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脳性マヒ・二次障害レポート

Eikoのひとりごと
      Mogのつぶやき



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2003/07/24  もうすぐ、うなぎ食べる日だね♪
Eiko
梅雨は、いつになったら明けるのでしょうね。「いくらなんでも長すぎるぞー」って母に天に向かって叫んでもらおうか、って思うわ。母に怖い顔で怒鳴られたら、雨の神さまだって、きっと逃げ出すと思うんですけどね♪
 
それに、この涼しさ。どうなってるんでしょう。友だちがメールに十年前もこんな天候で冷夏。日照時間も少なくて、お野菜は急騰、お米は出来ない、で大変だった、って書いてきたけど、みなさん、おぼえてますか?
 
うちは、年間契約で産地直送のお米を食べてるんだけど、それだけでは足りないから、大変だったな、って記憶があります。TVでは、外米のおいしい炊き方とかそういうの、いっぱいしてたね。
 
ことしは、そんなに深刻にならなくてもいいように、って願ってるんです…、そうだ!これも母に天に向かって「おひさま、でてこい!」って怒鳴ってもらいましょう♪
 
きょうは、クリムト展の報告をしたいと思っていたんだけど、ちょっと気が重いです。
もうね、クリムトはずーっと憧れていた方なので、偶然その本物の作品が観られるって分かったから、ドキドキして向かったわけ…
 
ふつう、いくら印刷物で観ていても、本物は本物にしかないオーラってあるじゃないですか? たとえば、アルフォンス・ミュシャにしても、彼も精密な印刷物がたくさん出てるのだけど、本物を観ると、本物にしか感じない微妙な何かがあって「やっぱり、ほんものだー♪」って思うんですね。
 
それが、今回のクリムトの本物からは感じられなかったんです。古いから色も飛んでるし、Eikoの心が鈍感になってしまったのかも…って思ったり…
でも今回は、母も同じことを感じたみたいで、ぼそっと「クリムトは本物と違ごたんやろか…」と。
 
じつは、Eikoも同じようなこと感じていて、涙がこぼれそうだったんだけど、そうやなあ、とも言えず「うーん」とうなっちゃいました。でも、今は、期待が大きすぎたんだ、と思っています。
 
油絵と金の装飾、その組み合わせを考えついて、実行し、センセーショナルな風を絵画界にもたらしたことは事実だし、現代において今なお新しさを失っていないところもあるし、、、それは、とてもすごいこと、には違いないのだから…
それに、Eikoみたいなペイペイがこんなことをいうことはないのです。ただ、ただ、ショックが並ではなくて、ものすごかったんです。
 
でもね、このあいだブローチの注文があって創ったんですね。ぜんぜん何もみないで思いつくままのデザインだったんだけど、出来上がってみれば、完全にクリムト、になってるの。ウッヒァー!って思っちゃいました。
 
それをみた母も「すごい影響力なんや。やっぱり」って。それで、ふたりで顔を見合わせて「あの展覧会は、なんやったんやろ?」って、笑ってしまいました。
 
もうすぐ土用の丑。うなぎを食することになったのは、平賀源内のキャッチ・コピーらしいけど、いくら冷夏、といっても夏は夏。みなさま、うなぎを食べて、元気にこの夏を乗り切りましょう♪♪♪
 
エッセイの風に、同人誌に書いた「ピア・カウンセリング」と、昨年TVを観て感激した「三仏寺、奥の院投入堂」を追加しました。
七宝と詩の森には、個展のまえに「突貫工事の急ぎ働き」で創り上げた作品を追加しました。
 
Mog
いつまでも、うっとおしいお天気だね。こういうときは寝るにがぎる…ムニャムニャ…

2003/07/14  念願の安藤忠雄展へ
Eiko
きのう雨の降りしきるなか、母と神戸にある兵庫県立美術館まで行ってきました。念願の「安藤忠雄展」を観るためです。
 
着くと、たまたま安藤忠雄氏のギャラリートークが始まろうとしていました。Eikoも聞くべく、その会場に向かいました。
 
椅子が用意されていたのか、いなかったのか、わからないくらいのいっぱい状態。「まあ聞くだけでいいや♪」と立って待ちました。
Eikoが最後列くらいだろうと思っていたら、あとからあとから来られて、ものすごい熱気の中、結局、ひと、人、ヒトのど真ん中で聞くことになりました。
 
遅刻すること15分。やっとガラガラ声が聞こえてきました。
テーマは「若い人たちに告ぐ」というもので、作品解説などはいっさいナシ。
 
「若い人は自由だけれど、甘やかされて役には立たない」「今ある日本は五十代六十代のひとたちが汗水流してつくったのだ。その上にのっかっているだけで何もしようとしない若者が多すぎる。これでは50年後、日本はアメリカ合衆国日本州になっていてもおかしくない」など手厳しい。
 
さらに「一流大学を出ていても、判断力がない。自分で考え出すことがない」など、頷くべき言葉はつづきます。それらを大勢の若者たちは笑って聞いていました。
 
最後の「何でも体験すること。例えば夜中に仕事を終えて、電車がないと帰れない、などと言う前に、歩いて帰ろう、という発想がどうして生まれないのか。夜が明けていく中を歩く、日の出を見る、そして何かを感じる。物事のありようをどう感じるか、ということこそが第一歩である」という言葉に、Eikoは大きく頷いてしまったのでした。
 
しかし、そこでも若者はニヤニヤしているだけ。照れもあるだろうし、「何を熱くなって語っているのだろう」と思っているのかも知れません。
でもね、もっと真摯な態度で聞くべきことは聞かなきゃあ、と年寄り臭く?思ってしまったEikoでもありました。
 
