未来からのメッセージ | |||||
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第二の部屋 発明家 | |||||
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次のドームに移動し、部屋のドアの前に立ったとき、フーパが言った。 「ホホウ! 今度は、もうちょっと気楽に観れるかも知れないよ」 「と言うと?」 「ホーウ! さっきのホログラフィは、子供のカズマにはちょっとヘビーな『悩み』の話だったかもしれないけれど、今度はエポカの世界で毎日を楽しんでいる人の話なんだ」 「毎日、遊んでいるの?」 「ホーウ! 全く逆さ。仕事を楽しんでいるのさ」 「仕事が? 楽しい?」 カズマは、しょっちゅう憂鬱そうな顔で帰ってくるお父さんのことを思いだした。訊かなくても――会社で嫌なことがあったんだな――と分かる。 ――そりゃ、毎日、望月部長さんみたいな人に命令されていたら! たま〜に、年に数回、契約というのが、うまくいって、笑いが止まらないようなときもあるのだが……大部分は辛いことばかりなのだ―― 「ホウ!」急にフーパが思い直したように声を出した。 「ホホーウ! 『遊んでいる』ってのも、当たっているね」 「えっ! どっちなの?」 「ホーウ! それは、観てのお楽しみだよ」 カズマはうなずくと、もう一度ドアを見た。ドアの白い表面が透明なドームの周囲の青に薄っすらと染まっている。 「ホホーウ! じゃ、開けるね」 丸い金色のノブを回して、ゆっくりと引っ張る。 × × × ホログラフィが映しているのは、まったくおかしな部屋だった。 左右の棚のいたるところにいろんながらくたのようなものが置かれている様子は、百円ショップとおもちゃ屋をごっちゃにしたようだった。印象として一番近いのは、学校近くの商店街の『珍品堂』という古道具屋だった。 いかがわしさと人なつっこさの両方を感じさせるようなものばかり置いてあるのだ。 たとえば、鳥や虫の彫刻がほどこされたヘルメットのようなもの。たとえば、はでな原色に塗られたゴム製のブーツのようなもの。たとえば、ガラス瓶の中で浮いている金銀のマリモのようなもの。たとえば、三味線とギターを足して2で割った楽器のようなもの。たとえば金属の鉢に植えられた色ガラス製の盆栽のようなもの……。 それらがまるで、今にも生き物のように喋り出しそうなのだ。 部屋の四隅には骸骨と、茶色いシャツを着た首のないマネキンと、『オズの魔法使い』に出てくるブリキの木こりみたいなものと、昔のヨーロッパの鎧武者みたいなものが頼りない守り神たちのように立っている。 奥の壁には端から端まで細長いテーブルがくっついていた。そこには、ぶくぶくと泡だった液体の入ったビーカーや口から細長いガラス管が伸びたフラスコなどの実験器具が置いてあったり、分厚い本やソランジュ先生の部屋にもあった透明な板が積み重なっていたり、食べかけのパンや紅茶のポットのようなごく普通の生活の匂いのするものが置いてあったりした。 窓はなかった。 そして、クリーム色の床の真ん中には、白髪混じりのボサボサ頭に医者のような膝まで白衣といういでたちの小柄なおじさんが、背をかがめてセカセカと動き回りながら、 「そこだ! いけ!」などと怒鳴っていた。 おじさんのギョロリとした目は、床にくっついた犬小屋ぐらいの大きさのガラスのドームのようなものに熱心に注がれていて、動き回っているのはそれをいろんな角度から見たいからなのだ。 「おおぉ!」と叫ぶや、腰を落としてドームを真横から見ると、数秒後には、 「やったーーーー!」と飛び上がった。 ドームの中には金色と赤の服を着た人間たちがフワフワ浮いていて、金色側は抱き合ったりバンザイしたりして喜び、赤の側は一様に肩を落としていた。 「なんだろう? あの小人たちは?」 「ホホホーウ! 小人じゃないよ! あれは、立体テレビなのさ」 「立体テレビ?」 「ホウ! 宇宙ステーションの中で、1年がかりで開かれる『スペース・ラグビー』トーナメントの中継なのさ。無重力状態で浮かびながらのラグビーで、壁面を蹴ってビリヤードの球みたいに選手が動くんだけど、かなり体力が要るし、ボールを追いかけるための動きが独特で、いろんなワザもあったりして、ファンには凄く面白いんだよ」 「へーえ!」 カズマは立体テレビというのを何かのマンガで見たことがあったが、それは四角い画面から絵が飛び出しているようなイメージだった。こんな風に、そのまま小さく再現されるものとは思ってもみなかった。 