未来からのメッセージ | |||||
|
|||||
第五の部屋 アンドロイドの神(1) | |||||
|
|||||
次のドームに向かう途中でフーパが言った。 「ホホーウ! こんどは宗教についての話だよ。文明が進んだ世界でも、いつの世にも宗教はあるんだ」 「ぼくらの世界の宗教とエポカ世界の宗教に違いはあるんですか?」 「ホ、ホーウ! エポカ世界の宗教はカズマの世界の宗教と較べて、かなり異なっているかもしれない。歴史的に、宗教も多くの反省を迫られることになったし、社会の仕組みも大きく変化したからなんだ」 「……というと?」 「ホ、ホーウ! エポカの多くの人々は、これから話すように宗教を考えているのさ。歴史的にみると、宗教は貧しい人や虐げられた多くの人々の心の支えになってきた。しかし、全ての宗教がそうだとはいわないけれど、為政者への迎合、民族対立の増幅、宗教戦争、他宗派へのテロなど幾多の罪つくりも行ってきた。万物に神が宿ると見る宗教や、複数の神を崇めるような汎神論的な宗教もあるけれど、宗教を信じる人々の多くが他の宗教に対して大なり小なり排他性をもっていて、自らが信仰する神が唯一絶対なものであるとする信念が強いほど排他性が強くなる傾向がある。この排他性こそが、宗教の裏の面、つまり血塗られた歴史をつくってきたと考えているのさ。 人としてこの星に生まれたことの奇跡を思えば、人種、民族、宗教、国なんてものに拘りをもつのは愚かなことだと思うんだけど。盲目的愛国主義とか妄信的信仰といったものは、他国の人や異なる宗教を信じる人を差別する危険性を孕んでいるのではないかな。だから、エポカでは人類愛が全てのものの最上位にあるべきだと考えているのさ。それで、エポカの世界では『どのような神仏を信じるか』を問題にするよりも、その宗教が『病んだ人の心を救う、人の道を教える、人に生き甲斐を与える』ことにどれだけ貢献しているか、どのような活動をしているかに注目するようになってきたんだ」 「どのような神仏を信じるかはあまり問題とされなくなったなんて、宗教にとってみれば根本的な問題じゃないの」 「ホホーウ! たしかにそうだね。いずれにしても神や仏そのものではなく、教義の内容や信者の活動の中身が大切になってきたということだな」 「さっき、社会の仕組みが変化したからと言っていたけれど、そのことは宗教とどう関係しているの?」 「ホ、ホーウ! エポカの世界は生活に困窮するような貧困が無く、生まれながらの不平等も無く、失業の不安も無い社会だからね。そうであれば、皆が幸福かというとそういうことにはならず、いつの世にも心を病んだ人が大勢いる。 エポカでの心の病のひとつとして『ありあまる自由』に起因する病がある。『ありあまる自由』というのはロボットやアンドロイドが人間の多くの仕事を代替するようになったことも影響している。不安や恐怖が何もなく、大きな自由がある社会は、逆に精神的に不安定な人々を生み出すこともあるんだ。エポカの文明病といえるかもしれない。それで、こういった人達の心の病を救うことが宗教の主要目的になってきたというわけさ。今回の話の背景はひとまずこんなところかな」 「ぼくらの世界の人から見たら、ずいぶん贅沢な悩みに思えるけど……」 × × × カズマが『アンドロイドの神の部屋』のドアを開けると、ホログラフィは人が行き交う小奇麗な建物内の広い廊下を辿っている。ホログラフィがある部屋の前で止まると、部屋のドア越しに、部屋の中からどっと笑い声が聞こえてきた。 「ホー! 誰かが何かおかしな話でもしているのかな」 部屋の中に入ると、集会のような場面が映し出された。笑い声は既に鎮まっていた。演壇の中央には、ひときわ大きな写真が掲げられている。エポカでは見た目のだけでは年齢は分からないということであるが、三十歳前後に見える青年の写真である。