Eiko
きのう雨の降りしきるなか、母と神戸にある兵庫県立美術館まで行ってきました。念願の「安藤忠雄展」を観るためです。
着くと、たまたま安藤忠雄氏のギャラリートークが始まろうとしていました。Eikoも聞くべく、その会場に向かいました。
椅子が用意されていたのか、いなかったのか、わからないくらいのいっぱい状態。「まあ聞くだけでいいや♪」と立って待ちました。
Eikoが最後列くらいだろうと思っていたら、あとからあとから来られて、ものすごい熱気の中、結局、ひと、人、ヒトのど真ん中で聞くことになりました。
遅刻すること15分。やっとガラガラ声が聞こえてきました。
テーマは「若い人たちに告ぐ」というもので、作品解説などはいっさいナシ。
「若い人は自由だけれど、甘やかされて役には立たない」「今ある日本は五十代六十代のひとたちが汗水流してつくったのだ。その上にのっかっているだけで何もしようとしない若者が多すぎる。これでは50年後、日本はアメリカ合衆国日本州になっていてもおかしくない」など手厳しい。
さらに「一流大学を出ていても、判断力がない。自分で考え出すことがない」など、頷くべき言葉はつづきます。それらを大勢の若者たちは笑って聞いていました。
最後の「何でも体験すること。例えば夜中に仕事を終えて、電車がないと帰れない、などと言う前に、歩いて帰ろう、という発想がどうして生まれないのか。夜が明けていく中を歩く、日の出を見る、そして何かを感じる。物事のありようをどう感じるか、ということこそが第一歩である」という言葉に、Eikoは大きく頷いてしまったのでした。
しかし、そこでも若者はニヤニヤしているだけ。照れもあるだろうし、「何を熱くなって語っているのだろう」と思っているのかも知れません。
でもね、もっと真摯な態度で聞くべきことは聞かなきゃあ、と年寄り臭く?思ってしまったEikoでもありました。
でも、微かに、チラッ、とでも氏の姿が見られなかったのは、返す返すも残念でしたね♪
続いて展示を見てまわりました。展示は模型や写真や図解、ビデオなどで行われていました。
作品全体を通して解ったことは「水と光と心地よく独創的な空間」。これが安藤氏が建築を考える上での基本ではないだろうか、ということです。
その会場・兵庫県立美術館も安藤氏の作品なのですが、見た目の心地よい空間と実用的な空間の有りよう、というか、せめぎ合い、みたいなものが建築家の腕の見せ所なのでは、と思い至りました。これはまさに究極の難問でしょう。
県立美術館は車いすの利用者にもよく配慮されていたし、言うことはないのです。
でも初めての利用者には、展示室が区切ってあるために、どこまで続くのか把握しにくいし、無駄に歩かねばならないスペースも多かったのです。
しかし、そのスペースこそが「見た目の心地よい空間」であるわけですから、うーん、むつかしい♪
しかし模型の精密さには、ただただ「うなるばかり」でした。あれだけの物を創るのに、とれだけの時間と集中力、忍耐力が必要だったでしょう。
それこそ一流大学出の助手たちが寝る間も惜しんで作り上げたのだ、と思うと一見して通り過ぎるようなことが出来なくなりました。
どれもこれもすごいのですが、「これは圧巻」と舌を巻いたのはニューヨークの立体模型。これはグラウンド・ゼロ・プロジェクト、つまりあの9.11ツインタワー跡地のプロジェクトです。何百とあるビルひとつひとつが縮小され、それぞれの形に仕上げられています。そして、その真ん中はポッカリと空いていました。
違う展示品では真上から見た模型、断面の模型。少しでも雰囲気を出すための街路樹や車、船のミニチュア。
そこでEikoが思ったことは、こんなに器用な仕事をこなす助手がEikoにもいたら…と本気で羨ましくなりましたね♪♪♪
開催地が「神戸」ということもあったのでしょう。氏のスケッチコーナーには、阪神大震災のおひただしいスケッチが並べられてありました。心がギュウッとなりました。
この展覧会、つぎはヘルシンキへ、それからいろんな都市を経て、最終的には現在スガシ島で、ビノー現代美術館建設計画中のパリにて、来年開催されるそうです。
おなじ美術館のもう一つの会場では「クリムト展」が開かれていました。
それも観てきたのですが、その感想はまた、ということにしましょう♪
Mog
うーんとね、1789年のきょう、パリのバスチーュ牢獄で何かが起こった日じゃなかったっけ?
そうだ、アンドレとオスカルが本当の恋を成就できずに逝った日だ。
♪愛、愛、愛、愛あればこそ〜 ベルサイユのバラ〜 ひとつ〜♪♪♪
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