未来からのメッセージ | |||||
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第四の部屋 市長の選挙(2) | |||||
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大多数の市民は市長達のプランに賛同した。能動的な生き方をしていない人が、えてして物事に受動的であるように、当のマイライ集落の人々からの反対はなかった。エポカの世界に国境はなく、人の移動の自由は保障されているため、彼らにとって行くところや住むところは世界中どこにでもあるからである。 市長達にとって予想外であったのはマイライ集落の人達ではなく、彼らと同様、山麓の森に住む被災を免れた住民達からの反対であった。とはいうものの人数としては多くはなかった。 この計画反対者の主張は――自分たちが居住する場所は、確かに森林火災が発生した場合、充分安全といえる場所でないことは承知しています。承知の上で、この場所を愛し、住んでいるのです。いざという時の備えも覚悟もしているので、この場所を立ち退くような計画には賛同できません――というものであった。 そうこうするうちに、三カ月後に市長達の選挙と議員の選挙を迎えることになった。ことのなりゆきから市長の予想どおり、選挙の争点は今後の防災対策になった。市長のこれまでの実績と徳の大きさから、市長達と市長派の議員の優位は揺るぎないように見られた。市長達の対立候補も出ないとの見方が大勢であった。 ところが、マイライ集落の人々が隣接するケネル市に移住してくるとの風聞が流れると、ルメル市の住人と同様、彼らの流入を快く思わないケネル市の人々が、メルリン市長のバリアゾーン計画に反対を表明した。本音としての『マイライ集落住民のケネル市への流入防止』と建前としての『マンダレー山麓の自然環境保護と景観の保全』を反対理由としていた。この計画を撤回しなければ、次のルメル市の市長達と議員の選挙では、メルリン市長達や市長に同調する議員に対して反対投票を行うとの声明を出した。 現代社会流にいえば、迷惑な施設やいかがわしい人々を排斥したいとの利害から発した声明であった。 「自分たちが住んでいない隣の都市の選挙に対しても選挙権があるんですか?」カズマが首を捻ってフーパに質問した。 「ホウ、ホホーウ! エポカの世界での選挙は、行政地域内に居住する人だけがその行政地域の選挙権をもっているわけではない。ケネル市の人が言っているように、ルメル市の選挙にも参加できる。というよりも世界のあらゆる地域の選挙権をもっている。但し、自分の住む場所から遠いところにある地域の選挙に票を投じても、そこの居住者よりも小さい投票権しかない。たとえば、ルメル市に住む人がルメル市の選挙を行う場合の一票に対して、隣のケネル市の住民がルメル市の選挙に投票する場合には、ルメル市の住民の半分程度の票の重みしかもっていないんだ」 カズマが「ふーん! そうなのか〜」とうなずくと、フーパが更に説明を続けた。 「ホーウ! 但し、立候補者はその行政地域の住人に限られている。それと、カズマの世界の選挙との違いとして、議員選挙の場合には選挙区というものがないことや投票期間が一カ月程度あるのが特徴かな」 「ずいぶん選挙の方法が違うんだね」 隣のケネル市では、メルリン市長の計画に対する撤回運動ばかりが目立ったが、実際には、露骨な住民エゴを問題視し、これまでのメルリン市長達の功績を評価すべきであるという意見や今回の計画案はやむをえないものであるから、メルリン市長達に投票しようという人の方が多かった。 森林火災という災害があったばかりの都市であるため、バリアゾーンに関する反対運動はGネットでもしばしば話題になった。このような反対運動はやがてGネット上で、『なまけもの』たちを追放したがっている市長と、『なまけもの』たちに来てもらっては困ると考える隣の都市の住民との対立という構図に歪曲されて知られるようになった。 選挙開始を二カ月先に控えた頃に、エポカ世界の『選択の自由』を監視しているフリームという団体代表のムルバという人物が、メルリン市長に会見を求めてきた。今回のバリアゾーン計画は『選択の自由を侵害するものではないか』とのことでの会見要望である。メルリン市長は会見に応じることにした。 × × × ホログラフィは、ルメル市役所内の一室で行われているメルリン市長とフリームの代表ムルバとの会見風景を映している。 「遠路ご苦労様です」 「初めてこの地を訪問しましたが、素晴らしい自然をもつ美しい町ですね」 「それが私たちの誇りです」 ムルバは資料をテーブルに広げながら、次のように切り出した。 