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脳性マヒ・二次障害レポート

Eikoのひとりごと
      Mogのつぶやき



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2003/08/21  ひとり歩きで、展覧会ふたつ♪
Eiko
きのう、ひさしぶりに、ほんとに半年ぶりくらいかな? ひとりで美術館に行ってきました。なにか美術館に向かって歩いているだけで、ワクワクしてきます。入り口に近くなると、美術館のにおいがしてきます。あまりかぐわしい香りではありませんが、伝統の重みを感じます。
 
「京の七口 京都・美術入門」という京都市美術館のコレクションの展覧会。だから憶えている作品も多くあります。ことしは創立七十周年で、この一年は市所有コレクションの展示が行われるそうです。
 
最初の方は、明治期に活躍された画家たちの屏風や掛け軸が中心。これは私の知らない画家が多い。つぎの世代からはだいたい知った画家がいます。竹内栖鳳、菊池契月、土田麦せん、などなど。
 
私は、竹内栖鳳の「熊」(1910年)がなんとなく好き。熊のもつ優しさやユーモア、厳しさもみせていて、さすがあ♪と思います。村上華岳も優美な感じだし、三輪良平の描く「舞妓」などはオリジナリティに富んでいるし、皆川月華、泰蔵親子の作品も、さすがー♪
 
昭和に入れば、立体のシュールなども出てきて楽しい。八木一夫、鈴木治、の感覚はいつ見ても新しく思えて、とにかくウッヒャー♪です。そして上村松こうさんの鳥の絵は、心からのやすらぎをいつも感じてしまいます。
日本画を中心にした見応え十分の展覧会でした。8/24まで。
 
つづいて「星野道夫の宇宙」展。これは十年ほど前、ロシアでの取材中にヒグマに襲われ42才で急逝された写真家、星野道夫さんの展覧会。
 
この写真展は本当によかった♪北極熊、アザラシ、白フクロウ、ヌー、ナキウサギ、トナカイなとなど。どうして、こんな表情の動物たちが撮れるのだろう、と思わず見入ってしまいました。
 
それは考えられないくらい膨大な待ち時間のなかのほんの一瞬にすぎないのだ、ということを忘れさせるほど、ほほえましく、やさしく、あたたかい。
 
このまなざしを保ち続けられていることに、ほんとうに尊敬してしまいました。どんなに強靱な意志の持ち主だったろう、と思います。
 
母は、このひとの生き方に否定的です。どんなに素晴らしい写真を残しても、死を賭けてすることではない、と、いつも言います。母は、きっと見守っている肉親や残された家族の思いに添っているのでしょう。
 
Eikoは、母の言葉のまえでは「そうだね。そこまでしなくてもいいのにね」と言います。でも、ほんとうは、何も考えずにそこまで没頭して死を迎えた彼を、うらやましくも思います。
 
でも、だいたいは、そんなことなどを考えないで、絶対オーロラを見にいくぞー♪ なんて可愛いの♪ と一枚の写真を見るごとに感じて、思わず口から出そうになって、Eikoは困っていました。
 
彼の言葉ではないようなのだけど、「風は、真の化石である」とか「本当の感動をひとに伝えたいと思ったら、写真や言葉ではなく、自ずから変わることだ」という言葉にも出会えて、見に行くことができて、よかった♪と心から思いました。京都大丸8/26まで。
 
Mog
また、足の体操さぼってるだろう。しないとどうなるか、わかってる? おねえちゃん!

2003/08/09  フリーダ・カーロ
Eiko
せんじつ、友だちが「フリーダ・カーロっていう女流画家、知ってる? Eikoちゃんと共通するもの、あるのとちがう?」と言って、ビデオと画集を貸してくれました。「絵は好みがあるから、やけど、生き方がすごいねん」とも言いました。
 
正直にいうと、絵は好みではありません。それに、Eikoには、世界が注目するほどの芸術性もない、ので、Eikoと比べるのは、恐れ多いというか、彼女に失礼な気持ちもしました。
 
でも、ビデオで、彼女の生い立ち、生き方、と作品の切り離せない関係を思うと、EikoとEikoの作品も、こういう観点から見て頂いている方もいるのかも知れないなー、と思い始めました。
 
フリーダ・カーロは1907年にメキシコで土着民の血を引くものとして生まれました。18才のとき、交通事故に遭い、脊髄と骨盤に大きなダメージを受けます。しかし、父親の薦めで、絵を描き始めます。もしも事故に遭っていなければ、絵筆を持っていなかったでしょうね。
 
