未来からのメッセージ

談話室 配当というお金(1)

「今までの話の中に『キホンハイトー』、『トウシハイトー』とか『ジュケンハイトー』という名のポイントの話が度々でてきたけれど、エポカのお金のことがよく分らないんだよなぁ〜」
「ホウ、ホホー! カズマが分らないのはもっともだと思うよ。まだきちんと説明していないから。エポカ世界を理解するには『配当システム』を理解することが不可欠なんだ。お茶でも飲みながら説明することにするよ」
カズマは再び窮屈なヘルメットを脱いだ。
フーパの後について、なだらかな勾配のあるチューブを下り、次のドームに入ると小部屋が幾つかあった。そのうちのひとつ、食堂と同じような透き通ったドアを開けると談話室風になっていた。部屋の中央には『市長の選挙』の市長室にあったようなスクリーンがあり、スクリーンの前にソファやテーブルがいくつか置いてある。部屋の後ろには自動販売機のようなものがふたつ置かれている。
「ホホー! カズマの好きなものを選んでみては」
左側の『販売機』には様々な飲み物の絵が張ってある。街中にある自動販売機と同じようなものであると思えたので、カズマがオレンジジュース風の絵のボタンを押すと、カップがセットされ、絵と同じ飲み物が注がれた。今度は、右側の『販売機』をみると茶菓子の絵が並んでいた。同じように、洋菓子風のケーキを選んでボタンを押すと、皿に載ったケーキが出てきた。
カズマは誰もいない部屋の中央のソファに腰掛け、テーブルにジュースとケーキを置いた。カズマがテーブルの上のものを平らげ、ひとしきり寛ぐと、フーパが言った。
「ホーウ! それでは『配当システム』について説明を受けることにしようか」
「えっ! フーパが説明してくれるんではないの?」
「ホーウ! ここには、ヴァーチャルリアリティの専門の説明者がいるんだ。結構難しい話なんでね。でもエポカの世界の仕組みを理解する上で不可欠な話をしてくれるはずだよ。そういうことで、我輩は楽をさせてもらうことにする」
ヘルメットを被ると、スクリーンには、カジュアルな服装の四十歳くらいに見える説明者の姿が映っていた。
「私の名前はエンリケといいます。宜しくお願いします」と自己紹介した。
「それでは早速ですが、エポカ世界の配当システムが目的としていることを申し上げます。この配当システムは、次のような点を狙いとして前世の経済システムを改めています。
一番目は、命の次に大切なものがお金という拝金主義の社会を『徳』の社会に変えることです。
二番目は、お金にまつわる憎しみ、騙し合い、殺人、自殺、腐敗、罪悪、様々な争いを無くすことです。
三番目は、お金を稼ぐための労働以外の活動、つまり家事、育児、ボランティア、思いやりや気づかいなどについても応分の報酬が得られるようにすることです。基本的人権や生存権を経済的に保障するためのものでもあります。
四番目は、生まれながらの社会的不平等や雇用者と被雇用者、夫と妻、親と子など経済的な関係に基づく不平等をなくし、平等な社会にすることです。
五番目は、過度の競争を強いる利益追求社会を改めることです。
六番目は、世界大戦の原因にもなったような信用恐慌を発生させないようにすることです。
七番目は、経済成長がなくても破綻しないような社会の仕組みにすることです」
「ずいぶんいろんなことを考えて生まれた仕組みなんですね」とカズマがいうと、スクリーンの映像が停止し、音声も止んだ。
「あれ、止まっちゃった。喋ってはまずかったのかな」
「ホーウ! そうではない。ここのホログラフィは説明用なので、見ている人に合わせて動くんだ。見ている人が話をすると止まって、疑問や質問がある場合には、応対してくれるようになっている」
フーパがいうように会話が途切れると、スクリーンに図が現れ、説明が再開された。
「『活動』という言葉の意味から説明します。エポカの世界での活動は『自分自身と人の役に立つための活動』のことをいいます。ですから、この『活動』には自分の趣味、家事、育児、ボランティア活動、思いやりや気づかいなども含まれます。カズマ君の社会のような経済活動としての労働も人の役に立つための活動なので、当然、この『活動』に含まれます。このような『活動』であるか否かは行動の目的と結果によります。



次に、三つの配当について説明します。カズマ君も既に耳にしたように、『基本配当』、『投資配当』と『授権配当』のことです。この三種類の『配当』は別々の口座で管理されています。
