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脳性マヒ・二次障害レポート

Eikoのひとりごと
      Mogのつぶやき



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2002/11/27  おいしいお菓子を買いに、でもその前に…
Eiko
きょうはお天気だったので、おいしいお菓子がほしくなって、岡崎公園のところにある「小倉山荘」に行ってきました。
 
それで近代美術館のまえを通り過ぎようとしたのです。だけど、美術館が「ちょっと寄ってみない?」と声をかけてきました。だから「ちょっとだけよ」と、入ってみることにしました。
 
「ヘルマン・ムテジゥスとドイツ工作連盟、ドイツ近代デザインの諸相」という、こむずかしい、こんなん誰がみるねん、と言いたくなるような名前の展覧会でした。
 
が、入ってみると、家具、陶磁器の置物、食器、ヤカンに扇風機、果ては自動車、建築、に至るドイツの世紀末から第一次世界大戦までのあらゆるデザインの展覧会。
そこで初めて知ったんだけど、ドイツって、英国崇拝で、家具や壁紙なんかはすごく影響を受けてるんだって。ご存知じでした?私は、へーえ、って感じでした。
 
それから、ドイツ工作連盟が、そのとき、そのときに目標みたいなのをかかげているのを読んでいきました。そしたら、いかにも「ドイツ」と思った一文が足を止めました。
 
「目に見えるすべてのものを創造的統一観点から秩序付けることである」というところです。目に見えるすべてのものを統一して美しくしよう、ということだと思うのですが、この「目に見えるすべてのものを」ってところが、すごいと思うのです。そして、この延長がヒットラーに繋がっていくように感じました。
 
こういうふうに思っているひとたちが、建築ひつとでも、となりに関係なく好き放題なものを建てている今の日本をみたら、気がおかしくなるのじゃないかしら、って思いましたね。
アジア全体だって、色とりどりの看板かかげてたり、で少なくても統一した美には程遠いものね。
そういえばヨーロッパの窓にみえる花の色、みんな決められていて、すきな色の花とかにできないらしいですね。
日本で、そんなこと言ったら「自分が植える花なのにー。そんなの自由でしょ」って怒られるかも知れませんね。
この展覧会、観に来てるひともまばらで、学生が多かったみたいでしたが。
 
入ったついでに4階の常設展ものぞいてきました。
河井寛次郎の陶器は温かみがあって、やっぱり好きだなあ、と思いました。
それに藤田ツグジは「世界のフジタ」と言われるだけのことはあるんだな、と改めて思いました。とくに1957年に描かれた「路傍」はいい絵でした。ふたりの女の人(親子かな? と思うのですが)の表情から、今ここにどんな思いでたたずんでいるのか、なんとなくわかる、雰囲気のある絵でした。
 
きょう、毎月頼んでいる絵(もちろん印刷物です)が届きました。
今年は「竹久夢二」なのですが、母とふたりで「このひとの絵、暗いなー」とか「あんまり好きちがうなー」とかブツブツ言い合っていました。
でもね、どんな絵でも、ひと目見て誰それの絵、ってわかる、というのは、やっぱし凄いことだと思うんですね。
 
私も、私の七宝作品をみんなが見て、すぐにEikoの作品、ってわかってもらえたら、どんなにうれしいことでしょうね。。。
でも、私の作品を知ってもらっているひとたちには「Eikoの作品、ってすぐわかる」って言ってもらえたことがあるんです。それは、本当に本当に、心底うれしかったのですけれど、七宝はメジャーでない(このことがネックであり、救いでもあるのです)から、一般のひとたちに個性を認めてもらうのは無理みたいですね。
 
小倉山荘で買ったお菓子は、柿の種あられをチョコレートでコーティングしたものと和三盆て片面コーティングのおせんべい、だったのだけど、このふたつは絶対オススメ。
おいしくて、いくらでも食べられてしまうのが欠点。ちょっと太ってきたのでダイエットしたい、と思っているのに、買ってきちゃう。うむー。
 
Mog
ダイエットしたい、って言いながら、おいしいお菓子を買ってくるなんて、本気でダイエットする気がある、とは思えないぜ。おねえちゃん!

