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脳性マヒ・二次障害レポート

Eikoのひとりごと
      Mogのつぶやき



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2004/01/28  ラストサムライ♪
Eiko
きょう「ラストサムライ」を観てきました。奇しくも、今朝テレビで渡辺謙がアカデミー賞の助演男優賞にノミネートされたことが流れていて、もともとEikoはトム・クルーズってカッコイイ♪と思っているので、輪を掛けてワクワクしながら映画館に向かいました。
 
感想は「面白かった♪♪♪」の一言につきます。超大作娯楽映画の決定版♪ さすがハリウッドです。スケールの大きさ、お金のかけ方がハンパじゃなく、ものすごかった♪
 
まっ、物語は奇想天外という感もありますが、それはそれで映画のなかで成り立っていればいいものなので、面白いと感じればいいのです。でも、日本の「サムライ」の「心」が本当によく研究されていて、外国の映画だということを忘れさせました。
 
日本が西部劇を制作しても、ここまでアメリカのひとの心を掴めるか、疑問です。このことだけをみても日本がアメリカに宣戦布告したのは無謀だったな、という気がします。
 
その点から言えば、全く映画とは関係ないのだけど、アメリカが打ち上げた火星探査機2号が無事軟着陸したそうです。これもヨーロッパも日本も成功してないのに…と「天声人語」に書いてあったけど。そんな強国に、ほんとに、よくもまあバレバレで(当時の日本は「隠密行動成功」と思ってたのですが…)「トラトラトラ」と仕掛けたものだなあ、と感心ひとしきり。
 
話を映画に戻します。
ただ、天皇謁見の場面は「あれ、こんなだったっけ?」とは思ったんですが、どこがおかしい、とは明確に言えないのが残念、でしたね♪
 
トム・クルーズは甘いマスクで、やはりどこまでも格好良くて、渡辺謙のすごみ、真田広之の剣さばき、なども素晴らしかったし、トム・クルーズと小雪の関わりも何とも言えず、ほんのり素敵♪でした。
 
だけどEikoが一番びっくりしたのは「福本サン♪」でした。 
福本清三というのがフルネームなのだけど、我が家では全員が「福本サン♪」。
 
彼は、東映の大部屋にズーーーッといて、昨年?定年になりました。彼を知ったのは20年くらいまえのこと。朝のワイドショーに「二千回死んだ切られ役」として登場していました。それまで切られ役ばかりなので一度切ってみたい、という願いを番組のなかで叶えよう、というものだったと思います。
 
紋付き袴の衣装で、バッタバッタと切っていました。その殺陣の見事さ♪に圧倒され、それから我が家全員がファンになったのです。
 
それ以来、時代劇をみれば必ず「福本サン」チェック♪
「きょうは二回、切られはった」「この後ろ姿、福本サンや」とうるさいこと♪ 
正面を向いて切られ、次に後ろ向きで切られ、チラッと画面のはしっこで切られている♪
 
定年になったときには、NHKが、福本サン♪のドキュメンタリーを45分枠で一本、制作し、徹子の部屋にも出られて、「主役やん♪」と我が家は喜びました。
これらの番組で、いつもの悪役、こわ〜い印象、とはちがって、ほんとはシャイで照れ屋さん♪なのが、よく解り、よかったなあ、と。
 
その福本サン♪が「ラストサムライ」に出演していたのです。はじめ「まさか?」と思ったのです。なぜ?って、いつものメークと、まるっきり違うものですから…
でも、よく見るとやっぱり福本サン♪ 
それが「刀研ぎ師、兼、サムライ」の味わいある役所。最後は討ち死に、なんだけど、主役たちに勝るとも劣らないくらいカッコヨカッタ♪
 
彼と大部屋にいっしょにいた、という俳優さんとお話しする機会があって「ファンなんです」というと「福ちゃんは、ほんまに優しいてエエ人ですわ」と。父も「悪役、切られ役のひとで、ほんまに悪いひとはいない」とは言ってましたが、ほんとうにそうなんや♪ と。
 
そして、その福本サン♪は、長年の積み重ねを経てのメジャーデビュー♪ イチローや松井と肩をならべたんだよね。「やったね♪ 福本サン♪」 
Eikoは「ラストサムライ」見に行けてほんとに良かったなあ、って思いました♪
 
