未来からのメッセージ | |||||
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第三の部屋 いじめ | |||||
「ホホウ! 今度の話は、カズマにとっても身近な問題かもしれないよ。というのもいじめに関する話なんだ。いじめはどんな世界にもあるようだね」 次のドームの中の部屋を開けると、ホログラフィは再び子供たちがいる教室らしい場所を映している。 「ホ、ホーウ! ここは集団教育の学校だよ。とは言っても、カズマの世界の小学校、中学校、高校、大学などのように、年齢で学校が決まっているわけではないんだ。教育は必要に応じて誰でも、いつでも希望するものが受けられる。けれど、ここでの教育内容との関連でいうと、カズマの社会でいう中学生くらいの年齢の子供たちがこの学校で学んでいるかな」 フーミンという名の女性の先生が、20人ほどの生徒を前に『人との接しかたと会話の方法』というテーマの授業を行っている。 「ぼくらの学校には、こんな内容の授業はないけどね」 「ホーウ! エポカの世界での教育は『心の教育』、『知育』、『実学』の三本柱になっているのさ。このうちの『心の教育』は、倫理や道徳ではなく、心理学や実践トレーニングをベースとした教育で、人生の節目に学ぶことが多いんだ」 カズマが教室を見回すと、部屋の片隅の少年が顎に手を当てて、見るからに先生の話はうわのそらといった様子で憂鬱そうな顔をして座っていた。 「あの生徒、まるで話を聞いてないみたいだね」 「ホウ、ホホーウ! あの生徒はムサダというんだ。ムサダは、執拗ないじめにあっている最中なのさ。このムサダの父親はラムダという名で、粗暴な男なんだけど、もともと粗暴であったわけではないそうだ。ムサダの母親はムサダが幼い時に病死しているんだけれど、ムサダにとってはとても優しい母親だったようで、幼い頃には母親のことを思い出すたびに涙していたようだよ。 ラムダもかつては優しい父親であったようだけれど、最愛の妻を亡くして後、自暴自棄になり、酒に溺れ、活動――カズマの世界で仕事と言っているもの――らしいことは何もせずに、周囲の人に暴力をふるうようになったようだ。ラムダは息子の目の中に『自分に対する非難めいたもの』があると思っていて、ムサダにもしばしば暴力をふるっているんだ」 教室では、フーミン先生が気づかいや思いやりについて講義を続けている。 「気づかいや思いやりには主観的要素があります。思いやる側の意に反して、ありがた迷惑もあるし、人を傷つけたり、恨みを買ったり、不幸な事態を招いてしまうことさえしばしばあります。その場では迷惑な行為と思われても、あとになって大いに感謝される行為もあります。最後まで報われない思いやりも当然あります。ということで、思いやりや気づかいをすることが難しい場面が多々あります。たとえば……」 ――中学生程度の授業にしては、ずいぶんと難しい問題についての講義だな―― ムダサがもぞもぞしていたと思ったら、突然おずおずと手を上げた。 「何ですか?」 「トイレに行きたいんですが、行ってもいいですか?」 「授業が終わるまで待てないのですか?」 「もれちゃいそうなんです」ムサダは身体をブルブルさせながら言った。 「しょうがないでわねぇ。行ってらっしゃい」 クラスの中でどっと笑い声が起こった。 ムサダがトイレに行くと、レナートという生徒がフーミン先生の目を盗んで、ムサダの席に移動した。ムサダの鞄の中を開けて何かを探している。 レナートは、やがて目的とするものを探し出したようであった。ペンダントのようなものを手にすると、何食わぬ顔で元の自分の席に戻り、隣の席の利発そうな顔立ちのクレオに手渡した。クレオはよくやったといわんばかりに、レナートに笑みを返した。 しばらくすると、すっきりした表情でムサダが教室に戻ってきた。席に着くと、また両手で頬を支え憂鬱そうな面持ちに変わった。 × × × 下校時になり、ムサダはこれまた楽しくもない家への帰路についた。ムサダは郊外の小川の土手をとぼとぼと歩いている。季節は春で、小川の土手には野草がそこかしこに花を咲かせている。春の陽光のために、ムサダの表情は返って沈んで見えた。 見ると、ムサダの後ろおよそ30メートルのところに、ムサダの鞄からペンダントを盗み出したレナートと、もうひとり、ラーケンという生徒があとをつけるように歩いている。 そしてそのまた後ろ30メートルほどのところを、別の二人の生徒がつかず離れず歩いてくる。 ムサダは小川にかかる橋のところまで来ると、左折して橋を渡り出す。