『基本配当』というのは、無条件に全ての人に支給されます。『活動』ができないために、あとで説明するような『授権配当』を全く貰えないか少ししか貰えない人、充分に貰える人にも支給されます。支給するのはGバンクという通貨管理センターです。この『基本配当』はエポカでの生活を保障するために支給されるものなのです。赤ん坊や寝たきり老人などにも支給されますが、自分ではこの『基本配当』を管理できない場合には、保護者が管理することになります。保護者は一般には親や親族ですが、保護者として適当でないと判断された場合には、選任された第三者が保護者になります。
『基本配当』は生活保障のためですから受給者にとっての必要額になります。必要額は全ての人に同額の基本生活費相当の固定部分と無料扱いの教育費や医療費などの変動部分の合計額になります。この変動部分は主に現物支給で、教育機関や医療機関などのサービスが無料で受けられます。実際には通貨管理センターから利用料金が直接支払われることになっています。ですから、固定部分は生活保障配当、変動部分は福祉配当と呼んでもよいのかもしれません。
この『基本配当』の主要な目的として、先ほど述べたように雇用者と被雇用者、夫と妻、親と子、その他の金銭に起因する支配と被支配関係や差別をなくすことがあります。これによって賃労働と資本の対立といわれているような階級闘争や労働争議はなくなります。居丈高な経営者や非人間的な職場からは人がいなくなります。3Kなどの労賃は大幅にアップし、ロボットなどの技術革新が促進されるでしょう。有史以来の続いてきた男女間の不平等もなくなります。
次に『投資配当』ですが、本人の申請に基づいて、Gバンクが各人に同額の支給を行います。これは『基本配当』や『授権配当』のように物を買ったりサービスを受けたりすることができない『配当』です。その名のとおり、エポカ世界の役に立つ『活動』をする組織や個人に投資してもらうために支給されるもので、Gバンクから運用を任された投資資金のようなものです。投資した組織などが利益を得た場合、投資した人に恩返しとして『授権配当』を支払います。この『投資配当』は赤子や寝たきり老人などには支給されません。理由は、支給を受けた人が投資を行えないからです。このため、投資配当の支給は本人からの申請が必要になっています。それと罪を犯した人は罪の程度に応じて、一定期間『投資配当』の支給量が減らされたり、支給を停止されたりします。
ということで『投資配当』は『基本配当』と異なり、全員ではなく申請した人にだけ一定額が定期的にGバンクから支給されます。
この『投資配当』が目的としているのは、投資を利益追求ではなく人々の幸福の増進を目的としたものに変えることです。そのため、様々な社会的ニーズに対する投資を、前世にみられたような企業、投資家や国などの占有から解放します。選挙が政治家や政党を選ぶものであるのと同様に、活躍してほしい企業や人にすべての人が民主主義的に投資という選挙ができるようにするためです。
最後に『授権配当』ですが、これはGバンクから支給されるものではありません。人が自身の『活動』を他人や組織から認められることによって、その『活動』の褒美や対価として受け取るものです。稼得所得と呼んでもいいかもしれません。この『授権配当』は、『基本配当』と同じように、生活に必要な物を買ったり、サービスを受けたりするために使用することができ、投資に使用することもできます。より多くの『授権配当』を得るには、世の中のためになる人間や組織になること、よりよい物を生産したり、サービスを行ったりすることが条件になるということです。このため、個人が保有している『授権配当』の量が社会的ステイタスの尺度になります」
――フーパが『徳』と『得』が同じ意味をもつとか言っていたのはこのことか――
「家族に対しても、『基本配当』や『授権配当』による支払とか、『投資』とかをしてもかまわないんですか?」
「非常によい質問ですね! そのとおりです。夫は妻に家事労働に対するねぎらいとして、妻も夫に安らぎを与えてくれることの対価として、赤子や幼児は両親に養育してくれることに対して、老人は息子夫婦や孫に介護してくれたことに対して配当を支払ってもかまいません。赤子や幼児の場合には、保護者が両親であれば、赤子や幼児に代わって自分に報酬を支払うことになりますが、一定のルールはあります。もっとも、家族間、特に夫婦間の場合などではお互い様でもあるので、面倒を避けて基本配当の交換をしない場合が多いですけどね」
