Eiko
T先生の言葉のなかで、印象に強く残っている言葉があります。
それは養護学校にいたときのことです。
音楽の授業の合間に、ふと、
「君らなー、世界中飛び回って、演奏会やとか作曲なんかしてる有名な音楽家と、ぼくの今していることと、どっちが有意義な仕事してると思う?」と。
それからおもむろに、「ほんまはどっちか、わからへんで」と。
Eikoは、この言葉を聞いて、「私たちに自信を持たせてくださっているんだな」と、思いました。
それまで、いろんなひとから「やったら出来るんや」とか「普通の人でも、障害を持ってる人でも、おんなじ人間なんや」とか言って、励ましたり、自信を付けさそうとしたり、してくださった方は大勢いました。
でも、こんな風に表現してくださるひとを、Eikoは、T先生以外には今も知りません。
ただ、その頃のT先生の年齢を越えてしまったEikoは、あの頃のT先生は何かの迷いがあり、大げさに言えば、人生の岐路、に立たれていて、それでも自分は養護学校の一教員として歩もう、と決心された「時」ではなかっただろうか、と思わないでもありません。
いろんなことは後から考えられますが、でも、その言葉を聞いたときの、奮い立つような感動を、忘れることはないと思います。
T先生の存在は、Eikoにはなくてはならないものでした。「こんな話、共感してもらえるかな。興味をもってられるかな」と思い悩むことは、この先生に関しては皆無でした。
音楽はもちろんですが、例えば、バレエの話でも、クラシック、モダンを問わず、古今東西の振付師、ダンサーなどなどの話。何かのついでの古事記、日本書紀の話。伝統芸能。和歌の世界。Eikoが聞きかじりで興味や感動を持って話すことは、すべて真正面から受け止めて、系統立ててくださったり、そのうえのお話をしてくださっていました。
Eikoの、ないしょの知識蔵のような先生でした。
お葬式の帰り道を歩きながら、この道を先生は、あるときは幸せな顔をして、あるときは原稿に悩みながら、あるときは音符を並べ続けて、いろんな、いろんな思いとともに、歩かれたのだろうな、と。
きのう、Eikoの今のなかで、いちばん楽しく過ごせるカルチャーの童話教室の日でした。
でも、頭のなかから完全にブッ飛んでいました。
これは、自分でも信じがたいことです。その事実を知らされたとき、うわあ、と頭をかかえて、ガクゼンとなりました。
Mog
表面的にはあまり分らないけど、ほんとうに、とってもこたえているんだね。
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