未来からのメッセージ | |||||
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第一の部屋 親の勘当(1) | |||||
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最初のドームから右側のチューブの回廊を渡って次のドームの部屋に入ると、フーパがホログラフィと呼んでいるものが背後に山並みの連なる山村のような景色を映している。 夏の青空に綿菓子のような雲が浮かび、丸くて低い山々が鮮やかな緑に包まれている。 鳥の声、セミの声が聞こえる。 そのうち、耳慣れぬウィィーーー……ンという風を切る響きが近づいてきた。 あちこちから水色のキラキラ光る玉のようなものが、ひとつの山に迫ってくる。その数は10個や20個ではない。カズマがこの海底基地に誘拐されてきた時に乗っていたガラス球に似ていたが、それよりもずっと小さなものだった。 「UFO?」 「ホ、ホーウ! あれは、子供達が通学に使う乗り物なんだ。ミニスカイキャップっていうんだけどね」 「どこでも通学に、このような乗物が使われるの?」 「ホーウ! そうとは限らないよ。ここは山間部にある学校だからなんだ」 それらの玉は、山の中腹にある、これも水色の円筒形の建物に迫っていく。 「ホホーウ! あれが学校だよ」 「あ、危ない! 玉どうしが、ぶつかりそう!」 だが、すうーっとすれ違ってよけた。 「ホーウ! ミニスカイキャップはぶつからないように自動制御されているんだ。子供達はあらかじめ登録しておいた目的地を選択することで、自動操縦で直行できるようになっているのさ」 先程まで閉じていた建物の屋根がいつの間にか真ん中から左右に割れて開いていた。 すると、玉が次々と速度を落として、まるで玉入れの玉のようにふんわりと中に入っていく。 カズマはこの不思議なエポカの通学風景にしばし見入っていた。 × × × ホログラフィの映像は部屋の中に移動している。 ひゅるる、ひゅるるる……という細かな音の揺れが心地よく響いている。はっきりしたメロディもリズムもないが、明らかに音楽である。 天井も壁も床も水色の教室に、40〜50人の子供達がそれぞれ、グループで、あるいはひとりで、別々のことをやっている。 見慣れない、妙な彫刻のような物体やガラス製のような器具、金糸銀糸で編まれた布地……。そのいくつかはテーブルに、いくつかは床に置かれ、宙に浮いているものもある。 それぞれに子供たちが向かっている。まず目につくのは、赤・緑・金色・黒と、カラフルな髪の毛だった。 顔つきも、カズマと同じようなすっきりした東洋人顔もいれば、白い肌に透き通るような青い目も、健康的な茶色い顔の子もいる。 服装も色々だった。一番多いのが、パステルカラー一色にそまった袖なしのシャツだが、裾を短く切り詰めた着物のようなもの、医者や牧師のような格好のもの、顔と手が出せる一枚の布地みたいなのもある。ズボンよりも薄手のタイツが目立ち、少ないがスカートの子供もいる。スカートは女の子とは限らない。 カズマぐらいの年頃の子供が多いが、六歳ぐらいの子や高校生ぐらいに見える男女も混じっていた。男女の割合は同じくらいだろう。 「ホホーウ! カズマの世界でも、僻地のような生徒数の少ない学校では、皆一緒に同じ部屋で勉強することもあるよね。けれど、人数のせいでまちまちの年齢の子供が一緒になった授業が行われているわけではなく、年齢に関係なく興味のある生徒が集まっているんだ」 皆、他のグループの邪魔にならないよう、声をひそめてひそひそ話しあっている。 よく聞くと、「ニューターをここでループさせれば安定するんじゃない」とか、「惑星間ルールはシラフォの交換で決議されたんだ」とか、わけの分からないことばかりだった。けれども、それぞれ何かの勉強であることは分かるし、驚いたことにすべて日本語であった。 「ホ、ホーウ! 聞こえる言葉は、本当にエポカで使われている言葉ではないんだ。ホログラフィには見ている人の言葉に吹き替える機能がついているのさ。ただし、エポカの標準語はただひとつで、国なんてものもないんだけどね」 「国がない! そういえばさっきフーパが国境などの境界を無くさなければならない…とか言ってたけっけ」 ――だとしたら、いろんな人種の子供達がいるのも納得できる―― 今も昔も世界のあちこちで戦争や内紛が起き、たとえ戦争がなくても、国の中でテロや弾圧が行われたりしている。カズマは日頃からお父さんと一緒にテレビを見ながら、人間というものの愚かしさを子供ながらに嘆くことがあった。 