスにいわれて、アキムは――とんだ思い違いをしていた……すっかりあんな小娘にしてやられるとは……女というのは魔性だな――と思った。
魔性の本来の意味とは異なっていたが、アキムにとっては『魔性』という言葉がサリーにはピッタリのように思えた。そしてアキムはサリーのことを無性にいとおしく思った。
「久しぶりに巡り合った最高のカップルですよ!」バンスが太鼓判を押した。
アキムはバンスに深々と礼を述べて、男女問題相談センターを立ち去った。

「アキムがサリーのことを『魔性』と思った意味がわからないんだけど」
「ホホ、ホーウ! 軽薄に見えたサリーの思いがけない本性に気付いて『魔性』と思ったのか、小悪魔のように可愛いと思ったのか、そのような想いが入り混じった意味ではないかな」
          ×    ×    ×
午後になって、アトリエではサリーが鼻歌交じりで部屋のドアや天井に花飾りをつけていた。
部屋には、他にも十八歳くらいのナタルという男子生徒がいて作品制作を行っていたが、サリーの何時にない浮かれた所作や花飾りを見て、
「今日、これから何かあるんですか?」とサリーに訊ねた。
「うん! たぶんね」
「たぶんのために準備しているんですか?」
「たぶんじゃなくて、ぜったいだな……うん、うん。そんなわけで、今日の午後、先生は忙しくて君のことかまっていられないと思うから、さっさと帰った方が君の身のためだと思うよ」とサリーは言って、これから起きる事態を予想して邪魔になる生徒を追い返そうとした。
サリーはアキムの帰りを今や遅しと待ち構えていた。
ようやくアキムがアトリエに戻って来た。サリーの意に反してナタルは未だ部屋にいた。
花飾りのドアを開けるなり、アキムは、
「君の『取引』に応じることにしたよ。バンスさんが『最高のカップル』だって言っていたよ」と告げた。
サリーは競泳の飛び込みのときのように両膝を曲げ、両手を斜め後ろに突っ張った姿勢になって、
「でしょ! でしょ!」と言ったあとで、アキムの胸に飛び込んでいった。
ナタルはサリーが言ったことの意味を遅まきながら理解し、あたふたと片づけをした。
そして、抱き合ったままの二人の横をすり抜けるとき、
「おめでとうございます」とバツが悪そうに言って出ていった。
生徒が帰ると、二人だけの記念すべき一大イベントが、アトリエ内をところ狭しと展開された。
イベントのあとで、アキムはサリーとの結婚宣言をGネットに掲載した。
          ×    ×    ×
アキムとサリーの結婚宣言の三日後に、オープン四次元芸術家協会の発足式を迎えることになっていた。発足式の場所は、グローバル四次元芸術家協会が毎年展覧会や年次総会を行っているサブラート市のホテルであった。
ホログラフィはサブラート市に移動している。
アキムはサリーをつれて、発足式の前日に、会場準備のため式場のあるサブラート市のパンダムホテル向った。
オープン四次元芸術家協会の発足式は、分裂騒ぎのあった芸術団体を離脱した新芸術家協会の旗揚げ集会ということでマスコミの注目も浴び、芸術関連の報道陣も詰め掛けていた。
事務局長であるアキムはサリーと連れ立って出席した。
発足式では、アキムの司会により役員の紹介と挨拶が行われ、次いで理念、会則、役員、年間運営方針などが再確認され、会員数は千五百人に達したことなどが報告された。
理念の核となる展覧会などでの作品審査方法として、会員の全員がそれぞれの所属するジャンル毎に、次のように作品評価することが発表された。
●評価点として個々の作品に一から百の得点を与えるものとし、得点の平均点を評価値とする。
●作品から受けた印象、作品のどのような点を評価したか、作品の改善点などをコメントする。
●会員以外の作品も受け入れるが、会員以外の人は審査することはできない。
また、初めての展覧会および年次総会をグローバル四次元芸術家協会と同じ日の同じ場所で行い、エポカ世界の審判を受けるという方針が発表され、グローバル四次元芸術家協会への挑戦状を突きつけることが決められた。