2002/11/25  ちょっと変ったコンサート
Eiko
おとといは、ちょっとめずらしいコンサートに行きました。「梵音声(ぼんのんじょう)〜仏陀のみこえ〜」という法華宗のコンサートです。開宗750年を祝う催しだと聞きました。
 
母がしているお習字教室に、いろんなお寺からお坊さんが習いに来られています。そのなかの何人かは法華宗のお坊さんたちで、今度コンサートをするので、と言われて、行かせてもらったのです。
 
それに会場が京都造形芸術大学の「春秋座」でした。
市川猿之助が力を入れて創った舞台だとかで、一度その舞台も見てみたかったのです。
会場に入るまでの階段がすごくて、ヒーハーフーハーでしたが、舞台そのものは、花道もせり上がりもあって、本当にりっぱなものでした。
 
さて、どんな内容だったかというと、これが盛り沢山で休憩なしの二時間たっぷり。
 
最初は「伎楽・カルラ」。正倉院などに収められている伎楽面「カルラ」という鳥の面をつけての舞です。
このカルラ、インドの古代神話に出てくる霊鳥カルーダの音訳なのです。カルーダは最初、ひとを困らせる悪鳥だったのですが、毘沙門天にいさめられ、以後、その使いとなり、仏法守護八部衆のひとつに数えられる霊鳥になりました。
今回は、その神話を元に新しく復元されたものでした。
 
仏教伝来と同時期に日本に入ってきた芸能のひとつで、大仏開眼供養会などでも披露されたと聞く「伎楽」って、こんな感じのものだったんだ、としばし感慨に耽りました。
 
つぎに「声明」。お経を節をつけて唱えるのです。かつて鈴虫、松虫というお姫さまが安楽というお坊さんの唱えるお経の声に惚れてしまった、という有名なお話がありますが、まさにそれ。
今でいうとオペラのテノールに夢中になるようなものだなあ、と思ってしまいました。なんとなく心が安らいでいいものでした。
 
「舞楽」は「迦陵頻」という童舞で、雅楽の伴奏でかわいい子供たちの舞です。
奈良時代にベトナムの僧が伝えたもので、祇園精舎の供養の日に極楽にいるというガリョウビンガという霊鳥が飛んできて舞った姿を模したものです。
童舞で、もうひとつ「胡蝶」も観たかったのですが、今回はおあずけでしたね。うーん、残念!
 
「繰り弁」「和太鼓の演奏」、日本最古の盆踊りと言われる「題目踊り」などが、つぎつぎにステージに上り、「あれれ、もう二時間?」と言ってしまうほどの楽しさでした。
 
でも帰り道がたいへんで、バスは来ない、タクシーは取り合いで、結局「上終町(かみはてちょう)」から家まで歩いて帰りました。バス停7つ分くらいはあります。
家に着いたとたん、バタンでした。それに昨日の美術館行きがこたえて、今も腰が痛いですよ。やっぱトシでしょうかねえ???
 
Mog
また、出歩きすぎなんじゃないのかなあ。あのね、今週中にピアカンのリポート書かなきゃなんないし、それに七宝の額の注文も受けてるんだろ? それらが仕上がるまで遊んじゃダーメ。へへへ…「ダーメ」って言われてばっかりだったけど、言うのは気持ちがいいね。
 

2002/11/24  美術館を、駆け足で。
Eiko
きょうは、展覧会をみっつ、駆け足でのぞいてきました。二紀展と新匠工芸展、それに自由美術展です。
 
二紀展は、すごく見応えがありました。特に第一室に展示されているものは、絵も彫刻も一生懸命制作している、と感じられるものが多いと思いました。
特に「音のない光景(山本 貞)」は、緑に囲まれた原っぱを女の子が蝶を追いかけている風景なのですが、心地よい風が感じられて、いつまでもその絵の前にたたずんでいたいと思ってしまいました。
 
また、なかには洋画なのに日本画を思わせる雰囲気の作品もあり、こういう描き方もあるんだなー、と思いました。
 
彫刻も、ひとが5.6人かたまって空を見上げている「地の音(藤本康成)」や石の素材で荒削りになったところと磨ぎをかけて光らせてある部分とのバランスが絶妙の「囲門(横山 徹)」などが印象的でした。
 
二紀展は、もう30年近く見続けている会です。この頃、みんなの力が付いて、この会を盛り上げようとする気持ちが感じられて、ちょっと偉そうな書き方になりましたが、うれしくなってきます。
 
