未来からのメッセージ

第五の部屋 アンドロイドの神(2)

その後も、何度かミラカはシラキ博士の研究室を訪れた。ミラカは、レミとミラはレミルや自分とは別個の存在であることを感情的に悟るようになり、穏やかな目で、というよりも醒めた目でレミとミラを見つめることが出来るようになっていた。ミラカは、年を重ねる自分と年をとらないレミとミラを遠巻きに見ながら、楽しかったレミルとの思い出を回顧するのみであった。
レミとミラは、シラキ博士夫妻からアンドロイドとしてではなく息子夫婦のように扱われ、シラキ博士の研究開発の手伝いをした。シラキ博士は、不測の事態が発生した場合に備えて、レミとミラに自身の身体の不具合のチェック方法や修繕方法なども学ばせた。レミとミラは空いた時間には、かつてのレミルやミラカが没頭していた心理学や社会組織についての情報を収集したり、研究したりした。こうして、レミとミラにとってこの上なく幸せな日々が数年続いた。
レミとミラはレミルの思考回路を引き継いでいたが、この思考回路は思考機能を増殖するように設計されている。加えて、内蔵されているコンピュータの情報処理能力は人間の能力よりも桁外れに高いものである。レミとミラは人間では無いので、Gネットに研究論文を掲載するといったことも無いままに、つまり人知れず膨大な知識を吸収し、能力を拡張していた。シラキ博士は心理学や社会組織に関する学問に関しては門外漢であったし、レミやミラが自分たちの知識や能力をひけらかすこともなかったので、レミやミラの専門分野での知識や能力に関しては知るよしも無かった。
そんなある日、シラキ博士は突然体調を壊し、病床に伏せることになった。長年の無理が祟っての病である。数ヶ月後に、博士は帰らぬ人となった。
シラキ博士は妻のアーサに遺言を託していた。自分が死んだら、レミとミラをエポカ世界で役立てるため、レミをサマラット市という田舎町に住んでいるレミルの恩師ランサムに寄贈し、ミラをシラキ博士の友人が住む大都市であるメガダット市の精神科医マンダムに寄贈してくれと。
アーサは、せめてレミだけでも手元に残しておくことを望んだが、考えてみればレミルはとうの昔に死んでいたので、レミやミラを授けてくれた夫に感謝こそしても、わがままを言ってはすまないと自分自身に言い聞かせて納得した。
シラキ博士の追悼式が済むと、レミはランサム博士の元に旅立つことになり、ミラはマンダム医師の研究室に赴くことになった。

「レミとミラは離れ離れになるけれど、寂しくはないのかなぁ。レミルとミラカが恋人同士だったように、レミとミラも相思相愛になっていたんですか? 人間などの動物は、互いに愛情をもつことができるけれど、アンドロイドの場合にはどうなんですかね」
「ホ、ホホーウ! 難しい質問だけどよい質問だね。愛情といった感情をもてるのは動物だけかというと、そうでもないと思うよ。全てのアンドロイドが愛情をもつことができるというわけではないけれど、自我つまり自分自身を意識できるのであれば、自分の感情をもつこともできるはずで、そうであれば他人を理解することで愛情をもつこともできるのではないかな。
動物はアミノ酸という有機質の分子からできていて、アンドロイドは無機質の素材からできているという違いはあるけれど、つきつめればどちらも同じようなものだと思うけど。たぶん、レミとミラには肉体的な『性』は無いけれど、レミルとミラカの感情を引き継いでいることでもあるし、恐らく強い絆で結ばれていることだけは確かだと思うよ」
「肉体的な『性』が無い分、精神的にというかプラトニックな愛は人間以上に強いのかもしれないなぁ。レミとミラが可哀想ですね」
「ホーウ! そうだね、悲しいと思うよ。だけど、彼らは必要な時はいつでも体内の無線通信機能を使って、遠く離れていても会話ができる。コンピュータ相互の通信のようなものだから、短い時間で人間には想像もつかないような多くの会話をいっぺんにできる。アンドロイドは人間と話すときは人間に合わせてゆっくり話すけど、アンドロイド同士の会話の場合には大抵の場合、一瞬で済んでしまうんだ」