会長のファルゴンは「新しい芸術家協会をつくっても優れた作品が集まらなければ組織の存在意義がなくなるので、展覧会までに残された日数は少ないが、全ての会員が作品づくりに専念するよう」呼びかけた。
発足式の終了直前に、会長のファルゴンが祝賀会・懇親会で特別企画を準備していると告げた。
アキムは近くの席に座っていた幹事から、
「特別企画ってなんですか?」と訊かれた。
アキムは「いや、聞いていないけど」と答えると、
「事務局長が何も聞いていないなんて、問題あるんじゃないですか」と言われてしまった。
アキムは――ファルゴンお得意の独断専行の企画かな――と思った。
発足式が終了し、アキムとサリーが式場の部屋から出ようとするとファルゴンが呼び止めた。
「特別企画というのは君たちの結婚祝いのことさ! 君たち結婚宣言したんだろう。Gネットで見たよ。準備はぼくがしておいたので、こっちに来てくれないか」
「特別企画ってそのことだったんですか」
「粋な計らいですね……ありがとうございます。ビックリ!」とサリーが言った。
          ×    ×    ×
ホログラフィは結婚式の支度部屋らしき場所に移動した。
二人がファルゴンについて行き、支度部屋のような小部屋に入ると、ホテルの支配人らしい人とアシスタントとおぼしき人が待っていた。そこにはウェディングドレスと派手なスーツが並べられている。
その傍らに、アキムとサリーの両親が座っていた。
「あれー! お父さんとお母さん来ていたんですか」サリーが言った。
「お待たせして済みませんでした。わざわざ、お越し頂いてありがとうございました」ファルゴンがアキムとサリーの両親に挨拶した。
「ファルゴンさんから連絡があってね、お前たちの結婚祝賀会をやるから、よかったら来て下さいってことだったんだよ」アキムの母親が二人に言った。
アキムとサリーが初対面の互いの両親に挨拶を済ますと、
「時間があまりないんで、さっさと着替えして準備して欲しいんだけど」とファルゴンが言った。
「ありがとう。だけどこういうフォーマルな衣装っていうのは苦手なんだ。ぼくの柄ではないよ」
「私もウェディングドレスって柄ではないけど……私のイメージってどんな感じ、先生は芸術家だから何かイメージもっているわよね」
「そうねぇ、君は魔性だからなぁ……」
「魔性? うん、それとってもいい。魔女がいいわ!」
「それでは、ぼくのイメージは?」
「う――――ん そう、ピエロかな?」
「ピエロ? なんか意味がわかんないけど、いいかもしれないな」
「お前たち、なんという馬鹿なことを考えているの…魔女とかピエロとかサーカスでもあるまいに」アキムの母親が言った。
「私達はお前の晴れ姿を見たいと思って、わざわざやってきたんだよ」今度はサリーの母親が言った。
「魔女とピエロの結婚式なんて、前代未聞のことだと思いますけれど……」ホテルの支配人が呆れ顔で言った。
「前代未聞? いいですねぇ」
「本当にそれでいいんですか?」支配人が念を押すと、
「いいんです!」とアキムとサリーが声を合わせて語気強く返事した。
「面白いかもしれませんよ。芸術家の集まりですから、きっと受けると思いますよ」とファルゴンが言って、アキムとサリーの両親をなだめた。
「ところで、魔女とピエロの衣装はあるんでしょうねぇ」
「私どものホテルの劇場に無い衣装はありません。ご心配にはおよびません。すぐに適当なものを数点とってこさせますから」
          ×    ×    ×
ホログラフィは舞台のある大きなホールになっている。
発足式の一時間後に祝賀会・懇親会が始まった。来賓の挨拶など型どおりの祝辞が述べられてから懇親会になった。
しばらくの歓談の後に司会者が、
「今回の組織の立ち上げに最も尽力頂いた事務局長のアキムさんと新婦のサリーさんですが、このお二人は三日程前に結婚宣言をされました。この場を借りてお二人の結婚祝賀会を行いたいと思います」と言った。
