未来からのメッセージ

食堂 不老長寿

カズマは、溺れて死ぬような目にあったり、三つの映画のようなものをたてつづけに観たりということで少々くたびれてきた。そんな時、カズマのお腹が「グー……」と鳴った。
「いろんなことを見聞きしていたので気がつかなかったけど、そういえば腹ペコだな〜」
「ホウ、ホホー! そうだね、このへんで食事にしようか。一旦ヘルメットを脱いでもいいよ」
「こんな海の底で食事ができるの?」
「ホー! 客人を空腹のままにするわけにはいかないだろう」
フーパはファサファサと羽ばたきながら、周囲を岩石で囲まれた曲がりくねったチューブの回廊を案内した。フーパが辿り着いたドームは、小さな洞窟に押し込められたような場所にあった。
「あれ、この部屋のドアは透き通って見えるけど」
「ホウ〜! ここが食堂だよ」
食堂の入り口の床は、四角いブルーのタイルが敷き詰められている。
「どうして、ここだけブルーのタイルになっているのかな?」
「ホウ、ホホー! カズマの身長や体重を調べるコーナーなんだよ」
「え! 何で?」
「ホウ! 今に分るよ」
バイキングスタイルの小さな食堂で、およそ十人分のテーブルが並んでいたが、食事している者はいなかった。ほとんどのドームは巨大な洞窟の内部にあるのだが、この食堂のドームは海溝の壁に面しているようで、部屋の片面に並んでいる円形の窓から海底の景色が見えるようになっていた。
「窓があると、外から発見される可能性があるんじゃないの?」
「ホーウ! 普段は、岩の扉で閉じられているんだ」
「なるほど」
「ホホーウ! 好きなものを選んでいいんだよ」
「エポカ世界の料理なの?」
「ホーウ! そうだけど……食材はもちろんこの地球のものだよ」
「へぇ〜」
厨房に人影のようなものが見えたので、カズマは厨房の奥に目を向けた。
「ホ、ホーウ! アンドロイドの料理人だよ」
「話してかけてもいいかな?」
「ホーウ! 残念だけど、彼はエポカの言葉しか話せないんだ」
「残念だなぁ」といいながら、カズマはアンドロイドに手を振った。
アンドロイドの料理人もカズマに手を振って答えてくれた。カズマは可愛い女生徒が手を振って答えてくれたかのような喜びを感じて、顔が思わずほころんだ。
カズマは楕円形の盆を取り、その上に皿、コップ、フォークやナイフを適当に選んで乗せてから、どんな料理があるのかひととおり眺めてみた。
カズマは、元々食べ物の名前もそれほど知っているわけではなかったので、何が何だかは良く分らなかったが、今までの料理と特別異なっているようには見えなかった。
好物のステーキ風の肉片、ミートボール、シーフードスペゲッティ、グラスにあったアイスクリームとおぼしきものを皿に盛った。カズマは肉と名のつくものには目の無い方であった。
バイキング料理が並んでいるコーナーとテーブルの並んでいる場所を仕切るように、床にそれぞれ1mほどの緑色と黄色のタイルの帯があった。その緑の帯に足を踏み入れると、「カロリーは○○です。蛋白質のとり過ぎです。栄養バランスもよくありません。ビタミンCを沢山含んでいる××番号の海草をお勧めします」という声がした。
カズマは、入り口で身長や体重を調べられたのはこのためかと合点した。
そして、不服ではあったが、お節介な忠告に従いシーフードスパゲッティを諦め、なんだか良く分らない海草を皿に盛ることにした。今度は、「カロリーは○○です。栄養バランスもまずまずです」と緑のゾーンが言った。
黄色のゾーンに踏み込むと「五百ポイント頂きます」という声がした。
カズマはエポカでいうポイントは『お金』のことを意味していることを知っていたので、
「えぇ〜! この食堂有料なの? エポカのお金なんか持っているわけないだろ〜」とフーパの顔を見て困惑気味に訴えた。
すると、「ですが、カズマは客人なので、ポイントは不要です」黄色のゾーンが言った。
「意地悪だなぁ〜」
「ホッホー! ちょっとからかってみただけだよ。でもエポカの世界では、このようにして誰でも自動的にウェアラブル通信機器を通じてポイントを支払わされるんだ」
「ウェアラブル通信機器って、なんのこと?」
「ホーウ! 身につけることのできる通信機器だよ。携帯電話のようなものを想像すればいいかな。個人の識別は生体識別と言って、こういった通信機器が人の様々な特徴から相手のIDと呼ばれているコードをGネットから入手しているんだけどね」