このことだけは、Eikoにも当てはまるわ♪ 障害がなければ、絶対に七宝はしていないもの。
 
彼女の描く絵は、終生を通して「自画像」ばかりです。最初は、若さにあふれた美しい自画像ばかりだったようです。しかし、人生の伴侶となる人気壁画家ディエゴ・リベラと出会ったことで、彼女の絵も変化していきます。
 
美しい自画像ではなく、心の葛藤や自己の後遺症の痛みとの戦い、といったものを、時には陰惨に、またグロテスクに、自嘲するように、描いていきます。
 
絵を描いているときだけ、痛みから解放されていたらしい、ということですが、これは本当に、Eikoにも実感できます。熱が少々あろうが、首や腕や腰が痛かろうが、七宝の筆を持つと、あらら不思議♪ いつもの普段の状態になるのです。
 
フリーダは、骨盤の障害で何回もの流産を経験したり、リベラの度重なる浮気に悩まされたりします。そして、考え抜いた末の離婚。その後、イサム・ノグチや亡命中のトロッキー、ロック・フェラーなどが彼女の生きざまに魅了されていきます。
 
しかし、彼らの誰一人、最愛のリベラに勝るものはいませんでした。そして一年後、ふたたびリベラと再婚します。その心のドロドロした部分や裏切られても愛し続けているリベラのことなどを、そのまま絵に表現しています。
 
その絵は、西欧のシュールレアリズムの勢いと相いまって、世界的に評価されます。そして激痛に耐え、寝たきり状態であっても、死の寸前まで絵筆を離さず、47年の短い生涯を終えます。
 
ふつう、作品とそれを創り出す作者とは、別物、として扱います。たとえば殺人犯でも、描く絵が素晴らしければ、絵だけは塀の外を一人歩きできます。
 
でも彼女のしょうがい(生涯と障害)と彼女の絵とは密接な関係にあり、切り離しては芸術としての彼女の絵が理解されなくなると思います。こういう絵描きがいることは、Eikoにとって発見でもあります。
 
Eikoは、自分と自分の作品を別々のものとして見てほしいな、と思ってきました。障害者の創った作品だから、この程度でも大したものだ、というようには思われたくなかったのです。
 
そのために、といえば、語弊があるかもしれませんが、努力(この言葉は好きじゃない!)を惜しまず、がむしゃらに創ってきた、とも言えなくもありません。
 
ことしの年頭に「七宝の展覧会」と「病気のことを書く」つもり、って発表したのですが、あとの半分は頓挫しましたね。
みなさんのなかには、障害や病気のことを、Eikoがどのように捉えて、どのように思って生きてきたのか、ということを書けばいいのに、と思っておいでの方もいてくださいます。
 
Eiko自身、書きかけていました。が、書けなくなりました。Eikoは弱いんだなあ、と思っていましたが、このフリーダ・カーロのビデオを観て、理由がわかりました。つまり、ディエゴ・リベラのような存在が、Eikoには、いないからです。
 
「愛は、なにものをも乗り越える」とは、よく言ったものですねえ♪
 
でもね、強がりに聞こえるかもしれないんだけど、いまのEikoは、自分でそれほど悪くはない、っておもってるんです♪
もしも、リベラのようなひとが現実にいたら、Eikoは、作品も創らず、童話も書かず、ただ奥さま業に明け暮れしていたかもしれないし、その可能性の方が大きいもの♪
 
それに、Eikoは、もともとが甘えたで、自分にとびっきり甘くて、苦しむことは一切したくない、とも思っていて、現在の怠惰な生活も、いまのEikoにとっては適当かな? と思ってるんですね。こまったことに♪
 
最後に、展覧会と映画のご案内をします。
フリーダ・カーロの生涯をえがいた「フリーダ」(アカデミー賞2部門受賞)。もうすぐMOVIX京都で公開されます。
展覧会は、彼女の絵画を中心とするものが、9月中頃から大阪天保山サントリーミュージアムで開かれます。
 
Eikoは、正直、どちらも観たくないなー、って感じなので逃げます。どうか、お見逃しのほどを…♪
 
Mog
ぼくが、もしも人間に生まれていたら、きっと、おねえちゃんにとってのリベラになれていたかも、な♪
でも、せっかく一緒に行こう、って言ってくださってるのに…ほんとに逃げる気かよ!
 
 
 



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