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脳性マヒ・二次障害レポート

Eikoのひとりごと
      Mogのつぶやき



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2003/01/31  T先生の思い出
Eiko
きのう、お葬式に行きました。Eikoの今までもこれからも大切な方でした。
養護学校のとき、私たちの学年を受け持ってくださったT先生です。
養護学校で、Eikoは劣等生でした。特に音楽はまったくの苦手。おたまじゃくしの読み方もわからない有り様でした。T先生は音楽の先生、そして国語の先生でもありました。Eikoは国語も最低の出来だったので、T先生には、箸にも棒にもかからない生徒、と思われていたに違いありません。
 
Eikoが初めて七宝の個展をしたとき、「Eikoちゃん、出来るものに出会えてよかったなあ」と心から喜んでくださいました。
やがて、物語を書くようになり、同人誌「森」に作品「花びらの符」(「物語の風景」に記載)が載りました。
T先生に送ると、折り返し手紙がきました。ものすごく丁寧な批評がしたためられていました。最後に「Eikoちゃんは、こんなに文章がうまかったかなあ」と、それも正直に言葉だったと思います。
それから「森」を発刊するたびに、本当はご迷惑であったかも知れなかったのですが、送り続けました。
 
T先生はその都度、誰よりも読み込んでくださり、誰よりも細かな批評をしてくださっていました。合評会での厳しい意見も書くと、落ち込んでいることを察して、他の作家や詩人の話のなかに、うまくEikoの作品も盛り込んでフォローしてくださっていました。
 
 
「私の愛犬モグラ物語」の依頼が来たとき、どうしようどうしよう、とオロオロしたEikoの葉書に、「気負わないで、普通に書きなさい」と。Eikoが、ひと月で120枚を書かないといけない、というプレッシャーをその言葉で、はねのけてくださったのでした。そのひと言がなかったら、Eikoは、きっと書き切れていなかった、と思うのです。
 
T先生は、ご自分も、京都の民謡の研究やオペラの作曲、シューベルトの「水車小屋の娘」(記憶が定かではございません。お許しください)の訳詩などの音楽活動、文学ではエッセー集「冬の蝉」を出版、同人誌活動も積極的にされていました。
それに博識でした。どんなことを訊いてもサッと答が出てきました。
 
Eikoが七宝の写真集をつくるとき、謡曲「半蔀(はじとみ)」の一部を書いた作品があったのですが、くずし字が一字、どうしても読めないことがありました。書いた本人(母)が読めないので、どうしようもなかったのです。
 
そうだ! T先生だ! と問い合わせてみると「暗記している謡曲でよかった。跡、という字です」と。それから「半蔀」に関連した話ゃ思い出などが書かれた手紙が、すくに手元に届きました。
これは、ほんの一例で、いっぱい、たくさん、こんなことがありました。
 
そのT先生が急性白血病だ、と我々に知らされたのは昨年四月のことでした。お見舞いに行くと「もうちょっと生きたいしなあ。がんばるわ」と仰っていたのに、それから約九ヶ月で逝ってしまわれました。
 
お葬式は、T先生の作曲された曲が流れる音楽葬でした。暖かで、いかにもT先生らしいお葬式でした。
 
六十六歳という若さで、その有り余る才能に終止符を打たなくてはならなかったT先生。
これからEikoに何が出来るのか、分らないけど、そして、T先生の助けがないなかで、「書く」のはとても不安だけど、「書くこと」「創ること」を再び始めようと。
 
T先生は、もう天国で、新たな曲やエッセーをかかれていることでしょうね。もう少ししたらEikoもいくでしょう。そしたら、また、いろいろ教えてくださいね。
 
Mog
寒かったけど、とてもいいお葬式だったね。

2003/01/26  リンポチェのこと、普賢菩薩さまのこと。
Eiko
きょうは、このHPに「虹色のこもれび」のページを追加しました。
このページにはEikoの部屋にいてくださる仏さまや、ずっと友だちのぬいぐるみや、たからもの、などデジカメで撮り、紹介していきたいと思っています。
 
いちばん最初に紹介するのは薬師如来のリンポチェです。
この方は、はるばるチベットの高僧と一緒に来てくださったのです。「リンポチェ」というのはチベットの高僧の総称です。目覚めたもの、という意味があると聞きました。
 