でも、微かに、チラッ、とでも氏の姿が見られなかったのは、返す返すも残念でしたね♪
 
続いて展示を見てまわりました。展示は模型や写真や図解、ビデオなどで行われていました。
 
作品全体を通して解ったことは「水と光と心地よく独創的な空間」。これが安藤氏が建築を考える上での基本ではないだろうか、ということです。
 
その会場・兵庫県立美術館も安藤氏の作品なのですが、見た目の心地よい空間と実用的な空間の有りよう、というか、せめぎ合い、みたいなものが建築家の腕の見せ所なのでは、と思い至りました。これはまさに究極の難問でしょう。
 
県立美術館は車いすの利用者にもよく配慮されていたし、言うことはないのです。
でも初めての利用者には、展示室が区切ってあるために、どこまで続くのか把握しにくいし、無駄に歩かねばならないスペースも多かったのです。
しかし、そのスペースこそが「見た目の心地よい空間」であるわけですから、うーん、むつかしい♪
 
しかし模型の精密さには、ただただ「うなるばかり」でした。あれだけの物を創るのに、とれだけの時間と集中力、忍耐力が必要だったでしょう。
 
それこそ一流大学出の助手たちが寝る間も惜しんで作り上げたのだ、と思うと一見して通り過ぎるようなことが出来なくなりました。
 
どれもこれもすごいのですが、「これは圧巻」と舌を巻いたのはニューヨークの立体模型。これはグラウンド・ゼロ・プロジェクト、つまりあの9.11ツインタワー跡地のプロジェクトです。何百とあるビルひとつひとつが縮小され、それぞれの形に仕上げられています。そして、その真ん中はポッカリと空いていました。
 
違う展示品では真上から見た模型、断面の模型。少しでも雰囲気を出すための街路樹や車、船のミニチュア。
 
そこでEikoが思ったことは、こんなに器用な仕事をこなす助手がEikoにもいたら…と本気で羨ましくなりましたね♪♪♪
 
開催地が「神戸」ということもあったのでしょう。氏のスケッチコーナーには、阪神大震災のおひただしいスケッチが並べられてありました。心がギュウッとなりました。
 
この展覧会、つぎはヘルシンキへ、それからいろんな都市を経て、最終的には現在スガシ島で、ビノー現代美術館建設計画中のパリにて、来年開催されるそうです。
 
おなじ美術館のもう一つの会場では「クリムト展」が開かれていました。
それも観てきたのですが、その感想はまた、ということにしましょう♪
 
Mog
うーんとね、1789年のきょう、パリのバスチーュ牢獄で何かが起こった日じゃなかったっけ?
そうだ、アンドレとオスカルが本当の恋を成就できずに逝った日だ。
♪愛、愛、愛、愛あればこそ〜 ベルサイユのバラ〜 ひとつ〜♪♪♪

2003/07/02  祇園囃子が聞こえます♪
Eiko
いよいよ七月です。四条通りを歩くと、祇園囃子が聞こえてきます。このお囃子は、まだ本物ではなく、テープなのですが。
 
Eikoは、学生のころに一度だけアルバイトをしたことがあります。高島屋で車いすとか杖とか自助具などの売り場でした。それがちょうど今ごろで、朝から帰るまで祇園囃子のなかにいました。
 
そしたら家に帰って、お風呂に入っていても、食事をしていても、そしてベッドにもぐっても、コンコンチキチンコンチキチン…と耳の奥で鳴り続けているのです。山鉾巡行がある十七日まで、それはそれは頭のクラクラする日々だったことを思い出します。
 
きのうは一日で「吉符入り」、きょうは巡行の順を決める「くじ取り式」。やく千年まえに祇園祭は始まりました。山鉾巡行は八百年前からつづいています。そして、いまから五百年ほどまえに巡行の順番で争いが絶えないために、くじ取りをすることになったのだそうです。
 
きょうテレビニュースでその様子をしていましたが、くじ取らずの山や鉾が八基もあることをEikoは知りませんでした。最初が「長刀鉾」、最後が「船鉾」だけだと思っていました。五番目が「函谷鉾」、二十一番目に「放下鉾」、二十二番「岩戸山」、そして「船鉾」です。
 
それから、あとの巡行になります。「北観音山」「橋弁慶山」とつづいて六基の山のあと「南観音山」で終わります。
 
山鉾巡行で祇園祭は終わり、ではありません。そこからも延々と行事はつつきます。そして最後の最後に「あとの祭り」がきます。これはウロオボエだけど、たしか「花笠道中」があって、祇園祭りは本当のお終いになります。
 
これが、先の巡行が目立ちすぎて、そのあとが目立たないため、祇園祭と関係なく「あとの祭り」という言葉が、独立して使われるようになったとか、聞いたことがあります。
 
七月のお祭りのお話を先にしてしまいましたが、六月三十日に食べる「みなづき」、みなさまは、どこのお菓子屋さんになさいました? 父が現役のころは「鍵善」に決まっていましたが、いまはEikoの好みで選びます。
 
ことしは考えて「美玉屋」さんにしました。「くろみつだんご」で有名なお店です。その日は、お医者さまに行き「貧血」のお薬をもらう日で、その近くに美玉屋さんがあるのです。
 
おだんごがとてもおいしいところなので「みなづき」も、と思ったのですが、これがなんと大当たり♪ 食後に三個もいただいてしまいましたね♪ ルンルン♪♪♪
 
これだけ美味なみなづきを食べたので、ことしの夏は見事に乗り切れるでしょう♪
 
Mog
お医者さまから「目立って胃は悪くないので、胃薬は極力飲まないようにしましょうね」って、お薬が減って喜んでいたのに、
そんなにたくさんの「みなづき」食べて、だいじょうぶかなー?
「腹も身のうち」って言葉、知ってる? おねえちゃん!



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