その左右にも、同一人物の写真と思われる子供時代からの写真が順番に並べられていた。聴衆席には大勢の人がいて、演壇でのスピーチを神妙な面持ちで聞いている。 参列者がかわるがわる登壇し、スピーチを行っていた。スピーチの内容はすべてレミルという人の思い出話であった。 「これは何の集会なの?」 「ホホーウ! 追悼集会さ。カズマの世界の葬式のようなものかもしれないね」 カズマの目には、とても葬式には見えなかったので、フーパに訊き返した。 「お坊さんや牧師らしい人の姿は見えないし、出席している人達はカラフルな衣類を身につけている。室内の装飾だって宗教施設といった感じではなく、普通の集会場としか見えないんだけど……それに、葬式の場で笑ったりするものではないと思うけど。これが葬式なの?」 「ホホーウ! だから言ったろぅ〜追悼集会だって。エポカの世界では、一般には人が死んでも葬式といった儀式は行われない。その代わりといってはなんだけど……こういう追悼集会が行われるのさ。但し、死んだ人が宗教を信じていて、その宗教の儀式を行って欲しいといった遺言があるような場合は別だけどね。 ここに集まっているのは、死んだレミルという人と親交のあった人達で、彼の思い出を語りあっているところなんだ。レミルは将来を嘱望された若い精神分析学者だったんだけれど、心臓麻痺による突然の死で、多くの精神分析学者達から惜しまれていたようだよ。 それと、カズマの世界では、葬儀の場での『笑い』は『不謹慎』なことかもしれないけれど、不謹慎であるかどうかは文化によるものではないかな。エポカでは誰でも、人に『迷惑』になるかどうかは気にするけれど、……そもそも『不謹慎』に対応する言葉なんてエポカにあったっけな。それに、エポカでは感情を素直に表現することにためらいはないんだ」 「最後になりますが、ミラカさんお願いします。大丈夫ですか……ミラカさんには時間の制限がありません。ごゆっくりお話をなさって下さい」司会者が言った。 若い女性が立ち上がって、返事の代わりに首を縦に振った。 ミラカという女性が登壇した。女性は目を腫らしている。 「私がレミルと初めて会ったのは、ここにご出席頂いているランサム先生の研究室でした。私は、レミルのようにランサム先生の直弟子というわけではなく、別の学校で社会組織論を学んでいましたが、社会組織と人間心理との関係について学ぶため、ランサム先生の研究室に出入りするようになったというわけです。精神分析を学んでいる人には無愛想な人が多いのですが……誤解があったらご免なさい。レミルは絶えず穏やかな笑みを浮かべていた人でした。レミルは研究室の先輩でしたから、私は様々な問題について議論を吹きかけたり、相談にのってもらったりしていました。時が経つにつれ、レミルの博識さと優れた分析能力に敬服するとともに、レミルに心酔するようになりました……」 ミラカはレミルの恋人であった。ミラカの思い出話が終わると、会場内で手を上げる人がいた。 「何でしょうか?」 「レミルから遺言のようなものを、何かお聞きになっていますでしょうか?」 「僕らの世界では、葬儀や追悼集会の場で、質問するような人はいないけどね」 「ホーウ! それも『不謹慎』だからかな」 「そうかもね」 「いいえ、突然のことだったので、私も、誰も何も聞いてはいないと思います。……遺言という訳ではないんですが、亡くなるひと月ほど前に、レミルが妙なことを言っていたのを覚えています。『僕の脳の複製があるんだ』とか……」 すると、今度は、最前列に座っている初老の男性が、おもむろに手を上げてから発言した。 「実は、脳そのものの複製ということではないんですが、レミルの脳の全ての情報をデータベース化してあるんです」 「ホーウ! この人はレミルの父親のシラキ博士なんだ」 「脳の全ての情報をデータベース化することなんてことが、可能なんですか?」