未来からのメッセージ

談話室 配当というお金(2)

「ちょっと脇道にそれましたが、確かに配ったお金は回収しなければ、いずれインフレになって貨幣価値が下がってしまいます。先ほど言ったように、生産力と社会に出回るお金はバランスしている必要があります。ところが今、世界には日本のようにデフレで苦しんでいる国が少なからずあります。充分な生産余力があるにも拘わらずです。カズマ君の言うように本当におかしな話です。モノ不足ではなくモノ余りなのです。供給力不足ではなく需要不足つまり購買力が不足しているのです。不況期には困窮している人が大勢いるので、お金がないため需要にはなりませんがモノやサービスに対する切実なニーズは大きいはずです。このようなデフレは、需給ギャップ分を政府が国民に生活資金を配分したり公共事業などに支出したりすることによって、たちどころに解決可能な問題なのですが…政府貨幣に対する迷信のような偏見には困ったものです。エポカでのこのような配分したお金の回収方法ですが…」
「分かりました。さっき教えてもらった減価貨幣ですね。これを使えば、所得税とか消費税とかの税金などいらないことになりますね。減価率を調整することで、インフレやデフレを防いでいるんですよね」
「そのとおりです。現在の社会であれば消費税のようなものも考えられますが、減価貨幣であれば交換手段にしかならないし、配当の回収にも使用でき、しかも電子マネーなので処理しやすいですから。しかし、減価貨幣だけではありません。というのは、時として貨幣の回収を早めるために減価貨幣の減価率を大きくすると購買行動が促進されて貨幣の回転率が大きくなりすぎてしまう懸念があります。このため別の方法も併用しています」
「別の方法?」
「エポカにもカズマ君の世界の人から見たら税金のように見えるものがあります。ひとつは、先ほど説明した相続のない世界ということですから、相続税率が百パーセントと見えるかもしれません。もうひとつは地球資源の利用料です。この利用料もインフレやデフレを防ぐ手段として使用されることがあります。エポカ世界では土地は公有ですから利用料をGバンクに払う必要があります。同様に、石油・石炭、様々な鉱物資源の採掘、自然界に生息する魚、動物、植物の採取など自然資源の利用料金や環境への負荷や排出量に応じた料金も支払う必要があります。水質汚濁や大気汚染物質の排出なども環境の利用ということになります。いずれにしても自然の利用に当たっては、自然資源の復元料・環境保全料のような料金を払う必要があるのです。カズマ君の世界の人からみれば地球税のようなものかもしれませんが、あくまでも利用料金なのです。利用料金を支払う人や組織のみが独占的な資源利用権を持つことになります。もっとも、これらの利用者が生産したモノやサービスの価格には自然資源の利用料金が含まれることになりますから、最終的には消費者が負担することになります」
「地球税…ではなくて、地球資源の利用料ですか…」
スクリーンには別の説明図が表示されていた。
「そもそも、人間の労働や生産活動の結果として得られる所得に課税するという方法が間違っているのです」
「どうしてですか?」
「家事や育児、ボランティア活動なども含めて人間の労働や生産活動は自分のためだけでなく人びとために有用なもののはずです。この有用な活動の成果から搾取するような税金は望ましくないということです。それよりも人類を含めて地球上の生物にとってかけがえのないものであるとともに自らが創造したものではない地球環境や資源を利用する行為に対してその利用料を徴収する方が理にかなっています」
「そういわれれば確かにそうですね」



「資源利用料は決して安いものではありません。化石燃料などはカズマ君の世界よりもかなり高額になりますから輸送費が高くつくことになります。これは関税と同じような効果をもち、遠方からの輸入品のようなものは高くなりますので、結果的に農業などの地場産業が守られようになります。巨大企業が世界経済を支配するようなことがなくなり、経済は相対的に地産地消型になります」