「さっそく本題に入らせて頂きます。私達は自然保護団体ではないのですが、念のためお聞きします。バリアゾーンの計画は森林火災から住民を守るには有効かもしれませんが、自然環境や景観に悪影響を与えると思うのですが、この点を問題にする人達はいなかったのですか」 「確かに、バリアゾーンは自然環境や景観への影響が全く無いとはいえません。しかし、極力影響が少なくて済むように配慮しています。自然保護団体からも特別反対の声は上がっていません。恐らく、やむをえないと考えているのかもしれませんね。ということで、何度か繰り返されてきた森林火災から市民を守るには、これほど有効な対策は無いと考えています。それと、今回の計画の反対者ですが、二種類のグループがいます。ひとつのグループは森の中の生活を愛する人々の反対です。ですが森林居住者の大多数は計画に賛成してくれています。もうひとつのグループは、あなたもご存知の隣のケネル市の反対運動を行っている人達です。もっとも、この人達の本音は自然環境や景観への影響ではありません。この人達が計画に反対する理由についてはご存知ですね」 「承知しています。それでは、質問を替えます。とりあえず、バリアゾーンが非常に有効な対策であるものとしておきます。ケネル市のエゴイスティックな反対運動に肩をもつわけではありませんが、マイライ集落を縦断する形でバリアゾーンの設置を計画したのはどのような理由によるものでしょうか?」 「あの集落周辺は、秋ともなれば枯葉や枯枝に埋もれ、一旦出火すればたちどころに火の海となる危険性があります。また、集落を回避するとなるとバリアゾーンが大きく蛇行することになり、森林伐採の量が増えるからです。自然環境への影響を少なくするために、あのような計画になったのです。集落の人々の移住の自由はルールブックで保障されおり、移住に必要な費用は市の方で負担します。集落の人々からも特に反対の声は上がっていません」 「ルールブックというのは?」 「ホ、ホーウ! ルールブックというのは、エポカ世界の法律と考えればいいかな。カズマの世界でいう法律とは趣が異なるけれどね。法律というのは『規則』のようなものだけれど、ルールブックは『エポカの理念』の趣旨に沿って定められた『基準』のようなもので、それなりの理由があれば、修正してもいいし守らなくてもいいものなんだ。但し、『基準』と異なることを行う場合には、独断的・排他的になることを防ぐため、地域内外の人々からの大きな反対がないことが条件になるけれどね。地域内外の人々と意見が対立する場合には、上位の法廷の判断に委ねられるか、『社会の仕組の見直し委員会』に図られるんだ」 「守らなくてもよい法律なんてものは、ぼくらの社会には無いはずだよな」 「ホーウ! けれど、『エポカの理念』に反することはできないんだ」 ムルバは納得できないといった表情で言った。 「これだけ大規模なバリアゾーンの一部が蛇行しても、自然環境に及ぼすダメージの程度はあまり変わらないように思えますがね。それと、集落の人々から反対の声が上がっていないということですが、現在のような彼らに対する市民感情の中で、反対の声を上げ難いだけのことではありませんかね。社会から逃避的生活をするような人々は、社会に能動的に反応することに臆病であると思いますけど……」 「バリアゾーンの蛇行による環境への影響の程度を、どのように考えるかは見解の相違だと思います。ルメル市では自然環境や景観の美しさの保全が最も重要な課題なので、極力影響を少なくする必要があるのです」市長は、やや当惑気味に答えた。 「私共が気がかりなのは、ケネル市の反対運動の本音とルメル市民のマイライ集落の人たちへの排斥運動です。ルメル市でも多くの人が、村八分的な言動を行っていますね。市長は彼らの言動に対して同情的であるようにも思えるのですが。これらの危険な言動を放置しているのではないでしょうか? そもそも、このエポカ世界では、なによりも『選択の自由』が守られなければならないのに、排他的雰囲気が市民一般に広まることは憂慮すべきことだと思いますが?」 このムルバの意見には、温厚な市長もさすがに気に障ったようで、 「市民の言動には、行き過ぎの部分があるかもしれませんが、分らないではありません。というのも、マイライ集落の人達は、誰ひとり社会活動に参加せず、ただ漫然と怠惰に過ごしているか自分の楽しみを追い求めているだけだからです。今回の火災も彼らの火の不始末が原因となったもので、多くの人が多大の迷惑を蒙りました。また自分たちが引き起こした災害であるにもかかわらず、誰ひとりとして消火活動や救護活動に加わらなかったからです」 「『彼ら』という表現は、気に掛かりまね。