橋の中ほどで、水面に反射する陽光が眩しかったので、ふと顔を上げると、目の前に立ち塞がる者がいた。レナートからペンダントを受け取ったクレオである。ムサダの顔は硬直した。今度はどんな意地悪をされるのかという恐怖の表情に変わった。 「俺には、お前が理解できないなぁ? あんなどうしようもない親父なんか、さっさと勘当してしまえよ。お前の親父はエポカ世界のクズだが、親が親なら、お前も能なしのクズだ!」 ムサダにとっては父親のこうした悪口を聞くのが一番耐え難いことであったが、それを知っていてクレオは罵ったのである。 ムサダは、浴びせられた言葉に必死に耐えるとともに、何をされるのかと身構えている様子で、無言のまま立ち止まっていた。 ところが、クレオは何かを仕かける様子を見せない。その間に、あとをつけてきたレナートとラーケンが、ひそかにムサダの背後に迫ってきた。ムサダと比較すると、二人とも小柄だったが、次の瞬間、レナートとラーケンは一緒になって、斜め後ろから勢いをつけてムサダを突き飛ばした。ムサダはよろめいて、川に顔を向けて橋の欄干にもたれかかった。レナートとラーケンは、この機会を逃してなるものかとばかりに体当たりした。ムサダはたまらず、川の中ほどに大きな水しぶきを上げて墜落した。鞄の中身もばらけて水面に散乱した。 ずぶ濡れになったムサダが水面から顔を出すと、橋の上ではクレオがにやりと笑った。レナートとラーケンは大成功とばかりに有頂天になり、小躍りしてはしゃいでいる。 ムサダは水をかき分けながら、水面に散乱し、流されていく文房具など追いかけてかき集めると、岸に向かって川の中をゆっくりと移動した。いつの間にか、レナートとラーケンの後ろを歩いていた二人、カサムとイオバ――この二人もムサダのクラスメート――が岸辺に立ち、心配そうに声をかけた。 「大丈夫かい?」 二人が手を貸そうとすると、ムサダが突き放すように言った。 「お前らには関係ない。ほっといてくれ!」 ――親切なクラスメートに対して横柄なもののいい方をするものだな―― 二人はしばらく様子を見ていたが、しかたなくその場を立ち去った。 岸に上がったムサダは、ずぶ濡れになった衣服から水気を絞っていたが、突然はっとしたように、慌てて鞄の中を調べ出した。 「ない…!」ムサダがつぶやいた。 ムサダはとって返すように川の中に入り、橋から落ちたあたりを何度も潜ってはなくしたものを探しているようであった。探しているのは、他ならぬあのペンダントである。ペンダントは見つからなかった……見つかるはずもなかった。 ムサダにとってあのペンダントには特別な想いがある。というのも、ムサダが幼い頃に誕生日のプレゼントとして母親からもらったもので、今では母の唯一の形見であり、心の支えになっていたもの……だとのことである。 あきらめがつかない様子ではあったが、ムサダは再び岸に上がると、濡れた衣服の水も払わず、肩を落とし、とぼとぼと歩き出した。けれども涙は流してはいなかった。 × × × ホログラフィが街中を映している。 クレオに率いられて、レナートとラーケンが商店街を歩いている。クレオ達は大きな古物店を見つけると、中に入っていく。レナートとラーケンは物珍しげに昔の装身具を眺めたり、手にとってみたりしている。クレオは店の奥に行き、店の主人らしい人を探し出すと、カウンターの前にあの盗んだペンダントを差し出した。そして、何やら交渉を始めた。 交渉は長引いているようである。やがて、店の主人が奥に引っ込んで、しばらくして再び顔を出すと、クレオに向かって手でOKのサインを出して見せた。クレオは袋に包まれたものを店の主人から受け取ると、得意満面になって喜んだ。そして、レナートとラーケンを連れて店を出た。 ――あのペンダントを売り飛ばしたに違いない―― その後も、クレオ、レナートとラーケンは街中をうろつきまわり、何やら買い物をしている様子だった。 × × × 翌日の朝、教室のムサダの机の上には、昨日クレオ達が手に入れたと思える尿瓶が置いてあった。尿瓶の下には「おもらししそうな子供には尿瓶が役に立ちます」と書かれた紙が置いてある。 しかし、せっかくの嫌がらせもムサダが出てこないことには意味がない。ムサダは風邪を引いたという理由で、学校には姿を見せなかった。ムサダにとっては、風邪を引いたことは大したことではなかった。ペンダントをなくしてしまったことがショックであった……とのことである。 × × × 三日ほどして、風邪が治ってきたのか、気を取り直したのか、ムサダは登校してきた。 教室のムサダの机の上には、相変わらず目的を達していない尿瓶が置かれている。