「なんで世界はひとつにならないのかな?」とお父さんに訊ねたこともあった。 「経済的利害とか、人種や宗教の違いとか、いろいろあるんだ」お父さんの答えはそれだけだった。 カズマには、国のない『ひとつの世界』に生きるエポカの子供達が羨ましく思えた。 ひゅるる、ひゅるるる……さっきから流れている音楽は、片隅に立った三人組が演奏しているものだった。宙に浮いた光の玉を囲むようにして、リズムをとるように身体のあちらこちらを動かしている。 「ホーウ! あれは、カズマの世界にもあるテルミンのような楽器だよ」 「テルミン?」 「ホ、ホーウ! テルミンというのはロシアで生まれた、カズマの世界で最初の電子楽器だよ。アンテナに手を近づけたり遠ざけたりして、音程や音量を調整する楽器だけどね。ただし、あの三人が演奏している楽器は、身体のさまざまな動作を読みとって音にしてくれるんだ」 見ると、三人に近い場所で赤毛の女の子が耳を傾けながら、ときどき紙に鉛筆で何かを書きとめている。 「ホーウ! あれはね、音楽の印象を詩に書きとめているんだ。エポカの授業では、全然違う種類の勉強が結びつくこともあるんだ」 別の場所では男三人、女二人(うちひとりは高校生ぐらいに見える女生徒)で、何やら話しながらモニターのようなものを使って、モニターの中にキャラメルぐらいの大きさの赤と白の積み木を重ねたり、つなぎ合わせたりしている。 カズマにはテレビで以前見たことのあるコンピュータグラフィックスのようなものに思えたが、つくられているものは芸術的な代物とは思えなかった。 「ホホーウ! あれはプログラミングなんだ。カズマの世界でいえば、パソコンでメールを書いたり計算したり、お絵描きをしたりするための道具を作る技術かな」 別の机で箱と細いガラス棒のようなものを組み合わせているのは、エポカ世界の仕組みの勉強で、何やら体操めいたことをしている子供たちは、人間が身体全体で呼吸する仕組みを学んでいるらしい。 「ホ、ホーウ! エポカではひとりひとりが小さい頃から自分に合った勉強をすることができるのさ。でも、そのうちに他の勉強にも興味をもち始めるかも知れない。皆が一緒の部屋でやっていると色々な創造力が啓発されるんだよ」 フーパは皆の様子を見て回り、勉強の内容を解説した。そして、ときどき笑顔で声をかけている男の人が担任のソランジュ先生だということを教えてくれた。 ソランジュ先生は銀色の髪の毛、白い肌に水色の瞳、歳は30歳くらいだろうか。瞳と同じ水色のピッタリしたシャツを着て、時おり手にした葉書ぐらいの大きさの透明な板に指先で何かを書いている。フーパによると、メモでもあり、学校内の別の部屋への連絡装置でもあるらしい。 「先生は難しそうな科目を全部マスターしているの?」 「ホ、ホーウ! ひととおり、基本的なことは知っているけど。でも、専門的なことになると先生よりずっと分っている生徒もいるよ。先生の仕事は、生徒同士が教え合うのを助けたり、あとは褒めたり励ましたりすることなんだ」 「褒める?」 「ホウ! 子供たちのやってることに意味を見つけて、褒めて、元気づける。それをうまくやることが、教師としての能力なんだ。カズマの世界に当てはめて考えてみると、授業中に生徒が勝手にマンガを描き始めた。でもそのマンガに輝くものがあれば、それを見つけて褒めたりすることもあるわけさ! 勉強として、認めてやるんだ」 「へええ! ぼくらの場合には、ノートを取り上げられるか、教室の後に立たされるのがオチだけれどね。怒られることはないのかな?」 「ホーウ! もちろんあるさ! エポカでは子供と大人を区分したり、保護という名目で差別したりすることはないから、悪いことをした生徒は相応に怒られたり、処罰されたりするんだよ」 「子供と大人の区分が無いって?」 「ホ、ホホーウ! この話をすると長くなるから、またあとで詳しく話すことにするよ」 ソランジュ先生はひとりで粘土とゼリーの中間のようなものをこねている8歳ぐらいの女の子に、さかんに笑顔で話しかけていた。 「面白そうだね! それは何になるのかな?」 「分かりません。ただ、見ているうちに、何かカタチが生まれそうな気がしてきたんです。この中から何かが『生まれたい!』という声を上げているような」 「いいね! その声を聞けたというのが、君の力だよ。頑張って作ってごらん!」 「はい!」女の子はあさ黒い顔を輝かせた。 その時だった。 「だから、何で分からないかな!」 ハッとしてソランジュ先生が振り返る。 