帰りには、おいしいケーキと紅茶をいただいて、ああ、きょうも本当ににイイ一日でした♪
 
Mog
福本サンのこと、ほんとにうれしいね♪ でも、おねえちゃんは、いつも最後には食べてるね♪

2004/01/21  秦テルヲ展
Eiko
きょうは国立近代美術館で催されている「秦テルヲ展」を観てきました。今週いっぱいで終わりの展覧会です。
昨年の12月9日から始まっていたのですが、ちょっと重苦しい絵、という印象があって、なかなか腰が上がらなかったのです。でも、だんだん期日が少なくなってくるし、あまり観る機会も少ない画家という思いもあって、思い切って行ってきました。
 
明治の末から大正期ににかけて注目されながらも、その後、世間から忘れられた異端の日本画家でした。明治20年広島に生まれ、父が8才のときに亡くなり、苦学して京都美術大学の図案科を卒業、このころから若手画家を中心とする日本画改革運動が盛り上がり、彼も土田麦せん達と共に活動していきます。
 
その後、反官展の姿勢を鮮明にし、竹久夢二らと交流しながら、個展を中心に活躍。
 
やがて京都、大阪、東京の色街の女たちや曲芸師など社会の底辺で生きる女性の「生と性の地獄」を題材に制作をかさねていきます。
Eikoは、このころの作品のイメージしかなくて、観るのをためらっていました。
 
しかし大正7年に結婚、このころから絵のイメージは変わり始め、子どもが誕生した9年あたりから見事に180度変わります。
 
男のひとは結婚すると、こうも作品に影響するものか、とEikoが感じた最初は「国吉康夫」でした。国吉の絵の変化は、独身時代「眠っているひと」を描いても「死人」に見えていたのが、結婚後の作品では「死人」でも「輝いて眠っているひと」に感じてしまったほどの違いでした。
 
でもテルヲの作品は、同一人物が描いたのか疑いたくなるほどの変わりようでした。
宗教も母親の影響からキリスト教だったのが、仏教に転化したことも大きく関わっていると思います。
そして、次第に宗教的な色彩を深め、昭和15年前後の仏画は圧巻でした。テルヲにしか描ききれない仏たちがありました。それらは、よく見ると奥さまの顔に似ていました。
結婚が、彼をどれだけ幸せにしたか、よく解りました。
 
晩年は原因不明の病に冒され制作が困難になり、死の淵にある自画像を、チベットのお祭りなどで踊り手が被る面のように頭をドクロで覆った苦悶する自画像、これは苦しみを描いているのだけど、どこかコミカルに、Eikoには感じられました。そのほか日記風の小品などを残し、昭和20年12月、58才で他界しました。
 
ちょっとシンドイ作品もありましたが、やはり本物に触れると、必ず得るものがあるものですねえ♪
 
それから以前、ここの常設展を観たときに甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)の「畜生塚」という絵がありました。それまでの彼の絵のイメージをくつがえし、まだオマケがたくさん貰えた、と思うほどのスゴイ絵でした。
その絵に会える、会いたい、との一心で階段を上りましたが、ああ、入れ替えがあったようでした。うーーーん残念♪
 
でも、いい一日でした♪ ルンルン♪
 
 
Mog
きょうは、ぼくの誕生日だよ。生きていれば22才… おかあさんやおねえちゃんが親バカで言っていたオックスフォード大学卒業する年だよね? 角帽にマント、着けてみたかったね♪ って言ったって、長寿犬で表彰されてるのがオチかもね♪

2004/01/19  ニュー・イヤー・コンサート♪ 新年会♪
Eiko
みなさま、お変わりございませんか? ちまたでは悪い風邪が流行っているそうです。ご帰宅になられたら、ウガイと手洗いをお忘れないように♪
 
Eikoは、またひとつ年をとり、十日が過ぎようとしています。
その日、いつものように恵比寿神社に行きたかったのですが、母が仕事でした。
それでね、その翌日に、昨年の秋から予約していたニュー・イヤー・コンサートにも行かなくてはいけなかったので、その帰りに恵比寿さんへ行くことにしました。
 
ニュー・イヤー・コンサートは、ウィーン・ヨハン・シュトラウス楽団で38人編成くらいでした。大阪フェスティバルホールの二階席でしたが、真正面の良い席でラッキー♪
 
プログラムを見ると、いろんな曲目が書いてあるのですが、作曲者の名前がありません。「喜歌劇こうもり序曲」開幕でワクワクしました。そして次々にワルツ、ポルカ、マズルカetc…聴いているうちにハタと分かりました。楽団がヨハン・シュトラウス楽団なのです。大方は楽団名の方の曲に決まっています。ときどきヨーゼフの曲もありましたが、とにかくシュトラウス家の曲にはちがいありません。
 