フーパによると、エポカの世界でもスポーツ中継は人気があるらしい。現代世界ではオリンピックのようなものは平和の祭典ということになっているけれど、実際には国威発揚、民族主義の涵養のようなものになっている。学問的には――ヒトは他の動物と違って本能を必要としなくなった生物である――とのことあるが、勝負に勝つことが栄誉であるということになれば、エポカの世界でも、必要のなくなったはずの『闘争本能』なるものが復活するものらしい。 エポカの世界には『プロ』や『アマチュア』といった区分はないようで、毎年世界中で様々なリーグ戦やトーナメント戦があって、絶えずオリンピックが開かれているようなものらしい。もちろん『国』はないから、代表は地域や組織で選ばれる。ファンの贔屓は、当然ながら自分と同じ地域や自分の所属する組織のチームになることが多いとのことだった。 ドームの中で戦っている選手たちは、どちらのチームでもいろんな体格の人が混ざっていた。エポカでは、体格の違いが勝敗に大きく影響する個人競技の場合、体格差に基づくランクがある点に変わりないが、集団競技の場合にはこのようなランクを設けることができないため、チーム全体の『体格値』の合計が一定値以下になるように定められている競技があるとのことで、そのスポーツで有利となる肉体的条件――例えばバレーボールなら背の高さ、ラグビーならば体重――を考慮しているということであった。 「ホホーウ! 分かりやすくいうとね、がっちりした大きな人を入れたら、やせた人、小さな人も入れないと少ない人数で闘わなければならなくなる計算になるのさ」 そういえば、さっきから白衣のおじさんは、金色のチームの中でも、特に自分と同じような小柄な選手たちを応援していた。 「行け、サムス! チャンスだ、クーボ!」 クーボらしき選手がふわりと一回転して、白く光るボールをキャッチした。 「よし!」とおじさんが拳を固める。 突然、ピコン! と音がして、ドームに白い半透明の10という文字が浮かび上がった。9・8……と、カウントダウンされていく。 制限時間が迫っているのだ。 おじさんは、ドームに顔をくっつけんばかりにしていた。クーボがボールを持ったまま、赤い選手たちの間を魔法のようにすり抜けていく。 5・4・3・2……1! ボールを、一箇所に浮いたままになっている水玉の中に突っ込んだ! これが、スペース・ラグビーのトライなのだ! ピィィィィ! と笛が響き渡る。 「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」 おじさんは、動物のように吼えると、飛び上がり、「やったやった、やったぞーーーー!」と、部屋の中をぐるぐる走り回り始めた。 そのとき、いきなりパッパラパーと、ファンファーレのような音がした。 「はい!」とおじさんは鎧武者にかけよると、面のところを引き上げる。 中には小さな――およそ文明の発達したエポカには似合わないような――白黒のテレビモニターのようなものがあって、黒いシャツで身を包んだ二人の男が映っていた。 「はい」ともう一度答えると、向こうの二人組が、 「失礼します。お約束していた『プリモス』の者ですが」と挨拶した。 「おお、今、終わったところです!」 「???……何がですか?」 「いや、あの……いま、開けましょう」 そして、鎧の肩のところを軽く押した。これで玄関のドアが開くようだ。 「とすると、さっきのファンファーレは呼び鈴の代わりなのか」 「ホッ、ホッ! それがエポカ流ってわけじゃないんだよ。ハーマン博士が、好きでやっていることさ」 この風変わりなおじさんは、ハーマン博士というらしい。見た目には70歳位に見えるが肌の色つやは若々しい。フーパの話によると年齢は150歳を超えているとのことである。 「自由に上がってきてくだされ。一階の一番突き当たりの部屋です」 「では、遠慮なく」 向こうの2人が前の方に歩いて来てモニターから消えた。 博士はせかせかとドーム型立体テレビに駆け寄り、表面を二度撫でた。 「ピコン!」と軽い音がして、それは水槽に早変わりする。青い光の中、カズマの世界でもおなじみのネオンテトラたちが泳いでいる。 「あの魚たちもホログラフィなの?」 「ホウホウ! ところが、ホンモノの魚なのさ。博士の発明した『テレビモニターとしても利用できる水槽』なんだ。彼の唯一の、ヒット製品だね」 「唯一の?」 「ホウ! ホントに、ちょびっとしたヒットなんだけどね」 そのとき、ノックの音がした。 「どうぞ!」 「失礼します」 さっきの2人が入ってくる。 