こんな嫌がらせには慣れっこだという風に、ムサダは尿瓶を教室の隅に片づけ、尿瓶の下にあった書き物を丸めて屑篭に投げ入れた。 ムサダが川から這い上がろうとした時、手を貸そうとしたカサムとイオバが、振り返ってムサダの様子をうかがった。 ムサダはいつものように顎に手を当て、いつものような表情に変わった。その様子にむしろ安心したのか、カサムとイオバは向き直った。 午前中は、何事もなく済んだ。 × × × 「ホウ、ホホーウ! 午後は体育の時間だよ。この時間はタックルボールというボールゲームを行うことになっている。ゲームの先生は、タックルボールの選手をしているマーチという人なんだけれどね。エポカの世界では、学校の運営委員の協議によって誰でも先生になることができるのさ。フーミン先生もこのマーチさんも、こうして先生をしているんだ」 フーパの解説によると、このタックルボールというのは、カズマの世界のアメフトとサッカーが合わさったようなゲームであり、ボールを相手のゴールポストに入れれば得点になることはサッカーと同じだった。 クラスの全員がタックルボール専用の衣服に着替えて、校庭に整列していた。衣服はアメフトのような重装備には見えなかったが、フーパの説明では、それでも安全には十分配慮されたものであるという。 クラスの全員が、男女関係なく二組に分けられた。クラス全員は総勢20人であるから、当然10人ずつのチームに分けられると思っていたら、マーチさんは11人と9人に分けた。風邪が完全に治っているとは思えなかったが、ムサダも参加していた。 「ぼくらの世界では男女混成のアメフトやサッカーの試合なんて観たこともないよ。それに、先生はなぜ人数を半分ずつに分けないで、わざわざ十一人と九人に分けたんだろう?」 「ホ、ホホーウ! これも博士の部屋で観た『スペース・ラグビー』と同じ理由だよ。スポーツ競技では性別、体重差、身長差が競技の勝敗に大きく左右する場合には、グループ分けをして対戦させるのが一般的だと思うけれど、これらの差があまり影響しないと考えられる場合にはグループ分けをせずに競技する。バスケットボールやバレーボールでは身長差がものを言う。卓球の試合などでは体格差は関係ない。性別よりも体格差の方が勝敗に影響があるならば、男女の区別はせずに体格が同程度の者同士で対戦する。皆が合意すればチーム編成とか、試合のルールを自由に変えても良いことになっているんだ」 カズマが首をひねっていると、フーパは説明を続けた。 「ホウ! クラスの人数は二十人しかいないので男女別のグループにするとグループの人数が少なくなってしまう。同人数で二つのチームにするのが望ましいのだけれど、体重の著しく異なる生徒がいるので、今回は性別以上に有意な差のある体重を基準に、両チームの合計体重が同じ位になるように二つのチームをつくることにしたんだ。結果的に十一人と九人に分けることになったということさ」 「ラクビーのようなスポーツって取っ組み合いになるでしょう? 女の子が混ざっているのに大丈夫なの? その〜、試合にかこつけてイヤラシイことする奴なんていないの?」 「ホ、ホホーウ! それと分かるような行為があった場合は、レフェリーが相手チームにペナルティを科すことになっているよ」 フーパは、何かこれ以上問題でもあるのかとでもいいたげな態度である。 カズマは、新聞やテレビのニュースなどで見聞きして、女性にとってセクシャルハラスメントというのは大罪のはずではなかろうかと思っていたのだが、フーパのあっけらかんとした答えになぜか呆れてそれ以上質問できなかった。 「ホッ、ホー! 『発明家』の部屋でハーマン博士がスペースラグビーを見ながら応援していたクーボという選手も女性だよ」 「え〜! 皆小さく映っていたので分らなかったなぁ〜」 そうこうするうちに試合が始まっていた。ムサダ、カサムとイオバは右側コートの陣営に属していた。左側コートの陣営には、クレオ、ラーケンとレナートが属していた。 カズマは、女子生徒が男子生徒に混じってどのようなプレーをするかが気になっていたが、プレーが始まると、おしとやかな女子生徒が変貌し、男子生徒に飛びつくやら、引っ張るやら、なぎ倒すやらの大変なものであった。 もちろん、試合中に男子生徒の手が女子生徒の胸を押したり、掴んだり、尻を撫でたりといった類の事態も頻発したが、女子生徒は意に関せずという風であった。そればかりか、男子生徒が女子生徒のキンケリを喰らってしばしうずくまるといった場面さえあった。 カズマは女のすごさを改めて知らされる思いだった。