声をあげたのは、積み木のようなもので『プログラミング』しているグループの赤毛の男の子だ。年の頃は、カズマと同じぐらいだろうか。 「ムッチェは箱のようなものだろ? その中にはニューターの第二階層に渡す数値データが入っている。でもムッチェの中身はすぐ変わるから、それをマッチェに監視させて、マッチェの場所はピッチェに覚えさせておけばいいじゃんか!」と赤毛の子が言った。 「なんで覚えさせなきゃいけないの?」 高校生くらいのやせた東洋風の顔をした女生徒――頭はつるっぱげだけど、妙に似合っている――が、困ったような顔をした。 「そんなことしなくても、ムッチェをいつも目に見えるトップに置けば……」東洋人顔の女の子が銀色の積み木をいちばん上に置こうと操作する。 「だめだめ!」赤毛の子は乱暴に積み木を取り去る操作を行った。 「前と同じ失敗を繰り返すだけだよ!」 「アウルくん!」と、ソランジュ先生がたしなめる。 赤毛のアウルは、驚いたように3次元モニター内の積み木を掴んだまま固まった。 「君はグループのリーダーなんだから。もう少し分かりやすい言葉で、優しく教えられないかな?」 「でも……」 「たとえば君が、まだステルノ理論を知る前の頃、今の君の説明で呑み込めたと思うかい?」 アウルが言葉に詰まって年長の女生徒の方を見ると、恨みがましい、ちょっと泣きそうな顔をしている。 「アウルくんがこの分野のスペシャリストを目指すなら、考えていることを自分以外のレベルのひとに伝える努力が必要なのは、分るよね?」 「……はい」 「作業の最終段階では、シータの……」と、ソランジュ先生は年長の女生徒の肩に手をかけた。 「デザイン・センスも必要になる。そのときは彼女が教える役目だ。今、君がよい教え方をしておくと、いい形で返ってくると思うけどね」 「分かりました。ごめんね、シータ」 つるっぱげのシータは、「いいのよ」という風に笑顔で首を縦に振った。 アウルは、銀の積み木を元の場所に戻しながら、「そもそもムッチェの役割は……」と分かりやすそうな言葉で――と言っても、カズマにはちんぷんかんぷんだったが――説明を始めた。 「ホ、ホーウ、エポカでは、自分の学んだことを人に教えることも大事なことなんだ」 カズマは中学の頃、担任の丸顔の浜村先生が『先生月間』というのをやったのを思い出した。その月の社会科は、班ごとに好きな課題を決めて『先生』として『授業』するというものだった。 最初の授業では、マッキーこと牧原ノリオくんが班の代表になって『目黒のサンマ』という落語を、江戸時代の暮らしの解説を折り混ぜながら演じた。次はカズマの仲良しのダイスケの班が『総理大臣の一日』という寸劇をした。 どっちも面白かったが、特にダイスケの総理大臣のモノマネは思い出すたびに吹き出しそうになる。 カズマの班は次の次に予定されていて、原始時代の生活を再現したビデオ映画を撮ろうと盛り上がっていたのだが……中止になってしまった。 何人かの母親たちが、「高校受験を控えている子もいる大切な時期に、遊びみたいな授業をするなんて!」と抗議したようだった。「教えるのは先生の役目でしょう? それを子供にさせるなんて!」とも言ったらしい。 「でも、おかしいわよね。子供たちに授業を任せることだって、立派な『勉強』だと思うわよ」とカズマのお母さんは言っていたけど、学校での新しい試みというのはひとりでも抗議する人がいれば潰されてしまうことがほとんどらしい。 カズマはこのことをフーパにかいつまんで話してみた。 「ホホーウ! カズマの社会での教育は、子供の個性や興味以上に進学や就職に有利になるようにといった社会的要請に基づいているからね。社会的要請というのは資本主義という社会システムの要請なんだけど。つまり、『稼がなければ生きていけない』社会だから、仕方ないかな。大部分の人にとって教育は目的であるよりも手段だからね。このため、いきおい子供の個性を無視した点数評価の受動的な教育になってしまって、生徒にとっては退屈な授業が多くなる。教育を手段と割り切って、これに耐えることのできる生徒が優秀な生徒であるということになる。おもしろおかしい授業や創造性の涵養を試みる先生は、受験競争と両立しないため学校を辞めざるをえなくなったりもする。受験競争で負け組みになった子供は、楽しさや創造性に欠けた教育への反動もあって、ゲームに熱中したり、非行に走ったりするようなことになる。 未来社会においては、『稼がなければ生きていけない』ことから解放されているので、教育も『稼ぐための手段』から解放されるんだ。