――コンピュータ同士のデータ通信ならば当然かもしれないな――
その後、カズマはしばらく物思いにふけっていたが、突然妙な質問をした。
「感情とか愛情をもつものは生物や動物とはいえないんですか?」
「ホッホッホーウ! 遺伝子などにより子孫をつくることができたり、進化できたりするものが生物なので、アンドロイドのようなものは生物とはいえないよ」
「アンドロイドが、人間の手を借りずにアンドロイドの社会をつくり、自分たちの手で子孫を生産できるようになったら……それでも生物とはいえないのかなぁ」とカズマは食い下がった。
「ホーウ! えらく難しい質問だねぇ〜。それは生物の定義の問題だからね。そのように定義すれば『生物』といえるのかもしれないけれど。そうだね、そうなれば宇宙人が見たら、アンドロイドを生物と思うかもしれないね。でもカズマの言うようなことになったら、人間社会は一体どうなるんだろうか……」困惑気味にフーパは答えた。
「そうですね。そうなると、アンドロイドは造物主である人間から完全に自立することになりますね」
「ホーウ! 人類が危機的状況にでも遭遇しない限り、そんなことを人間が許すとは思えないけどね」
「人類の危機的状況って?」
「ホ、ホーウ! 例え話だけど、天変地異などで人類が滅ぶような可能性のある場合には、人類の意志をアンドロイドに継がせようとするかもしれないってことさ。説明を続けると話の本筋から離れていってしまうので、このことに関心があれば後で改めて質問してくれないかな」
          ×    ×    ×
ホログラフィは交互に2台の陸上移動用の車を映している。レミの乗った車とミラの乗った車である。車にはレミやミラの修理用部品なども積み込まれていた。
レミとミラは、それぞれシラキ博士の教え子の車に乗せられ、目的地に向かった。

「ホ、ホホーウ! アンドロイドのほとんどは、適当な交通手段を使って自分自身で好きなところにいく能力をもっているけれど、アンドロイドの行動には様々な制限を設けている。移動の自由が無いのもこの制限によるものなのさ」

ミラの車が大都会に向かったのに対し、レミの車は広大な田園地帯に向かっていた。
ランサム博士の住んでいるサマラット市は、この広大な田園地帯に点在する小さな都市のひとつであり、学園都市である。ランサム博士は、この都市の高等教育機関で精神科学を教える傍ら、悩める人々のための病院を運営していた。
レミを乗せた車がランサム博士の研究室に到着した。レミを連れてきたシラキ博士の弟子は、レミを車に残したまま、ランサム博士の研究室のドアを開けた。シラキ博士の弟子は出迎えたランサム博士に丁重な挨拶をした後、シラキ博士からの生前のメッセージを伝え、レミの『制御キー』をランサム博士に手渡した。これによってレミの主人はランサム博士になった。
ランサム博士はドアの外に出ると、レミが乗っている車に向かって大声で言った。
「レミ〜! 出ておいでぇ〜!」
レミが車を降りてランサム博士の近くまで来ると、
「レミルだ! なんということだ、レミルそのものだ!」と言って、ランサムは涙した。
人間がアンドロイドと握手することはめったにあることではないが、ランサム博士は生還したレミルを迎えるかのように、握手のために手を伸ばした。レミも戸惑ったように手を伸ばし、レミルの恩師であるランサム博士と固い握手をした。
          ×    ×    ×
ホログラフィは、ランサム博士の研究室を映している。
ランサムは深々と椅子に座って、シラキ博士の助手から渡されたレミのアンドロイドとしてのスペックに目を通していた。ランサムと向かい合うように、レミも座っている。ランサムは、レミが従来のアンドロイドとはその頭脳回路が根本的に違うことを知った。ランサムはレミルが学生の頃から博識で、しかもユニークな発想を持っていることに一目置いていたが、レミがそのレミルの脳の回路をもち、レミルが保有していた知識の全てを継承していることを知って驚いた。
