未来からのメッセージ

第七の部屋 魔女とピエロ(1)

「ホー、ホホーウ! 今度は男女関係や芸術を巡っての話なんだ。カズマにはちょっと刺激的なシーンがあるかもしれないけど」
「刺激的なシーン! そんなもの子供にみせていいの?」
「ホーウ! エポカの世界では問題ないんだがねぇ。エポカの世界では大人はOKだけど、子供の場合はNOということはないんでね」
「男女関係というのは、エポカの世界とぼくらの世界で違っているの?」
「ホホーウ! そうだね……女性が経済的に自立できるようになると、離婚率が高くなる傾向があるかな。配当システムによって、妻が夫に養われるということがなくなり、子供の養育によっても収入を得ることができるので、経済的理由から好きでなくなった夫と夫婦生活を続けるとか、夫の財産目当てに離婚せずにいるという状態から解放されているからね。離婚は夫婦の一方または双方を不幸な結婚から救済するという面もあるけれど、夫婦の仲違いや離婚は子供にとっては不幸なことであるし、なにより夫婦にとっても好ましいことではないな。それに『不老長寿』での話にあったように一人っ子の『奨励』政策なんてものもあるので、子供がいる場合には離婚・再婚に関して慎重にならざるをえないんだ」
「普通の状態であれば、豊かになって選択の自由も大きくなったのだから離婚率が高くなるんでしょうけれど、子供がいるとブレーキがかかるんですね。子はかすがいなんて話はエポカではないのかと思いましたけど」
「ホーウ! このため、恋人や結婚相手探し、結婚前の相性診断、離婚相談などのカウンセリングが重要になった。エポカの世界には、男女関係についての巨大なデータベースがあって、統計的にどのような男女の組み合わせが上手くいき、どのような組み合わせの場合に破綻する確率が高いかを調べることができるようになっている。カウンセラーはこのデータベースと人工知能の男女関係診断システムを用いて相談に当たっているわけだ」
「でも、自由な社会だから恋愛結婚が多いんでしょう」
「ホッ、ホホーウ! そうなんだけど、その恋愛結婚ってものが一番の問題かな。恋愛結婚は見合い結婚よりも離婚率が遥かに高いんだよ」
「へーえ! エポカのような世界には、見合い結婚なんてものは無いのかと思ったけど」
「ホーウ! そうだね……恋もしないで人工知能頼みで結婚したら、青春もなにもあったものではないので、恋愛結婚が多いのは当然だよね。でも、エポカの世界にも男女間の駆け引きが苦手な人や嫌いな人も大勢いるんだ。このような恋愛ドラマが嫌いな人にとっては好都合なシステムなのさ。何しろ、世界中から最適な相手を探してくれるからね。けれど、やっぱり初婚の場合は恋愛結婚が多くて、恋愛結婚に失敗したあとで再婚相手探しのためにこのシステムを利用する人が多い」
「そうだろうねぇ」
「ホーウ! 当然、望みを低くすれば候補者が多くなるけれど、顔かたちなどで高望みすれば候補者は絞られて、強引に相手を口説いて結婚した場合には、相性を犠牲にしたりすることになるので、当然、離婚の確率が高くなる。お任せコースの『最適相性』だけを条件とすれば最適の相性の相手が見つかるんだけれど、システムにお任せしますなんて人は、そうそうはいないからねぇ」
「結婚相手探しではなくて、結婚や離婚そのものについても何かぼくらの世界との違いがあるんですか?」
「ホッ、ホホーウ! そうだね……カズマの世界では、結婚は遺産などの財産相続の問題と絡んでいるので役所に届出が必要なんだろうけど、エポカの世界では遺産などの財産相続が無いので役所への届出は必要ない。『結婚』は本人たちの合意と宣言に基づいているのは当然のことだけど、『離婚』の場合は夫婦のいずれか一方の宣言によって、直ちに離婚したものと見なされる。もちろんこの場合も役所に届けたりする必要は無い」
「すると結婚と同棲とは同じ意味になるんですか?」
「ホホーウ! 役所への届出が不要なので、結婚と同棲の定義が違ってくるけれど、本人たちが結婚宣言しない状態が同棲、結婚宣言した状態が結婚ということになるかな」
「そうすると、離婚と別居も同じように解釈すればいいんだよね」
「ホホーウ! そのとおりさ」
「子供の姓はどうなるの?」
「ホホーウ! 子供は両親のどちらの姓を名乗ってもいいんだけれど、一般には男の子は父親の姓を名乗り、女の子は母親の姓を名乗ることが多いかな。大きくなって、父親の姓を捨てて母親の姓に替えるなんてこともあるけれどね」
「生まれた子供の出生届出は必要なんですよね」