集落の人達の全てを犯罪者扱いしているようにも聞こえます。集落の中の数人と全員を同一視しているように思えます。罪を犯した人達は、現在取り調べ中だとのことですが、集落の人全員が出火の原因を作ったわけではないでしょう。それと、消火活動や救助活動を行うか否かは個人の選択の自由です。救助活動に積極的に参加された方々は、賞賛されるべきであるかもしれませんが、救助活動に参加しなかったとしても、非難されるべき問題ではないと思います」 「確かに、エポカの世界では選択の自由を保障していますが、他方で人の役にたつ活動を行うことを求めています。そういう点では、彼らの生き方は好ましいとは思えません。 彼らは社会のための活動を全くしていないので、当然、『投資配当』を授かることはほとんどなく、『基本配当』や家族からの『授権配当』を生活の糧としているわけですが、これらの配当は世界の人々が『人の役にたつ活動』をした結果として生み出されたものです。それを消費するのみで、自らは何も生み出さないというのは感心しません。エポカでは、老人や身障者でも、活動できる人は誰でも『人の役にたつ活動』をしているというのにですよ……」 「ホホーウ! エポカの世界での『人の役にたつ活動』というのは文字通りの意味なのさ。『活動』という言葉はカズマの世界の『働く』という言葉に近いけれど、それよりも広い意味があるんだ。カズマの世界では『人の役にたつ活動』をしても、収入にならないこともある。たとえば、様々なボランティア活動、家事労働、身近な他人への親切や思いやりなどがあるけど、前にも言ったように、エポカではこれらの活動によってもカズマの世界での『仕事』の場合と同様に『授権配当』という収入が得られる。だから、エポカには失業者はいない……ということではなく『失業』という言葉が無い。活動できる者は誰でも活動することができ、応分の収入を得ることができる。子供でも例外でないことは前にも言ったとおりだよ」 「それで、私としては、何とか彼らに社会復帰してもらいたいと考えているのです。このままでは、彼ら自身も幸福ではないと思います。集落の人達のため、市内の数箇所に移転先を準備し、社会活動に復帰するためのプログラムを考えています。もっとも、彼らにも選択の自由がありますから、受け入れてもらえればの話ですが……」 「エポカの世界では、『何もしない』ような選択をする自由もあると思います。そのような自由もあることを認めての『選択の自由』です。『選択の自由を可能な限り広げ、他人の選択の自由を制限する行為を可能な限り排除する』というのがエポカの重要な理念のはずです。彼らが人の役に立つ活動をしていないとのことですが、少なくとも家族がいる者は家族のための活動はしていると思います。『人の役にたつ活動』ということですが正確には『自分自身と人の役に立つための活動』のはずです。人の役には立たないが自分自身のためである活動もこれに含まれます。人の役に立つ活動をしているか否かだけで人の価値判断するのはいかがなものでしょうか。老人や身体障害者の中には自分のための活動もままならない人ももいます。『役にたつ、立たないというだけの見方』をされると、このような人たちは肩身の狭い思いをするのではないかと思います」 市長は気色ばって答えた。 「活動できない老人や身体障害者達は庇護の対象であって、マイライ集落の人達と同一視することは甚だ問題であると思います。人は『人の役にたつ活動』をするために生きるべきであるというのは私の人生観であり、エポカ世界の望ましい姿です。しかし、私の人生観は別にして、『選択の自由』に関するエポカの理念に背いたことはありません」 「そうでしょうか? 今回のバリアゾーンは、『他人に迷惑をかけない限りどのような人生を送るかは個人の自由である』との理念にも反していると思います。そして、マイライ集落を解体し、この地の少なからぬ市民が望む彼らの追放を招くことになるのではないでしょうか。端的に申します、私達は今回のバリアゾーンの計画は森林火災から市民を守ることの外に、マイライ集落の解体を目的としたものであると受け取っています」 「そのように受け取られることは、実に心外です!」 更に、ムルバは市長の信念を逆撫でするように言った。 「エポカ世界のどこかに、マイライ集落のようなものがひとつやふたつあってもよいのではないでしょうか。『救う側の人』と『救われる側の人』の境界は甚だ曖昧です。マイライ集落の人は肉体的には健康そうに見えるので、『救う側』の人間であるべきなのに社会の役に立つ活動をしていない――ということで苛立ちを覚えているのかもしれませんが……。