ランサムは、レミの性能を調べるため精神病理学上の難問を次々とレミにぶつけてみた。
そして、ランサムはレミが最新の精神病理学上の知識までもっており、判断と診断が実に的確かつ迅速であることに更に驚いた。
ランサムは、レミの活用方法を思案し、ランサムが運営する悩める人々のための病院に、精神病理学に関する情報ソースとしてレミを置くことにした。

「ホホ、ホーウ! ここらで、エポカ世界での人間とアンドロイドの役割の違いについて説明しておくことにするよ。ちょっと前にアンドロイドの行動には様々な制限があると言ったけれど、アンドロイドは人間ではないから当然選挙権は無いし、配当も貰えないのは当然だ。アンドロイドは管理者の命令に従わなければならず、人間に反抗ができないようになっていることはもちろん、移動も制限されている。それと、アンドロイドが行う仕事は、人間の肉体労働に相当するような作業、低度および高度な単純作業、3K作業、人間の手伝いといったものが主体で、情報処理は行っても創作活動や知的労働は一般には行っていないんだ」
「それならば、ランサム博士が精神病理学の情報ソースとして活用しようとしていることは、一般的なことではないんですね」
「ホ、ホーウ! 情報ソースとしての活用に限れば、従来の利用方法の範囲内かもしれないけれど、ランサム博士には臨床医師の診断の参考となる判断をレミにさせてみようという意図があるのさ。決定するのは医師だから、人間の領域を侵すことにはならないんだ」
          ×    ×    ×
ホログラフィは、ランサム博士の運営するランサム病院に移動している。
病院では数人の医師が患者の診察に当たっている。レミは診察室の背後の資料室で患者のカルテを調べたり、情報収集のためGネットのモニターとにらめっこしたりしていた。
病院を訪れる人の多くは、躁鬱症状をもつ人、精神的に不安定な人、無気力な人達などであった。心の病の大部分は、選択の自由に悩む『自由病』、親子関係に悩む『親子病』、男女間の愛に悩む『恋愛病』であった。カズマの世界のように職場での様々なストレスに起因する心の『職業病』患者は少ない。このうち、最も多いのが『自由病』患者であった。長寿命化したためにこの悩みが倍加したともいえる。寿命が80歳程度であれば、本人の意志と関係なく人生の行事が次から次へとやってくる。しかし成人になってからの人生がえらく間延びしてしまったので、この空白を埋めるべく自らプログラムを作成しなければならない。
「ホ、ホーウ! 人は生活不安や様々な統制を嫌い、選択の自由を求めているように見える。確かに、生活不安や統制の少ない社会を自由闊達に生きる人もいるけれど、生活不安や統制が無いことが不安になる人もいる。実際には、全ての人が自由を好むわけではなく、意識は自由を望んでも潜在意識、つまり本音は自由を望んでいないこともある。本人の意識とは別に、人はある程度『不自由』である方が、居心地がよい場合が多い。『何々しなさい』という人間が、価値観の軸になる人間がいる方が安住できる人が多いんだよ。このような人の性と密接不可分の問題として、組織への帰属に関する問題がある。たとえば、カズマの社会で人が定年を迎えた時に覚える不安には、生活に支障ない退職金や年金が貰える場合でも、自由になってしまったこと、強制された人付き合いが無くなったこと、縛られなくなってしまった生活への不安もあるんじゃないかな。つまり組織からの束縛が無くなることに対する不安があるんじゃないかね」
フーパの説明によると、このようにエポカでは『選択の自由』が重荷になる人や長い寿命をもてあます人の扱いが大きな社会問題になっているとのことであった。