「ホホーウ! それも必要ない。というのは、生まれた時にDNAを調べられ、両親のDNAと照合して確認し、医師がGネットのデータベースに登録するようになっているからなんだ。名前の登録は、両親が行う必要はあるけれどね」
「他に何か変わっていることはないんですか?」
「ホーウ! 幼い子供の両親が離婚した場合、子供は両親の話合いによってどちらの親が子供を養育するかを決めたり、話し合ってもうまくいかない場合は、カウンセラーと相談したり裁判に持ち込んだりといったことはカズマの世界と変わらないよ。
そうそう、生みの親と育ての親の呼び方が違うな。エポカの世界では、離婚しても産みの親は『お父さん』であり『お母さん』なんだ。但し、『お父さん』や『お母さん』であっても育ての親でない場合は『父』や『母』と呼ぶのが一般的だね。反対に、育ての親が血縁上の親でない場合は、『お父さん』や『お母さん』とは呼ばずに、『おじさん』、『おばさん』のままなんだ。育ての親に対する親愛の情と『おじさん』や『おばさん』と呼ぶことは別のことなんだ。
それと、カズマの世界のように結婚したとたんに、義理の両親を無理矢理『お母さん』、『お父さん』と呼ぶような慣習もなく、これまでどおりの呼び方をしている。そもそも『義理の親』などという言葉は無い。
結婚式もだいぶ違うかな。カズマの世界の結婚式は財産の相続権などのこともあって神聖な儀式として扱われて誓いを立て、社会的地位などに基づく席が設定された披露宴などというものが行われているようだけれど、エポカ世界では結婚祝賀会のようなもので親類や仲間に祝ってもらうだけだよ」
          ×    ×    ×
ひととおりの説明をフーパから受けると、カズマは七番目の部屋のドアを開けた。
部屋の中央にある大きなホログラフィがアトリエ風の部屋を映している。
部屋にはアキムという四次元アートの芸術家がいた。

「四次元アートってどんな芸術なんですか?」
「ホーウ! 人工知能を駆使して作成する四次元芸術のことで、動く立体絵画のようなものさ、カズマの世界のコンピュータグラフィックスによる芸術のようなものだと思えばいいかな。違う点は、ホログラフィにして展示することだな」
「音楽は無いんですか?」
「音楽や匂いを加えてもいいんだけれど、オプションなんだ。コンペでは除いているけれどね」

アキムは男女問題相談センターのバンスという人物からのメールを見ていた。
メールの内容は――男女問題相談センターは、エポカの世界で多くの男女が連れ添って仲良く暮らせるように、また離婚に伴う子供たちの不幸を少しでも減らせるように願って活動をしています。今回、アキムさんはジェニファさんから離婚宣告されたとのことですが、どのような事情で離婚されたのか、お聞かせ願いませんでしょうか。離婚の原因を知ることによって、エポカ世界の男女関係をより円満なものにすることができますので――といったような趣旨のものであった。
          ×    ×    ×
ホログラフィは男女問題相談センターという事務所に替わった。
アキムが男女問題相談センターのバンスを訪ねていくと、離婚宣言した元の妻のジェニファがカウンセリングルームに座っていた。
「あなたも来たんですか」
「エポカ世界の夫婦が幸せになれるように協力して下さいということだったので、来ないわけにはいかないだろう」
二人が顔を揃えると間もなく、五十歳くらいに見える柔和な顔の男が現れ、
「お忙しいところをお出で頂いてありがとうございます。お二人にメールを差し上げたバンスです」と挨拶してから、次のように話しだした。
「このセンターでは、結婚相手探しのお手伝い、結婚相手の相性診断、離婚の調停、離婚原因調査など男女間のすべての問題を扱っています。通常は、相談したい方々がお出でになる所ですが、離婚したばかりの方が相談に来られることはあまりありません。けれども、離婚原因調査はエポカ世界の人々の幸せのためには不可欠なことですので、こちらからお願いしている次第です」
「趣旨は承知しています」アキムが返事した。
「さっそくで申しわけありませんが、こちらのふたつのモニターでアンケートに答えて頂けませんでしょうか。少々時間がかかりますが宜しくお願いします。そのあとで一時間ほど質問させて下さい」
モニターには、既にGネットから収集されたアキムやジェニファの個人情報が記載されていた。
