未来からのメッセージ

第六の部屋 ハイパーハウス(2)

カサルのアイデアに関する老人達の熱気とは裏腹に、社内の反応は冷ややかなものであった。社内の再建策としては、他社への吸収合併が有望な選択肢になっていたからである。今更、大きな新規投資を必要とする新商品開発などは選択肢としては考えられない――と大多数の社員が考えていた。
多くの社員はカサルの主催する『物置住宅』の集まりを『老人クラブ』扱いした。
カサルの遠隔操縦による指導の下、企画部門のタリムとサンザはエッカムやゼンダーが集めた情報を盛り込み精力的に企画書作りを行った。
自走ユニットの仕組みに関しては、機械メーカーから――エポカ世界の技術をもってすればどうにでもなります。コストも大きくアップすることはないでしょう。必要であれば仕組みの提案書と製造費用の見積りを送りますが――との答えが返ってきた。市場ニーズに関しては、適当な説明資料が無いため反応はいまひとつであったが、カサルの考えたようなニーズは極めて高いことが確かめられた。
こうして、カサル達の企画書は、締め切り日の前日までかかってようやくまとめ上げられた。
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カサル達の企画書以外に、提出された会社再建策としては次のようなものがあった。
●同業のジーハウス社への吸収合併
●宅地造成、家具製造等の不採算部門の売却
●ユニット住宅製造コストの削減
●既存住宅のデザインのシェイプアップ
全社員からの提案であるにもかかわらず、吸収合併以外には有力な提案は無かった。
経営陣の多くが、現時点で『高齢者物置住宅』の企画書は会社再建策とはいえないので別扱いにすべきであると考えた。吸収合併を推進する傍ら、大きな投資が必要な新商品開発をすることはできないし、ましてや経営危機に陥っている会社に投資してくれる人などいないとのことであった。
それとともに、『物置住宅』は従来の住宅より多少コストアップになることも問題にされていた。社員の中から『物置住宅』は画一的な間取り、没個性、家の形に自由度が無くなるのではないか――といった批判や懸念があることも問題にされた。
しかし、社長のシタールは――『物置住宅』はことによると画期的な商品になるかもしれない。新しいアイデアは既存の考えに捕らわれている人には理解できないものだし、新しいものとなるとその可能性よりも『無理』な点ばかりを見つけようとする。批判することが賢者の証しとでもいわんばかりで、失敗でもしようものならそれ見たことかとしたり顔をする。前世よりも遥かに冒険がし易くなったというのに、少しは前世の企業家精神でも見習って欲しいものだ。こんな保守性がこの会社を沈滞させてしまったのだ――と思っていた。
「合併吸収の交渉を行う前に暫しの猶予を貰えないだろうか。我が社の使命はエポカ世界の人々に喜ばれる住宅を供給することであるはずです。念のため『物置住宅』について消費者の反応と投資家の反応を詳しく調査して見たいんです」と経営会議の席でシタールが言った。
「合併後に、『物置住宅』の商品開発を提案してもよいのではありませんか」財務部門の役員が言った。
「合併後は、先方の経営陣がどう判断するか分りません。それと、なによりも当社の社員に働き甲斐をもたせ、自らの手で事業を進めて欲しいと思っているんです」とシタールは経営幹部をなんとか説き伏せた。
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かくして合併吸収の交渉はしばらく見合わせることとし、『高齢者用物置住宅』の企画について、消費者と投資家の反応を見るためGネットに、『物置住宅』の目的、仕組み、価格、既存住宅への応用性などについて掲載するとともに、エポカハウス社の住宅の居住世帯の全てに対しアンケートを実施することとなった。