この仏さまがEikoのもとに来てくださってから、およそ10年が過ぎます。
なぜ、この仏さまが来てくださることになったのか、お話しましょう。
 
Eikoの母は、お習字の先生をしています。なぜか外国のひとたちもよく来られます。但し、母は日本語オンリーなのですが。
あるとき、アメリカからの生徒、ポールさんが「今、チベットからお坊さんが、お忍びで遊びに来られているのだけど、筆で字を書くことをしりません。一度体験させていただけませんか」と電話がありました。
 
しばらくして、ポールさん夫妻と若いお坊さんが来られました。黄色の裳を着ておられたので「ビルマの竪琴、みたい」と思ったことを憶えています。
そのお坊さんは「リンポチェ」と呼ばれていました。自然体でニコニコされていて、母に花丸なんか書いてもらって喜んでられました。ただポールさん夫妻が、いつになくしゃっちょこばって、カチンカチンになっていました。
 
帰り際、リンポチェが遠慮がちにEikoの肩に触れてくださったのが、みようにハッキリとよみがえります。そのときEikoは、私の幸せを念じてくださったのだな、と感じました。
 
そのリンポチェが帰られてから、気が付いたことがありました。
それは、心のなかに、なんとも形容しがたい「すがすがしい、さわやかな、ほんわかした風」が吹いているのです。それは、考えてみれば、リンポチェに出会った、その瞬間から吹いていたように思うのです。
これが本当の宗教体験なのか、なんなのか、わからないのですが、心がおだやかになる風であった、ことだけは確かでした。
 
それから半年後くらいにポールさんの奥さんがリンポチェのところへ行く、というので、「心にさわやかな風や春のたねを戴いた感じがしました」という手紙と七宝の香合を託しました。すぐにお礼の手紙が届きました。
 
二年くらい経ったころポールさんから、リンポチェが今度は公式に日本に来られることになった、と。そして、できればEikoに会いたいと仰っている、と。
 
リンポチェは、チベット仏教四派のいちばん大きな派、カギュ派の活仏で、その派のリーダー格の方でした。
それに「リンポチェ」と呼ばれる高僧は、チベット仏教のなかでも25人しか、おられないそうです。
そんな高僧だったので、ポールさん夫妻がしゃっちょこばっていたのだな、と思いました。ほんとの名前の英訳は「グレート・ドラゴン」というのだそうです。
 
 
京都で講演(もちろん拝聴しました)の翌日、再びリンポチェが来てくださいました。
今度は、御付の人を三人ほど従えて。通訳にポールさんも一緒です。
玄関の外に姿が見えました。Eikoは家のなかにいました。でもつぎの瞬間にはリンポチェはEikoの手をにぎっていました。不思議なのですが、ほんとうにそんな感じなのです。
 
何かしゃべられると、瞬時に日本語が聞こえてくるし、Eikoがしゃべる言葉も間髪入れず伝わる、通訳のポールさんがいるということを意識しないで話せる感覚です。この感覚は、なんか映画の世界に迷い込んだような気分でした♪
 
部屋へどうぞ、というと御付のひとがサッと綺麗な錦の織物をリンポチェの座られるところに広げました。そのあざやかな手つき! お忍びと公式では、こうも違うものか、と目がパチクリとなりました。
リンポチェの横にEikoが座り、たわいのない話をしました。
 
もっと大切なお話、たとえば「ひとが生きている意味」とか「死後の世界はどんなだ」とか「Eikoは、これからどのように生きていくのがいいのか」とか、せっかくのチャンスなので、そういう話題を思わないではなかったのです。
 
でもね、Eikoは、この方にお会いできただけで、これからのしあわせは保障されたように感じていたし、一度きりの出会い、とおもっていたのに、再びお目にかかることが出来て、これ以上のことを訊いたり、望んだりすることがあるのか、と考えたとき、心のなかにはなーんにも無かったのです。
 
一段落したときに、リンポチェに、小さな仏さまと銀の指輪を、御付のひとが渡しました。そしてリンポチェが「これをEikoに」と、くださいました。
そして、帰られるときに「ぜひ、私の国に来てください。決して不自由な思いはさせませんから」と、Eikoをみつめて仰いました。
 
以上がリンポチェと薬師如来さまがEikoのところに来てくださった理由です。
そして、いつしかこの仏さまのことを「リンポチェ」と呼ぶようになったのです。
 
Eikoは、いつの日か絶対に、リンポチェに会いにチベットへ行きたい、と思っています。
 
普賢菩薩さまのことは、昨年11月12日のところにいきさつを書いているので、はぶきます。
ことしの誕生日、ちょうど、になったもので、母が「よくぞ、ここまで生きてくれました」と、いう思いで、知人の仏師にオーダーして、Eikoのところに来てくださった仏さまです。ゾウさんの表情、優しいのが、うれしいです♪
 
