「これ、見てみ」
バスのなかで、友だちが私のひざの上に一冊の本を置いた。
ケーテ・コルヴィッツの『版画集・愛と怒り』だった。表紙にはベージュ色の地に、片手で顔を覆った女のひとが赤茶色の線で描かれていた。
(あまり、見たくないな)
私は、とっさにそう思った。しかし、バスを降りるまでには間がある。私は仕方なく表紙を開けた。ゆっくり見るつもりはなかったので、パラパラッと流す感じで見始めた。
ところが一枚目から、まさに釘付け、なってしまった。そしてそれがバスのなかであることも、友だちが横にいることも忘れ、こめかみのあたりが緊張してくるのを感じた。
1900年あたりからそれ以降の、ドイツでの労働者の貧困や戦争、それにまつわる家族の姿、死、そういうものが描かれていた。
私がそれまで、
(軽々しく語ってほしくない)
そう思っていたものをまとめて見るようだった。
しかし、『死のおとずれ』は私の思い描いていたものとイメージが似ていたし、『死んだ子供』からは、子供を喪った母親の思いが伝わってくるのを実感した。そして、どんな悲惨な場面からも、画家の愛情豊かな目が、私には確かに感じられた。
その頃、私はガンの発病からようやく5年が過ぎようとしていた。それまでも何事によらず深刻ぶるのは性に合わないので、開直って生活していたが、5年生存ということで、家のなかは何となくほっとした空気が漂っていた。
そういうときに、この版画集を見せてらった。それまで無意識に、それでもどこかで感じつづけていたものが、そこには充分すぎるくらい表現されていた。
ケーテ自身「これらの作品は『訴えねばならないもの』として描いたのではなく『単純にうつくしい』と感じたから描いたのだ」と言っている。だから、私は反発することなく、私の心に自然に入り込んできたのだろう。
私は、見終わっても何も言葉にできなかった。友だちもうなずいただけだった。友だちは、腎臓病だった。
そしてその後しばらく、大切なひとたちへのプレゼントは、この版画集になってしまった。
それから数年して、友だちは逝ってしまった。
しかし、この一冊は、今も私にいろんなことを教えつづけてくれている。
(ケーテ・コルヴッツ 版画集・愛と怒り 岩崎美術社)
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