カズマは深海の窓を向いて座った。綿雪のようなものが流れていた。遠くを見ると連凧のような見たことも無い生物が泳いでいて、地獄の奥底にでもいるような妙な気分にさせられた。
「深海の生物って、ぼくらが普段海で見かけるものと全然違うんだね」
カズマは初めに好物のステーキ風のものを食べて見た。歯ごたえはそれなりで結構美味しかったが、牛肉の味がしなかった。
「これ何の肉?」
「ホ、ホウー! それ肉のように見えるけど、海草で出来ているんだ」
「海草?」
「ホ、ホウー! ここの食材は全て海のものなんだ」
カズマは次にミートボールのようなものを食べてみた。
「これは魚の肉でしょ!」
「ホ、ホウー! 当たりだよ。でも肉だけではなく頭、骨、目玉も内臓も入っている。エポカの肉や魚の料理では、肉食の野獣が捕らえた獲物をあますところなく食べてしまうように、身体の全ての部分を料理に盛り込むようにすることが多い。その方が栄養もあるし、廃棄物も出さないで済むからね。それと肉や魚料理はいつもあるとは限らないけど、カズマは特別のお客様だからね」
「普通の肉や魚なんかぼくらの世界では高価な食材でもなんでもないけど。エポカでは少ないの?」
「ホホー! そうじゃないんだ、カズマの世界よりも陸上の動物や魚もたくさんいると思うけど、エポカの人々は基本的に菜食主義なんだ」
「菜食主義! へぇ〜……ベジタリアンなんだ」
「ホウ! 正確にいうと、エポカの人々が菜食主義者なのではなく、エポカの世界が菜食主義を奨励しているんだ」
「どうして? 動物や魚もたくさんいるというに」
「ホ、ホホーウ! 食事が終わったら、後ろのホログラフィを見ながら説明するよ」
フーパにいわれて後ろを振りむくと、背面の壁際にホログラフィの装置があった。
カズマは振り向いた頭を元に戻して、食事に専念することにした。
「ホーウ! 我輩も食事を済ませておこうかな」とフーパは言って、部屋の隅にある大きな鳥籠に飛んでいき、籠の中の止まり木にちょこんと足をかけた。
フーパが身体を丸くして踏ん張ったと思ったら、キンコーンという音がした。
「なんなの、今の音は?」
「ホーウ! 食事時に済まないけれど、ウンチのようなものさ! 使い古しのバッテリーなんだ。カズマの世界のものよりも桁違いに強力なものだけどね」
排泄した丸いバッテリーが落ちて弾ける音が鳴り止むと、コンコンと皿を突付く音がして、フーパは新しいバッテリーの餌を摘んでは飲み込んでいた。
カズマは皿に盛ったものを隈なく平らげ、アイスクリームのようなものを舐め、最後に水を飲んで食事を終えた。フーパの方も、何とも味気ない食事を済ませていた。
「ホホ、ホーウ! 少し休まなくてもいいかな」
「うん、大丈夫だよ」
 ×    ×    ×
カズマはヘルメットを被り直し、ホログラフィと向かい合った。ホログラフィにはかわるがわる様々な服装をした人、男性や女性、皮膚の色が異なる様々な人種の人が映しだされていた。一巡すると、また同じ順番で様々な人を映し出した。
「ホ、ホホーウ! 映っている人の順番に注目して欲しいんだけれど、よく見るといろんなことが変化していることに気づくはずだけど」
カズマは、フーパのいう『変化していること』を発見するため、目を凝らしてホログラフィを見つめた。
初めに4桁の数字が表示された。これは見るからに年号だ。それから子供の男女、成人の男女、老人の男女、計6人の姿が現れ、それぞれの人の下には3つの数字が記載されている。この6人が消えてなくなると、また6人が現れ、同様に各人に3つの数字が記載されている。これが幾度となく繰り返された。
カズマは見たことを頭の中で整理してみた。3つの数字のうちの一番上の数字は、年齢に対応しているようで次第に数字が大きくなっていくが、人のサイズ差は無くなっていく。下2つの数字も人のサイズに比例しているように見えた。しかしこの数字は少しづつ小さくなっていった。
初めのうちは明らかに子供、成人、老人だったが、後の方になると、見た目の年齢差が少なくなってきた。背丈は皆徐々に小さくなっているような気がした。服装などもかなり違ってきている。
カズマは気が付いたことを整理し、フーパに伝えた。
一番目
 時代の順番に人物が登場してくること。
二番目