と誰かが質問をした。 「そうです」とシラキ博士が答えると会場内がざわめいた。 ミラカが降壇し、ざわめきが一段落すると、 「それでは、シラキ博士ご夫妻、挨拶をお願い致します」と司会者が言った。 「ホ、ホーウ! シラキ博士は、人工知能の開発に関する第一人者ともいわれている人なんだよ」 「研究分野は全然違うけど、親子そろって研究者なんですね」 「ホーウ! 全く関連が無いともいえないんではないかな。両方とも知能に関連することだから」 シラキ博士夫妻は深々と頭を垂れてから、参列者に生前の息子との親交に謝意を述べた。 夫妻が降壇すると数人が楽器をもって壇上の椅子に座った。 「それでは、最後にレミルが好んで歌っていた『星のかけら』を合唱したいと思いますので、ご協力をお願いします」と司会者は言って、自ら指揮棒を握った。 音楽が演奏され、高らかに歌声がホールに木霊した。 百億年の時を経て あなたは生まれた偶然に あなたは星のかけらです あなた自身が奇跡です この奇跡を知るならば 不思議の意味を知るならば 閉ざされた心の空しさが 開かれた心の尊さが あなたの胸に響くでしょう 憎しみや争いがあるところ 驕りや妬みがあるところ 壁が立ちはだかっているはずです 責めることの憤懣が 深い悲しみを産むことを 立場を換えれば分るでしょう 理解されないことを嘆くより 壁を取り除こうと努めるなら わだかまりは消えるでしょう あなたは星のかけらです あなた自身が奇跡です かけがえのない命です 合唱が終わると、参列者は散会し、帰路についた。 「結婚式と葬式では違うのかもしれないけれど、ぼくが今まで出席した結婚式では、スピーチする人は皆、お定まりの歯の浮くような褒め言葉を連発していたけれど、そんなことはなかったですね……。それと、歌詞のなかの『あなた自身が奇跡です』って確かにそうですよね」 「ホーウ! そう君の存在も奇跡としか言いようがない。なぜこの世に生まれ、その肉体に君自身が宿っているのか。しかし、この歌詞の奇跡の意味は、この宇宙そのものがあまりにも奇跡的であるって意味も含まれているけれどね」 「どういう意味?」 「ホ、ホホーウ! 歌詞にあるように生物の身体は星のかけらでできている。宇宙はビッグバンという火の玉で始まり、長い年月を経て無数の銀河ができた…という話は聞いたことがあるかな?」 「テレビの子供むけ科学番組で見たことあるな」 「ホーウ! 宇宙の始まりには水素と僅かばかりのヘリウムという元素しかなかった。ヘリウムを含めて炭素、酸素、鉄などほかの全ての元素は星の内部で造られたもので、それが超新星爆発という星の大爆発によってばら撒かれた。太陽や地球はそういった星の残骸を材料にしているので、人の肉体の材料になっている物質も元をただせば星のかけらということになる。生命が誕生した太陽系や地球のような星はこの宇宙にはたくさんあるので、このことは奇跡とは言えない。しかし、宇宙なるものが我々が見ているこの宇宙しかないとすればまさしくこの宇宙は奇跡以外のなにものでもなくなる」 「宇宙には他にもあるということなの」 「ホ、ホーウ! 宇宙は英語ではユニバースと言う。この『ユニ』というのは単一のという意味だけれど、物理学者の多くは宇宙が無数にあるのではないか考えている。何故かというと、ひとつには、生命が存在するようなこの宇宙は、様々な物理定数がほんの少しでも違っていたら物理法則が違ったものになり、生命はおろか銀河すら存在できなかった。我々のいる宇宙しか存在しないのであれば、偶然にしてはあまりにも都合がよくでき過ぎているというんだ」 「物理定数とか物理法則ってのは変わることのないものかと思っていたけれど」 「ホーウ! 多くの物理学者がそのようには考えていないようだね。