大部分の人にとって、人生の目的は『人々に喜びを与え感謝されることや自身も楽しむこと』に置き換わっているから、教育も手段ではなく目的になるのさ」 「『稼がなければ生きていけない』社会ではなくなるの?」 「ホーウ! そうだよ。『社会の仕組み』が全然違うからね。『選択の自由』が制限されていることも関係あるな」 「『選択の自由』って?」 「ホ、ホーウ! カズマの世界の義務教育では、最近は公立の学校であっても『学校を選べる』ようになったりしているよね。エポカの世界では、個人教育や集団教育といった『教育の方式』、『学校』、『先生』や『受けたい教育内容』も個人の選択の自由に任されているんだ」 「『社会の仕組み』と教育はどう関係しているのかな」 「ホ、ホーウ! 社会が機能するには『仕組み』が必要だけれど、エポカの世界では皆が『仕組みを守ること』だけではなく、絶えず世界の望ましい姿を思い描きながら、現在の『仕組み』の意味や改良を考えているんだ。エポカ世界の『仕組み』がどうなっているかについては、いろんなホログラフィを見てもらえれば徐々に分かってくると思うけど」 フーパの説明が抽象的に思えたのかカズマは首をかしげた。 「ホーウ! たとえばね、カズマの世界では誰もが学校に行く。そのわけなんてものは普通は考えない。『仕組み』は無条件にあるものとされている。だけどエポカの世界では、親と子供、先生と生徒が『学校に行くことの意味』を話し合う。そして、どうしても納得できない場合は学校に行かない場合もあるわけさ。学校教育が教育の全てではないからね」 「へえ! でも、そういうことって、子供に自分で自分のことを決める力がないと……」 「ホ、ホーウ! その通り! エポカでは、子供にそういう力があれば、カズマの世界では考えられないようなこともできるのさ。それが、今から分かるよ!」 「考えられないこと……って?」 「ホーウ! 『勘当』って言葉を知っていると思うけど」 「知っているけど?」 テレビの時代劇で、大きなお店のご主人が放蕩息子に「カンドウだ!」といい渡していた場面をカズマは思い浮かべた。 「ホウ、ホーウ! 親子の縁を切ることだよね。『お前なんて、もう子供とは認めん!』というわけさ。江戸時代には二種類あってね、正式の勘当とそうじゃないのがあったそうなんだ。正式なのは、お役所の勘当帳というのに記録してもらって、本当に何から何まで親子じゃなくなる。でも、ほとんどは家族の中で決めるだけの勘当だったみたいだよ。とりあえず、子供を家から追い払うだけ」 × × × いつの間にか、ホログラフィのシーンが替わっている。 さっきより狭い水色の部屋、狭いと言ってもカズマの家でいちばん広い茶の間の二倍ぐらいはあった。 薄い緑の机の前で、同じ色の椅子に座ったソランジュ先生と赤毛のアウルが向かい合って座っていた。 さっきのことでまだ怒られているのだろうか? 「ホーウ! これは、アウルが先生に相談事のために来たんだよ」 部屋の床はカマボコの断面のような半円形で、半円形の側に大きな窓があり、山の景色が見えている。通学風景のときに観た学校には窓が見えなかったのだが、フーパの説明によれば、この校舎の建物には『外からは見えない窓』が使われているらしい。 机は窓のそばにあり、何冊かの本と教室で先生が持っていたような透明な板の様々な大きさのものが積み重ねられている。 「ホーウ! いろんなものが映るし、自分で書き込むこともできるカズマの世界でいうパソコン、テレビや新聞の代わりなんだよ」 平面の壁の側にはドアや本棚があり、壁には下敷きぐらいの大きさの絵がたくさん飾られていた。いろんな色のセロハンを重ねたような絵やごく普通の肖像画もある。中には、木に花が咲いて散って……という風に変化していく立体的なものもあった。 「ちょっと眩しいな」 そういうと先生は、窓に手をかざしてスッスッと十字を描くように動かした。 窓全体が少し曇って、アウルの赤毛を輝かせていた光が薄らぐ。 「さて、アウルくん」 「はい」 「子供が親を勘当できる。これはエポカの世界ではかなり前から行われていることだけれど……君は両親からひどい仕打ちをされているわけでも、愛されていないわけでもないよね」 先生はそこで言葉を区切ってアウルの顔をじっと見た。 「エポカでは子供が親を勘当できるの?」カズマは頓狂な声を上げた。 「ホウ、ホホーウ! 子供は産み親を選ぶことはできないから、育ての親を選ぶことができるようになっているんだ。親による子供の虐待などを防ぐ手立てなんだけれどね。