「家族関係がお金に関する限り他人のようですね」
「そのように見えるかもしれませんが、今までが家族内で一方向の与える・貰うという関係にあったからでしょう。カズマ君の世界のような世帯主というものがなくて、各人の権利は同等で財布は子供でも別々ですからね。財布というのは配当の口座のことです」
カズマは、家族間でも他人に対してと同様にポイントをやりとりするという話に驚いた。そして、フーパが――エポカの世界は『得』の側から見ると『完全有料社会』に見えるかもしれない――と言っていたことが分かった。
「投資による見返りの『授権配当』を繰り返し投資に廻してもよいのですか? つまり金儲けのようなことをしてもいいのですか?」
「もちろんです。カズマ君のいうお金儲けのできる人は、社会の役に立つ商品をつくったり、よりよいサービスを行ったりする会社などの組織に投資するからです。お金儲けは社会のためになる『活動』を支援した結果ということで、褒められても非難されることではありません。エポカの世界は、全ての人に同じ機会を与えますが、すべての結果まで平等にすることは考えていません。投資によって、より多くの『授権配当』を稼ぐ人もいれば、そうでない人もいます。結果の平等を求め過ぎると人の個性や可能性を潰すことになる場合もありますから」
「『投資配当』を受けた人や組織は『授権配当』を手にしたことになるとのことですが、AさんがBさんに一定のポイント投資し、反対にBさんがAさんに同じだけ投資する場合、結果的にそれぞれ自分の『投資配当』を『授権配当』に組み替えたのと同じことになると思うんですが、こういった場合には何も『活動』しないで『授権配当』を手にすることができますよね。こんなことって許されるんですか?」
「カズマ君、流石ですね! いいところに気がつきましたね。AさんやBさんが互いの『活動』を評価して、そのようなことをするのであれば問題ありません。そうでない場合は許されていません」
「こういう『違反行為』のようなことはどのようにして防いでいるんですか?」
「エポカ世界は、秘密の無い社会なのでこういった『配当』の流通経路は全て分るようになっているのです。このような行為が行われた場合には、罰則として一定期間、Gバンクからの『投資配当』の支給が停止されることになっています」
「『基本配当』、『投資配当』と『授権配当』は、種類は違っていても同じポイントですよね、『投資配当』は使用目的が決まっているようですが、使用する際にどのように識別されるのですか?」
「これらは全て電子マネーなので、『配当』の種類つまり口座の種類、誰の手を渡ってきたか、何のために使用されたのかといった情報が記録されるようになっています。このため、使用された『配当』がどのような性質の『配当』であるかを調べることができるのです」
「この『投資』というのは見返りが無い場合もあるので、『寄付』のような面もあると思えるんですが?」
「カズマ君の世界の寄付は、寄付した相手や団体の活動を支援することなどを目的としているので、エポカ世界の『投資』の範疇に入ります。エポカ世界の『投資』は、カズマ君の世界での『寄付』と見返りを期待する『出資』を合わせたような性格のものといえます。しかし、『寄付』は『贈与』ではありません。『活動』をしていない人や組織に投資することはできないからです」
「『投資配当』は個人に対しても使用できるという説明だったのですが、思いやりや気づかいにも使用できるんですよね。これらも『活動』の範疇に入るんですか?」
「これは、支払う側の判断によります。思いやりや気づかいとみなす場合には、受けたサービスへの対価としての支払になるので『投資配当』は使用できませんが、親切な人への支援の『出資』とみなせば『投資配当』を使用できます」
「『投資配当』の使い方として、ぼくらの世界のように利殖目的の投資もできるわけですよね。そうすると、エポカの世界の『投資配当』は株のように売買されるものなんですか?」
「『投資配当』は株とは違います、確かに利殖を目的としたような投資もできるわけですが、株のように売買することはできません。投資した『投資配当』は引き上げることができません」
「『基本配当』は生活権の保障のようなものとして、人に支給されるものだと思うんですけど、会社などの組織にもGバンクから活動保障のような『基本配当』が支給されるものなんですか?」
「いいえ、会社のような組織はあくまでも人や他の組織から提供された『投資配当』や『授権配当』を受け取るだけです」