ふたつめには、宇宙誕生時、ビッグバンの前にインフレーションという途方もない膨張が起きたという理論が様々な観測の結果から裏付けされている。その理論は、宇宙の誕生時に生まれたのは単一の宇宙ではなく数知れない宇宙が次々に生まれたかもしれない、その方が自然であると言っている。それだけではなく物理の究極理論と目されている理論があるんだけれど、この理論からもマルチバースとかメガバースとか呼ばれている宇宙像が導かれている。この宇宙は唯一無二のものではない。この宇宙は無数にある宇宙の中でたまたま銀河や生命が誕生できるような物理定数をもった宇宙なのではないかというのだ。様々な物理定数が都合よく調整されているというのではなく、無数にある物理定数セットの中には銀河や生命が生まれるようなセットをもつ宇宙もありえるということになる。だから物理学的には奇跡はないことになる。しかし、信じられないくらい小さな確率で誕生したこのような宇宙の中でたまたま太陽系の第三惑星に人間として生を受けたことは奇跡としか言いようがない」 「お互いにそんな奇跡的な存在である人間が、金儲けのことしか考えなかったり、小さな島の領有権でいがみあったり、宗派対立にあけくれたりすることはとても愚かしいことに思えるな」 レミルの遺体は病院に送られ、献体のため臓器を取り出され、残った遺体は荼毘にふされ、遺灰は海にまかれた。 「遺体の処理方法もこういうやりかたが普通なんですか?」 「ホーウ! そうだね、一般的といえるかもしれないね」 「レミルのお墓はどうなっているの? 海に遺灰が撒かれてしまったけれど、あるの?」 「ホーウ! お墓ということではなくて記念碑だけど…つくる人もいないことはないけれど、一般的とはいえないな」 「墓がなければお参りできないのでは……どうするの?」 「ホ、ホホーウ! お参りというのは宗教を信ずる人が行うひとつの風習ではなかったっけ。そうでない人もいるのかな。エポカの世界では宗教を信じる人の方が少ないんだ。でも、お参りの際に親族や友人が集まるのと同じように、エポカの世界でも親族や友人が集まって故人を偲んで語り合うという習慣はあるよ」 「追悼集会以外に意味を見出している行事はないの?」 「ホーウ! 良い質問だね。お墓の代わりということではないんだけれど、追悼集会のあとで、皆で相談してつくるものがあるんだ」 「なんなの?」 「ホーウ! モノではなくて記録なんだけどね。故人の略歴の整理作業が行われることになっている。故人の血縁や生い立ち、履歴、趣味、様々な功績や業績なんだけれど…この中には写真や動画などの資料も含まれる。略歴ということになっているけれど、一般にはかなり詳細なもので、これを見れば、故人がどのような人物で、どのようなことをしていた人であるかについてそっくり分かることになる。整理された略歴は、永久保存のデータベースに保存されることになっていて、誰でも閲覧できるんだ」 「お墓や戒名は、死者を現世での権威や富で格付けして、あの世にまで持ち越すようなものであるように思いますよね。宗教の本来の姿と反してるんじゃないかな。確かに、お墓よりも、故人の生き様や業績などを公開する方が、故人には喜ばれますよね」 「ホーウ! どうかな。喜ばない故人もいると思うけど」 「えっ……そうだな中には褒められるような人生を送らなった人もいるか」 × × × ホログラフィはシラキ博士の研究室を映し出している。 シラキ博士の研究室は小さな倉庫と思えるような部屋であった。入口の背面の壁には多数の様々なロボットやアンドロイドが並んでいる。部屋の中央にも椅子に座ったアンドロイド二体が置かれている。 レミルの追悼集会から数日が経っていた。レミルの死を最も悲しんだのは、他ならぬ父親であるシラキ博士であったかもしれない。将来ある有能なひとり息子を亡くしただけではなかった。