「日本国内の森林ではなく、東南アジアの森林が伐採されて、日本に大量に輸入されるなんてこともなくなりますね」
「エポカの企業経営者達は、優れた品質のモノをより安い価格で提供すべく努力する点はカズマ君の世界と同じですが、生産コストを下げるには、資源の消費量を抑え環境負荷を小さくするような技術を開発・使用すること、従業員にとって楽しい職場づくり・生き甲斐を感じられる職場づくりが重要になります。
基本配当がある世界の会社では、カズマ君の世界の会社のように高給を支払う必要がなくなっている上に、楽しく・生き甲斐を感じられるような職場は人気があるので無給でもOKという人が大勢いるからです。
これとは別に、社会的に存在意義のある生産活動をすることは資金集めの点から重要になります。人々は投資配当を、高い利益を出せる会社とは別に世界中の人々の幸福増進に寄与している会社に進んで提供するからです」
「地球のため、従業員のために、世の中のためになる生産活動をすることが企業繁栄の秘訣ということですね」
「話が元にもどりますが、カズマ君の社会では、無から創造される銀行の利子貨幣は銀行が利子を獲得するために発行されているものです。バブル期などに大量のお金が発行され、不況期ではどんなに人が困っていようが貸し渋りや貸しはがしが起きたりします。このお金は人間を利潤追求に駆り立て、犯罪の温床にもなり、社会や経済を不安定なものにし、地球の資源や環境を破壊する元凶になっているものです。これに対して国民の声を代弁する政府であれば、銀行通貨のような有利子貨幣ではなく減価貨幣にすることができ、国民の幸福のためにいくらでも有効活用できるはずです。貧乏で困る人も、不況なんてものもなくすことができるでしょう。ですから銀行貨幣は銀行の利益のために発行される私的通貨ですが、政府貨幣は公共通貨として機能します。利潤追求目的のために発行される銀行通貨は信用バブルを繰り返し引き起こしてきましたが、この公共通貨は信用バブルはもとより景気変動の歴史に終止符を打つでしょう」
「世の中の人って、どうしてこのようなことが理解できないのか不思議なくらいですね。
ところで、エポカは僕らの世界と同じような社会から生まれ変わったわけですよね。『親の勘当』の部屋でその経緯が映し出されていましたが。借金だらけの社会が借金のない世界に転換するのは容易なことではないように思えるのですが」
「確かに大変なことには違いありませんが、比較的スムースに移行しました。というのは、エポカ誕生のかなり以前から基本配当によって人々の生活は保障されていましたから。それと社会規範が既にエポカ社会的なものに変化していたので混乱するような事態にはならなかったのです。借金に関しては全て出資として処理されました。大多数の人々の賛成によって成立した法律に基づくものです」
「どうでしょうか? 特に質問がないようでしたら、そろそろまとめにはいりたいと思いますが。よろしいですか?」
「いまのところ、質問はありません」
「経済や財政のシステムはシンプルなもので済ませられるはずですし、だれの目にも明らかなように透明なものでなければならないと思います。複雑な経済学など必要ないのです。ですからエポカの世界には会計学はありますが経済学などという代物はありません。経済や財政のシステムは人の幸福だけを目的としたモノやサービスの効率的かつ適切な生産と配分のためにあるべきであって、それ以外の目的のためにあるべきではないのです。貨幣の獲得や利潤の追求を目的として、その手段として生産や販売があるようなシステムは根本的に問題があります。