エンリケはしばらくカズマからの質問を待っていた。
「それでは、話を続けます。Gバンクが『基本配当』や『投資配当』を支給し続けると、当然インフレになってしまいます。このため、Gバンクは『授権配当』から『配当』の回収を行うことになっています。この回収は、『配当』を毎日一定の割合で減価させる方法などによって行われます。ですから、カズマ君の世界のお金とは反対に、貯めこんで持っていると価値が少なくなってしまうようなお金です。それと、一定期間内に活用されなかった『投資配当』も自動的に回収されることになっています。
『授権配当』を回収するための『減価率』はエポカ世界全体の『活動量』の予測に基づいて毎年Gバンクが設定することになっています」
「お金というのは利息がついても、価値が減るようなことは無いものだと思っていました。お金が少しずつ減っていったら皆心配になったり、困ったりするんではないですか。こんなお金はエポカ特有のものなんでしょうか?」
「お金が減価していくと困るかというと、そんなことはあません。減価するお金は貯蓄手段でも金利稼ぎのためのものでもなくなり、交換手段にすぎなくなります。減価貨幣はため込んでいても増殖しないので、モノやサービスを媒介しながら滞りなく流通します。つくられたものが長期間ストックされたり廃棄されたりせずに売れるようになるわけです。減価するお金はモノよりも優位に立つことや支配したりすることができないものになります。
カズマ君の世界にも昔からデマレージという減価するお金がありました。このようなお金が使用されていた古代エジプトや中世の時代には、経済活動が活発になり非常に発展したそうです。第一次大戦後の不況に喘ぐヨーロッパでも、幾つかの地域で、減価分を補うためスタンプを買って貼るスタンプ貨幣という地域限定通貨が不況を克服したものです。成功しすぎたがために危険視され、国の政策で潰されましたけどね」
「古代エジプトの減価貨幣はどんなものだったんですか?」
「穀物は家において置くと、ネズミに食べられたりして品質が劣化していく。泥棒にも気をつけなければならない。このために穀物を預かってもらうのですが、その時に預かり証が発行されます。その預り証が貨幣として機能したのです」
「どのようにして減価させたんですか?」
「例えば、十袋預けて、一年後に戻してもらう時には九袋しか戻してもらえない。一袋は預かり賃なわけです」
「世界史の勉強では、減価するお金のことや経済が発展した中世のことは習わなかったな。ヨーロッパの中世は魔女狩りが行われたり、ペストが流行したり、暗黒なイメージしかないけど」
「教科書にはそのように書かれているみたいですね。それらの中世の姿はデマレージ貨幣がなくなってからのことです。中世の数多くの壮大なゴシック建築の教会は、それ以前のデマレージ貨幣によって豊かになった民衆の寄付によって造られたもののようです」
「意外ですね。そんな素晴らしいお金を誰が発明したんですか?」
「封建領主ですけど。もっとも、彼らは善政のために発明したのではなく、財源調達の手段として薄っぺらな価値が減っていく『悪貨』を発明したのです。定期的に貨幣を改鋳し、新貨幣と交換させることにして、旧貨幣での三千円を新貨幣二千円と交換するようなことを行ったのです。悪貨は良貨を駆逐します。減価貨幣という悪貨は良貨としての利子貨幣を駆逐したというわけです。遠方の地との交易には利子貨幣が使用されていましたけどね」
「お金ってのは必要なものではあるけれど、罪作りなものと思っていたのですが…。どちらが悪貨なのか分かりませんね」
「そうですね、お金自体が罪つくりなのではありません。分業が人間を経済的に豊かにしてきたわけですが、分業社会では交換手段としてのお金は不可欠です。問題なのは利子です。人間が利益追求動機に駈られるのは利子のためです。人々を拝金主義にするのは利子貨幣であって、減価貨幣は人々のしもべです。商品は時間とともに劣化しますが、減価しないどころか利息のつくものとして、貨幣は超然と振舞うのです。利子貨幣こそが諸悪の根源なのです。利子貨幣はモノやサービスの流通を妨げます。利子貨幣は人々が欲する不況時には供給されず、必要のない時に大量に供給されてバブル現象を招いたりします。利子貨幣は絶えず幾何級数的な経済成長を要求し、結果として繰り返し経済不況を引き起こします。
