未来からのメッセージ

第六の部屋 ハイパーハウス(1)

「ホウ、ホホーウ! 次の部屋の主人公は老人なんだけど、カズマは老人とか高齢者というと、どんなことを想像するかな」
「寝たきり老人とか、定年退職して年金生活している人達を想像するけど。そういえばお父さんが、『少子高齢化社会になるので、年金の財源が不足して支給額が減るかもしれないから、老後の生活は厳しくなるなぁ』と言っていたっけ」
「ホホーウ! 今のカズマの話を聞いたら、エポカ世界の人達はきっと怪訝な顔をすると思うよ。定年ってなんだとか、少子高齢化と年金の財源がどうして関係があるんだとかね」
「エポカの人達がそう思うのは、フーパが『エポカの世界は境界の無い世界』と言っていたけれど、そのことと関係あるのかな?」
「ホーウ! そうだよ。エポカの世界は子供、大人、老人といった境界がなく、無職と有職の境界も無い。談話室でエンリケが説明してくれたように定年なんてものも無い。カズマの社会でも自営業の人達には定年が無いよね、それと似たようなことさ。歳をとっていようがいまいが『活動』できる者はだれでも活動する。高齢になれば介護が必要な人の割合は、働き盛りの人達よりも当然高くなるけれど、それでも介護が必要な人の方が少ない。赤ん坊は百パーセント介護が必要だし、子供も養育という介護が何年も必要になる。そもそも『介護』という言葉だけれど、妻が夫の食事の世話をするのも一種の『介護』ではないのかな。エポカの人にとっては『介護』という言葉の意味が理解できないと思う。確かに、痴呆症の老人の介護は、身体が赤子と違って大きいことや介護期間が長いといったような大変さはあるけれど、経済的な問題はないし、介護の体制も整っているので、高齢者の『介護』が殊更問題になるというのは理解できないことなのさ」
「そうだな、エポカの人ならば年金の財源の問題ってなんだと不思議がるのは当然だろうな」
「ホーウ! エポカの社会は、カズマの世界のように老人が働かない……というよりも働くことを拒絶されている社会ではなく、大部分の高齢者が『活動』している社会だから、少子高齢社会で稼ぎ手が少なくなるなんて問題もないし、もちろんそのことによる財源問題なんていうのはあり得ない」
「さっきの配当というお金のシステムに支えられているからだよね」
「ホッ、ホーウ! だいぶ分ってきたじゃないか。人口の年齢構成が逆ピラミッドになっていることが問題なのではなくて、ピラミッド型の人口の年齢構成や経済の成長がなければ維持できないような社会の仕組みが問題なんだ。そのような社会は欠陥のある社会とはいえないかねぇ〜」
「そうかもしれませんね」
「ホーウ! それでは、ドアを開けて中に入ることにしようか」
          ×    ×    ×
ホログラフィは、カサルという老人の家の中を映している。
カサルの居室は二階にあって書斎を兼ねていた。部屋の中は雑然としている。カサルは年齢百六十歳、中肉中背というよりもやや太り気味で、頭のてっぺんが禿げ上がっている。

「ホーウ! エポカの世界では平均寿命が二百歳くらいになっているので、百六十歳の老人というのは、カズマの世界の六十五歳くらいと考えたほうがよいかな。さっきも言ったように、エポカの世界に定年は無いので、健康であるうちはいくらでも働くことができる。エポカの高齢者は、カズマの社会流にいえば若い人よりも多くの『資金』を持っているし、若い時から蓄積した経験、技能や人的ネットワークも持っている。だから、高齢でも健康でさえあれば、自分の持つ『資金』、経験、技能、人的ネットワークを用いてベンチャービジネスを起こしたり、若者を指導したりといった具合に意気軒昂に働いている」