シャツが黒く見えたのは白黒のせいで、よく見れば濃い紫色だった。先に入ってきた方はがっしりした体格で、四角くあさ黒い顔、芝生のように刈り込んだ緑の髪の毛の人であった。見た感じは四十になるかならないかというところで、もうひとりは背が低くぽっちゃりしていて、肩までの黒い髪、鼻も顎も頬も丸くて、透き通るほどの白い肌の人であった。こちらはもう少し若そうだ。 そろって、博士のギョロ目と対照的な細い穏やかそうなタレ目だった。 「はじめまして! 私はプリモス開発課のイリュージーです。こちらは、投資配当管理部のモアレです」とがっしりした方が柔らかく低い声で挨拶する。 「よろしく」イリュージーに続いて握手したモアレの声は、明るい響きだ。 「ハーマンです……とりあえず、お掛け下さい」 博士にいわれて、イリュージーもモアレも困ったように顔を見合わせた。 無理もない、どこにも椅子が見あたらないのだ。 「おやおや! こりゃ、うっかりしてましたな」 そう言うや、博士は白衣の胸ポケットから小さなサイコロのようなものをふたつ取り出し、床に放り投げた。 するとどうだろう、ポンっという音とともに、白い半透明のふかふか椅子に変わったではないか! 「圧縮家具ですな」 イリュージーはにっこり笑うとモアレとともに腰掛けた。 「しかし、これはあなたの発明ではない」 「もちろんです」博士は苦笑した。 「三十年以上も前に偉大なレゴ博士が作ったものを、私なりに再現しただけですよ」 「なつかしいな! この座り心地」 モアレが嬉しそうに身体を揺さぶった。 三人が暫し出会いがしらの雑談をしている間、フーパは今の状況について説明してくれた。 博士はいわゆる発明家だった。カズマの知っているところではエジソンのようなものだ。ひとりでふたつ以上の仕事を持っているのが普通であるエポカにおいて、この人のように発明一筋というのは珍しいらしい。 イリュージーとモアレはプリモスという組織の役員であった。この組織は、毎日の生活に必要なモノを作っている。製造品目は、日用雑貨から文房具、家具、服、電化製品などなど、多種多様である。プリモスの製造品を並べるだけで、ちょっとしたデパートができてしまうらしい。ちなみにこの二人はエポカの普通の人らしく、別の仕事も持っていた。イリュージーは昆虫学者で『匂い』の研究家、モアレは歌手なのだが、とりあえずこの物語とは関係ない。 今日は博士の『売り込み』の日なのだ。発明品が二人に認められ、プリモスで作られることになると、博士には『ポイント』が与えられる。難しい言葉では『授権配当』というらしいが、要するにお金の代わりらしい。ただし、このお金は目に見える形はないとのことだった。「誰それはこれだけのポイントを持っていて、これだけ使いました」というデータをエポカのGバンクという世界銀行が一括管理している。データ内容は『Gネット』というインターネットのようなもので分かるということだった。 インターネットを使ったお金の代わりというと、カズマにも思い当たることがある。家で友達とカラオケごっこをするとき、パソコンにマイクをつないで歌うのだが、伴奏トラックはお父さんがダウンロードしてくれたものだった。カラオケ会社とのおつきあいで、お父さんの会社の社員には十曲分の『ポイント』がプレゼントされたとのことであった。曲を手に入れるときには、専用のホームページに行ってパスワードを入力する。すると直ちに、現在のポイント数と入手可能な曲数が表示されるのだ。 「一種の電子マネーだね」とお父さんはよく分からない説明をしてくれた。 今はもう十曲分取り込んでしまったから、幾ら入力しても「ポイントがありません」と出るのだが。追加したい場合は近くのコンビニに行って、千二百円で四曲分のポイントを買わなければならない。 「こういうポイントとエポカの世界のポイントとは違いがあるの?」 「ホウ、ホホーウ! 同じポイントでも、カズマのいうポイントは結局お金で売り買いするものだよ。だから世界で一番エライものは『お金』ということになる。ところが、エポカの世界の『配当』というポイントはお金以上のものなんだ。電子マネーやNPOが用いている地域通貨とかいったようなものを全て包含したようなもので……エポカ世界の経済や社会システムの土台になっているものなんだけど……話が長くなるから、改めて詳しく話すことにするよ」 カズマは説明をまたお預けにされてしまった。 「では、まずこいつを見て頂きましょうか」と言って、博士が取り出したのは1本の万年筆だった。 カズマのお父さんが大事に使っているような、つやつやした紺色に、金のクリップのついたものだ。 