元をただせばイスラム教やキリスト教といった宗教でも、利子というものが労働によらずして搾取を行う反道徳的なものであるということで、利息を取ることを禁じていました。利息は原罪です。しかし今ではすべての人、企業、政府までもが利息を要求する銀行という金貸し業に支配される世の中になってしまいました。利子貨幣は人間の脳を支配しているといっても過言ではありません」
「ちょっと、思い出したんですけど……さっき、『全ての人に同じ機会を与えます』と説明されたのですが、親から子供に『授権配当』を相続させたら、生まれながらにして金持の人とそうでない人が出てくることになりますね。つまり機会均等ではなくなると思うんですが?」
「おっしゃるとおりです。ですからエポカの世界では親から子へ『授権配当』や資産を相続させることはできないことになっています」
「相続はできなくても、生きているうちに子供に贈与してしまえば相続と同じことになりますよね」
「先ほどの説明のように、投資や活動の対価と見なされない『配当』の移動や多額の譲与は相続と同様に許されません。ということで、人が亡くなった場合には、故人が保有していた『授権配当』はGバンクに返納されることになります。つまり、エポカの世界は世代に引き継がれる資産というストックが無い社会なのです。相続や譲与の無いフローだけの社会といえます」
「投資の名目で、実質的な贈与をするなんてことはないんですかね」
「個人として投資を受けるには、投資を受ける目的とか、『授権配当』をどのように使用するかを明示しておく必要がありますから、これらの条件に適合しない『投資』はチェックされることになります。それ以前の問題として、エポカの世界では贈与をすることが、贈与される人の『徳』のアップになるわけでも何でもないので、そのようなことが行われないんです。カズマ君の世界のように『お金』至上主義ではないのです」
「亡くなった人からの投資を受けていた人や組織は、相続する人がいないわけですから亡くなった人への謝礼としての『配当』は誰に支払うことになるんでしょうか? Gバンクですか?」
「これも、よい質問ですね。Gバンクではありません。誰にも支払う必要がありません。つまり投資を受けていた人や組織にとっては一種の『寄付』のような扱いになります」
エンリケは再びカズマの質問を待っていた。
「先に進むことにします。借金に関する問題ですが、前世では借金が元で盗みを働いたり、人を殺したり、自殺したりする人がいました。また、信用恐慌が原因で世界大戦まで引き起こすような悲惨な事態がおきました。このため、エポカの世界は借金のできない社会になっています」
「でも、借金できなければ、会社の経営が成り立たなくなる場合もあるんではないですか。このような場合はどうなるんですか?」
「そうですね、カズマ君の世界では困ったことになると思いますが、このような場合、エポカの世界では、前もって新たな投資を募ることになります。もしも必要な量の『授権配当』が集まらない場合には、投資するに値しない組織であると見なされることになるわけで、そのような組織は解散することになります。つまり倒産ですね。実際には、破産の更生手続きを行って一定期間再投資を呼びかけますが、それでもだめな場合に初めて破産ということになります。倒産した会社などの組織に『授権配当』が少しでも残っていれば、Gバンクに全て戻されることになります。エポカの世界では、『基本配当』によって最低限の生活は保障されているので、倒産したからと言って従業員が路頭に迷うということはありません。
カズマ君の住む社会ではいたるところに金銭の貸借関係が入り込んでいますが、エポカの世界ではこのようなものは基本的には存在しません」
また、エンリケはカズマの質問を待っていた。
「エポカの世界では、物を買ったり、サービスを受けたり、思いやりや気づかいに対して『配当』というポイントを払うわけですが、価格の決まっているもの、価格が幅で表示されているもの、幾ら払うかは購入者や受益者に任されているものがあります。思いやりや気づかいなどに関しては、感謝の気持ちからポイントを支払うわけで、ポイントを支払うことを強制されているわけではありません。下限と上限のポイントが表示されている場合は、最低価格と希望価格を示しています。購入者や受益者がその満足度に応じて支払って下さいといったことを意味しています」
「思いやりや気づかいの中には、電車の中で老人に席を譲るとか、道を聞かれた人に道を教えてやるとかいった通りすがりの好意がありますが、このような好意に対してどのようにポイントを支払ったらよいのですか?」