場内から一斉に拍手が起こった。
すると、ファルゴンがステージの脇から司会者を手招きし、なにやら耳打ちした。
司会者はステージの中央に戻ってくると、
「えー! お二人は自己紹介を兼ねて即興の寸劇を披露したいとのことなので……どんなことになりますやらご観覧下さい」と言った。
会場の拍手が鳴り止むと、音楽が流れ、ステージに魔女とピエロの装束の二人が現れた。
アキムもサリーも幼児期や子供の時に学芸会のような場で芝居をしたことがあるがそれ以外に特別な演劇の経験があるわけではなかった。寸劇というのは、いつもアキムとサリーがアトリエで実演していることであった。コスチュームに見合ったことをしないわけにはいかないということで、いつもやっているようなことを魔女とピエロの衣装でやってみたら面白いのではというサリーのアイデアであった。ある場面を決めて繰り返すだけのことなので稽古の必要などなかった。
寸劇は――魔女がピエロを誘惑しようとする……魔女の誘いから逃げ惑うピエロを魔女が追いかけて捕らえる……ピエロに魔法を掛けて、いいなりにさせる……魔女はピエロに絡まりついたあとでピエロの性器を取り出してむしゃぶる……こらえきれなくなったピエロは魔女を押し倒して、魔女のドレスを剥ぎ取り……腰を前後に振ってファックし……魔女が喘ぎ……ピエロが思いを遂げさせられると絶叫して悶絶する――というコメディであった。
演技は実演という訓練を重ねた末の結果だったので真に迫ったものであり、魔女とピエロが絡まりあう姿や体位にはアクロバットな芸術性もあり、サリーの大袈裟で滑稽な仕草も大いに受けた。うろたえながら演じるピエロのぶざまな姿も面白く映った。最後のファックシーンやピエロの悶絶シーンでは会場の全員が抱腹絶倒して笑い転げた。

――シモネタっていうのはいつの世も受けるものだなぁ――

アキムやサリーの両親は、「なんというあきれ果てた人達なんでしょうね!」と言ってはいるものの、笑いをこらえられずにいた。
寸劇が終わって、アキムとサリーは一旦楽屋裏に引っ込み、顔のメイクを落として再びステージに姿を現すと会場の喝采を浴びた。
アキムがステージから降りると、二人は囲まれて頭を殴られるや背中を小突かれるやらの手荒い歓迎を受けた。手荒い歓迎が一段落すると、幹事のひとりが寄ってきて、「君たちの夫婦生活は楽しそうだねぇ〜」と声を掛けた。
アキムが、「時には苦痛に思うこともあるけどね」と返事すると、その幹事は「苦痛! 羨ましい限りだね!」と言ってアキムをからかった。別の幹事が、「生真面目そうに見える君にこんな芸当ができるなんて思ってもみなかったよ」と言った。
アキムは――自分が人前でこんな馬鹿げたことができる人間とは考えてもみなかったが、サリーと一緒であればどんな愚かしいことも自然にできそうに――思った。バンスに『最高のカップルですよ!』といわれた意味が少し分ったような気がした。そして確かに、自分はサリーがイメージしたような、サリーという魔女に魔法をかけられたピエロのような存在かもしれないなと――思わずにはいられなかった。
会長のファルゴンが祝辞を述べ、展覧会の運営委員長が祝杯の音頭をとってはいたが、フォーマルな挨拶や美辞麗句などが全く意味をなさない乱痴気騒ぎの結婚祝賀会になってしまっていた。
アキムやサリーの両親が司会進行係らしい人に、「一言ずつでも、挨拶をお願いします」と言われたが、両親達は――紋切り型の挨拶ができるような雰囲気ではなかったし……場を白けさせてしまう恐れもあり……親と子を横並びに見られたくない気恥ずかしさもあって――丁重に断った。
          ×    ×    ×
ホログラフィはアキムのアトリエに切り替わっている。
展覧会の準備は、主として展覧会の運営幹事達が行うことになっていたので、アキムとサリーは暫しぶりに好きな作品づくりに専念できることになった。
二人は結婚記念に共同制作を行うことにした。