患者の診察に当たっていた医師達は、「何か困ったことがあったり、病理学上の情報が欲しいと思ったりしたら、念のためレミに訊ねてみなさい」とランサム博士に言われていた。
医師の中にはレミルが学生時代の仲間も混じっている。
病院の医師達の中には、さっそく自分が担当している患者に関する病理学上の情報を入手するためレミに相談をもちかける医師もいた。レミは既に患者の症状を熟知していて、類似症例などを紹介したが、それだけではなかった。
「○○の処方を実行すれば、○○までに、○○の確率で、患者の症状は完治するはずですが」というような回答をした。
相談をもちかけた医師はレミの回答にびっくりした。処方箋だけでなく、なぜそのような具体的な数字まで回答できるのかをレミに問い質した。
「様々なシミュレーションをしてみた結果です」とレミは答えた。

「シミュレーションってなんのこと?」
「ホーウ! 様々な条件を設定して、どのような状態になるかを推定することだよ」

相談をもちかけた医師の中には、レミが説明した患者の症状の分析に説得性があると思えたため、半信半疑、レミのいうとおりの処方箋を患者に実践してみる医師もいた。
二、三数ヶ月後、レミの処方箋を数人の患者に適用してみた医師は、レミのいうとおりにいずれの患者も症状が無くなっていたり、大幅に軽減したりしていることに驚いた。このことは、直ちに病院のすべての医師が知ることとなった。
しかし、「アンドロイドの言うことなんか信用できるものか。人の心は人にしか解明できないものさ」と考える医師もいた。特に、昔レミルの学友であった医師の中にこうした反発が強かった。
とはいうものの、レミに相談をもちかけ、レミの処方箋を適用する医師は次々に成功を収めていき、患者からこれまでにない感謝をされるようになってきた。
次第に、レミの診断・処方箋に反発していた医師も、レミに相談をもちかけるようになった。レミに対する敬意を込めて、いつしかレミはドクターレミと呼ばれるようになった。
しかし、レミは決して患者の前に姿を現すことはなく、裏方として医師たちの相談にのっているだけであった。患者の問診のような、直接患者と関わるような医療行為はアンドロイドの仕事としての前例が無かったからである。
病院の医師達にとって、次第にレミはなくてはならない存在になっていった。
医師たちは、問診の際、患者に「ちょっと待って下さい、ドクターレミと相談してきますから」とか、「ドクターレミがいうには○○のようですね」ということもしばしばあった。
病気が完治した患者から、感謝のお礼をいわれると、正直に「私のおかげというよりも、ドクターレミのおかげかもしれないな」という医師もいた。
「ドクターレミって? この病院の主任医師は、ランサム博士ではないんですか?」と訊き返す患者もいた。
評判が噂となり、「なんでもドクターレミという優秀な先生がいて、長年患っていた病気をかたっぱしから治してくれるそうだ」ということで、ランサム病院には遠方からも多くの患者が訪れるようになった。
あるとき、ミンカというひとりの若い元女性患者が、
「病気の完治のお礼を言いたいので、院長のドクターレミに是非ともお会いしたいのですが」と言って訪ねてきた。
「院長はランサム博士です。ドクターレミは主任医師のような相談役ですが……どなたにお会いすることもありません」応対した医師が答えた。
「ドクターレミが院長ではない! この病院はドクターレミでもっているようなものでしょう。偉い先生だと聞いていたので、院長先生とばかり思っていました。でも、心の病を治す先生が患者に全く会わないなんて、信じられません。そんな馬鹿なことはないでしょう」と執拗に食い下がってきた。
「ドクターレミには自由な時間が無いんです。しかたないですね、それではモニターを通じてお会いになることで勘弁してもらえますか?」
「お仕事の邪魔になるようでしたら、それでも結構です」ミンカは渋々承諾した。
医師はモニターにレミを映し出し、