Mog
リンポチェのことが、ちゃんと紹介できて、ちゃんと書けて、よかったね。
普賢さまも素敵だし、きっと、おねえちゃんをこれからずっと見守ってくださるよ。
 
 

2003/01/18  きょうは、いちにち、オペラ漬け♪
Eiko
このごろ、とにかく忙しくって仕方がございません。せめて有意義なことで忙しいのならイイのですが、ショウモナイことばかりが続いて、体力の限界に挑戦! てな感じです。
 
きょう、やっと「きょうという日」を休養に持ち込むことができました。それで本を読もうか、ビデオを見ようか、と一思案しました。でも、やっぱり、ほんとに疲れていたので、寝っころがってビデオ観賞に決めました。
お正月に、三大テノールのコンサートとニューイヤー・オペラ・コンサートを撮っておいたのです。
Eikoは、楽器のなかで「ひとの声」がいちばん魅力的だと思っています。いくらシンセサイザーだ何だ、といっても、あたたかい血の通った声は、やはり疲れた心や干からびた心に響きます。
 
三大テノール、パバロッティ、カレーラス、ドミンゴ、ですが、Eikoはこのなかで誰がいちばん好きか、わかります? わかる人にはすぐわかる♪ そうドミンゴです。あのなかでは、いちばんハンサムじゃあないですか、ね♪ でも顔だけじゃなく声も好きなんです。
 
パバロッティは、あの体格だから、どんな声もかる〜く出るのね。ソフトタッチな声はいいんだけど、ちょっとペターとした感じもするのね。
カレーラスは、体格も細くてカッコイイとも思うし、声もやっぱり高くて細くて、きれいな気がするの。でも細い分、がんばって声を出さないといけない。だけど聞こえる声は、決してがんばってる、って聞こえないから不思議なんだけどね。
ドミンゴは、声がね、オブラートで包まれて出てくるの。とても耳障りが良くって、優しい感じで、素敵です♪ その声と顔がぴったりくるから、いいんだよ♪ ぜったいに。それに、なにもかもに大らかな感じがする方だよね♪
 
きょうはオペラ漬けだったんだけど、オペラとオペレッタってどこが違うかご存知?
結末がちがうだけ、なんだって。つまりオペラは悲劇で終わるの、それで、オペレッタはハッピーエンドなんだって。でもオペラは何となく重苦しい感じだし、オペレッタは明るくて軽い感じですよね。Eikoはぜったいオペレッタ派♪
 
Eikoが初めてナマでオペレッタを観たのはヨハン・シュトラウスの「こうもり」でした。二期会が主催してたな。内容はあまり憶えてないのだけど、ウィーンの社交界の恋模様みたいなもので、召使いが意外に活躍する世界なんだなあ、って思いましたね。とにかく「華やか」って感じをつよく憶えてます。
 
そうそう「二期会」ってなんで二期会なのか知ってます?
日本で日本人による最初のオペラは、1903年、東京芸大の学生たちによって日本語で催されたグリーク作曲「オルフェオとエウリディーチェ」なんですね。その年から二期会が出来るまでの年月を第一期と考えて、自分たちは第一期の音楽を超えて新しい音楽にも挑戦して、第二期の活動を、という目標で「二期会」になったそうです。
 
もうひとつ言うと、三浦 環(みうらたまき)っていう日本を代表するプリマドンナがいたのだけど、このひとは「蝶々夫人」で世界中を周ったひとで、プッチーニから直接「ぼくの思い描いていた蝶々夫人はあなたです。あなたのためにかいたのです」とかナントカ言われたひとですが。日本最初のオペラで「エウリディーチェ」を歌ったんだって。やっぱり先駆者だったんですよねえ♪
 
きょう、いちにち、いろんなひとのいろんな歌を聴いて、Eikoは「プッチーニ」が好きなのだなあ、ってことを発見しました。「うわお、この歌、しびれる♪」って思ったら、それがトゥランドットの「誰も寝てはならぬ」だったり、トスカの「星のきらめき」だったり、でした。ほかにもモーッアルトやシュトラウスも心にぴったりきたけれど、ワーグナーやベルディは、シンドイな、って思ってしまいました。
 
さあ、あしたから、また、がんばるぞー!!
 