カサルは、引き出し、納戸の中、書棚などをかたっぱしから調べている。探し物が部屋の中には見当たらないらしく、一階に降り、玄関を出て、家の裏側にある小屋に行き、鍵を開け、うず高く積まれた荷物を降ろしては開封するという作業を繰り返した。
とうとう諦めたという風で、家の中に戻ってきた。一階はバリアフリーになっていて、居間風の部屋で夫人のミネリが車椅子に座っていた。ミネリは、カサルよりも十歳ほど年上で、初期段階の痴呆症を患っている――とのことであった。
「30年前位に設計したユニット住宅の設計のコピーを探しているんだけど、何処にしまったか思い出せないんだ」
「しょうがないわねえ、あなたも呆けが始まったんではないの」
「そんなことはないよ! 俺の頭は未だピンピンしているけど、荷物が多すぎるのと、整理が悪いだけなんだ。痴呆症ではなくて、健忘症かもしれないけどね」とカサルは言って、また自分の部屋に上がっていった。
カサルは、エポカハウスというハウスメーカーの社員であるが、会社に行くのは週に一回程度で、残りの日は家で仕事をしたり、妻の世話をしたりする生活をしていた。ミネリは車椅子の生活になってからというもの、二階のカサルの部屋に顔を出すことがなくなっていた――とのことである。
エポカの世界では二階建てであっても、老人のいる家の多くはエレベーターが備えられているが、カサルの家は若い頃から住んでいる家のため、エレベーターが無いとのことであった。カサルはミネリのために平屋のバリアフリーの家を購入することも考えないわけではなかった。カサルは投資配当のほとんどを自分の会社であるエポカハウス社に投資していたが、長年にわたり会社の経営が思わしくない状態になっていたので、利益配当はおろか給料としての授権配当さえあまりもらっておらず、新しい家の購入資金もなかったのである。
ミネリが二階に上がれた頃はカサルの部屋はそれなりに整理されていたが、ミネリが車椅子の生活になってからは手のつけられないような部屋になってしまった――ということであった。
カサルは机の上にあるモニターで会社からの連絡を見ていた。モニターには、会社存亡の危機とのことで、会社再建のための意見募集や所属部署の会議案内の記事が載っていた。

「ホーウ! カサルは、若い頃は第一線の設計技師だったけれど、今は若い頃に設計した家の維持修繕部門に属しているんだ」
          ×    ×    ×
翌日、カサルは会社に行く準備をしている。
モニターの前で、「ケアセンターをお願いします」というと、画面に女性が現れた。
「ご用件は?」
「今日は留守にしますので、妻の介護をお願いします」
「了解しました、ちょっと待って下さい。…………そうですね、今日は近所のオカルさんが空いています」
「初めての人ですね、どんな人ですか?」カサルが訊ねると、画面に顔写真と経歴が表示された。リストされた経歴の横には人の名前らしきものが記載されている。
カサルは経歴に眼をとおしてから、
「了解しました。お願いします」と伝えた。

「経歴の横に載っている人の名前のようなものは何を意味しているんですか?」
「ホホーウ! 経歴を認定した人の名前なんだ。エポカの世界は無資格社会なんだけど、資格の替わりに経歴がものをいう社会なっている。個人の経歴は虚偽の申告を防ぐため、他の人に経歴を認定してもらう必要があるんだ」
「経歴を認定する人はどのようにして決めるんですか?」
「ホーウ! 自分の経歴を知っている人に依頼して認定してもらうのさ」
「認定した人が、嘘の認定することってないんですか?」
「ホーウ! そうなれば、認定した人の信用がなくなるだけさ。罰則が適用される場合もあるよ。さっきの認定者のリストにはリンクが張られていて、認定者がどのような人かも調べることができるようになっている」
「ふーん」
「ホホーウ! 高度な介護サービスが必要でない場合には、近所の人の方がすぐに駆けつけられる重宝さがあるからね。健康な老人が病気の老人を介護するケースも多い。いわゆる老々介護ってやつだな。しかしこのようなことは老人介護に限ったことはなく、身障者、赤ん坊、普通の大人も含めての話なのさ」
「ぼくらの世界では、介護ロボットなんてものを開発している会社もあって……未だ、実用化されているとはいえないようだけど……エポカの世界には無いんですか?」
「ホッ、ホーウ! もちろんあるさ。アンドロイドやロボットで事足りる場合には、そうしている人も大勢いるよ。けれど、話し相手になってやるとか、心のケアも必要だよね。ということで、アンドロイドによる介護と役割分担しているわけさ」
          ×    ×    ×
カサルはオートキャブという自動運転の車に乗って、シノラマ市の中心部にある会社――エポカハウス社――に向かった。
エポカハウス社は老舗のハウスメーカーであるが、同業他社との競争に晒されて年々業績が悪化している。市場ニーズに合わない旧態依然としたユニット住宅を販売したり、賃貸サービスをしたりしていることが原因で、企業としての業績がすっかり低迷してしまったのである。
ハウスメーカーにはユニット住宅の他に、趣味の手作り住宅、移動式住宅、中心市街地などの共同住宅や海面都市の住宅製造会社などがあるとのことであった。
カサルは、所属部門である維持修繕部の部屋に入って適当な机に座った。