フーパがあっけらかんと言ったことが何となく理解できるような気持ちにもなった。 カズマは、今度はムサダのことが気になって、ムサダの動きを眼で追った。さぞ覇気のない動きをしているんだろうな――と思ったら、意外にも敏捷なのでびっくりした。 試合は一進一退の好ゲームであった。 そうこうするうちにタイムアップが迫ってきたが、事件が起きたのは、この時だった。 カサムとイオバが、ボールを抱えてゴール目指して駆け込んでいくクレオを追っていた。そのすぐ後ろにムサダとラーケンがいた。 カサムがゴール直前の十メートルほど手前で、クレオにタックルした。クレオはもんどり打って倒れこんだ。ボールはクレオの前に転々とする。右脇にいたイオバはすかさずボールを追って走り去っていった。 倒れたクレオの胸ポケットから、何か鎖のついたものが飛び出して落ちた。なんと、それはレナートがムサダの鞄から盗み出したあのペンダントであった。 「あれっ! あのペンダントはクレオが古物店に売り飛ばしたんじゃなかったの?」 クレオはペンダントを取るために慌てて手を伸ばしたが、カサムが未だ足に絡まっていたので手が届かなかった。すぐ後ろまで迫っていたムサダに、クレオの前に落ちているペンダントが目に入ったようだ。一瞬驚きの表情を見せたかと思うと、ペンダントを取り戻そうと、すぐにも絡まりあったクレオとカサムの前に出ようとする。 クレオは、ムサダが迫っていることを知るや否や、側にいたラーケンに言った。 「ラーケン! ペンダントを拾え!」 ムサダとラーケンは、ともにペンダントを拾い上げようと先を争って滑り込み、手を出した。タッチの差でラーケンがペンダントを先に拾い上げた。そして、ラーケンはペンダントを拾うや否や、あろうことか校舎に向かって思い切り投げつけた。ペンダントは、彗星のように鎖の尾を引いて飛んでいき、校舎の壁に激突して粉々に砕け散った。 これを見たムサダは、これまでの表情からは考えられないような物すごい形相でラーケンに飛びかかろうとした。起き上がっていたクレオが、とっさにムサダとラーケンの間に割って入った。ムサダの拳はクレオの顔面を捉え、クレオはひっくり返って気絶した。顔面からは鼻血が出ていた。ムサダは怒りをあらわにして肩を震わせ、立ち尽くしていた。 一瞬の間を置いて、ラーケンとレナートは慌てふためいて校舎に駆け込み、教員室に向かった。 「フーミン先生いますかぁぁぁぁぁ〜!」と二人は大声で叫んでいた。 この騒動で体育の授業は打ち切りになり、クレオは医務室に担ぎ込まれた。 × × × ややあって、ムサダは執務室でフーミン先生と向かい合って座っていた。フーミン先生はムサダたちのクラスの担任でもあった。 ムサダは、以前のようにうなだれている。 フーミン先生は、ムサダに向かって「暴力はいけません」とか、「あと少しの辛抱だというのに……」と言って、大層な剣幕でムサダを叱りつけていた。 最後に、「ルール違反は厳罰の対象になりますが、今回は大目に見ておきましょう」と言って、ムサダを解放した。 「先生の言っていること、意味が分からないよ。『ルール違反』ってタックルボールのルールなのかな?」 「ホウ! …………………………………………………………後でわかるよ」 この時に限って、フーパは何も答えてくれなかった。 ムサダが教員室から出ていくと、しばらくたってクレオが現れた。そして同じようにフーミン先生の机の前に座った。 フーミン先生は、「大した怪我でなくてよかった」と言ってから、何やらクレオからあれこれ事件に至るまでの事情を聞き出している様子であった。 ひととおり話を聞き終わると、フーミン先生はニッコリ笑って、優しい口調で告げた。 「それでは、あとをよろしくね! もう帰ってもいいですよ」 ――いつの時代にもエコヒイキというのはあるものだな。一番悪い奴はクレオだ。なのにクレオには甘く、ムサダの扱いはあまりにも邪険じゃないか。はじめにフーミン先生を見た時は『思いやりとか気づかい』について、もっともらしい授業をしていると思ったけれど、言うこととやることが真逆じゃないか。学校の先生というものにはしばしばがっかりさせられることがあるけれど、エポカにもこんなことがあるんだ。これではあまりにもムサダが可哀想だ―― 案の定、ムサダはまたまたえらく肩を落として家路についた。その30メートルほど後ろをつかず離れずカサムとイオバが歩いている。 × × × 翌日の朝になった。 昨日の今日だから学校を休むのだろうか――とのカズマの心配をよそに、ムサダが登校してきた。教室にはまだ数人しかいなかった。 教室のドアを開けると、クレオがムサダを待ち構えている。 