アンケートは、自身の性格、二人の出会いから結婚にいたるまでの経緯、相手の好きな点や嫌いな点、離婚に至った主な原因など多岐にわたるものであった。
二人は一時間ほどしてようやくアンケートに答え終わった。
すると、アンケートに答えている時に姿を消していたバンスが再び姿を現した。
バンスはテーブルを挟んで、二人のアンケート結果を自分のモニターで見ながら、
「お二人とも年齢が三十二才で、子供さんは八歳の女の子……四次元アートの芸術家で……お知り合いになられたのは四次元芸術の先生のアトリエで……ですか。相性は……なるほど」と記載内容を確認した。
そして、バンスは相性分析の結果をグラフなどで示しながら、
「夫婦関係というのは、離婚することになった場合に、原因も含めてどちらに問題があったのかということが難しい場合が多いんですが……離婚宣言はジェニファさんの方からで、アキムさんはジェニファさんとは何とかやっていけるとお考えのようでしたね。結婚のときモーションを掛けたのもジェニファさんで、アキムさんの方が受け手だったようですね……ということは、ジェニファさんがアキムさんのことを結果として目算違いしたということになりますね。よくあるケースですよ」と言った。
ジェニファは――自分に原因と結果の責任があるようないい方をされた――と思ったのか、むっとした表情に変わった。
「ジェニファさんが、離婚の理由としているのは、『私はアキムを愛しているのに、アキムは愛に答えてくれない。私のことに無関心である』とのことですね。それに対して『アキムさんは自分なりの愛し方でジェニファさんを愛しているが、そのことを理解してくれない』ということですか。ジェニファさん、具体的にはどのようなことで、そう思われたのですか?」
「たとえば、私の誕生日を忘れたり、プレゼントを買ってきたと思ったらイミテーションなんかを買って来たりするんです。逆に、私がプレゼントした靴やカバンなどは、使わないで放置したりすることがあるんです」
「確かに、仕事にかまけて誕生日を忘れることも何度かありました。イミテーションなどをプレゼントしたのは、それがジェニファに似合うと思ったからです。前世では金やダイヤモンドは高価なものだったのかもしれませんけれど、装身具としては洗練されたイミテーションの方が遥かに美しいと思ったからです。それと、ジェニファからのプレゼントで使わなかった物があるのは、革製品やフォーマルな様式のものが嫌いだったからです。プレゼントするなら相手の好みを確認しておいてくれてもよさそうなものだと思っていたのも事実です。とはいえ、ジェニファの誠意や思いやりには感謝すべきで、その点は大いに反省しています」

「エポカでは、金やダイヤモンドが高価なものではなくなっているんですか?」
「ホーウ! そうだね、このことは談話室でのエンリケの説明に出てきた使用価値の話を覚えているだろう。前世では、金やダイヤモンドのようなものは高価なものであったようだね。カズマの世界では、山積みされた金塊は交換価値としては途方もない価値をもっているようだけど、使用価値としては工業的なものがあるくらいかな。生活上は無価値……いや、金は比重が大きいから、重石としての使用価値はある。エポカの世界では交換価値だけしかもたないようなものの必要性がなくなったから、金のようなものは二束三文の代物になった。だから、前世の人は、妙なことに、美しいからというよりも、高価なものだからということで装身具にしていたことになる。本物と偽物の金や宝石はちょっと離れた距離からは区別がつかない、虫メガネや顕微鏡でしか区別できないものに装飾的な美しさの大きな違いなんてものはないのでは」

――金やダイヤモンドって、そういうものでしかないのかなぁ――

「それでも、ジェニファさんはアキムさんの論理的思考や独創力を、アキムさんはジェニファさんの人や家族に対する深い思いやりや気づかいをそれなりに尊敬しているようですが……今もそう思っているのですか?」
「そうです。ジェニファは身の回りのことや、私が病気になった時など実によく尽してくれます」
「でも、離婚するつもりは無いと考えていたようですが、ジェニファさんに対する不満もあったようですね」
「『愛してくれない』と連発されると責められているように感じて辛かったですね。それと、ここ数年セックスをジェニファの方から求めてくることが無かったことは、とても寂しかったですね」

――へぇ〜! エポカでは、こんなことを人前で平気でいうんだ――

ジェニファは黙っていた。