子供の申し立てによって、子供が親を勘当することができるんだ」 「……問題は、まず、両親が君にひどい仕打ちをしているとか、君の選択の自由を奪っているとかだけど」 「そのようなものです」 「それが勘当するに充分な理由で、判断も間違っていないと思うのかね?」 アウルは唇を噛んだ。 「間違っていない……と思います」 「思うことと実際にやることは、別だよ」 「それは分かっています。でも……」 アウルは慎重に言葉を探している。 「このままじゃ良くないのは、確かです」 「ホーウ! アウルの両親はエポカ世界のちょっとした有名人なんだ。父親はファッション・デザイナーで、誰でも着られるようなシンプルなシャツから、飛び切りの奇抜なドレスまで、何でもデザインする人なのさ。歴史にも詳しいから、昔の話を扱ったホログラフィ・ドラマの衣装デザインを任せられることもある。そんな縁で知り合ったアウルの母親は女優でね、気品があって歌も上手で……とにかくパーフェクトなスターのように言われているね。だから、二人とも皆の尊敬を集めている。エポカの世界じゃ、政治家よりも何よりも、彼らのようなアーティストの方が評価されるからね」 ――そんなに立派な両親をアウルはなぜ勘当したいのだろう―― 「まず、ぼくには二人が一緒に暮らし続けている理由が分かりません……互いに愛し合っていないのは、明白ですから」 「ふむ……」と言って、先生は机にあった板を一枚取り上げた。 その表面をなにやら指でなぞると、板の表面に、緑に包まれた広い庭園のようなところで着飾った大人たちが歩き回ったり、お喋りしたりしている場面が映った。 「ホーウ! 映っているのは、エポカのニュースのようなものだよ。カズマの世界でいうマスコミの人達が集まった大きなパーティを伝えているんだ」 先生が板の一点を押すと、動きが止まってその部分が拡大された。 銀色のドレスを着た、抜けるように白い肌の美しい女性と赤毛の男性が、腕を組んで微笑みながら誰かと話している様子だ。男性は髪だけでなく全体の顔立ちもアウルによく似ていた。 これがアウルの両親らしい。 「ロビンとマリーが映っているけれど、君の話しからは……とても考えられない光景だね」 アウルの父親の名はロビン、母親の名はマリーというらしい。 「見栄っ張りなんです、父も母も。自分たちが幸せであるように見せたいんです。そんなところも偽善的で……とても嫌です」 「この世界じゃ幸せであることが最高の価値だからねえ」 「最近じゃ、父が家に帰ってくるのは週に一回……それでも帰ってくるのは、ぼくと妹のアニーの顔が見たいからかな? 父と母は、お互いに顔を合わせるのも嫌みたいです」 「でも、別れない」 「見栄っ張りですからね」アウルは例の板を指した。 「別れは不幸なことでしょう? 世間の尊敬を集めている自分たちが、不幸だと思われたくない。あらゆる意味でパーフェクトでありたいんです」 「パーフェクト?」 「それは、母の口癖でもあります」 「よく思われたい、評価されたい。これだけはどんなに世の中が進歩しても、変わらない欲望だね。前世では、お金を持っていることが社会的ステイタスであったりしたが」 「らしいですね」 「ああ! それに比べると、その人の生き方そのものが評価されるようになったエポカは、よい社会だと思う。あの記念すべき日以来……」 「そういえば、来月はエポカの記念日ですね。楽しみだな」 「記念すべき日って、何の日なんですか?」 「ホホーウ! エポカ世界の誕生日で、世界中でイベントが行われるんだ」 「革命記念日とか?」 「ホーウ! 革命といえば、世界同時革命みたいなものだね。歴史上これ以上の革命はなかったろうね。けれど、血は一滴も流れたりしていないよ」 「では、何があった日なんですか? 世界がひとつになった日とか」 「ホーウ! エポカの誕生日よりずっと前に、世界はひとつになってきていたね。財産の相続制度が無くなったり、お金が『配当』というものに置き換わったり、借金というものが全て無くなることになったり……エポカの理念に基づいて、社会や経済の仕組みが一夜にして切り替わった日なんだ」 「世界がひとつになった日よりも歴史的な意味がある日なのかな。どのようにしてそうなったのか詳しく話してくれない」 「ホーウ、ホウ! 詳しくという訳にはいかないけれど、あとで、録画が観られるよ」 「楽しみだな」 「ホホーウ! ということで、エポカの人達はこの日以前を前の世界、つまり『前世』と呼んでいるんだ」 「まるで、ぼくらが住んでいる世界が『あの世』であるかのようですね」 「ぼくは、父と母が別れたところで、才能と実績への評価は変わらないから構わないと思うんですけど」 「ほとんどの人はそう思うよね。