「ホーウ! エポカの会社では、一般に個人の机は無いんだ。社員の多くは会社の事務所で仕事をしているわけではないからね。空いている机のどれを利用してもよいことになっている」

カサルの本来の希望は企画部門での活動であったが、妻の介護のことも考えて時間的余裕のある仕事――昔設計したユニット住宅の維持・修繕に関する相談――をしているとのことであった。
定刻近くになって会議室に入ると、二十人ほどが集まっていて、若いものから老人まで年齢はまちまちであった。部屋の正面には部門長のヘルムスが構えている。このヘルムスは八十歳台とのことであった。
やがて、ヘルムスが会社の詳細な経営状況を説明し、
「このままでは会社が立ち行かなくなるので、製造コストの削減、販売促進、売れる商品の開発、他社への吸収合併など所属部署の問題に限らず何でもよいから一カ月以内に、会社の再建策について知恵を絞って提案してもらいたい」と訴えた。
ヘルムスは説明を終えたあとで、
「何か、質問はありませんか?」と言った。
すると若い社員が発言した。
「エポカの世界では、会社は人の役に立つ活動をするためにあるので、会社の存続自体が目的では無いはずですよね。ヘルムスさんの説明は、会社の存在意義についての説明がありませんでしたが、存在意義の無くなった会社は消えて無くなってもしかたないんではないですか」
「会社の存在意義が薄れつつあるから、経営危機に陥っているわけです。しかし、あなたもこの会社を辞めずに社員でいるということは、少しはこの会社の存在意義を認めているからですよね。……ですから、会社の存在意義を大きくするための提案をして欲しいわけです」