ムサダが、「待ってくれ」というかいわぬ間に、昨日の借りを返すとばかりにクレオの拳はムサダの顔面を捕らえ、ムサダは仰向けにひっくり返った。倒れたムサダにクレオは何度も足蹴りを喰らわした。 昨日フーミン先生から二人とも注意を受けたばかりだというのに、何ということだろう――カズマは信じられなかった。 クレオの足蹴りが止むと、ムサダが再び口を開いた。 「話がある」 「何だ! 何か用か?」 立ち上がってから、さんざん蹴飛ばされて痛んだ足を抱え込みなから、ムサダは言った。 「用件は今日の放課後に上の公園で話す。あの二人にもそう伝えてくれ!」 あの二人とは、もちろんレナートとラーケンのことだが、二人ともいつのまにかムサダの後ろにいて事の一部始終を見聞きしていた。 話が終わるや否や、今回殴られたのはムサダだというのに、またまた、なぜかレナートとラーケンは教員室に駆け込んだ。 ――告げ口屋の嫌なガキ達だな―― 「ところで、上の公園ってどこなの? 『上』というのは変だよね?」 「ホーウ! 別に変なことではないよ。屋上にある公園のことだよ」 午前、午後とも何事もなく終わったが、ムサダとクレオが交わした会話は「ムサダとクレオが放課後、公園で決闘するらしい」といった噂になって、クラス中の誰もが知るところとなっていた。 × × × 放課後になった。 校舎の屋上はまるで地上のようであった。というのも、見渡す限りの青空があり、ひとつの建物も見えなかったからである。公園には大きな木こそなかったが、道に沿って緑に覆われた低木や草花が茂り、テニスコートのようなものが近くにある。校舎の屋上は隣の建物と大きな歩道橋でつながれている。遠くの建物まで屋上をつたって行けるようになっているらしかった。近くのベンチで老女が座って春の柔らかな陽を浴びている。テニスコートのような場所では球技にいそしむ子供たちがいる。 学校の屋上の出口近くの公園で、クレオ、レナートとラーケンが待ち構えていた。 やがて、ムサダが現れた。やけに神妙な顔をしている。三人を見つけると、ムサダは近づいてきて、クレオの方ではなく、レナートとラーケンに顔を向けた。 カズマには、レナートとラーケンの表情がこれまでとうって変わって、何故かうろたえているように見えた。 そうだな、ラーケンは昨日、ムサダの大切なペンダントを壊しているからな。ムサダが怒り狂っていると思っているんだろうな――とカズマは自分なりの解釈をしてみた。 ――だとしたら、次の瞬間にムサダがラーケンに飛びかかるんだろうか?―― しかし、そのような雰囲気はなく、何か不思議な空気が漂っている。 何か別のことが起きるように思えてきたが、カズマには何が起こるかは想像もつかなかった。 相変わらず、誰も何も喋らない。 春のそよ風が、ムサダのこめかみの髪をなびかせている。 やがてムサダの眼から、大粒の涙が頬を伝って滴り落ちた。 もうこれ以上のいじめは堪忍してくれという、哀願の涙なのだろうか? でも妙だ。だとすれば、ムサダはなぜレナートやラーケンのリーダーであるクレオの方を向いていないのか? そういえば、思い起こすと、妙なことばかりだ。あのペンダントのことも、フーミン先生がムサダに話していたことも、カサムとイオバの挙動もおかしい。そして、クレオが側についているというのに、レナートとラーケンは、なぜこんなにもおどおどする必要があるのだろうか――とカズマは訝しがった。 実に奇妙な静寂がなおも続いた。謎は深まるばかりであった。 ようやくムサダがゆっくりと口を開いた。 「申しわけなかった。自分がしてきたことが、どれほど君たちを苦しめていたか……よく分った……よ……」 カズマは一瞬、自分の耳を疑った。頭の中がパニックになり、真っ白になった。 ――いじめにあっていたのは当のムサダ自身ではないか? 言っていることが正反対ではないか?―― カズマは、頭の中が真っ白になって初めて、おぼろげながら事の真相が見えてきたような気がした。でも、だとしたら、そんなことってありえるのだろうか?――カズマが想像したことは、カズマの世界では許されることではないし、ありえないことだった。 そう、ムサダのこの言葉がすべてを物語っていた。 とたんに、レナートとラーケンのこわばった表情は一変した。そしてレナートが言った。 「ぼくたちも、ムサダに謝らなくちゃと思ってる。ぼくらの母さんたちの言葉を、無頓着に友達に喋ったりしたことを後悔しています」 続けてラーケンが言った。 