思わないのは……」 「父、母、自身です」 「古いんだよね。どだい、パーフェクトなどということがあるって考えていること時点で、古い」 「はい!」 ――先生が、生徒の親を批判している。事実と思えることは、相手の立場も考えずに、何事にもハッキリいうのがエポカ流なのだろうか―― 「母には妙に夢見がちなところがあって……前世のエライ女の人を演じるのが得意でしょう?」 「ああ! 『歌手マリア・メイの生涯』は、先生も楽しんで見せて貰ったよ」 「そうすると、なりきっちゃって。昔の人の価値観みたいなのが、身についちゃったんです。『パーフェクトな女性』という価値観が流行っていた時代の……」 「お金と肩書きで評価する前世への回帰願望かね」 「『血のつながりがなによりも大事』……とか」 「今でもそういう価値観で生きているコミューンの人々もいるよ」 「なぜでしょう? 自由に、何でも自分で決められる世の中なのに」 「それが重荷に感じる人には、お決まりの価値観の方がいいんだよ」 「母は女優です。何かを与えられて、演じるのが好きな人だから……」 「私生活でも、パーフェクトを演じようとしているのかも知れないね」 「それを、父やぼくやアニーにまで、押しつけようとするんです。最初にうんざりしたのは……父でした」 アウルは曇った窓の外、ぼんやりした緑が揺らめくのに目をやりながら、言葉を選んで言った。 「もの心ついた頃、印象に深いのは二人が口論している姿でした。今になって思うと、母は絶えず父に言葉の洪水を浴びせて、自分の理想の姿にしようとしていたんです。……それはやがて、ぼくの方に来ましたからね。彼女の見えないところで何をしていたか、今何を考えているか、これから何をやろうとしているか……そんなことを絶えず訊いてくるんです。そしていつも、必ず『あなたはこうした方がいい』というアドバイスがあって、次にはそれを守っているかどうか問い詰めるんです」 「型にはめようとしていたわけだね。どっからそんな『型』を見つけてくるんだろう?」 「尊敬する歴史上の人物ですね。たとえば『歌手マリア・メイの生涯』でいうと、マネージャーとしても作曲家としてもマリアを支え続けたハワード・メイです。そして、二人の息子で世界的な……何だっけ、昔の楽器……白い歯と黒い歯が……」 「ピアノ」 「そう、ピアニストになったマイルス・ケイ。この三人の写真は、家のあちこちに飾られているんです。母の部屋だけじゃなく、あちこちに、ですよ!」アウルは苦々しげに言った。 「先生も知っているよ。とても気品のある、美しい顔の家族写真だ」 「昔風の言葉や、今では全く意味のなくなったテーブルマナー?……ですか。それを、自分だけじゃなく、父やぼくに押しつけようとしました。それどころじゃない、ネクタイなんてバカバカしいものを締めさせようとしたんですよ!」 「ネクタイを? へぇー!」 その驚き方を見て、カズマは言った。 「自分たちでいえばチョンマゲを結わせようとしているぐらいおかしなことなんですかね」 「ホ、ホウ! でも、なぜカズマの世界ではチョンマゲはおかしくて、ネクタイはおかしくないのかな?」 「そんなこと……考えたこともなかったけど」 「ホウ! 大人の男の人が、皆していることだから……?」 カズマは、ある蒸し暑い朝、出かける前のお父さんが言っていたのを思い出した。 「こう暑いと……これがホント、苦しいんだよな」 そう言って、ネクタイを締めていた。 「ホウ! 皆しているから……仕方なしに……かな。でも、分かるだろう? エポカじゃ『皆しているから』なんてことは、理由にならないんだ! 虚礼のようなものや意味不明に思えるしきたりや慣習なんてものは、自分には用がないと思ったらやらないんだ」 先生とアウルの会話が続いた。 そうこうするうちに、アウルの父はついにキレてしまって、外に恋人を作り、家に帰らなくなった。たまに帰っても、アウルの母を避ける。何ともいえず冷たい空気が流れる。アウルは自分自身もたまらないし、それ以上にアニーが可哀想に思った――とのことであった。 「いちばん辛いのは……」アウルは顔を歪めた。 「母の悪口を、ぼくやアニーにぶつけるんです。『やめて』と言っても、通じないんです。『そんなにイヤなら、別れれば!』と言ったら、『お前が決めることじゃない!』って、怒鳴るんです」 「うーん……」と先生は、腕組みをした。 「どうでしょう? 勘当するのに、充分じゃないですか?」 