「『存在意義』ってどのような意味なんですか?」
「ホホーウ! この場合には、社会の役にたっているかどうかという意味だよ」
「それと、ぼくらの社会では会社が経営危機になると決まって『リストラ』という言葉を聞くんだけれど、これらのことはリストラと関係あるんですか?」
「ホホーウ! カズマの世界でいうリストラは、本来の意味の一部である『人員整理』と同じ意味で使用されているようだね。この『人員整理』を意味しているのだとしたら、エポカの世界にリストラは無いよ」
「……ん、でも多くの人を抱えたままだと、人件費だけでも大変になるんじゃないの」
「ホホーウ! 給料水準があまり変わらなければ確かにそのとおりだよね。けれど給料水準は会社の利益から配分されるものなので、利益が少なくなればどんどん給料は下がっていく。給料が下がっても、従業員はGバンクからの『基本配当』の支給制度があるから生活には支障ない」
「給料が少なくても従業員は我慢しているんですか?」
「ホホーウ! 我慢できないと思う人は、当然会社を辞めていくことになるけれど、会社側からは『人員整理』をできないことになっている」
「会社側で、社員の首を切ることができないということは、社員の採用でも同じなんですか? つまり、会社に入りたい人は誰でも入れるということなんですけど」
「ホホ、ホホーウ! そのとおりなんだ。但し、入社しても『活動』している社員から『活動』を頼まれたり、『活動』を評価してもらえなければ給料は貰えない。だからそのような無給社員は、カズマの世界流にいえば、自宅待機社員ということになるかな。そういうわけで就職と失業の境界もない。カズマの世界でも、国によっては誰でも大学に入れるけれど、単位を取れるか否か、卒業できるか否かは本人の勉強次第というのと似ているかな」
          ×    ×    ×
カサルは困ったことになったという風な顔も見せず、家に戻った。
ドアを開けて居間に入ると、ミネリと一緒に介護ヘルパーのオカルがいた。
「おかえりなさい」
「ありがとうございました。助かりました」
「ミネリ、食事はしたのかな?」
「してないわよ。でもお腹は空いていなけれど」
すると、オカルがカサルに近づいてきて、耳打ちした。
「散歩で外出した時に、ついでにレストランで食事を済ませましたよ」
「そうでしたか」カサルも小声で返事した。
「それでは、今日はこれで帰ることにします」とオカルは言って、帰っていった。
「会社に行ってきたのかしら」
「そうなんだけど。このままいくと会社が倒産するかもしれないようだよ。それで、会社の再建策を社員一同考えてみて下さいということだったよ」
「おやまあ! 大変なことねぇ〜」
「そうだねえ……長年活動してきた会社だからねぇ……無くなると思うと寂しくなるな」
そう言ってから、カサルは二階に上がっていった。相変わらずの乱雑な部屋であった。
会社が倒産するかもしれないんじゃ、資料を探してもしょうがないか。いずれにしても、いい加減にこの部屋も何とかしなければならないな。まるで物置の中に住んでいるようになってしまったし……家具を配置換えして、デッドスペースを無くす方がいいかな……だけど家具の移動は大変だな……今更二階のものを一階に降ろすのも大変だし――と思案してはいるが、部屋を整理しようとする意志は持ち合わせていない様子であった。
カサルは――会社が危ないとは言っても、未だ倒産と決まったわけではないんだから、再建策でも考えてみるとするか――と思って、習慣的にいつものようにモニターの前に座った。