音楽を聴いていると、楽団の最後尾のふたり、とちらも打楽器なのですが、メモを交換したり、おしゃべりしたり、、、見ているとケンカに発展し、打楽器をお互いに張り合いながら演奏しています。片方のひとがキレて、指揮者に直訴に行く場面もあったり。。。
 
ふたりとも太っていてユニークな仕草で、とても楽しい演出に演奏中にもかかわらず、笑ってしまってました♪ もちろんEikoだけではありませんでしたよ♪
 
アンコールもすごくて、三回か四回ありました。もちろん最終曲は決まっているので、それまでは拍手はやみません。
ほんとうにお高くはなかったのですが、これほど楽しい演出が散りばめてあるニュー・イヤー・コンサートは初めてだったので、ずいぶん得をした気持ちになりました。
 
階段を下りていると、通りすがりのひとたちが、母やEikoに「楽しかったですねえ♪」と。私たちも「はい、とても」と答えながら、ウキウキしてホールをでました。
 
そして京都に着いて、いざ恵比寿さんへ♪ 残り福にあやかろうと人出も多くて、福笹とカルメラ焼きを買ってもらって、ついでに夕食もして帰りました。
 
それから15日には、児童文学のひとたちとの新年会♪ Tさんちに集まって、思いっきり食べて、ワイワイおしゃべりしました♪ 
 
その家に「プラトンくん」という犬がいます。もうお年寄りなのだけど、もう一匹「まるちゃん」というのが来てから、急に元気になり、愛想もうーんとよくなっていて、やっぱりライバルがいる、ってのは、いいことだな、と。
 
みなさん、近頃、元気がなくなってきた、とか、生きる気力が衰えてきた、とか、お思いの方は、ライバルをみつけて「あいつには負けたくない」と思うようにすれば、元気にもなるし、ボケも遠のくかもしれませんね♪
でもプラトンくん、何回もごはんはほしがるって、聞いたような… うーん♪
 
Mog
ぼくも、ずーっと生きていられたら、おねえちゃんは、ライバル、探さなくてもよかったのにね。

2004/01/08  七草の日、日展へ♪
Eiko
お正月、みなみなさまはどのように過ごされたことでしょう?
ことしは、いつも来る親戚が風邪引きさんだったり、忙しかったりして、だあれも来ずに、しずかなお正月でした。
 
Eikoは、一日、二日はボーーーッとしていましたが、三日から窯に火を入れました。昨年の忘年会に持って行ったハンドバックをみて、ともだちの何人かが注文してくれました。
でも仕事をしていると、時間の経つのが早いのなんの、、、きっと楽しいからでしょうね♪
 
そして、きのう日展にいきました。「もと美いま美コンビ」(これから我ら母娘のことをこう呼ぶことにしました。正式には「もと美しかった?であろう老婆と、いま美しい?と自分だけが思っているヘンチョコリンのコンビ」です♪)
 
日展は、「もと美」に敬意を払って「書」から。思わず吹き出してしまったのが、池田桂鳳氏の書。いつも「さすが」と思う方なのですが、そんなすごい字で、書いてあることが「よい朝の よい御飯ができた ごはんのしろさ 胡麻塩ふりかけて いただく」。独創性のある文字で書かれると、こんなことを書いても芸術になるのだな、と思いました。
 
それから「すごい!」と感じたのは村上三島氏の作品。とても91才の方の書とは思えないほどの力強さ。いまも一日8時間、書いておられると聞いて、なおなお驚きです。「努力や」と、母は言いましたが、Eikoは「死ぬほど書くことが好きなんやなあ」と思いました。
 
日本画は、例によって例の如く「洋画かぶれ」ばかりが揃っていました。そればかりか驚いたことに重鎮の平山郁夫氏、片岡珠子氏、上村敦氏など絵が「ない」のです。どうしてか、と思います。たぶん京展のようにシステムが変わったのでしょう。
たしかに、これは完全に洋画と思う「日本画」も出てきて、もうこの波は止められないところまできているのでしょう。しかし、日本画独特の作品が「日展」でさえも観られなくなった、というのは残念、というよりも口惜しく、哀しく思います。
 
洋画でも、心惹かれる作品はほとんどありません。でも、そのなかで、いつ観ても「すごーーーい♪」と口走る作品があります。中山忠彦氏の作品です。まったく、みごとな写実です。近づいて観れば、筆のタッチも分かるのに、ちょっと遠ざかると、ひとの手で描いた、とはとても思えません。機会があれば、みなさまも一度ゆっくり観て戴きたいと思います。
 