「ドクターレミ! 元の患者さんがどうしてもお礼の挨拶をしたいと言っているんで、相手をしてやってもらいたいんだが……」とモニター越しにレミに言った。
偉い先生にもの申すには、ずいぶんぞんざいな口のきき方だな――とミンカは思った。
ミンカの前のモニターに、研究室風の部屋に座っている端正な顔立ちの若い男性が映しだされた。
ミンカは白髪の老人医師を思い描いていたので、担当医師よりもずっと若い姿の人物がモニターに姿を現したのでびっくりした。モニターの人物は白衣ではなく、普段着と見える衣服の姿であったことも予想を裏切ることであった。
「この方が、ドクターレミなんですか!?」
「そうですが、びっくりされました。あんまり若いんで」
ミンカは、素敵な男性が目の前にいるかとでもいうように、顔を赤らめ、しどろもどろになって言った。
「あのおぅ〜……私、ミンカといいます。そのぉ……先生のお陰で、なんとか元気で生活ができるように……なりました……なんとお礼を申し上げてよいやら……」
「わざわざ、お礼の言葉を頂きありがとうございます。私は医師の先生方のお手伝いをしているだけですが、皆様のお役に立っているとすればこの上ない喜びです。お会いできて光栄です」とレミは丁重な挨拶をした。
この話は、たちまち多くの患者に知れわたることとなった。
「ドクターレミって、どのようなお方なんですか、未だすごくお若い方のようですけど」と患者から訊かれるようになった。
医師たちは、「そうですね、非常に優れた……というか……何でも識っていて、スーパーコンピュータのように頭脳の回転が速い……」といったような曖昧な返事をした。
このようにして、ドクターレミは神秘的でカリスマ的な存在になっていった。
          ×    ×    ×
ホログラフィは、ランサム病院の医師達のミーティング風景を映している。
ミーティングにはランサム博士が参加していたが、レミの姿はなかった。レミはドクターレミと呼ばれてはいてもアンドロイドであることに変わりはなかった。
ミーティングのテーマは患者の治療方法の改善であった。病院の医師達は、心の病をもつ患者達が百パーセント完治するわけではないことが不満であった。もちろん以前と較べれば、格段に治療が改善されたのであるが。こういう患者の完治率もレミの予測の範囲内であった。
問題は、多数を占める『自由病』患者の完治率がはかばかしくないことであった。
レミのいうところによると、『自由病』の原因は、エポカ世界の『ありあまる自由』にあり、患者の性格や症状にもよるが、この病を癒すには患者から『ありあまる自由』を奪うことが必要であるとのことであった。このため、患者の治療には『自由の無い組織』が不可欠であったのである。『自由が無い組織』とは制約の大きい階級組織などのことである。
ところが、エポカの世界は基本的に『自由が無い組織』が無い社会であるため、治療に四苦八苦していたのである。エポカ世界の組織は、家庭も含めて組織といわれるものは悉く民主的組織になっている。一部の治安組織や宗教組織などに階級制が残存しているだけであった。社会の隅々まで自由な組織となっているが、命令型階級制を採用した方が組織目的を効率的に発揮できるような場合に限り、例外的に封建的な組織形態をとっていたのである。
レミは、患者の性格、潜在能力、症状に応じて治療のシナリオを作成し、シナリオにもとづいてシミュレーションを行い、シナリオの効果を評価した。レミは、患者自身が自らの力で『ありあまる自由』の社会に適応する可能性があれば、それなりのシナリオを作成したが、こういった患者は数限られていた。このため、医師達はエポカ世界の数少ない『自由が比較的制限された組織』という治療環境を探し出し、患者にしかるべき訓練を実施したあとで、これらの組織に患者を送り込んだのであった。治療の効果を上げるには、よりよい『自由の無い環境』が必要になっていた。

「ホ、ホホーウ! 『自由の無い環境』ということだけど、カズマの世界はどうかな?」