会社の合併などは経営トップの仕事であるし、コスト削減は設計や製造部門の仕事だし、維持管理部門ができることはたかがしれている……自分は何をすればいいんだ――と考えを巡らしはじめた。
そういえば、ヘルムスは「自分の所属部署の問題に限らずなんて」苦し紛れのことを言っていたな……ということは、自分の好きなことでもよいわけだ――と思い直してみた。
カサルが好きなこととは、豊かで快適な住宅について企画したり設計したりすることであったが、最近の市場の動向については疎くなっていたので、売れるものとなるとアイデアがすぐに出てくるわけではなく、自分の部屋のことやミネリのことなどに思いがそれていってしまった。
しばらくして――老人のことなら考えられるかもしれないな……自分自身やミネリのことだから……それに年寄りは人口の割合も高いし、徳の高い人が多いから所得も多いし……狙い目かもしれないな――とカサルは目先を変えることにした。
カサルは、念のため会社の老人向けユニット住宅のカタログなどを見返して、売れない商品の売れない理由から、逆に売れる住宅のアイデアを考えてみようと思案してみたが、売れる商品のヒントは思いつきそうもなかった。
フェイス・ツー・フェイスの情報が一番大切かもしれないな……まずは情報収集でもしてみるか。老人なら友人が大勢いるから、手始めに会社の元の仲間や近所の人達と無駄口でも叩いてみるとしようか――とカサルは当面の方針を考えた。
          ×    ×    ×
カサルはケアセンターにミネリの介護を任せ、昔の同僚や近所の老人の家々を訪問しては、生活上の不都合などを聴いて回った。昔の同僚の中には体力の衰えから早々に現役を退いて隠居している者もいたが、多くはそれなりに『活動』していた。楽しかった昔の想い出話に花を咲かせながら一週間かけて分ったことは次のようなことであった。
エレベーターの無い家では、階段の昇り降りが苦になっていること、何十年も同じ家で生活しているとやたらと家財道具が増えて何が何処にあるのか分らなくなっていること、家具の移動は苦痛で何年もしていないこと、家の部屋の中のスペースが無くなってしまったこと、掃除も邪魔物ばかりで面倒になっている――などカサルと同様の不都合を訴える者が多く、自分だけの問題ではないことに気づいた。
キーワードは『多くの家財道具や物の管理』、『広い居室空間の確保』、『エレベーター』であった。カサルは納戸や物置とエレベーターを上手く確保すれば老人のニーズにあった住宅になるのではないかと考えた。
低層住宅のエレベーターはともかく、家財道具の処置が問題になっているとは考えてもみなかった。納戸や物置に関しては『どうでもよいようなもの』と思っていたので、最近の物置や倉庫がどのようなものかを調べて見る必要があるな――とカサルは考えた。
はじめに、最新の住宅用の物置をGネットや展示場に行って調べてみたが、どこにでもあるようなものしか見当たらず、ヒントになりそうなものは何も見出せなかった。
倉庫に関しては大掛かりな代物ばかりで、ほとんど自動化されていた。住宅用にはとても応用できそうには思えなかった。家と一体になったような、自動化されたコンパクトな納戸兼物置のようなものをカサルはイメージしていたのである。
          ×    ×    ×
カサルは半月ほど費やして調査したが、新商品のアイデアらしいものは何も思いつかず、手詰まりの状態にあった。カサルはミネリをほっぽり放しにして外出していたので、しばらくは家に留まろうと考え、自宅でミネリの面倒をみる生活に戻った。