「たぶん、私への愛なるものに醒めていたからでしょうね。私もこれ以上嫌われることには閉口だなと思っていました」アキムはジェニファの意を汲んだようないい方をした。
「そうですね、お二人の話を聞いていると、性格の違いが原因だったように思いますね。
私は、この仕事を長年しているんですが、貴方たちもご存じのように恋愛結婚よりも見合い結婚の方が遥かに上手くいっているケースが多いんです。
前世と較べてエポカは良い世の中になりました。生活費を得るための売春や生涯売春のような結婚をする必要がなくなり、性愛だけで男女が結びつくようになったと言えるかもしれません。動物は交尾相手を巡って同性と『バトル』したり、異性と『駆け引き』したりしますが、動物も人間も、いつの世も、こと男と女の関係は変ることがないようですね。エポカの世界は博愛主義というけれど、異性を巡っては排他的ですよね。私共がカウンセリングに使用している男女の相性診断システムは、このような面倒臭い『バトル』や『駆け引き』を行わなくても済むようにするためのものでもあるんです。
……ということで、結婚というのは一種の取引のようなものだと思いませんか? つまり、自分の価値で取引可能な自分の好みの異性という商品を品定めし、実物と付き合って細かな相性をチェックしたりして、双方の価値がバランスすると合意ということになる。つまり取引が成立した状態が結婚ですよね。恋愛の場合は、どうしても先行する感情が相手の商品価値を見誤る傾向があるんです。最後には『愛』ではなく『価値』の方が問題になるんです。相性も『価値』なんです。それで、男女間に『愛』なんてものが本当にあるのだろうかと疑問に思うようになったんです」
「『愛』なんてものは無いとおっしゃるんですか?」
「疑問の段階ですが…そうですね。結婚は『取引』で、愛はほとんどの場合、性欲のオブラートです」断言するようにバンスが言った。
「カウンセラーとは思えないような説ですね」反発してジェニファが言った。
「そうですね、良くそういわれるんです。でも本当のことではないかと思っています。母性愛は母性本能、性愛は性欲、愛情は欲情です。愛などという言葉は使う必要が無いのです。だれしもが醜いと思っている女性を進んで愛することができますか? 容姿の醜さを上回る価値を認めることができなければ好きにはなれないでしょう。価値が無いと思うものを愛することができますか?」
「でも『欲』だけで『愛』がなかったら、連れ合いに不幸があったような場合、たとえば夫が『不能者』になった場合、妻から捨てられるようになるんじゃありませんか」
「そうですね、インポテンツになったような場合にこそ、『愛』が確かめられるのかもしれませんね。でも、そのような場合は『愛』以前に、その人の人格が問題であると思います。このような場合に離婚するような人格の人とは結婚したくない…ということであれば、やはり品定めをする『取引』になるんではないですか」
なんとか、バンスに『愛』の存在を認めさせようと思ったのか、ジェニファが言った
「可哀想な子供を助けるのは取引ではなく『愛』だと思いますけれど、『友情』だって一種の『愛』ではないですか」
「『愛』は代償を求めないという人が大勢いますが、そんなことはほとんどありません。意識は代償を求めなくても、潜在意識が代償を求めている場合も多いのです。確かに、無償のボランティア活動のようなものは『愛』の一種といえるかもしれませんね。但し、自分自身と取引して『うぬぼれとかおごり』を手にしなければの話ですが。『友情』は暗黙の助けあいや慰めあいという代償、楽しみの共有を期待する取引という要素があるかもしれませんね」
「少々話しに無理があるように思いますけど……それに随分と意地悪な解釈ですね」
「私は、皆さんが『愛』とか『友情』とか呼んでいるものの根拠について話しているつもりなんですけどねぇ」
「『愛』や『友情』の根拠を詮索するなんて失礼なこと、私にはできません」
しばしのジェニファとバンスの意見対立の後に、バンスがぼやくように話し出した。
「長年この仕事をしていて、つくづく結婚相手を紹介するのは、罪作りなことだなと思っています。恋のキューピット役などといえる代物ではないんです。『あなたの価値のレベルはこの程度しかありません、だからこの程度のレベルの相手が妥当なところでしょう』といったことを言うわけですから。持って生まれた皮膚、形状寸法や資質の大部分は変えられませんから本人の責任では無いはずですよね。人の品定めをするなんて……残酷なものですよ!