「エポカ世界の人は、ウェアラブル通信機器によって、人の識別コードが他の人にも分るようになっています。ですから、親切な行為を受けたその場でも、家に帰ってからでも、ポイントを支払うことができるのです」
「稼ぐ前に、既に『お金』があるような社会だと思うんですけど、そうなると怠け者がやたら増えて、経済がうまくいかなくなるといった心配はないのかな」
「『市長の選挙』の部屋で観た、マイライ集落に住んでいるような人もいないことはありません。しかし、大多数はそうではありません。たとえ、生活が保障されているとしても、人は『活動』を欲していますし、大部分の人にとって『活動』は楽しみでもあります。加えて『徳』がステイタスである社会では、積極的に『活動』するものなのです。それに、あまり活動しない人は少ない収入に甘んじなければならないので、購入可能な物やサービスも少なくなります。自分の楽しみを大きくするにはより多い収入が必要なことは、カズマ君の世界と変わりません」
「怠け者を含めてすべての人に基本配当などを配分することに哲学的理由なんてものがあるのでしょうか」
「哲学者達はもっともらしい理由も反対の理由も考えるでしょうが、所詮理屈です。正しい・正しくないの議論は不毛です。病人や障害者にも生きる権利があると考えるのは当然でしょう。『市長の選挙』の中でも議論があったように怠け者の定義が気になりますが、それでは怠け者には生きる権利はないのかと考えてみるのはどうでしょうか。
これも理屈ですが、生産物はその生産に直接携わった人の労働と歴史的な蓄積である過去の研究・労働の成果としての技術などが集大成されたものであるので、生産に携わった人だけで果実のすべてを配分すべきではなく、人類の過去の蓄積による分は全ての人に配分すべきだという考えもあります。私は、人としてこの世に生を受けた行幸をできるだけすべて人に享受させてあげたいと思っていますけどね」
「最後は、人道主義に賛成か反対かというようなことになるんでしょうね」
「怠け者ということについてですが、カズマ君の世界には『強制された怠惰』というものがありますね。失業や定年制など本人に働く意欲があっても働くことを拒まれている状態です。それに、科学技術の絶え間ない進歩は失業率を恒常的にアップしていきます。多くの分野でロボットなどが普及すれば、いずれ社会は失業者だらけになってしまいます。少数の働く人の稼ぎに多数の働かない人がおぶさるいびつな社会になり、需要と供給のバランスも崩れていき、経済が立ち行かなくなる事態にもなります。恒常的な供給過多と消費需要不足の状態になります。
従って『雇用を多くの人に確保し、その結果として人々の所得を保障する』といった類の政策や運動は時代遅れであるだけでなく進むべき方向が根本的に間違っています。稼得労働以外の無条件の所得を求める運動に転換する必要があります。心身の障害のため働けない人、稼得労働以外の分野で活動する人などすべての人に基本的人権・生存権としての所得が与えられるべきなのです。逆に、このような所得がなければ生産されたものが有り余ってしまうことになり、デフレが深刻化するばかりになります。すでに多くの経済先進国といわれている国々がこのような事態になりかけています。多少遠い将来になるかもしれませんが、労働はロボットが行い、大半の人間は芸術やスポーツに興じる社会を思い描いてもよいのです。
ところで、経済成長についてですが、カズマ君の世界では経済成長が不可欠であるかの如く、政治家、企業はもとより殆どすべての人が考え、テレビや新聞でもそのように報道されています。エポカでも物質的な豊かさというものはありますが、これは資源の大量消費によるものではなく、効率的な再利用や節約によって達成されるべきものになります。様々な格差がまかりとおる社会ではなく、公平性が尊重される社会では物質的な豊かさよりも精神的な豊かさに重点が移動します。ということで経済成長は持続可能な社会の条件ではなくなります。
それと『働く』という言葉ですが、エポカでは前に述べた『活動』という言葉に置き換わっています。カズマ君の世界では、プロのスポーツ選手や画家は働いているがアマチュアは趣味であって働きにはならないということになるでしょうが、エポカの世界では両方とも同じ『活動』です。カズマ君の世界では稼得労働以外の労働は『働く』ことの範疇にはないようですね。未来社会では、活動したい人は『活動』を拒まれることはありません。『稼得労働』でなくても感謝による収入もあるのです。収入の期待できない活動も『活動』であることには変わりありません。ですから失業や定年などというものもありません」
