ピエールたち小学六年生の春の課外授業は、美術館での絵の鑑賞だった。
美術館は、昔の領主の館だ。きれいに刈らた芝生の向こうに、石造りの小さなお城のような館が見える。中に入ると薄暗くはあったが、思ったより冷たくはなかった。しばらく行くと、廊下の先から油絵の具のにおいがしている。
先頭をゆく女の子たちは、小声でおしゃべりしたり、つつきあいながら絵を観ている。
ピエールたちは、中程を三、四人の男の子とちょっとした感想を言いながら観ていた。友だちのルイは、みんなの一番うしろから、ひとり何やら言いながら付いてきていた。
ピエールは、ある一枚の絵のまえに立ち止まった。その絵は、ひげをはやした老人と少女が白いマントをはおって、こちらをみている絵だった。決して裕福でないふたりの生活、これからの不安などを、全体のトーンである青がものがたっていた。みんなが次の部屋へ移動したのも、ルイが、「クギ付けになるっていうのは、こんなことをいうのだ」と、言いながら後ろをすりぬけたのも、ほとんど気がつかないくらいだった。先生は、絵を見入っているピエールに、
「この絵は、あのピブロッティの若い頃のものだ」
と、言った。ピエールは驚いてふりかえった。
今のピブロッテイは、わけのわからない絵ばかり描いている画家だった。
「ほんとうに、これが彼の絵なのですか?」
ピエールは、瞳をみひらいて、もう一度確認するようにその絵をみなおした。先生は、ああ、とうなずいて、
「この絵をきっかけにして、彼は本格的に絵に取り組むようになったんだ。初めから超現実派の絵を描いていると思っていたのかい?」
そう言って、先生は笑みをうかべた。
「こんなに素晴らしい絵がこの町にある、ということだけでも、私は誇りに思うね」
先生は、ピエールの肩に手をおいて言った。
そして、ゆっくり納得のゆくまで観ているといい、と言うと、ピエールをその部屋に残して先の方に行ってしまった。
ピエールは、この絵のなかの雰囲気を遠い昔に体験しているような、みような感じがした。そして、その老人が見ているであろう風景を、はっきりと自分も見ていることに気がついた。『もうすぐ冬が来る』ピエールは、全身に鳥肌の立つのを感じた。
ピエールは家に帰る道々、ルイに、
「あの老人に寄り添っている女の子のあたたかさや息づかいまで感じられたんだよ・・・。あの先、彼らはどうなったのだろう」
ピエールは一生懸命思い浮かべようとしたが、それ以上、心には何も浮かんでこなかった。ルイは、
「ぼくは、あまり絵に興味がないんだ。美術館に入ったとたんに眠くなっちゃってさ。それ、がまんしてたらお腹すいてきて・・・ 」
まんまるい顔をピエールに向けて、ニッと笑った。
(こいつは、もう。ほんとに食い気ばっかりなんだから)
ピエールは、ルイのだぶだぶしたお腹のあたりを横目で見ながら、ため息をついた。
それから一週間後、ガールフレンドのエレナをさそって、ピエールは再びその絵の前に立っていた。しばらくしてエレナが、
「この絵をじーっと見ていると、どこからか風の音が聞こえてきそうね」
前に落ちてきたサラサラの金髪に手をそえながら言った。
「でも、このひとたち本当に今にも動きだしそうだわ」。
小学校を卒業して夏休みに入った。
家族で夕食をとっているときだった。とうさんがピエールに言った。
「おまえが好きだと言っていた絵が、どうやら売却されるそうだよ」
「どうして!」
ピエールは大声をあげた。その拍子に持っていたコップが落ちそうになった。
「なぜなの?」
「あの絵は、もともとこの町のものではなかったらしい。ある会社のものだったんだ。美術館に貸し出していただけみたいだよ。だが、その会社が危いそうだ。それで売ることになったそうだ。なんでもニューヨークに行くらしい」
とうさんは、仕方ないじゃないか、とピエールの腕をたたいて、食事をつづけた。
よく朝のこと、
「そりゃ無理だな、ピエール。この家を処分したって、あの絵の額縁すら買えないと思うよ。いい考えだとは思うけど」
ピエールの言葉に、コーヒーを飲みちがえそうになりながら、とうさんは言った。そして、かあさんの顔を見た。
