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脳性マヒ・二次障害レポート

Eikoのひとりごと
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2002/10/26  奇才 木田安彦展
Eiko
先日、友だちが「知り合いなので、ぜひ行ってあげて」とチケットをくれました。それで24日木曜日に覗いてきました。
大丸ミュージアムKYOTOの入り口は、やっぱり花でいっぱい。花の向こうに歌舞伎の口上姿の陶人形が縦にずらーっと並んでいます。それぞれの口から「隅から隅まで、ず、ずーぅいと…」と聞こえました。
 
右回りで最初は、板絵の「道具屋」シリーズ。木の皮付の板が使われていたり、フシがうまく利用されていました。なんとなくドールハウス的で楽しかった。そのうち、ひとの顔が大きく描かれバックに道具屋さんが並んでる絵に変化。この雰囲気どこかでみたなあ???
 
続いて「仏画・仁王さま(だったっけ?)」。皮付き板にダイナミックな筆づかい! 一気に墨で描く迫力は格別。
その横には、ガラス絵の三十三間堂、中の仏さま一体一体も繊細に描き込んである。ガラスならではのクール感と金箔がマッチしていて、迷わず「ほしい!」と思わせてくださいましたねえ。
そして、ふちもきれいになった大きな長方形の板には「美しい仏さま」。木目が気にならず良い感じだなあ、と思ってよくよく考えたら、仏さまって木造が多いのよね。
 
それから柱絵のような版画で「十二神将(?)」これは細部までキチッと彫りが効いていて「さすがー!」と、うなりましたよ。同じスペースに「青不動」。ボウボウの髪の表現がおもしろかったです。しばらく「お不動さんシリーズ」。私もお不動さんを創るのは好きだから、これだけ創られる気持ち、解るなあ! 
 
つづいては肖像画群。「良さん」を観て、いちばん最初に「どこかでみた雰囲気」と思ったのは間違いじゃなかった、と思いました。
「良さん」は下村良之介画伯。木田氏は画伯と交流があったのか、なるほどなるほど、とひとりでうなづいていたのでした。
 
特徴的な人物画のあとの「ガラス絵の風景画」は見事でした。
世界の見慣れた風景が個性的な構図で、新しく生まれ変わり、配色もすごい。赤と緑が効果的に使われているなー。見習わねば。
 
会場の真ん中は歌舞伎一色。役者の表情や動きが面白おかしくスケッチされていたり、隈取が迫力そのままに写し取られていたり…。それらがスクリーンで見られたり…。
とにかく、「うわっ」「おお」「まあー」「あわわ」「ふむう」 それぞれの作品にひとつひとつ違うリアクションがつくような、すごーーーい展覧会でした。パンフレットに「異才」と書かれていたけど、彼は「奇才」だ、と私は思いました。
ぜひ、みなさまも行かれてはいかがでしょう。10月31日木曜日まで。
 
Mog
おねえちゃん、いい刺激が受けられてよかったね、って思うけど、いいかげんにカラダ休めないと寝込んじゃうよ。 そうなってから泣いたって、ぼくは知らないぞー!

2002/10/20  奈良の大仏さまに会ってきました!
Eiko
10月17日、大仏開眼1250年慶讃美大法要に行ってきました。青い青い秋空の日、私はどうしても奈良に行きたくなったのです。
 
きのうまで、東大寺では大仏開眼1250年大法要が行われていたのです。でも、色々なスケジュールが詰まっていて、とても行く日がなかったのです。何とかなる日は10月17日の木曜日の午後しかないなー、と思っていました。
 
でも、その前日、パソコンの様子がおかしくなりました。どうしても書かないといけない原稿があったので、あせってパソコンの先生に電話をかけると「明日、持ってきて」と言ってくださいました。日がなかったので有難かったのですが、奈良行きは諦めないと、と覚悟しました。
そして、夜、試しにもう一回パソコンの調子みてみようと、電源を入れてみると、あらら不思議、直っているではありませんか! 
これは大仏さまが、私を奈良に来させてやろう、という御配慮!と勝手な解釈を致しました。
 
翌日、母を誘って、プーさんの黄色い水筒を下げて、意気揚揚と出かけました。その日も秋の半ばにしてみれば「暑い」と言わざるを得ないほどの良い天気に恵まれました。
 
奈良公園、東大寺の近くに来ると、何かしら華やいだ香りが漂い、大きな門には、白地に刺繍を施した垂れ幕が風に揺らいでいます。中からは雅楽が聞こえてきました。自然に胸がワクワク、気持ちがうれしくなってきます。こういう雰囲気、大好き!!
 
大仏殿の前には、奉納コンサートやイベントのための特設会場、そのあたりを水干姿の人たちが行き交い、ものすごく大きな火炎太鼓を舞姿の武人が打ち鳴らし、見上げれば、大仏殿には五色の幕、屋根の上をふわふわと散華が舞っています。そんな奈良時代と現代が交じり合った不思議な空間のなかに私もいるのでした。
 
その中にそれらを静かに微笑みながら見下ろされている大仏さま。
「大仏さん、うれしいやろなあ。みんなにお祝いしてもろて、幸せやなあ」と、思わず心のなかで声をかけていました。それに「あなたも鎌倉の大仏さんに劣らぬハンサム!」とも言っていました。
 