アキムは感情を形や動きによってどのように表現するかについて日頃から腐心していたが、サリーと共同制作することになって、これまでの自分には無い何か、これまでの自分の殻を破れそうな予感がしていた。サリーの自然で奔放な感情表現が、アキムに大きな影響を与えていた。アキムはサリーの技術指導をしながら、サリーから多くのものを学んでいるように感じた。
アキムとサリーの作品づくりは順調に進み、展覧会の一カ月前に完成した。
二人は作品制作用のコンピュータに接続された4Dビューアでホログラフィにして作品の出来栄えを確認した。4Dビューアの中で、小さな男女が絡んだり、離れたり、溶け込んだりしていた。
「先生、これでも充分素敵だと思うけど……等身大に映し出されたものを見てみたいですね」
作品が完成すると、アキムはオープン四次元芸術家協会の展覧会用応募作品のサーバーにアップロードした。応募期限が近づくとサーバーには、続々と応募作品がアップロードされてきた。
アキムのアトリエでは、サリーや新しく会員になった生徒達もアトリエのモニターとにらめっこをして、評価したりコメントを書いたりすることになった。
こうして、初めてのオープン四次元芸術家協会の展覧会を迎えることになった。
          ×    ×    ×
グローバル四次元芸術家協会の展覧会から一年後に、新旧の四次元芸術家協会の展覧会が同じ場所で同時開催された。このことは、四次元アートの芸術家や愛好家にとっては誠に好都合なことであった。旅費や時間の節約になるだけでなく、両団体の作品を比較閲覧できるからである。
ということで、オープン四次元芸術家協会の展示作品数はグローバル四次元芸術家協会より遥かに少なかったが、同時開催であったため来客はほぼ同数であった。
出品された作品の質であるが、後日のアーティスト・ギルド(『発明家』の部屋にでてきた)の報道によると――新四次元芸術家協会の展覧会には荒削りではあっても意欲的で斬新な作品が数多く登場した。これに対して、グローバル四次元芸術家協会の展覧会の作品は老若を問わず意欲的な芸術家が抜け出たこともあって、技術的には優れていてもマンネリ化した作品が大半を占めていた――とのことであった。
オープン四次元芸術家協会の発足式後の懇親会での寸劇以来、サリーはすっかり人気者になっていた。二人は、仲間との挨拶の際には「ピエロのアキムです」とか「魔女のサリーでーす」と言うようになっていた。
人物部門のギャラリーでは、『絡まり合う男女』というアキムとサリーの作品が、ギャラリー中央の部屋で大型のホログラフィになって、アイスダンスのように――離れ……絡み……交わり……溶け込み……オーロラのように――変幻自在に、優雅で官能的な舞いを奔放に舞っていた。
オープン四次元芸術家協会の年次総会は、会員数では劣っているものの一年目にして多くの会員を獲得し、質の高い作品を多数展示できたことで、会長のファルゴンがグローバル四次元芸術家協会に対する勝利宣言を行って閉幕した。
ここでホログラフィは消えていった。
          ×    ×    ×
「カウンセラーは『結婚は取引』というし、サリーも『男女間の愛』というものに疑問を持っているようでしたね。たしかに、ぼくらは『愛』という言葉を安易に使っているのかもしれませんね」
「ホホーウ! バンスやサリーは、『愛』というものがどのようなものであるかを吟味することなく、『愛』が人間関係の全ての解決策のように言われたり、自分の欲望でしかないものにまで『愛』という言葉が使われたりしていることに異議を唱えているんではないかな。『愛』をもっと崇高なものと考えているのかもしれないね」
「……すると、彼らにとっての『愛』というのは一体何なんでしょうね?」
「ホーウ! たぶん、利害打算や自分自身の欲望のためではない、他人からは自己犠牲のように見える、人や人々への献身的行為のようなものを『愛』と考えているのではないかと思うんだけれど」

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