 人の下に記載されている1番目の数字は年齢だと思うが、初めのうちは子供、成人、老人が識別できたが、老人の年齢が150歳とかになっていた。
三番目
 2番目と3番目の数字は人のサイズのように思う。体格が次第に小さくなってきて、大人と見えるにもかかわらず最後に現れた人はカズマとあまり変わらないくらいの背丈になっていた。気のせいか胴長短足になっているようにも見えた。
四番目
 初めのうちは白人、東洋人、黒人といったように人種が判別できたが、最後の方になると肌の色や顔つきを見ても人種が分からなくなっていた。
五番目
 服装が背広、ワイシャツ、ネクタイ、ハイヒールといったフォーマルなものがなくなり、バラエティに富んだものに変化していた。

「ホホーウ! えらい! そのとおりだよ。それでは何故そうなったかについて、考えてみてくれないか。二番目と三番目のことは密接に関連していてややこしい問題でもあるので、四番目のことからいってみようか」
「なんか、試験問題みたいになってきたなぁ」
カズマは、これまで見てきたホログラフィを思い浮かべながら考え込んだ。
「四番目の、人種が分らなくなってきたことはエポカの世界で『国』が無くなったことが原因だと思うけど」
「ホーウ! 正解だよ。『国』が無くなり、『国境』が無くなって人の移動が自由になったため、人種間の交流が盛んになり、混血が普通のことになったからなんだ」

「ホーウ! 五番目のことは、まだカズマが見聞きしていないこととも関連しているんで、難しいかもしれないけれど、答えられるようだったら答えてみて」
「五番目は服装のことだったかな。服装のバラエティが増えたということは、社会的な『選択の自由』が大きくなったことと関連しているように思うけど」
「ホ、ホホーウ! そうだね、現時点での答えとしてはそれでOKだよ。いずれ詳しく話すけれど、背広、ワイシャツ、ネクタイ、ハイヒール、礼服などと一緒に様々な虚礼が無くなったことは、世界が『拝金』社会でなくなったこと、社会全般が民主主義的になり、いろんな制約や権威が無くなったことが理由でもある。カズマの世界では、『お客様は神様です』というけれど、実際には、お客様は『カモ』にすぎなくて、『お金が神様』だよね。様々な権威やステイタスから解放されて、形式主義的な社会から実質主義的な社会になり、上司や得意先の顔を気にして真夏でも背広を着たり、葬式で判を押したような喪服を着たりといった習慣とか、形ばかりの礼節を守る必要がなくなったんだ」
そういえば、望月部長はくそ暑い夏でも必ず背広を着ているな、ステイタスってやつは暑苦しいものなんだ――とカズマは望月部長の姿を思い浮かべた。
「ホーウ! それでは、元に戻って二番目と三番目に気付いたことにはどうかな」
「二番目は年齢に関することですよね。さっきの『親の勘当』のエポカ誕生の経緯のところで観たけれど、長寿薬の普及や医療技術の高度化などによって人間の平均寿命が100歳をはるかに超えるようになったからですよね。けれど三番目の人間のサイズが少し小さくなった理由は思い浮かばないな」
「ホホーウ! 実は両方とも人口問題に関連している。ここで、『親の勘当』で質問された、殆どの場合『一人っ子』であることについての説明しておくことにしよう。『一人っ子』、『人間の小型化』、『菜食主義』はみな人口対策なんだ。地球の資源と環境は有限だから、船の積載量に制限があるように宇宙船地球号の乗組員の人数と体重に制限を設ける必要があるわけさ」
「へえー! そうなんだ」
「ホホーウ! ここで、地球の人口がどのように増えてきたかその推移を辿ってみよう。人類の誕生から中世と呼ばれる頃までは、人口の増加量も増加率も比較的ゆるやかに推移してきたけれど、西暦1800年以降の人口の増え方は尋常ではない。幾何級数的な増え方だ。西暦1800年から1920年の80年間で10億人から20億人に倍増し、1960年から2000年の40年間、つまりこの僅か半分の年数で30億人から60億人へと加速・倍増している。産業革命以降の生産力の飛躍的増大によるものだ。
人間以外の動物は非常につつましやかに生きている。生きるためのエネルギーは動植物から得るが、必要以上には取らない。爬虫類や魚類などの変温動物の体重当たり消費エネルギーは哺乳類や鳥類などの恒温動物の僅か30分の1に過ぎない。ところが、人間はヒトサイズの哺乳類の40倍ものエネルギーを消費する。だから、変温動物の1200倍ものエネルギーを消費していることになる。こんな動物が異常繁殖したわけであるから、地球にアラームが鳴るのは当然のことだ。資源の大量消費や環境汚染がとめどなく進行することになった。