新匠工芸展は、いつもの通りの作品が並でいました。ここで私の目を引いたのは漆工芸でした。形が斬新だったり、うわー大変だったろうな、と素人でも解るようなものが多かったでした。
ここには七宝の展示もあります。でも私の参考になるような作品はあまりないのですが、今回は、その手間に「恐れ入りました」と言いたくなる香炉がひとつありました。その香炉は「新人賞」でしたが。
他にも外国の人たちの陶芸は、おもしろ、と思うものが多かったです。
 
別館であった自由美術展は、その名の通り「自由」で、荒々しいものが多いようでした。
エッチング「片翼の少年(多胡 宏)」油絵「輪廻−02408(K)(ニシオトミジ)」は、ゾクッ、ときましたね。
 
でも岡崎公園あたりは、本当に紅葉が美しくて、こんなに美しく感動するものを創り出している自然には、例えばメトロポリタン展のすべての画家が挑戦してもまったく太刀打ち出来ないだろうな、と。その巨匠といわれる画家たちも、大きな意味で「自然が生み出したものたち」の中のひとつなのだから、こういうことを言うこと自体がまちがっているんだね。
 
街路樹のイチョウも黄色く色付いて、きれい、です。でも、あまり大きくならないように枝打ちされているんですね。
まったく枝打ちされていないイチョウが衣笠の立命館大学前に何本か植わっています。
何年か前、仕事場からの帰り道、ちょうど今の季節、夕方バス待ちでベンチに腰掛けて、よくイチョウを見上げていました。すーっと伸びた枝の美しいこと、キラキラと金色にかがやく葉っぱたち。時間とともに表情がさまざまに移って、なんともいえない気分に浸りました。
その頃、本当のイチョウがこれほど神秘的な木だ、とは感じられていないだろうな、と泣きたいような気持ちになったことを、何年かぶりに思い出しました。
 
Mog
あの頃は、お店のゴンちゃんと毎日散歩してたね。御室一周コースは、おねえちゃんの足にとっても有効的だったよね。

2002/11/13  メトロポリタン展と創画会展
Eiko
きょうは、いいお天気だったので花粉症のお医者さまのついでに、かねてから行きたいと思っていたメトロポリタン展に、そして創画会展にも行って来ました。
 
創画会の方から観たのですが、日本画の西洋化もここまで来たか、と思いました。
それに小手先の技術で画かれた様な絵ばかりで「もうちょっと目標を高く持てば」と言いたくなりました。
私のようなものでも独自のものを何とか創り出そうと、少しは頑張ったつもりでしたが、そういう気合のこもった絵は皆無だったようです。
 
上村松皇さんが亡くなり、秋野不キさんも亡くなり、私が支えないと、と思うひとが誰もいなくなったような気がします。
 
それに比べて、比べるのはどちらに対しても失礼のようではありますが、メトロポリタンは、さすがにメトロポリタン、と唸りたい気分でした。ピカソ、アンリ・ルソー、マチス、シャガール、ユトリロ、モジリァーニ、もうもう、どれ一つ採っても、やっぱりね、とうなづく絵ばかり。
 
それぞれが自分を徹底的に追い詰めながら独自の美学を求めていく姿は、やはり感動ものです。才能の問題もあるとは思いますが、それでも創画会の方たちにハッパをかけたい衝動にかられました。
 
と偉そうなことを書いてしまいましたが、今日、私もショックなことを言われてしまいました。
 
ずーっと通っている花粉症のお医者さまなのですが、「この頃、何にも創ってへんのとちがうか?」と。「サボってる、って出てますか?」と言うと「顔に締まりがなくなってるがな」と、言われました。(すこーし太ったことは確かなんだけど…)
 
やっぱり自分を追い詰める生活から遠のくと、感じるひとは感じるんだなあ、と思いました。
 
精神的には、まだまだ創りたいと思っているのですが、体力的には、ちょっと大変です、と甘えたことを書いていますが、実際、本当にどうしたものか、と考えてしまいます。無理をして、何も出来ない、何処にも行けない状態になってもつまらないし…。
 
こう言っていても、やっぱり続ける、と言いたい気持ちになりますね。
そんなこんなを思いつつ、うつらうつらの今日この頃でございます。
 
Mog
ぼくも、この頃のおねえちゃんは、忙しいと言いながらも「だらけている生活」と思っていたよ。わかってるのに目をそむけていたことも、お見通しだぞお。
まっ、おねえちゃんの人生なんだから、よく考えるべき、と思うよ。…今日はちょっと威張ってしまった…かな。
 



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