「何だと思いますかな?」 イリュージーは受け取ると、キャップを外したり、ペン先を見つめたりした。 「いや、何とも……ごく普通の……ねえ?」と言って、モアレに渡す。 「うむ。万年筆ですな」 うなずいたモアレを見て、博士は「してやったり」という笑みを浮かべた。 「ではでは……」 博士はモアレにA4ノートぐらいの大きさの板に数枚の紙が挟まったものを渡した。回覧板のようなものだ。 「書いてみて宜しいですか?」 「どうぞ」 「……おや、書けませんよ。インクがないのかな?」 博士はコホンと咳払いした。 「それは普通の万年筆のように使うのではないのです。モアレさん」 「はい?」 「あなたのお好きな小説は?」 「そうですね……『地球最初の猫』ですかな」 「では、キャップに口を近づけて『フリッツ・フェリックス著、地球最初の猫』と一言一言、はっきり言ってみて下さい」 「では……」とモアレはいわれたとおりにしたが、そのときの発音が朗々としてキレイなのはいかにも歌手らしかった。 一瞬の間をおいて、キャップの頭がピカッと光る。 「データ受信完了です。さ、ペン先を紙に当てて」 「はい……あ!」 モアレは目を丸くした。どうやら彼の意志とは別に、文章がスラスラ書かれていくようなのだ。 「これは……『チューブから直接、油絵具をキャンバスに塗りたくったような分厚い緑の支配する森、彼の目は燐光のように輝いている。この不自然なまでの静けさを破るのは誰か……』」モアレが走るペン先のあとを追う。 「『地球最初の猫』の冒頭ですな」モアレの手元を見ながら、イリュージーが言った。 「そう」博士は満足げにうなずいた。 「これはペンというより本なのです。音声入力をもとに、エポカ大図書館のデータベースから検索し、結果を自ら書き綴る」 「あ、あれ? 止まらない?」 モアレの丸顔から汗が吹き出した。紙から万年筆を離そうとしても、下敷きになっている板ごとくっついたままなのだ。手も万年筆から離れないらしく、文章は書き続けられている。 まるで、暴走する自分の手を相手に悪戦苦闘しているようだ。 「あ、キャップの頭を叩いて」 モアレがもう一方の手で博士にいわれた通りにすると、離れた板が音を立てて床に落ちた。博士は板を拾い上げながら、「ふむ、少々改良の余地があるかな……」とつぶやき、モアレに笑顔を向けた。 「いかがでした?」 「いやはや……」 モアレはハンケチで額の汗をぬぐった。 「面食らいましたよ」 「まあ、最初はそうかも知れません。しかし、私の狙いは、読者が作家の気持ちで読めるということなのです。大好きな作家が書いているときの様子を疑似体験しながら、同時に、読書の楽しみも味わえる。素晴らしいと思いませんか?」 「はぁ……」 モアレは困ったようにイリュージーを見る。 「たいへん興味深いものです……」イリュージーは指先で顎をさすりながら言った。 「ただ、この機能を望む人がいるかどうかは……まあ、帰ったら他のスタッフとも相談してみますが。とりあえず、他の発明品を見せてもらえますか?」 「うむ」 どうやら自信作だったらしい――万年筆のようなもの――の反応がイマイチだったのに、やや渋い顔をしたが。次の瞬間には、パッと顔を輝かせた。 「これこれ! こいつは、役に立ちますよ!」 せかせかした足取りで、部屋の隅、ブリキのロボットの足もとに置いてあった円筒形の銀色のゴミ箱を持ってきた。 「ご覧あれ」 そいつを床に置くと、 「いいですか? うっかりしていて、けつまずいたとする。こんな風に……」というや、とてもうっかりとは見えないワザとらしさで、ゴミ箱を蹴飛ばす。たちまち、紙くずや菓子の袋、リンゴの芯、落花生の皮などが散乱した。 「汚くって失礼!」と言い終わらないうちに、なんと! ゴミ箱がさかさまになって、床上二十センチぐらいに浮かび上がった。そのまま、ゴォォ……と、音を立てて、ゴミを吸い込み始める。 一分も経たないうちに元通りに、ゴミ箱はクルンと口を上にして、着地した。 「いかがですかな?」 「つまり、ゴミ箱兼掃除機……と。そういうのって、あったんじゃないかなあ」と考え込むようなモアレに、 「いやいやいや」と博士は人差し指を振ってみせる。 「ゴミ箱に入っていたものだけを回収するのです。中に捨てられたゴミの形状、材質などを覚えているわけです。ですから、たとえば大事な指輪を床に落とした。その直後に、間違ってゴミ箱をひっくり返してしまった。そんな場合でも……お分かりですね? 吸い取られるのはゴミだけ。指輪は残っているのです」 「ほう」 一瞬、感心したようなモアレの横でイリュージーが静かに言った。 