「企画段階のものを世の中に発表したら、せっかく考えたアイデアをライバル会社が横取りしてしまうんではないですか? こんな場合、特許はどうなるんですか」
「ホッ、ホーウ! エポカの世界にも知的所有権はあるけれど、特許庁に出願したり審査を受けたりといった手続きは要らない。Gネットに公表すれば、誰が何時考えたアイデアであることが証明できるので、無断でアイデアを横取りすれば直ちにそのことが分り、ペナルティが課されることになる」
「今の説明とは直接関係はないんですが、特許や企業秘密などによる生き残りを掛けた競争があるぼくらの世界と、何でも情報公開してしまう秘密の無いエポカの世界とでは、どちらの方が技術の進歩が速いんですか?」
「ホウ、ホホーウ! 難しい質問だねぇ。たぶん、カズマの世界の方が進歩は速いと思うよ……生きるか死ぬかの競争があるからね。でも技術進歩が速い社会イコール幸福な社会ではないからねぇ〜」

エポカハウス社の住宅に住む高齢者世帯の反応は、予想どおりまずまずであったが、イメージが今ひとつ湧かないので、実物を見てみたいという多くの意見が寄せられた。
予想外なのは、ライバル会社の反応であった。ライバル会社数社が『物置住宅』構想について関心を寄せ、エポカハウス社との合併の話に乗りたいと申し出てきた。
先見の明がある会社は目ざといものだな――とシタールは思った。
そうこうするうちにGネット上で多くの消費者が興味を示し、マスコミも『物置住宅』のコンセプトを紹介するようになった。
新規事業を立ち上げるには、何よりも投資家の反応が重要であったが、投資家の多くは経営危機に陥っているエポカハウス社の苦し紛れの『企画』として見た。
しかし、高齢者住宅としての市場ニーズにマッチした企画であるとの評価の高まりに合わせて、投資家の反応は好転し、『物置住宅』事業を立ち上げるのであれば是非投資させて頂きたいとの意見が多数寄せられるようになった。特に高齢者からの圧倒的支持を得た。
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少なからぬ投資を期待できそうな反応であったため、経営幹部は渋々シタールの意見に従い、吸収合併の話を一旦棚上げすることにした。そして、『高齢者物置住宅』事業に着手するため、プロジェクトチームを発足させることになった。
『高齢者物置住宅』はエッカムの提案を受け入れて『ハイパーハウス』と命名された。

「『ハイパー』ってどんな意味なの?」
「ホーウ! この場合は、自走ユニットが各部屋に『関連づけられた』というような意味になるかな」

会社経営陣の呼びかけで、プロジェクトチームのメンバーを募ることになった。応募してきたのは、カサルの呼びかけに応じて会議に参集したあの『老人クラブ』の人達であった。役員同様に社員の多くは未だに『ハイパーハウス』には懐疑的であり、新たに数人がプロジェクトへの参加申し込みをしてきただけであった。
カサルの推薦で、例の企画部門の2人と無給社員の3人もメンバーに加えられた。ということで、無給社員の3人は有給社員として『活動』することになった。
メンバーの投票によってプロジェクトチームの編成が行われ、カサルがリーダーに選ばれた。
カサルは、妻のミネリの介護ための時間的余裕が無くなるリーダーの役割を望んだわけではないが、カサル自身が仕掛人であったためリーダーを引き受けることになった。カサルはプロジェクトが一段落するまでの間、ミネリの介護のためケアセンターを通じてアンドロイドの介護ヘルパーを借り受けることにした。
カサルは不足する人材を指名し、指名した関連部門の責任者と調整の上でチームに加えた。更にGネットにも、『ハイパーハウス』開発のための人材募集を行った。
Gネットを通じて、機械メーカーやライバル会社の社員もメンバーに加わり、こうしてプロジェクトチームが発足することとなった。