「今回のことで、ムサダがどれほどお父さんや亡くなったお母さんを愛しているかもよく理解できたし、本当にすまないことをしたと反省しています」 フーパの話によると、レナートとラーケンがムサダからの執拗ないじめにあう発端になったのは、このことが原因であった。レナートとラーケンの母親は、現代社会風にいえば民生委員のような活動をしていて、ムサダの家を訪問した際、父親のラムダを責めたことで、ラムダから暴力を振るわれそうになり、ほうほうの体で逃げ帰ったことがある。 レナートやラーケンの母は、このことがあってから家族の者にラムダを「あの野蛮人」とか「人間のクズ」と呼び、「あれでは息子がぐれるのも無理がないわね」などと話したとのことである。 そんなことがあって、レナートやラーケンがムサダと同じクラスになった時、母親が言っているのと同じことを周囲の友達に話したことで、ムサダは怒り狂い、その後何かにつけてレナートやラーケンをいじめるようになったのである。ラムダのことをどうしようもないクズのような人間だといわれようとも、ムサダが父親を愛していることに昔も今も変わりはなかったのである。 レナートとラーケンはムサダに近づき、はにかみながら握手を求めた。 「ぼくたち友達になれるよね?」 ムサダは、あふれんばかりの涙で顔をくしゃくしゃにしていた。 クレオがムサダに近づいて、ポケットから何やら取り出した。なんと、あの粉々に砕け散ったはずのペンダントだった。 「騙して悪かった。君のお母さんの形見のペンダントだよ!」 ムサダは、泣いたり、驚いたり、喜んだりで、顔面が完全に壊れていた。 「ラーケンが壁に投げつけて壊したのは、イミテーションだったんだ」 ペンダントを返してもらったムサダは、死んだ母と再び向かい合うことができたかのように笑みを浮かべ、ペンダントをしげしげと眺め、優しくさすった。 「ホウ、ホホーウ! カズマも、もう分かったと思うけど、クレオが古物店に行ったのは、盗んだペンダントを売り飛ばすためではなく、見た目に同じペンダントを買い求めるためだったのさ」 突然、ベンチに座っていた老女が、丸めていた背筋を真っすぐに伸ばしたかと思うと、杖をベンチに置いたままこちらに向かってきた。見ると変装したフーミン先生であった。 フーミン先生は笑顔を湛えながら言った。 「今回のトレーニングは予定よりも早くエンディングの時を迎えたようですね? 皆さん、長いことお疲れ様でした!」 「ホーウ! 真相は、ムサダがいじめっこで、レナートとラーケンがいじめられっこだったのさ。クレオがレナートやラーケンと一緒にムサダに行っていたいじめは、ムサダがイオバやカサムと一緒になってレナートとラーケンに対して行っていたことと似たり寄ったりだったんだ。カズマは、逆の立場の芝居を観ていたわけさ。今回は、度を越えたいじめをしたリーダーのムサダのみが懲罰的立場置換トレーニングの対象になっていたということなんだ」 先生は、クレオに「ご苦労様でした」と労いの言葉をかけ、「さすがに経験者は違うわねえ」と誉めた。 クレオも元を正せば、いじめっこで、フーミン先生が、クレオの経験を買って、今回のトレーニングを取り仕切ってもらっていた……とのことであった。 フーミン先生は、今度はレナートとラーケンに向かって言った。 「どう、いじめる側の立場に立った感想は?」 「はじめは慣れなかったけど、だんだんいじめをやることの自信がついてきました!」ラーケンが妙な返答をした。 「だめよ、味をしめて今度はいじめっこになったりしては!」 フーミン先生がラーケンをたしなめると、クレオがきっぱりと言った。 「先生、とんでもない! 俺がついていなければ、こいつらいじめっこになんかに到底なれっこありませんよ! もっともっと鍛えないと」 「とんでもありません。誰も鍛えてやってほしいなどとは頼んでいませんよ!」 レナートとラーケンは苦笑したが、クレオにいわれたことが図星だったので、気をそがれて元のいじめられっこに逆戻りした。 フーミン先生は、今度はムサダの方を向いた。 「ペンダントが戻ってよかったわねぇ! お母さんのペンダントは、今度もあなたを助けるきっかけになったわね! 大切にしないと罰が当たるわよ」 続いて、フーミン先生は後ろを振り向き、草の茂みに向かって大声で言った。 「イオバ、カサム! こそこそ隠れていないで出てらっしゃい!」 イオバとカサムが、ばつが悪そうに姿を現すと、ムサダは途端に口調を変えて言った。 「お前らには見てほしくない光景だったよな。情けねえことに、涙なんぞ流す体たらくだ。恥ずかしくって穴があったら入りたいくらいだよ。それでも俺の言葉に二言はない。今後、こいつらを困らせたりするようなことは一切しないことに決めたんだ。