現在の貨幣、資本主義の経済と財政のシステムは複雑極まりないものです。貨幣は利子を貪り取るような利子貨幣ですし、経済は利潤追求動機で動いています。財政は人々の活動の成果である所得などからの税金という形の搾取と銀行の利益のためにあるような国債に依存しています。資本主義経済学は銀行を中心とした経済システムの維持を前提としていますから、このような経済学では人々を幸福にすることは決してできません。このシステムの中では人々はシステムが命じるままに動くことを強要されています。人々はこのシステムの奴隷になっています。
百年前から比べたら現代世界の生産力は何百倍にもなっているので、生活水準からすればこの世は楽園になっていなければならないはずです。それがそのようになっていないというのは貨幣の性格と所得分配システムに問題があるからです。
『生きるために、なんとかして利子貨幣を稼がなくてはならない社会』は『拝金主義的社会』になるのは必然ではないでしょうか。エポカの世界は、『配分されたポイントをどのように使うか』という社会です。ポントは稼ぐ前に、使うために手元にあるのです。エポカは国境が無く、秘密が無く、高度の情報通信システムと生産力をもっている社会ですが、必ずしもこれらの条件がなくても公共通貨をベースとした『配当システム』を導入することは可能なはずです。近年では社会保障費などで増大する国家財政を支えるため、世界各国が大量の国債を発行するようなことになっていますが、既に税金や国債などで財源を賄うことが限界にきています。ですからカズマ君の世界でも早い時期にこのようなシステムに移行すべきであると思います。
ところで、先ほど政府の借金が千兆円もあるということでしたが、日本の場合には外国から借金しているわけではありませんから政府が一兆円金貨でも考案して千枚もつくれば、それで借金は帳消しにできます。絵空ごとにすぎない財政規律問題のために社会福祉費を切り詰める必要など全くありません。インフレになるのが心配であれば、国民の生産力にあわせて支出を調整すれば良いだけのことです。マスコミまでが異口同音に叫んでいる『子供や孫の世代に借金のツケを廻すな』といった論調は広く国民一般に知られていますが実に困ったことです」
「日本の国の膨大な借金を本当にそんなに簡単になくすことができるものなんですかねぇ」
「実に簡単なことです。トラウマから解放されれば良いだけのことです。個人や企業の借金と国家の借金を同列視していることに問題があります。通貨発行権を行使しようと思えばできる政府と個人や企業の場合とは立場が全く異なります。問題にもならない政府の借金を『問題だ』として財政支出を削減したり増税したりすることにこそ最大の問題があるのです。需要不足で不況のときに個人や企業が経費節減に励むのは理解できることですが、政府までもが国の借金を減らすために財政を緊縮させたり増税したりしたら不況が一層深刻化して泥沼から抜け出せなくなります。緊縮財政は景気が過熱状態の時に行う政策であって不景気のときには決して行ってはならない政策のはずです」
「日本銀行が金融緩和とかをいろいろやっているようですが、いまくいかないのは何故ですか?」
「日本銀行が銀行への貸し出し金利を下げたり銀行の国債を買い上げたりして銀行の資金量を増やしても、企業は需要つまり収入が見込めなければ金利が低くても借入に躊躇せざるをえません。いわゆる流動性の罠の状態に陥っているのです。確かに、円安になって輸出関連の企業が潤う場合があるかもしれません。デフレの状態で需要を生むには、このような間接的手段はほとんど機能しません。需要を生むには直接的に需要そのもの、具体的には公共事業費や社会保障費の増額、現金給付や減税などの方が有効です。それと肝心なことですが一時的な対策ではなく、継続的に安定した需要が見込まれることが必要です。いくら個人資産があっても収入の見通しがなければ、人は支出を抑制し明日に備えます。収入の見通しがなければ企業はリストラに走ったり積極的な投資を手控えたりします。人も企業も基本的にはストックの量ではなく入ってくるフローの量に応じて支出します。銀行の資金量を増やしても、銀行が安全確実と考える国債購入の原資になるだけのことです。つまり慢性的デフレ状態のときは政府が直接的に有効需要を創造するしかありません。更に言えば、政府が恒常的に需要そのものをコントロールする必要があります。大切なのは国全体での生産力と需要のバランスです。生産力に十分余力があって需要が不足しているデフレ状態であれば需要を創出し、需要を満たす生産力が無い場合には、生産力を増強したり需要を抑制したりすればよいのです。