「新しい組織の立ち上げもこんな具合にして行われることが多いんですか?」
「ホ、ホーウ! そうだね、メンバーの募集や組織の編成はこんなやりかたが多いかな」
「ライバル会社から社員が移動してくることは、特別問題ないんですか?」
「ホ、ホーウ! カズマの世界では、道義的問題があるのかもしれないけれど、エポカの世界では何の問題ない。エポカでは、複数の職業や勤務先をもっているのが普通のことで、特技を複数の会社で活かしている人も多いんだ。選択の自由が何より重んじられる世界であるからね」
「思い出したんだけど、『アンドロイドの神』の部屋で、『エポカの世界では社長や部長、課長といった役職者も、社員が選挙で選ぶ』と言っていたよね」
「ホーウ! そのとおりだよ」
「さっき、無給社員を『自宅待機社員』のようなものと言っていたけれど、このような無給社員にも社長や部長などの選挙権があるんですか? あるとすれば妙なことになりますよねぇ〜」
「ホウ、ホホーウ! よい質問だねぇ〜そのとおりだよ、無給社員の方が有給社員より多い場合などは問題になるかな。会社の実情をあまり知らない人達が選挙を左右することになってしまうからね。実は、こういった無給社員には選挙権は無いんだ。それと、社員も選挙に関しては同権ではないんだよ」
「同権ではない! それってエポカの理念に反しないんですか?」
「ホーウ! 社員としては同権だけれど、選挙権に関しては同権ではないんだ。社内での社員の貢献度評価に関しては同権だけど、人事に関しては会社内での貢献度、つまり社内での『徳』の大きさに応じた選挙権になっているんだ。選挙の方法については組織独自の方式があるけれどね。だからエポカの理念には反しないんだ。『市長の選挙』の選挙で、ルメル市の選挙に関してルメル市民の選挙権とケネル市民の選挙権が同じでなかったけれど、それと同じような理由だな」
「なんとなく理解できたよ」
「ホーウ! そうなんだ、会社のことを良く理解している人がより大きな人事権をもっていなければ、会社という組織がうまく機能しないからね」
「ぼくらの世界では株主が会社の役員を選ぶようになっているけれど、エポカの世界ではそうなっていないんですね」
「ホーウ! そのとおりだよ。エポカの世界では社員の多くが出資者でもあるけれど、社員以外の出資者の方が多いのが一般的だから、投資家が会社の役員を選ぶような仕組みになると、役員は社員の上に君臨することになり、会社は封建的組織になってしまう。但し、監査人は投資家が選ぶことになっている。カズマの社会では会社側で監査人を雇うことになっているけれど、そうなると虚偽の監査が行われ易くなるからね」

プロジェクトチームは活動を開始した。老人パワーはこれまでの人生で築き上げた人的ネットッワークをフルに活用したり、巧みな交渉術を駆使したりして大車輪の活躍をした。
そして、エポカハウス社は事業計画をGネットに公表して投資を呼びかけることになった。
『授権配当』は高齢者を中心に順調に集まってきた。新型物置装置の製造の受注を当てにした機械メーカー数社からの大口投資などもあった。
財務体質は大幅に改善され、ひとまず経営危機は去った。そして、三カ月後には新規事業を立ち上げるに充分な『授権配当』が確保されることになった。