恋愛関係にある人が相談に来られる時は、もっと悲惨ですよ。あばたもえくぼの状態になっている人達に、『あなた達の相性は良くないので、結婚しない方がいいかもしれません』なんてことを言えるものではないでしょう。ですが、将来不幸な結末になる確率が高いことが分っているから、一応は言わなければならないんです。すると、『こんなに幸せな私達に、別れたほうがよいなんて惨いことをおっしゃるんですか』なんてことを言われてしまうんです。『少々の相性の違いなんか愛があるから乗り越えられます』と言われるんです。別れてから相談にお出でになる時には『結婚する前に言っていた、あの愛は一体何処に行ってしまったんでしょうね』と言ってやりたくなることもしばしばです。本当に因果な仕事ですよ。
男女の相性診断システムの予測精度はかなり高いんです。しかも、データベースへの登録が増えるに従って、年々精度が高くなってきています。このシステムは、人々の幸福に寄与しているとは思うんですけれど……先のことが分かってしまうなんてことは、ことによると、罪つくりかもしれないし、大きなお世話かもしれませんね。男女間の愛といわれているものが幻想ではないかと考えるようになったのは、このシステムのせいではないかと思うこともあります」
「いわれてみれば、そうかもしれませんねぇ」アキムが同情するかのように言った。
「一寸脱線してしまいましたが、現状では離婚したことが正解のようですね。自分の持って生まれた性格を変えるというのは並大抵のことではできるものではないんです。離婚したばかりで、復縁の可能性をうんぬんするのはおかしな話ですが、でも復縁してうまくいく可能性も無いではありません。お互いに性格を擦り合わせようとする覚悟があれば、ですけどね」
「念のためにお訊きします。具体的には、どうしたらうまくいくんですか」
「まずは、今回のように別居してしばらくの間、他人になることです。お互いに妻であり夫であると思わなければ、お互いに尊敬し、節度を弁え、お互いを思いやることができるようになるでしょう。お互いの利点・欠点を充分理解し、包容力を身につけられればの話ですけど。参考までに、アキムさんとジェニファさんのような相性の場合、復縁している割合は20%程度ですね。何れにしても離婚宣言したのはジェニファさんの方ですから、ジェニファさんが鍵を握っています」
ジェニファは黙って聞いているだけであった。
「お子さんは、ジェニファさんの方で養育することになっていますね」
「アキムは、子供に関して放任主義なんです。幼い子供をこんな人に預けられるものではないと思って、私が養育することにしたんです」
「ところで、相性がピッタリという夫婦は少ないと思うんですけれど、夫婦円満の秘訣といったものはあるんでしょうか」アキムが質問した。
「おっしゃるように、恋愛結婚などの場合には、あとで相性の違いに悩まされることが非常に多いんですけど、相性の違いにもかかわらずうまくいっている夫婦も結構あるものです。参考までに申し上げると次のようなことなんですが。
●性格の違いや考え方の相違に対して寛容であること
●セックス、愛撫、抱擁、キス、手をつなぐ、会話などのスキンシップに心がけること
●相手のニーズを理解し、ニーズにあった思いやりに務めること
●相手の弱点や欠点を非難せず、これらをカバーしてやる心をもつこと
●日常の瑣末なことで感情的なもののいい方をしないこと
など月並みなことなんですけれど、言葉でいうのは簡単ですが実行するのは難しいことですよねぇ」
バンスは話したあとで思い出したように、アキムに質問した。
「アキムさん! 今言った秘訣ですけれど、できますかね?」
「難しいかもしれませんが、ジェニファさえ良ければ、心がけようとは思いますけれど……」とアキムが話しだすと、ジェニファが、
「あなたに、そんなこと出来っこありませんよ」と決めつけるように言った。
「分りました。やはり現状では無理ですね!」