地球の歴史は生物種の大量絶滅を幾度となく繰り返してきた。その原因は、地球全体が雪玉のように氷ついたり、火山の大噴火があったり、小惑星が激突したりしたことが原因のようだ。そして今また生物種の大量絶滅の時代になっている。今回の大量絶滅は人類という地球の寄生生物の大繁殖が原因だ。人間は自然的な地球環境をとめどもなく破壊し続けることで、自らの生存をも脅かす様々な環境改変を招いている」
「このままでは大変な事態になるのは分かるけど、世界の経済先進国といわれている国では、人口増加が止まってきている。だから、貧しい国も経済発展すれば、人口増加が止まるようになると思っていたんだけど違うの?」
「ホホーウ! 確かにそうだったね。経済先進国といわれている国では子供ひとり当たりの養育費や教育費が嵩むようになったり、子供の養育のために自分の楽しみを犠牲にすることを嫌がる人が増えたりということで、避妊薬や避妊器具を利用して、以前のようには子供を産まなくなってきた。
けれども世界全体でみると人口増加には歯止めがかかっていない。確かに人口の多い発展途上国が経済的に豊かになると共に避妊薬や避妊器具が普及すればいずれ人口増加の伸びは鈍化するかもしれない。
一人の女性が一生に生む子供の数のことを合計特殊出生率というんだけれど、この特殊出生率が同じでも寿命が延びれば人口は増える。人口はこの特殊出生率と寿命の長さで決まる。
人間の平均寿命は中世の頃までずーと30歳くらいだったようだ。平均寿命が日本で50歳を超えたのは戦後になってからのことで、それが今では80歳を超えている。
更に、遺伝子の解読、IPS細胞を利用した再生医療、様々な医療技術の開発、寿命を大幅に伸ばす長寿薬などの開発によって人間は不老長寿化しようとしている。そうなると、高齢になってもなかなか老化しないわけだから加齢に伴う老人病が少なくなる。病気の多くが予防され、病気になったとしてもかたっぱしから高度な医療技術で死に至る前に治されてしまう。秦の始皇帝や邪馬台国の卑弥呼が不老長寿の薬を追い求めたという。こんな夢のような薬や医療技術を誰でもが容易に利用できる時代になる。このため子供の合計特殊出生率が低い経済先進国でもいずれ長寿化によって人口が増加に転じることになる。
寿命に変化がなく合計特殊出生率が2以下であれば人口は増えない。寿命が長くなっていく場合には、この特殊出生率を2から1に近づけていかなければ人口を抑制できない。仮に人間が不老不死になった場合、つまり永遠の命をもつようになった場合でもこの特殊出生率を1に固定できれば、徐々に子供が少なくなっていって、最終的にはそのような政策の開始時点の2倍の人口に収束する。しかし、その時点で子供は一人もいなくなる。
エポカ世界では平均年齢は200歳近くにはなってはいるがまだ不老長寿状態にはなっていない。合計特殊出生率が2程度の状態のまま寿命が延び続ければ人口は増える。地球は既に人間が多すぎる状態になっているので、一人っ子の奨励によってこの特殊出生率を1に近づけようとしているわけだ。『二人以上の出産禁止』という強制ではないけれどね。人口が適正規模にまで落ち着いたら、この『奨励』は解除されることになっている。それでもこの『奨励』の呼びかけに至るまでに結構もめたね。エポカ世界の『選択の自由を可能な限り広げ、他人の選択の自由を制限する行為を可能な限り排除する』という理念と矛盾する問題であったからだ。
こんなわけで、エポカの世界は超少子高齢化社会なんだけれど、長寿薬などのおかげで年をとっても若々しく元気にしている人が多い」
「平均寿命が200歳ちかい……信じられないな」
「ホーウ! 寿命が30歳くらいだった昔の人が、現在の日本人の平均寿命が80歳以上という話を聞いたら、カズマと同じように驚くだろうね」
「えーと、『一人っ子』の意味なんですが、再婚して子供を産む場合はどうなるんでしょうか? 離婚した女性との間に子供のある男性が初婚の女性と再婚した場合には、初婚の女性にとっては一人目でも再婚した男性にとっては二人目ですよね。逆の場合、女性が初婚の男性を相手に結婚・離婚を繰り返す場合にはどうなるのかな?」