「仕方がないわ。どうにか出来るものなら、何としてもしてあげたいけどね」
と、あきらめ顔で微笑んだ。
ピエールは、何故わからなかったが、どうしてもあの絵がこの町を出ることだけは阻止したかった。
(ルイに相談してみようか。でもなあ・・・ )
あまり期待していなかったピエールは、自分の耳を疑った。ルイは、しばらく考えて、
「なんとかなるのじゃあないかなあ」
と、さも簡単そうに言ったからだった。ルイは、いつものふざけた表情ではなかった。
「小学校のときの連中に呼びかけてさあ、先生にもこえかけて、バザーをしたらどうかなあ」
ピエールは、顔が上気するのが自分でもわかった。
「ルイ、すごいよ。とてもいい考えだよ!」
ルイはチリチリの頭をかきながら、
「ピエールがあの絵を観ているとき、とってもいい顔してたものな」
そう言うと、うれしそうにニッと笑った。
とうさんに話すと、
「おまえたちがそこまで思っているなら、協力しないわけにはゆかないな」
と、言ってくれた。
それからが大変だった。ピエール、ルイ、エレナの三人は【ピブロッティの絵がこの町にいてほしい会】の発起人として学校のみんなや親や地域のひとたち、それに町の有力者にも協力を頼みにまわった。
「そうかい、あの絵が売りに出されるのかい。うーん、そりゃあ残念だ・・・ 」
「あの絵には、思い出もいろいろあるんですの。悩みごとがあるときなんか、あの絵の前に立つと、こんなことではまけられない、って気になりますもの」
「他からくる客や親戚なんかには、必ず案内して見せるんですよ。そうすると、みんびっくりしてしまう。こんな田舎町に、ピブロッティのこんな絵がある、なんてね」
地域のひとたちは、それぞれにあの絵に対する思い出を語ってくれた。そして、ほとんどのひとたちが協力を約束してくれた。
ピエールのかあさんは、キルトを友だちしていたので、それで協力することになったし、ルイの家は、パン屋なので、サンドイッチやドーナツを提供しよう、とルイのおとさんが言ってくれた。場所は、小学校を使ったらどうか、と校長先生が提案してくれた。
夏休みのいつもならひっそりとしている学校に、バカンスに行かないひとたちが集まりを重ね、準備が進んでいった。
バザーは、学校の新学期がはじまって最初の日曜日、と決まった。
はじめのうち、あまり乗り気でなかったエレナは、今、いきいきとバレエの練習をしている。彼女の通っているバレエ学校の全員、バザーの当日、学校のホールで踊ることにったのだ。もちろん出口にはカンパの箱が置かれる。
みんながそれぞれの持ち場で一生懸命だった。しかし、ピエールはひとり、だんだん口数が少なくなっていった。ルイは、何回もどうしたんだい? と聞いてくれた。そのたびにピエールは、
「なんでもないよ。がんばろう」
と答えていたが、地元の新聞社やパリからもテレビ局が取材にきたときには、
「ルイ、もしもお金が集まらなかったら、どうしよう」
と、心細そうに言った。ルイは、
「そのときは、そのときさ。やってみなりゃわからないよ。それでダメならあきらめる。精一杯のこと、したんだから・・・ 」
(ルイって、ずいぶん大人なんだなあ)
ピエールは、ルイをあらためて見直した。
さて、その日がやってきた。晴れた空にモンブランがくっきりと見える。
小学校の校庭には、飾り付けのされたテントがいくつも並び、調理室からは焼きたてのパンのにおいとか、バタークッキーの香りが漂い、ホールからはチャイコフスキーが流れ出ていた。その間をテレビカメラが横切り、マイクを向けられたピエールが何か言っている。ルイは新聞記者につかまって取材されたり、写真のポーズをとらされたりしていた。
バザー会場は、校庭だけにとどまらず、町のいたるところに店ができていた。客は、隣町からも来てくれていたり、ピエールやルイの親戚などが遠くからかけつけてくれたり、といつもは静かな町も、この日ばかりは、クリスマスと復活祭とハローウィンが同時にきたようなお祭り騒ぎとなった。
準備してきたみんなは、この大勢集まったひとたちを見て、このバザーの目的であるピブロッテイの絵のお金は大丈夫だろう、と信じた。