「そうなんです。アキムには無理なことなんです」
「そうではないんです。ジェニファさんのいい方で、修復できない状態であると思ったのです。この秘訣は20%でも実行できればOKなんです。できるか否かではなく、やろうとする意志が大切で、この秘訣にどちらかが抵抗を感じたり、相手が『出来るはずは無い』と考えたりしているうちは上手くいかないことがこれまでのデータから分っているのです。それと、言葉よりも『感情』が大切なんです。言葉は偽れても感情を偽ることはできないもので、人は言い方や表情に見られる感情に本音を読み取ろうとするものです」

「ぼくらの社会では、離婚というと決まって慰謝料とかが問題になるけれど、そういうことは問題にならないんですか?」
「ホッ、ホーウ! そんなものは無いよ。エポカの世界では元々夫婦の財布は別々だしね。マイホームを二人が配当を出し合って購入した場合などは、資金提供割合に応じた共有財産になっているんで、これをどうするかといったような問題はあるかな」
          ×    ×    ×
ホログラフィは二年後のアキムのアトリエを映し出している。
アキムは離婚後、隣町のクズエ市のアトリエのある住居に移り住んでいた。そこで作品制作の傍ら数人の若い生徒に四次元アートを教えていた。主な収入源は作品の販売代金や作品を気に入った人からの投資ポイントの振り込みであるとのことであり、『発明家』の部屋のハーマン博士の場合と変らないとのことである。
四次元アートの制作は大きなモニターでのコンピュータグラフィック作業のようなものであり、人工知能が作品制作を効率的なものにしていた。
アキムは自身の作品について、ディテールに拘りすぎ、作品がまとまりすぎて、何かもうひとつ殻を破れないでいるように感じていた。
アトリエにはアキムのほかに生徒のサリーがいた。サリーは二十歳の女性であるが、Gネットで見たアキムの作品に憧れて、アキムのアトリエに通うようになったとのことである。サリーの作品は技術的には未熟ではあるが、思いもつかないものを形にしたり、奔放な表現をしたりすることがあって――アキムは、しばしば驚かされることがあった。
アキムはサリーをモデルにし、サリーはアキムをモデルにして四次元アートを制作していた。お互いをモデルにしているといっても、相手のイメージを描いているので、互いに静止しているわけではなかった。時々、アキムはサリーの技術的質問に答えるためにサリーのところに行って助言を与えていた。
アキムは、サリーのことを――飾り気の無い、思いっきり刈り上げたショートカットがとても似合う女の子――と日頃から思っていた。サリーの後ろに回った時には丸く柔らかに膨らんだ臀部に、側面から見た時には白く伸びた素足や熟れた胸に性的欲望を感じていた。
「休憩にしようか」アキムが言った。
サリーは二人分のドリンクとショートケーキを冷蔵庫から取り出してきて、洒落た丸テーブルの上に置いた。
アキムがドリンクを半分ほど飲んだ時、
「先生! 気を悪くなさるかもしれませんけれど、訊いてみたいことがあるんです」サリーが真剣な眼差しで言った。
「私は見当違いの誹謗中傷の類で無い限り気を悪くするなんてことはないけれど」
「誹謗中傷ではありませんが、ことによると『見当違い』のことかもしれませんよ!」
「へえー! 興味あるなぁ〜是非訊いてみて下さい」アキムは人ごとのように言った。
「では、思い切って質問します! 先生、私とセックスしてみたいと思ったことありませんか?」
アキムは思わず、手に持っていたショートケーキをカップの中に落としてしまった。
「普通……そういう直接的な訊き方ってのは、しないものじゃないの。たとえば、『私のことどう思っていますか?』とか、『好きですか?』とか、『嫌いですか?』とか」
「私の場合は、こういう切り出し方でいいんです。私には『愛』とかなんとかいうものはよく分らないんで」