逆に、時として、老人や身体障害者など『救われる側』にいると思っている人が『救う側』にいたりすることがあるのも事実かと思います。何もできなくても、その人が生きているだけで、他の人を幸福にすることだってあるでしょう。見方によってはマイライ集落の人も、活動できない老人や身体障害者と同じかもしれませんよ……」 「おっしゃることは分からないではありませんが、基本的に彼らは『救われる側』にいると思っています。だからこそ、彼らを救い出すことが私の使命なのです。このまま放置しておけば、ますます彼らはエポカ世界から孤立していくだけです」 「世界には肉体的条件だけでなく、気持ちの上で、つまり精神的に社会活動をすることのできないような人達も中にはいるということです。マイライ集落の人達はそのような人々ではないかと思うのです。彼らは自らが安住できる場所として、この地に移住してきたのではないでしょうか。市長のおっしゃるような啓蒙主義的な救いを求めているとは思えません」 「自殺する人が『助けてほしい』とは言わないのと同じで、彼ら自身の口からは『救ってほしい』などとは決して言わないでしょう。しかし、自殺しようとしている人を前に、選択の自由を侵してはならないということで放置することができるでしょうか。アルコール依存症患者の場合には本人の意志に反してでも断酒する必要があります。同じように彼等は我々が手を差し伸べて救ってあげなければならない人達のはずです」 「自殺しようとしている人やアルコール依存症と彼らを同列に扱うことはできません。市長の論理からすると、あるべき姿と違った人間は本人の自由意志とは関係なく救われるべき人、正されなければならない人になってしまいます。この延長線上には非常な危険性があると思います」 「あなたのおっしゃることは、私の信念が間違っているというように受け取れます。これまで、私に対して、あなたのようなことを言ってくる人はいませんでしたが」 「市長のこれまでの身を粉にした自己犠牲的な活動には、市民の皆が敬服していると思います。市長に物申すには、自身の徳が小さすぎると思っているのかもしれませんね。人は、非のうちどころの無い人には、反論を差し控えるものかもしれませんよ」 「そのようなことってあるものですかねえ。私は、自身の努力がまだまだ足りないと感じているのですが……」 「いずれにしても、啓蒙主義的な考えは、時として啓蒙される側にとって大きなお世話になる場合もあると思います。彼らは、つつましやかに、人の役には立たないが人の世話にもならないように自分たちの生活をしている人達です。そしてこの世に生を受けたことを楽しんでいるのではないでしょうか。 蒸し返しになりますが、市長はご自身のお考えになる『生き方』を、彼らに押しつけようとしているように思います。逆にいえば、結果的に彼らから『選択の自由』を奪おうとしているように思います。あの集落の人達のほとんどは、これまでメルリン市長を支持してきたことをご存知ですか。『自分達のようなろくでもない者でも受け入れ続けてくれた』ことに対する感謝の気持ちとして市長を支持してきたのですが……残念なことですね」 「私は、彼らから『選択の自由』を奪うことなど毛頭考えていません。どこまでいっても平行線ですね、見解の相違としかいいようがありません」市長は少々疲れた様子で言った。 「そうですか……私たちの考えも理解してもらえそうもないですね」ムルバも溜息をつくように言った。 しばらくの間を置いて、 「繰り返しますが、私達が最も懸念しているのは、この地の排他的集団感情です。マイライ集落の人たちを弁護するような発言が憚られるような雰囲気になっている状態です。それでは……しかたないですね。私達は今回の選挙で選択の自由を守るためとマイライ集落に対する排他的感情が蔓延するのを防ぐため、フリーム推薦の対立候補を立てることにします」 ということで、メルリン市長とムルバの会談は終了した。 × × × やがて、市長とそのスタッフ、議員の立候補者の受付が開始された。知名度の全く無いハットンという青年が市長候補として届け出た。併せて、この若い市長候補のスタッフとして十名の若者、議員候補として数十人が立候補した。 ハットン達の提示した様々な政策のうち、森林防災計画に関する提案は、森林火災の衛星監視機能の強化やロボットの消火部隊の増強などであった。それとともに、メルリン市長の提案するバリアゾーンが、マイライ集落の解体とルメル市から集落住民の追い出しをもたらすものであり、エポカ世界の『選択の自由』に対する挑戦であると批判した。