「ぼくらの世界は、多くの国が『議会制民主主義』を採用していて『自由や平等』も唱えているけれど」
「ホーウ! そうかなぁ。カズマの世界は、いいように解釈してもせいぜい半分しか『自由な社会』ではないと思うけど」
「半分って?」
「ホ、ホホーウ! 封建主義社会というのは、身分制社会であり階級社会でもある。家族や武士などの組織もほとんどすべてが階級組織だ。カズマの住む資本主義社会は、自由主義というけれど、厳密にいえば『資本の自由』主義社会なのであって、社会の全てが民主主義というわけではないと思うけど。
確かに、国会議員などの選挙のことを考えると民主主義の社会のように見えるけど、役所や企業などの組織は全て階級社会のはずだ。会社の場合には、部長や課長といった管理職は社員の選挙で選ばれたのではなく、社長や役員が決めたものだ。部下は上司の命令に従わなければならない。このような組織は民主主義の組織といえるだろうか。命令に基づく階級社会だと思うけど」
「言われてみればそのとおりですね」
「ホ、ホーウ! カズマの世界では会社を自由に辞めることもできるけれど、資産家でもない限り、結局どこかの会社に勤めたりしなければならないんで、見えない鎖に繋がれているようなものだ。ところが、エポカの世界は違うんだ、社長や部長、課長といった役職者も、社員が選挙で選ぶようになっている」
「そうかぁ〜 自由な社会と思っているぼくらの社会は大部分が階級社会なんだ。お父さんと望月部長の関係を見れば確かにそうだよな。でも、封建社会のような身分制社会ではないけれど」
「ホーウ! それもどうかなぁ。法律の下では、そうなっているかもしれないけれど、実質的な身分制度というのは随所に残っているんじゃないの。金持ちと貧乏人との関係とか、役職という名の身分制とか、外国人の扱いとか、下請会社の社員の扱いとか……」
「ぼくらの世界は平等・公平な社会と思っていたけれど、まだまだそうなっていないんだね」
「ホ、ホーウ! カズマの世界では、法律上の建前は、人は平等であるということになっているようだけど、エポカの世界では、建前は平等で実質は不平等とか、形式上は民主制だが実質は階級制といったことはないんだ。全て実質が問題にされる世界なんだよ」

女性の医師Aが言った。
「『自由の無い組織』は数も少ないし、あったとしても少なからず『民主主義』的な要素もあるので、どうしても完治率には限界がありますね。組織内で自由を求められると治療の効果が半減してしまいますから」
「いっそのこと、病院で治療のために、独自の『自由の無い組織』をつくってはどうだろうか。患者の数もかなり増えたことでもあるし……」医師Bが提案した。
「そうだね、治療目的にあわせた専用の身分制組織や階級組織があれば、治療は格段に進むだろうね」最年長の医師Cが言った。
「しかし、前世の遺物のような階級組織をつくるのは、エポカ世界の非難を浴びるのではないかな?」ランサムが疑問を出した。
「治療が目的なのであって、階級組織をつくることが目的であるわけではなく、なによりも患者の幸せのためなので、杞憂ではないでしょうか」提案した医師Bが答えた。
「そうだね、階級組織とは言っても、入会は強制的なものではないし、本人の意思でいつでも脱会できれば、エポカ世界から非難されることはないと思いますけど」若い医師Dが言った。
「組織をつくるとすれば、どのような組織にしたらよいのだろうか?」医師Eが言った。
「患者の症状に合わせて、いろいろな階級組織が必要になるかもしれませんね」若い医師Fが言った。
「それもあるけれど、肝心の組織目的をどうするかだ」とランサムがまた問題を提起した。
「患者さんに集まってもらって、一体何をするかだ。目的は治療だが、組織の目的は人の役に立つ『何かをつくる』とか、『何かをサービスする』ものでなければならないはずだ」