需要創造の財源確保のため、政府が政府貨幣の発行に踏み切れないでいるのであれば、国債でもよいのです。政府通貨の発行と同様の意味をもつ赤字国債の日銀による直接引き受けも躊躇されるのであれば、百歩譲ってこれまでどおりの民間引き受けでもかまいません。景気が悪いために行き場を失っている資金が市中銀行には山ほど溜まっているからです。政府がその資金を借りて需要を創出してやるだけのことです。政府支出は国民の収入になって帰っていくでしょう。日本では不動産バブル以降の長年の誤った緊縮財政政策のために、何年も経済成長がストップしたままになっています」
「そういうことになりますよね。そのようなことを言っている人はいないんですか?」
「ノーベル賞をもらったような経済学者達もいますし。日本にも熱心に政府に提言している人達が大勢います」
「そうなんだ。でも、金融緩和をやったり政府が有効需要をつくったりして、銀行や企業に儲けさせ、その結果として国民の所得が増えます…といった手法は所得格差の是正を目的にしているわけではないから、貧しい人々に所得がどれだけ配分されるか分かったものではないですね。こういう方法は目的からすると間接的で、目的からそれてしまうこともあるから、手順が逆のように思います。やっぱり基本所得を直接的、継続的に全国民に配分する方が確実で手っ取り早いですよね」
「おっしゃるとおりです。マスコミも含め大半の政治家の頭は『間違いだらけの通説』に支配されているのです。
ちょっと脱線しましたかね。それでは話を戻します。競争の無い社会は、刺激が無く、生き甲斐も楽しさも無い社会になります。このため、エポカ世界でも競争があり、会社などの組織には栄枯盛衰があります。所得の多い人も少ない人もいます。ですが、お金を稼ぐためにひたすら競争に明け暮れる社会は、目的と手段を履き違えた社会です。
前世では、人はお金を巡って殺人、盗み、詐欺、汚職などの様々な罪を犯し、自殺や戦争などの悲劇を繰り返してきました。利子貨幣に基づく利潤追求動機で動く社会では、安全性が犠牲にされ、時に列車事故や原子力発電所事故などの大惨事を引き起こしたりもします。経済性を追求するあまり地球の自然環境を破壊したり汚染したりすることなどあたりまえのこととして行われています。お金だけの世界はせちがらい社会であり、利害や打算の社会であり、人品を卑しくもします。高貴な人も下品に、優しい人も鬼になります。これらのことは、稼がなければ生きていけないことが主な理由であると思います。ですから、『稼ぐことを目的として働く』のではなく、『自分の生き甲斐と人に感謝されるために活動する』ように社会の仕組みを転換する必要があったわけです。ということで、エポカ世界の『三つの配当』は、『徳』が『得』になる社会を実現するために、長い期間の試行錯誤の上に考え出されたものなのです。
カズマ君が住んでいる世界である資本主義社会は、私有財産と競争による市場経済に基づく社会です。伝統的な社会主義社会は国家が全ての生産手段を保有する共有型社会であり、計画による統制型の経済です。ところが、エポカの世界は財産相続がないので共有型社会のようなものですが、市場経済社会なのです。ただし、政府の規制を極力排除しようとする自由放任経済ではなく、総需要コントロール型の市場経済です」
カズマはうなずいたが相変わらず黙って聞いていた。
「最後になりますが、何か聞いておきたいことがありますでしょうか」
しばらくカズマは考えていた。
「えーとですね…社会主義が失敗した原因とユーロ危機の原因ってどこにあるんでしょうか?」
