第一話
家の近くに川があった。川の水は澄んでいて、町の中にしてはめずらしく、そこには蛍が生息している。
夏になると、私は毎年ボランティアで蛍が取られないよう監視役をしていた。
「お久しぶりでございます…、お変わりないようで」
今年はどれくらいの蛍が出るのだろう、と思いながら散歩をしていると声をかけられた。私は、その浅黒く引き締まった顔に、たしかに見覚えがあった。
「近くまで来たもので。ついでにいつもの新酒をお届けしようかと思いまして」
(なんだ、田舎の造り酒屋の息子か…。だが、今頃に…?)
私は、少し不思議な思いで青年の顔をみつめた。しかし、青年は白い歯をちらりとのぞかせて、
「今年のは、ちょっと甘口にできまして。お口に合いますかどうか」
唐草模様のふろしきに一升瓶が巻いてあるのを渡された。
「家はついそこだから、寄っていきなさい」
「ありがとうございます。でも他にも回らないといけませんので…。ここで失礼します」
愛想よくして帰っていく。
(まてよ、あそこの息子はあんなに色黒ではなかったはず…? それにもうとっくに四十は越えているぞ…)
あわてて後ろを追いかけた。かどを曲がったら、だれもどこにもいなかった。
遠くに光の点が、見えていた。
第二話
夕涼みの帰り、何気なく工場のたかーい煙突を見上げて驚いた。てっぺんに一匹の蛍がしがみついている。
(風にあおられて、あんなところまで行ったんだな。バカなやつだ)
そう思って通り過ぎようとしたが、気になって仕方がない。それを見越したように蛍も合図を送ってくる。
(えい、助けてやるか)
ゲタをぬぎ、ゆかたのすそをからげて、煙突のはしごを上がっていく。
(とんだ蛍狩りだ。しかし、風がだんだん涼しくなってくる。蛍の気持ちもわからないではないな…)
やっと、てっぺんにたどりついた。蛍はどこにもいなかった。
生まれたての星が、光っていた。
第三話
目が覚めるとまだ暗かった。もう少し眠れそうだ、と思ったときだ。蛍が一匹、頭のまわりを回っている。クーラーをつけて寝たので、窓や扉はきっちり閉めたはずだ。
「おい、どこから入って来たんだい?」
自分の声が、闇の中に吸い込まれていくのがわかった。目を凝らすと、ほかにも微妙に光の色がちがう蛍が何匹か見える。いちばん大きいのは赤っぽい光、そのつぎのは緑っぽいし、お尻の外側に輪っかをつけたようなのもいる。
「夢にしては、実にリアルだ」
そのとき、耳の後ろの方で何かがぶつかる音がした。慌ててそちらを向くと、蛍が集まって光の帯をつくっている。そのはるか向こうには蛍たちの渦がみえる。何百匹か何千匹かわからない。とにかく恐ろしい数だった。
「これは現実じゃあない!」
思わず飛び起きて、頭を振った。額のあたりで何かが崩れる音や悲鳴が聞こえた。
「おはよう、地球。目を覚ます時間だ」
耳元でものすごい声がした。鼓膜の震えはなかなか止まらない。と同時に強い光が目を射した。もう一度、薄く目を開けると、太陽が正面で笑っている。
気が付くと、自分の顔が、青く輝いていた。
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