「素朴な疑問なんですが、基本配当や投資配当の財源はどうなっているのですか。もちろん税金ですよね」
「非常に良い質問ですね。財源のことを未だ話していなかったですね。これから話そうと思っていたところです。実は、エポカ世界には税金といわれているようなものは何もないのです」
「えぇーー? 税金がなくてもやっていける社会なんてものが存在するんですか。僕らの世界では新聞やニュース、政治に関することになると税金の話ばかりですけど…。信じられないなぁ。一体どうやっているんですか?」
「この質問に答える前に、逆にカズマ君に質問です。それでは、カズマ君の世界では政府はどのように財源を調達しているのでしょうか?」
「いろいろな税金ですよね。それと税収不足になっているんで国債とかいう借金ですね。お父さんが、『財源の半分は税金で国債も同じくらいの規模になっていて、今までにたまった累積債務という借金の総額が千兆円にもなる』と言っていたな。『国民一人当たりにすると何百万円にもなる』とかも」
「その借金というのは、誰にしているのでしょうか」
「国債を買っているのは民間の銀行とか個人とかですよね。あれ、でも変ですよね、国民は政府にお金を貸しているのであって、借りているわけではないですね。国民一人当たりの借金っていう言い方おかしくないですか?」
「確かにおかしいですね。政府の債務ではあっても、国民の債務ではないはずですね。お金の貸し手であるにもかかわらず、お金を借りているかのごとく返さなければならないような言い方は矛盾しています。多分、国民に稼いでもらって税金を収めてほしいからでしょう。それではもう一つ質問します。お金は何所で発行しているのでしょうか。実は『親の勘当』のエポカ誕生に至る経緯にでてきたんですけれど」
「そうだったっけ…思い出せないなぁ。紙幣を印刷しているのは造幣局とかいうところだけれど、発行ということになると日本銀行というところですよね」
「大部分の人がそう思っているのかもしれませんね。実は、日本銀行は国債や社債を買ったり、日本円の価値を維持するために外国通貨や円を売買したりしていますが、これらは交換であって、新たにお金を発行しているわけではありません」
「えぇ! では何処で発行しているんですか? 政府は借金するくらいだから発行していないですよね」
「実をいうと政府も少しは発行しています。コインは政府が発行しています。コインの製造費用は僅かなものですから、発行したコインの額の大部分は政府にとっての収入になります。でも僅かなものです。…それではヒントを言います。お金の大部分はコインでも紙幣でもなく、単なるデータに過ぎません。カズマ君の家でもっているお金の大部分は銀行通帳に印字されている数値です。その大元は銀行のコンピュータに記録されているデータにすぎません。財布などに入っているお金はほんの一部にすぎないのです」
「お金というのはただのデータなんですか……ということは大部分のお金を発行しているのは普通の銀行なのですか?」
「そのとおりです。発行されたお金の裏付けとして金準備制度があった時代もありましたが、現代の世界のお金の裏付けは実体のない信用だけなのです。学校ではこのような大切なことを教えていないのが不思議なくらいですね」
「でもどうやって?」
「簡単です。皆さんからの預金の何倍ものお金を貸すことによって生み出しているのです。信用創造といいます。家を新築するのに一千万円を銀行から借金したとしても、通帳に借金の数字が記載されるだけです。お金の大部分は銀行の口座間を移動しているだけです。ですから、銀行がお金を貸しているという表現は正確ではありません。銀行はお金を無から創造しているのです。負債がお金になるのです。このお金は返済された時に消滅します。但し、利子は残ります。膨大な負債が泡のようにお金になっては消えていくわけですがその利子だけは際限なく増え続けていきます。借金返済のためにすべての生産活動があるといっても過言ではありません。この信用創造の裏づけとして、預金者から預金の解約要求に備えて日本銀行に一定の準備金を預けておく必要があるということになっています。日本銀行…これは皆さんあまりご存知ないかもしれませんが株式会社なのです。すべての民間銀行の元締めです。
