Eiko
きょうは、まさに春爛漫。春の香りをいっぱい含んだ空気が充ち満ちています♪
せんしゅうの土曜日から、きのうの金曜日までの一週間、ちかごろマレにみる激動の七日間でした。
まず、四月三日の土曜日から…
その日は、お泊まりセットを持って、御所の横のホテルにチェックイン。メンバーは、「エッセイの風」のなかの「キャンプの思い出」を読んでいただくと解るのですが、そのときリーダーだった方たちです。(去年、山形にもご一緒した横浜からのリーダーも、このお花見に参加してくださいました♪)
それからお昼をたべて、蛤御門からお花見に出発♪
御所にくわしいリーダーのFAXをたよりに、色とりどりの桃の林をながめ、糸ざくら(しだれ桜)、山桜、ソメイヨシノなど、あらゆる桜…目を移せば、ユキヤナギの白さも新鮮で…
そのあたりをウグイス、メジロ、ヒヨドリなどがさえずり、飛び交う…
ここを直衣(のうし)に身を包んだ公達や牛車に乗った十二単のお姫さまが通っていたんだなあ、と千年もむかしの風景が、そのままのタイムスリップしたような不思議な感覚…
「御所のお花見は初めて♪」とのEikoのことばに「何年、京都に住んでるの?」と、みんなのあきれた顔♪ ふふふ…♪
でもね、御所のお花見、なにがいいって、宴会をしてないし、お弁当も広げていないんですね。純粋に、ゆっくり花を愛でるなら、「御所」にかぎりますぞ♪ みなさま♪
それからFAXをくれたリーダーが「染め」の展覧会をしていたので、そこへ寄り、そのリーダー宅へ♪ さんざんおしゃべりのあと、夕食へ。
夕食は、Eikoがおすすめの「創作和風料理」♪ いろんな変わったお料理がたくさん出てきて、もうもう最高の気分♪♪♪
それでもって、ホテルで、またまたおしゃべり♪ それとメールアドレスの交換会ね♪ そのあいだをぬって、お茶やおかきを口へ放り込むのだから、、、ひとさまが遠くから見てられたら、なんとも言えない光景だったことでしょう♪
よくじつは、あいにくの雨、、、雨、、、
でもね、みなさん、Eikoの家に来てくださって、とってもしあわせでした♪
雨はやまなかったけど、哲学の道は、みんなで散歩しました。すこし歩きにくかったけど、ほこりが立たなかっただけ、よかったかなー…♪(負け惜しみ♪)
そして五日から六日にかけては、岡山からAさんが来てくださいました。お昼を宮川町にあるレストランで。さすが色街だけあって、普段着の舞妓さんと行き違ったり…京都らしい町並みを歩いて、いざ哲学の道へ。
その日は、きのうとうって変わって快晴♪
亡くなった○○と歩いた小径やほとんど知るひとのいない桜の苑、そして哲学の道を歩く頃には最高のタイミングで夕日をながめることができました♪ 感謝でした。
夜は、いっしょにホテルにお泊まりして、朝の四時まで、それはそれは大変なおしゃべりタイム…♪
翌日は、Eikoが念願だった宇治の源氏物語ミュージアムへ♪
ほんとに期待して期待して行っただけに、やっぱり少〜し失望したかなー、、、
ここは、なんか本居宣長の「湖月抄」みたいな感じで、よほど通じてないと…ってところもなきにしもあらず…
それから、おそいお昼を黄檗へ♪ そうです、普茶料理をたべに行きました。
ちょうど万福寺門前のお料理屋さん。普茶料理は、中国明朝時代、僧侶が食していた?(それにしてはカラフル)お料理。
季節感もバツグンで、いっしょに紹興酒なんかもいただいちゃって、とてもとても美味でした♪
七日は、童話教室。
八日は、すこし前に、新しく京都市が建てた福祉会館で、七宝教室をされるので、そのお手伝いをさせていただくお話を受けていました。
その一回目の顔合わせ。
Eikoのようなものでもイイと言ってくださったので、これから本格的な準備をしなければなりません。有難いことだと思っています。
九日は、滋賀の老人ホームへ。
帰りに「えき美術館」に寄り、「高畠華宵(たかはたかしょう)展」を観てきました。大正ロマンと昭和モダンの香り漂う絵に、心がなごみました♪
ここからは、解るひとに解るお話です。
このあいだ、あるおじさまが
「一片の氷心 玉壺に在り」
という言葉の意味をお話くださいましたよね。
Eikoは漢学の素養はまったくないのですが、この言葉をふくむ漢詩だけは、たまたま知っていて、この言葉のファンなんです♪
おじさまのお話は間違ってはいないのだけど、この詩の雰囲気が伝わらないまま終わってしまわれたので、Eikoはとても残念に思いました。だから、おじさまの向こうを張って、詩の全文を書いてみます。
芙蓉楼にて辛ざんを送る
王 昌齢
寒雨 江に連なって 夜 呉に入る
平明 客を送れば 楚山 孤なり
洛陽の親友 如し相問わば
一片の氷心 玉壺に在り
訳
ひさめがしょうしょうと長江につらなりながら 夜通しこの呉の国にとうとうと流れ込んでいる。そうした明け方、旅立つ貴方を見送るとき、ゆくてに横たわる楚山がぽつんと見えた。貴方のゆかれる洛陽にいる私の親友が、私のことを尋ねてくれたならば、言ってくれたまえ「私の心の中、それはいわば玉壺の中の氷のように、あなたのことを思って清らかに結晶している」と。
大意
自己の孤独な心と、澄み通った惜別の悲しみとを、寒々とした風景に託してうたったもの。
この詩は「氷壺(ひょうこ)」という言い方で表すことが多いようです。
白玉で作った壺にひとかけらの氷を入れたような、清らかで透き通って澄み切った心境、というようなことを表すときに用いるみたいです。
これらは、すべて父の受け売りです。悪しからず…♪
ついでに言ってしまうと、自作「花びらの符」はこの詩の雰囲気を、Eikoなりのとらえ方で書き込みたいと思ったものです。
あのおじさまの「鉢かつぎ」と「ものぐさ太郎」と、この詩が、どう結びつくのか、、、真面目にたのしみ♪♪♪です…
Mog
なんでもいいけど食べ過ぎて、胃痛になったことも書かなくちゃあ♪
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