メルリン市長陣営から、ハットン達の森林防災計画案は、延焼防止対策としてはバリアゾーンほど有効ではないとの批判を受けたが、ハットン達は自然環境と景観の保全の重要性を訴えて対抗した。 ここで、お預けになっていた『市長達の選挙』や『議員の選挙』の方法について、フーパが解説してくれた。 「ホ、ホホーウ! エポカ世界の選挙は、Gネットを通じて行われるんだ。さっきの市長達の選挙の話しだけど、市長とそのスタッフの選挙は一体のもので、グループとしての選挙になっているのさ。コルガンやサットンもメルリン市長と一緒に選ばれた人達なんだ。この市長達の選挙は行政を行う人達の選挙で、議員の選挙は選挙民の代弁者達の選挙なのさ。議員の選挙の方は、落選者のいない選挙で、得票数を競う選挙になっている」 「落選者のいない選挙? そんな選挙って僕らの世界にはないな」 「ホーウ! 当選するかしないかではなく、立候補者がどれだけ多くの人の代表になるかという『選挙』なのさ。議員については、たとえば定員が百人であるとすると、十人程度の候補者に投票することができ、ひとりに複数票を投じてもよい。こちらを黒票と呼んでいる。それと、好ましくない候補者には赤票というマイナスに数えられる票を投票してもよい。黒票と赤票の合計は十票までということになっている。選挙は立候補者の締め切り直後から実施され、前にも言ったように締め切り日までの約一カ月間に何度でも投票をやり直してもかまわない」 「落選者がいないんじゃ、大きな議会の建物が必要になるのかな」 「ホーウ! エポカは、高度なIT社会だよ。議場はあるけど、ヴァーチャルリアリティの議場なんだ。議会用の建物なんてものはないよ」 「選挙戦はどのように進められるんですか。政党のポスターが街の掲示板に貼り出されたり、立候補者の経歴や政策が放送されたり、街頭演説が行われたりするんですか?」 「ホーウ! 立候補者の経歴や政策が放送されることはあるけれど、ポスターや街頭演説はない。カズマの世界の選挙、というよりも政治と大きく異なるのは政党が無いことかな。このため個人が自分の政策を述べたり、他の候補者の政策を批判したりすることはあるけれど、マスメディアで政党が互いになじり合うように批判するといった見苦しい光景はないよ。選挙戦は選挙管理委員会の管理の下で、もっぱらGネットを通じて行われるんだ」 「政党が無い! どうしてですか?」 「ホホ、ホホーウ! 政党というものが許されていないということではなく、政党がいつしか作られなくなってしまったんだ。けれど政策を同じくするグループはあるよ。政党とこれらのグループが異なるのは、議員の行動を制約するような党則が無いことなんだ。 党が造られなくなった理由はふたつあるかな。ひとつは、カズマ君の世界とも共通する理由だね。組織は何らかの目的をもって結成される。政治の場合でいえば、自らの政治理念の実現が目的になるかな。ところがおよそ組織というものは、必ずといってよいほど手段である組織の維持・拡大自体が目的に置き換わる傾向をもっている。異なる政党は政敵になる。政敵であればその政策に本音は賛成でも反対するといったことにもなる。政党は権力を得るために互いに意図的な曲解批判や誹謗中傷を行うのが世の常で、票を獲得するためならば、結果に責任を持たない耳あたりのよい言葉を並べ立てることもある。『敵の敵は味方である』という場合さえある。それで、政治理念よりも党則や組織の維持・拡大が優先されるような政党というものの醜さが有権者に嫌われることになった。政治家は、こういった政党の悪弊から自由であることを有権者に示すために、政党に属さなくなり、次第に政党がつくられなくなってしまったのさ。 もうひとつの理由はエポカ世界ならではのことかもしれないな。政党というものは社会の様々な階層、例えば経営者、労働者、農民などの利害を代弁するという役割をもっていると考えられるけれども、基本配当があったり相続制度がなくなったりすることによって、様々な階級や階層がなくなり、異なる利害が消滅したこともある。党というような圧力団体が必要なくなってきたということかな。多少の考えの違いであれば敢えて党のようなものを造る必要はないからね」 ――今の政治家達に聞かせてやりたいような話だな―― そうこうするうちに立候補が締め切られ、直ちに投票が始まった。市長とそのスタッフ候補および議員候補の意見や政策は、投票期間中もGネットやマスメディアを通じて報道された。 選挙戦前半、現市長のメルリン陣営が圧倒的優位を保った。隣接するケネル市の人の多くが現市長達に反対票を投じてきたが、票の重みは二分の一程度なので、メルリン達の優位は動かなかった。 