「しかし、機能が生かされる機会は……あまり無いようにも思えるのですが?」 「あります!」 博士は自信ありげだ。 「以前、私が苦心に苦心を重ねて、直径一ミリほどのシジフォス合金の球を生成していた時、ファンス濾紙やメグネの砂カスを捨てるために、ゴミ箱を足もとに寄せていたのです。そして、フラスコの底にできあがった球をピンセットでつまみあげた、その瞬間!」 言葉を句切って、二人をじっと見た。 「ゴミ箱に蹴つまずくと同時に、シジフォス球も落としたのです」 「なるほど」イリュージーがうなずく。 博士は、指を四本立ててみせる。 「4時間!……4時間、かかったのですよ? 球を見つけだすのに。そのとき、私はこの発明のアイデアを思いついたのです。ですからこれは、必要なものなのです!」 「なるほど」イリュージーは繰り返した。 「で、発明されてから。そのようなことはありましたか?」 「ん、……い、いや。まだ、ありません。でも、近い将来、あるような気がします」 「うーん……」イリュージーはまたも指先で顎をさすった。イリュージーの癖らしい。 「あのですね」モアレが言った。 「私など、そそっかしいから、ゴミじゃないものを間違って捨てることの方が多いんですよ。そんなとき、そのゴミ箱は、中に落ちたとたんゴミだと認識しちゃうわけですよね?」 「ええ」 「だったら、拾い上げても。また、吸い取りに来ちゃうんじゃないですか?」 「その場合は、ほら――」と博士はゴミ箱を持ち上げて、底を見せる。 中央に黒い小さな丸があった。 「ここを指で触れてやれば、機能は停止しますよ」 「ははあ……」 ちょっとの間、会話が途絶える。 結局、面倒なだけだ――とカズマは思った。イリュージーとモアレも、同じように感じているらしい。 そして博士も二人の反応が良くないのに気づき始めた様子だ。ゴミ箱を元の位置に戻しながら、 「で、では、お次は……そうそう! 何もお出ししていませんでしたな」 「いえ、お気づかいなく」とモアレが腰を浮かす。 「やや、汚いゴミなどお見せした気分直しに……プラーグ!」 博士が呼びかけると、首のないマネキンが動き出した。 「何でしょう、博士?」 その声は、胸のあたりから響いている。 博士は、ギョッとした顔のイリュージーとモアレに笑顔を見せて、 「うちの使用人ロボットです。これでなかなか気の利く奴でしてな……お二人に、ジュースをお出ししなさい!」 「はい、博士の分もですね?」 「当然だ」 プラーグと呼ばれたマネキンはキュッキュと妙な音を立てて動くと、棚の一部をドアのように横にスライドした。 中に手を突っ込んで、白いワゴンを引っ張り出してくる。ワゴンの上には、カズマの世界でも見るような――むしろ古めかしいデザインの――ミキサーと大皿に乗った果物、その他、大口のガラス瓶に入れられた食材類が置かれている。果物はカズマも見たことのあるようなグレープフルーツ、バナナ、キウイ、苺などである。よく見たら、ピーマンや胡瓜などの野菜も混じっている。 プラーグは自分の胸を開いて金属製のチューブを取り出すと、ミキサーの上蓋を外して突っ込み、水を三分の一ほど注ぎ込んだ。 「水タンクにもなっとるんです。こいつは」博士が自慢げに説明する。 「なるほど、よくできたロボットのようですがデザイン以外の新鮮味は……」と言いかけたモアレに対し、 「いや! 発明品は、彼ではないのです!」 「と、いいますと……あ!」 モアレが声をあげたのは、プラーグのやっていることに気づいたからだ。バナナなどの果物だけではなく、納豆のようなのものや刺身、緑色のぐちゃぐちゃした草などを手当たり次第にミキサーに放り込んでいる。 「ちょ、ちょっと……」モアレが声を掛けた。 「うむ、なかなか栄養のバランスを考えてますな」博士はニコニコしている。 イリュージーとモアレは言葉を失い、互いに顔を見合わせた。 ミキサーが回り始めた! 中では濃い黄土色の、何とも形容しがたい液体が泡を立てて作られていく。 モアレの丸顔は、額ばかりではなく、頬も、鼻の頭も、顎も、汗をかき始めた。イリュージーは指先で顎を、震えるように叩き始めている。 カズマは前に、テレビのバラエティ番組でゲームに負けたお笑いタレントが、ウイスキーと酢と青汁のミックスを飲まされるのを観たことがある。いまの二人の気持ちは、ひょっとしたらあのタレントよりヘビーかも知れない。 ミキサーが止まった。プラーグはワゴンの横の引き出しを開けて、大きめのコップを三つ用意する。とろりとした、黄土色の泥水としかいいようがないモノが、均等に注がれた。 