「そうですね、いずれも大きな社会実験の失敗ですね。このような実験結果をきちんと総括し、学んでおく必要があります。でも両方とも詳しく述べている時間がないので要点だけにします。
最初に社会主義ですが、マルクスの理論に起因する問題から述べることにします。結論から言うと、『市長の選挙』でのフーパの解説にもあったように、マルクスは結論を決めてから理論をつくりあげたように思います。というのは共産党宣言に『今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である』と記載されていますが、歴史上の戦いの殆どは部族間、国家間など同レベル間での戦いが殆どで、下克上や階級間の闘争の歴史などは主流ではないからです。これは資本家階級に対する労働者階級による権力闘争が歴史的必然であるとするためのこじつけです。
まずマルクスは労働者階級が一切の生産手段を奪われてしまっていることが最大の問題であると考えたわけです。次に剰余価値論ですが、封建制社会には露骨な搾取があったが、資本主義社会での搾取は雇用形態の中に隠れて見えない。搾取の仕組みがどこかにあるはずだとして、労働価値論をベースに剰余価値というものを考えだし、これを資本家が労働者から搾取しているものとしたわけです。労働は価値の源泉の主要なものではありますが、労働価値論自体はあやしいものです。これに屋上屋を重ねた剰余価値はもっと曖昧です。ことさらにに剰余価値などというものを発明しなくても搾取は説明できます。基本的には搾取の程度は経営者と従業員の社会的な力関係によって決まるだけのことです。マルクスも利子に関しては批判していますが、私たちのように資本主義社会の根本的問題としては捉えなかったのです。
剰余価値論の帰結として、共産党宣言は労働者の労働から剰余価値を搾取する資本家への憎しみに満ちたものになり、暴力的手段に訴えても政治権力を奪取し、生産手段を資本家階級から奪い取らなければならないとしたわけです。ところで、社会主義革命が成功した国の殆どはマルクスが想定した発達した資本主義の国ではなく封建制度の国でした。
マルクスは『資本論』などで資本主義の『解釈』に心血を注いだのですが、共産主義や社会主義社会の設計図、政治制度のありかたに関してはほとんど何も書いていないに等しいのです。当時の政治や経済システムに対する痛烈な批判以上に来たるべき社会の在り方についてその骨格、ディテールやプロセスをデザインし、留意点などについて論じるべきであったにもかかわらずです。労働者階級が政治権力を奪取しさえすればあとはユートピアへの一本道しかありえないということではないはずです。実際には封建制度にもなかったような共産党の独裁的中央集権体制、すべての自由が簒奪された社会への一本道を突き進んだわけです。
階級闘争史観、剰余価値論はプロレタリア革命を正当化するために考えだされたもので、これとは反対に肝心な未来社会のデザインについては関心がなかったということになります。特に、後に問題となるような革命組織が必然的に陥る腐敗や退廃、官僚主義化については全く考慮されることがありませんでした。
革命によって政治権力を奪取した共産党政権は生産手段を国有化し、計画経済を推し進めていきますが、そのために官僚組織を巨大化していくことになります。生産は市場の論理ではなく、共産党の官僚組織の論理によって上意下達で行われます。この論理では市場経済の下での企業間競争、個々人の富への野望と倒産・失業に対する危機意識が強制する創意工夫を推進力とする資本主義経済との競争に太刀打ちできないことは明らかです。結果的には生産手段は資本家階級から国家の単独所有に変わっただけです。資本家階級への隷属から社会主義国家を牛耳る共産党幹部らへの隷属に姿を変えただけでした。搾取は封建体制、資本主義体制、社会主義体制のいかんを問わず存在します。搾取の程度は支配者の力が強いほど大きいということです。