選挙日が近づくにつれ、ケネル市でも地域エゴむきだしの反対運動を嫌う潜在的な人々が票の形で顕在化するに伴い、ケネル市のメルリン達への反対運動は尻つぼみになっていった。 こんな次第で、フリーム推薦の市長候補であるハットン達にはほとんど票が集まらなかった。 投票が開始されてからしばらくたって、選挙管理委員会は、人口30万人の都市の市長達と議員の選挙にしては珍しいことに、遠方それも世界の裏側の地域から少なからぬ赤票がメルリン達に投じられていることを確認した。そして、日を経るに従って、このようなメルリン達への赤票とハットン達への投票が増えていった。遠く離れた地域からの票であるため、票の重みはルメル市民一票の百分の一にも満たないので、それでも現市長派の優位は動かなかった。 とはいうものの、現市長陣営は世界各地から投票されてくる赤票が気になって、Gネットを調べてみた。すると、ルメル市での森林火災、メルリン市長のバリアゾーン計画、メルリン市長とフリーム代表ムルバとの会談内容が克明に掲載されていた。この中で、フリームが組織をあげて『選択の自由の危機』を世界中に訴えていた。 メルリン市長陣営では、念のためフリームへの反論を掲載しようと相談したが、すぐに止めにした。歪曲された『なまけもの』を巡っての対立の構図は、元々フリームが演出したものではなく、メルリン市長が言いたいことは全て書かれていて、これ以上の補足や追加のしようがなかったからである。フリームは公平かつ客観的に自身の意見とメルリン市長の意見を並列していて、その上でメルリン達への反対票を呼びかけていたのである。 メルリン市長陣営は、各種環境保護団体も同じような動きをしているのではと心配になり、その動向を調査してみた。しかし、自然環境保全の観点から問題であるとの意見は少数で、森林火災から市民を守るためにはやむをえないのではという意見が多数であること、環境保護団体としての統一見解が出ていないことから、メルリン市長陣営はひとまず安心した。 メルリン市長陣営はフリームに逆攻勢をかけるため、『徳の薦め』といった団体や『人の道』を説く宗教団体などにメルリン達への投票依頼を行ってみたが、フリームの訴えを既に知っていて、儀礼的な返答やつれない反応が返ってくるばかりであった。 投票の最終日が間近に迫るにつれ、日を追って世界各地から洪水のようにメルリンへの赤票が投じられるようになった。メルリン達への票は減るばかり、反対にハットン達への票は増えるばかりになった。遠方からの票なので一票の重みはほんの僅かであったが、膨大な数の赤票によって、ついに対立候補のハットン達への票がメルリン達への票を上回るようになった。 この趨勢は広くルメル市民にも知れることとなった。 「自分たちは間違っているのか? そんなはずは無い……」 「しかし、世界の多くの人々が、メルリン市長達に異議を唱えている……」 ルメル市民の多くが戸惑いをあらわにした。 そのうち、ルメル市の住民のうち投票を保留していた人やメルリン市長達に一旦は投票したものの、思い直して若いハットン達に投票しなおす人も少なからずでてきた。 やがて、ルメル市の市民の中には世界の声を背景に、現市長の計画に反対を積極的に表明する意見も出るようになった。これまでは、メルリン市長達の実績と市民の感情(圧倒的なマイライ集落への反感)故に声を上げられなかった人たちも発言をするようになった。ルメル市の市民も集団感情から解放されつつあった。 こうして勝敗は決した。メルリン陣営は敗退し、新市長ハットンが誕生した。バリアゾーン計画推進派議員の多くも多数の得票を獲得することができなかった。 メルリン達への赤票が黒票を上回るという事態、つまり『獲得票数がマイナスになってしまった』という前代未聞の屈辱的敗北に、メルリン陣営は隠しようのないショックを受けた。 × × × ケネル市のバリアゾーン計画反対運動は、結果的には目的を達したように見える。この反対運動を行った人達の考えは、マイライ集落の人々を好ましからざる人達とする見方ではメルリンと共通であった。違いは、メルリンは市長なりの信念で、彼らの『救済』を考えていたことである。 逆に、ルメル市やケネル市のマイライ集落排斥運動は『迷惑な連中』の排除や流入阻止といった排他的動機に基づく運動であったため、Gネットなどで手厳しく批判されることになった。 メルリンは報道陣の質問に対して、敗戦の理由を次のように語った。 「私は――エポカ世界の誤解によって負けたのか? それとも私の考えが間違っているために世界から拒絶されたのか?――と自問してみました。いずれにしてもエポカ世界の審判は下りました。私には、森林火災から市民を守る義務があると思っていました。それとマイライ集落の人々を社会復帰させるにはどうしたらよいかを思案してきました。