「そうだね、君が両親の冷え切った関係に嫌気がさしたり、対面を取り繕う姿に憤慨していることは別としても、理性的に考えれば……子供達の意に沿わない価値観を押しつけたり、選択の自由に制限を加えたりしている……と解釈できる」 先生は立ち上がり、ゆっくり歩きながら話し続けた。 「君の今後のためにも、そして妹さんのためにも、その方がよいように思える」 「ですよね」 「しかし……」と先生はつぶやき、壁の絵――色セロハンを重ねたようなやつだ――の前で立ち止まり、アウルの方を振り返った。 「このエポカの世界にも、理性では片づけられないものがある」 「というと?」 「君はお母さんや……お父さんを、見限ることができないと思う……愛しているんだ」 アウルは胸を衝かれた様子で、唇を噛み、目を伏せた。 いつの間にか、窓からの光が夕焼け色に染まってきている。 「ご両親について話している様子から分かるよ。お母さんの悪口が耐えられないのも、愛しているからだ」 「そんなことないです! 父が母を罵るのも、醜いと思うから……」 「違うと思うけど」先生は、静かに断言した。 赤い光を受けた顔は、どことなく厳かに見える。 「ぼくは親を勘当したある子供を知っている。その子はもっと、親に対して冷たかった。今のアウルくんのように、愛情をこめて親のことを語ることはしていなかったと思う」 「愛情をこめて? ぼくが?」 「その子は母親と弟と三人住まいだった。母親はその子の中に自分を裏切った男の面影を見つけ、憎んでいた。成長するにつれ、その子が父親と同じように数学と美術に関心を持つようになったことを呪わしく思った。その子が勉強しようとするのを邪魔した。そしてついに、その子が何カ月もかけて完成させたオブジェをメチャメチャに破壊した。それはその子にとって、自分自身が暴力を受ける以上の苦痛だった」 そう語るとき、先生の顔が苦痛に歪んでいるように見えた。 「その子はオブジェの残骸を貼り合わせて、一枚の抽象画を作った。その絵を、『旅立ち』と名づけた」 もう一度、壁の絵の方を見る。 ――すると、色セロハンのように見えたのは、オブジェの残骸だったのか!―― 「旅立つために、彼は母親を勘当した」 アウルも立ち上がり、絵の方に近づいた。 「分かるかい? この絵に込められた気持ちが」 「抽象画は……どうも……」 「彼はその絵を作っている時、徹底的に『ひとり』だった。ひとりであることと向かい合えないと勘当も独立もできない」 「その子は、それからどうしたんですか?」 「コミュニティ・スクールで暮らしながら勉強を重ね、教師になったよ。今もひとり住まいだ」 ――やっぱり、きっとソランジュ先生は自分のことを話しているんだ―― 「彼は、今でも正しいと思っているんでしょうか? 勘当したことを」 「ああ! でも、君は自信がないんじゃないか? つまり、『後悔するかしれない』と迷っているんだろう?」 「…………彼の弟は、どうなりました?」アウルは質問には答えないまま訊ねた。 「しばらく母親と暮らしていたが、15歳のときに独立して、今ではスポーツ施設の運営に関わっている。そこで知り合った女性と暮らし、子供もいる。幸せそうだよ」 「そうですか」アウルは考え込んだ。 勘当の後に心配なのは、アウル自身よりも妹なのかも知れないな――とカズマは思った。カズマの親友のダイスケも妹をすごく可愛がっている。 「もうひとつ、訊かないのかい?」 「えっ?」 「その子の、母親のことだよ」 「あ! はい……」 「彼女は弟が独立してから半年ほどして精神を病み、入院したんだ」 アウルは衝撃を受けたようだった。 「だが、そこでの一年の生活で得た友人と緑の保護のためのサークルを作り、その活動に生き甲斐を見出して、今は元気にしているようだよ」 「よかった」 先生は窓に近づき、手で胸元から左右に開く動作をしたあとで指をパチンと鳴らした。 すると窓がスゥーッと白くなり、巨大なスクリーンのようになった。 今度は指先を何か文字を書くように、複雑に動かした。 すると、部屋の灯りが消え、さっき教室で演奏されていたようなフワフワした音楽とともに、スクリーン一杯に星が映し出された。 「大人になった彼には、母親からときどきメールが送られてくるようになった。そのうちの一通だよ」 先生がいうと、エコーのかかった落ち着いた女性の声が部屋に響いた。 × × × 「私の息子――そう呼びかけることが許してもらえるなら。 この前の手紙で伝えたように、私はあなたを恨んでいた自分を恥じるようになりました。それは私自身の成長の証しかと思います。私はあなたから勘当を受けることで、自分を振り返るチャンスを得られたのです。その点では、大いに感謝しています。 