レミルはシラキ博士の研究の協力者でもあったからである。しかし、シラキ博士は悲しみのどん底から這い上がりつつあった。 「何としてもこの人工頭脳の開発を成功させねば……」 シラキ博士は、自身が『パターン認識や帰納法的思考のための集積回路』と呼んでいるものを開発している。 人工頭脳に使用されていた集積回路は『演繹法的思考』というものに関する限り人間の頭脳よりも遥かに強力であったが、『パターン認識や帰納法的思考のための回路』に関しては、人間の頭脳には及ばないとのことであった。 部屋の中央に置かれた二体のアンドロイドが目下の研究開発に使用しているものである。アンドロイド相互の情報の送受信チェックのためには、二体が必要であるとのことだった。 シラキ博士は、レミルの追悼集会で話したように、レミルの生存中に、レミルの脳の神経細胞のネットワークや知識などをデータベースに保存しておいたのである。この他、レミルの容姿に関する4Dデータ(立体形状と動きのデータ)、皮膚、声、性格に関するデータなどレミルに関するあらゆる情報が保存されていた。 シラキ博士は人間のパターン認識や帰納法的思考の神経回路のアナロジー用集積回路に関しては開発を終えていたが、これまでの演繹的思考用の集積回路との融合に難産していたのである。 × × × 試行錯誤の末、その後二年の歳月を得てシラキ博士の開発は目処がついた。シラキ博士は、この人工頭脳をもったアンドロイドを実験用のものから実用システムに移行するため、一体のアンドロイドのハードウェアを発注した。 アンドロイドはハードウェアとしての身体、制御回路とそのソフトウェアの組み合わせによって作動するものである。コンピュータがハードウェアとソフトウェアの融合体であるのと同様に、制御回路やソフトウェアを取り替えることによって様々な特徴・機能をもったアンドロイドを実現できるようになっている。 エポカの世界では、アンドロイドやロボットには汎用製品が広く使用されている。シラキ博士は、新しいアンドロイドの発注の際に、カスタマイズと呼ばれるある特別注文を行った。 一カ月ほどして、注文した新しいアンドロイドの身体がシラキ博士の元に届けられた。博士は直ちに自らが開発した人工頭脳を組み込み、チューニングと呼ばれる調整作業に着手した。そして最後に、念のためということで安全装置を組み込んだ。 「安全装置ってなんなの?」 「ホーウ! あとで分かるよ」 「ところで、ロボットとアンドロイドはどこがどう違うの?」 「ホホーウ! ロボットは人間と同じ姿のものもあるけれど、そうでないものもある。ところが、アンドロイドは全て人と同じ姿をしている。しかし、人と同じ姿をしているものが全てアンドロイドというわけではない。一般には、人間と同じような動作ができ、一定程度以上の人工知能をもつものをアンドロイドと呼ぶけれど、ロボットとアンドロイドに明確な境界線があるわけではないよ」 × × × ホログラフィはある小さな集会を映し出している。レミルの三年目の追悼集会だとのことである。レミルの追悼集会のときには何百人もいたが、この集会は五十人ほどになっている。何時の世も、時が経つほど故人を偲ぶ集いの参加者は減少していくものである。集会に参加しない人の多くは、自分の近況やシラキ博士へのメーセージをメールで伝えてきた。 人数が減ったので、集会場には演壇などなく、楕円形に並べられたテーブルに参加者が座っている。シラキ博士の左右両隣には、シラキ博士の夫人のアーサとレミルのかつての恋人のミラカが座っている。 シラキ博士はミラカと話していた。 「ご結婚なさったそうですね。おめでとう!」 「申しわけありません」 「謝られるようなことは何も無いと思うけど」 「でも、なにかレミルにすまないような気持ちがしているんです」 今度は、シラキ博士の方が恐縮したような口ぶりで、 「ミラカにお願いがあるんだけど……」と切り出した。 