お前らも今後、こいつらに手出しはするな」 「兄貴の決めたことですから、仰せのとおりにします」イオバとカサムも、ムサダと同じようにヤクザ口調で答えた。 イオバとカサムは、かつて上級生からの陰湿ないじめにあっていた時に、何かにつけてムサダにかばってもらったり、助けてもらったりした恩義から、年上のムサダを兄貴として慕うようになったとのことであり、ムサダが懲罰的立場置換トレーニングを受けるはめになってからというもの、ムサダのことが心配で、陰ながら見守っていたというわけである。 「どうだった、今度のトレーニングを見守っていての感想は?」 「兄貴が気の毒で見ていられなかったです。でも兄貴はよく辛抱したと思います」とイオバがいうと、 「俺たちの身代わりになっていると思うと、とても辛かったです」とカサムがつけ加えた。 「ホ、ホ〜ウ! エポカではこのような立場置換トレーニングは、心の基礎体力を身につける一環として、相手の立場に立って考えてみることや人の性格に応じた感じ方の違いなどを学ぶために行われている。つまり、思いやる心の涵養教育として行われているんだ。 たちの悪いいじめなどが行われた場合には、今回のように懲罰を兼ねた体験トレーニングもある。他人の苦しみや悲しみを理解するというのはとても難しいことで、本人に置き換わってみる以外には理解できないものだからね。これは、排他的な考えを持つ人に、考え方を変えてもらう有効な方策でもある。その意味で、この立場置換トレーニングは抜群の効果があるのさ」 フーパの話によれば、懲罰的でない立場置換トレーニングは人生の折目節目で、つまり青少年の間だけでなく大人になっても行われるとのことであった。 カズマは、ふとかつて自身がいじめにあった悪ガキの顔を思い浮かべて、妙な考えを思い立った。 「立場置換トレーニングを利用して、いじめられた仕返しをしようと企むことだってできるんじゃない?」 「ホ、ホ〜ウ! カズマの疑問はもっともだと思うよ。その辺が難しいところなんだ。このトレーニングを行う場合、初めに互いにしてはいけないことのルールを確認しておくことが大切なのさ。ルールを破る場合には、かなり厳しい懲罰もある。フーミン先生がムサダに『ルール違反』と言っていたのはこのことなんだよ」 「厳しい懲罰って、子供にも刑罰のようなものがあるの?」 「ホ〜ウ! エポカの世界では、子供と大人の世界は連続していて、カズマの世界のように二十歳とか十八歳といった年齢で扱いが分かれるといったことはないのさ。そもそも、未成年などという言葉はエポカの世界にはない。悪いことをした者は、大人に限らず誰でも更生的な懲罰が適用される。もっとも、同じような悪いことをしても、懲罰の内容は年齢や状況によって異なるけどね」 「ホホッホー! それとね……」とフーパは大切なことをいい忘れていたかのように説明を続けた。 「社会の仕組みとの関連でいえば、自由に組織から抜け出すことができれば、いじめる者もいじめられる者も長くは存在できない。いじめられていると思ったら、自分の意志でいじめがあるような学校はやめてしまえば済む。レナートやラーケンもムサダがいる学校なんかやめてしまって他の学校に行けばよかったわけだ。 エポカの世界では、前に言ったとおり、誰でも自分が学びたい学校や教育を選べるようになっているけれども、レナートやラーケンはそうしなかった。彼らはこの学校の教育内容が気に入っていたからなんだ。それに、この懲罰的なトレーニングは被害者のためというよりも、加害者の社会的更生のためにあるもので、レナートやラーケンにも心の中に復讐心はあったかもしれないけれど、これに協力したということなのさ」 ホログラフィは未だ続いている。 「いじめっこを反省させ、二人のいじめられっこに自信を与えることに貢献したので、私からの評価としてポイントをあげます」 「いじめなんかして、ポイントを貰えるなんて思わなかったな」 「ムサダはどうだった。クレオを怨んでいるかな?」 「けっこうきつかったけど、レナートやラーケンの気持ちが分かったので、そうでなければ反省なんかしなかったと思うから……」 「クレオは、心を鬼にしていじめをやってたんだから、堪忍してね」 「先生! そんなことないですよ。公認のいじめだし、地でいけたからけっこう楽しかったですよ」 「そんなふうに言うのなら、ポイントあげるのやめよーかな」 「冗談ですよ。ムサダに殴られてもいますしね。僕もひじょーに辛かったです」 「さーどうだか。まあいいでしょう。結果が大切ですからね」 「俺からも、ポイントをやるよ」と今度はムサダが言った。 