「あの!」と腰を浮かしかけたモアレだが、次の瞬間、完全に固まってしまった。 博士が自分でコップを取ると、半分ほどの量を一気に飲み干したからだ。 「うむ、いける!」 「ありがとうございます」とプラーグは答えて、残ったふたつのコップを持ってイリュージーとモアレの前に立った。 「どうぞ」 二人の目はその異様な液体に釘づけになる。 ――ぼくなら、絶対に飲めないな―― 「ささ、遠慮なさらず」 博士は微笑むと、残った半分を飲み干した。 「美味しいですよ」 「では」イリュージーが、コップを受け取った。 「ちょっと!」モアレは信じられないという顔をしている。 「いい匂いだからね」 イリュージーが目を閉じて、ほんの少しすすってみる。 「ん……」イリュージーはうなずくと、グイッと飲んで、モアレに 「新鮮なオレンジジュースの味だよ」と言った。 「まさか……」 モアレはまだ信じられない様子だったが、イリュージーが飲み続けるのを見て、 「……よし! 何事も経験!」とコップを受け取ると、大汗をかきながら、一気に飲んだ。 「ああ!」 モアレは目を見張った。 「本当だ」 「そう、このミキサーこそ、発明品なのです」博士はお代わりを注ぎながら言った。 「必ずオレンジジュースの味にしてくれる。ですから、このように味覚的にはひどい組み合わせでも、栄養バランスは抜群なものを美味しく頂ける。実際、このジュース二杯で充分な朝食代わりになりますよ。オレンジジュースが好みでない場合には、グレープでもアップルでも……上等な冷やしコンソメの味でも、自由に設定可能です!」 「なるほど」イリュージーは飲み干したコップをプラーグに返す。 「もう一杯、いかがですか?」 「いや、もう結構です」とイリュージーは断ると、博士に言った。 「面白い! これも、たいへん興味深い発明です。ですが……」 「ん?」博士の顔が少し曇った。 「やっぱり人は、本物のオレンジジュースを飲みたがりますよ。それに、本来の味というのは大事です。それによって、食べ物が腐っているかどうかも判断できますし……」 「うーん……」 腕組みをする博士にモアレがフォローした。 「でも、面白い! 面白いですよ! 確かに日常的に飲みたいシロモノじゃないですけど、今日、飲んだのはいい話のネタになります」 悩む博士とは対照的に、イリュージーとモアレはなんだか嬉しそうだった。博士の珍発明の数々に対して、製品になるかどうかを評価することよりも、自分たちで楽しみ始めた様子なのだ。 「では、次の発明を見て頂きましょう……」 × × × こうしてハーマン博士は次々と発明を紹介したが、どれもこれもいまひとつ実用性に欠けるものばかりだった。 臭い足ではこうとすると逃げ出す靴、自動的に折れる折り紙、雪合戦用の雪玉が作りやすい手袋、桜の木しか削れないナイフ、ペット用飛行機……。 イリュージーとモアレはすっかりリラックスした様子で、時には声を出して笑い、手を叩いたりもしたが、製品化というと、「たいへん興味深いですね……しかし……」と博士を落ち込ませるのだった。 二人の気持ちはカズマにもよく分かる。見ている分には、とっても楽しい。でも、普段使ってみたいかというと……考えてしまう。 「とりあえず、こんなところです」 最後の「耳栓にもなるコンタクトレンズ」の紹介を終えると、博士はすっかり自信を失ったような様子だった。 「……如何でしょうか?」 「いやはや、どれもこれも、たいへん興味深い……」イリュージーはモアレと一緒に椅子から立ち上がりながら、何度も繰り返した感想を述べる。 「しかし、製品化となるとなかなか難しいですね」 「やはり……」博士はがっくり、肩を落とす。 「とはいえ――」 イリュージーは、にっこり笑ってモアレを見る。 「ねえ?」 「うむ」モアレもうなずき、笑顔を博士に向けた。 「プリモスは、博士にそれなりのポイントを支払わせて頂きます」 「はあ……製品にしないのに……ですか?」 「する、しないに、関わらず……です」 「……またか」博士は、ぼそっとつぶやいた。 「何がですか?」 イリュージーが訊くと、博士は答えた。 「いや、いっつもなのです。皆さん、私の発明品をご覧になって、興味は示してくださるんですが、買い取りにまで至らない。それなのに! 必ず投資して下さるんです。おかげで、開発には困らずやってこれているんですが……」 モアレがパンッと軽く手をたたいて答える。 「そりゃ皆、博士の発明が好きだからですよ!」 「はあ……有り難いけど、好きならなぜ製品化されないんでしょう。