「親馬鹿なお願いなんだ……けど。君に見てもらいたいものがあるんだ。それと……是非君に協力してもらいたいことがあるんだ」 「何でしょう? 私にできることであれば遠慮なくおっしゃって下さい」 「実は、君がレミルの追悼集会で話したレミルの『脳の複製』に関連することなんだ。今は、詳しく説明することはできないけれど。よければ一日時間が取れそうな日に私のところに来てもらいたいんだが」 ミラカは、一瞬驚いたような表情をした。 「レミルの脳に関連することなんですか! 今度の××日であれば、空いていますけど」 × × × 数日後、ミラカはシラキ博士の自宅兼研究室に出向いた。 ホログラフィはシラキ博士の研究室に戻っている。 ミラカがノックしてから研究室のドアを開けると、 「ようこそ、ミラカさん」という声がドアの脇からした。 ミラカにとって聞き覚えのある懐かしく優しい声であった。一瞬、ミラカは驚きの表情に変わった。 なんと、そこに立っていたのはレミルであった。三年前に死んだはずのレミルそのものであった。衣服も、姿も、声も、表情も! 「レミル、生きていたの……」とあやうく、ミラカは声を出しそうになった。 「ミラカ、驚かせてごめん! よく来てくれたねえ。ありがとう」と側にいたシラキ博士が間を置かずに声を掛けた。シラキ博士夫人のアーサもミラカを出迎えていた。 「いらっしゃい。主人が妙なお願いをしたようで、ごめんなさいね」 ミラカは、未だ懐かしさと驚きと、レミルの胸に飛び込みたいような複雑な感情が入り混じった放心状態にあった。 「アンドロイドなんだ! レミルの複製品だよ。名前はレミルにちなんで、レミという名をつけてあるけれどね」 「ホ、ホホーウ! もう分ったと思うけど、シラキ博士が新しいアンドロイドのハードウェアを発注した時の特別注文というのは、アンドロイドの姿形などをレミルそっくりにしてもらうことだったのさ」 ミラカは、やっとのことで気を取り直した。 「このレミというアンドロイド、私のこと分っているのかしら?」 「そのはずだよ。レミはレミルの記憶のほとんどを引き継いでいるから」 「私が結婚したことは、知っているのでしょうか?」 「ひととおり、レミルが死んだ後のミラカのことは伝えてあるけど」 「レミルがレミになって生き返ることが分かっていたら、私、結婚なんかしなかったかもしれないし……私のこと、どう思っているのか心配だわ」 「まだ、そんなことを思っているんですか、レミはレミルではないよ。アンドロイドのレミと結婚するなんてことできるわけないでしょう。ミラカらしくもないね」 「それはそうですけど……レミルの脳そのものをもっているのなら……」 ミラカは俄かにはレミがレミルとは違うということが信じがたい様子で、レミに話しかけたい気持ちと何を話したらよいかに迷っているような状態であった。 レミはその後、ミラカを見つめるのみで、口を開く様子はなかった。 シラキ博士は、相変わらず戸惑っている様子のミラカをなんとかテーブルにつかせた。アーサも同席した。 「先日のお願いのことなんだけど……実は、もう一体レミと同じアンドロイドがあるんだけど……」と言って、博士は部屋の中央にある衣類をまとっていない無垢のアンドロイドを指差した。 ミラカは博士の言葉にまたまた驚いた。後ろを振り返って見ると、普通のどこにでも見かけるようなアンドロイドであった。 「姿形は違うけれど、中身はレミと同じなんだ!」 ミラカは、もう一体がレミルとは似ても似つかない姿形なので、今度は落ち着いて見ることができた。 「研究開発に使ってきた、実験用のペアのアンドロイドなんだ。開発が一段落したので、このアンドロイドをどうしようかと考えているんだけど。レミを見ているうちに、君と同じようにレミルと二重写しになってね、レミが可愛そうに思えてきたんだ。