「ホ、ホーウ! いつの時代も、ビジネスでは人的ネットワークがものをいったり、会社が勝ち馬に乗ろうとしたりする傾向は変わらないようだね」
「さっき『エポカの世界は借金のできない社会になっています』という説明を受けたんだけど、そうなると新しい事業を行う場合には、ぼくらの世界の会社よりも大きな元手が必要になるんですよね」
「ホーウ! そのとおりだよ。でも、エポカの世界では皆が『投資配当』や『授権配当』を持っているから、有望そうな事業であれば比較的容易に『資金』を集めることができるんだ」
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家の居室部分は、設計・製造時間を短縮するため、従来のユニット住宅の設計変更によって対応することになった。プロジェクトの発足後、二カ月を経てコアとなる自走ユニットの『物置』の設計も完了した。
試作品の『物置』は、家の中央に置くタイプと家の背面や側面に置くタイプを用意することになった。ユニット住宅部分はエポカハウス社の工場で製造することになり、『物置』については機械メーカーに試作品を発注した。
こうして、プロジェクトチーム発足後半年で試作品が完成し、展示場に陳列される運びとなった。展示場には、『ハイパーハウス』との比較のため、従来型ユニットハウスが置かれることになった。
営業部門はGネットでの広報宣伝、マスコミへの働きかけ、エポカハウス社制ユニット住宅購入世帯などへの買い替え促進を行った。
展示された『ハイパーハウス』と従来型ユニットハウスの違いは歴然としていた。
すっきりした空間、明るくなった部屋、自由に取り出せる家財道具など。
マスコミはこの『ハイパーハウス』を大々的にとりあげ、大きな反響を呼んだ。予想外なことに、高齢者世代だけでなく、新築住宅の購入を考えている多くの若い夫婦もこの『ハイパーハウス』に興味を持った。
見学者の反応は――今までのあんな家がこんなふうに片付いてしまうなんて……これなら家の中でダンスが踊れそうね……物の出し入れや移動が楽になるし……家のサイズもそんなに大きくならずに済むんだ――という具合であった。
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『ハイパーハウス』の販売開始を迎える段階になったので、プロジェクトチームはその使命を終了し、チームメンバーは元の所属部署に戻っていった。カサルは維持管理部門ではなく、今後とも想定される『ハイパーハウス』の応用展開のため、企画部門に移動し、相談役として『活動』することになった。
カサルは、年甲斐も無く若いときに無我夢中で仕事に忙殺されていた生活を追体験するはめになっていたが、とにもかくにも毎日のように出勤する生活からようやく解放された。アンドロイドの介護ヘルパーにお引取りを願い、以前のようにミネリの介護を自らの手で行うようになった。
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エポカハウス社では、半年に一度、社員の業績評価を行っているが、『ハイパーハウス』の販売開始直後がこの年の二回目の業績評価の締め切り日になっていた。
カサルは、自宅のモニターから部下や上司の評価を行っている。
エポカハウス社の業績評価システムは、エポカ社会で一般的に行われているような――自分の所属部署内(複数の所属部署がある人も多い)の全ての人、所属部署とは関係なく特に功績または問題があったと思われる50人を評価できる――ことになっているとのことであった。

「ホ、ホホーウ! 会社の社員の業績評価は、部下だけでなく上司の働きなども評価する相互評価方式になっている。それと、『市長の選挙』での投票のように、一定期間内に何度でも評価を変更してもよいことになっていて、締切日に確定されるのさ」

社員にとって自分自身がどのように評価されるかは最大の関心事であり、評価の結果はその後半年の給与に比例することになっているとのことである。
業績評価の締め切り日の翌日、カサルはモニターでエポカハウス社の社員の業績評価結果を検索し、評価の高い順に社員のリストを並び替えてみた。カサルは断トツの評価を得ていた。ハイパーハウスのプロジェクトメンバーも高い評価を受けている。シタール社長は三番で、他の経営幹部は百番以内では見当たらなかった。

「ぼくらの世界の会社では、社長が一番給料……ではなく役員報酬というのかな……を貰っていると思うんですけど、エポカの会社では違うんですね」
「ホホ、ホーウ! エポカの世界では『役職』というのは『役割』のことを意味している。社長の役割は『会社全体の調整役』のようなもので、特定の役職の人が偉いということではない。平の社員でも、上司より貢献度の大きな者はいくらでもいるよね。偉いというのは、エポカ世界にどれだけ貢献しているかということでしかない。この半年のカサルの働きは、エポカの高齢者に喜ばれるような新しいタイプの住宅を考えつき、その結果として当面の会社の危機を救うことになったわけで、社長よりも誰よりも抜群の『貢献』があったから、カサルが最大の『徳』=『得』を得るのは当然のことなんだ」
「フーパのいうとおりだと思うけど……ということは、ぼくらの世界の会社では『地位』に報酬を払っていることになりますね」
「ホ、ホホーウ! だから、エポカの会社では、歳をとったからといって自分が管理職に向いていないと思えばスタッフのままでいたりする。それで給与格差がかなり大きくなる場合もある。『貢献度』というのは人によって全然違うから、当然そうなる。極少ない給料しか貰っていない社員も大勢いるし、さっきの話しのように無給社員は給与がゼロなんだ。でも、最低生活は『基本配当』で保障されているからね」
「給与の少ない人は劣等感をもったりしないんですか?」
「ホーウ! 評価が低くてもよいと思っている人は少ないよ。誰でも、自分がもっと活躍できるように努力したり、もっと活躍できそうな分野を探したりするのはカズマの世界と変わりはないのさ」
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いよいよ、『ハイパーハウス』の売り出しと賃貸が開始されることになった。当面は、新築住宅が対象になった。