特設会場で献茶式が行われているのを見ている間も散華はふわりふわりと舞っていました。
ああ、一枚でもあの散華が私の元に舞い降りてくれたらなあ、と思いましたが、本当にそれは奇跡が起こらない限り無理に思えました。
風向きも奪い合いをしているひとの姿を見ても諦めないといけないことは明白。それでも散華の行方を目で追ってしばらくしていると、薄緑色の散華が何の拍子かこちらに向かうのが見えました。
でも、どこかで、誰かの手のなかに納まるのだろう、と思いながら見ていると、ひとびとの手をするり、するり、とぬけて、な、なんと私の靴の先にふわりと舞い降りたのです。
 
奇跡が本当に起こった瞬間でした。私は大仏さまに感謝の気持ちと、なんてなんて運のいい人間なのだろう、という気持ちで、心も、拾い上げる手も、震えました。でもひょっとすると「ハンサム!」と言ったので、大仏さまがそのほんのお礼に粋な計らいをしてくださったのかも!?!?!?
 
そのあと二月堂へ。せっかく来たのだら、とすごい石段を這い登りました。
でも、その甲斐あってお堂から見渡す景色のすばらしいこと。聖武帝(?)はここから遠くに見える民の家々から立ち上る煙に目を細められたのだなあ、と。
 
同じところに立って奈良の町の屋根を見ていると、私は今どこの時代をさまよっているのだろう、という気持ちにさせられました。
 
近鉄電車で平城京跡を見ながら「つぎの大仏開眼1300年慶讃法要、私はどこで見るのやろ」と思いつつ、私と母は帰路に着いたのでした。
 
そうそう、鹿の鳴く声をはじめて聞きました。山羊の声をもう少し太くしたような感じでした。そして、鳴き終わりが特徴的。ほうずきを口に含んでいるのかも知れない、って思いましたよ。
 
 
Mog
おかげさまで、おねえちゃんのホームページのカウントが1000回を越えました。こんなに早くこんな凄い数字になるなんて、とおねえちゃんは、びっくりしています。
これも一重にみなさまが応援してくださっているからだ、と思います。本当にありがとうございます。そして、これからもおねえちゃんは頑張ると思うので、ふつつかな姉同様に、このホームページも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
(1000番をゲットされたのは誰なのかなあ? とおねえちゃんは知りたがっているようです。もし、よかったら、教えてやってくださいませんか?) 

2002/10/02  無事に帰国いたしました。
Eiko
こんにちは。おひさしぶりです。長い間ご無沙汰して申しわけありませんでした。
 
実は9月の末に十日ほど、フィンランド、エストニア、ロシアを旅行してきました。
 
ヘルシンキの町は静かで美しく、森も本当にムーミンが住んでいるに違いない、という雰囲気でしたよ。
水も空気も清潔で、地面の中をお湯が流れていて、真冬でも常に家の中は22〜23度に保たれている、という話です。だから、どんなに外が寒くても、家の中は薄着で過ごせるそうです。
環境もよくて、私、ここなら移り住んでもいいな、と思いました。
 
エストニアのタリンには往復船でした。
小さくてきれいな町でしたよ。でも朝の七時にホテル出発で、夜九時頃のホテル着は少しハードでした。
しかしながら車イス10台以上の26人の団体は、その国では船に乗せるのも上陸させるのも初めて、だとかで、リフトバスの手配も大変だったみたい。
 
それに引き換え、ロシアは発展途上国で森は雑木林、下をみればゴミの山。ガソリンの精製が悪いのですごい排気の臭い。道はガタガタ。
来年五月にサンテペテルブルグでは大祭があるようで、きれいだと思われる建物はテントで覆われほとんど工事中。
 
バレエ「白鳥の湖」を見に行けば、そんなに上等のバレエじゃなかった。でも本場に行って、それでも綺麗なものが見られたのだから、文句は言えないなあ。
きっと一流は、ロシアの一般には高価すぎて、だから世界を廻っているのだろう、と勝手に解釈しました。
 
エルミタージュも建物とか装飾は本当に素晴らしかったのですが、所蔵されている絵画は、ルーブルとは比べ物にならなかったです。
一、二枚、ウヒョー!というものがある程度でした。
郊外のピョトール大帝の夏の宮殿やエカテリーナの夏の庭は、さすがに、ものすごいものでした。
ここで思ったことは、良きにつけ、悪しきにつけ、絶対権力をもつ大王がいなければ、後世に残せる建物ようなものは出来ないのだな、と感じたことです。
 
そして、気になったことは、リフトバスがロシアには一台もない、ということでした。
この国の障害者の現実生活が推して知るべし、でショックでした。
 
帰りは飛行機のエンジントラブルでサンクトペテルブルグに七時間足止めされ、ヘルシンキでのお買い物時間が全くなくなり、乗り継ぎの飛行機に飛び乗って、帰路についた次第です。
 
しかしながら、
バルト海からの夕焼けは、それは美しく、うつくしいものでした。
 
この夕日を見られて、そして、いろいろな風景のなかに私は居り、つくづく「私は、しあわせなのだ」と感じました。
 
またデジカメで写真をいっぱい撮ってきましたので、このHPで「旅行記」を作りたいと思っています。どうぞお楽しみに!
 
Mog
なによりも無事に帰れてよかったね。お買い物の時間がなくて、何もおみやげが買えなかった、ってブツブツ言ってるけど、素敵な思い出がたくさん出来て、よかったんじゃあないのかなあ。
おねえちゃんは、しあわせすぎるんだよ。きっとね。



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