Mog
みなみなさま。ことしはインフルエンザの当り年らしいから、帰ったらウガイして、せいぜい暖かくして、お過ごしください。
 
 

2003/01/13  日展の感想、忘れてました。
Eiko
9日、どこよりもまず日展に行きました。それなのに、何故、感想を書くのを忘れていたか、といいますと、「ショウモナカッタ」のひと言でおしまいになっちゃったからです。
 
よくもまあ、これで日展特選だの、入選だの言ってられますわよ。
とくに日本画のひどさ、といったら、ムカムカむかついて腹がたってきちゃいましたよ。もうもうどうしようもございません。なげかわしい限りです。
これから日本画はどうなるのでしょうね???
いっそのこと日本画家は全員、洋画に転向された方がいいのじゃあ、あーりませんか!!!  あのうつくしい日本画はどこへ行ったのでしょう。。。
 
 
工芸も彫刻も洋画も、ドングリの背くらべの作品ばかり。一応、芸術家を自認する方々ばかりのはず、なんでしょうけど…
書は、Eikoは「池田桂鳳」さんの作品が、いちばん好きだなあ。かな、なのに男っぽさがにじみ出ている。一本の線のなかに、絶妙の角度と太さの違いのよくわかるんですよね。それでも若いときに比べると勢いがすこーーーし落ちてきたように思いますが。。。。。
 
ほんとうに、こんなもん、でした。行かれなかった方、それでよかったんじゃあないでしょうか? そんでもって、行ってしまった方々、どうもお疲れさまでしたね♪
 
Mog
おおきな声じゃあいいにくいけど、あのなかに、おねえちゃんの作品まぜても、みんな気がつかないだろうなあ、って思ってしまったぜ…。これは「身贔屓」っていうものだろうねぇ???

2003/01/11  きのうは、のんびりニューイヤー・コンサート
Eiko
きのうの誕生日、滋賀の老人ホームでの初教室でした。そしたらね、その日がたまたま鏡開きの日になっていて、おぜんざいとあべ川をたくさん戴きました。最高のプレゼント♪でしたよ。
 
でも帰り道がいけなかった。神戸の方で事故が起こったらしくてJRが30分遅れ。おまけに全部の列車が遅れているから、京都の手前で空きのホームがなくて
3、40分待ってしまいました。ゆっくりポルタのバーゲン見ようと思っていたけど疲れてしまって。でも、通りがかりに、ちょっとシャレたベストを見つけて、お誕生日だし、と買ってしまいました♪
 
夕食は、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを聞きながらひとり、のんびり戴きました。母が教室をしていたので、ね。
Eikoは、クラシックのなかではシュトラウス兄弟のワルツが好きなんです。
とくにニューイヤーのコンサートは華やかだから、よけいに…
でもね、このコンサートのとき、オーケストラのなかに花がいっぱい飾ってあるのはね「シュトラウス」が「お花屋さん」という意味から来てるんですって。
 
Eikoのお気に入りの曲は「皇帝円舞曲」。この曲聴いてるとワクワクしてくるの♪ これは、ベルリンのコンサートホールが出来たとき、柿落としにヨハン・シュトラウス自身が行って指揮をしたんだって。テロップに書いてあったから分ったんだけどね。どんな感じだったんだろうな、シュトラウスの指揮って… 知りたいですね。。。
 
以前に聞いたことがあるのだけど、ウィーン・フィルって、世界でたったひとつ楽団員が自治権をもっているオーケストラなんだって。それで指揮者の選択も、どこへ公演に行くかも、人事も、みんな団員が決めてるんだって。だから、おじいさんみたいなひとが多いのかな???
 
指揮は、やはり小沢征爾ではなかったですね。残念。今回の指揮はニコラウス・アルノンクールというひとでした。楽典の研究家でもあるそうですが、こわい学者みたいでしたよ。
 
はじめてウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを観たときの指揮は、ウィリー・ボスコフスキーだったのね。バイオリンを弾きながらの指揮で、ヨハン・シュトラウスもこんな感じで指揮をしてたのかなー、って思いました。 それからロリン・マゼールの指揮に代ったんだけど、一番最初の年、彼はものすごく緊張していて、軽快なワルツが流れているのに、ベートーベンの悲愴あたりの顔していて、ちょっと気の毒だったな。翌年からはワルツの顔だったけれど。
 