だが、残念なことに町中を総動員して集めたお金は、町からの予算を加えても、半分にも満たなかった。
ピエールたちは、町の何人かのひとたちと、ニューヨークへ渡っていくピブロッティの絵をパリの空港まで送っていった。
中学生になったピエールたちは、あの絵はどんなところに掛けられているのだろう、とか、一生懸命やったのだから、とか、ひそかに絵描きになる決心をしたり、とか、それぞれに思いを持ちながら、新しい学校に通っていた。
しかし、ピエールたちには頭を悩ます問題が残っていた。それは、ピブロッティの絵のために集まったたくさんのお金をどうしようかということだった。町の有力者や【ピブロッテイの絵がこの町にいてほしい会】のメンバーが、何回も集まり討議を重ねた。
「町の美術館に寄付して専門家にまかせしょう」とか「集まったお金で買える絵を何枚か選んで、町のみんなに投票してもらってもいいのじゃないか」というものや「ピエールたちが学校の授業を通して、このようなことに発展したわけだから、小学校と中学校に分けて設備や教材に使うのもひとつの方法だ」という意見まで出た。
ピエールは、この集まりに参加するたびにいらいらしていた。みんな、精一杯の考えを言っている。しかし、肝心の何か、がぬけているような気がしてならなかった。
ピエールは、あの絵が今どのような状態でいるのか知りたいと思っていた。しかし、ルイもエレナも、あれだけのことが出来た、ということだけに満足していた。だから集まりに参加しないか、とピエールはさそったが、あまり興味がないようだった。
ピエールは、夢でもあの絵がよく出てきた。摩天楼の立ち並ぶ一角にかけられた絵が、排気ガスや粉塵にまみれて、壁と見間違うほど汚れてしまった絵だったり、金庫の奥のおくに保管されていて、いくら頼んでも見せてもらえず、泣きながら帰ってくる夢だったりした。
何回目かの集まりのとき、ピエールがはじめて発言した。
「ぼくは、ピブロッティのあの絵がこの町に残ってほしいと思って、ともだちとバザーを計画しました。集まったお金は、ピブロッィの絵のためのものだ、と思うのです。ほかの画家の絵や学校の設備費の話まで出ているのに、なぜピブロッティが描いた別の絵を買おうとしないのですか」
みんなは、この言葉にどのように答えたものだろう、と顔を見合わせた。
「それは、だねえ。ピエール」
そう言って口を開いたのは、とうさんだった。
「実を言うと、もうさがしてみたんだよ。でもあの大画家の絵はそう安くはない。ある程度のものを買いたい、と思ったら、お金がたりないんだ。だったら無理をしてビブロッティにこだわることはないのじゃないか、ということになったんだよ」
とうさんもみんなも残念そうにうなづき合い、しんみりとしてしまった。
「頼んでみたら、どうだろう」
ピエールは、かすれた声でつぶやいた。しかし、その言葉の意味は正確には伝わらなった。
「パリの画商に知り合いがいて、相談に行ったんだが、小さな素描くらいなら、ということだったんだよ」
町長がピエールの目をみつめて言った。
「だから、その、ピブロッティ本人に・・・」
ピエールは、消え入りそうな声で言った。そこに集まっているみんなが息をのんだ。やがて、とうさんが、
「そのアイデアはすごいと思うよ。しかし、ちょっとやそっとの画家ではないんだよ。見ず知らずの私たちが頼みに行っても、相手にしてくれるかどうか・・・ 」
「でも・・・ 。でもピブロッティに手紙を書いてお願いしてみたら・・・」
ピエール自身、自分の言葉にいちばん驚いていた。
その後、メンバーの口は急に重くなり、結局、ピエールがピブロッティに手紙を書く、ということで、その日の集まりは終わった。
ピエールは、その日の帰り道から手紙のことで頭がいっぱいになった。書き出しからなかなか浮かんでこない。朝は、目覚めると同時に考えていたし、食事中も授業中だって手紙のことが頭から離れないでいる。学校では新聞部に入っていて、もうすぐ発行日なので帰りもおそくなっていた。
もちろん、ともだちとも遊ぶどころではない。ただ、ルイには事情を言っておいたので、ピエールの家の前を通ることはあっも、チャイムは押さずに窓を見上げるだけのようだった。