マルクスが『共産党宣言』で述べたプロレタリアート独裁は、政治権力を握った共産党政権にとって、他の政治勢力の存在を許さない独裁政権化するのは必然でした。『アンドロイドの神』での話のように、組織の常として組織の維持拡大が自己目的化していきます。共産党政権に異を唱える者は反革命分子のレッテルを張られて粛清されることになります。『貧しい労働者や農民のため』という当初の目的は建前だけになってしまい、労働者や農民は共産主義政権の奴隷になってしまったというわけです。やがて資本主義国から打ち込まれる安価で性能の良い商品という弾丸と壁の上からあふれ出る『自由主義の情報』という洪水によって、いとも簡単に共産主義の壁は崩壊してしまいました。政権崩壊に至らなかった国は経済の実態を資本主義化することで生きながらえていますけどね」
「ちょっと質問していいですか」
「どうぞ、遠慮なく」
「労働価値論ってもっともなように思えるけどいい加減なものなの?」
「モノやサービスの価値には様々なものがあるかもしれませんが、交換価値や使用価値と呼ばれているものがあります。商品価格の基になるようなものが交換価値ということになっているようです。この交換価値を担っているのが使用価値になりますが、交換価値は高いが使用価値は殆ど無いようなものもあります。たとえば貴金属や宝石類は日常生活上の利用価値はあまりない。もっとも虚飾を使用価値と思っている人も多いですね。逆に生活上不可欠な使用価値があるけれど交換価値の全くないようなものもあります。日光や空気はそれが無ければ人間は生きていけないが、交換価値はない。だからここでは交換価値があるかないかではなく人々にとって有用なものや有用なものを生み出すような価値、つまり使用価値の基になるものにはどんなものがあるかを考えてみることにします。
価値のおおもとには母なる自然資源や自然環境があります。これらは価値そのものであるとともに使用価値の源泉になっていますが、経済学ではその大部分を外部経済として扱ってきました。生産過程での労働は価値を生み出す上での不可欠な要素ですが、時代とともに価値創造に占める割合は低下してきています。生産過程に投入される資源や設備も使用価値の源泉ですが、こちらは逆にますます大きなものになってきています。もっともこれらの多くは自然と先人の知見と過去の労働の産物でもありますけどね。それ以上に価値の源泉になっているのが人間が歴史的に蓄えてきた様々な知見、つまり科学的知識や技術などです。これが無ければ現在の巨大文明は存在しません。私たちは人類にとっての共有資産である歴史的な知見の大きな恩恵にあずかって生産活動を行い、生活しているわけです。このため巨大な価値をもたらす共有資産の恩恵を労働や資本の提供者だけにしか配分しないというのは理屈に合わないかもしれません。ですから先ほど述べたように、このような恩恵部分については全ての人が均等に授かるべきだという論理もなりたちます。
それと、労働価値論では家事や育児などは労働力の生産や再生産費用として賃金に含まれるものとされていますが、このような家事や育児、様々なボランティア活動がなければ人間の生産活動は機能しないはずですから、これらも価値の源泉になっています。これらも基本配当が全ての人に均等に配分されるべきであるとする根拠のひとつになると思います。
それと、外部経済扱いされてきた自然資源や自然環境は人と違って報酬を要求しませんが、その利用にあたっては当然その対価としての保全・復元費用を進んで払う必要があります」
「わかりました」