「それはともかく、君のようなチャーミングな女性に対して、何も思っていないと言ったら嘘になるね。そうだねぇ〜思っているのかもしれないね。でも私の大切な生徒さんだからね」アキムは返答に困って答えた。
「ずいぶん控えめで優等生的な、まだるっこしいおっしゃり方ですね。そうではなくて、生徒であるとかないとかをひとまず置いておいて、私に性的欲情を感じたことはありませんか――ということなんです」皮肉めいた口調でサリーが言った。
問い詰められて、
「正直いえば、いつも感じているよ」とアキムは返事した。
とたんにサリーは笑顔になり悪戯っぽい目をして言った。
「よかったぁ〜 先生とは気が合いそうだから、私も先生としてみたかったんです。ホホホ!」
話のあとに、感情表現の言葉をつけるのが彼女の癖であった。
アキムが呆れて黙っていると、
「先生いいでしょう。ネエ、ネエ」とサリーが迫った。
アキムは――ここで『NO』と言ったらサリーを酷く傷つけることになるし、アキム自身も二年以上ご無沙汰していたことだったので――話しに乗ってもいいかなと、
「ぼくのような歳の男でもよかったら」とウッカリ返事をしてしまった。
アキムは女性に関しては奥手で、自分から好きとはいわずに、相手から好きといわれたときに相手に答えてやる必要を感じて、相手を好きになってやるタイプであった。
「でも、希望があるんです。セックスしている時って人生のうちで最高に快感と幸福を感じられる瞬間でしょう。それで、私……もっと気分を高めるために、芸術的なセックスや動物的なセックスをしてみたいんです」
「芸術的にとか、動物的なとか……いう意味が分らないけど」
「分らなくてもいいわ、私が準備してきて教えてあげるから。今度のレッスンのあとの楽しみにしておいてね」
それから、サリーは愛とセックスに関する自説を雄弁に語りだした。
「ところで、先生! さっきの話ですけど、男女の間で言われている『愛』って何かおかしいと思いませんか? セックスがなければ、男女の間の『愛』なんてものは無いはずですよね。それに『愛』なんて言っていますけど、本当は異性が『欲しい』ということですよね。ということはセックスのできる気が合う相手を探しているのであって、気が合う相手を探すことが目的ではないと思うんですけれど。つまりセックスを成就するために『愛』するのであって、逆では無いことになりますよね。ですから、私は『愛が手段』で『セックスが目的』であると思っているんですけれど。生物学的には絶対そうですよね。人間だけが例外なんてことはないと思うんだな。大脳の発達した人間が、教育による羞恥心から露骨な言葉を避けて、奇麗事として『愛』を語っているだけなんじゃないでしょうか」
アキムは――バンスと似たようなことをいう人もいるものだな――と思いながら、
「『愛』と言っているほうが文学的だからね、ロマンチストからは反発を受けるかもしれないけれど、つきつめるとそのようなものだと思うよ。一緒にいて楽しいかどうかということもあると思うけど、このことを『愛』とは呼べないかもしれないしね」とアキムはサリーの説に同意した。
「やっぱり先生とは気が合いそうだわ! ニコニコ」
「人は動物的感情とは裏腹に、理性的には愛が目的でセックスが愛の手段と思いたいのかもしれないけどね」
すると、サリーは異議を唱えた。
「先生、逆ではないですか。理性的・論理的に考えればセックスが目的なのであって、『愛』とかいう言葉を口説きの便法にしているのだと思うのですけれど」
「ぼくは理性を建前、感情を本音の意味で言ったんだけど」
「それならば納得できます」
アキムは――サリーはみかけよりも結構理屈っぽい娘だな――と思った。
こんな愛とセックスに関する会話の後、帰り際にアキムの頬にキスをして、
「それでは、来週を楽しみにしています。バイバーイ!」と言って退出した。
アキムはご馳走のお預けを食ったような気分になった。
          ×    ×    ×
翌週のレッスン日に、サリーは一抱えもある道具一式を携えてアトリエにやってきた。