このため、スタッフが提案したマイライ集落を縦断するようなバリアゾーンの計画を受け入れたのは事実です。いわば、行政的に彼らを分解し、他の市民と混在して生活してもらい、社会復帰プログラムを受けてもらうことで、エポカ世界の一員として恥ずかしくない人々になってもらうことを願ったのです。しかし、結果的には世界の賛同は得られなかった。たぶん、これまでの生き方によって培われた私の信念が、彼らの生き方を許せなかったのだと思います」 ホログラフィはここで終了していた。 × × × ホログラフィの終了とともに、フーパは造物主の意を汲んで、エポカ世界の仕組みについて語りだした。 「ホウ、ホホホーウ! エポカの世界では、どのような理念の下で、判断し行動するかということが最も重要なんだ。理念が違っていれば結論は当然異なるはずだ。けれども、人はしばしば……というよりも一般的に、様々な判断を理性的に考えた上で行うのではなく、先に自分の利害、感情や信念が判断をしておいて、その判断をあとから理屈づけるものなんだ。逆に、理性的に考えて出てきた結論があっても、そのような結論に自分の利害、感情や信念が従うことができない場合が多いのではないかな」 カズマが――そう言われればそうかもしれないな――と思っていると、フーパが話しを続けた。 「ホ、ホーウ! 今回の選挙では、メルリン市長の場合は、エポカ世界の理念を自分の『信念』によって解釈→論理→判断したということになるかな。ルメル市とケネル市のマイライ集落の人々の排斥運動を行った住民の場合は、得体のしれない連中には町にいて欲しくない、または町に来て欲しくないという利害による判断を行って行動をしたといえる。この場合には、利害→判断→理屈づけという順序になる。フリームの場合は、エポカ世界の理念に基づいて判断し行動した。彼らの場合は、理念→論理→判断という順序になる。 社会一般の人にとっての行動や判断の基準になっているようなことを社会規範というんだけれど、人が社会的な問題について判断する場合、問題の背景や前提条件を整理し、理念や社会規範に照らして、論理によって結論を出し、判断することになる。この時、論理が違っている人や、そもそも理念が異なる人との間では同じ結論になるはずはない。さっきも言ったように、もっと始末の悪い人は、特定の意図や利害、感情や信念が論理を経ずに結論を出しておいて、後から理屈付けを行ったりする。エポカでは、社会問題に関しても自然科学の場合と同じように、前提条件、理念、論理、判断の関係を『証明』することが求められる。 かなり難しい話になってきたけれど、エポカの世界では、『ためにする』議論というのは、非常に嫌われ、非難されることなんだ」 カズマは――「本音とは裏腹の政治家やジャーナリスト達の『ためにする』議論には、うんざりするよ。『ため』が顔に書いてあるからな」とお父さんがニュースを見ながらお母さんに話している場面――を思い出した。 「ホ、ホーウ! それと集団感情の中で、自身の行動を集団感情におもねるようなことをしてしまうのも人の常だといえる。自分が『正しい』と思う確たる考えを持っていない場合はなおさらだ。自分の考えが集団感情と異なる場合、これに逆らって自分の意見を述べることは難しいことなんだ。カズマの世界のように、反対すると村八分にあったり、かく首されたり……と経済的・社会的制裁を受けたりする場合もあるし」 「ところで、マイライ集落の人達は本当のところどのような人達なのですか。フリームのいうことはもっともなように思うけど、心情的にはメルリン市長と同じようにしか考えられないな」とカズマはフーパの話を中断して言った。 「ホ、ホホーウ! 彼らは、『何もしないし、何もしたがらないこと』を責められることが嫌いなんだ。以前住んでいたような場所では、『世間から責められて』住み難いと思っていたんだろうね。そのような思いが錯覚であるか否かは問わないことにするよ。そう思っているということなんだ。誰でも、自分と同じような人がいると安心する。そういうわけで、自らの心を癒すため、この地に同類の人達と自然環境を求めて移住してきた。他人に頼ることもしないが、協力もしないと決めて社会から自らを閉ざした生活をしている。悲しい選択であるかもしれないけれど、彼ら自身の選択なんだ。他人に迷惑を及ぼすような選択であれば、彼らの選択は許されないのかもしれないけれど、そうでないのであれば、そしてそれが彼らにとっての唯一の『幸福』の姿であるならば、誰にもそれを禁じる権利は無いのかもしれないよ」 「その後、集落の人達はどうなったのですか?」 「ホーウ! 