「その『何か』ですけれど、患者さんがもっている資質、好み、技能や技術はそれぞれ違うので、ひとつの『何か』にすることはできないと思います。ですから、『何でもあり』にする必要があると思いますが」医師Bが言った。
「そんな都合のよい組織なんてものがあるのかね〜?」とランサムが疑問を投げた。
医師達は黙り込んで考えているようであった。しばらくすると、皆口々に言った。
「宗教がいいんではないですか」と。
「新興宗教か……」ランサムがつぶやいた。
「宗教であるからには、核となる『教義』が必要なのでは」年長の医師Cが言った。
「『教義』を無理やり捻り出すのはどうかと思いますが」医師Dが言った。
「難しく考える必要はないと思うけど。すなおに考えればよいことではないかな。我々の仕事は患者にとって最適の運命を見つけ出して、指導してやることなので、それが『教義』になると思いますけれど」オピニョンリーダーの医師Bが言った。
「ということは、『人にはそれぞれ最も幸福になれる生き方があります。人生の道に迷った人々に幸福な運命を授けます』というようなことになるのかな」とランサムが話しをまとめた。
こうして、医師達は『自由病』患者のための階級組織として、新興宗教をつくることに合意した。
その後、医師達は具体的な組織プランや組織づくりの実行計画を作成することになった。
          ×    ×    ×
ホログラフィはランサムとレミの対話の場面を映している。
「治療用の組織として教団をつくることになったんだが、どのような教団にしたらよいかレミの意見を聞かせてくれないか」
「この農村地帯では、家父長的、年功序列的な封建制社会の身分制度をベースに、様々なバラエティを持たせるのが最も効果的だと思います」
ランサムは、教団をつくるに至った経緯などをレミに詳しく話すと立ち去った。
レミは胸騒ぎがした。なぜか危うげなものを感じたので、念のためシミュレーションを行ってみた。シミュレーション結果は悲惨な結末を予測していた。シミュレーションの条件を変えて、何度か予測し直してみたが結末は変わりなかった。ランサムに話しても、とても信じてもらえそうなものではなかった。
教団の名前は『自由からの蘇生』に決定していた。その後、教団設立の準備は着々と進んでいった。
宗教としては珍しく、教祖を置かずランサム博士の研究所やランサム病院の関係者による集団指導制にした。この集団指導体制の頂点に理事会を置いたが、ランサム博士は理事会メンバーには入らなかった。レミについては、病院での役割と同じような役割を担うことが決められていた。
教団組織の会則の骨子は次のようになっていた。
●入会は理事会の了承が必要であること
●入会者は自らの投資配当を組織に預託し、運用を理事会に一任すること
●組織の上司の命令に従うこと
●エポカ世界の人々の役に立つ活動に従事すること
●退会は自由であること
●退会時には、理事会に預託されている投資配当を、本人に戻すこと
会員から集められた配当は、当然、教団の運営に活用されることになった。
理事の互選により、理事長には人望のある年長のルキアという人物が就任した。準備がひととおり完了し、教団の発足式がサマラット市の集会場で行われる運びとなった。
『自由病』の患者のほとんど全てが、新教団『自由からの蘇生』に入会することが決定していた。理事会メンバーは、患者の多くが教団発足式にドクターレミが出席することを熱望していることを知っていた。宗教を信じる人達は、必ずと言っていいほど、シンボルとなる神や教祖を求めるようである。理事会はレミの出席を求めたが、レミは固辞した。アンドロイドが、人と見間違うような行為をしてはならないことをレミが熟知していたからである。しかし、断りきれない事態になっていたため、レミはランサムと相談し、これまでと同様スクリーンでの登場で勘弁してもらうことにした。
スクリーンに登場するにしても発足式なので普段着というわけにもいかず、レミはこれまた時代錯誤の紫色の法衣を着せられるはめになった。

前へ 目次 次へ