「ホホーウ! この『一人っ子』は『男性にとっても女性にとっても一人』という意味だけどね。そうでなければ男女間で不平等が生じる。だから初婚で子供をもうけた場合、離婚してから再婚しても『奨励』に従うのであれば、子供をつくることはできなくなる。だから安易に離婚や再婚ができないことになる。愛する相手との間での子供が欲しいというは無理からぬ話なので『推奨』どまりになっている」
「難しい話ですよね。いずれにしても不老不死の社会では人が死なない。地球の資源や環境は有限だから無制限に人口を増やせない。だから、不老不死の社会では最終的には子供がいなくなってしまうんだ」
「ホホーウ! 不老不死の社会はこのようなとんでもない社会になることが分かっている。その手前の不老長寿の社会のありかたについてもエポカ社会で大問題にされている。人間はただでさえ不自然に長生きしすぎているのに、自殺か不慮の事故などでしか人が死ななくなっていくのだからね。
エポカでは、
●不自然に人間が生きながらえることは種の本来の姿に反しているのではないか。細菌などの環状DNAの生物と異なり、直鎖状のDNAをもつ生物は雌雄を持つことで、交配可能になり、バラエティに富む遺伝子をもつことができ、環境変化に対応して進化し易くなった。個体としての永遠の命を放棄する代わりに、遺伝子を変化させて世代交代することで種の発展の道が拓かれた。長すぎる寿命は子孫に残すべき資源や環境をいたずらに貪ることにもなる。
●不老長寿をもたらすような薬は、女性が子供を産まなくなったり、年齢構成が逆三角形になったり、自然界の動物では考えられないような状態になる
●このため、人間社会を歪んだものに変貌させ、ことによると、科学技術信仰の驕りが人類を滅亡に導くことになるのではないか。
というようなことが危惧されている。けれども、このような考えとは反対に次のような意見もある。
●誰にとっても生を受けた命は何にもまして大切なものであり、いつまでも若くて健康であり続けたいと考えるのは無理からぬことではないか。
●種の意志なるものがあるとしても、何故人間の意志が種の意志を超えてはならないのか。そのような理由などないのでは。
●長年、人間は自然の摂理に逆らうことばかりを自由に行ってきた。不老長寿の薬に限って、自然の摂理に反することは行うべきではないというのは理解できない。
●種の存続のためには環境に適した遺伝子が選択される必要があり、それが今までは自然淘汰であった。しかし、人間は自然淘汰よりも効率的な人工的遺伝子選択を行っている。環境への適応能力が問題であれば、遺伝子操作によって対応することだってできるのでは。
ということなんだけれど。自然の摂理に反するので、長生きできる人生を途中で打ち切って所定の年齢に達したら死ぬべきだなんて、姨捨山みたいなことは言えない。悩ましい問題だよねぇ」
「人間が不老長寿になったら、社会はどんなふうになると考えているんですか」
「ホホーウ! 多分こんなことになるかな。
●宇宙船地球号の定員を守るためには、人の誕生は人の死とワンセットでなければならなくなる。一人っ子の奨励などという生ぬるいものから厳格な出産禁止政策が採用されることになる。
●おそらく、誕生する命は死んだ人の遺言などによって決めることになるのではないかと思う。
●女性は月経が始まった後で不妊治療を受けるようなことになる。死んだ人の代わりに誕生する命は冷凍保存された卵子や精子を使用するかIPS細胞から子供を再生するようなことだってできるようになるのかもしれない。
●女性は出産や育児から解放されるので、性を理由にしたあらゆるハンディがなくなる。
●家族には子供はいない。したがって、家族という形態が成立しなくなる。子供の代わりに動物やアンドロイドを家族代わりに扱う人が多くなる。
●かすがいとしての子供がいないので、男女のカップルは性愛だけが絆になる。老いることのない肉体をもっているので、生涯同じカップルのままでいるケースは少なくなる。
●人生は何度でもやり直しのきくものになる。だから異なった人生、異なった職業を仕切りなおして開始できるようになる。
●子供の誕生は極めて希なことなので、教育システムが根本的に変化してしまう。子供の教育は専門家による個人教育になり、教育の大半は成人のためのものになる。