それからクラウディオ・アバドのときもあったんですよ。彼は、すごくハンサム、っていうのか、端正な顔立ちで、私は好きだったんだけど、やっぱりワルツの顔じゃなかったような…
その点、小沢征爾は、ワルツのときはワルツの顔だし、ベルリオーズのときは少し不思議な顔してるし、ベートーベンでも田園みたいな曲のときは、やっぱり緑のなかを散歩してるような雰囲気で指揮をしてる。それって、やっぱり、ものすごいことだと思ってしまうんですけれど、どうなんでしょう♪♪♪
 
それから、母が二階から降りてきて、恵比寿さんの縁日で買ってもらったカルメラ焼きでカンパイして、Eikoの誕生日は終了でした。チャンチャン。
 
Mog
六波羅さんの四柱推命おみくじは、今年がんばらないと、いつ、がんばるのだあ! みたいなことが書いてあったね。おねえちゃんのことだから「チビチビさぼりながら、ボチボチがんばる」のだろうけど、そんなことで、おねえちゃんの予定してることは達成できないと思うぞー!
 

2003/01/09  あしたが誕生日。ひとつ年が増えます。ショックです。
Eiko
きょうは、なんと誕生日の前日なのです。ランボーの詩に、恋人の誕生日の前日に贈った詩があります。記憶があいまいなのですが、18歳になる前日「君の17歳は幸せだったかい?」と問いかけて終わっていたように思います。
私も17歳最後の日に、もう一度この詩を読んで、17歳に「さよなら」をしました。そして、いつか誕生日の前日にこんな詩をプレゼントしてもらえるような女性になりたいなあ、という気持ちになったことを思い出します。いまもまだ、その気持ちは変らないのですがー、、、、、トホホ…
 
でもね、母が素敵な念持仏「普賢菩薩」をプレゼントしてくれました。「よくぞ、ここまで生きてくれた記念」なのだそうです。
ほんとうにきれいな仏さまです。材質が白檀なのでお厨子を開くと、ほのかな香もただよいます。
横には、もう十年くらいEikoを見守ってくださっているリンポチェがおられます。この仏さまは薬師観音で、チベットの高僧に戴いた方です(この方の由来はまた別の日に書きたいと思います)。
 
なんだか有難いふたつの風が部屋のなかを吹いているようです。
Eikoは、今日までも明日からも、変らず幸せなようです♪
このふたりの仏さまは、いずれデジカメに撮って、みなさまにお披露目したいと思ってます。
 
きょうの予定は、母と、日展を観て、恵比寿神社へ福笹をもらいに行きます。それから縁日でカルメラ焼きを買ってもらって、六波羅密寺へ今年の運勢をもらいに行きます。六波羅さんの運勢は、生年月日と性別を告げてから戴くので、なんとなく信用性が高いような気がするのです。
 
ほんとうは毎年の誕生日に行くのですが、今年は母も私も仕事と重なっているので、しかたなく前日に行くことにしました。雨だけは降らないで、と思っていますが…
 
きのう、パソコンを診てもらいに行きました。そしたら、クリアにすることもなく、まして買い換えるこ必要もなく、無事に帰ってまいりました。ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。
 
Mog
ぼくも、おふたりの仏さまに負けないくらい、おねえちゃんを守ってるんだけど、気が付かないのかなあ???
でもパソコンは直してもらったようで、よかったね。
 
 
 

2003/01/07  きょうは七草です。
Eiko
きょうは、もう七草です。みなさま、お正月はいかがお過ごしでしたでしょう?
Eikoは、二日にやっぱり福袋を買いに出かけました。でも、やっぱり洋服の福袋は買う気にならず、お菓子の福袋と財布・ポーチの福袋を買いました。中身は意外と良いものが入っていてラッキー♪でしたよ。それと、もうバーゲンが始まっていて、素敵な靴もゲットしました。
 
三日からは、何もしないで無為に過ごすのがイヤになり、ピアカンのリポートの下書きをしたり、注文を受けている七宝のデザイン考えたり、もう四日からは居ても立ってもいられなくなり、とうとう窯に火を入れて七宝を始めちゃいましたよ♪ やっぱり、こうしているのが、いちばん落ち着いて、しあわせ感じちゃうので、どうしようもありません。
 
今年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートも小沢征爾が振ったのかなー? それだけでも見とくべきでしたねえ。録画はしてあるのですが。
でも五日の夜に、小沢征爾の特集をしていたのです。私は、なんとなく彼が大好きなのです。とくに指揮をしているときの左手が♪
 
