Eiko
今朝、空をみあげると、真っ青な高い空にウロコ雲♪ 白露も過ぎ、秋になりましたですねえ♪
きょうは重陽の節句です。きょう、五色の菊の花の朝露を五色の綿に湿らせて、体の悪い部分に当てると良くなる言い伝えがあります。
もし元気で自由なら、母にはしてやりたいな、と思いますが… まあ、いつかはできる日がくるでしょう♪ ルンルン♪
さて、きのう、長年念願だった藤城清治氏の作品をみてきました♪
ずいぶん前から、Eikoは彼の作品に触れたくて仕方ありませんでした。でも、かたくなに敬遠していました。
Eikoはジャンルに関係なく、絵画、彫刻、工芸、建築などの展覧会に足繁く通い、興味が少しでも湧く美術書や写真集は手に取り、あらゆるものから作品のヒントを得ようとしてきました。才能が乏しいのに、なんとか「ものつくり」になりたい、という夢を持ってしまったものの「あがき」なのでしょうが。
藤城の切り絵を、以前、遠くの方から一瞬チラリと見たとき、この作品群を見てしまったら自分の作品は創れなくなる、という恐怖を感じたんですね。
あまりにもEikoの理想に近くあったので、近づいたら彼の作品を模倣したくなるし、そうしないではいられなくなる、と確信しました。
展覧会を観て、というか、会場に入った瞬間に、いままでの思いは確かだった、と。Eikoの先見の明も間違いではなかった、とあらためて思いました。
二次障害を得て、今現在は以前のような作品が創れなくなったことは辛いことかもしれないけど、そのおかげで、藤城清治の世界に思う存分浸ることが出来ました♪ それも、まっいいか♪
彼の作品はあまりに美しい。彼の思いに反するかも知れないけれど、悲しいほどに美しく、切ない。そして、それは、Eikoの心の奥深くにまで入り込み、砂の心に「うるおい」を与えていく。
「こびとは自分自身。描く世界は自分の夢や理想」と藤城は言う。彼の作品を悲しく感じるのは、切なく感じるのは、きっと、作品に表す世界はどんなに切望しても実現しないことを解っていてもなお作り表さずにはいられない作者の思い、を感じてしまうからかもしれない。
この展覧会、作品の数が膨大で京都文化博物館の四階と三階に分かれて展示されています。Eikoは、四階を見終わったところで時間切れ。。。来週、もう一度行く予定です♪
Mog
イイ展覧会でよかったね♪ ぼくが生きてたら菊の花さがしてきたのにね。。。
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