役に立つものばかりだと思うのですがねえ……」 「まあ、一応、他の者とも話し合ってみますよ」 イリュージーは例によって顎をさすると、モアレとともに短い挨拶をして立ち去った。 「ふぅ……」ひとりになった博士は溜息をつくと、首なしマネキンに歩み寄る。 「プラーグよ! 今回は自信あったのだがなぁ〜」 × × × 続いてカズマは、その日の夜の博士の様子を見た。 しゃがみこんで、ドーム型立体テレビの中に立っている人と向き合っている。 それは――もしカズマの世界に現れたなら――とびきり個性的な女性だった。腰までの長い髪を虹色に染め、額にはトランプのクローバーを逆さにしたようなマークがあった。細長く白い顔全体にきらきら光るラメのようなものを塗っている。上半身は緑色のぴっちりした長袖シャツであるが、半透明なので肌が透けて見えている。青いズボンは片方だけ短くて、スラリと長い脚が見えている。その脚には蔦の模様が描かれていて、葉が点滅していた。 立体テレビでは小さく見えるが、おそらく痩せて、背の高い人だろう。年齢はちょっと分かりにくいが、30歳前後に見えた。喋り出すと、その声はちょっと鼻にかかった高音だった。 「はじめまして。アーティスト・ギルドのシェルと申します」 「ハーマンです」 どうやらドームが、今度は立体テレビ電話として機能しているようだった。 「私どもの組織については、お聞きおよびでしょうか?」 「名前ぐらいは……しかし、芸術方面はまったく専門外でしてな」 シェルと名乗った女性は、クスリと笑った。 「そうとも思えませんが?」 「はっ?」 例によって、フーパが説明を加えてくれた。 「ホウ! アーティスト・ギルドというのは、エポカで活躍する詩人、画家、彫刻家、音楽家、陶芸家、舞台演出家……その他、ありとあらゆる芸術家を支援し、ポイントの支給や作品公開、権利の保護などを行っている団体なのさ。運営しているのも、芸術家達なんだ。たとえばこのシェルという人は、有名な建築デザイナーなんだよ。博士は知らないようだけどね……」 「……なぜ、そうおっしゃるのです?」 「専門外どころか、私どもは博士を芸術家と解釈しております」 「芸術家? 私が?」 「ええ。博士の発明がGネットで公開されたり、実際に見たり触ったりした人の話を聞くたびに、私も、他のギルドのメンバーも深い感銘を受けるのです。発想の妙といい、実際に作ってしまう技術やバイタリティといい……素晴らしいし、見た目も非常に面白いです。どれをとっても芸術の名に恥じません」 話に熱が入ってくると、シェルは両腕を指揮者のように動かす。 「うーむ……しかし……」と博士は腕組みをした。 「ご自分では、そのような意識はないのかも知れません。しかし私たちは、個性的であって、人の心を刺激し豊かにする創造物を、芸術と呼びたいのです。間違いありません、博士はエポカでもトップクラスの芸術家のひとりです!」シェルが自信に満ちた口調でいい切った。 博士はうつむき気味に目をそらすと、弱ったように頭をかいた。 「まあ、あなた方がそのように考えられるのは、ご勝手ですが……」 「あなた自身にも、認めていただきたいのです」 「というと?」 「発明家なだけではなく、芸術家でもある自分を!」 博士は、ポカンと口を開いた。 「ギルドは博士を歓迎いたします。特別会員として、迎え入れますよ! お好きなときに個展を開くことができます。会場も、宣伝も、スタッフ用ロボット集めもすべて請け負います。全作品の目録もお作りしましょう。もちろん、今後の制作も援助いたします」 「……いや、これはどう答えたらよいものか」 「加入することを、了承して頂くだけでよろしいのです」 「あなた方は私のことをずいぶんよく思ってくださるようだ」 「はい!」シェルは力強くうなずいた。 「個展というのはわけが分からないが、とにかく私の作ったものを世に知らしめたいと……有り難い話です。それ以上に、開発の援助は幾らでも大歓迎です。足りるということは、ありませんからな」 「では、アーティスト・ギルドに……」 博士は眉間にしわを寄せると、いえいえ、という風に手を振った。 「お断りしますよ。お申し出は感謝いたしましょう。しかし私は発明家、実用品を作っております。それが、私の信念だ。自分に嘘はつけません」 「し、しかし、博士の作品は、実用には……」 「シェルさん!」博士はシェルをグッとにらんだ。 「はい!」 「『作品』ではなく、『発明品』です」博士が強い口調で言った。 「………………」 「芸術?……見当違いですぞ」 シェルは、まずいことを言いそうになった反省も含めて、しばし困り果てた様子だった。