「エポカの世界は借金のない社会のようだから、住宅を買う場合、ぼくの家で払っているような住宅ローンなんてものはエポカ世界にはないんですよね」
「ホーウ! そのとおりだよ。カズマの世界でも若いうちは賃貸住宅に住み、貯金がある程度貯まってから新築住宅を買うようになるのと同じだよ。借金をしないだけさ」

ハイパーハウスは売り出しと同時に完売し、生産が追いつかない状況になった。このため直ちに生産力の増強を図ることになった。
販売後半年ほどして、従来型ユニット住宅を『ハイパーハウス』に改造するための部材が生産され、エポカハウス社制の既存ユニット住宅をハイパーハウスに改造できるようになると、売り上げはうなぎ上りに増加した。
一年後には、またまたカサルのアドバイスの下で、若いカップル向けバージョンや単身者用バージョンも開発され、販売されるようになった。
こうして、二年後、倒産寸前のエポカハウス社は一躍優良会社になった。
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カサルの家はほったらかしで、相変わらず家全体が物置のようであった。会社がすっかり軌道に乗り、カサルには時間的余裕も出てきた。エポカハウス社の業績が改善したので、カサルは『投資家としての配当』と『社員の業績評価による給与』により、大きな『授権配当』を手にすることができた。このため、カサルは自宅をハイパーハウスにすることにした。
住み慣れた家でもあり、ミネリが新しい家では嫌がる――と考え、改造によってハイパーハウスにすることにした。
カサルは、家のユニット間に物置を挟み込む方式を選択した。採光を犠牲にしないため、これまでの部屋の壁に物置の取り出し口を配置し、ドアの部分をムーバーの出入り口に置き換えることにした。このため居室と物置の配置は図のようになり、廊下の無い部屋と物置だけの家になった。

     

家の改造のためには、住宅のユニットを四方に少しずつ移動する必要があったが、ユニット住宅なので簡単に移動することができた。
家の改造の前に、一時、保管倉庫に部屋の荷物や家具類を預ける必要があったが、これがカサルにとって一番の難題であった。カサルはよる年波には勝てず肉体的体力は若い頃に較べてかなり衰えていたので、荷物整理の指示は行うことにしたが、詰め込みや荷積みはクーリーセンター(よろず請け負い業)に手伝いをお願いすることにした。
クーリーセンターからは、
「それでは、荷物の移動は○○日、元に戻すのは○○日とさせて頂きます。ご近所にお住まいの○○さんのチームが伺いますので、ご指示を宜しくお願いします」との返事がきた。
これとは別に、カサルはショートステイセンターにカサル夫妻の事情と滞在期間などを伝え、工事期間中の仮住まいの斡旋を依頼した。
ショートステイセンターからは、
「ご近所のキムラーさんご夫妻がお引き受け下さることになりました」との返事がきた。
キムラー夫妻の家はカサルの家から徒歩十分ほどのところにあった。キムラー夫妻は二人とも五十台前半で、夫婦二人で暮らしているが、巣立っていった息子と娘の部屋に旅行者などを泊めて食事時に一緒に話をするのが楽しみであるとのことでもあり、今回はカサル夫妻に提供を申し出たとのことであった。