「うっそー! 信じられない」 すると、学校の教室に降りていく階段付近から、拍手が聞こえてきた。見るとぞろぞろとクラスメートが屋上の公園に出てきた。そしてフーミン先生達七人を取り囲んだ。皆一斉に拍手を続けている。 拍手が止むと、「てれるなぁ〜」とクレオが言った。 「むしろ、ムサダへの拍手だと思うけど」フーミン先生が言った。 「こういう光景って、俺の一番の苦手なんだ。明日からどの面下げて学校に来ればばいいんだよ!」今度はムサダが、バツが悪そうに言った。 「ポイントというのはぼくの社会ではお金みたいものでしょう? 先生が生徒にお金を与えるようなことをしてもいいの?」 「ホ、ホホ〜ウ! エポカ世界の配当というポイントは、人徳のような『徳』と損得のような『得』が一緒になっているようなものなんだ。カズマの世界では、まったく別々のものかもしれないけれどね。人の役に立ったり社会に貢献したりすれば、人は誰でもポイントがもらえるんだよ」 カズマは、人徳と損得が同じポイントで扱われるというフーパの説明を聞いて、狐につままれたようなちんぷんかんぷんの話に思えた。首をひねっていると、フーパはさらに説明を続けた。 「ホホ〜ウ! そうだね、カズマの世界の人にはとても理解できないことだと思うよ。カズマの世界とエポカの世界とは社会や経済などの仕組みが全然違うからね。エポカの世界は、フラットで境界のない社会なのさ。『徳』と『得』が同じ意味を持っているのは、この仕組みによるものなんだ。このことも、いずれ機会を改めて話すことにするよ」 フーミン先生はムサダに語りかけていた。 「あなたのお父さんのことだけど。あなたの苦しみも分かるけど、そのはけ口をいじめに求めたりするのは、感心できることではないわね。ああ、この問題は、とりあえず一件落着したんだったわね。でも、いつでもお父さんを勘当できるのに、辛い目にあってもじっと耐え忍んでいる姿は見ていられないのよ。一度カウンセラーと一緒にお伺いしてもいいかしら? 今回の件について、お父さんに報告もしなければと思っているし……」 フーミン先生の話は更に続いていたが、ホログラフィは次第に薄くなって消えていった。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ この本を書いた後で、ここで取り上げたテーマ「いじめの立場置換」に関連するテレビ番組があったので簡単に紹介しておくことにします。 NHKテレビが2007年11月2日の夜に放映した「NHK日本賞」の選考に関するドキュメンタリー番組である。日本賞が作られてからこの年は第三十四回目にあたるとのことであり、受賞作品は次のものであった。 ●番組名 : 特別授業 差別を知る 〜カナダ ある小学校の試み〜 ●機関名 : カナダ放送協会 / カナダ この作品の内容はおよそ以下のようなものであった。 担任の先生がクラス全員を背の高さによって二分する。背の低い方のグループに赤いチョッキのようなものを着せて「背が高い子供はダメな生徒」ときめつける。当然子供達は、背の高い子供を差別していじめることになる。そして一定期間経った後で、先生が「先生の思い違いでした。ダメな生徒は背の低い方です」として、チョッキを着せ替え、背の低い子供と高い子供の立場を入れ替える。なんとも子供とって精神的に酷い実験である。そして最後に先生が「友達をいじめることといじめられることの問題を知ってもらうための実験」であったことを打ち明ける。すると子供たちは一斉においおいと泣き出す。そして二度といじめはしたくないという。 NHK賞の審査員は日本人だけでなく外国人もいた。NHK賞の選定にあたって日本人の審査員はこの作品に賞を与えることをためらったが、外国人審査員が非常に社会的にインパクトのあるテーマであることなどを理由としてこの作品をNHK賞とすることを強く推奨した。審査員の一人の外人女性が「この番組が提起した問題には普遍性がある」と言っていたことを記憶している。 確かにこのような実験は危険性が伴う。学校教育でやっても良いことと悪いことがある。日本人の審査員の目からは、児童教育を逸脱していると見えたのであろう。しかしこの実験は「いじめられている相手がどのような辛い想いでいるのか」だけではなく、様々な相手の立場を理解してもらうには、立場を置き替えて体感してもらう以外には理解することができないのではないかということの貴重な試みだったのではないかと思う。 |
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