そんな折、休日に――もっとも、カサルにとっては毎日が休みのような日々ではあったが――ひ孫夫婦のカビルとタライが息子のルマンを連れてミネリの様子を見に来た。

フーパの説明によると、一人っ子の『奨励』政策のせいで、子孫は枝分かれせず一筋になっていることが多く、超少子高齢化社会だから子供は『貴重品』である。カサルの子供、孫達は遠方にいて、たまたまカビルの家族がカサルの住む町から遠からぬ所に住んでいるということであった。また160歳のカサルの年齢の割には玄孫のルマンは幼すぎる。これは、長寿化しているので女性の多くは若い頃の健康な卵子を凍結保存しておき、産みたいときに対外授精して自身の子宮に戻すような出産が多いのためだという。このため出産年齢が20〜30代に集中することはなく、高齢出産も珍しくはないとのことであった。

「おーじいちゃん、こんにちは。おーばあちゃんの具合を見に来たんだけど」タライが言った。
「特に変わったことはないよ。でも皆の顔を見るのを楽しみにしているから、喜ぶと思うよ」
ルマンは、やんちゃ盛りの四歳の男の子であった。カビルとタライがミネリと話しをしている間、退屈しのぎにポケットから小さな玩具を取り出して遊んでいる。
しばらくすると、いらいらした様子で玩具を放り出してしまった。玩具は床に散らばった。カサルが眼を向けると15パズルであった。
「ルマンあきらめちゃだめだよ。おーじいちゃんが教えてあげるよ」とカサルは言って、拾い上げ整理してやった。
ルマンは「本当!」と言って、もう一度15パズルを手に取った。
カサルは、「5を上に、9を左に、8を下に……」などと言っては逐一指示を出した。やがてゲームは完成した。
「今度はできるだけ自分でやってごらん」と言って、カサルは脇から様子をうかがった。
偶然か考えてのことかは分らなかったが、ルマンは並べ替えを完成した。
「ルマン偉い! よくできた。忘れないうちにもう一度やってみたら」
カサルに褒められて嬉しくなったのか、ルマンは再挑戦し、またまたひとりで完成させた。
孫夫婦は三時間ほどカサルの家で過ごしたあとで、
「これから行くところがあるので、今日はこれで失礼します」と言って帰っていった。
          ×    ×    ×
孫夫婦が帰ったあと、二階の仕事部屋に戻ったカサルは机に座って、ルマンがパズルを並べ終えた時の嬉しそうな笑顔を思い出していた。そして、なぜか15パズルのことが気になった。
翌日、カサルはルマンのために街の繁華街の玩具屋に行くことにした。ルマンが喜びそうな――頭を使うゲーム――を探して廻った。積み木、ジグソーパズルやルービックキューブなどを買うとカサルは家に戻った。
家に戻るとカサルはタライに電話し、
「ルマンが喜びそうな玩具を買ったから、暇な時にルマンをつれて来るように」と告げた。
三日ほどして、タライはルマンを連れてカサルの家に来た。
前回と同様、タライがミネリと話している間、ルマンはカサルの買った玩具に取り組み、カサルがルマンの相手をして一緒に遊ぶことになった。
最初はジグソーパズルや積み木で遊んでいたが、綺麗なルービックキューブを見ると、どうやって遊ぶのかわけも分らず、あちこち押していじった。
「おーじいちゃん、これどうやって遊ぶの」
「これは、押すんじゃなくて、廻して色や柄合わせをするんだ。ほら、こうやって捻ると色と柄が合うだろう」
ルマンはルービックキューブと格闘を始めたが、なかなか思うようには面の色や柄が合わなかった。
「これは、結構難しいかもしれないね! でも出来るようになったら凄いことだよ。本当のこというと、おーじいちゃんにもよく分らないんだ」
「なーんだ!」
ルマンはなおも小さな両手でルービックキューブをいじくりまわしていたが、うまくいかなかった。
「そうだね、今度ルマンが来る時までに、おーじいちゃんが出来るようになっておくから……今日はこのくらいにしておいたら」とカサルは言って、ルマンを諦めさせた。
「きっとだよ! おーじいちゃん」
          ×    ×    ×
ルマン達が帰ってから、カサルは早速、ミネリを前にしてルマンとの約束を守るためルービックキューブと悪戦格闘することになった。しかし、六面の絵を合わせることは出来なかった。
夜になり、カサルはミネリを風呂に入れ、ベッドに寝かせてから自分もベッドで横になったが、ルービックキューブのことが気になって、なかなか寝つけなかった。そのうち、15パズルやルービックキューブだけでなく物置、エレベーター、納戸や押入れ、バリアフリー、車椅子、デッドスペースなど仕事のこともゴッチャになってとりとめも無く頭の中を駆け巡った。なぜかこれらのことが関連しているように思えたのである。
そして、ひとつのアイデアが閃いた。
「そうだ、スライドして、廻せばいいんだ! エレベーターも同じに扱うことができるぞ……」とつぶやいた。
カサルは幾度となくこのアイデアを反芻するうちに、遂に睡魔に襲われて眠りについた。
翌朝、カサルはミネリの世話と朝食を済ませると、そそくさと二階に上がって昨夜のアイデアを忘れてなるものかとばかりに、モニターとにらめっこし、音声入力で閃きをコンピュータに書き出した。
昼食後は資料作りに没頭した。夕刻に新商品企画に関するメモをGネットで会社の掲示板に載せ、二日後の会議室の予約をしてから、主な関係部署に会議への自主参加要請を行った。
会議の招集目的は、カサルのアイデアについての意見聴取と技術的アドバイスを求めることであった。