「介護ヘルパー、引越の手伝だけでなく、宿泊も全てご近所の手伝いで済んでしまうんですね。家の工事中は、一時アパートにでも引っ越すのかと思いましたけど」
「ホホーウ! エポカの世界では、お互いに助け合うことや人のために尽すことが求められ、それがその人の『得』にもなるので、皆自分のできることをGネットに登録してあるんだ。それと、カズマの世界のように『○○の資格がないと○○をしてはならない』といった規制がないことも、ご近所の人達だけで対応できてしまう理由かな。こういったご近所での助け合いが、ご近所づきあいの元になっている」
「ご近所って、オープンにして、お互いに利用しあうと結構便利なことがあるもんですね」
「ホーウ! キムラー夫妻にとっては、今回のようなケースは稀なことで、普段は旅行者を泊めている。こういうことはかなり一般的に行われている。旅行者は、親戚や友人の家に泊まるような感覚で旅先の一般家庭を利用している。そういうことで、旅行先での宿泊場所はホテルや旅館よりもこのような一般家庭の方が多いんだ」

キムラー夫妻は食事の用意やミネリの介護を含め、カサル達を家族同様に扱ってくれた。ミネリはキムラー夫妻から話しかけられることが嬉しいらしく、食事時はいつになく機嫌が良いように見えた。
こうして二週間ほどキムラー夫妻の家で生活しているうちに、カサルの家の改造が完了した。
カサルはキムラー夫妻に礼を述べて、改造なった我が家に引っ越すことになった。
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カサルは、前から依頼してあったクーリーセンターの手伝いによって、荷物の積み下ろしや配置を行うことにした。改造後の家では物置のユニットやムーバーが威力を発揮して、スムースに荷物を格納したり移動したりすることができた。
手伝いの人達は口々に、「便利な家ですねぇ〜」と連発した。
カサルは積年のゴミ退治を成し遂げたことに勝ち誇ったような気分を味わった。ミネリは部屋が広くなり、車椅子の障害物がなくなり、どの部屋にもムーバーで自由に移動できるようになったことを喜んだ。こうして、ミネリは何年かぶりにカサルの部屋に行くことができた。
荷物の整理が済むと、カサルとミネリは手伝いの人達とともに、取り寄せた夕食でお互いを労った。
夜になり、机以外の家財道具が何も無くなった自分の部屋に戻ったカサルは、忘れていたルマンの宿題を思い出し、ルービックキューブを手に取った。なんのことはなく、あれほど悪戦苦闘しても分らなかったルービックキューブを、あっけなく並びかえることができた。二度三度と試したが、何度やっても簡単に元に戻すことができた。
ルマンに教えてやらなければ――とカサルは思った。
翌日、カサルはひ孫のカビルに電話した。
「家を改造したんだけれど、近いうちにルマンを連れて見に来ないか。それと、ルマンに……約束を忘れていまっているかもしれないけれど……ルービックキューブの並べ方が分ったと伝えてほしいんだ」
その週の休日にカビル、タライとルマンが改造なったカサルの家に来た。ルマンはしばらく見ぬうちにずいぶん背丈が伸びていた。
「おーじいちゃん、おーばあちゃんお元気? 家が一回り大きくなったみたいね。おめでとう! 引越しの手伝いもしないでごめんね」タライが挨拶した。
元の居間に来て、カビルが言った。
「家財道具、どうしたの? 無くなっちゃったの?」
「そう、私の目の前からすっかりなくなっちゃったの」ミネリが言った。
「飾り棚がそこにあるけど」
「それは分るけど、他のものは?」
「たまたま、飾り棚になっているだけなんだ。そこの飾り棚の壁はいろんなものに変身できるようになっているんだよ」
怪訝な顔をしているカビルに、カサルはハイパーハウスの仕組みを簡単に説明し、物置ユニットの呼び出し方法を解説した。そして次々に壁から納戸や書棚、食器棚、テーブル、ベッドなどを取り寄せて見せた。