工芸も特に良いと感じるものはありませんでした。
 
母は「この部屋のなかで、ひとつだけあげる、って言われたら、どれにする?」といつも聞きます。ここ数年「なにもいらん」という部屋が大方になってきました。
 
 
Mog
まあ、ふたりとも他人の作品にケチばかりつけて、、、 自分は棚の上、かよ。

2004/01/01  あけましておめでとうございます♪
Eiko
つつしみて新年のお慶びをお祝い申しあげます♪
 
きょうの京都は穏やかなお天気に恵まれました。みなさまには佳いお正月をお迎えのことと存じます。
 
さくねん、HP、サボリ通しの一年だったように思います。
そのかわり、と言ってはいけないのかも知れませんが、Eiko自身は、いろいろ書ききれないくらいの経験をしました。かなしいことも、うれしいことも、つらいことも、たのしいことも、消化不良をおこしそうなほどいろんなことがおこりました。それらを全身で受け止めて、全力で向かっていった一年でした。少しは成長したのかな?
 
ことし、どんなことが待っているのか分からないけれど、ワクワクしていることだけは確かです♪
 
ことしも恒例のごとく、午前0時すぎに家を出発、寂光寺(囲碁で有名なお寺♪)へ除夜の鐘をつきにでかけました。それから歩いて平安神宮へ。そのあたりは屋台がたくさん出ていて、目も心もルンルン状態♪ 
 
ふと見ると「山寺の玉こんにゃく」の文字がー。わざわざ山形の立石寺から。さくねん秋、そこで食べた玉こんにゃくの味が忘れられず、母にも食べさせてやりたい、と思っていました。思わぬところで、思わぬことが実現しちゃいました♪
 
それから、またまた歩いて、哲学の道の起点、若王寺神社へ。ここで本格的に新年最初の礼拝をしました。
 
そして、神主さんに、枡になみなみと樽酒をそそいで頂いて、母とふたり、それぞれに「一気呑み」♪ ここへたどり着くまで2〜3km歩いてきたので、それに山寺の玉こんにゃくも効いていて、のども乾いていたのですね〜♪
 
それで、破魔矢とおみくじ(みごと大吉♪)をもらって、ルンルン気分♪
 
そしたらね、帰り道、とても、とっても、イイ気持ちになっちゃって、とつぜん謡いたくなりました。もう、房のついた見台が目の前に浮かんでいます。どこからか裃(かみしも)も飛んできました。
 
こうなってくると、謡わねば♪ 演目は、Eikoの十八番(おはこ)「女舞坂酒屋の段」。なんて言っても、さわりの一節だけなんですけどね♪
これは歌舞伎では「酒屋」という演題で、とてもポピラー♪
 
「♪いまごろは 半七っつあん どこにどうして ござろうぞ きょねんの秋のわずらいで いっそ 死んでしもうたら こうした嘆きは あるまいものを おおおぉぉぉ…♪」
 
母に「三味線♪」というと、破魔矢をちょうどいいところで振ってくれてます♪(な、なんという母娘) だあれも通っていない、くらい道、もちろん近くに民家はございません(みなさま少しは安心されたことと存じます♪)。
 
気が付いて、「きょねんの秋のわずらい」を「きょねんの春のわずらい」に換えまして、もと美しかったような老婆と、いまも美しいらしいヘンチョコリンのコンビがワイワイ騒ぎながら、、、
 
ふと我にかえり、Eiko「世の殿方は、やっぱり、みる目があるなー」と。母「なんで?」 Eiko「こんなん、お嫁にもろたら、悲劇やん♪」 母「そらそうやん。升酒のんで、ほろ酔いで、元旦に道の真ん中で、浄瑠璃謡い出すようなひとやもんなー♪」 そして大笑い♪ 初笑い♪ ルンルン♪
「♪いまごろは  …いまごろは …半七っつあん (チリチリ《破魔矢の鈴音》) ………♪」
 
たった今、2004ねんが明けた空のもと、バカの壁も突き抜けてしまった母娘は、ゆかいに家路についたのでありました♪ ベンベン♪
 
本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
 
Mog
ことしも、こんな姉、ふっふうー(大きなため息)、ではございますが、みなさま、どうかどうか、お見捨てなきよう、よろしくよろしくお願い致します。



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