「こんな具合に、部門長の了解も無しに勝手に会議を召集してもよいものないんですか?」
「ホ、ホーウ! メンバーを指名して出席を求める場合は、メンバーの部門責任者の了解が必要になるけれどね。今回の場合は、不特定多数の興味や関心をもつ社員の参加を求める会議なので、ルール違反ではないんだ。新しいプロジェクトを準備する段階では、こういった会議の召集方法は一般的なことと言えるな」
          ×    ×    ×
会議の日、カサルは会議の開始時刻よりもかなり早く会社に着いた。
このため会議室には未だ誰もいなかった。カサルは会議の準備を済ますと、ルービックキューブをポケットから出して時間潰しをした。ルマンとの約束を果たしている暇がなくなってしまったので、時間が空いた時にでもいじってみようとルービックキューブをポケットに入れていたのである。
カサルがルービックキューブに夢中になっていると、元の同僚で営業部門にいるエッカムが、
「ルービックキューブかい。妙なものに興味があるんだね」と声を掛けた。
「やあエッカム、久しぶり。それより、よくきてくれたねぇ。これ、玄孫の宿題でね、未だにうまくいかなくてね。今回の会議テーマのヒントになったもののひとつなんだ」
「へぇ〜? ルービックキューブが会議のネタか」
会議予定時刻になって20人ほどが集まった。大半が昔のカサルの仲間であり、カサルの情報収集の対象になった友人も多数混じっていた。この外に5人の若者がいた。うち2人は企画部門の所属で、残り3人は無給社員であった。
会議の前に、簡単な自己紹介をすることになった。
若い2人――タリムとサンザ――が企画部門の所属ということだったので、
「上司の指示で、この会議に参加したのですか?」とカサルが訊ねてみると、
「いえ、私達の上司は今回の会社の経営危機に対する諸問題に没頭していて、ぼくたちは勝手にこの会議に参加したんです。『高齢者用物置住宅』という聞いたこともない住宅の開発に関する会議だとのことなので、面白そうだと思ったんです」とタリムが答えた。
無給社員の若者達は、3人とも建築の専門学校を修了したばかりで、建築での本業的な『活動』の経験は無いとのことであった。
「倒産するかも分らない会社の会議に出てきたのはなぜかな?」カサルは3人に質問してみた。
「会社の経営状態が思わしくないということは知っていますが、新しい試みのようなので自分達の出番もあるのではないかなと思ったんです」無給社員のひとりが答えた。
出席者の自己紹介が終わると、カサルは、スクリーンに『高齢者用物置住宅』のコンセプトを映し出し、説明を始めた。『高齢者用物置住宅』のアイデアとは、次のようなものであった。
現在の高齢者住宅の問題
●階段の昇り降りが苦痛になっている。
●家財道具が増えて居室の実質スペースが小さくなっている。
●車椅子での移動の際の障害物が多い。
●物をどこに仕舞ったか思い出せない。
●一旦、荷物を納戸や物置にしまいこむと、探したり取り出したりするのが大変になる。
新しい住宅のコンセプト
●家財道具の移動や配置が労せずにできる。
●階段や段差など老人の歩行の障害や負担になるものがない。
●居室スペースを広くし、廊下などのスペースを省く。
●遊び心のある家とする。
新しい住宅の基本構造
●家と物置が一体化した建物とする。
●物置は多数の自走式ユニットが物置内を上下、左右、前後に移動できる仕組みとする。
●居室からの指示で、このユニットが居室の壁から顔を出す仕組みとする。
●ユニットは食器棚、書棚、納戸、陳列棚などの収容スペースとしての他に、上下左右に動くエレベーターとしも利用できる。
●ユニットは取り出し面を居室に向けるため、回転できる仕組みとする。
●ユニットの回転方式としては、ユニット自体が物置内で回転するものと、ユニット内で置かれたものが回転する方式が考えられる。
●物置をコンパクトなものとするため、ユニットは物置内でルービックキューブのように格納され、ユニットのない幾つかのスペースを利用して15パズルのように移動し、各部屋に辿りつける仕組みとする。
●物置を建物の何処に置くかについては自由度をもたせ、家のユニット間に挟みこむようなタイプと家の後ろや脇に配置するタイプなどを考える。
●物置ユニットは、必要に応じて後から増やすことができるようにする。
つまり、物置内の自走ユニットは様々な棚や納戸などに使用することができるので、どのようなユニットを自分の部屋に呼び出すかによって、部屋が居間風になったり、書斎風になったりする。居室の家財道具を様々なユニットに収めることで、居室空間を広くすることができる。自走ユニットは、エレベーターのように垂直方向だけでなく水平方向にも移動できる乗り物としても使用でき、引越しの際に、荷物の移動や整理をスムースに行うことができるメリットもある――とのことであった。
水平方向にも移動できるものをエレベーターと呼ぶのは言葉として正しくないので、カサルは『ムーバー』と呼びなおすことにした。
カサルは高齢者用物置住宅のコンセプトをひととおり説明すると、