変だよね、アンドロイドが可愛そうに思えるなんて! それで、この残りのアンドロイドをミラカの複製品にできたら、レミも幸せになれるのではと考えるようになったんだ。できたら、このもう一体のアンドロイドには容姿だけではなく、君の性格や感情、情緒を組み込みたいと思っているんだ。アーサも、『そうなったらきっとレミルも浮かばれるでしょうね』と言うんだけど……」 ミラカの表情から『YESかNO』を読み解くかのように、更に博士は言った。 「それと、正直に告白すると、研究上の関心事で申しわけないんだけれど、恋愛関係にあった二人の感情がそれぞれインストールされたときに、アンドロイドがどのように反応するか、相互に愛情というものをもつかどうかも調べてみたいんだ」 博士にこのように頼みこまれては、というよりはレミルと瓜ふたつのレミが見ている目の前では……という以上に、もっと積極的な気持ちでミラカは答えた。 「博士のたってのお願いに、NOなどと言えるわけがありません。それと、結婚したとはいえ、レミルへの気持ちは今もって変わりませんし、二体のアンドロイドが私達の代わりに幸せになってくれたらという……何かロマンチックな気持ち……になります」 「ありがとう。ミラカ!」と言って博士は涙ぐんだ。 「心からお礼をいうわ、ありがとう」とアーサも言った。 しばらく三人が語りあってから博士が切り出した。 「それでは、さっそくだけど……準備はしてあるんだ……お願いしようかな」 アーサは仕事の邪魔になるからということで退席した。 ミラカは、初めに4Dボックスという箱に入り、ボックス内のスクリーンの映像が命ずるままに動いたり、発声したり、表情を変えたりした。ボックス内でのデータ取得が済むと、モニターの前に座らされ、モニターに映った人が連発する様々な質問に答えた。 博士は、モニター上でGネットから入手済みのミラカの健康診断情報や心理テスト情報を眺めていた。 「ホ、ホホーウ! 前にも言ったように、エポカの世界は秘密の無い社会なので、誰でもこういった個人情報を必要に応じて入手できるんだよ」 次に、ミラカは大きなヘルメットのような帽子を被らされ、脳の様々な情報を抽出された。こんな具合に半日に及ぶミラカの肉体的、精神的情報の取得作業が行われた。 作業が一段落すると、ミラカが言った。 「洗いざらい、私というものが調べられて、素っ裸にされてしまったような気分だわ」 「すまないねぇ〜そのとおりだよ。なんとお礼を述べてよいのやら……」博士は申しわけなさそうに言った。 「それでも、今回のデータ取得の対象にミラカの脳の思考論理回路は含めなかったんだ。この作業はかなりの日数がかかるし、迷惑だろうと思ってね」 ミラカが帰り支度の身づくろいをしていると博士が言った。 「たぶん、一カ月もすればミラカのレプリカのアンドロイドが出来てくると思うんだ。そのあとでチューニング作業を行うので、二カ月もしたらミラカがアンドロイドになっていると思うよ。思考の論理回路はレミルのものだけど、それ以外の全て、人格的にはミラカそのものになるはずだけど……。よかったらその頃にまた来て下さい。ミラカも興味があるだろうし……」 「そうですね、是非拝見させて頂きます。とっても楽しみだわ」とミラカはにこやかに言ったが、ミラカには何故か不安な気持ちが心の奥底にあった。 「レミ! また会いましょうね」 「お会いできてとても嬉しかったです」とレミの返事が返ってきたが、ミラカはとても寂しい気持ちになった。ミラカはレミにレミルとしての反応を期待していたからである。 × × × 二ヵ月後、期待と不安を抱えて、ミラカはミラカのアンドロイドに対面するためシラキ博士の研究室を訪れた。 ミラカがドアを開けると、レミが言った。 「いらっしゃいませ。シラキ博士がお待ちかねですよ!」 