といったような社会の姿になるんじゃないかな。
大変なことは、このような状況になった時に、人口管理を誰がどのように行うのかということだ。利害を異にする国などというものが存続している状態で不老長寿社会に突入すれば、乗員枠の確保や資源の確保のために様々な争いが起きてとんでもない事態になるかもしれない」
「夢のような不老長寿の薬を皆が栄養剤でも呑むように服用するようになれば人間の社会は異次元のとんでもない世界になってしまうんですね」
「ホーウ! ならば、このような薬を使用禁止にできるだろうかということになる。自分の命と人類の未来を天秤に掛けて自分の命を優先させるようなことになる」
「三番目の人間が小型化していくのも、エポカ世界の方針によるものですね」
「ホホーウ! 成長の限界に達するには未だ多少時間があるかもしれない。これまでの状態が継続して食料事情が良くなっていけば人間の体格は大きくなり、体重が増えていく。人口増加だけでなく体格が大型化することは、世界中の人間の総重量の止めどない増加になる。有限なこの星の資源の大量消費、動物の乱獲、森林破壊、膨大な化石燃料の消費、環境汚染物質の大量排出、干潟の喪失、水質汚染などをもたらすことになる。他の生物から見たら人間という地上の巨大生物が我が物顔で跋扈し、資源を食い荒らし、生態系をとめどもなく破壊しているということになる」
「人間って巨大生物なの?」
「ホーウ! そうだよ、人間はこの惑星の巨大生物なんだ。人は皆、自分自身を基準に考えるからそうは思っていないかもしれないけれど……ネズミのようなものだってちっとも小型生物なんかではない。鯨や象はそれぞれ海と陸の超巨大生物ということになる。
ということで、人口増加の抑制と抱合せて人間のサイズを積極的に小型化することで地球上の人間の総重量を減らそうというわけだ。ことによると危機の先送りに過ぎないのかもしれないけれど、できることは何でもやっておこうというわけだ」
「不老長寿の薬の開発ができるくらいならサイズを縮小する薬だって開発できるんではないですか?」
「ホホーウ! もっともな質問だね。成長ホルモンをコントロールする薬の開発なんてのは朝飯前の話になるかもしれない。けれど、人は勝手なもので、不老長寿の薬はYESでも、無理やり成長を止めるような薬を一律に全ての人に呑ませるようなことには殆どの人がNOという。成長ホルモンのコントロールは、もっぱら体格の凸凹を是正するために利用されることになるだろう。巨人症や小人症の人を含めて背丈が大きすぎる人や小さぎる人の悩みを解決するためには使用されるけれど、一律に背を低くしてしまおうということには賛同を得られるものではない」
「菜食主義は食料問題の解決のためですか」
「ホーウ! まあそうだね。菜食主義は食料の総量を増やすことを目的にしている。この菜食主義に関しても『一人っ子の奨励』と同様にエポカの世界でも多くの反対者がいて、もめにもめた結論だった。それで、菜食主義はエポカ世界の理念にはなっていないけれど、『奨励』という位置づけがなされている。
『人間の数×人間の平均体重=人間の総重量』を減らさなければならない。ところが、選択の自由が優先される社会では望ましいことではあっても、本人の意志に反することを強制はできない。それで、廃棄物のリサイクルや資源の効率的利用を進めることと合わせて、ひとり当たりの体重を減らそうということになった。巨大で数も多いということは、この星にとって罪深いことなんだ」
「なんか未来の社会はバラ色かと思っていたけれど、僕らの社会とは次元が違う大きな問題を抱えているんですね」
「ホウ、ホーウ! ホログラフィの初めに出てきたのは、菜食主義が『奨励』される前の人間の男女合わせた平均的な体格で、身長185cmにもなっていた。最後が身長150センチメートルの人間だ。身長が35cm小さくなれば、体重は身長の三乗で減るから、体重が50%近くも減る計算になる。ホログラフィに出てきた下の3つの数字は、カズマが考えたとおり年代と平均身長と体重なのさ。すると、それだけで食料、衣類、建物などに必要な資源の消費を大幅に減らせることになる。