「それでは次にユーロ危機の問題です。ユーロ導入の目的は強いヨーロッパ経済の復活にあったと思いますが、危機の原因はこれまでの国民国家の枠組みを残したまま通貨統合をおこなったことです。通貨統合は国の通貨発行権の放棄を意味します。国家の枠組みの下では、為替レートと関税は国内産業を保護・育成するための不可欠の手段です。関税を撤廃したり通貨を統一したりすれば、域内では弱肉強食の競争状態になります。強い国や強い企業はより強くなり、弱い国や弱い企業が衰退するのは避けられません。大きくなった市場で蓄えられた競争力はユーロ圏外に対しては効果を発揮するかもしれません。しかし、関税や為替レートによって防護されてきた域内の国の産業は強い域内の他国や産業に対して無防備になります。域内では勝ち組と負け組みにはっきりと分かれるようになり、結果として国ではドイツの一人勝ちになったわけです。自国通貨があれば、貿易に不均衡が生じても、為替レートの調節によって輸出を増やし外貨を稼ぐことが可能です。ギリシャなどでは従来の社会保障水準を維持するためなどに国債を発行してきましたが、この国債は自国通貨ではなくユーロになりますので、他国からの借金と同じことになります。自国経済の有力な回復手段が失われているわけですから財政破綻が避けられなくなります。ギリシャの放漫財政が財政危機の原因のように言われていますが、とんでもない間違いです。経済がどん底まで落ち込んでいる状態で、借金返済のために緊縮財政を強要するのは、瀕死の病人から家財道具や衣類をはぎ取ろうとする人非人の高利貸の行為と同じです。これは経済の回復手段の最後の一手までも剥奪することであり、全くの逆効果でもあります。ユーロ圏がひとつの国であれば、豊かな地域から貧しい地域への地方交付税交付金の配分のようなこともできますが、国が異なるため、豊かな国の国民にとっては『他国の放漫財政のツケをなんで我々が負担してやらなければならないのか』ということになって反対するわけです。
これまでに話してきたとおり税金と国債を財源とする租税国家の限界も見えてきています。長いことヨーロッパ各国は高い失業率に悩まされていますが、稼得所得を前提とした経済では、科学技術の進歩に伴って失業率が傾向的に上昇し、結果的にに需要不足が慢性化するので、経済は低迷します。このこともユーロ危機に拍車をかけていると思います
「ユーロの行方はどうなりますか」
「統一国家の方向に向かうか、ユーロ圏を清算して元の状態に戻るかしかないでしょうね。現在はそのいずれでもない財政支援という形の借金の上乗せを行っているわけです。ポルトガル、スペイン、イタリアまでもが財政危機といわれる状態になってきているので、このままでは遠からず破綻するでしょう。銀行による信用創造貨幣、国民国家を存続させたままでの統一通貨を前提とする限り問題は解決しません」
「……ところで、『配当』も一種のお金だと思うんですけど、いっそのことお金のいらない社会なんてものがあっても良いのでは?」
「確かにお金のようなものはなくても良いのかもしれませんが…。その質問に答える前にお金の話について簡単なおさらいをしておくことにしましょう。
利子貨幣はモノ対して優位にたちモノだけでなく人間を支配します。人や企業は借金の恐怖の下で生きなければならず、利潤追求に駆り立てられます。利子貨幣は富の貯蓄手段にもなり、お金の保有量が幸福の尺度になります。このようなお金の性格は変える必要がありました。
エポカの『配当システム』は基本配当によって所得保障を行うとともに貨幣の回収手段として減価貨幣を用いていますので、人間を利潤追求動機から解放し、お金の機能を価値尺度と交換手段に限定します…ということでしたよね。ここでは配当というお金は立派に人々の役にたっています。
ですから大事なことは、何のためにお金をなくすのかということです。お金がない社会が成立するためには人々の必要に応じてモノやサービスが提供される必要があります。お金が無くなることは価値尺度もなくなることを意味しています。人それぞれに考えや価値観が異なるのでそれでよいのかもしれませんが、次のような問題を十分検討する必要があります。
●交換手段がなくなることで経済活動や生活が従来どおりうまくいくのだろうか? 価値尺度が無くなって不便なことやおかしなことが起きたりしないだろうか?
●配当システムに何か不都合な点があるのだろうか? 配当システムが無くなることによってエポカの世界がどのような点で改善されるのだろうか?