ミラカは、レミとレミルが二重写しになっているので、レミの他人行儀な挨拶のしかたにまたまた戸惑った。けれど、ミラカはレミの表情が明るくなったように感じた。 今回も、博士と一緒に婦人のアーサがミラカを出迎えてくれた。ミラカのアンドロイドの姿は見えなかった。 三人がテーブルに着くと、レミがお茶を運んできて丁重に三人の前に置いた。 「レミル、そんな給仕のようなことしないで! 悲しくなるわ!」ミラカが思わず口走ってしまった。ミラカはすぐに、とんでもないことを言ってしまったと思った様子で、 「ごめんなさい。まだ頭が切り替わらなくて……」と言ってシラキ博士夫妻に詫びた。 「いいのよ。私達だって同じように混乱してばかりいるんだから」アーサはミラカを庇った。 「ホホ、ホホーウ! エポカの世界では、アンドロイドはあくまでも人間に仕えるものであって、人間と同列ではないからね。主人と召使の関係になっている。レミはレミルと同じ感情をもっているけれど、人間とアンドロイドを厳密に区別した振舞をするようにプログラミングされているんだ」 「理屈は分るけど、見た目に同じ姿をしていると、ミラカと同じようにぼくだって混乱してしまうと思うよ」 「さっそくだけど、ミラカのアンドロイドに対面してもらうことにするよ」と博士は言って立ち上がり、奥の部屋に姿を消した。 奥の部屋から博士が再び姿を現すと、その後ろからミラカのアンドロイドがついて来た。 「こちらにおいで!」と博士が声をかけると、ミラカのアンドロイドがテーブルの前まで軽やかに歩み出てきた。 ミラカの目は、自分の方に向かってくるアンドロイドに釘づけになった。前回この研究室を訪れた際にミラカが着ていたものと同じものを身に纏っていた。 「私って、こういう歩き方でこういう表情をしているのかなぁ〜」 「そうだよ。そっくりだよ」 自分と同じ姿形のものがあることがミラカには不思議でならなかった。 「私の雛形になった方にお会いできて、とても感激です」ミラカのアンドロイドはミラカに挨拶した。 「私の声やしゃべり方ってこうなんだぁ……」 「博士、近寄ってみてもいいですか」とミラカは言って、博士の返事を待たずにアンドロイドの周囲を一回りしながら眺めまわした。 「博士、名前をまだ聞いていないんだけど」 「まだ、名前がないんだ。ミラカに名づけてもらおうと思って、とっておいたんだ」 「レミルがレミになったのなら、ミラカはミラになるしかないんじゃないの」ミラカが即座に言った。 ミラカは、今度は目の前の自分自身の姿に言った。 「ミラという名前でどうかしら?」 「ありがとう! やっと私の名前が決まりました。とても気に入っています」 「それはそうでしょう、ミラがミラカと同じ感情をもっているとしたら、喜ばないはずはないわよね」アーサが言った。 「ミラ! もう下がっていてもいいよ」博士が言うと、ミラはレミの方に向かって歩いていった。 シラキ夫妻がミラカにミラの感想を訊いたり、ミラカがシラキ博士の開発の苦労話などを訊いたりして話が弾んでいる最中に、ミラカの目にレミとミラが――かつてレミルとミラカが打ち解けて会話していたのと同じように――互いに話しあっている光景が映った。レミの話しぶりは、ミラカに話すような他人行儀な話し方ではなかった。ミラカは博士と語らいながら、ミラが羨ましくも妬ましくも感じた。 そして、ミラカは理解した。この前の帰り際に、不安な気持ちが心の奥底にあることを感じたけれど、このことだったんだと。ミラがいないときは、他人行儀ではあってもレミはレミルであり、レミルとミラカであった。ミラが登場したとたんにレミはレミでしかなくなり、レミとミラになってしまった。そして、レミルは元の永遠に帰らぬ人になり、自分だけがひとり取り残されてしまった――とミラカは思った。 |
|||||
|
|||||
|