「先生、今日のセックスはペインティングでやりたいと思うんですけれど」
「ぼくの趣味ではないんで、君の自由にするしかないんじゃないの」
サリーはドアをロックし、アトリエの道具を部屋の隅に片づけ、ビニールシートのようなものを部屋一杯に敷き、色とりどりの絵の具の缶と筆を並べた。そして、そそくさと衣服を脱いで全裸になった。
アキムはサリーの白く美しく輝く肌に魅せられた。
「先生もさっさと脱いで! セッセ、セッセ」
サリーはじれったそうにアキムの衣類を剥いで全裸にさせた。そして、アキムの一物を握り、「可愛い――ぃ! 宜しくね。坊や!」と言った。
アキムの一物はいっぺんに硬直した。
アキムとサリーは、互いの顔や身体に思い思いの絵の具を塗りたくった。
「先生! 肩書きとかプライドとか、教養とか、羞恥心といった邪魔物を全て忘れて下さいね」とサリーは言って、けらけら笑いながらアキムに絡みついた。
抱き合ったままの姿が鏡に写っていたが、その痴態を見てアキムは妙なおかしさがこみあげてきた。なんどもじゃれたり追っかけたりしているうちに、閉じ込められていた動物的な感性が解放されていくような気がした。撫でたり舐めたりしたあとでアキムはこらえきれなくなり、サリーを押し倒して想いを果した。

この場面のホログラフィにはカズマのためにぼかしが入っていた。ぼかしを通してではあったが、カズマは始めてみる生々しい濡れ場に釘付けになって見入った。カチンコチンになったチンポコが、パジャマのようなズポンを思いっきり突き上げていた。

セックスの快感とは別に、子供のように無邪気にふざけあったり、絡みあったりすることがこんなに楽しいものなのか、人はこういうことを痴情というんだろうな――とアキムは思った。
この日以来、サリーはアキムのアトリエのある家に棲みつくことになった。
その後もアトリエでの作業が一段落したあとで、アキムとサリーは手をかえ品をかえ、アトリエ、浴室や寝室で、身体にボディシャンプー、オイルやゼリーを塗ったり、レスリング、ダンス、鬼ごっこ、取っ組み合いなどしたりして戯れた。サド・マゾ趣味という類のものとは違う天真爛漫なものであった。修羅場のあと片づけも日課になり、こうして痴情に溺れる日々が続いた。
          ×    ×    ×
アキムはグローバル四次元芸術家協会の審査員のひとりであるが、この協会の審査員は百人もいるとのことである。アキムはアトリエの隅で、モニターを見ながら毎年恒例の展覧会に向けた審査をしていた。審査員が出品された作品にどのような評価をしているかが分るようになっていた。評価ポイントの高い順に、様々な賞が与えられることになっているとのことである。アキムは作品を見ながら、順位点と簡単なコメントを書き込む作業をしている。
ひととおりの審査を済ませると、ファルゴンという審査員から『審査員の皆様へ』というメールが入っていることに気がついた。メールの内容は、作品審査の方法に関する改善提案である。内容をひととおり読んだあと、ファルゴンの意見に賛成であったので、『賛成します』と書いて返送した。
「ここ二、三日お忙しそうですね」サリーが後ろから声を掛けた。
「そうなんだよ。審査の締切日が迫っているんだ。今月の21日〜23日に、サブラート市のイベントホールで展覧会があって、そのための審査なんだ。作品はここでも観ることができるけど。でも、会場で友人やいろんなアーティストにも会えるし、並べられた作品を比較して観るのも面白いもんだ。君も一緒に行くかい」
「もちろんよ、先生と一緒なら何処に行っても楽しいわ。ニコニコ」
「展覧会最終日の翌日に年次総会があるから、サブラート市で泊まることになるけれど。君には年次総会は関係ないだろうから、帰ってもいいし、市内観光でもして暇潰ししていてもいいけど」
「帰りも一緒の方がいいなぁ〜。うん」

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