「おもしろ〜ぃ! それにずいぶん便利ね」タライが言った。
「この赤いランプは何?」カビルが質問した。
「使用中の物置ユニットさ。使っているものは移動できないことが分るようになっているんだ」
カビルは二階を見てみようと元のドアの所にいったが、廊下がなくてエレベーター風になっているのに気がついた。
「あれぇ〜! 廊下なくなっちゃったの?」カビルが驚いたように言った。
「この家には廊下も階段も無いんだ。部屋から部屋への移動はこのムーバーを使うようになっている。ムーバーの中に家の見取り図が貼ってあるだろう。現在の部屋の位置が黄色ランプなんだ。自分の行きたい部屋を指で押すと緑色になる。そうすると自動的にドアが閉まって、その部屋に行けるようになっているんだよ」
「階段が無いと、万が一、火事などでムーバーが故障したとき危険ではないんですか?」
心配には及ばないよという風にカサルが言った。
「階段は、いざというときは年寄りにとっては危険な代物なんだ。それで、念のため二階の部屋には脱出シュートを設置してあるよ」
カビルはムーバーでルマンと一緒に他の部屋に行き、しばらくしてから戻って来た。
「部屋がみんなすっきりして、広く明るくなりましたねぇ……」
「ルマンは何処にいったの?」
「面白がってムーバーを乗り回して、あちこちの部屋を覗いて回っているみたいですよ」
今度は、タライがムーバーに乗って部屋巡りに出かけた。
その後しばらくして、ようやくタライがルマンを連れて居間に戻って来た。
「この家、『ハイパーハウス』っていうんでしょう。ニュースで見たことあるんだけど、おーじいちゃんの会社で開発した家なんだってね。誰が考え出したの?」
「この私なんだけど」照れくさそうにカサルが言った。
カビルとタライは一緒に、「えぇー! まさかぁ?」と言った。
「本当だよ。私が開発のリーダーだったんだ」念を押すようにカサルが言った。
「ルマン、聞いた! この家、おーじいちゃんが発明したんだって」カビルが言った。
「ふーん。そうだね……おもしろい家だね」玩具に熱中しているルマンは素っ気無い返事をした。
「凄〜ぃことなんだよ!」
「ふーん」相変わらずルマンは素っ気無い反応であった。
「実は、ルマンがこの家の仕組みを教えてくれたようなものなんだ」
「どういうこと?」
「ルマンと2年ほど前に遊んだ15パズルと、このルービックキューブがヒントになったのさ」
玩具をいじっていたルマンは、『ルービックキューブ』の名を耳にすると思い出したかのように、
「ルービックキューブ分ったんだって! 教えて」とカサルにせがんだ。ルマンは2年前の約束をしっかり覚えていた。
カサルはルービックキューブを取ってくると、
「ほら……こうして……こう廻して……こうやって……こういうふうするんだ」と並べ方をルマンに実演して見せた。
「凄〜い! おーじいちゃんって天才だね!」ルマンは目を輝かせて言った。
こんなやりとりの後、皆で一緒に食事をして団欒した。食事後にカビル達は帰っていった。
カサルは、カビル達が帰った夜、孫夫婦が帰ったからということでもなく、何か侘しい気持ちになった。他人の家にいるような気がした。スッキリし過ぎて心の中までがらんどうになったような気分になり、以前のゴミ箱のような部屋が懐かしくなった。
「思えば、あのゴミ達は自分の身体の一部のようなものであったなぁ……」と述懐した。
ここで、ホログラフィは消えていった。

「綺麗になったら、汚かった家が懐かしくなった――なんてこともあるんですね」
「ホ、ホホーウ! そうだねぇ。綺麗過ぎる町とか、几帳面すぎる人とか、行き届きすぎた配慮とか、きちんとしすぎていることは返って居心地を悪くするものかもしれないね」
「それよりも、会社の仕組みがぼくらの世界とは全然違うのが驚きだな。こんな会社があれば、お父さんは凄く喜ぶだろうな」

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