この頃は、過去の自分の反省が心の大きな部分を占めるようになりました。少し、涙もろくなったようにも思います。私が度々溜息をついていると、友達のロージーが――彼女のことは、書きましたよね?――相談にのってくれました。 私は全てを語りました。自分がどんなにひどい母親だったか。どんなにか過去の失敗を悔やみ、取り戻せないことを苦しく思っているか……。時間を逆戻りさせることができたら! 何度もそう言って私は彼女の前で泣きました。 ロージーはいつも私を優しく慰めてくれます。そして、今回は考えられないような素敵なプレゼントをくれました。ロージーは、夢を買うんだということで、いろんな籖を買っていますが、信じられないことにペアの惑星間旅行に当籤したんです。そして、チケットの一枚を私にくれました。今の私には、宇宙に出てみることが一番よいと。 そしてこの手紙は、スペースシップの中で書き綴っています。ロージーは私の隣にいてこの素晴らしい夢を楽しんでいます」 「籖なんて賭け事みたいなものが、エポカにあってもいいんですか?」 「ホーウ! お金を掛けるような籖はないけれど、宇宙旅行のような費用のかかる楽しみについては、希望者に対して機会均等にするためこういった籤引きが行われているんだ」 「私たちの星の美しさは、実際に見てみると息を呑むほどのものです。ですが、もっと心を動かしたのはそれが遠ざかる時――宇宙のかけらのひとつに過ぎないという事実でした。 あふれるほどの星々の中のひとつ。その中の、ほんの小さな存在である私。そう思っただけで、過去の失敗にくよくよするのが馬鹿らしくなってきました。この神秘あふれる宇宙の中で、今を生かせてもらっていることを、ありのままに受け入れよう……そんな気持ちになりました。 そして、ツアーのオプションで上映されたホログラフィを見ました。 五十億年の寿命をもつ太陽の誕生。それは最初、宇宙を漂う水素ガスに過ぎなかったのです。そのガスとガスが引き合い、やがて巨大な固まりになって――水素どうしの核融合反応で燃え上がり、恒星となるときの目も眩む美しさ! できあがった太陽に、引き寄せられながらも、呑み込まれず、惑星となった宇宙のかけらたちがそれぞれの個性的な姿に変貌していく面白さ。太陽からの距離と惑星自身の大きさのせいで、ガスに蔽われた星になったり、水を湛えた青い命の星になったりして行くのです。そして、幾多の天変地異を経て、人類が登場した。それはもちろん、作られたショーでしたけど。宇宙で観るとき、何ともいえぬ説得力を持って迫ってきました。 私の命、その存在は私自身にとってはかけがえのないものですが……。この大宇宙の変化の相の中の奇跡とも言える偶然に過ぎません。 こだわりを捨てよう。ありのままの自分を生きよう……そんな気持ちが昔の私にもあればよかったのかも知れませんね。 この旅は、あと三ヶ月続きます。また、何か発見があればお手紙を出しますね」 × × × スクリーンに映された星々は消え、音楽が止み、灯りがついた。 アウルはひどく心を動かされた様子で、立ちつくしていた。 「昔の彼女なら、考えられなかったような手紙だよ」 「そうなんでしょうね……」 そして、アウルは先生に一礼した。 「今日はありがとうございました」 「何か考えができたようだね?」 「はい。とりあえず、勘当する前にやってみます。宇宙旅行というわけにはいきませんけれど」 「来月はエポカの日が来るからね。いい機会だと思うよ。この日だけは、皆、嫌なことを忘れるからね」 「それなんです! エポカ誕生の録画を皆で観てみようと思うんです。あの感激を思い起こしてもらえれば……」 「いいかも知れないね。エポカ誕生のいきさつを考えてもらえれば、いろんなこだわりから解放されるかもしれないね」 「そうですね。ありがとうございます」とアウルはドアに手をかけてから、もう一度、先生に振り返った。 「訊いていいですか?」 「何だね?」 「その子……その人は、考えているでしょうか? 母親の勘当を解くことを」 「たぶんね。宇宙旅行の話も詳しく聞きたいしね」 アウルは心底嬉しそうに笑うと、もう一度「失礼します!」と言って出ていった。 「ホーウ! エポカでは『親を勘当する』というのは、養育者としての親を拒否するということなので、自立した大人になれば、親を勘当しておく必要もなくなるんだけど……」 「ソランジュ先生の『たぶんね』の意味は、心の中で母親を許すということですよね」 |
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