手紙は、寝ても覚めても、夢の中のまでもピエールを悩ませた。それでも誰に頼ることもできず、紙くずだけがあふれてくる始末だった。
とうさんとかあさんが、そろ助け船を出さないと、と思い始めたころ、そして下書きが四冊目のリポート用紙にかかろうと、したころ、何とか出せるかたちになった。ピエールは、真夜中にその仕上がった最終の下書きを、そっと、とうさんの書斎に置いた。
朝、顔も洗わずにどきどきしながら書斎をのぞくと、とうさんは今読み終えたばかりらしく、リポート用紙を片手にピエールをみつめた。それから成長した息子に握手を求めた。誇らしげに、そして、少しだけ寂しげに唇を引き締めて。
ピエールは、その日学校から帰るとすぐに手紙を清書し、ピブロッティに送った。ルイのところへはその足で報告しに行った。
「長かったなあ、心配してたんだよ。ぼくは何の協力もできなかったけど・・・」
そう言いながら、うなずくピエールに右手を差し出した。
ピエールは、エレナにも知らせたかった。バレエの練習日たったので、その学校の門にもたれて彼女を待った。つぎつぎに女の子がピエールの横をすり抜けていく。ふくみ笑いをしながら、上目づかいに彼を見ながら。ピエールもそれらの女の子には知らぬ顔をよそおい、口笛を吹きながら待った。
やっとエレナが現れたのは三十分もたったころだった。エレナはピエールをみつけると、一緒に出てきた女の子に耳打ちした。女の子はうなずくと、彼女に手をふり、ピエールをチラッとみて小走りに通り過ぎた。
エレナがうつむきかげんに、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。髪をうしろに束ねているので、うなじが美しかった。ピエールはのどの奥が熱くなるのを感じながら、手をかるく上げた。エレナは、目と目の間にしわをよせて、まぶたも落としているのでブルーの瞳は半分以上かくれている。口もとも笑っていない。
「やあ・・・ 」
エレナの顔をみて、やっと出てきた言葉だった。彼女は表情も変えず、
「何しに来たの。急用なら電話でよかったのに」
と、言った。
(エレナ、やっと手紙が書けたんだ。それでとうさんにもよくやったって言ってもらえたんだ。今出してきたところさ。あとは返事を待つだけ・・・ )
と、一息に言おうと思っていたピエールは、その色のついた言葉が急にセピア色になり、消えていくのを感じた。
「手紙、書けたんだ」
ピエールはやっと、それだけが言えた。
「ふーん。それはよかったこと」
エレナの言葉は、とげとげしかった。
「なに怒ってるの。何か気に入らないことでもあるの?」
ピエールは、少し間をおいてから聞いた。
「あなたのおかあさんに聞くといいわ。すっごくやさしい、あなたのことしか頭にない、おかあさんにね」
ピエールは混乱していた。かあさんが一体なにをどうした、というのだろう。手紙とクラブに明け暮れしていた二、三週の間に何が起こったのだろうか。
(落ち着くんだ。ピエール)
ピエールは、自分に言い聞かせた。
「ちゃんと言えよ。かあさんからも聞くけど君からも聞かないとわからない」
「じゃあ、言うわ」
エレナは息を大きく吸った。
「今日から一週間前に、うちのパパとママ、正式に離婚したの。前からそんなに仲はよくなかったけれど。パパとママが私と妹のアンナを呼んで話をしたわ。それが半月前よ。私、どうしていいかわからなくて。出掛けたのよ。あなたのおうちに」
エレナは、まつげからこぼれた涙を指先でぬぐった。
「あなたのおかあさんは、微笑みながらよそよそしい声で、今ピエールは忙しいのよ。学校の新聞部では大事なポジションについてるみたいで、帰りも遅いし。それにピブロッティへの手紙もなかなか書けないみたいだし・・・。だから、こちらから連絡するまで、そっとしておいてくれない、って言われたわ。私、どうしてもあなたに会いたかったから、事情も話したのよ。そしたら何て言ったと思う?」
ピエールは、エレナの目をみつめながら、首をゆっくり横にふった。