だが、すぐに目もとに笑みが浮かぶ。 「……そうね、そういうことよね」シェルは自分に言い聞かせているようだった。 「博士! おっしゃる通りです。見当違いだったのかも、知れません」 「でしょう」 「というか、確かに博士は、アーティスト・ギルドに入らない方がよろしいんでしょうね。ご自分で、芸術と思ってらっしゃらないからこそ、あれほど魅力的な作――発明品が、生まれるのでしょうし」 「ううむ……」博士にはいまひとつ納得しにくいようだ。 シェルは構わず続けた。 「ただし! 博士に投資はさせて頂けるでしょうか?」 「は?」 「今後の活動をお助けするためのポイント支給です」 「……いや、それは有り難いですが。芸術作品など作る気はさらさらありませんよ?」 「構いません。その方がいいのです」 「へっ?」 「博士は今のままでよろしいのですわ。今の博士に、投資をお約束します。よろしいですね?」 「まあ、それは有り難いですが……」どうも、腑に落ちないといった様子である。 「では、ポイント数の検討をいたしますので、失礼します。もしご無礼があったら、申しわけありませんでした」 「いえいえ。こちらこそ、期待にそえなくて……」 「それでは」 シェルがかき消えると、ドームは例によってネオンテトラの泳ぐ水槽に早変わりした。博士は、しばらくぼんやりとしゃがみ込んでいたが、 「ま、いいか! ラッキーだと思えば!」と弾けるようにシャキッと立ち上がった。 その場でくるりと回ると、ドンドンと、床を二回踏みならし、部屋の隅のブリキのロボットに命令した。 「ミュージック、スタート!」 ポッポー! ロボットの頭から煙が吹き出し、ガチャコンガチャコン、おもちゃのタイコのようなリズムを奏でながら、首が伸び縮みする。それに反応して、反対側の隅に立っていた骸骨が、自分の手で自分のアバラ骨を、チャッチャカ、チャッチャカ、鳴らし始めた。 ブンブン、ブンブン、ベースの音がする。転がるようなピアノの響きがする。目に見えない楽器が四方の壁から鳴り響く。 博士は、肩をゆすって大股で歩き回りながら、大声で歌い出した。 役に立つのが発明品! そいつがわしの生きがいじゃ! 芸術なんかじゃ、ありゃしない! 作品なんかじゃ、ありゃしない! まるで調子っぱずれの、思いつきのメロディだ。ちょうどカズマがちっちゃい頃に、 ♪買って買って買ってぇ〜、おもちゃ、買ってぇ〜 と、デタラメに歌い散らしたときのように。 製品でなければ、意味が無い! 発明品にカンパイだ! 実用品にカンパイだ! 不思議に耳に心地よい。伴奏が、デタラメにうまく合わせているからだ。 「ホウ! もちろんこれも、発明品。『何でもぴったりカラオケ』さ!」 博士は調子が出てきたようで、踊るようにジャンプしたり、手を叩いたりしている。歌声が、一段と大きくなった。 知恵を絞ってさあつくれ! きっと誰かの役に立つ! 『誰か』は誰でもいいんじゃないか! お役に立てば、幸いだ! そんな様子が、だんだん霞んできて……ホログラフィが終了した。 × × × 「ホーウ! どうだった? 発明家さんの部屋は」 閉じられたドアの向こうからは、今もかすかに博士の歌声が聞こえてくる……ような気がする。 「うん! なんかおかしくて、面白かった!」 「ホーウ!」 フーパは嬉しそうにひと鳴きすると、ふわりと回れ右して次のドアに向かってゆっくり進み始める。カズマは、あとをついていった。 「でも、役に立つことに拘っているわりには、役に立たない発明ばかりだったですね」 「ホホーウ! でも、皆投資する」 「面白いから?」 「ホホーウ! もちろんそうだけど、エポカの世界の人たちは、たとえ誰かが『見当外れ』であっても、面白ければ、認めてあげるんだよ。面白いということは、それだけで人を幸せな気分にしてくれるからね」 「ふーん……」 「ホーウ! たとえば、テストで間違っても、その間違い方が面白ければ、評価してくれるような世界なんだ」 「でも、気がつかないのかなぁ! 自分が作っているのは、『役に立つ』発明品なんかじゃなく、人を楽しませる……そう……あの女の人が言っているような、芸術だってことに!」 「ホウ! 『芸術の定義』が全然違うのかもしれないよ。多分、博士がイメージしている芸術品は、古典的な芸術品みたいなものではないのかな。だから、自分には芸術的な才能なんてないと思っていて、芸術品をつくってくれと頼まれたら何をしたらいいのか分らなくなってしまうんだと思うよ」 |
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