準備金の準備率を仮に1%とすると、預金の99%は貸し出せる。貸し出された99%のお金が別の銀行に預金されれば、この別の銀行もまたその預金の1%を日銀に預けて残りを貸し出すことができる。こうして最終的に最初の一千万円は最大その百倍の十億円まで膨れ上がることができる。
国債も『借金』ですから通貨の発行になります。民間の引き受けでも日銀の引き受けでも通貨の発行になります」
「そうなんだ。びっくりだな。そうすると銀行からお金を借りた場合、無から造ったお金に利子をつけて返済していることになりますね。こんなことって何かおかしいと思うな」
「ここらで、カズマ君の質問に答えます。エポカでは銀行のこのような信用創造機能を許していません。お金を発行する権限は政府機関の一部であるGバンクだけになっています」
「すると銀行は、なくなってしまったのですか?」
「お金…エポカでは配当になりますが…を『貸す・借りる』ということが無くなり、『与える・貰う』だけになります。民間銀行から信用創造機能が無くなっただけでなく、借金のない世界ですからお金を貸して利子を稼ぐということもできなくなるので、銀行というものは成立しなくなります。このため銀行は投資信託会社のようなものに姿を替えることになります。つまり、皆さんに投資配当の投資先を紹介したり、皆さんから預かった投資配当や授権配当を皆さんに代わって様々な組織や個人に投資したりといったことになります」
「なるほど、それならば銀行のような罪作りではなく、社会のための有用な業務になりますね」
「ということで配当というお金も無から生まれます。単なる数字データですから、Gバンクが数字というデータを基本配当や投資配当として、皆さんに配分するだけのことです。カズマ君の世界でも政府が印刷機で貨幣を大々的に印刷して財源をまかなっていた時期がありました。それと似たようなものです。但し、無からの創造といっても、その量はエポカ世界の生産能力にみあったものでなければなりません。逆に言うと生産能力がお金になるといっても良いと思います。このことは後で詳しく話します」
「政府が直接お金を発行するのであれば、国債などという利払いの必要な借金などする必要がないはずですよね」
「本当にそうですね。ですが、銀行はその存立基盤がなくなるので経済学者達と一緒に大反対するでしょう。さらに、世の中には政府に通貨発行を許すと、昔、戦争の費用を賄うために紙幣を大量発行してインフレになったように、インフレになると考えている人が大勢いるようですね。国の生産力と見合わない分不相応なお金を大量発行すれば当然ハイパーインフレにもなります。政府が信用されていないのかもしれませんね」
「妙ですね。銀行やその御用経済学者の言い分はともかく、銀行という私企業の利益のために発行されいるお金は信用できるが、独裁的な政権ではなく民主主義の選挙で選ばれた政府が、少なくとも国民のためにと考えて発行する政府貨幣が信用できないってのは理解できないですね。もしも政府がインフレを招くような政策を行おうとするならば選挙で政権を交代させることができるじゃないですか。それに今は大変なデフレの時代で生産力が有り余っているのだからインフレを心配するってのはおかしいですね。過去のトラウマでしょうか」
「たしかに強権的な政権が戦費調達のために行った政府貨幣の発行と議会政治が曲りなりにも機能している時代に人々の生存権の保障などのために行われる政府貨幣の発行を同一視はできないと思います。とはいうものの現在の社会は様々な利害関係に基づいていて、政府も利害関係者の代表であり、自らの政党や議員としての利害もあるので、打ち出の小槌のような通貨発行権を政府に与えたら、政権政党に都合の良いように使いまくられてしまうのではないかという人々の懸念はあるていどはもっともな気もします。しかし、基本配当などのための政府通貨発行の場合には杞憂にすぎないと思います。なぜなら基本配当や投資配当の支給は貧困や格差のない社会、支配と隷属のない社会、利害・打算のない社会への大転換を促すからです。社会と経済のシステムは人々の意識や社会規範といったものを根本から変えてしまう力をもっています。そうなると国民一般のため以外に政府通貨の使用方法はなくなります」
「『市長の選挙の部屋』で説明されたように政治の仕組みが基本配当などによって根本から変わってしまうことになるんですね。たしかに党利党略の政党政治なんてものはなくなるのかもしれないですね」

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