居心地の悪さを覚えて、よその地域に移住した人達も多少いたようだけれど、大部分の人達は今の場所に居残ったようだよ」 「メルリン市長が気の毒なような気がするなぁ〜。でも、市長達や市議会議員の選挙なのに、世界各地の人が投票してきたり、同じ人が投票をやり直したり、反対票を入れたりして、とてもおもしろい選挙ですね。子供まで投票できるなんてびっくりだな」 「ホホーウ! メルリンは今回の選挙では敗たけれど、その徳の高さが評価されて数年後にはメルリンは再び市長になるんだけどね。今回の政策にノーを言われただけともいえるな」 「へーぇ、そうなんだ」 すると、フーパがエポカの選挙制度について更に説明をした。 「エポカ世界には、国も国境もないことは前に話したとおりだけれど、この選挙制度は独裁者の登場、利権や地域エゴを防ぐために考えられたものなんだ。この仕組みが機能しているうちは、戦争など決して起こらない。独裁者は自分の行政区域では票を集めることができても、世界の反対にあって当選できないからね。 誰でも世界各地の選挙に投票できるけれど、遠い地域の選挙に投票する場合は、その地域住民の一票の何分の一、何千分の一票にしかならないことは繰り返し言っているとおりさ。つまり、投票はできるが同権ではないんだ。但し、エポカの世界議員を選ぶような場合には、エポカ世界のすべての人が同じ投票の重みを持っている。 選挙区が無い理由もこのことと関連している。選挙区があると議員は選挙区の利害代表という性格をもつようになり、世の中一般のためにはなっても地域の利害に反する場合には、正しい判断ができなくなる恐れがある。だから小選挙区制のようなものは、死に票が最も多くなるだけでなく、議員が地域エゴに訴えかけるような選挙になるので、二重の意味で問題のある制度ということになるな。 立候補者についていえば、市長などの首長がゼネラリストで、スタッフや議員は、教育、医療、福祉などといった分野別のスペシャリストが多いかな。 議員の役割は選ばれた市長達の行政を監視したり、提出された政策の審議や採決を行ったりすることなんだけれど、議会での議員の議決権が議員によって異なることもカズマの世界とは違うところだね。議員が獲得した票数は、議会での多数決の際、議員ひとりが一票なのではなく、選挙による獲得票数を勘案することになっている。要は、可能な限り人々の意思を正確に反映させることが目的なので、議員選挙で落選者を出せば、落選した候補者に投票した人の意思は反映されなくなるからね。そんなわけで、議員選挙は、立候補者を当選させたり、落選させたりする選挙ではない。 それと、投票というのは、立候補者の締め切り後の一カ月を過ぎても、投票のやり直しができるようになっている。議員の不正が明らかになったり、約束と違う行動を行うようになった場合、投票した人は自らの投票を無効にしたり、他の候補者に票を移動したりすることができたりして、リコールできる仕組みになっている。つまり、選挙期間中だけ投票できるということでなく、いつでも自分の投じた票を他の人に振り替えることができる。というように、有権者の意思がつねに反映できるようになっているんだ」 フーパの長い話が一段落したようなので、 「今回は、ずいぶん難しい話だったですね。でも、ちょっぴりエポカ世界の仕組みがわかってきたような気がします」とカズマが言った。 「ホホ、ホーウ! そうだね〜。エポカ世界を一言でいうとすれば、『境界線の無いオープンな社会』ということになるだろうか」とフーパがまたまた難しそうなことをいい出した。 カズマはフーパの難しい話についていくのは少々くたびれてきたが、ついつい質問癖が出てしまって、 「境界線の無いオープンな社会って?」と訊ねた。 「ホホ、ホーウ! 国が無いので国境線が無いだけでなく、人種という境界線、役所と民間、個人と組織、大人と子供、労働と奉仕などの境界線が無いことなんだ。オープンという意味はこのような境界線が無いことや、組織や個人情報の秘密が無いということも意味している。このため、エポカ世界の仕組みはカズマの世界と較べてずっとシンプルになっているんだ」 「そうなの? ぼくは、文明社会になればなるほど、社会の仕組みは複雑になるのかと思っていたけれど、エポカは逆なんですね」 「ホーウ! あらゆる境界をなくすこと、『いじめ』の部屋の話にあったような立場置換トレーニングは自分と他人の境界をなくすことでもある。平和な世界づくりはあらゆる意味で境界のない世界づくりをめざすことでもある。だからきわめてシンプルな世界になるはずさ」 |
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