そのようなわけで、エポカでは『配当システム』が無くても運営できる世界の仕組みについ議論し、社会実験もしています」
「社会実験?!」
「そうです、幾つかの限られた地域で、配当システムなしで社会がうまく機能するか否かを実験しているのです。但し、マルクスが述べた『必要に応じて与えられる社会』ではなく要求すれば与えられますが、提供者が無理な要求であると判断する場合には与えられない社会の実験です」
「興味あるな…、結果は?」
「今のところうまく機能しています。無理な要求は自重されています」
「何か問題は起きていないのですか?」
「問題ではありませんが、懸念はあります。無理な要求が出てくる懸念とは別に、お金のようなものが無かったとしたら、消費者だけでなく生産者にとってもモノやサービスの質や量だけが問題で、それを生み出すに必要とされるコストや効率性は問題にされなくなるのではないか、モノを造るために、大きな無駄をしても問題にならなくなってしまうのではないかということです。配当システムによって機能している自然資源の有効活用と浪費抑制、生産性や効率性の追求に支障が出るのではないかとの懸念です。杞憂、取り越し苦労かもしれませんけれどね。
実験地域でこのような問題が起きないようにするには規則や規制を強化することも考えられますが、自由が損なわれるようなことは最も避けなければならないことなので、教育に力を入れることにしています。おそらく結論がでるまでには社会システムのありかた全般の見直しを含む様々な検討と実験が必要でしょう。
無条件の『必要に応じて与えられるような』社会が望ましいのかもしれませんが、そのような社会は、宗教が考えるような『愛に満ちた人間』だけの世界や必要の節度を弁えた『理性的な人間』だけの住む世界でしか考えられないものかもしれません。しかし、そのような人間ばかりとは限らないこれまでの世界では、『お金のようなもの』を媒介とした『市場』とその市場の『総需要』を制御するGバンクの組合せに優るものがなさそうなのです。そうは言ってもいずれ世界の人間の意識や社会規範の変化がこのようなシステムを無用なものにするのかもしれませんが…。
ということで、当面は、エポカの世界のような姿を目指すのが現実的だと考えています」
「『愛に満ちた人間』や『理性的な人間』だけの世界ってものは、なんだか怪しい気がしますよね」
「そうですね、宗教による『愛に満ちた人間』づくりや啓蒙主義的な思想による『理性的な人間』づくりを通じて人間的な社会をつくろうとする試みは、多くの場合、人間を型にはめて訓育するようなことになり、崇高な目的に反して選択の自由が無い統制的な社会にならざるをえないのは歴史が示すところではないでしょうか。人間は環境次第で悪魔にも神にもなると思います。ですから、『人間的な仕組み』づくりによって『愛に満ちた人間』や『理性的な人間』になるように醸成するしかないのではないでしょうか。
『お金のいらない社会』や『必要に応じて与えられるような社会』ですが、そのような社会がありえるものとすれば、この『配当システム』の社会を経由することなしに実現することは無いと考えています」
「そうですか……いずれにしても、ぼくらの世界とは全然違うなと思いました……説明ありがとうございました」
「ご静聴ありがとうございました。質問したいことがでてきましたら、あとはフーパに訊いてください」
「ホホーウ! カズマの疑問は解けたな」
「まだ細かいことは分らないけど、エポカの世界が目指しているところは分ったような気がするけど。それとお金の話や経済と財政についての見方がニュースや新聞で見たり聞いたりするのと全然違っているのにびっくりしたな。難しかったけど面白かったよ」
「ホホ、ホホーウ! よかったじゃないか。それでは一休みしたら次の部屋に行こうか」
「うーーん! エンリケさんってヴァーチャルリアリティの説明者ということだったけれど、本当は人間じゃないの?」

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エンリケが「一兆円金貨千枚を考案して、日本政府の借金を帳消しにする方法」を提案していますが、『NEWS WEEK 日本版』[2013年1月22日号掲載]に次のような記事が掲載されていましたので紹介します。

債務上限問題は「一兆ドル硬貨」で解決?
アメリカでは債務上限をめぐる民主・共和両党の攻防が山場を迎えている。このままでは二月中旬か三月上旬にも債務上限に達して政府借り入れができなくなり、デフォルト(債務不履行)に陥る恐れがある。
危機を回避する方法はいろいろ考えられる。奇抜だが法律的には問題ないのが、「硬貨作戦」。財務省が額面一兆ドルのプラチナ硬貨を鋳造・発行して資金調達に利用するというものだ。
 記念硬貨の発行に関する連邦法(合衆国法典第31編第5112条)によれば、「財務長官はその折々に下した適切な指示に従った具体的な仕様、デザイン、種類、量、額面、刻印で、プラチナを用いた地金型コインおよびプルーフ貨幣を鋳造・発行することができる」とある。
これを抜け穴に利用し、財務長官の指示で、例えば一兆ドルのプラチナ硬貨を発行する。それをFRB(米連邦準備理事会)に預けて、その「預金」口座から一兆ドル分の小切手を振り出して決済し、資金調達をするというわけだ。シンプルで効果的な解決策だ。

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