観られた方もいらっしゃると思いますが、ウィーン・オペラ座の初指揮の様子とその前後の動きを中心にした番組だったのですが、私が最も驚いたのは、アポなしで日本の田舎にツアーに行く活動です。
あの小沢征爾が、山奥の体育館やお寺で、それも無料でされているのには、本当に感動でした。生まれて初めてクラシックのコンサートを聴いたお年寄りがいたり、若者がいたり。それで聴き終わると、純粋に心に響いたのでしょう、みんな、目をうるませています。
これこそが本物の芸術が志す原点のように思いました。
 
そうそう、何年前になるのかな? 「幻想交響曲」を京都で振られたとき、思い切って聴きに行ったことがあるのです。
テレビで見るとズングリムックリに見えてしまうのですが、ナマは、細くてシャープでした。そして、ナマ左手のなんと優雅なこと! 見とれてしまいましたよ♪
 
ものの本に「女は、最初に男のどこを見るのか」というのがありました。一般的に「手」なのだとか。私は変っているのかな、と思っていましたが、ごく一般的なおんなだ、と分りましたよ。ホッ。
 
先日から、ちょっとパソコンの調子が良くないのです。だから明日、パソコンの先生に診てもらうので持っていきます。従ってなにもかもがクリアになるかも知れません。最悪の場合は買い換えようかな、とも思っていますが。従って、あまりにメールが来ないぞー、と思ってくださる方がいらっしゃれば、一度、私へのメールに、ご自分のアドレスを書き込んで、送信してくださいね♪ どうかよろしく〜お願い致します。
 
Mog
パソコンの買い替えを考えているのだろうけど、どうなのだろう… う〜〜〜とね、分んないや。でもね、おねえちゃん、勝手なことを言わないで、先生のおっしゃることよくよく聞かないとダメだよ。いいね。

2003/01/01  本年もどうぞよろしくお願い致します。
 
洗いたての心にひとつ咲きそうな バラのつぼみを感じる朝
                                     (俵万智)
 
Eiko
真新しいこの年も、どうかあなたさまにとって幸せな年でありますよう、お祈り申し上げます。
いよいよ2003年が幕を開けましたね。お正月、みなさまはどのように過ごされるのでしょう?
 
Eikoは今年も、「紅白歌合戦」がすむと、母とふたりで知り合いのお寺に除夜の鐘を撞きに行きました。そして、いつもはタクシーで永観堂に行くのだけど、今年は岡崎公園のなかを歩いて行きました。そしたら公園のなかが歩行者天国になっていたので、車道のセンターラインの上をスキップしたり、くるりとターンしてみたりして歩きましたよ♪
 
そして永観堂に着いたら、もう遅くて「南無阿弥陀仏」は書けなかったんです。でも、せっかく階段を登ったので、みかえり観音さまに手を合わせて、哲学の道の起点、若王子神社に向かいました。破魔矢をいただき、おみくじを引いて(なんと大吉でした!)、お神酒(これが実に甘露!)も枡に戴いて、帰ってきました。
 
そして、いつもは三が日、家にいますが、今年は、二日にデパートに福袋を買いに行こうか、と母に交渉中です。いかがなりますことやら…???
 
ことしの目標は、七宝作品を創ろう、あたためている童話を書こう、久しぶりにがんばろう、です♪
でもね、えらいなー、とか、みならわなくちゃー、とか、思わないでくださいね。
「麻薬犬」と同じことなのですからね。麻薬をみつけるお仕事をしている犬、見てると「えらいなー」と思っちゃいますよね。でも、彼らにとって麻薬をみつけるお仕事は、遊びの延長。だからシッポふりふり楽しそうなんです。Eikoもそれと変らない感覚です。ちょっと体力がいるのがシンドイだけで、七宝を創ることも童話を書くことも、ワクワクするほど楽しいこと! 
 
やり始めると、それなりに悩んだり苦しんだりするんだけど、出来上がりを思うと吹っ飛んじゃうし、悩み苦しむこと、ってそれなりに楽しかったり… ♪♪♪
 
とにかく始めましょう! ことし、みなさまもなにかにチャレンジしませんか?
とにかく「口だけ」に終わらないよう、いっしょにがんばりましょう!
 
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 
Mog
あらたしき年が、みなさなに幸多き年でありますように祈り上げます。
昨年暮れにおねえちゃんの母方の叔父さんか亡くなりましたので、新春のごあいさつはご遠慮し、和歌のみに致しました。お許しくださいますように。
今年もおねえちゃんは、自分のこと、ホームページのこと、その他いろいろお世話をかけるかもしれません。どうかどうかよろしくお願いたてまつります。
 
 
 



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