「問題は、自走式ユニットの技術的仕組みとコストです。基本的なアイデアはありますが、機械のことについては専門ではないので、この辺のことについてお集まりの皆さんのお知恵を拝借したいと思っている次第です」と言った。
「いっそのこと家全体をフローリングにしておけば、家の全ての部屋がバリアフリー化して移動が自由になりますね」Aが言った。
「それなら家具もすべてキャスター付きのものにすれば、テーブルセットやベッドなども部屋から部屋に移動できるのではないですか」Bが言った。
「そうですね、それも考えられますね。但し、ユニットのサイズが問題になりますが」
「折りたたみ式のテーブルセットやベッドを使えばいいんではないですか」Aが提案した。
「家具を新しく買う場合には、それも可能ですね」
「新築の家だけでなく、販売した住宅や保守サービスを行っている住宅への応用もできるんですかね? そうすれば市場も大きくなると思うんですが」営業部門のエッカムが質問した。
「当面は、新築の家を対象に考えますが、次の展開としては当然そのようなことになると思います」
「順番を逆にした方がいいんではないですか。先に既存の住宅用の物置を開発し、新築用をあとにするとか」エッカムが提案した。
「おっしゃることはごもっともですが、開発の手順上は新築用が先にならざるをえないと思います。設計部門のゼンダーさんいかがですか」
「そうですね、既存の住宅は種類が多いので、技術的には新築用を先行せざるをえないのではと思いますが、予め既存住宅への応用も視野に入れて、家の改造方法などを考えておくことになるでしょうか」
「自走式ユニットの仕組みはどうですか。ここに示すように、縦横に自走するタイプや縦横のポールにつかまって移動するタイプなどを考えているんですが、コストが大きくなってはしかたないし、消費電力などのランニングコストも問題になると思うんですが」
「ユニットが下がる場合には、エネルギーを蓄えられるようにするとか、ペアのユニットを上昇させてエネルギー消費を抑えるといった方法は考えられないでしょうか」Cが提案した。
「いずれにしてもこのような仕組みのものは、当社の技術には無いので、倉庫のメーカーなどと提携して開発する必要があるかと思います」ゼンダーが答えた。
「家の中の階段はどうしますか? 必要なくなりますよね」Dが言った。
「確かに階段は不要になるかもしれないけれど、火災などで万が一ムーバーが動作しなくなった際は困るので、緊急時対策として避難用の脱出シュートのようなものを二階以上に設置するのはどうかな」Eが提案した。
「動力源はどのようにしますか。ソーラー発電との組み合わせなども考えておく必要があると思いますが」Fが言った。
「家のサイズは従来の家よりも大きくなるんでしょうか?」Gが質問した。
「従来の収納スペースや物置と代替することになるので、多少大きくなる程度で済むのではと思います」
「物置住宅というのは仮の名前だとは思うんですけれど、もっと言葉の響きのよいネーミングを考えるべきだと思います」エッカムが言った。
といった具合に議論は白熱した。議論が進むにつれて、老人達はすっかり物置住宅を開発するつもりになっていた。出席していた企画部門の若いスタッフ2人は、聞き役に回って議論の内容をメモっていた。無給社員の3人は老人達の議論を興味深げに聞いていた。
議論が佳境に入ったとき、社長のシタールが顔を出した。
皆がドアの方に顔を向け、シタールを見つめた。
「皆さん! カサル! 遅くなって申しわけない」
「お忙しいのに、わざわざお出で頂きありがとうございます」
「いやいや、責任あるポストを皆様から頂いているにもかかわらず、会社をこんな状態にしてしまって、面目次第もありません。またまた先輩方の知恵をお借りする機会に巡りあえたことを有難く思っています」

「ホ、ホホーウ! 社長のシタールは、昔カサルの部下だったことがあるんだ。会社の再建を託されて半年前に社長になったばかりなんだけれどね」

カサルは、今までの説明と議論の内容をかいつまんでシタールに説明した。
会議の終わりにあたり、カサルは十日程にせまっていた締め切り日に向けて、会社再建策の企画書づくりへの協力を求めた。
企画部門のタリムとサンザは事務局的な役割を分担してもよいと申し出て、企画書づくりの手伝いをすることになった。エッカムは高齢者住宅のニーズについて更に調べてみることを申しでた。ゼンダーは――物置の自走ユニットの仕組みについて、設計部門の若手にアルゴリズムを検討させたり、倉庫会社などにヒアリングさせたりしてみる――と言った。
無給社員のひとりが代表して、「何かお手伝いできそうなことがありましたら、ぼくたち何でも手伝います」と言ったが、誰からも何も頼まれなかったので、えらくしょげ返った。
カサルが「このアイデアに興味があるようだったら、自宅のモニターで注目していて下さい。意見があればいつでも提案して下さい」というと、気を取り直した様子であった。
シタールは「企画書を楽しみにしています」と言って帰っていった。

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