「それはお気の毒ね。大変じゃあないの。そんなに大変なこと、ピエールでは何のお役にも立てないと思うわ。自分でしっかり考えて、自分のこと決めないと・・・ 。アンナちゃんともよく相談して。ご両親に自分の気持ちをはっきり伝えないとだめよ。いいわね。ピエールには私からよく言っておくわね、ってドアをぴしゃんと閉められたわ」
でも、ピエールにはそのときのエレナの気持ちも、かあさんの思いもほとんど解っていなかった。
そのあとエレナが立ち去るまえに、ピエールの顔も見ないで言ったひとことが、彼の後頭部のあたりをぐるぐる回っていた。
「わがままも、いいかげんにすることね」
確かにエレナはそう言ったのだ。
ピエールは、じいっとエレナの後ろ姿を見送っていた。
(ぼくのわがままだって・・・ ピブロッテイの絵のことが。どうして、あれがわがままなんだ)
ピエールは、初めてピブロッティの絵に出会ったときのこと、エレナが絵を観て言ったことば、バザーのときの混雑などの場面と、そのエレナの姿が交互に頭に浮かんでは消えた。
ピエールは、家近くの交差点の真ん中で我に戻った。車のクラクションがはげしく鳴ったからだ。
家に帰ったピエールは、かあさんにつめよった。
「何を言ってるの、ピエール。あなたに何ができるっていうの。自分のするべきことだけを考えていればいいのよ。そのためなら、どんなことでも、かあさん協力するわよ」
かあさんは無表情に、それだけのことをはっきりと言った。
ピエールは、言いたいことを体の中にあるすべてのものと一緒に吐き出したかった。
(何もわかってないんだ。かあさんは!)
しかし、ピエールは何も言えなかった。自分の部屋のドアを思いっきり強く閉めるよりほかには。
ピエールはベッドに仰向けになって、エレナの言ったことと、今、かあさんが言ったことを考えていた。そして、考えれば考えるほど、自分がわがままに思えてきた。ふと、ルイの姿が頭に浮かんだ。
(彼なら、何と言うだろう?)
ピエールはしかし、ルイに相談することをためらった。
その日から一週間ほど、学校へ行く以外は極端にひとと会うのをさけた。そのあと少し無口にはなったが、いつものピエールがそこにいた。
待ち続けたピブロッティからの返事は、とうとう来なかった。集まったお金の使い道もそれぞれの立場からの主張が強まり、結局は町のほとんどのひとたちが賛成する絵がみつかるまで、棚上げしておくことでおさまった。
その後、ピエールは大学で美学を専攻し、町の公務員になった。
町もだんだんと大きくなり、市となった。そして、今までの美術館は老朽化し、新しい市立美術館が建つことになった。 その間、ピエールは念願をかなえるため必死に動き回っていた。
今日は、新しい美術館のオープンの日だ。
背の高い紳士と太った男が、一枚の絵をみつめている。
「しかし、この絵がもう一度この町に戻ってくるなんて、考えてもみなかった。長年よくやったよ、君は。 ・・・むかし、この絵の中の人物が何を見ているか、とか、その先が見えないとか、よく言っていたが、今もまだ見えないのかい?」
と、太った男が言った。
「いや。今このひとたちの行くはるか遠くに、白い町が見えているような・・・」
背の高い紳士が話を続けようとしたとき、入り口の方がにぎやかになった。事務員が近づいてきて、
「館長、小学校の生徒たちが見学に来ました」
と告げ、紳士はうなづいた。
「さあて、そろそろ引き上げることにしよう。あしたのパンを仕込まないとね。ところでエレナは元気かい? ピエール」
太った男は、そう言うとニッと笑った。
子どもたちが女の子を先頭に入ってきた。館長は、微笑みながら迎えた。
Mogから一言
このお話は、スイスのバーゼルというところでの実話です。しかし本当は、ピブロッティはピエールの手紙に感激し、南仏にある自分のアトリエに招待しました。そして、このアトリエのなかにある好きな絵を一枚あげよう、と言いました。最終的にはピエールたちの好きな絵ともう一枚ピブロッティが選んで、町に寄贈してくれたそうです。
さて、この画家はだれでしょう?
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