ということで、人間の体格を小さくすることにより資源の消費を抑え、この惑星の環境を守るために菜食主義を『奨励』することになった。蛋白質を得るための効率から考えると、肉食のひとり分は菜食の20人分に相当する。菜食主義は、食料の総量を増やせるだけでなく、人間の小型化を促すことによって、地球に生息可能な人口容量を大きくすることができる。人は食料を得るために、牛や家畜などの放牧によって広大な森林を伐採したり、魚の乱獲などによって生態系を破壊したり、多くの生物種を絶滅させてきたからね。人間が小型になっても、ロボットやアンドロイドがいるので、力仕事で不自由することもないし……。
それと、菜食主義が広まった理由がもうひとつある。人間が様々な動物の声やしぐさの翻訳機能を開発し、多くの動物と会話ができるようになった。会話可能な相手を食用にするのは気の引けることだからね」
「いろんな動物と会話できるようになるんですか。とても面白そうですね。でも、野菜、果物や海草しか食べなければ異常に増える動物もいるんじゃないの?」
「ホウ、ホホホーウ! 異常繁殖する動物が出てきて、生態系が狂うことが予想される場合には、当然捕獲することになるよ。菜食主義というのは『望ましい』ということであり、肉食は一切しないということではなく、こうして捕獲した動物は食料にする。それと菜食主義によってどれだけ人間が小型化するかということだけど、肉食はしなくても食べる量が増えれば元も子もなくなる。人間を小型化するには、菜食主義の外にもいろいろな手を打たなければならない」
「たとえば、どんな手があるの」
「ホホ、ホホーウ! さっきの『いじめ』のホログラフィのタックルボールでは、敵味方の競技人数が違っていた。身体が大きいことが必ずしも有利とはならないようにスポーツのルールを変更したり、さっきカズマが料理を選んだときに栄養の取りすぎを注意されたけれど、あんな具合に指導したりするようにしている」
「そうだったの。ところで、一人っ子にすることや菜食主義はいずれも『奨励』で罰則などはないわけですよね。エポカの人たちは皆おとなしく従っているんですか?」
「ホーウ! エポカでは法律で強制することが個人の選択の自由に反するような場合に、このような形式で人々を方向付けることが多い。望ましい方針が出される以前は多くの議論があるけれど、問題を十分理解してもらうことで、大抵の人はこれらの方針に従っている」
カズマは、まさか食事のあとにテスト問題に答えさせられるとは思ってもみなかったので、せっかく食べた物がどこかに行ってしまったような気がした。未来が抱えるとんでもない問題に深刻な気分になった。気分転換のため窓から深海の生き物達を観察することにした。
そうこうするうちに、「ホーウ! それでは、そろそろ次のドームの部屋に行こうかな」とフーパが声をかけてきた。

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2015年1月のNHKのテレビ番組、「NEXT WORLD 私達の未来(2)−寿命はどこまで延びるのか−」を観た人も多いのではないかと思うが、寿命革命がおきているのとのことである。この番組では、長寿遺伝子の発見、3Dプリンターを活用した臓器製造による再生医療、手術ロボット、ナノマシーンによる病気の監視と根絶などの話が出てくる。副作用が問題とされている抗がん剤も、ナノテクノロジーが発達すれば、がん細胞にのみ作用するようになるという。日本でも研究されている「体内病院」はまさに夢の技術のようだ。
これらはいずれも人間の寿命を大幅に伸ばす作用がある。老化を止め、病を治し、病を予知する時代が到来するとのことである。このうち、特に気になったのは、長寿遺伝子(NMN)についての話である。
ビタミンB3(ナイアシン)の一種であるこのNMNには、加齢によって低下するさまざまな機能を活性化させる「若返り」の効果があるという。
NMNは若返りのために視床下部から指令を出す7種類のサーチュイン遺伝子なるものを目覚めさせるという。このNMNはアルツハイマーにも有効だとのことである。すでにマウスの実験で実証済みであるようで、生後22カ月のマウスが生後6カ月に若返ったという。これを人間の年齢に換算すると60歳が20歳に若返ったことに相当するらしい。早ければ年内にも臨床試験を行う予定になっていて、既に日本の食品メーカーがNMNの大量生産体制を準備している。

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